秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

富士山の噴火信仰と秩父

2017-12-05 | 秩父の祭りと信仰
横瀬駅~高篠町へは徒歩40分くらい。
横瀬のすぐ隣町なのですが、高篠に「恒持神社(つねもち)」があります。
ここへ行く前に、気になったのは、ここから先へいくと八坂神社が分岐にあるのですが、
その向かいに富士仙元神社がある。
マップにはのっているが、実際その場所へいったら、立ち入り禁止になっていた。
表からもわからないが、この山に祀られている・・・?
秩父は八坂神社も多いのですが、富士山に関係するお社でもあります。







恒持神社も富士仙元神社も地名が「山田」。熊野に関係する山田という地名。
山田の春祭りは有名です。

「桓武天皇の曾孫の高望王(たかもちおう)の弟である恒望王(つねもちおう)は、
大同元年(806年)武蔵の役人に任じられ、統治した山田・大野原・定峰などの一帯の
15ケ村を恒望荘とし、高斯野社を恒望荘の総社に定めた。
恒望王が没すると里人は王の御霊を高斯野社へ祀ったと伝えられ、
この時、社号を王の名を冠して、恒持明神と改めたという。」


山田の春祭りについては、こちらのサイトを参考にしてください。
http://shinobue.sakura.ne.jp/hoops/report-1-yamada.htm

高篠山山頂の水神を祀る話など、いろいろ伝承はあるのですが、
秩父平家の説明の前に、ちょっと富士塚について。
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いろんな妄想ができると思いますが、富士山のような塚を盛るには意味がある。
日月神示になぜ富士山なのか、そのルーツにこんな図があった。
八方(伊勢)→九方(大本)→十方(日月神示)。


※日月神示「天変地異」の超暗号 岡田光興著より

ちょっと意味わかりませんが~、山は、丸に十の印になるという意味にもなるのかね?
十というクロスが10という数字にあてはまり、それはピラミッドで~。
この形には縄文から使われるいろんな意図がありそうです。

さて、関東地方には富士塚が多いのですが、さいたまの古墳群の中で、
富士山を意識してつくられたのが、稲荷山古墳です。
こちらのサイトがわかりやすいので、参考にさせて頂きます。

「富士山が変える古代史観 富士山と埼玉稲荷山古墳」
https://tokidokizm.amebaownd.com/posts/1787092

「埼玉稲荷山古墳の祭祀位置からは、相当大きな規模で東国に富士山を意識した
信仰と文化が存在した様子がうかがえる。
つまりその信仰は、そこにあった社会が直接的に富士やその周辺の火山活動の影響、
具体的には大きな噴火災害を受けていたことが起源になっているようである。」


諏訪大社社殿の配置は、二等辺三角形により火山祭祀をするためとも言われる。
無理やりこじつけかもしれないが、熊野神社の奥の院にある玉置神社から
名取の富士塚までのラインに、火山の多い山がかぶっているのも、
長野県や群馬県の火山噴火を意識しているようにもみえます。



福島県の磐梯山もライン上にあります。



埼玉の古墳群は中央構造線の上に建てられているのが多いという。
それでこのサイトに、榛名山の噴火で亡くなった武士の遺体がのっていた。
これはっー!
・・・ここで登場したか~。

数か月も前になりますが、いつも仙台探訪しているRさんが教えてくれた話。
NHK歴史ヒストリアなのですが、案の定、私は見てないのだけど、
この甲冑をきたまま土石流に巻き込まれた将軍の生きざまがすごいのだ。
けれど、この男性の最期がなぜこうなったかは神のみぞ知る・・・。


※渋川市の金井東裏遺跡で発掘された武人の胴体(群馬県埋蔵文化財調査事業団)

ちょっと要約しますと、榛名山は1500年前に噴火し、
鎧を着たままの完全な姿で残されたのは初めてという。
他に3名の遺骨が発見されたが、おびただしい数の足跡が見つかり、
それは1つの方向に向かって整然と秩序だってついており、
噴火のさなかであってもパニックにはならず、避難できたと考えられる。



しかし、鎧をきた男性は、榛名山に向かったまま亡くなっている。
鎧は大変貴重なもので、王の証と考えられている。
鎧の形から、馬にのって戦う鎧であるとされるが、噴火を鎮める祈祷をしていたとの説も。

番組をみてないので詳細わかりませんが、
私は噴火を鎮める説が有力だと思っています。
蔵王の刈田岳の噴火の時、伊達宗高という人が祈祷したという話がある。

「元和9年(1623年)4月16日、刈田岳が噴火し、噴石・降灰等により領内に甚大な被害が生じた。
年が明け寛永元年(1624年)になっても噴火は収まる気配を見せなかったので、
政宗は明人の易者・王翼に命じて刈田岳で祈祷を行わせることにし、
宗高を藩主名代として同行させた。
10月5日、宗高と王翼は刈田岳の火口付近に祭壇を設け、
噴煙と降下物に曝されながらもこれに耐えて祈祷を行った。
それから程無くして噴火が終息に向かったため、
人々は宗高の真心が天を動かしたのだと噂した。」


私が感じるのは、この男性は山に対する懺悔みたいなものをもっていると思う。
祈祷をしていたからだろうが、噴火を鎮めることができなかった。
「山に背を向けて逃げることができない」宿命みたいなものを背負っているような。
古代の人は、今よりずっと自然神に対する意識は非常に高いものだったのです。
昔は、将軍や王に成り得る人が即位した時に、天変地異があるとその王に問題があると
考えていました。
そうなると困るので、巫女が占いをし、天皇にふさわしい人を選んでいた。

でも、この男性に家族がいたのだろうか。
祈祷のためであれ何であれ、位が高い人であれば何かの伝承が残っていそうですが。

榛名山神社のご神体は、岩です。
コノハナサクヤヒメをお祀りしていますので、富士山と同等な山神です。
榛名富士というように、榛名山もきれいな三角錐です。

そう考えると、秩父神社は北緯36度線上にある。
他にも地震を起こす鹿島神社。武甲山がこの世の破壊を請け負っているが、
その武甲神(スサノオの力)を祀っているのが秩父神社。
噴火を阻止するために祀られた諏訪大社、火山の御嶽山なども北緯36度線上にあり、
「ミロクライン」と言われている。
共通するのは自然の脅威である破壊と再生のラインです。


横瀬:武甲山


※秩父神社境内:スサノオを祀る。

世界に目を向けると、ずっと前に夢でみたジブラルタル海峡がありましたが、
ここも北緯36度線上にあった。(ぴったり北緯36度0分)
なんだか、あの世とこの世の境界の扉があるラインという感じだね・・・。



「民俗的に言えば、両神社が御柱と呼ぶ柱立てを共通する特殊な儀式は、
共に中央構造線上に位置し地震断層を意識するからであると思われるが、
中世の行基図に表わされているように、鹿島神宮の要石を含めて、
それらは地震鯰などの伝承を遡る地中の龍や世界魚を押さえつける
古い鎮めの風習に基づいているようである。

またその柱立てに類似する儀式が、起源不明であるのに現代でも一般に行われている
砂盛に弊を立てる地鎮祭に残されていることにも注目したい。」

(「富士山が変える古代史観 富士山と埼玉稲荷山古墳」より)

秩父夜祭の笠鉾の上にも弊(笠)を立てる。
笠の鉾で、笠鉾という。
秩父も中央構造線の秩父帯という帯をもっている。





※中近屋台


※中町屋台(スサノオみたいな彫刻)

秩父神社の社格は、治安確保や災害が全国に起こった時の治安維持のために、
検非違使が派遣されていた。
その度に、秩父神社が昇格されているというのは、
秩父神社の神が、思兼命である天の岩戸開きに関係するからです。
破壊があれば同時に再生される。
陰と陽の両方を備えているというのは、禍津日神(まがつひのかみ)の働きでもある。



そのような秩父に災害の信仰をもたらしたのが、秩父平家でしょう。
秩父は噴火というよりは、水の災害に近いかもしれないが。
秩父神社に妙見信仰をもたらしたのは、平良文とも言われる。
徳川家康にも絡んできます。

小さい富士山を造ることで、富士山信仰を広めたのが関東地方の武将達。
関東も、噴火の火や地震の津波と向き合うことが多かった。


なんとか、この世を整えてから、蓬莱山へ行きたい。
そんな思想でもって屋台を見てしまう秩父夜祭りなんだな。

平家が岩戸開きに関係するならば、あえて「平」という「一八十」の文字を
想像するよう仕向けていると。

秩父平家になった貴族は、下向貴族といわれるように、
天皇家(桓武天皇)の血筋をもっていても、貴族社会の中では、正妻ではなかったなどの
理由で遠い血筋になる人は、優先されないことがあった。
でも、高望王の一族たちは、周りから信頼され評判よい人だった伝承があるんだよね~。
なので迫害されたと思われる・・・。
貴族であれど、貧しい生活をしていた人もたくさんいた。


横瀬:双子山

そんな下向といわれた貴族は、京都を離れ地方にいく。
そして秩父に流れ着いた人が、平家の祖といわれる高望王と伝わり、
秩父平氏系図によれば、高望→良文(村岡五郎)→忠頼・忠通。
忠頼→の子が、恒持(常)秩父五郎(秩父、畠山)となっている。

この方の神社を巡ってから、後になって知ったのですが、
高望王の系譜が、「葛」にあたる。

妄想するに、下向貴族といわれて迫害された貴族を利用したのが、
東北の蝦夷であって、彼らは、藤原勢力(藤原不比等)に反対した人たちとなる。

そんなルーツをもっているだろう恒持神社へ行ったら、
また今度は、Nさんのシンクロに繋がった。
名前をふせてアルファベットで述べてますけど、
RさんもNさんもシャーマンだから、いろんなことを受けてしまうのです。
それを誰かに伝えることで、受け取った私は、現場へ行ってしまう。
しかも、後になって知るのだから、困ったもんだ。笑。

その場所へ行って、何をするわけではなく、こうやってブログで「報告」しているにすぎない。
それをどう処理するかは、またRさんやNさんなりの方法で。
そういうのが、ずっと続いているようなんですけど~。
忙しいね~笑。



次は、恒持神社へGO。
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