秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

愛瀰詩(えみし)と蝦夷神社

2017-06-17 | 東北地方の伝説(山形県)
赤湯駅周辺にも神社がいくつかありますが、
散策していた時に、見つけた神社です。
初めてお目にかかりました。
「蝦夷神社」(えぞじんじゃ)というのですが、お祀りしているのが
「久延毘古(くえびこ)」という神様です。



久延毘古は歩けない神様で案山子(かかし)であると。
古事記には、大国主の元に海の向こうから小さな神がやって来たが、
名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。
するとヒキガエルの多邇具久が「久延毘古なら、きっと知っているだろう」と言うので、
久延毘古を呼び尋ねると「その神は神産巣日神の子の少彦名神である」と答えた。




大国主の国譲りに登場するクエビコ。
歩けないとはどんな姿か・・・。

さらに古事記では「久延毘古とは"山田のそほど"のことである」と説明されている。
「山田のそほど」とは、かかしの古名であり、久延毘古はかかしを神格化したもの、
すなわち田の神、農業の神、土地の神である。
かかしはその形から神の依代とされ、これが山の神の信仰と結びつき、
収獲祭や小正月に「かかし上げ」の祭をする地方もある。

また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、
天下のことは何でも知っているとされるようになった。
神名の「クエビコ」は「崩え彦」、体が崩れた男の意で、雨風にさらされて朽ち果てた
かかしを表現したものである。また、「杖彦」が転じたものとも取れ、
イザナギが黄泉から帰ってきた後の禊で杖を投げ出した時に生まれた
船戸神(ふなとのかみ、岐神、道祖神)との関連も考えられる。




石川県鹿島郡中能登町や大神神社(奈良県桜井市)
末社・久延彦神社などで祀られている。

ということで、あまりクエビコを祀っている神社はないので、
とても珍しいなあと思いました。

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蝦夷神社についての由来などはわかりませんが、
「山田のホソド」と聞くと、ホソドは「ホト」に繋がると思った。
タタラ製鉄にも関係していそうです。
崩れている体というのも、磁場の崩れとか土砂崩れとか、まあ、なんでも妄想できますが。
タタラが崩した大地という意味で。

巨大な藁人形は、遠野でも見かけたことがありました。
秋田県にも巨大な藁人形(鹿島様)があります。それが案山子に繋がっているのですが、
案山子=猿田彦の説も考えてみたい。

※秋田の各地に出現する謎の巨神「鹿島様とは」


http://www.tenki.jp/suppl/kous4/2016/07/23/14141.html
鹿島様(出典:公益社団法人日本観光振興協会)

また、カカシは「カカ」」で蛇の意味がある。
赤い目をしたほおずきと言われたのも猿田彦である。
ホトの火が赤いことと、クエビコには何か関係がありそうな気がします。


※遠野の藁人形

ところで置賜の古代史が気になった。どんな時代があったんでしょうね~。
とってもきれいな田園風景。ここはお気に入り。(写真が暗くてすみません)
奥羽本線の米沢行きへ乗ると車窓からよく見えます。
フラワー長井線もおすすめです。



会津にも蝦夷神社がありますが、こちらは「えびす」とよむそうです。
この神社の場合、蝦夷(エゾ)に関係する氏神を祀っているのかもしれません。


※右にみえる大きな池は、白竜湖です。

エミシの話になりますが、
蝦夷は古くは愛瀰詩と書いたそうです。(神武東征記)
愛瀰詩を「えみし」と読んだのです。
愛という漢字が含まれている!
「瀰」は、「弥」が簡体字で、呉音でミになる。
漢字の中に、さんずいの「水」が含まれているので、水や雨の滴を連想させる。
私は霧のような意味があるのでは、と思い、女性的な言葉だと思いました。

愛の歌にいとおしさを感じる。そんな意味の言葉だとしたら、素敵ですね~。
「蝦夷」とは、全く異なる意味になるわけですが。
エミシは、詩をよく歌っていた民族だったかもしれないんですね。

「蝦夷」表記の初出は、日本書紀の景行天皇だとされる。
ヤマトタケルの時代ですね。
熊襲をたおした頃になって、愛瀰詩が蝦夷になるのです。

愛瀰詩が登場するのは、日本書紀に久米氏という九州の豪族がいますが、
クメール文明の久米氏のルーツをもつとされる人たちです。
宴会の席で、お酒をのませ抵抗できない状態で、エミシを殺害した時にうたった詩に
出てきます。ヤマトタケルが女装して宴会の席に入って殺害した方法と似ています。

「愛瀰詩(えみし)烏(を) 毘ダ利(ひだり) 毛々那比苔(ももなひと) 
比苔破易陪廼毛(ひとはいへども) 多牟伽毘毛勢儒(たむかひもせず)」


えみしは一人で百人にも相当する強者だと言っていたが、
朝廷には抵抗もせずに、やられてしまった」
といった意味がある詩です。
ただ、言霊など詞の中に隠語もある気もしますね。

蝦夷神社に関しての詳細はわかりませんが、
エミシが由来ではないと思います。
しかし、置賜の古代史を妄想すると、「蝦夷」という人が登場する。

文献初出は『日本書紀』の持統天皇3年1月3日(669年2月8日)で、
陸奥国優*雲郡の城養蝦夷の脂利古の息子2人が出家を願い出て許されたという記事にある。
この当時は評制なので、正しくは優*雲評であろうが、
この優*雲(うきたみ、うきたま)が置賜の前身とされる。
城養蝦夷とは、城柵から食糧を給付されていた蝦夷なので、
この頃の置賜評に名称不明の城柵があったこと、蝦夷が居住していたことも推定できる。


脂利古(しりこ)は、北海道の地名に多いシリに由来する説が有力です。
シリは蝦夷の地名だったので、アイヌ語説から、脂利古もアイヌ人だったことも考えられます。

蝦夷と名をつける人では、蘇我蝦夷が有名ですが、
蝦夷と名をつけるのは、勇敢という語感の意味が考えられると。(高橋富雄先生によると)
確かに蝦夷は、外国からも勇者といわれたように、弓の達人で戦に強い人だと書かれていることが多い。
例えば、弓が強いというのは、矢を射る力というよりは、
アイヌ人が矢に毒を塗って射る戦術をもっていたことに、
衝撃をもった渡来人がいたと思います。
外国では、このような戦術はありませんでした。

蝦夷は他には、エビの由来もあります。
会津の蝦夷神社を「えびす」と読ませるのは、
「えび」の古語の「夷」の字を分解すると「弓人」となることから、
えびす様=蝦夷になると思います。

また、蝦夷には、「赤」色というイメージがつきまとう。
赤には、丹=丹生があります。
丹生から想像されて蝦夷神社になると考えられると。
祀られているクエビコという神は、スクナヒコを知っていたわけですが、
スクナヒコは、美保岬からやってくる。

大国主神が出雲の御大之御前(みほのみさき、現在の美保岬)にいるときに、
飛沫立つ波頭を伝い、天の羅摩船(ガガイモの船)に乗りヒムシ(蛾)の皮を
身にまとってやって来る小さな神様がいたと伝わる。

スクナヒコは一寸ぼうし。
体の細胞の中に入って病気を治す妖精??
以前にも妄想してましたが、愛媛県(伊予国?)の温泉地だったか、
スクナヒコと温泉伝承があります。

温泉といえば、ここにも赤湯温泉がある。
「赤湯」の地名は平安後期の1093年に源氏の八幡太郎義家が奥州平定のために
戦っていたところ、義家の弟の加茂次郎義綱がこの地を訪れ、
八幡のお告げで温泉を見つけ、傷ついた武士を湯治させ、
湯が真っ赤に染まったので「赤湯」と呼ばれるようになったという。
アイヌ語の熱泉(アツカユ)からきた説や赤井郷という呼称が変化した説もある。

(赤湯温泉の歴史)

やっぱり、赤なんですね。
置賜を支配していた長井氏という人がいますが、承久の乱で、兄が後鳥羽上皇方に味方したため、
没したといわれますが、家紋が「一文字に三つ星」。



三つ星は、オリオン座です。
元は、大江氏が一文字に品という漢字を三つにした家紋でした。
由来は、一品の文字を図案化して「一文字に三つ星」の紋を創出、用いるようになったのだという。
「一品」とは、大江氏が祖とする阿保親王(あぼ)は、平城天皇の第一皇子であったことから
一品の位にあり一品親王と称された。
阿保親王は、平城天皇の第一子。

古代置賜の卑弥呼-----------------------------------------------------------

東北地方における仏教の伝播について、日本書紀では、689年(持統天皇3)年
正月三日条に陸奥国優嗜曇郡(現在の山形県置賜地方)の麻呂と鉄折の二人が、
出家を願い出て許されたこと,
また同年の七月一日条に陸奥の蝦夷僧自得が金銅薬師仏像・金銅観音菩薩像などを授けられた
ことを記しており、正史上の記録ではこれが最も早い。

(引用:陸奥国色麻郡所在の渡来仏:門脇佳代子・渡邊泰伸)

最も古いといわれるのは、前回のすすき姫でも少し触れましたが、
山形県は御所山、宮城県では船形山ですが、船形山に伝わった菩薩立像です。
置賜の出羽国から陸奥国へ派遣された関東の武将が6世紀頃からたくさんいました。
しかし、船形山に伝わる菩薩立像は6世紀頃とされていますが、それ以前から
もたらされたこともあり、4世紀にも遡るほど古い頃から仏教が伝播した可能性もあるそうです。
山形は越国に含まれるので、日本海に上陸した朝鮮系渡来人の集団がいます。
そのような人たちが、仏像をもたらしたと思います。

かつて、ここに女性が君臨していたと思われる古墳があるんです。
戸塚山古墳といい、骨を調べた結果、骨盤が明らかに女性で、
虫歯が7本くらいあったそうです。
それは、甘いものが食べられた貴族出身者と考えられるそうで、
骨も細いので重労働をしていなかった人だそう。
身長145cmくらいの40~50代と推定される小柄な女性。

お墓には、長い櫛くしが3個、握りの部分を鹿の角で作った鉄製の刀子(とうす)が発見されました。
古墳から人骨が発掘されたのは珍しいのだそう。
古墳時代の祭祀用具に櫛や刀子や勾玉など納められていますが、
古墳に埋葬されているのが男とは限らないのです。
ほとんどの古墳が発掘調査されていませんが、甲冑などの武具がない古墳は、
女性の可能性が高いのです。
4世紀頃まで、ヒメ・ヒコ制度があったそうですが、
卑弥呼や台与の時代からの女性首長が、古代の東北地方に静かに根づいていたかもしれません。

愛の漢字の成り立ちは、
もともと「㤅(アイ)」に「夂」を組み合わせた漢字だった。
「旡」は後ろを振り返る人、「夂」は人の足、これに「心」を組み合わせて、
「心が揺れて足を止める様子」を表現している。

「夂」は人の足を表し、「心」はそのまま人の心のことを指しています。
これらを全て組み合わせて、「心が揺れて足を止め、
振り返る→後ろ髪を引かれる→気にかかる」と変化し、
「心が引きつけられ、慕う」の意味が生まれました。

(一期一会より https://ichigoichina.jp/kanji/13/)

「後ろを振り返る」のは、古事記ではイザナギの話にありました。
イザナミのいる黄泉へ来た時に、地上へ戻る時は、振り返ってはいけない。と言います。
鶴の恩返しでも、「見てはいけない」というタブー神話は、
人間の心理に向けているもので、そういわれると人は、かえって見たくなるという事。
イザナギの話は、振り返る=過去を振り返る。といった意味があると思われ(個人的な見解)
過去の良かった時代なのか、イザナミとの愛を思いだしたい衝動にかられたのかは
わかりませんが、振り返る行為が、愛に繋がっているようなのです。

最後にイザナギのふり返りに、エミシの愛でしめる。
これって、クエヒコの神話の中にでてくる杖彦に戻りますね。
「イザナギが黄泉から帰ってきた後の禊で杖を投げ出した時に生まれた」のが、クエヒコ。

ええ話やね~。
つーことで、山形のお話は終了~。
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