秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

遺伝子でみる奥州藤原氏

2015-04-22 | 日記・エッセイ・コラム
久しぶりの平泉です。
エミシ探訪となると、やっぱり平泉に来てしまう。
この流れが不思議なもので…
なんだかんだ言って、今回6回目の平泉。
結構来てるのだな~と不思議に思った。

平泉といえば、もう一度お参りしたい三峯神社。
そして、今回はアラハバキを祀るワカエトノ神社まで登ってきました。

(三峯神社参道入口)

この山は月山神社も祀るので、月山とよばれている?
ピラミダルな小山で綺麗なんです。
衣川に向かい合う形で束稲山(経塚山)がそびえる。
わからないけど、直線で結ぶと束稲山につながるのかな?


(中央の三角形の山がアラハバキを祀る:左の森は中尊寺)

安倍氏のいる所、巨石あり。
で、それをアラハバキという。
イマイチ、謎の多いアラハバキですが、縄文と関係していることは
いろいろな話しから確かだと言えますが、後ほど。

さて、興味深い話。
中尊寺に遺骨が納められている奥州藤原氏について。
アイヌの民族衣装などが一緒に埋葬されていたと聞き、藤原氏はアイヌ人だったの?!
と、思っていましたが、ちょっと違いました。

専門家による藤原氏についての調査報告書がネットで見られます。
遺体調査から人工ミイラと思われたのですが、自然にミイラ化したようで、
即身仏が多い東北なので、ミイラ化はありそうですが、そのまま保存しただけのようです。
少しはミイラ化を施した部分があるようですが、内臓や脳などはなくなり、
乾燥していない状態で、皮膚だけ残っていたようです。


(束稲山)

何気なく、文化遺産として金色堂をみていましたが、
考えてみたら、遺骨が保管されていたお墓でもあり、
平泉の文化を築いてきた人達に対し、あんまり中身がわかっていない。

昔の中尊寺は、自由に中まで観られたそうです。
今は観光客が多くなったので、ガラスに収められたのですが。
観光地の博物館化が最近目立つと思う。
人が増えたこともあるけれど・・・集中できない。

今回は、中尊寺には行かず、アラハバキで、ほげ~っとしてママチャリ必死こいで、
磐神社まで行ってみた。
のどかな田園風景でママチャリとは、贅沢な・・・笑。
-------------------------------------------------------
話しを戻し、奥州藤原氏の祖は、藤原清衡。
調査より、藤原一族を調べた結果、アイヌ人以外の和人、日本人であり、
現代の京都人に近いとわかりました。
東北人とは異なり、貴族顔、貴族としての特徴があり、顔は面長で鼻は狭く顔も細い。
貴族としての養育法があり柔らかい食べ物を食べていたと考えられると。

初代藤原清衡の母は、安倍忠頼の娘。
三人姉妹の長女で、有加一乃末陪(あるかいちのまえ)という女性。
安倍氏の縄文人かアイヌ人の血もひいている為、息子の清衡の鼻幅が広い。
京都と東北人の混血となり、徳川家などの貴族より、伊達家や一般集団に近い。
しかし、清衡の子、泰衡は京都人に近い。
一番、濃い縄文かアイヌ人の血を引いていたのが清衡で、子供は段々と京都人の方を
受け継ぐようになる。
ちなみに、血液型はAB型。

詳しい報告については、こちらを。
再考・奥州藤原氏四代の遺体
http://shikon.nichibun.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/544/1/nk13001.pdf
--------------------------------------------------------

藤原氏のY染色体ハプログループは、O2b1に属するらしい。
(O2b:弥生人。O2b1:発生はベトナムか東南アジア)。
Y染色体は、父子にしか遺伝しない。どの人たちと集団にいたかという民族による
歴史に由来し、遺伝するもの。

清衡は、父=和人で渡来した北アジアに近い。
しかし、その中に母からの?Dタイプを持っている。
父子からの遺伝子がどの経由で持つようになったか不明ですが。

さて、このDタイプには、深い人類のルーツがありました。
安倍氏は、縄文人の系統に含まれる。ハプログループのDタイプは、チベット、
中国雲南省、貴州省付近、日本にしかない。沖縄北部で56%、アイヌ人は、87.5%も持っている。
他にフィリピンや東南アジアにも少数だがある。

他の地域にはなく、現在の中国、インド、ネイティブアメリカンにはない。
日本に来たCタイプは、シベリア経由でゾウを追ってきた。
ネイティブアメリカンやモンゴル人はCタイプ。
ジンギスカンの遺伝子も。
目が細く寒さに耐えるために瞼が厚い。硬い肉などを食べていたせいか、
顎の骨格が広い人が多い。

Dタイプの人たちは、東アジアに住むために、アラビア~南アジア~東南アジアへ、
さらに北方へ移住したと考えられるが、一体、どこから来たのか?


(衣川)

ホモサピエンスの祖語---------------------------------------

私たち人類の祖先は、ホモサピエンスで、アフリカから出ている。
喉が現代と同じ声帯?が長いので、言葉を発していたと言われる。
同じ人類で死滅したネアンデルタール人は、声帯は短いので、
ほどん話すことはなかったと考えられる。
意思疎通程度?

それが、日本語のSOVの文法が、欧米語のSVOより古いとわかり、
縄文語はホモサピエンスの祖語ではないか?との説があるのだ!
そこから熟成したY-DNAのD1D2が、そのまま継承されたとの説。
この学説は、素粒子の研究をしている人だというから、信頼できそう。
あまり日本ではニュースにならないが、本当ならすごいことなんです。

詳細は、こちらへ。
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/450.html
----------------------------------------------
アフリカからアジア、ヨーロッパへ移動した人種やネアンデルタール人などは、
3万年前頃には、氷河期などの環境の変化で死滅したと考えられています。
ホモサピエンスとネアンデルタール人の混血もおりましたが、
ホモサピエンスの種が強かった為か、ネアンデルタール人の子孫はだんだんと
消えていきました。

しかし、生き残ったホモサピエンスは、移動せずアフリカにとどまり、
旧人、新人となり、私たち現代人になったとされる。
移動せず、アフリカにとどまったことで、進化したと考えられています。
それが縄文人となり、日本に多く渡った。そして、日本語が残されたのです。

しかし、そんなホモサピエンスの祖語である縄文語~日本語が他の言語に植民されなかった
のは何故だろう?

ほんとにエミシ征伐はあったのか?という疑問が出てくる。
勝者が征伐と言うようにしたことはある。
領土争いのような小さな戦闘はあったと思うが、後に日本に渡来してきた人たちは、
漢語や他の言語を話していた。しかし、日本語は残った。

それは、渡来した人の中に、縄文語をそのまま継承し、縄文やアイヌの文化を
受け入れようとした民族がいたということ。
それを積極的に取り入れたのが、ユダヤ人だったと思います。
今のユダヤ教などはわかりませんが、当時のユダヤ人たちは、日本のルーツを知っており、
縄文精神や文化を吸収していました。
聖徳太子の「和で以って尊す」が、また、ここで繋がった気がします。

私見ですが、日本人独特の「間」も縄文人から受け継いでいると思う。
イザナキ・イザナミの「キ」「ミ」には、私とあなたの対の関係性で成り立つ意味もあるはず。
相手に答えを委ねるのは、鏡になる対象の現れだから、そこにもう一人の自分を見ていたんじゃないか、と。
答えは自分の中だけにあるのではない。
西洋とは真逆。
それは集団行動を重視する農耕民族の名残と思いますが。

また、三峰神社は、イザナキ・イザナミをお祀りしますが、
巨石などのイワクラも、女石、男石の陰陽で対にするものが多い。
それは原始的な精神であり、キとミが加わり、「カ」になる。
それが、「カミ」で、神となる。
縄文人が対を大事にしていたのは、「キ」「ミ」が加わり一つになることを、目指していたと思います。
1より2、2より4、4より8・・・・それでひとつ。
なので、「3」を聖数とするのは、西洋的だと思います。
日本では「2」が大事なんじゃないか、と。


(並木屋敷(安倍柵):1045年安倍頼時が本拠を構え、1065年の安倍貞任が撤退するまでの18年間、
安倍氏の政庁であり、翌年から安倍氏に替わり清原武則、武貞、真衡の政庁、居住となった。
衣川柵とよばれるようになったのは、清原氏支配になってからで、
安倍氏の時代は柵は不要であった。(看板より)

----------------------------------------------------------

「貴族出身の藤原氏が安部氏の血を受け入れたのは、自ら求めて敗者の歴史を背負い、
息子の清衡にその血脈を受け継いだことにある」
と。

安倍氏は、単に一族を守るだけでなく、縄文人の末裔であるから?
その系譜を受け継ぐために、他の民族との婚姻も接近的に行い、
子孫を増やしていったと思います。
安倍忠頼の時代は、奥6郡を占拠し、陸奥の安倍氏、出羽の清原氏といわれていました。

2月の話ですが、安倍総理は、岩手県北上市で演説した際、
「貞任の末裔が私となっている。ルーツは岩手県。その岩手県に帰ってきた。」
と、言ったそうだ。
ということは、安倍総理は、安倍氏の末裔だということを自覚しているのだな~。
Wikiによると、安倍総理は、安倍宗任の子孫を名乗る九州松浦党らしい。
総理のお顔を拝見するところ、縄文顔ってことなんでしょうか?
何ともいえませんが・・・。
さて、東北の安倍氏から、日本の再生になるのでしょうか?!
鎌倉幕府もできなかった平泉文化を、東北が継承しているのはすごい事なのです。

ただ、波乱な歴史だったとは思います。
大体の歴史では、一族同士の思い込みや勘違いが発端だったりするのが多い。
また、鉱物資源などの採掘により、環境汚染や労働力として働くことが、
暴力や精神の異常をもたらしたこともないでしょうか?
平泉周辺は金がとれたことで、全国から金を求めて入ってきた所です。

実際、ある民族のいる地域で金が発掘され、鉱夫の流入で暴力やアルコール依存症が
増えたことがありました。まして、水銀などは有害です。

そんなに大きな争いはなかったけど、他の地域よりエミシ独特の文化と鉱物資源が豊富にありました。
京都の都だけで、朝廷は支えられないとなり、東北の資源を手に入れたいと思うようになります。
特に桓武天皇の時代からエミシ征伐が加速していきます。
そのため、武力に秀でていた人たちの反発が大きかったことはあると思います。

しかし、後の清衡は、後三年の役で、複雑な家庭環境の中、子供達は争うことになるのです…

妻の有加一乃末陪は、夫の藤原経清が殺害されてから、敵である清原武則と再婚しています。
子の清衡を養子とし、また、清原氏との間に子を設けている。
それも、清原氏と血縁も受け入れても良いと思ってか、どうか…
一応、敵ですが、勝利品ではなく平和的な婚姻だったとか?
ま、今の時代ではあり得ないけど、それを受け入れられるってすごい女性だと思います。

なので、清原氏の嫡子、藤原清衡と清原氏の間に産まれた子供と、三人いた。
後に、清衡は父の藤原姓を名乗り、平泉を建立する。
清衡は、東蝦夷になると東北に入り、城塞でなく寺を建立することで兵士の霊がみな、浄土に行くことを願ったという。

その影には、母の安倍氏の力があったことは当然であり、複雑な家庭環境におかれ、また、多くの人々を殺害してきた罪はとても重く、敵の分まで背負ってきたわけだ。

(中尊寺の森)

ホモサピエンスは、なぜ、チベットと日本に多くの種を残そうとしたのだろう?
たまたま偶然?

グランドマザーを思う。
アフリカに、たった一人の女性から人類は生まれたと。
もし、それが本当ならば、大地母神とは、ホモサピエンスの私たちを産んだ人類の母のことを言うのかもしれない。
神話でいう排除や征伐は、平和になることを恐れた者の弱さにあるのだから、
大地母神の愛情が逆に失うことの恐れを勝手に招いてしまう。

その排除が、アラハバキだったのでは?と思うこともある。
続きは、次回に。



余談ですが、行きも帰りも、帯状の雲がありました。
栗原市のあたりは、この前も見えたのですが、地震もこのあたりは多く、
震源地が大体宮城県北部となるので、地震雲のような帯状の雲が、できやすいこともあるのでしょうか?
地震雲は、地下岩盤の電界、地球の磁場に関係するようですが、
だからと言って、大きな地震が来るわけではないです。
この場所では、帯状の雲がよく見られるというだけなんですが。
しかも、三角形の山がみえますが、行きも帰りも同じ場所で雲が発生しているというのが不思議。



次は、ワカエトノ神社と巨石探訪へ。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 泉ヶ岳ミズバショウ群生地 | トップ | 狼と月とアラハバキ »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

関連するみんなの記事