秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

阿蘇山と蔵王

2016-10-13 | 日記・エッセイ・コラム
もう大六天神社とは離れてますね。笑
まあ、いっか。
この回で終わりにしたい~。

大六天神社の北斗七星が、妙見信仰からきているという話から、
葛城王に繋がった。
昔は、天皇には地方の豪族の娘を、人質のように贈るという風習があったそうな。
福島の安積に伝わる采女みたいな話。
葛城王朝というのがあり、漠然としてますが、
富士王朝や九州王朝、白山王朝などなど、各地に王がいて、
その中に、小さな王国として葛城王が続いており、天皇家につくために娘を
贈っていたのかもしれない。
しかし、他の王朝が忽然と消えたのは、葛城王朝特有のイワ(岩)の祈祷に
あるような気がする。

福島県岩瀬郡天栄村に、妙見山という名前の山がある。別名飯森山。
標高は532mと低いのですが、妙見山という名前には大体、イワクラ信仰や
巨石、ラッキーだとペトログリフや星を刻んだ石が見つかることがあるという。

妙見山(天栄)
http://ftk-ac.net/01_hik/3864_myoken/3864_myoken.htm


http://ten-ei.net/nature.aspx
※天栄村観光協会より(妙見山)

その妙見山頂手前に猿田彦大神の石とよばれる巨石がある。
「上松本にある標高532mの妙見山はかつて男神山と呼ばれていました。
今から約400年前、増見讃岐という人物が妙味仏を祭り、
現在の山名になったそうです。
この山にもユーモラスな大天狗伝説がのこってます。」

そして、妙見神社が祀られている。
他にも福島県須賀川の妙見山、鮫川村の妙見山があるが、
須賀川の妙見山は、飯豊和気神社と八雲神社(スサノオ)を祀っている。

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さて、私は天栄村の妙見山が、龍ヶ塚古墳に関係しているように思えた。
猿田彦大神の石と名付けるのは、東北地方に多い?のかもしれない。

福島県国見町の伝説でも書きましたが、「猿」とつく名前の岩が多い伝承とは、
世界中の巨石にペトログリフ(ギリシャ語で石)を残した人類で、
それが猿田彦の象徴になっていると思った。
猿とつく岩には男神とし、女神はミズハノメとした。
なので、各地にある庚申碑(こうしんひ)は、ペトログリフの名残として、
石碑にした・・・なら、面白い。
ペトログリフの文字はわからないけれど、宇宙語のような言葉を、
庚申として申の使い、申=神の使いとして全国的に石碑を祀るようになったとか。
まあ、妄想で。


※ブライス・キャニオンのペトログリフ。数千年前のものと推測されている。

岩城、山城、と「キ」とよむのも、巨石文明の名残というのもわかる気がする。
秦氏のいた葛城や葛野にも、巨石を残している。
例えば、葛城山系の不動山にある巨石は、耳をあてるとゴーという音がするという。
丸森町の巨石にも、耳を当てるとお坊さんの声がするといった伝承がありますが、
不動山の祠には、八大龍王を祀っているものがある。
葛城=賀茂氏は役小角の系譜をもつ。

ヤタガラスは、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)といい、足の神様。
なのでわらじを奉納する。
この点が、アラハバキに似ている。
御祭神である「賀茂別雷大神」の「別雷」とは若い雷(神鳴り)という意味もあり、
雷を神様と考えていた。
雷=稲荷=稲になったのはなぜだろう。
妄想するに、イナリを鋳成るの産鉄用語とする。雷は鉄を作る時の火や音を現す。
その鉄技術をもたらした人々が、賀茂家や葛城氏であり、稲作を伝えた渡来人であると。
なので、仙台の雷神山古墳の雷は、稲作と鉄技術をもたらした大豪族だったのではないか。

古代の鴨(賀茂家)の由来は、崇神天皇の時に疫病が流行った。
この病をもたらしているのは、大物主を祀る三輪山に原因があるという。
私の子孫にあたる意富多多泥古を奉れば、病が治まるといい、
意富多多泥古を探したところ、病が治まったという話が「日本書紀」にある。

しかし、古事記は、大田田根子と表記され、
「建甕槌命の子」と書いている。
タケミカヅチの「タケ」が、三輪山を鎮めたということだろう。
そうなると、エミシが三輪山や大物主を崇めていたと考えると、
エミシ征伐とは、崇神天皇の疫病祓いから始まっているといえる。
崇神天皇=神武天皇という話。

その痕跡に巨石がある。
巨石がある場所には、三輪山信仰のようなピラミッド神殿的な要素、
つまりは、ウガ神の信仰があったと思うのです。
三輪山の神話に蛇の話があるので。
そのような先住民の祈りが、疫神をもたらすと渡来人は考えていたのだろう。

なので、イワクラを祀り、役小角が八大龍王として蛇を鎮魂する。。。
石と蛇とは、シャグジである。東京都の石神井などはそれ。
そして、シャグジがシャモジに転化し、ご飯を盛る時に用いるシャモジになったのは、
飯盛(森)山が、飯であり、蛇信仰の意図を示す、あの世への入口であり、
別次元にいった龍の入口ともいえる。
古墳の形も、シャモジに似ている。長方形と円の形。

ところで、タケという人が、天栄村にもいた…。
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天栄村に話を戻し、
千年以上も前に発見された「丈龍私印(はせたつしいん)」がある。

奈良・平安時代(1300~800年前)の集落で、役所跡とも見られています。
多数の竪穴式住居の跡や建物の跡とともに、
地方豪族のものと思われる「丈龍私印(はせたつしいん)」ときざまれた
銅でできたハンコも見つかっています。
このハンコは、この時代のものとして県内でただ一つであり、貴重なものです。
(志古山遺跡出土。)

奈良時代のもので、天栄村が政治の中心であったことがわかっている。
火焔土器ルートといわれる北陸から会津への縄文土器の道でもあったため
天栄村は縄文時代から栄えていたとても自然豊かな村があったと考えられる。
そこに妙見山が鎮座する。

気になっている古墳とは、規模は小さいが、龍ヶ塚古墳のこと。



「今からおよそ1400年前に作られた前方後円墳。
現在、東西主軸約36m、前方部17m、後円部径14m、高さ後円部4.5mでこの周辺では最大の古墳である。
この古墳は、裾部が開田によって削りとられ、変形しているが前方後円墳で、
明治初年作製の字切図のは墳丘のまわりに周濠(四周の堀)がみられるが、
農業基盤整備工事により改変された。
調査の結果、六世紀中葉の前方後円墳であることがわかった。
葬られているのは、古墳・奈良時代にこの地を支配した石背国造第5世の
建磐主命(たていわぬしのみこと)とされている。
現在、前方部の塚上に淡島神の石祠がある。」


建磐主命という人がどういう人かよくわからないが、
天栄村の主になっていた人だった。
でも、似ている名前の人が九州にいた。
健磐龍命(神皇紀BC21)、阿蘇霧島第二王朝が外寇を受けた際、
九州に指揮官として赴く。
52代続いたウガヤフキアエズ王朝の初期、BC600~5000年以前の
縄文時代に遡るという。

昔は、石背国(いわせのくに)といった。
陸奥国5部に設置された一つで、岩代国と同じ地域だった。
東は磐城国となり、石背国はとても狭かった。
畿内の山城国が、7世紀に「山背」と表記されたので、石背も「いわせ」ではなく、
「いわしろ」と読むようになった。
古くは、「代」の方。後に背となり、桓武天皇から城となり、キやジョウとよむようになった。
これが、山城の葛野との交流があったことを伝えている。

健磐龍命は、阿蘇神社の祭神。
阿蘇神社が奉斎する阿蘇山の神としての性格を持つほか、
阿蘇神社では神八井耳命(神武天皇の子)の子と伝える。
子に建稲背命、速瓶玉命(国造大神)八井耳玉命(甲佐明神)(Wikipedia)

水沢のオロシエ神(於呂閇志神社)は、原住神で祭神は、須佐男之命、木花咲耶姫命の他、
「彦八井耳命」も祀っている。ということを「~その2」で書いていましたが、
北上してきた九州の阿蘇氏の系統であったと思う。

天栄村にある龍ヶ塚古墳の龍と建磐の関係があり。
また、この近くにある二岐山は、巨人説がある。
阿蘇神社の健磐龍命にも、「健磐龍命は祖父の神武天皇の命をうけて阿蘇山へ至り、
外輪山の上から目の前に広がる湖を眺め、その広大さに感心して、
水をなくして田畑を造ろう、と考えた。
そこで、外輪山の一部を蹴破ろうとしたが、
一度目に挑戦したところはなかなか蹴破れなかった。
それは、山が二重になっているからで、以後、その場所は「二重(ふたえ)の峠」
と呼ばれるようになった。」


天栄村の開拓に乗り出し、龍ヶ塚古墳として眠っている?(実際のお墓か不明)
建磐主命とは、阿蘇の九州からきた人ではないか、と思う。
葛城氏は、先住民の海部氏や阿蘇氏たちと、協力して・・・という考えに
至らず、蘇我氏と一緒になり、仏教をもたらし、先住民(隼人や熊襲、土蜘蛛など)
を山へ追いやったのだろう。

山へ行った先住民は、安(阿)部氏なり、火君の祖となる。
「あ」が祖の意味があるとするなら、阿蘇氏は、蘇の始まりという意味になる?
蘇は「蘇り」である。黄泉へ還る。蘇我氏とは関係なし。
そんな意図がある陰の黒の月の女神であると思うのです。

また、阿蘇神社の健磐龍命の象徴が、鷹の羽。
大高山神社と蔵王~名取へ。
このへんは、「名取熊野老女と阿蘇氏」で妄想しているので、割愛します。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/0b8a27706e58eeaa392082ea3dd04c02

エミシ征伐=疫祓い-----------------------------------

また、この古墳の塚上に「淡路島神の石碑がある」と書いてあるが、
淡路島神とは、Wikipediaには、スクナヒコとする説、住吉神の后神とする説、
神話の淡島の説、ハリサイニョ(婆利塞女=龍神)の説。
船でやってくるのが共通の説。
ハリサイニョは、婦人病の神験であることから、女神説がある。

エミシ征伐の際に行われた疫病祓いにも、女神が関与していた。
山形県の東根の話で書きましたが、赤=疫病祓いである。
疱瘡(天然痘)の話から、東根の若木山にもイワクラが山頂に祀られている。

茨城県にも崇神天皇の話がある。
「茨城」の地名の由来となった黒坂命(くろさかのみこと)を祀った。
「常陸国風土記」より、朝廷に帰順しない国巣(土着豪族)に対して、
大臣の一族である黒坂命が、原野に自生する野ばら(茨刺・うばら)で、
賊の住居である穴を塞ぎ滅ぼしたという伝承にちなみ、
茨城の縣名が起こったという。
往昔には角枯山(つのかれやま)と呼ばれていたが、
崇神天皇の時代、黒坂命が蝦夷征伐の帰路この山で客死したため、
山上に黒前神社をもうけたことから黒前山と呼ばれるようになった。」



巨石巡礼より
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_kanto/iba_tatuware/tatuware.htm

賊とは土蜘蛛だろう。
しかし、疫病をもたらしたのは、牛頭天王の話があるように先住民ではなく、
日本へ上陸した渡来人がもたらした天然痘である。
各地の島から日本へ渡ってきた者は、たくさんいたのかもしれない。

それによって秦氏は、八幡を祀ることをした。
坂上田村麻呂も戦勝祈願として八幡神を祀る。
ヤハウェのユダヤ人でもあった。
渡来したユダヤ人と、縄文人は違う。
しかし、ユダヤの秦氏=賀茂家=葛城氏、物部氏などの共通にはイワクラ信仰がある。
安部氏も同じ。
阿蘇氏も同じように、共通するのは妙見信仰という星信仰である。
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宇宙への期待を石に刻む意味は、世界共通の言語を会話していた祖先がいて、
いつか星へ還ることができるための、メッセージを世界中に残した。
いつか、私たちがわかる時が来るように、と。

それが縄文人とよばれ、蛇文様の土偶を残した。
その末裔が日本人といわれる。
天然痘というのは、病気ではなく伝染病でもなく、
全く異なる人類のことだと思う。
価値観の違いが差別になってしまった。

今でもこうして巨石探訪をしていることを思うと、
人類のDNAの中に、石が刻まれているとしか思えない。
巨石から何かを発しているような気さえしてくる。
岩からの波動というものなのかどうか。

それがピラミッドの記憶なのかもしれない。
飛来見戸(ひらみど)。
来たる扉を見る時は、いつなのだろう。

全然、まとまってないけど、
古くは仙台の開拓にやってきた豪族は、海民の九州からやってきた人、
後に、葛城氏や賀茂氏がやってきて、熊野信仰となる。
葛城氏は天皇家の座についていたが、蘇我氏や藤原氏などの仏教伝来より、
物部氏と共に弱くなっていく。
東北へ逃れ、殺された皇子の血筋を絶やすぬように、
出羽三山という独特の修験道を開く。
安部氏は、大和朝廷側についた豪族に抵抗していたのだろう。
鉄や鉱石の資源を交易に発展させることに熱あげていたと思うが、
物部氏や秦氏たちは、両立を考えていたけど、
祈祷という独特のシャーマニズムの鉄文化を考えていたように思う。

ヤマトタケル伝承が多い蔵王の白鳥信仰なども、
白鳥と鷹の融合で、タケの阿蘇氏がやってきた場所ではなかったか、と思う。先に隼人やクマソなどがいたので、ヤマトタケルのクマソ征伐にのせて、白鳥信仰をもたらしたと。その話を持ってきたのが、葛城氏たちということもあると。

タケ=高=鷹ですが、白鳥=葛城氏(物部・賀茂氏)=蔵王。
蔵王権現は役小角なので、賀茂家の系譜であることから蔵王は、
葛城王国でもあったわけです。
阿蘇も蔵王も、どっちも火山帯ですね。
だから、阿蘇山の噴火があった時に、蔵王と繋がっていると思ったのは、
きっと、ここで繋いでいかないといけない、という認識です。

隼人に似た紋様の盾が仙台市の長町の古墳で見つかっていることもあるのだから、
阿蘇氏のいた九州の日高見、安曇氏のいた飛騨の日高見、物部氏のいた茨城の日高見、
安部氏のいた東北の日高見と、
長い長い歴史の中で、ようやく東北の北の日高見にきたのだな、と。
先祖はそんなことを感じているようです。
長~い旅だったよね~。(しみじみ)
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