秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

シオンの小野篁

2016-12-10 | 日記・エッセイ・コラム
その話の前に、
ローカル番組で、坪沼八幡神社で40年ぶりの結婚式が行われた
話を見ました。
「住みます芸人」のキングビスケットがきていた所で、
新しい人が入ってくると幸せを運ぶのだな、と実感した話でした。
お笑いが大好きなんですが、人を笑わせる仕事をしている人は、
頭が良くないとできませんね。
テレビをみて思うけど、芸人さんは、みんな真面目で優秀ですね。

結婚式を挙げられた方も、キングビスケットと同じ時期に来られて、
地元の方ではないそうです。
久々に、坪沼八幡宮が新しい風を開いてくれたのだと思うのです。
坪沼は秋保ですが、とっても素敵な所です。
末永くお幸せに。
坪沼に新しい芽が育ちますように~。

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なるほど~と思ったのは、私の個人的な話ですみません。(読みたくない人はスル―して!)
私も結婚式は神社でしたが、所沢に住んでいたので東京で挙げました。
東京なら交通の便がよいから。という理由だけで特段何の意味もなく。
私はこういう時は、全然、何でもよいタイプ。
神社だったらどこでもよいと思ってました。
伊勢神宮関係の神社でしたので、こじんまりしてとても良い神社でした。

で、挙式よりも重要な日が、入籍する日ですよね。
結婚記念日。挙式日ではなく、二人で婚姻届を出した日にしています。
挙式日を記念日という方もいらっしゃいますが。
みなさん、いろいろと考えるようですが、
私の場合、なぜか、秩父夜祭の日になってしまいました。
年内中に入籍したい!願望がお互いにあり、12月中に可能な日を探しても、
その日しか都合がつかず。
なので、ねらったわけではなく偶然、秩父夜祭の12月3日が記念日となってしまった。
じぇー。と思ったけど、まあ、これなら忘れない!と思ったもので。

なので毎年夜祭がくると、ああ~と思うわけです。
なんか、あ~という感じ。笑
秩父夜祭は、年に1回、武甲山に妙見様がおりてきて秩父神社の男神と会う日です。
荒川を銀河とみたてた七夕祭りが起源です。古くは。
なので、男女の「ムスビ」の働きがある夜祭なんですね。

「タカムスビ」というのは、良いご縁を結ぶ働きのある神だと思いました。
神(カミ)とは、本来そういうモノです。
結婚式というより、男女が出会って結ばれ、その記念にあたる日に何かと繋がれば、
明らかに先祖や霊統などの知らないところで、目に見えないところで、
何かの存在が、せっせと結ばれるように働いてくれている。
そんな出来事だと思いました。

小野妹子------------------------------------------------------

さて~、また妄想しすぎて、どうかしてる話をします。
塩釜神社は、シオンだったの?!(ぷぷっ)

塩釜神社の宮司さんのお名前が、小野さんだと聞いた。
あのあたりは、小野という地名があるようで。
昔、小野さんがやってきて塩釜神社を守るようになった?
このへん、ざっくりとしか言えないのですが、
そういえば、小野小町の墓伝承が宮城県北部にあったり、
岩沼の竹駒神社は小野篁(おのたかむら)が関係していました。

遣隋使に派遣された小野妹子は、中国の史料に「蘇因高」と書かれてました。
蘇我の蘇ということで、蘇我氏?という説もあります。
たぶん、「小」がshouというので、ショ、シオ、ソなどに聞こえて「蘇」になったと
考えられます。
が、因と高となったのかよくわからない。
高(gao)とよむのですが、高の意味は、おそらく背が高い人というよりか、
高貴な人に対して高とつけたのでしょうか?
このへんもよくわからないが、小野妹子の妹子をそのまま中国語読みにすると、
meiziになるので、ソイン(suyin)といった響きに繋がらない。

でも、小野家が塩釜神社に関係しているならば、
「蘇因」がシオンと聞こえた?と。
塩釜神社のシオが、シオンという響きに隠されていることを
妄想をしてたら、ちょっと面白いな、って思いました。


※御釜の藤神社:藤つるをもって守矢と戦ったタケミナカタ。

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シオンとは、イスラエルのエルサレム地方の歴史地名とあり、
ダビデの支配下にあったエブス人の街として登場する。
エブス人が、エビスの語源に変化したともいえますね。
蘇我蝦夷がいますが、小野さんが蘇我氏だというのは、エブス人だから。
とも言えます。
そのエブス人とは、カナンの先住民。
ダビデ王が侵略してイスラエルの首都とし、エブス人もイスラエル人に従属したと。
ダビデがよくわかりませんな。
無理やり繋げると、小野篁は、閻魔大王の仕事をしていたという。
ダビデ王=閻魔様?
・・・どういう意味かね?

以前、湯殿山で妄想してましたが、
湯殿山で見かけた「常世岐姫」の碑があります。



常世姫は赤染氏という染色技術者が祀る神であると。
染色は出身地の名をつけるそうで、紫と赤色は、カナン人の輸出商品。
カナン人はノアの箱舟で助かった息子の名前とされる。
そのルーツが秦氏といわれ、戦いの時に赤色の旗をたてたり、
確か秦氏が伝えた西陣織もある。(赤=源氏)
赤染氏が祀る神社が、河内が本宮で分社が北部埼玉にしかない。
河内は、カワチとよむが、カナンともよめる?
その赤色の布は、カナン人やフェニキア人が身につけていたそうだ。
赤色(紫色)の布をまとう人をフェニキスとよび、
カナはヘブライ語で商人の意味。

また、シオンは、日本語では紫苑と書き、「菊」のことです。
まさに、菊紋様でないの?
塩釜神社のシワヒコさんは、紫波彦と書くのが本来の意味だったりして。
シオンの人だとしたら、紫色ってそんな意味があったりするのね~。
聖徳太子が冠位十二階で一番高い色を、紫色にしているのはカナンの色にしてるから。



小野妹子は、聖徳太子の守り本尊にされている。
小野妹子の墓のある場所が、科長神社の南側にあります。
科長神社の住所は、大阪府南河内郡太子町。
それでもって、科長神社の祭神が、シナツヒコとシナツヒメだった!
シナ(支那)ですね~。
前回、山形酒田にある飛鳥神社の話で、近くに「小物忌神社」の風の神が
あることを知った。大物忌神社VS小物忌神社。
大小の対比があるのは、こういうことなのね。雷神・風神。

こういっちゃなんだが、イスラエルのあちらの同胞たちが、
互いの神々を祀って、我よ、我よ、と言っていただけなんじゃないの?
はたからみていた先住民が、ほげ~っと見ていたと思う。
何してるんだろう?ぐらいな感覚で。
実は、そんなに深い話でなくて、勝手に渡来した神が勝手に盛り上がっていただけで…。
それをあえて深く考えすぎている私は、なんでしょう。笑。
ま、先祖のルーツをたどる意味があって書いているのだから、まあいっか。

密かに、太子堂や聖徳太子像というのは、カナンでありダビデであり、
イスラエルの聖地を日本にうつすつもりでやってきたイスラエル人の
小野さん=蘇我氏=秦氏だったということを想像する。
聖徳太子の石碑は宮城県の南、仙台では太子堂があるように長町周辺に多いと思います。
石工たちの信仰ですが、後に、フリーメーソンへと繋がります。
私は、太子の像はフリーメーソンくさいと思ってました。
なので、それらの石碑は、最近になってたくさん置かれたと思います。

小野篁のダビデ星-------------------------------------

ダビデ王ではなく、ここはダビデの星の象徴と考えた方がよいね。
六芒聖のことですが、日本の歴史でユダヤを無視しては語れません。
深い深い関係があり、小野さんはダビデ星を信仰していたわけです。

竹駒神社の時書いた内容ですが、
小野篁は、源氏物語を書いた紫式部のお墓の隣に並んであるという。
(紫式部も紫色の人ってことだ。)
はっきりした理由はわからないが、紫式部も藤原家の一族で、
紫式部は、藤原家のふしだらな貴族社会を描いたことで、天罰が下るという
噂が立ったそうだ。
なので、あの世にいってもちゃんとお世話してもらおうと選ばれたのが小野篁。
なぜなら、審判を下す閻魔大王に仕えていた人だったから。という話。


※竹駒神社の三宝

簡単に、閻魔大王は、六道の行き先を決定する。
6つの鳥居が並びそのどれかの鳥居をくぐることにより、来世が決まるという話し。
六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つ。

小野篁は、昼間は朝廷に仕え、夜は閻魔大王に仕えていたという。
また京都の小野篁邸に魔王堂というのがあり、鴨川を挟んで死の六道珍皇寺、
桂川沿いには、生の六道福生寺がある。
珍皇寺には黄泉がえりの井戸というのもある。


※竹駒神社のお稲荷さま。

そのような思想があった小野篁を考えると、
藤原氏や中臣氏、物部氏や他の氏族が全国から陸奥・出羽へ開拓にやってきて、
呪術的なことを行ってきた物が残っています。
このようなシャーマンな祈祷を行ってきたのは、
ユダヤでも形として星形やダビデ星として残しますね。
なぜか、ナチスドイツは、「黄色」のダビデ星をバッジにつけてました。
「シオンの星」ともいわれ、ユダヤ人と日本人の深い関係があっても、
この時代は、そうだったのでしょうね。
私は縄文好きだし、自然崇拝しか興味がないから、
人が形で自己主張する意味がわからないので、知りたがり屋。

色で識別することに神経を使っていたナチスだったのですが、
本当のことを知っていた為に、あんな風に悪いナチスにした存在がいたといわれます。
洗脳は、残念ながら行われているようです。
が、どっちも主張している限り、洗脳という言葉は消えないですね。

しかーし、そのようなマークが石工たちの歴史に流れ、
古くは、墨書土器にあったという話。
地味な墨書土器ですが、この遺物たち、
調べてみると面白いことがわかってきました。
続く。
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