秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

あいづめぐり:立木観音堂

2016-09-19 | 東北地方の伝説(福島県)
秋雨前線でずっと雨。
それに台風も近づいている。
というのに、奥会津へ行ってきた!
本当は、夏のお盆休みに行く予定で宿の予約もとっていたのだけど、
台風上陸のうえ、義父の急変でキャンセル。

あれから会津行きはあきらめていたのだけど、
義父が良くなったので、リベンジ!
どうしても只見に行きたい!という主人の希望についていく感じで、
行きあたりばったりの、のほほ~ん会津探訪してきました。



仙台~福島市内~吾妻連峰を眺めながら磐梯山の方へ向かう。
猪苗代湖の周辺を通り、只見川沿いの道である252号線をひた走る。
川沿いを走るって気持ちいい。(天気がよければ…)
最上川もよいが、只見川もすごく良かった。



とにかく只見までが遠いのなんのって。
奥会津というだけあって、遠いのよ~。
ほんとに秘境。でも、どこか奥秩父の栃本みたいな感じだし、
長野の鬼無里みたいな感じもあり、秘境ってどこもこんな風景だなあ。と思うが、
奥会津の集落は、広々としていて温かみがある。
屋根の多くが水色と赤色。雪が深い所なので屋根に特徴あります。
会津の版画家、斎藤清さんの絵が浮かぶ。
そんな豊かな会津を感じましたが、この豊さは、貧しさを感じないところに
会津信仰という生きる力にあると感じます。
信州の歴史と繋がっている道があるからだと思うのです。
一言で、「火焔土器ルート」です。天栄村も近いしね。
やっぱり縄文の聖地なのです。会津も。



さて、いつもプチ旅の後に感じること。
今回の会津の目的というか、何を得るための旅だったのだろう?と思います。
ずばり、雨が多い日もあって、水、水、水だった。
水ばかり飲んでいた。
なんせ、天然の炭酸水まであるのだよ!(苦手なんだけど)
名水といわれる場所が非常に多い。只見だけでも数多くの名水を集めているようで、
山や森にいけば、湧水に出会うことが多かった。

そして、なぜか、虚空蔵菩薩だし、セオリツヒメを祀る神社もあった。
水ばかりの会津。
そういうことで、会津の最初に出会ったのが、巨大な千手観音像という話。





※餅井戸清水:国道252号の蒲生橋近くにあり、村一番の銘水とのこと。
近くに岩がありました。

立木千手観音像------------------------------------

会津坂下へ向かっている途中に、「重要文化財」という文字が目に入った。
なんの文化財なんだろう?と思って途中下車してみました。



それは、8.5mもある大きな千手観音様。
私は観音様の中で、千手観音様が一番好きです。
宮城県斗蔵山にある千手観音様を一目ぼれしてから、好きになってしまった。
そんな千手観音様が、こんなに巨大とはっ!

こんな看板の説明がありました。
このタイトルにもなっている「あいづめぐり」
観音霊場が、女性のためであるということ。

「会津めぐり、その起こりは古く定かではないが、会津めぐり又は
観音様参りといえば、三十三観音参詣を指し、一度はお観音様参りは
すべきだと言われ、わが郷土会津では善男善女の信仰の的であり、
今日も脈々として続く誠に深い信仰である。
~(省略)
各家庭で迎えた妻(嫁)が主婦の座につくそれまでには、広く社会を見聞し、
会津をことごとく知ることが必要であった。
観音様の巡拝のかたわらに、足と目と耳で会津の森羅万象を確認しなければ
ならなかったのである。
作物の栽培の仕方、家の造り、風俗習慣、人情の機微、時間と金の大切さを知り、
我家に長所を取りいれ短所を捨て、足をひきずりながら遠く我家を想う近隣を想う。
時に知る仏の恵と恩、地の恵、このような心くばりから、
自分の心が豊にあり、家を豊にし、村を豊にし、会津全体を豊にした
すばらしい主婦の誕生である。」


「耶麻郡の九観音の札所は九品浄土を、
河沼郡五観音札所は、五智如来を、
北会津西部三観音札所は、身口意の三業の清浄を念じ、
北部六観音札所は六道輪ね六道解脱を念じ、
大沼郡十観音札所は十善戒を守る」といわれている。」




あわせて三十三観音。

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主婦の誕生…
会津信仰は主婦たちによって広がったものといえる。
大変だったと思うけど。
観音霊場が盛んな所は、女性によって広められたと言えます。

「会津を知るには、まずここに寄りなさい。」
という千手観音様の言葉。
女性のためであることが、豊かになる証拠。
だから会津は豊かだな~と感じたのです。



鰐口(わにぐち)-----------------------------------

大沼郡金山町名入(只見川の上流にある村)の名主五十嵐吉兵衛殿が、
伊勢参拝に出発にさいし道中の無事を一夜おこもりして祈願され出発。
無事お伊勢参拝がすんだので、金毘羅宮に参るべく桑名から渡し船で向かう
折龍魚の難にあわれた其の折に当山立木千手観音を念じ、後利益をえて奉納されたもの。

※櫛の奉納・・・苦しみや病気などの精神的な苦しみ、死への恐怖などを
和らげるために奉納されている。黒髪の奉納は、女性の真心の奉納で切なる心願である。


狐石-----------------------------------
この水は、250年前に地下10mまで井戸が掘られ、
現在でも安心して呑むことのできる天然水です。
この大きな手洗石鉢は、「狐石」といい、河沼郡不思議石の一つで、
只見川の川岸近くの和泉集落にあり、よく狐を集めた石といわれ、
七折峠の山坂道を約10キロ程経て、多数の信者の力により当山に寄進されたものです。




ところで、この寺社の由縁は、空海説と徳一の説がある。
鎌倉初期の作。
いや~、私は徳一という方を知りませんでした。
会津では慧日寺を建立した方として有名ですが、空海と最澄と同じ時代を過ごしていた
立派なお坊さんなのですが、空海は徳一を信頼していた?と思うのです。(徳一の方が
年上)手紙を書くなどして、徳一は空海に対していろいろと意見をしていた方だったようです。
最澄は、東北地方へ天台宗を広めるつもりだったけど、
徳一がすでに東北地方では権力があったと思います。

だけど、ほとんど名前が知られていない。
徳一は、藤原不比等の系統。
だから?このへんはよくわかりませんね。


絵心あるパンフレット

「大同3年(808年)一木彫で日本で最大の8.5mの観音様ですが、
立木というのは、今でも根株が仏像と続いている一木であることから。
一本の木の芯を止め、枝を払い、皮をはぎ、根のあるままに彫刻されたものです。
また、だきつき柱もあり、この柱にだきついて心願すると願いが叶い、
「ころり観音」ともよばれ、老人の後生安楽になるという。」

しっかりハグしてきましたよ~。

撮影禁止なので、ポスターでどれだけ大きいかUPしてみました。


※右下に人がいるのが、わかりますか?


左下の女性がいますが、ほんとに見上げるようになります。
二十八部衆も迫力あって、皆、大きい彫刻なんです!

「日本に仏教が伝わったとされた(五三八年)以前今から一千年以上も昔中国から
青岩(せいがん)と言うえらい偉いお坊さんが仏教を伝える地を求めて会津にやって来ました。
青岩は会津坂下町のある山を理想の場所として寺を建て
「(せきとうざん)石塔山恵隆寺(えりゅうじ)」と名づけましたが、
山のふもとの村人たちは、高い所に寺が建ったのでたかてら高寺と言い、
いつしか山の名前が高寺山となりました。
その後、この寺は非常に繁栄し、高寺山には立派な七堂伽藍が建ちならび並び、
山の所々に三十六坊舎を建てお坊さんの数は数千名にもなったそうです。
その後、徳一の開いた恵日寺と勢力争いが始まり、ついに戦火を交えることとなりました。
結果高寺山は敗れ建物は全部焼かれ、ほとんどのお坊さんは戦死または逃げてしまい、
今は何一つ寺の跡は残っていません。
三十六坊の中には、その後寺としてどくりつ独立し新たに建てられたのが二十ほどあります。
高寺の昔の面影はなくなってしまいましたが、村々に伝わるふしぎ不思議な歌があります。

「立てば前 座ればうしろ山吹の黄金千杯 朱千杯 三つ葉うつぎのしたにある。」


804年に恵隆寺が焼失して再興するのですが、利仁と空海、坂上田村麻呂が協力する
とあり、空海と坂上田村麻呂の創建がからんでいる話から、古くから修験の聖地であったのですが、
それには砂金がとれた所だと思うのです。

金の話-------------------------------------------------

「昔、朱はたいそう喜ばれ黄金同様貴重品でした。寺がほろ滅びる時ひそかに宝を埋め、
そこに目じるしとして三ツ葉のうつぎを植えたらしい。
その話は、まんざらウソではないらしく、明治の末のほんとの話で、村人が馬をに逃がしてしまい、
馬は高寺山に逃げこんだらしく、方々かけめぐってやっとつかまえた時、
馬の片足が血だらけでした。
小川できれいに洗い傷口をさがしましたが見あたらず、
血ではなく朱に間違いないと村人はおもいました。その話を聞きつけ、
何人もの人々が黄金を求めて高寺山に入り三つ葉のうつぎを探しに来ましたが、
まだ見つかっていないそうです。 おしまい

伝説ですがこの話しが本当であれば、奈良京都より早くこの会津の地に
仏教が伝わったことになります。」


※立木観音のサイトより
http://www.aizu-reichi.gr.jp/tatiki/index.html

三ツ葉のうつぎは、埋蔵金伝説の話によくあります。
みつわうつぎは、湿めっている所や谷などに咲くので、
砂金と清水の関係から、ウツギ(空木)が鉱山に咲く植物の象徴になっている
かもしれません。
シダ類もそうですが、植物を医学として考えていた薬草にも通じる話なんですね。


※みつわうつぎ

小金塔(こきんとう)
会津風土記(寛文6年ー1666年)の記述によると、その昔、
恵隆寺立木千住観音堂の現境内地に、小さなまばゆいばかりの塔があったと書かれている。
このことにより、昭和57年の調査で礎石が発見され、
方形に塔の4隅の土台石として正方形に発掘された。
寺に継承されてきた御仏も、昔をしのぶ御姿に大補修され、
発掘された4個の大石を4隅に配し再建して今日を迎えた。




会津には古刹といわれる古いお寺が多いです。
このまま只見へ進むと、会津柳津へ。
なつかし~い。
博士山に登ったことあるのですが、どの山だったか全然覚えてない。曇っているし。
ただ、志津倉山登山口の看板はみえましたが・・・また登りたいな~。

さて、続けて虚空蔵菩薩様と聖観音様に出会うことになるとは、思わなんだ~。
これも、また何かの導きで?
まだまだ会津探訪は続く~。
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