秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

アテルイの郷

2017-03-12 | エミシについて
3月11日に、水沢に導かれた話の続き。


※一関から磐井川

アテルイの故郷といわれる地なのですが、
アテルイがどんな人かは、重要ではないと。
ここで何があったかを考えると、震災のあの現実とは思えない出来事が重なるものです。

歴史は何度も繰り返す。
悲惨な状態を経験しないと、人はなぜ学べないのか。
また、何を学んだらよいのか。

震災の出来事も、だんだん忘れていってしまいますから。
人間ですから仕方ないです。
でも風化してはならない出来事はあるので、
震災もそうですけど、蝦夷の歴史も風化してはならないと思います。
根っこにあるのは、そこだと思います。
九州も同じく。
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角塚古墳を見たらお腹がすいたので、水沢駅近くに
美味しいコーヒーが飲めるカフェがあると知って、
「地球屋」というカフェへ。



これまたナイスなネーミング。
やっぱ、カフェはカレーとコーヒーだね。
チキンカレーも美味しかったです。
★cafe地球屋
https://tabelog.com/iwate/A0303/A030302/3008434/



雰囲気もとてもよくて、のほほんしていると目の前に「ILC」の旗が。
ここにくるとリニアコライダ―の文字を見かけますね。。。



お腹が満たされた後は、アテルイを称える碑などがあるそうなので、
行ってみました。

アテルイについてですが、妄想すればいくらでも言えますけど、
実際、この人がよくわかりません。
ですが、史料もほとんどなく、たった最後に名前が悪路王(アテルイ)として挙げられるだけなのに、
歴史上、こんなに注目される人物になっているのが不思議です。



アテルイが、跡呂井(水沢区)という所から発祥している理由はあるのですが、
その地名が何を元にしているかはわからない。
ア・トロイ、なのか、アトロイなのか。
トロは登呂遺跡とかあって、言霊的には同じ発音ですね。
タモノキミ(大墓公)アテルイというのも、田茂という地名が発祥といいますが、
タモには、エタモイという武蔵の豪族の名前がいます。
これも言霊的に「タモ」が同じ発音です。

アテルイは実在した人物というのだから、実際、陸奥街道を通っているわけですか?
ならば、雷神山古墳を知っていただろうし、名取も通っていたはず。
その古墳の主が、誰だか知っていたはず。


※この奥が巣伏の戦い場所。

エミシの風習の特徴としては、縄文人と同じように、
出産や婚姻の祈祷は大事にしていたそうです。
出産の祈祷は、縄文人が先祖との繋がりを大事にしていた証でした。
精霊も祖霊とも仲介、交流していたような祈祷(どんなもの?)が
火を焚いて祈祷をする中で、出産をしていたわけですが、
子供や成人が亡くなると、この世で使っていた生活品や装着品を
丁重に送ることをしていたそうです。
後に、渡来人がやってきて家族が複雑に変化してくると、そのような風習は途絶えます。

土偶があるのは、安産祈願があり出産で亡くなる女性が多かったことから、
その苦しみや痛みの代わりに土偶がありました。
無事出産すると割っていたようです。

物部氏の祈祷の多くも、出産の安産祈願と死者の蘇りの祈祷があります。
生と死の祈祷を行っていただけではなく、地元の豪族間との婚姻も結ばせていたようです。
後に、葛西氏がそれを受け継いでいる感じがします。

仲人のような役目をしており、出雲の神様が縁結びといわれるように、
物部氏も独自の縁結びを行っていたそうです。
なので、秋田唐松神社も縁結びの神様と言われます。
血縁を非常に重んじていた氏族だったので、天皇家の結ぶつきの祝詞を唱えて
いた理由も何となくわかります。

物部氏の蘇生祈祷は、シャーマニズムがあり、北方系チュクチ族にも
同様の祈祷があるそうだ。
病人が出ると板状の木偶に呪文を唱え、病人の患部から病根を乗り移らせ、
木偶を破壊して身代わりにさせる。これらの祈祷は、北方系諸民族に共通するそうです。
秋田物部氏の虫おさえという祈祷が、似ています。
日本でも古代、人形の板を作って呪術を行っていました。
木を使った祈祷は、北方が主だと思います。


※貴重なチュクチ族の写真~。(Wikipediaより)
チュクチ族とは、ロシアのシベリア北東の端のチュクチ半島(ツンドラ地帯)に住む
旧シベリア諸語(古アジア諸語・オホーツク諸語)に属する民族のことです。
ただ、この民族と同じとはわかりませんけど。

エミシは、先住民と共同生活をしていた帰化人もいたと思うのですが、
朝廷はエミシの製鉄技術に脅威をもっていた為、
エミシに対し、「其れ東辺北辺は鉄冶置くことを得じ」
という鉄を作る禁止令を出しています。

その技術をうまく利用しようとしたマロがいたわけで、
上毛野氏にかわって物部氏を起用したり、アテルイが登場したりする。

鳥海山の二ギハヤヒから水沢の宇宙へ繋がることに、意味があります。
アテルイとモレが処刑された場所が、河内国(椙山)といいますが、
実際はよくわかっていません。
ですが、河内国にしたい理由があるわけです。
二ギハヤヒが降臨したと伝わり、物部氏や秦氏が拠点としていた場所。
ヤマトタケルが白鳥になって飛んでいった話のように、
亡くなる場所をその地に設定する時に、「鳥」が見え隠れする。
二ギハヤヒが降臨した地なのだから、故郷へ帰ったという意味がないだろうか。

もう一つのアテルイ説として、「王仁」という人のお墓が大阪牧方市にある。
ここにも、アテルイとモレのお墓が伝承されている。
牧方は、七夕発祥地です。
これもカササギという黒い鳥伝承があって、カササギはヤタガラスとの説もあり。
「現在の枚方市、交野市のあたり一帯は平安時代の頃は「交野が原」と呼ばれ、
日本に於ける七夕伝説発祥に地と伝わる。
平安時代初期、桓武天皇(在位:781~806年)はこの「交野が原」において
北極星を祭り、国家の安泰を祈願し、たびたび狩猟を楽しんだといわれる。」


それに七夕にはデネブという白鳥の星があるのですが、中国では白鳥ではなく、
カササギのことで、中国からもたらされた七夕伝承は、
カササギの羽で橋を作り、出会わせた話になっています。
この橋渡しのような伝承があるのが、千歳山(山形県)のあこや姫伝承が有名で、
名取の橋をかける名取太郎という人で、松の精霊が登場します。
おそらくこの話は、熊野信仰がもたらしたものだと思うのですが、
数年前に物部守屋を継承する碑が発見された。(明治時代の尊王攘夷論があった頃)
なので、偶然とは思えません。


※カササギ

おそらく、ヤマトタケルは白鳥とされたが、アテルイは黒い方の鳥である
ヤタガラス(カササギ)と結びつけられているようなのです。
白鳥氏が、鳥の白鳥のことを示しているとは限りません。
ただ、鳥をトーテムとしていた豪族だったことはあると思います。

桓武天皇は、ちょうどアテルイがいた蝦夷征伐の時代でした。
王仁とは、「ワニ氏」のことですが、ワニというと、神話で豊玉姫がワニのような爬虫類を
生んだ話になっている。それと関連づける話にしていると思うのですが、
いずれにしてもアテルイは、渡来してきた騎馬民族と言えますが、
どこかで太陽神となった事を伝えたい氏族がいたことは確かです。
そんな物語を仕組んだ背景に、鎮魂の意味で藤原氏(物部氏も?)と熊野があったかもしれない。

と、ここまで角塚古墳から広がりすぎましたけど、
ま、いろいろな氏族がいてワイワイしていた場所なんですが。(なんだそれ)

北方の王者----------------------------------------------------

水沢駅の東へしばらく行ったところの交差点にアテルイ公園があり、アテルイ像があります。
土偶みたいな不思議なアテルイなんですけど。



看板の説明より一部、抜粋。
「そもそも蝦夷は文字をもたず、日本人のルーツとも言うべき縄文文化の中に、
土器として表現されたものから彼らの思想を汲みとるにすぎない。
縄文人は水鏡をもって天空を映じ、火炎土器(縄文中期)には
その上昇志向が表現されており、口縁のうねりと渦巻状のくねり等の装飾が
特徴とされている。

こうした中で、その偉大な先人を顕彰すべく、この縁りの地に建てたのが
この像である。地域シンボルとしてのこの像は、そうした史実を基として、
時の権力に対抗し続けたこの地(蝦夷)の首長アテルイの怒りを、
抽象表現とし、縄文土器の中でも、特に雄壮な形象をもつ火炎土器を背に
構成したものである。
肌は土器の色、大きさは縄文人の上昇志向とアテルイの偉大さを表現するため、
あえて際立つ高さの円筒にまとめたものである。
尚、周囲の池は縄文人の水鏡と、巣伏の戦場、北上川の水を意味したものである。」




へ~、怒った感じの顔は、怒りを表しているからなんですね。
いろんな意味を込めた像なんだね。
晴れているのだけれど、ちょうどパラパラ雪が降ってきたので、震災を思い出しました。
あの時も津波が来てから、雪が降り注いでいた。
暗く寒い時でした。
この時だけ雪が降っていたのですが、アテルイの怒りが雪を降らせたのでしょうか。



青森県の十三湊あたりにトミナガスネヒコと伝わる墓があり、
神明社が建立されています。
ここも跡呂井地区の氏神らしいのですが、神明社です。
アテルイもナガスネヒコも神明社が関係するのかな。
神明神社は、天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社であると。
太陽神なんですよね。



行ってみると、公園からすぐのところにありました。
ここは「アテルイ王千二百年祭記念碑」があります。



まだ忌中なので、神社参拝は避けてますが、境内に入ると
ずら~っと並ぶ石碑の数・・・・ありすぎ。



何の石碑がみてないのでわかりませんが。
ここまで石碑があると修験の人も来ていた場所なんですね。
迫害された天皇家の誰かが逃れてきたから?
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さて、水沢の人たちがアテルイを今でも尊敬していることを感じたところで、
最後は、ゆっくり宇宙遊学館へ行こうと思っていたのですが、
「巣伏の戦い」というのがあり、「巣伏」という漢字が気になった。
行くつもりはなかったのですが、どんな場所なのかマップで調べてみたら、
ここから近いところにありました。
ん~、ママチャリでも10分くらいで行けそうだなぁ。


(北上川のほとり)

途中で道に迷ったら引き返して帰ろうと、あんまり行く気がしなかったけど、
スイスイ行けた・・・。



巣伏の戦いとは、紀古佐美とアテルイがぶつかったところで、
互いにたくさんの死者をだしたという。
その多くが、北上川での溺死です。
今より大きい大河だったので、海に溺れるような過酷な場所だったと思います。
巣伏は「すふし」と読み、
「四丑」(しうし)地名として残っていることから、由来しているそうです。




上の写真と同じ碑ですが、逆光なので真っ黒なところ、
ちょうど文字の部分が光ってますね。「巣伏の戦いの碑」

「巣伏」という漢字の由来は調べてみないとわかりませんが、
巣に伏すというのは、意味としては、「腹ばいになってひそむ」ということで、
巣に臥すという意味ではないかな、と。
眠りにつくといった意味で、お籠りぽい気がする。

胆沢の合戦



また、これは深読みしすぎかもしれないけど、「スフ」というのは、
周防国(スフ)というのが山口県にあって平安時代ですけど、
このスフは、元は「スワ」と読んでいた。
アスハとかアスワとか、スワとかいう言葉は飛鳥や熊野の阿須賀に似ている。
須賀は、スサが由来ともいい、スサノオの説もありますが、
無理やりつけると、四つの丑はスサノオでもありますね。
何かを引き起こしてしまう土地の言霊であることを感じます。



どこかで宇宙が繋がっていると思うんですね。
水沢に宇宙天文台があるのも、宇宙を引き寄せる場所だからです。
妄想するに、宇宙戦争のような星信仰の争いはずっとあったと思っています。



シリウスは聖徳太子の象徴といわれますが、先に述べたカササギの鵲森宮(かささぎもりのみや)
という神社は、聖徳太子が建立したと伝わります。
丑寅の牛がスサノオならば、プレアデス。
タタラ族はオリオン。などといった宇宙妄想も面白い。
もう地上に降りてくると、ごっちゃになりますけど。


展望からの景色


奥の川が北上川

そんな場所がありそうな巣伏では、紀古佐美はこの時大敗したのですけど、
さっさと引上げてきたらしく、腰ぬけのように書かれてました。
ムリ~っていう早いあきらめには共感します。笑
ですから、私は紀古佐美派。(そこか)



しかし、今までだったら蝦夷に大敗したら、降格や左遷などの罰を受けるのですが、
処罰されるところを、これまで朝廷に仕えてきた功績を勘案され罪を免じられていたそうです。
なので、そんな腰ぬけとは思えず。
大体、この頃の桓武天皇がおかしかった。
蝦夷に対する執着は普通ではなかったのだから。



その後、大伴弟麻呂が胆沢へ攻撃し、少し有利に。
そしてマロが征夷大将軍となり胆沢城を建てる。
その年(802年)にアテルイが降伏し、8月13日に河内国(大阪)で処刑された。
巣伏の戦いから13年が経っていました。

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ここは、有名な田んぼアートをしている所だったんですね!
来れてよかった~。





とにかく、美しい雄大な雪山がいいね~。
焼石岳かな。
夏になったら焼石岳に登りたい!



山萌えをしつつ、ママチャリをこぎまくって最後は、木村先生の宇宙を堪能する。
続く~。

★アテルイへの道(興味ある方はぜひ)
 駅から東へ進み、花園町交差点を直進。次の交差点(右側)にアテルイ公園があります。
神明社へは、信号を渡り直進し、郵便局を左折。小学校を過ぎてすぐ角を右折すると神社があります。


 巣伏へは、4号線に出て広い道を下り、ひとつめの交差点(信号はないです)を右折。
広い田んぼの道を走り左に曲がり川の方へ進むとすぐです。
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