秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

飛鳥と精神論

2016-12-24 | 日記・エッセイ・コラム
今年も早いなー。
毎年言ってるなー。

卍の妄想をしたら、もう終わった感じがした。
何かをやり遂げた感じ。
武甲山の地層はハワイの一部(ハワイ沖から隆起してきた)
なので、レムリアかムーの記憶があります。
武甲山が破壊されているから、私は何度も武甲山の発破の人工地震で
気づかされました。
母神はとても厳しいです。
クリスマスというタイミングがまた、不思議ですけど。

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卍のパワーがすごすぎて、すっかり飛鳥のナガスネヒコが飛んでった。
でもせっかくだからちょっと書いておきたい。
これは、私も知らないことだった。

けれど、また、飛鳥に戻るという流れ。
Asukaさんのニュースが報道されると、
また飛鳥がやってくるという流れ。
「アスカ」という言霊に何かあるんですね。

琵琶湖が前から気なっているのは、
淡路島のことでもあって、聞いた話ですけど、
阪神淡路大震災の時、震源地が淡路島の洲本(すもと)でした。
「ス」神というのは、静けさの言霊を意味すると。
アは「祖」を意味する最初の言霊。
アスカの「静けさの始まり」とは、眠っていたものが目覚めるともよめる。
て、ことは、ビッグバンじゃない。
「カ」は、輝くと考えると、太陽ですね。
私はカカ(蛇)の目覚めが太陽だということは妄想してわかりました。
それが、「Svastika(スワスティカ)」で卍なんですね。
それが太陽のことでした。
たぶん、卑弥呼の太陽神は、人の進化を促す働きがあったと思う。
飛鳥時代はそういう転換期だったでしょう。

どこかで、進化を妨げようとすればするほど、別の場所で
新しい進化が目覚めるという流れになっているようです。
Asukaさんは関係なくて、「言霊」がそのように働いているだけです。

それがキリシタンのイエスキリストのきっかけを知る。
ちょっと難しい話。
この話をしないと、飛鳥にたどりつけない。(たぶん)
五芒星の後に六芒聖をもってきたユダヤがいたのだとすると。

月1回、歴史会(女子会でもありますが)参加させて頂いてますが、
シュタイナー理論や精神世界、宗教論など幅広く古代史の話をしてます。
とっても深いので、説明ができないのですが、
以前から、私は天変地異というのは、進化を遂げる出来事だと思ってました。
しかし、その説明ができず。
でもシュタイナー理論で基づくと説明ができる?

精神論にきちゃったよ。
どーいうこと?



※ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日
(満64歳没))は、バルカン半島のクラリェヴェクで生まれ、
オーストリアやドイツで活動した神秘思想家、哲学者、教育者である。

アイヌ人は、自分を「人である」と言ってました。
「アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、
もともとは「カムイ」(自然界の全てのものに心があるという精神に
基づいて自然を指す呼称)に対する概念としての「人間」という意味で
あったとされている。」



※アイヌの家族:彼らの目力はすごい。

アイヌ人は縄文人と近いので、縄文人もそのような認識だった。
これは、「自我がない状態」であったのでは?
という話で盛り上がった。
自分をもっていないので、名前も何もない。
人という括りになる。(おそらく数千年以上前までは)
ただ、これでは人類は進化しないので、「自我をいれた」
「私は私である」と神がいったのは聖書から。
ということで、それがイエスキリストだったと。それを愛と説いた。

イエスキリストは、「我ここに有る」という「私」の自我を含めた。
愛子神の愛にも繋がる話で、自分を愛することが自我になるという話。
それは、「進化を伝えている」神話なんです。
はるか昔のアニミズムの世界というのは、眠っているような状態で、
自我がないということは、あらゆる全ての一部であるから、
植物でも鉱物でもなく肉体をもった人であるという認識だったと思います。
動物とは違う人(ヒト)であると。
なので、争う概念もない。
自我が無い状態とは、分離している状態ではないので。
心理学の自我というのは難しいので、古代史の視点でみるならば・・・、

例えば、古事記にあるニニギの降臨。
天孫降臨は世界神話に必ずある話ですが、ニニギはイエスキリストのことです。
ニニギは、姉のイワナガヒメではなく、妹のコノハナサクヤヒメを選びました。
その理由は、妹のコノハナサクヤヒメの方が「美しかった」からです。
姉は、醜いので選らばなかった。
その罪のために、人間は「寿命が短くなった」と。

これは自我がうまれたイエスキリストの進化の話となります。
姉のイワナガヒメは、はるか昔のアストラル界にいた存在だと思う。
(シュタイナー理論でいえば)
肉体をもたず自我のない状態=地球では混沌としてまだ地がおさまらない状態。
であった時代に、イエスは人間に自我を含め、愛を求めた。
それだけで良かったのですが、私はここで疑問に思う。
古事記は、ニニギに「美」を求めたわけです。愛にプラスして。
美を求めると逆卍の働きのように、醜さが生まれる。

これは、誰かが「自分にはそのように求めた(見えた)」から、
美を望んでしまったのだろうと思う。
このニニギの話を書いた人がそういう風に理解した。
それがエゴなのか、と。

古事記が一般の人たちの目に触れるようになったのは、最近のことです。
確か、尊王攘夷が始まったころではないかな。
江戸時代からすでに一般に読まれていたかもしれない。
そうすると、皆が欲望を求めるようになってしまう。
愛ではなく美という欲求を。そうすると醜さがみえてきて、差別が生まれる。
二元論というのは、そういう働きがある。
シュタイナーはそのことを人間の罪と考えて、
全人類の欲がカルマとなって現れ、病気になるといった解釈なのだと思います。
そのカルマを解消するために、人は歴史を作るわけだ。

美は自我には必要ないものだと私は思います。
なので、寿命が短くなったのは、アストラルの世界は時間軸がない?
ので年齢も寿命も生も死の堺もなかったから、そのままの状態でいられたのですが、
ニニギが美を選んだので、その進化に「欲」が含まれたという話なんでしょう。

イワナガヒメは、自我のない状態の人であり、その世界にいたのですが、
進化をするために、コノハナサクヤヒメに美を求め、肉体をもつ「私」となった。
イエスは進化のために自我をいれ、自身を愛せよと言っていたと思うのですが、
愛を求めるのは良いけれど、美を求めるのは自我の芽生えの中に、
醜さを知ることになるわけです。

人類は、その美と醜さのどちらも持つことになった。
すると、美は今の世界で、醜さが黄泉国(死)になる。
その中間にいるのがククリヒメ。
「悪もなく善もなく、どちらも含めて愛せよ」という意味での「くくり」だと考えます。
なので、自我の目覚めに愛と美を求めたのはニニギであり、
ククリヒメは、そのどちらも合体せよ、とも読めるのです。
その解釈をした人が、そういう自我の中に美という欲を含めたということです。
そうなると、古事記とは受け取る人によって解釈が全く異なる話に。
ホツマツタエもそうですね。
いろんな視点でみる方が良いということだね。

日本人の意識の問題ということを言ってましたが、違うんだな、と。
「自身の問題」なんだな、と気づいた。
自身と地震は同じ言霊です。
なので、地震は覚醒の揺れである。と思っているから、
私の中での震えとは、進化しようとしている自分から出している揺れであると。
変わりたい欲求ですね。
多くの人がそう思うと揺れるわけです。

つまり、進化しようとしている人は、潜在的に地震と深い関係にあると。
別に、鎮魂とか世界のパワースポットの聖地にいって何か変わる話でもない。

進化したくない人、変わりたくない人は、ずっと底辺のままでいます。
それもその人が選んだ世界です。
底辺にいる人のみた世界は、私が見ている世界とは違う。
なのでギャップがとても大きい。でも世の中とはそういうものなんだろう。
私の古代史がすべての人に同じように見えるわけではないので、
違いが生まれるのは当然だと思う。

シュタイナーという人は、とてつもない異次元の世界でモノをみていた人なのですね。
難しいので、これ以上何ともいえませんが。

愛子神を崇拝していた物部氏(秋田の)を尊敬する理由はそこにあります。
物部氏の祝詞は、自我を求めた人間の欲望さに対する祓いです。
その欲によって世界を大洪水に巻き込んでしまった故の祝詞です。
「神に対して」ではなく、「自身の欲に対する」誓いでもあるわけです。
だから「中ツ国」という言葉を言っているわけです。

天と地の間の「中」は、中間ということですが、
底辺にいる肉体をもった自我の欲求と、天にいくアストラル界?の世界の間に
いることを、「混沌とした」世界と認識しているので、今、この現代は、
中ツ国のままなんです。その中間にいるわけです。
それからずっと進化できないまま留まっていることもある。

「フツフツ」という言葉もそうです。
フツヌシの剣がそれを伝えている気がする。
煮えたぎっている状態とは、進化の途中ですかね。

中の「ナカ」は、内「ウチ」のことでもあります。
自分のウチ(内)に入ることを望んでいる祝詞でもあります。
それは自分の見ている世界が、そのまま反映される世界だから、
「他人に任せた世界では、自分は何も変われない」ということです。
縄文人は、「自然や天に任せる生き方をしていた」
そうすると死は、苦しみでも何でもない。
自分に委ねることが未来に必要な進化であって、
それを「縄文回帰」と言うのだと思います。

津軽のヤマタイ国----------------------------------------------------

もうね、こういう深い話になると、ナガスネヒコとか何でもよくなる。笑
でも、興味あるとこだけ妄想したい。

この前、知人から面白い本をお借りしました。
津軽の十三湖の話になり、秋田唐松神社の話で盛り上がっていた時。
十三湖の興味深い話を聞いていたのですが、
ナガスネヒコの骨らしきものが発掘されたという衝撃な話。
まあ、実際どうかわからないけれども、
この本では、その話が書いてありました。



名取の飛鳥へ行ったばかりだったので、
津軽にも飛鳥があったことをこの本で知ったのです。
それから、ナガスネヒコが気になっていたのですが、
愛子神の方が興味あったので、そっちを調べていました。
それから支倉常長の富谷の話に流れ、卍に流れていったわけです。

ナガスネヒコの墓----------------------------------------------

「紀元前に実在した津軽古代王国の謎:佐藤有文著」より。

東日流外三郡誌によれば、ナガスネヒコの最初の墓は、現在の西津軽郡鯵ヶ沢
赤石の将軍塚に埋葬され、後に現在の市浦村の神明宮に埋葬されたとある。
その記録にもとづいて市浦村役場で調査の結果、赤石村落には将軍塚が
確認されたのである。また、大正10年にな長髄彦(ながすねひこ)と安日彦(あびひこ)
の遺体が埋葬されたと記録されている神明宮の古墳(高さ10m)からは
多数の縄文土器や貝塚、石器などが発見された。
続いて大正13年には神明宮(於瀬洞遺跡)から高さ1.5mのカメ棺に
納められた身長2mの人骨を東北大学の考古学調査部で発掘されている。
この人骨は、長さ1.8mの雨戸の戸板からはみだすほどの大柄だった。
「大柄な体格で足の長い人物といわれた長髄彦」と推定されたのである。」


ちょっと本物かどうか疑問もありますけど、
大和からきた首長がいたことは判明されました。
長身で思いだしたのは、初代奥州藤原氏の藤原清衡も長身(2m近い)
だったようです。
一緒にアイヌ民族の遺品もあったため、アイヌ人説がありましたが、
和人だったそうです。
しかし、奥州藤原氏とアイヌ人が関係していたことがわかっているので、
津軽も和人とアイヌ人と深い関係のある土地だったわけです。

長髄彦の墓が納まっていた場所は、鎌倉時代まで「長髄彦神社」とよばれて
いたそうです。1191年に安部神社として再建。
福島城とともに焼失したそうです。
しかし、江戸時代になって御伊勢宮として再建され、その後は、
神明宮と幾度か名称をかえている。

安部氏が再建した神明宮は、於瀬洞遺跡であり、「オセドウ」とよみ、
オセドウ貝塚といわれている。
御伊勢堂が訛った説もある。
今は神明宮となっているが、御祭神:天照皇大神 勧請年月不詳、 社地は御伊勢堂と称し
福島城址の鬼門に当ることから館神として祀られたものと考えられると。

「十三湊遺跡の規模は南北約1.5キロメートル、東西500メートルの範囲で、
現在の十三集落と後背地の畑全体に及ぶ。
十三(じゅうさん)は、今は「ジュウサン」と読むが、江戸時代後期までは
とさ」と読んでいた。
「とさ」の語源はアイヌ語の「ト・サム(湖沼のほとり)」であるという
説が有力だが、定かではない。
十三湊遺跡ではかつて船舶が行き交っていた「前潟(まえかた)」沿いに
船着場などの港湾施設が見つかっている。




五所川原市のサイトより「津軽の旅案内」
http://www.city.goshogawara.lg.jp/kyouiku/bunka/tosaminatoiseki.html

十三湖が発展した理由は、岩木山があったからと思う。
岩木山から流れる岩木川と十三湖は合流する。
だから、十三湖のしじみは美味しんだ~♪

ちなみに、ここには中世の宗教施設といわれた山王坊(さんのぼう)がある。
そこには日吉神社が祀られている。
日吉神社は滋賀県大津市に鎮座する神で申(猿)を眷族とする。
エミシ征伐では、「猿」とつく岩や山の伝承が非常に多い。
猿とつくものは退治されているのですが、大体が水の災害と重ねられている。


※五所川原市のサイトより「津軽の旅案内」

琵琶湖との関係は、十三湖まで交易のために琵琶湖からやってきたでしょう。
琵琶湖も交易として栄えていた場所で、外国からたくさんの人が訪れていました。
十三湖も古くから中国大陸(渤海国)まで交易をしていたことは、
海外でも有名だった。
実際に、1562年ベリユによって作成された世界地図に
「IAPAN(日本)」と「BANDOY」と表記されている。
IAPANは西日本、BANDOYが東日本で国がわかれていたようだ。
これは、安東のことを示しているのですが、
安東がBAの発音というのは、ちょっと違和感をもつ。
AではなくBAと発音させていたのはよくわからない。
私は、BANDOYというと、坂東(関東武士団)と思ってしまう。

これも、中国大陸を含めた中心に津軽があったから、
「日の本(ひのもと)中央」という碑がたてられたと思うのです。
多賀城にある壷の石碑の内容です。

また、人工ピラミッドといわれるモヤ山がある。
「連峰をなさず、美しい紡錘型で単独で存在する靄山(もややま)は、
古来より人々の信仰を集め、さまざまな伝説が語られてきた。
岩木山と互いに高さを競いあったという説や、安寿と厨子王が
それぞれ逃げ込んだという説、岩木山と姉妹だという説があり、
毎年旧暦8月1日にはともに「お山参詣」が行われている。」


青森県は、十和利山などピラミッドの山が多い。
安寿と厨子王の伝説は、福島県の弁財天にも伝わっています。
この伝承も不思議なので、後で妄想したい。

佐藤氏の本によると、飛鳥地方(奈良)にある地名「鳥見山」にちなんで、
十三湖付近には、富の村落が非常に多く、長の地名も多い。
それに十三の名称は、鳥見山から由来した十三(トミ)であったと推定される。
さらに、津軽半島の東海岸に通じる金木町から古道は、大和の飛鳥道
(アラド街道)とよばれ、現在でも瀬戸子村の近くには飛鳥村と飛鳥山の
名も残っており、金木町の嘉瀬地区の八幡宮には、古事記に登場する
黄泉の国の道祖神(クナド神)も残されている。

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もうひとつ、12月初旬に名取熊野の飛鳥にいきました。
地名に飛鳥や阿須賀あるのは、ヤマタイ国だったから?

東日流外三郡誌より
「東日流の梵珠山の北方に飛鳥山ありて、その林中に石垣えんえんたる
耶馬台城あり。千古の歴史を偲ぶ太古に、安日彦、長髄彦が日向軍に備えた
城の石垣なり。この飛鳥山の四方には、東に外ヶ浜、北に大蔵山、南に魔神岳を
位置するのに、飯詰より五里にて至れり。
この耶馬台城は、中国の陽茂台(やんまおたい)にゆらいする称名なり。
五角形の城の外に空濠をめぐらし、人力にもおよばぬ長大なる石垣を
山中に築きたるは、この東日流および紀州(三重県熊野山中にある古代の石垣)
のみにして、他類なき城跡なり。
また、この耶馬台城には幾多の地下濠道や井戸、不思議なる石棺、ハバキ、
玉などありて、地底に幾多の洞穴あるも、秘道に通じるものなり」


おもしろ~い。
こういうヤマタイ国があったんだね。
で、実際、石垣が積まれており、長さ100キロに及ぶ。


そして五角形(ご芒星)だね。
星の形は、セーマン・ドーマンで話したことですね。
守る意味がとても強い。
守ることに対する五芒星が「ひとつ」という意味ならば、
天と地が合体した六芒星は「ふたつ」という意味なのかもしれない。
あなたと私。と、ここでも自我の働きが。
なので、五芒星というのは、かなり原始的なマークだと思う。

佐藤氏によると、耶馬台国はもとは日之国という八州の中央に位置し、
三重県伊勢地方の山大日之国彦命が最初の国王であり、八十七国を
統一して耶馬台国王となったが、その子孫が安日彦と長髄彦だというのである。
神武東征の伝説が残る三重県熊野山中の石垣城跡と同様の長大な
石垣と耶馬台城が津軽地方の飛鳥山中にあったというのである。

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といった話がずっと続いていて興味あります。
東日流外三郡誌は、偽書といわれていますが、その史料に基づき、
調査するとそれらしいモノが発見されるようです。
ナガスネヒコかどうかわかりませんが、
明らかに津軽を開拓した大王がいたことは確かです。

まだまだたくさんの話があるのですが、また何かと繋がったらお伝えしたいです。

来年は、もっと進化したブログになるといいな~。
ということで、次回から普通に伝説探訪に戻ろう。(普通でないけどー)

次は、久々に福島県にいった話を。
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