秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

最上のすすき姫伝説その1

2017-06-14 | 東北地方の伝説(山形県)
前々から、鈴のシンクロが続いていましたが、
このお話も、どうやら、ススやササやら、何かと鈴が関係していそうな気がします。

先日、山形に用事があったので久しぶりに山形へ行ってきました。
街を散策していたら三の丸に来ていた。



山形城跡(国指定史跡)
1357年に斯波兼頼に築城されたと伝わります。
これを最も大きい規模にしたのが、山形城主最上義光でした。
この裏手に、歌懸稲荷神社がありますが、このあたり巨木が今も残されており、
樹が繁茂していた場所だったそうです。




(虹色のオーブ)

霞城公園とは離れていますが。
歌懸神社とは、以前、あこや姫伝承でのせていました。


※歌懸稲荷社

言い伝えでは、
むかし、藤原実方がやってきた時、一条天皇の命を受けて陸奥国を廻り、
和歌の歌枕を見てくるように命じられ千歳山の阿胡耶の松を見に来た。
その時、稲荷神社で和歌を奉納したところからこの名前がついたという。

後に、名取郡笠島村の道祖神の前を馬が通りすぎようとして、
神にとがめられて落馬して亡くなったという。
実方の墓は千歳山にあることになっている。


※千歳山(美しい~ピラミッド)


※千歳山と山形蔵王



西行も滝の山に来た折、歌懸稲荷の名を聞いて和歌を奉納したとも、
父の後を追って京からはるばる来た小野小町が歌を奉納したことから、
この名がついたという説もある。



歌懸稲荷に詣でるには、歌を詠まずに入ることはできないとも、
歌を詠まずに社の前に架かっている小さな橋を渡ってはいけないものと言い伝えがある。


もともと、1504年最上義定が城内に社殿を建立したものだと言われ、
天童氏との合戦にあたり、戦勝を祈願して大勝利したこともあって、
歌が献上されたことにある。




はあ、なるほど。
山形市内の観光をするつもりが、結局、こういう所にきてしまう…。
三の丸に歩いてきてしまうというのは、何かあるんだな、と。
あこや姫、実方中将、小野小町、西行。

-----------------------------------------------------
さて、最上義光という人がどんな人か知るすべはありませんが、
いろいろな話から、この方は、良い人だったのに騙されたのか、
本当の悪人だったのか。どっちの伝承もあるのです。
が、この方にからむ女性の話があります。
それがどうも本当の娘の伝承というよりは、
巫女さんの、やはり熊野や出羽三山修験系の残した話のようなのです。

この時代は詳しくないので、伝説で妄想します。
最上義光の長男、最上義康の妻が、すすき姫という言い伝え。
そして、すすき姫の父親が白鳥十郎長久。
この話は、数年前に岩根沢の三神社へ行った時に知りました。

すすき姫の伝説「西川町岩根沢は月山登山道の宿場の一つである。
谷地の殿さま白鳥十郎の娘に、すすき姫という美しい姫がおりました。
山形城跡の城主最上義光の頼みによって、義光の子最上義康の妻となった。
白鳥十郎からすれば、山形に城をかまえる最上家と手を結ぶことが、
好ましいという配慮もあったろう。

ところが、義光の家臣は義康が率直な人柄で、人の道ははずれることには、
ずけずけと言って怒る上に、きれいなすすき姫を妻にしたことに嫉妬し、
あることないこと義光に報じたので、怒った義光は息子の義康を殺害してしまったのだ。

自分の身にもふりかかることを恐れた姫は、父(白鳥十郎)に相談し、
岩根沢の沼の平に身をかくしたが、それがまた義光の怒りにふれ、
父白鳥十郎をも討ち殺し、白鳥一族をことごとく滅ぼそうとしたという。
すすき姫の居所もさぐらせて、すすき姫は山形城につれもどされてしまった。

次々に白鳥一族の悲報が伝わってくるのを耳にして、
すすき姫はある晩、こっそり山形城を抜け出して、
またまた沼の平城まで逃れたが、すすき姫の姿を隠したのを知って、
あの城にちがいないと、義光は追手を差し向けたのだった。
姫は城の前まできて、城門が義光の軍勢にすっかり固められているのを見て、
月山の参道に変え、やぶに身を隠しながら岩根沢の先まで来たが、
なれない山道に足をとられへとへとになって沼のほとりで倒れるように座りこんだ。

姫を守ってきた家臣に
「もうこれでわたしをかまわず逃れよ」というと覚悟をして
ふところにしてきた刀を取り出して、
えっと喉をついてそこに倒れた。
どくどくと吹きだした真っ赤な血は、沼の色を真っ赤にかえたほどであったという。
それから村人たちはこの沼を赤沼と呼ぶようになり、家臣たちが姫の名にちなんで、
沼の辺にすすきを植えて、霊をとむらったという。」


-------------------------------------------------------
この話は、3年前だと思うのですが、岩根沢の三神社へ行ったことがある。
そば畑が広がるとても良い所でした。



すすき姫がこの神社まで来ていたのかわかりませんが、
この境内には「要害神社」があるので、出羽派の修験者が
結界として金や鉄を守っていた時代があったのだろうと思います。





歴史をみてみると、
すすき姫は白鳥十郎の娘とあり時代は、1575年頃。
白鳥家の出生はよくわかっていませんが、村山市最上川を拠点としていた領主だそう。
そして、織田信長に信頼されていた事もあり、
福島県の女神山(小手子姫伝承がある)がありますが、機織りを伝えた話です。
この山にも織田信長の娘「笹姫」が逃れたという伝承がある。

ススとかササとか・・・。

父が息子を殺すという衝撃な話ですが、実際は?
Wikiですが、調べてみると、父子とも仲が良かったのですが、
義光の近臣の里見氏が二人を陥れるために、悪い噂をたてたとある。
それから父子の仲が悪くなったそうですが、息子の義康が誤って股に傷をつけて
しまうと、「大殿を恨み、自害しよとしている」と告げ口したとか。
他にも徳川家康が長男の義康より次男の家親の方をつがせたいと思っていたなど。
息子の義康は図られたのか、無念な死をとげたようで、
父の義光は、息子の死をなげき、里見氏にこの件について調査の命令を下したと。
それで都合が悪くなり、里見氏は山形から逃れたが、途中で引き渡される時に、
山賊に殺されたという。

この事から、里見氏一族の大半は、最上氏の恨みによってか、殺されたという話。
豊臣側についていた里見氏だったようで、豊臣VS最上のようです。
父は息子の死後、病死したようですが、そのあたりはよくわかりません。

いずれにしても、シンクロしてるのはあると思いました。
ススやササというのは、鈴を祈祷としていた鈴木家と
関連しそうなもので?
出羽派や熊野派の修験者たちが、過去、戦ってきた武将の怨霊を鎮めるために、
巫女の要素をもつ「姫伝承」の話をもってきたように感じます。
それは、この時代は戦乱の時代でしたから、
互いに巫女の霊力を利用していたからだと思うのです。

その責任を、巫女(姫)に背負わせているのかもしれない。
だから自害し弔うことにした。
それも修験者の役目だったのだろう。


※霞城公園

------------------------------------------------
さて、すすき姫の話が、白鳥十郎の最期の話にも似ているのです。
これはどういう意味でしょう?

つづく。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« アイヌ人のシトキ | トップ | 最上のすすき姫伝説その2 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL