秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

倭姫命の遠流志別石神社 その1

2017-07-17 | 東北地方の伝説(宮城県)
これはちょっと複雑で長い妄想になりそうですが、
具体的にどんな神なのかわかりません。

遠流志別石神社は、「石」ではなく、「君」の誤りで、
本来は、「邑良志別君 宇蘇弥奈(おらしべのきみ うそみな、生没年不詳)」
を祀るという神社なのです。


邑良志別君は、奈良時代の東北蝦夷(陸奥国の蝦夷)。
第三等(朝廷が蝦夷に与えた爵位第三位)。
後世では東北地方の各神社で祀られており、蝦夷の人物神とされ、
「オラシ」の名称に関してもアイヌ人の信仰と関連するものとされる。

記録によると、『続日本紀』霊亀元年(715年)10月29日条に記述が見られ、
陸奥の蝦夷である邑良志別君宇蘇弥奈たちの訴え出として、
「自分達は北方の狄(えぞ)の侵入に苦しみ悩まされ、親戚も殺されたため、
香河村(現胆沢町と水沢市の一部)に新しい役所を置き、そこに村を作りたい」と、
異民族被害のために新しい土地へ集団移住することを願い出ており、
また、「編戸(へんこ)の民(=戸籍に登録された民)に入れて、
永く安心していられるようにしてほしい」と発言したと記されており、
朝廷の加護を得るために律令制下に入ることを要望している。

約100年後に、この付近に坂上田村麻呂が城を築くが、前述の記録のように、
この辺りは古くから蝦夷同士の争いが絶えず、
そのため、律令制=戸籍に登録される=朝廷の加護を得られるといった
考えに至ったものとみられる。(
Wikiより)


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「君」から「石」に変化したのは、おそらく本殿の裏手にある
不思議な石をご神体にしたからだと思います。
君が代、みたいな、苔むす岩になるまでの歌が浮かぶねぇ。
鉱石の知識がないのでどんな石か不明。



この意味はわかりませんが、お墓のようにもみえます。
ここで祈祷していたことも、十分、考えられます。



社伝によると、
「景行天皇四十年、皇子・日本武尊東征のおり、
伊勢神宮に参拝し、倭姫命より明玉を授かった。
これを頭上に戴けば、たちまち賊を鎮定できると。
無事、東国平定の後、この地に至るや
明玉は霊石と化し、よってこの地に祀ったという。
その霊石は、年々小石を産むが故に
里人は石神明神と尊崇し、石子石=石越という地名となった。」




文章が長すぎて途中で集中力が切れた・・・。
このブログも文章が長いが。

由来に「倭姫命」ヤマトヒメが出てきましたが、
記紀に伝える古墳時代以前の皇族で、
第11代垂仁天皇の第4皇女とされる。
倭姫は、第10代崇神天皇の皇女「豊鍬入姫命(とよきいりひめ)」の後を継いで、
天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、
神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされる。

皇室の巫女だったんですが、この第11代垂仁天皇の後は、12代目が景行天皇の時代になります。
東北地方のエミシ征伐に何度もでてくる、ヤマトタケルの父が景行天皇です。
熊襲、土蜘蛛、蝦夷征伐と続く。

妄想するに、第10代崇神天皇の時代までは、「それ以前」という朝廷が治める前の
古い神を信仰していたということ。それが石神(霊石)だったかもしれません。
シャーマニズムな人々の依り代というのが、石や植物だったと。
また、蛇体という気のような霊体というものか。

洞窟もそれで、ピラミッドのようにあの世とこの世の場所と考えた
修験者たちが、洞窟やほら穴で修行をしていたと言われますが、
それは胎内をイメージし、生まれる前に戻るためと聞きます。

柴田町にある拆石神社にも、大武丸の洞窟に似た古墳があり、
その裏手が巨石群になってます。
阿武隈山地の鬼穴も、洞窟で鍾乳洞と繋がっています。
ここは岩鞍なんですが、入ってみたけど、真っ暗でムリ。
ここにも大武丸が亡くなった伝承があります。

話を戻し、それ以後、第12代の景行天皇で神が変わったような神社です。
意識の変化というものでしょうか。
「変わるまでの間」の繋ぎとして、第11代垂仁天皇の皇女である「倭姫命」が、
懸命に次の天皇(霊知り)や、神降ろしの世をどう立て直すか、奮闘していたわけです。
そして現在の伊勢神宮の内宮が(場所?)決まった。
しかし、それから「まつろわぬ民」の征伐が本格的に始まったような気もする。
倭姫命って、どーなのかなぁ。

それ以前の神というのは、どういうことか。
また、東北地方には、なぜ鹿島神が多いのか。
このへんを、わかりやすく伝えている神社が、中津市にありました。
大分県中津市に闇無濱(くらなしはま)神社という不思議な名前の神社があります。
それが、龍王宮なんです。
大分県にとんだのは、今、九州が大変な時なので、きっとここで繋げてくれたのだと思います。



看板の御祭神の
十代崇神天皇の御代、豊日別国魂神、瀬織津姫神、
十二代景行天皇の御代、海津見神、武甕槌命、経津主神、天児屋根神、別雷神
となっています。

瀬織津姫なんですね~。
武甕槌命(鹿島神)、経津主神は、景行天皇の時代に置かれた神となっている。
これは、次の神をおいて前の神様と統一しましょう。という風には聞こえない。

九州地方も、海賊(水軍)はたくさんいたのですが、
天変地異か病気の蔓延か、動乱も多く世の中がうまくいかないので、
天皇を変えたようにみえる。
新たな幕開けといった時代の転換期を線引きするなら、
「十代と十二代の間に何かがあった」と思わざる得ないのです。

これについて、言霊の話を思い出しました。
崇神天皇が初代天皇だったという説があります。
神武天皇=崇神天皇ということに。

「言霊布斗麻邇(フツノミタマ)」というのがあります。
日本語五十音の法則のことですが、具体的なことはわかりません。
その言霊布斗麻邇の発見は、1万年前まで遡るといわれ、
それを大成した「学問」として(易学のように)扱われていた事がありました。
しかし、それを表舞台から消してしまったという話なのです。
そのようにしたのが、崇神天皇だといわれます。

「二千年以前、崇神天皇により言霊の学問は世の中から封印されました。
この決定は人類の第二物質文明創造促進のための方便でありましたから、
後世物質科学文明が完成した暁には、当然言霊の学問はこの世の中に
復活しなければなりません。

その目的のために採られた施策の一つが古事記の編纂であった訳です。
その任に当った編者太安万侶の心は「後世の人には明らかに知らさねばならず、とは言え、
時が来るまではあから様に知らせてはならず」、
丁度出口なお女史の神懸りの言葉の如くであったに違いありません。
その結果が古事記の神話に見られる如く、神々の物語り、即ち神話という形をとった
謎々の物語となったのです。」


参照:「言霊とは」
http://futomani.jp/lecture/no184/no184.htm

古事記の物語の中に、言霊の原理が含まれているそうです。
確かに、たくさんの神々の名前が登場しますが、
それぞれ五十音に値するものと考えられます。
(私は古事記は難しくて読めない…)
それを降ろしてきたのが、稗田阿礼ですが、シャーマンな人というより、
ヒレという言霊か呪術をさすものかと。
それが「布」といわれるので、言霊でいう「ヒレ(霊顕)」の事。
比礼は、布のようなもので描写されますが、本来は言霊の五十音らしい。

また、ヒレとは、物部氏の祝詞にもあります。
なので、物部氏が関係している気もしますし、
「オラシ」という言葉は、オロチでもありますし、
ヤマタノオロチでもあります。



「アイヌ語の「オヤシ」は「精霊・鬼、または悪霊」とされ、
アイヌの精霊には「オヤシベ」(ベは「物」の意)がいる
(例として、イペカリオヤシ・ペンタチコロオヤシなど)。
ここから谷川健一は、アイヌの精霊信仰のオヤシからオラ(ロ)シ(邑良志)となり、
ベの部分が「別」と表記されたことで、「ワケ」と読まれるようになり、
オラシワケ君が成立したと考察している。」




物部氏は、「物の部」ということで、モノという精霊の部民という事です。
それが「鬼」なんですね。
瀬織津姫とも繋がりますね。
大武丸が物部くさい感じもします。
だから、十一面観音様というのも、納得いくような・・・。



また、三十三観音霊場の、三十三の意味も、言霊が隠されていました。
詳しいことはわかりませんが、闇から音を生み出したということで、
無から有に変わる転換期もあります。
陰陽の世界ですが、33は「ム」という音だそうです。
感じていることを、音で拾って相手に伝えることにしたというモノ。
それを「もののふ」といい、後に武士となった。

以前から、陰から陽に変わるというのは、気仙沼で感じてました。
だから私は陽の方の神様にお願いしたんだな…。
東北地方の動乱続きだった陰から、ようやく陽に変わるものだと思います。
だから、ここで「倭姫命」が登場するんですね!
かつて、同じように時代の転換期にあったと思います。
今、その時にきているというメッセージでもあります。
始まりは、九州と東北なのかもしれません。
今を耐えれば、明るい未来がくると私はポジティブに考えてます。

秩父が日本百観音霊場の最期の結願の地に選ばれたのは、
北緯36度(±5)の「ミロクライン」があると思っています。
鹿島神社、秩父神社、諏訪神社があるライン。
その秩父も影にされてます。

しかし、室町時代後期頃(たぶん)秩父は99ではなく、1か所増やして
100(百)の「モモ」にした。
これは、完全にする必要があったけど、人が神に近づこうとしたことへの
罪みたいなものを感じるのです。西洋人の思想にありますが、
9は、九曜紋もでてきましたが、9は、1ケタの最期。
次は、10。
1と0は、陰と陽ですが、「再生」のことを表していると言われます。
物部氏の十種神宝。

人は、いつまでも9で留まっているから、胎内の9から、
スイッチをリセットして、新たに0から生まれることが必要。
別に肉体を離れる必要はないのですが、それをずっと阻止させられていた。
それから、神奈備山の武甲山が破壊されたという妄想。。。
秩父札所を34か所にして100という完結にしたことを「罪」とした。
しかし、これからはモモの百になりますよ、というメッセージでもある。
ようやくその時代が到来。

その人間が神を超えるような超人的な人になることを拒んだ存在がいたのですが、
私は、それがシュメール人ではないか、と思う。(そーきたか)
金といえば、アナンヌキ?アヌンナキか。
という宇宙人がいる。
アヌンナキとシュメール人の関係は、日本人の精神に影響を及ぼしていると思う。

てか、私がそうなんだろうな。ワラ
だいたい、金やカネに興味なくても、金鉱脈という言葉に反応するねぇ。笑
大量に日本列島には金が埋まっているし。
地震で金が生まれるというのが最近の研究でわかったそうです。
これ以上妄想すると、現実に戻れないので割愛します…。

未だに人類は9のままに留まっているから、物質文明の「金(カネ)」に牛耳られ、
弁財天は、財というお金になってしまった。
財ではなく、「辯才天」と書き、これが本来のサラスバティです。
辯は、「言語の才能」といった意味をもつもので、
竹生島の琵琶湖は、辨才天となっているから、こっちが正しい。

単に民族紛争といった単純な話ではなく、
もっと人類にとって奥深い精神的な部分で大きな変革を神事で行ったと思うのです。
しかし、今の現代をみれば、破壊の一途をたどっているようにしかみえない。
それは、言霊を封印したことにあると?

闇無濱神社に戻りますが、九州の豊日別国魂というのは、豊のトヨなんですが、
登米(トヨマ)の「食べる=豊饒」というアイヌ語のトイオマ語源由来と繋がるものです。
そのくらい登米には古い時代の先住民と自然霊を降ろすシャーマン(巫女)がいたと思います。
そして登米もキリシタンの町でした。

さて、ずいぶん、長く書いてしまったので、続きます。
不思議な写真についてです。
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