秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

大武丸の大嶽山と石神

2017-07-16 | 東北地方の伝説(宮城県)
三十三年に一度のご開帳という情報を聞いてしまった。
「ご開帳」という言葉に弱い・・・。
しかも、33年ってどうよ。
これ逃したら、次はいつよ・・・。(70歳は越えてるな…。)
ということで、やっぱ、ご高齢の方がた~くさん参拝してました。



しかも、十一面観音様だ!キター━(゚∀゚).━





その33年に一度というお寺は、登米市南方にある興福寺です。
由来によると、
「奥州三十三観音大嶽山興福寺 南方町の大嶽山には「大嶽の観音さん」と呼ばれ
親しまれている「奥州三十三観音大嶽山(おおだけさん)興福寺(こうふくじ)」があります。
度重なる焼失で古い記録もなく由緒は不明ですが、
一説では平安時代に一帯を支配していた豪族・大武丸(おおだけまる)を
807年に征夷大将軍・坂上田村麻呂が討伐。
その亡きがらを葬った塚の上に観音堂を建てたのが始まりと伝えられています。





※薬師堂

観音堂の内陣には、伊達家の紋章である「竹に雀」が施され、
奥には33年に一度だけ開帳される「本尊・秘仏十一面観音菩薩」がまつられています。
また、観音堂外側の板壁には、中国の「二十四孝物語」の彫り物が色鮮やかに刻まれ、
休日には多くの観光客が訪れます。
そのほか、観音堂の周囲には、薬師堂、白山堂、鐘楼、六角堂などがあり、
それぞれ歴史を感じさせています。
毎年4月には大嶽山春まつりが開催され、「稚児(ちご)行列」などが行われます。」




観音様のご開帳などもそうですが、中心にあるご神木の棒を触れると十一面観音様を触れたのと
同じようなご利益があります。五色の布とご神木は、十一面観音と結ばれているという意味があります。



この日、朗読劇『我を鬼と呼べ 大嶽丸』をやってました。
音楽担当(篠笛、龍笛、蝦夷の笛 使用)ということで、魅力的。
(他にも寄りたい寺社があったので鑑賞できなかったけど)

こういう時に、このお寺にお参りできたことはとても有難いと思います。
大武丸に感謝です。
また、このような朗読劇というのは、先祖供養になります。

それに33年に一度というのは、魅力的ですし、
普段は、十一面観音像は扉を閉めている状態なんだそうです。
今回、風を入れたみたいに、
おひらき~という爽やかな風が入ってきたようで、とても立派なお寺でした。

敵も味方もなく。
みんなで仲良く、お参りしましょ~う。




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そういえば、一関でも大武丸の話がありました。
それで、やっぱりこれは「金」もからんでいそうな話で。
金くさい…わけです。

そして、直線上に結ぶと、箟岳山(ののだけ)、大嶽山、
遠流志別石神社(おるしわけいしじんじゃ)があった。
遠流志別?これまたアイヌ語のような名前。
ハイシワケと似ている。。。



遠流志別石神社境内に、黄金山神社も祀られているのです。
やっぱり金なんですね。
この先を北上すると一関、平泉です。

大嶽山へ行く途中の道は、のの岳、黄金山神社を通ります。
そうすると、大嶽山の森の感じや雰囲気が、のの岳に良く似ていると思いました。





大嶽山という山名からして何かありそうです。
しかも、この寺社のそばに「石神社」というのもあります。
(後ほど)


※天照大神の石碑

十一面観音像を拝観して、帰りに「六角堂」によってきました。
中にも入ることができ、社務所でお抹茶も頂けました。(^-^)



主人と過去のポスターを眺めていたら、
今回の絵(ポスター)を描かれた高齢の方(男性)に声をかけて頂き、
その方のお父様が、曼荼羅図を描いたのだそう。




今年は左のポスター

部屋に大きな曼荼羅図が2つ掛けてあり、チベットの曼荼羅もありました。
一部だけ載せますが、ご本人から許可を頂いてます。
(ぼやけてすみません)



これが、九曜紋の世界なんですね。
これは、「胎内」の世界です。
その隣に並べて掛けられていた曼荼羅は、生まれてからの現世の曼陀羅図。
生まれる前のあの世の曼陀羅図になっている中心に、九曜紋があり、「逆卍」もあった。
それが胎内ということで、子宮なんです。

最後に参拝したのが、「大武丸の洞窟」でした。
「洞窟の先(観音堂下)に大嶽丸が埋められていると伝えられています。」
という看板の説明。



まさか、ここにそんな伝承があるとは・・・。
妄想するに、洞窟というのは、巫女(オカミサンや口寄せ等)のシャーマニズムな
世界観があり、この中に、巫女の使った道具などが保管されていたことも
ないだろうか。真綿(蚕のまゆ)は巫女の道具のひとつと言われますが、
洞窟内は、自然の冷蔵庫だったので、何かを隠したり保管していた場所だったりと。
蚕は洞窟に保管していた話もあります。

まあ、真相は謎ですけど、子宮の曼荼羅図をみた後と考えれば、
洞窟も死と再生の意味がある。
洞窟=子宮です。



妄想するに、大武丸というのは男性の巫女か女性かわかりませんが、
神を降ろすというのではなく、もっと人間的なイタコのように亡くなった人の霊を
慰めたり、あの世へ行った霊を早く天上させるとか。
そんな巫女だったような気もする。

あの世へ行っても、イタコはこの地で観音様やお釈迦様とコンタクトをとりながら、
霊を天上させて早く悟りを開けるように促した。
病気をした人を蘇生するのも、臨死体験(父が経験した)話を聞くと、
もう一度、生まれ変わる再生のこともあるのです。
ほんとに人格が変わるんですよ。ほんとに良くなります。
というように、あの世とこの世の仲介をしたのが巫女でした。

ただ、渡来人からしたら、霊を降ろすというのは、ある種、
ゴーストバスターとなり、悪霊と思いこむ。
そこに恐怖はあったと思います。
ですが、そういう単純なものではないんですっ。
詳しいことは言えませんが、
東北地方に多い巫女というのは、かなり重い部分を背負っていたと思うのです。
誰もそこを見ることはしない。
そこに向き合ってきた東北の修験と巫女に、私は敬意を持ちたい。

そういう事を考えていたからか、
私も始めて肩が重く痛くなってしまった。
あ、こーいうのがなんかあるわけ?と思う。笑(←笑うところじゃないんだけど)
具合も悪くなってしまった。(夏バテもあり)
でも、次にいった石神社ですっかりとれたんです。

このあたりを車で走っていると、講の石碑をたくさんみかけました。
修験者と巫女は婚姻関係をもっていました。
結婚し、家族をもっていたわけですから。

それは次の石神社へ行ってわかったことでした。
ここに、私は来たかったのだな。
そして、何かの霊もここに来たかったのだな。
それを置いてきたのだな。


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石神社について
「大同2年(807)坂上田村麻呂の勧請を受ける。
延文(北朝)4年8月(1354)60名以上の人名を彫刻された大型の板碑が建立され、
寛永正保年代(1624)源猛源(東光院)は、大和国(奈良県)
大神神社の分霊を拝受して祀り、「石の神権現社」「石の明神社」と称し、
石の神信仰と相俟って広く信心された。



明治3年(1870)石神社と現社号に改めた。明治10年(1877)村社石神社に列格された
(南方村鎮守社)。明治40年(1907)供進社に指定された。
明治42年(1909)村内四社合祀(秋葉、石上、新山、北野)。
昭和27年(1952)宗教法人石神社設立認可された。」






60名以上の人名を彫刻するというのは、かなりな事です。
大神神社というのは、奈良県三輪山に鎮座する神で、オオモノヌシを祀っています。
その霊をもってきたわけですね。
石神社のご祭神:大己貴尊、大名持命、少彦名命。
大己貴尊も、大名持命もオオナムチです。

石を神としているところ、石神井のミシャグみたいな話です。
この石は、大武丸が投げたといった伝承もあります。
が、どこにその石があるのか、全然わからず。
本堂も開いてなかったのでご神体がそうなのかな?
まあ、いいや。
茅の輪があって夏の大祓の時にあるそうです。



本堂の隣に、石碑がたくさんありました。
この石碑の名前を見ていると、宮城、岩手北部のオカミサン、口寄せ、山形のオナカマサマ、
などの祈祷があったようにみえます。
なんせ、ここから先の石越という地名にも、巫女さんたちがいた所なんです。



中心に、二十三夜塔がある。
石碑の前で立っていたら、涼しい風がぶわっと吹いてくれて、
それがとても気持ちよくなり、おかげで元気になった。
なんか、すごくうれしい気分。思わず空を見上げる。

やっぱり巫女のばあちゃんがついてくれているのだ。
もしくは、曽祖父かな。
考えてみれば、私の父方の曽祖父は、全盲の巫だったんです。
そのことを忘れてた。
若い時に病気で目が見えなくなって神道の世界に入った人です。
講ですね。

すると頭上に大きなクロアゲハがひらひら飛んできた。
最強だわ。笑

一番右の石碑は上がかけてますが、大六天だと思います。
「二十三夜」も「夜」とつくのは、岩谷十八夜観音堂(山形)にあるように、
口寄せのことを言うのでしょう。なぜ「夜」なのかは、
その裏には、もっと深い部分があるのですが、ここでは割愛します。
名取老女と円仁が観音霊場をたてたという話が、2つ存在するのは、
修験(もしくは僧)と巫女との関係が深く関与しているからだと思います。
二人は夫婦ではないですが、男と女の巫女が重要だったのです。
どこか、夫婦にしているところはあると。

いずれ、詳しいことは、「名取熊野老女物語」の方でお話します。
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さて、この神社の次に行ったのが、遠流志別神社なのですが、
これも「石神社」なんです。
石と金と巫女の繋がりとは。
マロやヤマトタケルが征伐してきたのは、「それ以前の神」がいた事になりますが、
長くなるので、次にします~。

※ご開帳は明日までです! 

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