秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

男鹿半島の真山神社

2017-09-10 | 東北地方の伝説(秋田県)
民間信仰の中で生きることに決めたナマハゲ。
真山神社のことは何かの機会の時に書こうかな、と思っていたのですが、
書きたい気がしてきたので、忘れないうちに書いておきます。
相変わらず、話が飛びますけど・・・。

真山神社は雰囲気がとてもよかったです。





真山神社は、正月3日の「柴灯祭り(せどまつり)」が有名です。
社伝によると、武内宿禰が北陸地方諸国に視察により男鹿半島へ下向の折、
半島の秀峰湧出矢山に登った。
この時、宿禰は使命達成、国土安泰、武軍長久祈願のために、
ニニギ命とタケミカヅチを祀った。







以来、修験の山とされ慈覚大師によって山を二分し、
北を真山、南は本山としたと伝わる。
比叡山延暦寺の守護神赤山明神と習合された。





赤山明神は、慈覚大師円仁が入唐求法の帰途、中国山東半島の新羅坊
(新羅の商人の居留地・朝鮮の僧侶であると偽って中国入国を企てた円仁が、
唐国から退去を命じられた時に保護してくれたのが新羅坊の人々であった)
から新羅船に乗り能古島に泊まることができたそうだ。
円仁は入唐の始めから新羅人に助けられ、在唐中も新羅人の中に潜り込み、
仏教弾圧の嵐の中でも新羅の人々に助けられ、帰国に際しても
無事送ってくれたのは新羅の商人たちであったそうです。(
三井寺:新羅神社考より)



真山神社へ行く手前に、万体仏堂があります。
このお堂がすごいんです。
木彫りの仏が千体も、ずら~と置かれていて圧倒されます。
遠野のオシラ堂を想像してしまいました。







「菅江真澄の道」より。
夕方、真山の関金七のもとに宿をかりた。
近くの村々から老女が大勢集まってきて、薬師前で夜籠りをし、
念仏を唱えた歌をうたい踊り、堂の板敷を夜どおしおしふみならして夜を明かした。

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柴灯祭り
真山神社境内の広場に焚かれる柴灯火の明りのもと、
男鹿地方独特の祓い神楽を奉納する「湯の舞」と、古い伝統的な湯立て神事である
「鎮釜祭」で、まつりは始まり、ナマハゲに扮する若者が神職にお祓いを受けた面を授かり
ナマハゲへと化し山へ戻る「なまはげ入魂」が行われます。
神楽殿では男鹿市各地で大晦日に行われる伝統行事「男鹿のナマハゲ」の再現や
お面や衣装が異なる男鹿各地のナマハゲの登場する「里のなまはげ」、
また郷土芸能として定着した勇壮な「なまはげ太鼓」の演奏が繰り広げられます。




ナハマゲの由来はいくつかあります。
・5匹のコウモリが年に一度だけ自由を与えてもらうので里で大暴れしたこと。
・本山へ降りてくる修験者がものすごい形相であったこと
・異国の人々が漂流してきたとき、その姿や言語が村人には「鬼」のように見えた等。



なまはげという言葉は、秋田弁で「ナモミ」といい、
「ナモミができる=怠けて囲炉裏の前にばかりいる」ことから、ナモミ→ナマハゲとなった。
怠け者を戒めるためにナモミを剥ぎ取っていたそうで、
「ナモミ剥ぎ」が「なまはげ」になったといわれています。

「ナモミ剥ぎ」は新年を迎える祝福の意味もあり、子どもやその家に嫁いだばかりの
女性が対象となり、怠け者を戒めるだけではなく災いを祓い祝福を与えるのが、
なまはげの役目とされています。
このことからなまはげは「来訪神(らいほうしん・一年に一度人々の世界に来訪し、
幸福をもたらすとされる神様)」ともいわれています。

※日本文化研究ブログ http://jpnculture.net/namahage/


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「ナモミ」の風習は、久慈地方、宮古地方などの沿岸の風習です。
ということは、このあたりは釜石製鉄があるように大きな鉱山資源があった所です。
秋田県も鉱山資源が豊富にあります。
私はナマハゲの姿は、山にいた鉱鉄民の姿だと思います。
仮面は、「客人神(まれびと)」といって、地元の人は、もてなすのです。
これは、ポリネシアンの風習にもあります。

※パプアニューギニアの仮面舞踏の一つ、バイニン(英語版)ダンス
すごすぎっ。


スネカ・ナモミとは、「訪問者は恐ろしい木の面をかぶり、わらみのを付け、包丁や刀を持った装いで、
怠(なま)け者をこらしめるために「すねに付いた火形をはがす」といって脅します。」

※スネカ(いわての文化情報大辞典)

ところで、真山神社を祀る神様が、ニニギとタケミカヅチというのは、
諏訪大社の相撲が似ていると思うのです。

神事である相撲は、ヤコブと天使の格闘に由来すると主張される。
ヤコブは天使との格闘に勝ったことで、神の使いとしての権限を与えられた。
神道で相撲の由来は『古事記』のタケミカズチとタケミナカタの力競べにあるとされ、
これによって国譲りが確定し、ニニギに地上の支配権が与えられることとなった。

ユダヤと日本の風習については、共通点がた~くさんあります。
知らないうちに、私たちは日本の祭りをヘブライ語で歌っているといっても過言ではありません。


(右:佐竹氏の神輿:実物)神輿も、失われたアークとする説があるね。

「神がモーセに対して家の入口の柱に羊の血を塗る事を命じ、
その教えに従ったユダヤ人の扉だけ過ぎ越すと言われた。
その模様が鳥居の形である。(神への目印)」

という話は有名なのですが、これが、岩手県に伝わる蘇民将来の話と同じものです。

「ソミンショウライ シソンモンコ☆」という呪い。
「中国古代文字、金石文字で書いた厄除けのおおまじない。
☆マークは、護身の秘法として唱える。
臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前の九字を切ることを表している。

九字は、蛇の意味でした。
蘇民将来の話は、旅の途中で宿を乞うた武塔神(むたふ(むとう)の神、
むとうしん)を裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄の蘇民将来は粗末ながらもてなした。
後に再訪した武塔神は、蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、蘇民の娘を除いて、
(一般的・通俗的な説では弟の将来の一族を、)皆殺しにして滅ぼした。
武塔神はみずから速須佐雄能神(スサノオ)と正体を名乗り、
以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたとする。
これが祇園祭りのルーツであり、実家では、お天王さまのお祭りとして伝わっています。

ユダヤの羊の血を玄関に塗って難を逃れる話が、日本では、茅の輪になっている。
尚武の神という意味で「タケタフカミ(武勝神)」という説もあるのですが、
朝鮮からもたらされた武塔神の説もあります。

鹿角と逆の地名がある「角鹿(つのが)」は、石川県敦賀の地名発祥。
ここに氣比神社を祭り、祭神が神功皇后と伝わります。
「意富加羅(おおから=新羅)の王子、ツヌガアラシヒトという人がいました。
田舎にいった時、牛がいなくなってしまったので、牛の足跡を追うと
村役人の家で消えていました。聞くと、郡公がつかまえて食べてしまったという。
ツヌガアラシヒトは、代償を求め村の社に祀る白い石を要求しました。
その石は美しい女性に変わり、交わりを迫ると姿を消したので、
追っていくと東の方へ行ったと知り、それを追うと、日本の敦賀までやってきたのです。



インドやチベットでは、宗教儀礼に牛を犠牲にして祭神にする為、殺す習慣があり、
村で牛が消えた話は、宗教儀礼を伝えているようです。
その牛が、日本ではムーダン(シャーマン)が武塔神からきている「武」であり、
男鹿半島にきた「武帝」というのは、おそらく、「武塔神」のシャーマンと考えられます。
その姿は、「頂に三尺の牛頭あり。又三尺のあかき角あり」

もっと妄想すると、ユダヤでなぜ羊なのか?というのは、
「日辻」という日を導く十字架という意味(イエスキリスト)説もあれば、
星に関係する話もある。
私は星だと思うのですが、要するに「カカセオ」という人がいて、
その星神を退治するという話につながっていそうなのです。
ナマハゲが外国人説というのがあるように、ユダヤ教が入ってきたこともあるでしょう。

二十八宿というのがあり、中国が由来なのですが月の恒星月27.32日に由来する。
二十八宿図の中にある牛宿のことを「稲見星(いなみぼし)」とよぶ。
北方玄武であり、西洋では山羊座のデータ星で、冬至に太陽が位置したのが山羊座。
古代メソポタミアでは、上半身はヤギで、下半身はコイの魚であり「エンキ」という。
下半身が魚といったら、禹です。
禹=エンキでしょう。
シュメール語でエンキは、en「王」、ki「小山」で水神とされる。
つまり、エンキが来るから気をつけろ!といった意味がありそうな魔よけとは、
大洪水がくる!と言っているのかもしれない。


山羊座

福島県の阿武隈川は、「アプ」と言います。
神奈川県の大山も、アフリ神社を祀っていますが、同じ水神です。
意味は、エンキの身体から水があふれる話があるが、それは「アブ」という水の精の
ことをいうのです。
大きな川が氾濫するのは、エンキが関係しているとシュメール人は考えたのです。
地下の淡水海のことを「アプス」というのですが、
「地下にあった大量の水」が、大地震と共に地上に吹きあがってきたことで、
今のような水の惑星になった説もあるのです。
もしかしたら、アプスが地下水の意味があるとすれば、
ノアの大洪水はアプスが原因ともいえそうです。

だからなのか、地下水が枯渇している場所に、大雨が降るという不思議な現象は、
アプスという何かが働いているのかもしれません。
そのため、疫神は牛宿からやってくる角の生えた魚のような神であり、
その星が地球に近づくと、「天から災いが降ってくる」と考えたのです。

修験者がホラ貝を吹く意味は、ギリシャ神話では、「貝殻をホラガイのごとく吹き鳴らしたところ、
ティーターンたちはその轟音にパニックを起こして潰走した。」
ティーターンとは、オリンポス時代の神とされ巨人だったということで、
法螺界も魔よけで吹くものです。

面白いことに、この前、熊本の友達が北東北の巡礼の時に、
法螺貝を持ってきてくれて、名取の那智神社で吹いてくれんたんだよね。

要するに、災害を引きおこす龍を抑えるのが牛の役目ってことなんでしょう。
牛は、アトランティス、龍はムーかレムリア。
災害を起すというのは、悪いように思いますが、
人類をどうするかという話があり、ざっくりとですが、宇宙がいろいろと関わって
今があるんですね。もう深すぎて妄想できませんけど。

ナマハゲ伝承は、そのような蘇民将来の話と同じように、
災難を防ぐ魔よけとして、ナマハゲが起用されたのだと思います。
もしくは、なまはげはいろんな天変地異をひきおこす精霊とされていたのが、
「蝦夷で以て蝦夷で征す」のように、同じ神が引き起こしたものは、
その末裔が償う運命にあるのでしょうか・・・?
そんな強い災いに対抗するには、怖い形相になるしかなかったでしょう。






とても立派なカヤの木。


カラスが社殿に入ってくるので、正面に透明の糸が張ってあるという説明書き。
カラスがこんな小さなお堂に入るとは珍しい。
その御堂とは、歓喜天といい、インドのガネーシャ(象頭人身)が抱き合っている姿を祀っています。

今のナマハゲは高齢者の孤独を慰め、
子供たちに地震の意識をもたさせたり、(なまはげ語り部隊)
いろいろと、世のために尽くしておりまして、それは本当にお疲れ様です。
と言いたい。笑。
平和な証拠です。


若い人たちにもちゃんと受け継がれている。
うれしいナマハゲ~。
恩荷の由来を読むと、泣けてきますよ。
※なまはげ太鼓「恩荷」 http://e-ogaonsen.com/taiko/
(秩父屋台囃子もよろしく・・・)

ナマハゲの精霊に会えて、本当に感無量でした。
私にはナマハゲは良い精霊に見えます。
地元の方の懸命な伝承のおかげです。
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だんぶり長者と安保氏(2)

2017-09-03 | 東北地方の伝説(秋田県)
谷内の五大尊舞の中で、「ハタヘイ」「ミミトゥ」というかけ声があるそうです。
「ミミトゥセンサ」と言って、柱を3回まわり、
左の耳に・・・(後は忘れた)確か「左」だった。
センサは、かけ声らしい。

私はこの「ミミトゥ」の言葉と柱を回るというところに、神話の話でイザナギと
イザナミが柱を回る時、先にイザナミの女の方が声をかけ、ヒルコが生まれたが、
それが上手くいかなかった(女から先に声をかける事)ので、
ヒルコを流したという神話を想像してしまった。



「左から回ったイザナギ、右から回ったイザナミが出会う。
そこで声をかけ、水蛙子(ひるこ)を生んだが、
ヒルコは弱い子(あるいは、不吉な子)だったので、
葦船に乗せて流して捨てた。次に、淡島を生んだ。

このことを天津神にたずねると、先に女が声を発したのがよくないというので、
今度は男から声をかけるようにする。
今度は成功したので、結婚して最初に生まれた子が淡路島である。
次に、身体は一つで顔が4つある四国を生んだ。
次に三つ子の隠岐島を生んだ。次に築紫島(九州)を生んだ。
次に壱岐を生んだ。
次に対馬を生んだ。
次に佐渡島を生んだ。
次に大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)を生んだ。
我が国を大八島国(おおやしまのくに)というのは、
これらの8つの島を先に生んだためである。 」


関東の山名に「関八州」というのがありますが、国生みのことです。
その最後の8番目の島、「大倭豊秋津島」が「トンボ」の由来になっている。
秋に飛ぶ虫で豊饒の意味があり、秋津という名前になったが、
トンボは、昔は「秋津」とよんだ。
神武天皇が、秋津島を見てトンボの交尾の形に似ているから命名したとか。
トンボが交尾している形は、ハート型なんです。
なぜ、秋津をトンボとよんだのかはわかりません。



さて、話を戻し、「ミミトゥ」が気になったのでちょっとネットで調べたら、
不思議なもので、「ミミトゥ」の意味を見つけた。(ネットって便利ね~)
驚くことに、秩父の皆野町にあった!やっぱり秩父・・・。
それが「己巳塔(きしとう)」というもの。

「諏訪平の己巳塔」皆野町指定有形民俗文化財。
「己巳(キシ:つちのとみ)の日、講中で集まり精進する行事を
巳待講といい、その供養に建てられたものです。
甲嶺居士謹書とあり、書、刻とも三沢の野沢禽斎(きんさい)とわかります。
背面に「享和2年(1802年)壬戌四月金沢村上郷講中」とあります。

巳待の祭神は、弁財天あるいは少彦名命で水を司り土を営む
農業神としてあがめられてきました。
また己と巳をともに「ミ」と読んだか「ミミットゥ」といって
耳を病む人が平癒の願掛をしています。
土俗的な民間信仰の幅の広さがおもしろく伺えます。

石は、金沢みかげ(火成岩)といわれる巨礫で、高さ136cm、幅93cmです。
金山川に寄った旧道から明治17年に秩父新道の現在地に移された。


写真はこちら。(皆野町)
http://www.town.minano.saitama.jp/bunkazai/machishitei/cat106/429/

ということで、「ミミ」とつく名前の人がいたことを思い出す。
神八耳命。ミミは、「己巳」であり蛇なんですね・・・。
蛇であったのを、ミミという言葉から耳になったとか?
神八耳命という人は、「我は天地創造した蛇である」といった意味の漢字?

神八耳命は、初代神武天皇の皇子、第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)「神渟名川耳」天皇
の同母兄で、多臣(多氏)及びその同族の祖とされる。


・・・なんとなく、安保氏と武蔵との繋がりと考えると、
やっぱりサンカなんですよね。
サンカは、蝮(まむし)といわれた。
秩父は多治比氏(タジヒ)という人が入ってきていて、
多治比彦王の系譜の子が土着して、武蔵に配流したと言われた人が桑名峯信。
この人が丹党首になり、一大勢力となる。
ここから、武峯→経房が秩父中村郷に住んだ。

前回の話と重なりますが、鎌倉時代に作られた横瀬の棚田が今も残っています。
長瀞にある白鳥という地名は、そのタジヒ系譜の丹経房の弟である行房がそこに住んでいた。
白鳥七郎と名付け、それが後に白鳥氏となるのです。
白鳥氏は、岩手県に多く痕跡を残しています。
安保氏も丹党一族だったので、ルーツはサンカなんだな。
ということは、白鳥氏もサンカがルーツにあるならば、
大和朝廷が迫害してきたのは、蛇信仰をもったサンカ征伐ってこと?

タジヒは「ミズハワケ」という。ミズハノメみたいな。
タジヒは古名であり、日本書紀には、「天皇初め淡路宮に生まれる。
生まれつき歯ひとつ骨の如し、容姿美麗、ここに井戸あり端井(みずのい)と日う。
すなわちこれをみて太子を洗う。時に多遅花(たじひのはな)落ちて井戸の中にあり
因りて太子の名となすなり、多遅花は今の虎杖花(いたどりのはな)なり。
故に多遅比端歯別天皇(たじひみずはわけ)という。

日本書記では、多治比氏をマムシとは言ってませんが、
古事記では、多治比氏のことをマムシと言っている。
また、三角氏の著書「山窩奇談」に「蝮天皇の史実」がある。
山窩(サンカ)の「田地火(たじべ)」という人がいる。
田地火の火を「ヒ」と言わず、「ベ」という。
なぜ、ベというのか?「ハンゼイさんの田地火だ」と、地元の人がいう。
ハンゼイさんとは、18代目の反正天皇(はんぜいてんのう)のこと。
「オオサザキと申しあげるのは、つまり仁徳さまですわ。
このお子様がイザホワケ17代、の履中さまでしょう。
その次が弟王で、マムシ天皇の蝮端歯別天皇です。
この18代のマムシ天皇が反正天皇でしょう」




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さて、ここでマムシとトンボが繋がりそうな気がしてきた。
まず、どの日本の古い史書によっても世界でもその認識ですが、
昆虫など節足動物をすべて「虫」と書いている。
昆虫は、デボン紀頃から登場し、巨大でした。(当時のトンボは70cmあったそうな)

これもきっと「環境」というメッセージがあると思います。
詳しくはわかりませんが「虫」は、みな同じ生物であるけれど、
秋に登場する秋津虫(島)は、池などの水に棲息し、その地の生態を維持してきた
昆虫かもしれない。

虫を3つかいて「蟲」と書くのですが、羽蟲は、鳥。毛蟲は獣。人間は、裸蟲。
要するにすべての生き物は、虫であり、鱗蟲は、魚や爬虫類となる。
人間も動物、魚や鳥と一緒。それは、生まれる時の胎児の姿が、
みなすべて同じ型をしているからです。
なので、哺乳類動物などお腹の中で育つ胎児とは、「虫」なんです。
その虫は、マムシをかたどったものだという。
3つの虫=マムシの古語なのです。
それが勾玉になっている。

また、虹も「虫」なんですが、なぜ、虹に虫がつくのかは、
「工」は見ての通り、天と地を結ぶ意味がある。
ですから、虫は蛇なんです。
蛇は天と地を結ぶ。それが虹になっている。

そーいえば、昨年の1月にオラクルカードと遊んでいて、
引いた3枚のカードに、アボリジニのユルルングルがあった。
虹蛇のことで、
過去がイナンナ。現在がアボリジニ。
未来がカップを手にした男神とでもいうべきプリンスだった。
面白い!



ユルルングル(Yurlungur)は、オーストラリア南部のアボリジニ、ムルンギンの(Murngin)
の人々の神話に登場する銅の体を持つ蛇。
聖なる泉「ミルリアナ(Mirrirmina、岩の錦蛇の背中)」に棲む。
ユルルングルは、彼の子孫でもある姉妹(WawalagまたはWawilakとして知られる)の姉が
泉に経血をこぼしてしまったことで長い眠りから覚める。

血とは月経なのかしら。
それから大洪水が起きるんです。
ユルルングルは、姉妹と子供を飲み込んでしまったので、蛇の集会が始まり、
結果、ユルルングル彼らの子孫を吐き出すことにした。(蘇生ね)
その時に使った魔法の音が、ディジュリドゥだそう。

さて、それで「蝮(マムシ)」も、虫ですが、マムシの語源由来は、
「本当」「真性」を意味する「真」がついた「真虫」からと言われる。
蛇は、「長虫」と書く。
毒をもっているからマムシは強いというので、真虫との説もあるが、
本当の虫とは、蛇という事で、蛇が発祥ということでしょう。

妄想するに、蛇とは聖書でいうアダムとイブにリンゴを食べるようだました蛇と。
だましたのではなく、リンゴを食べたら互いに裸であることを意識する。
その意味は、裸蟲の漢字にあるように、人間を意識したことです。
蛇がそうさせた。リンゴは、宇宙エネルギーのトーラスと言われます。

丹党が崇拝していた丹生川上神社(奈良県吉野郡)などで淤加美神とともに祀られているのも、
ミズハノメの水神である。
葦舟に流されたヒルコは、「水蛭子、蛭子神、蛭子命」と書く。
蛭子は、えびすと読む。
漢字の由来は、池沼・水田・森林や海にすみ、他の動物から吸血したり寄生したりする。
血を吸うのが、ヒルですね。
人間の血をわけた蛇ともいえる。

漢字は、中国が由来なので、和語ではわからない言葉の意味を、
漢字にしているので、上手くできてます。

それで、蛭子は、「水の恵比寿様」となると、大国主の子が事代主とか。
スクナヒコ説が有力ですが。
国譲りで、大国主が譲った歴史からずっとその系譜を継承していたのが、
ヒルコであり、オオヒルメムチであり、鹿角四頭だったと思います。
鹿角四頭とは、室町時代に形成された武蔵の武士団です。
成田氏、安保氏、奈良氏、秋元氏(宇都宮)。
17世紀、鹿角盆地に伝わる郷土の成立、由来について記している「鹿角由来記」がある。
詳細は不明ですが、八郎太郎も鹿角四頭によって伝承されてきたものでしょう。

もっと「トンボ」から妄想する話は、たくさんありますが、
混乱するので、このへんでやめておきます。


銀杏
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だんぶり長者は、サンカが系譜にあるかもしれません。
サンカとは何か。
日本人の多くが知らない存在であり、まだ明らかにされていない人々です。
私も実態は、よくわかりません。
昔は、差別があり部落もありました。
小学生の時に、全校集会で部落について、「えた・ひにん」の話を聞きました。
秩父でも被差別部落があり、昔は、婚姻をする際、部落の人かどうか確認していたそうです。
部落の人とは結婚できない。というのがあったのです。

日本人は、そのような歴史を隠そうとしますね。
触れないようにしてますが、それが問題だと思っています。
原発問題もそうですが、隠そうとする日本人の深い心の奥に、
迫害してきた先住民の傷跡が、全然、癒えてないのだな、と思う。

柳田国男の山人論に、「イタカ」と呼ばれた町があった。
会津の方ですが、最近まで夷、毘沙門などの画像を城下や村里の家に配り祈祷をしていたという。
その祝詞の中に「大黒神像」と「大神楽」「吉祥天」といった言葉がある。

サンカとイタクについて言及している話なのですが、
巫女は、盲巫や障害のある人が多く、イタコやサンカなどとの共通点もあります。
そこから朝廷により迫害されてきたのですが、
古事記のヒルコにあるように、障害をもっている人というのは、
私たちとは異なる姿をしているという解釈にあります。
ヒルコは障害ではなく、龍の子なんですが、それは人類とは違う姿だった。
かぐや姫や鶴の恩返し、豊玉姫伝承などもそうですが、
双子も不吉といわれた。

その家に何か不吉なことがあったと言われる。
そのため、残酷にも障害のある人は焼き殺されていたそうです。
そこにSTOPをかけたのが、「琵琶法師」です。
救ったのは、琵琶湖のある滋賀県。
そこに祀られている弁財天(竹生島)が、救ったと考えられます。
ただ、そのためには、天皇家から盲人の子を産まねばならない。
そして人康親王(さねやすしんのう)という盲目の皇子が生まれる。(平安時代)
さすがに皇子は殺せないからです。

この人康親王は後に琵琶湖へ行き、琵琶法師となる。
目が見えない人はシャーマンなので、弁財天とコンタクトをとっていたと思います。
この方のおかげで、盲人が救われたそうです。
また、トンボが教えた酒は薬水のことで、病気を治すほか、
不老不死があると思います。月がもたらした変若水で、ツクヨミです。

実は、大日堂は佐渡にもあります。
同じオオヒルメムチを祀るので、出羽三山に逃れた蜂子皇子をかくまった
話とも関係ありそう。佐渡から鳥海山、鹿角。
五ノ嶽は薬師如来であり、鳥海山大物忌神社も薬師如来です。
それはスクナヒコという小さい働きがあり、細胞を若返らす水であったからです。


佐渡の大日堂
https://www.visitsado.com/spot/detail0074/

また、水の祓いをしてきたのが、祓戸四神で、
その中に、トンボ由来の「ハヤアキツヒメ」がいます。
水門神=水戸神で、古代の河口を守ってきた女神。
で、鹿角にある猿賀神社が、伊岐水門で亡くなった上毛野田道になっている。
田道は、蝦夷が墓を争うとしたところ大蛇になって現れたと。
それで多くの蝦夷が亡くなったという話。

その大蛇を「深砂大王」といい、「しんしゃ」とよぶ。
砂なんですね。そして「しんしゃ」は、丹生の「辰砂」のことです。
ご神体が流れついたというのは、砂鉄や砂金のことかもしれない。
またそれを志波彦として祀っているのが、仙台市泉区の七北田川にある石留神社にあります。
赤い石といっているので、おそらく辰砂があったのだと思います。

またその水の祓いの中心にあったのが瀬織津姫といわれた荒神でした。
強い荒神というのは、罪深い人や無念の死をとげた人たちの鎮魂ができたからでしょう。
産鉄の工程の意味もありますが、産鉄族の多くが盲人だったという話もあり、
多くの人が、迫害されて亡くなっていることは確かです。

焼かれていく姿をまのあたりするなど、あり得ないことですが、
盲人はその状況は見えません。 
盲巫女がその霊の慰めをしていたのは、見えないからです。
また、鈴の音で祈祷をしていたと考えられるので、
秋田の唐松神社には大量の鈴があるのだと思います。
神降ろしは芸術のことですが、楽器を使うのはほとんどが盲人だからです。
見えない方が、シャーマンになる素質があると言われるからです。
また、今もそうですが、現実社会で生きていく苦労をサポートしてきたのが、
出羽三山と熊野修験だったんです。それが名取老女に繋がるんですけど。
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それにしても、東北地方の厳しい冬の寒さや環境の中で、
地元の豪族たちは、本当に真剣に東北の地と向き合って生きていたのだな、
と尊敬します。

右に自転、回転するか。左に自転、回転するのか。
抽象的ですが、「ミミ」は、右で「水」に由来する言葉。
そのため水をコントロールする龍の働きと考えた。
「ヒダリ」は、「火たり」で火。
天津神は、雷神で火を与えた。
国津神の水は龍。天津神の火で雷。

古事記でイザナギが生みだしたのは、すべて「島」です。
淡路島のおのころ島は、月見の名所があり、
「天の沼矛」から滴り落ちた塩と伝わる安産のお砂場があり、産宮神社となっている。
やっぱり砂。

ガイアならば、先に声をかけたイザナミは水だった。
それでヒルコが流されたというのは、地球を水の惑星にするため。(大洪水)
その後、イザナギが声をかけたのは火が必要なため。
それは、大地が海底から浮上した火山の形成。(陸の誕生)
ちなみに、男性の精子は、右回転に螺旋状に動くことがわかっている。
受精も右に回転するらしい。そして受精する瞬間、花火のように光が踊るんです。
これを生命のダンスというそうです。
つまり、天地創造=人類の誕生が全く同時期に行われていたんですね。
それまで生き物は、すべて卵で生まれてたのでしょう。
爬虫類が主だったとしたら。

卵で産んだ方が楽でしょうねえ。
でも、ここから産みの苦しみや痛みを知る。
魂を肉体に宿すためなんですね・・・。
う~ん、微妙な感じ。

左回転は落ち着くそうですが、もう深すぎてわからない。
とりあえず生きてれば、右だか左だかで回っているんだな、って事で。笑

火と水で世界中が災害にみまわれていることが今起きている。
それは、過去にも同じことがあり、それによって、日本列島などの島が
誕生した天地創造を思い出すことに尽きます。
災害のように見えますが、災いではなく、また新しい人類を創造するために
必要な過程と思うしかありません。

ということで、いつもこうやって深すぎてわからなくなる。
もう無理。
でも大日堂も龍とか蛇であって、弁財天なんだな、というのはわかった。
巫女さんがそのようにしてきたんですよ。

鹿角はこのへんにして。
また機会があったら、妄想する(かもしれない)
次は、ようやく行けた。
マトーのアテルイについて。
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だんぶり長者と安保氏(1)

2017-08-31 | 東北地方の伝説(秋田県)
昔、出羽国の独鈷(とっこ)村(現在の秋田県大館市比内町独鈷)に気立ての良い娘がいた。
ある夜、娘の夢に老人が現れ「川上に行けば夫となる男に出合うだろう」と告げる。
お告げ通り、娘は川上の小豆沢(現在の鹿角市八幡平小豆沢)で一人の男に出合い、
夫婦となって貧しいながら仲睦まじく暮らした。

ある年の正月、また老人が夢に現れ「もっと川上に住めば徳のある人になるだろう」と告げる。
夫婦は川をさかのぼり現在の米代川の源流に近い田山村(現在の岩手県八幡平市田山)に
移り住み、よく働いた。

ある日、夫が野良仕事に疲れうとうとしていると、一匹のだんぶり(とんぼ)が飛んできて、
夫の口に尻尾で2・3度触れた。目を覚ました夫は、妻に「不思議なうまい酒を飲んだ」と話し、
二人でだんぶりの後を追った。そして、先の岩陰に酒が湧く泉を発見する。
酒は尽きることがなく、飲めばどんな病気も癒された。
夫婦はこの泉で金持ちとなり、多くの人が夫婦の家に集まってきた。
人々が朝夕に研ぐ米の汁で川が白くなり、いつしか川は「米代川」と呼ばれるようになった。
夫婦には秀子という一人娘がいた。優しく美しい乙女に成長し、
やがて継体天皇に仕えて、吉祥姫と呼ばれた。
夫婦も天皇から「長者」の称号を与えられ、「だんぶり長者」として人々に慕われた。

年月が過ぎ、夫婦がこの世を去ると、酒泉はただの泉になった。
両親の死を悲しんだ吉祥姫は都から戻り小豆沢の地に大日霊貴神社を建てて供養した。
この姫も世を去ると、村人達は姫を大日霊貴神社(オオヒルメ)の近くに埋葬し、
銀杏の木を植えた。
これが、大日霊貴神社の境内にあった大銀杏と言われている。



-------------------------------------------------------------
「だんぶり」とは、「とんぼ」の事。
トンボが夫婦に美味しいお酒を教えてくれた話です。



大日堂の舞楽は、国指定重要無形文化財(昭和51年)
ユネスコ無形文化財(2009年)に指定されています。
毎年1月2日に舞楽が行われます。

3年前だったと思うのですが、この舞楽のポスターに一目ぼれした。
なぜか非常に魅かれ、それが「鹿角」という場所であることを知った。
まだその時は、鹿角がどこにあるのかわからないくらい無知だったのに、
今では、鹿角が私の生まれた故郷である秩父郡横瀬町と繋がりがあった事を知り、
実際、こうやって大日堂に参拝することも実現できた。



このような導きに、安保氏の存在を感じています。
それは、私に「八郎太郎三湖伝説」を教えてくれたNさんが、
鹿角出身であり、先祖が安保氏であることも。
Nさんとの出会いが、縄文土偶であり青森の柴谷さんのおかげでもあった。
また、その私たちの間に入って「括り(ククリ)」をしてくれたのが、
Rさんであることも。
みんなが先祖と一緒に、「ムスビ」をしてくれている。
みんなの霊統の働きがあって、今に至るのです。
そのためには、これからもずっと物語を伝えていきたい。
たぶん、先祖もそう願っているのだと思う。(どんだけポジティブ…)
そして今回の安保氏が武蔵と深い関わりがあることも・・・。

舞楽の起源は、養老年中の大日堂再興のため、都より遣わされた行基と共に
下向けした楽人により舞われたのが、大日堂舞楽の起源という。
この時、楽人より里人に伝承された舞楽は、大里、小豆沢、長嶺、谷内の4か村(集落)
で分担し、それぞれに地付神役として祭田が与えられ、別当や社人が各村の舞を組織している。


行基である天台宗との関係を考えると、ここも巫女が関係しています。
巫女と修験が伝えた舞ということで。
五ノ宮嶽の伝承にいろいろとあるのですが、長くなるので割愛しますが、
目を病んだ話があるので、薬師様は目の神様といわれるように、
この山も薬師信仰があります。
片目の伝承です。
-----------------------------------------------------------
さて、その4か所で分担する舞楽というのは珍しいと思いますが、
それぞれに意味がありました。



北から大里地区は、鳥舞、駒舞がある。
鳥舞は、だんぶり長者が飼育していた雄鳥、雌鳥、雛鳥の三羽。
大日霊貴神の御神体を刻む様を舞にしたもの。これを「バチドウ舞」という。




小豆沢地区は、田楽舞。
だんぶり夫婦が耕作の労を慰めるために始められた舞。
日本各地に伝わる田楽舞の中で最も古い。
また、五ノ宮嶽の隣にそびえる八森岳に龍が出て、それを鎮めるために
神のお告げにより獅子頭を奉納したのが起源といわれる。


おそらく、五ノ宮嶽を奥宮として大日霊貴神社が建てられたと思います。
長嶺地区は、吉祥姫の遺体を葬る様を舞にしたもので、「墓固めの舞」とも言われる。

谷内地区は、五大尊舞といわれ、金剛界大日如来と胎蔵界大日如来が、
だんぶり長者に化身し、それに四大明王(普賢、文殊、八幡、不動)が仕えた
様を舞ったもの。だんぶり長者の舞とよばれる。






説明にある「九字を切る」は、九の漢字由来は虫で、また虫は龍のことです。

すごいですね~。
説明だけでも、ワクワクしてきます。
かなり、陰陽五行説を用いた世界感があると思います。
舞については、実際に見て肌で感じてみないとわかりませんが。
一度でいいから見てみたい♪




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そんな舞が行われている御堂に入らせて頂く。
すごい!圧倒されるかっこよさ。
天井が高くて立派。
この空気は、鳥海山大物忌神社に行った時とよく似ていました。



天井に牛の絵馬があります。(暗くてすみません)



奥にオオヒルメムチを祀っているようですが、しばらくぼけ~と、真ん中で立ってました。
なんだか、不思議な感覚です。

すると、突然、ガラガラと大きな鈴の音と、柏手の音が聞こえてびっくり!
外をみると、ひとり参拝客が祈願してました。
気がつくと私は、奥に祀られているお社の前に背を向けて立っていた。
私が邪魔になると思い、慌ててすぐ外に出てきましたけど。
不思議な時間でした。

ところで、大里地区の「大日霊貴神の御神体を刻む様を舞にしたもの」が気になった。
この舞を伝えたのが、安保氏ではないか?という妄想。

大里地区は、大里氏が鹿角大里村の在名としたそうですが、
武蔵七党である丹党安保氏の系譜だと伝わります。
ここから、武蔵に繋がる。
ちょっと安保氏の話を。

私の故郷、横瀬の地名がでてくるのは南北朝時代。
南北朝時代に「安保文書」という古文書があり、そこに「秩父郡横瀬郷」とある。
これ以前は丹党安保氏の所領であったとされる。



棚田の裏山に横瀬館というのがありました。
横瀬六郎左衛門なる者の屋敷跡といい、看板にあるように町屋や古いお寺もあったようです。
ここに横脛悪三郎という人がいたそうです。
悪な脛(スネ)というのは・・・


詳細は、こちらで妄想してますので参考に。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/7aa8e506d7c06ed40a81cbc41e597e15

鎌倉時代に作られた棚田が今も残っています。
長瀞にある白鳥という地名は、丹経房の弟である行房がそこに住み、
白鳥七郎と名付けました。それが後に白鳥氏となるのです。

なので、武蔵の安保氏は、丹生(水銀)の丹党一族ですが、
丹党の中でも独立して、一族で築いたと言われます。

なぜ、安保氏が鹿角に向かったのかは、まだわかりません。
ですが、縄文に関係しているようです。
有名な皆野町の金鑚神社(カナサナ神社)があります。

砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている。
神流川周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたと考えられており、
御嶽山からは鉄が産出したという伝承もある。


不思議なことに、つい最近、知人が教えてくれたこと。
その方の友人の先祖が安保氏で、金鑚神社の多宝塔は、安保氏が建てたと。

※天文3年に阿保全隆から寄進された旨が記されている。
建立時期が明確であり、当地付近を拠点とした阿保氏(安保氏)との関連を示す遺構になる。(Wikipedia)




御嶽(御岳)の鏡岩(国の特別天然記念物)

金鑚は、神流川が山に入る入口にあたる。(川は海から山へ向かって流れる)
上流は、御巣鷹山。
そうです。あの御巣鷹山です。
日本航空123便墜落事故があったあの山です。

今でもよく覚えています。
小学生の時、庭で遊んでいた時に、上空を飛んでいたあの飛行機が、
おばあちゃんの裏山に落ちた!と。興奮しながら母が叫んだ。
祖母(母方)から、夕方、「秩父の山に飛行機が落ちた!」と電話があったのです。
秩父の吉田町からも消防や看護師が救助にあたったそうです。
しかし、あまりにもその状況が悲惨だったので、しばらくご飯が食べられなかったと聞いた。

縄文の森はことごとく潰される。

御巣鷹山は、群馬県多野郡上野村にある。(秩父との県境にあります)
「上野」という地名は、縄文遺跡があった場所につけます。
秩父神社の近くに上野という地名がありますが、縄文住居の跡地でした。

群馬は上毛野国、栃木は下毛野国といった。
当時は、上(神)が群馬でした。
なぜなら、女性酋長(おそらくナグサトベの一族)がいたからでしょう。
大日堂の舞に、遺体の葬り方を神事にするのが、
ハイヌベレからきていると思うからです。

上毛野国は、土蜘蛛がいたところですが、縄文人でもありました。
その御巣鷹付近からブドウ峠を越え、八ヶ岳~諏訪~日本海へと進む縄文ルート。

秩父は和銅という自然銅がとれたので、安保氏は武蔵丹党の一族と共に、
熟蝦夷になったのでしょう。
熟蝦夷とは、大和朝廷側についたエミシのことを言います。

武蔵から陸奥開拓へ行ったのは、蝦夷に対し、税金(年貢)を納めてもらうためでしょう。
直接蝦夷と交渉はしない朝廷だったので、土着になった豪族が、
田畑を開拓し、稲作を奨励し年貢を納めるよう蝦夷に指導した。
マタギの狩猟から農家になるためです。
それを最も強くすすめたのが、坂上田村麻呂です。

多くのマタギが農業へ移行したのだと思います。
それに反対したのが、安部氏や安東氏だった。
それから東北地方は大飢饉にみまわれる。
安東氏や安部氏が政権を握っていたら、歴史が変わっていたはず。
狩猟の生活に適した森があったのに、
農業を奨励したために、森が消え、水が失われ、
マタギは北へ逃れていきました。
---------------------------------------------------
さて、武蔵の安保氏については、また後にして。
舞の中でもうひとつ、気になったことがありました。
なぜ、ヒルコ=オオヒルメムチなのか。

つづく。
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大湯ストーンサークルと龍の復活(2)

2017-08-29 | 東北地方の伝説(秋田県)
水の災害が多いですが、このような大きな地球上の祓えというのは、
過去にもあったんですね。
そこがノアの大洪水に繋がってしまうところなんですが。。。
なぜか、こんな話に展開してしまう。
私もよくわかりません。

男鹿半島でみかけたマールなどは、「かんらん岩」でした。
瀬織津姫を祀る早池峰山も同じように、蛇紋岩の誕生は変わっていて、
地球の地殻の下部や、さらに下にマントル上部の
「かんらん岩」という地殻変動で上昇し、それが水と反応してできるそうだ。



その石を加工すると美しい緑色の石になり、8月の誕生石になる。
その意味が「夫婦の和合」だった。
まさに、八郎太郎と辰子姫のこと。


※早池峰山


※早池峰山

早池峰南麓の大理石も、もともとの石灰岩は日本周辺でつくられた岩石ではなく、
はるか南の海からやってきたものだった。
それがゴンドワナ大陸。



ゴンドワナ大陸は分裂し、移動が始まった。
南部北上へも北へ移動し、アジア大陸にぶつかった。
日本列島より古い北上山地。
南北で合体したのは、約1億年前。
その後、2000万年~1500万年前くらいに北上は大陸から分離し、東へ移動。
それを「北上島」とよび、北上島はやがて生成した日本列島に吸収され、
隆起することで北上山地となった。
その北上山地を爆破してリニアコライダーの長いトンネルを作ろうとしているが。
いずれ周辺では、地下水が枯渇すると思います。

ゴンドワナ大陸が出てきましたが、世界最古の航海をしてきた人たちと実証されている。
旧石器時代に、日本に上陸しているわけです。3万年以上も前から・・・
しかも目的は黒曜石だった。
黒曜石といえば、アジスキタカヒコネ。
---------------------------------------------
さて、そんな早池峰山には、磁場が逆だった時代の岩がある。
それで、なぜか、この事について八郎太郎が何かを言いたいのかどうか…。
気になる隕石衝突。


※大湯ストーンサークル館。

私はこの図をみて、なるほど~と思ったのですが、縄文遺跡(環状列石)があった場所です。
主に、日本海、信州、関東、北東北、北海道にある。
そのどれもが周辺に聖山がある。白山、富士山、岩木山、八幡平、羊蹄山、ニセコ、樽前山。
共通するのは火山です。
東日本と西日本の違いは、今の長雨をもたらす要因になっているところで、火山が関係している。
龍は水を司るといわれますが、水気のある東日本に集中してあるのは、火山帯だからです。
九州も火山がありますけど。

シュメール語で天を「an」という。
「ama」とは、母という意味。
「マ」は、ママというように母を意味する言霊。
「ma」は、世界の言語に共通する母の音です。

その母であるamaが、ameに転化して、雨になった。
だから龍は雨を降らす。

物部氏は雄物川を「モノ」と呼ぶようにしている。
以前は、違う川名でしたが、大物主のオオモノとも聞こえるけれど、
秋田に帰ってきた後、また北東北で大雨になったそうですが、
古来から雄物川は氾濫していたので、雄物川をナイル川と見立てていたと思う。
ナイル川はよく氾濫していたのですが、氾濫する時に東の方角にシリウスがみえることに
気づいた。それからシリウスを観測するようになる。
日本では、聖徳太子がシリウスを観測していた。

物部氏は、エジプト由来の人だと思うので、
ナイル川のように雄物川の氾濫を観測していたと考えられます。
氾濫を鎮める方法として、治水の技術を持ちながらも、呪術を行いながら、
川のそばに結界?を結んで龍が暴れないように、北斗七星を置いたり。
それは、諏訪のやり方なんですけど。

八郎太郎伝説の中でも、「七座の神」とのやりとりがある。
そこで大洪水が起きるのです。

その大洪水と「何かが」関係する・・・。
春分の時の太陽の位置で何かが起こっていたと思う。
縄文時代かそれ以前に、何か同じような事があったかもしれない。
噴火や地震、大雨をもたらす洪水などは、ノアの大洪水を彷彿させる。
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以前、友人から教えてもらった情報。
地下水の枯渇は、ポールシフトの始まりではないか?!

昨年の4月の記事ですが、「北極点がヨーロッパ方向へ急移動と研究発表」
というナショジオの情報。
これがずっと気になっていた。


http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/041200028/

「震災から地下水が減った」という話を聞いていたが、
磁場の移動(ポールシフト)の原因は、
氷河融解や地下水くみ上げなど大規模な水の移動という話。
詳しい事はわかりませんが、大雨をもたらす要因に、磁場が関係するのかもしれない。

「北極は東西へ行ったり来たりを繰り返し、全体的な傾向としてはカナダに向かって
移動していた。しかし、2000年以降の北極の移動は「劇的な変化を遂げた」と同氏。
カナダ方向から経度にしておよそ75度東に向きを変え、
子午線が通る英国グリニッジ方面に向かっているという。
移動は年に10cmのオーダーであり、北極の位置の再計算が必要になるほどではなさそうだが、
この変化が続けば、後の世代はそれを検討しなければならないとアディカリ氏は述べた。」

「自転する地球のある部分で氷が融解し、別の場所で水として落ち着くと、
自転軸は質量を失った場所に向かって移動する。
つまり、氷の融解と大陸の貯水パターンの組み合わせによって、
極の大移動が起こっているのです。」


気温上昇により、多くの地域で蒸発が進み、降水量が減っているため、
人口増加の影響で、貯水槽や井戸から大量の地下水が失われているという。

以前、龍泉洞のある岩泉で洪水があり、高齢者施設が流され被害があった事がありました。
地元の人の話から、以前から龍泉洞の水が減っていると聞きました。
その後に起きた大量の雨と川の氾濫でした。

アメリカで多くの水害があるのは、「地盤沈下」にあるそうです。
2015年カリフォルニアで洪水と浸水で大きな被害がありました。
その原因が、地下水の汲み上げ過ぎによって、前例にないペースで地盤が下がっていることが分かったそうです。
特に地下水で農業用水をまかなっている州中部は最悪で、なんと一か月に5センチ、
単純計算で一年で60センチも下がっているといいます。
そのため、浸水しやすい地形になっているという。

東京でも、戦後、地下水の大量のくみあげで地盤沈下が問題でした。
しかしその後、東京都では汲み上げを規制したことによって、今では全く逆の問題が発生しています。
地下水が増えて、地下室が漏水するなどの被害が起こっているのです。
1991年、JR武蔵野線・新小平駅では、地下水位の上昇によって駅舎が1.3メートルも上昇し、
線路を分断してしまうという、耳を疑うような出来事が起こりました。

実は、東京駅でもまた、船が停泊するときのようにイカリを地盤に打ちこんで、
地下水位の上昇によって駅が浮き上がるのを防止する措置が取られています。
上野駅に当たっては、すでに「地下水の中に浮いている状態」で、
イカリを打ちこんだり、鉄のオモリを置いたりして対策が取られているといいます。

※https://news.yahoo.co.jp/byline/morisayaka/20151017-00050562/

異常な洪水をひきおこしている地域は、アメリカだけではなく、中国南部、インドでもそうです。
人工が過密している場所です。
すべて地下水のくみ上げ過ぎが原因なのです。
要するに、洪水や浸水を引き起こしている要因は「人災」なのです。
なので、その原因を「温暖化」ですべて片付けようとしている人には要注意。

磁場の移動については、過去何度もあったもので、
少しづつある磁場が弱くなり、別の場所で強くなるものらしいから、
急激に180度ガラっと変わるものではないと。。。
でも、ポールシフトは着々と進んでいると思います。
私は全く気づかないのですが、友人は、朝、いつもと太陽の位置が違うことに気づいてました。

ポールシフトといっても、何がどうなるの??
てことでよくわかりませんが、一回くらい経験してみたい。
---------------------------------------------
しかし、ノアの大洪水には、隕石説がある。
それによって各地の火山噴火がおき、噴火は水蒸気なので水の雲となって天を覆った。
それが長雨の原因だという説。
以前、クマさんのガイドで、秩父の札所と地層を眺めていた時、
「不整合」というものを見た。



秩父は地層の聖地。
「ぶらタモリ」の番組でタモリさんも「さすが!」と、うなった地球の創世が
詰まっているので、実際、目でみて触れる事ができる。

例えば、恐竜の絶滅など、ある種が瞬時に絶滅したことがある。
6500万年前に、巨大な隕石が地球に衝突し、恐竜が絶滅したディープインパクト説。
月らしいが。
隕石衝突により、地球上に生息していた地上の動植物の多くが絶滅した時の境を、
K-T層といって、隕石衝突を裏ずける境であることが実証された。

それを物語る地層が、秩父金昌寺奥の院の地層にある。
その境は、専門家でも「空白」だといい、説明ができないと。

これらをひっくるめて「不整合」というのですが、通常は、平行に地層がミルフィーユ状に
重なるのですが、不整合は、侵食して削られた部分に次の時代の層が入り込むので、
その部分が空白になる。



この場合、赤い線から下の白い地層は、8000万年前の蛇紋岩と上の丸石が含まれる。
赤線の上の黒い地層は、1500万年前の礫岩層が重なっている。

しかし、その間にあった6500万年~5000万年前の隕石衝突があったと思われる
頃の地層が見られてもよいと思うのだが、およそ8000万年前の蛇紋岩のすぐ上に、
1500万年前の礫石が重なっている為、その時代に何があったのか。
その5000万年の間は空白と言わざる得ないが、その時に、恐竜が絶滅したという
隕石説と時代が重なるため、「瞬間」何かがあったと言わざる得ない。

ゴンドワナ大陸が移動して今の北上山系の形になったのは、
1500万年前である。その前に何かがあった。



メキシコのユカタン半島にある約6550万年前の小惑星衝突跡がある。
この隕石が要因だったのが有力となっている。
惑星説があるのですが、この衝突により巨大津波で流された岩石が発見されたという。

8000万年前から急に、1500万年にタイムスリップしたようなものですが、
その数字に脳がついていけません。
ちなみに、アトランティスが沈んだのは、約1万1000年前といわれる。

「瞬時にして絶滅した」説は、世界の科学者の間でも言われている話です。
その「瞬間」にあった出来事は、世界の地層でも不整合として現れているそうです。
その瞬間に起こったのが、ポールシフトだったとしたら…。

なので、春分の時の太陽の位置で、「瞬間に何かを感じる」と思ったのは、
はるか昔、何十万年も前になりますが、隕石(月)が地球にぶつかり、
その衝撃で月が生まれたと言われますが、突然訪れた隕石により、
種が絶滅したことがある。その時、人類も一緒に絶滅するはずだった。



しかし、人類は生き延びた。龍がそのようにしたという妄想。
山をググっと持ち上げて噴火を起こし、水蒸気で雲をつくり雨を降らせ、海をつくった。
そうして生命が誕生した。
それがノアの大洪水となり、そこから世直しが始まり、
日本列島の創世が始まったのです。

先祖供養に蛇や龍を神社に祀るのは、そういうことです。

龍は水の中で生きていたので、さほど支障がなかったのだろう。
陸で生きていた動物は、水の底。
生き延びた恐竜は、皆、海にいるネッシーのような姿になった。
大型から小型に変化した境が、この時から長い時間かけて行われていたと思う。

大量の水により、地球の重力が重くなり、自転の回転数が遅くなった。
それまで巨人や恐竜などの巨大生物がいたのは、水がほとんどなかったので、
体がとても軽くなっていたという。
しかし、水が大量に降ってきたことで、重くなり、恐竜は地上で体を支えることができず、
水の中で生きるしかなかったという。(水の浮力だと軽いので)
それから「3次元の世界に落ちた」という伝承がなされるようになる。

秩父金昌寺の地層に多くの仏像があるのは、
その時の出来事を記しているからだと思います。
その時何が起こったのか。
思いだすには、まだ長い時間がかかりそうです。

八郎太郎は龍だけど、人間だったからよく泣く。スサノオみたいに。
なので大きな池や滝ができた。
そういう世界で生きている方が楽しんだよね~。

今年は、八郎太郎が目を覚ましたから東日本は大雨が多かったのでしょう。
でも今度は冬の辰子姫が目を覚ます。
もしかしたら、今年の冬は厳しいかもしれない。
大寒波や大雪。
でもそれは、地球のためと思って、「その時を無事に過ごす」通過儀礼です。
ただ、その時が過ぎるのを待っていればよいのです。
ミサイルは別だけど・・・。
---------------------------------------------
さてさて、もう十分だったので、私は鹿角とお別れし、
もう気分は八幡平です。
4回目の八幡平。久しぶりでテンションあがる。
雨もぽつりぽつり降ってきた。
八幡平は霧が多いから遅くなるのは嫌だった。

が、主人があの黄金マスクのポスターを見つけたのだ。
大湯ストーンサークル館の出口に、あのポスターがあった。
「大日堂・・・」とつぶやく主人。
しれっとその場を去る私。



「鹿角の大日堂ってどこにあるの?」
そういえば、すっかり大日堂のことを忘れていた。
あれ?鹿角だっけ?
ですが、私は八幡平の温泉でゆっくりしたかったので、スルー。

しかし、主人は運転する隣で「鹿角大日堂」とgoogleで調べている。
「あ、ここから近いよ。行く途中にある」

・・・「途中にある?」
「途中にある~ぅ?」2回聞いた。

「うん、途中にある。」

く~っ。
オオヒルメムチが「よってけ、コノヤロ~」と言っている。(猪木風に)
あの黄金マスクでプロレスしたら勝つでしょ。
いやいや、世界遺産ですから。

ということで、鹿角はまだ続くのでした。
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大湯ストーンサークルと龍の復活(1)

2017-08-29 | 東北地方の伝説(秋田県)
龍の復活とか大袈裟ではありますが、ちょうどこのタイミングで
北朝鮮のミサイルニュースが飛び込んでくると、嫌だなあ。
というか、過去の歴史でも同じことがあったので、またか。という思い。
艮の金神が位置するのは、鬼門ですが。
世直しかね~。
私は良い方向にいつも考えてますが。

「通過儀礼」というのは、古来でも祈祷してました。
なんだか、この通過儀礼というのが、レイラインであって、
それが大湯ストーンサークルと、一致している気がする。
世の中の出来事が、八郎太郎と大湯ストーンサークルにシンクロしてきた感じ。

「その時を無事、穏やかに過ぎてほしい」という願い。
で、何の力を頼っていたか。
日本の鹿角の場合は、八郎太郎なんだね。

それにしても、アメリカのテキサス洲の大雨もひどい。
経済都市なので、ダメージは大きいです。
あの場所はよくハリケーンが通る場所で、大雨洪水はよくある地域ですが、
それにしても世界中の大雨がひどい。

考えるとぞっとする話なんですが、仙台では35日雨が降ってました。
でも、1日中雨が降っていたわけではないので、大洪水には至りませんが、
ノアの大洪水は、聖書では、40日間、昼も夜も降り続いていたという。
雨がまったく止まない状態で40日間降り続いたと。

実際、ノアの大洪水はあったのか。(私はあったと思います)
科学的に述べている興味深いサイトがあったので、気になる方は、
こちらを参考にしてみて下さい。
「旧約聖書の「ノアの方舟(箱船)と大洪水の伝説」は実話なのか?」
http://true-ark.com/noahs-ark/

※ノアの方舟想像図

ここずっと八郎太郎の妄想がとまらず、それにノアの大洪水が
やたらと気になってしまい。
八郎太郎も、ノアの大洪水が気になるんだと思う。。。
--------------------------------------------------------
八郎太郎三湖伝説に、鹿角の茂谷山のことが書いてありました。
秋田へ行く前に読んでいたので、茂谷山の事がとても気になっていたのですが、
実際、現地にいくと、その山がどれか確認する時間がなく、
まあ、いっかとなってしまう・・・。



でも、それが大湯ストーンサークル館で答えを知るのだから、不思議。
大湯ストーンサークルを見学する前に、館内の展示品をみていました。
私は博物館の説明ボタンがあっても集中できないので、いつも聞かない。

でもこの時は、ストーンサークルの模型があったので、
試しに説明ボタンを押してみた。
すると、そこに茂谷山の答えがあった!
「春分の日に沈む山が茂谷山です」という説明。
しかも、亀がつく山名や、大森山という山名もある。
これは確か秋分の日に沈む方角だったと思う。


クロマンタ(黒又山)

なるほど!レイラインてことだね?
もうそれが聞ければ十分。
まだ説明が続いているけど、さくっと見て館を出てきました。
主人は縄文には興味がないので、外でテレビをみてまして、
「わかった。ストーンサークルの意味は日時計なんだね」と言った。
なるほど。
結局、主人に教えてもらうことになる…。

しかーし、ストーンサークルを近くで見たかったので、
館を出て、看板をみて、おったまげ~。
「熊出没により、見学できません」



「!?」
・・・フラれた。
あ、そう。
熊ね・・・。
じゃ、しょうがない。





帰りに、道路から眺めて、よくわからない状態で写真をとっておしまい。
石が並んでいるね~。という感想しかなかった…。







でもネットは便利。
鳥の目線でみると面白い。
google earthでは、5本柱建築跡も見えます。(赤矢印)
丸い円状のものが転々としている。



上空からみても、大湯ストーンサークルは不思議な遺跡です。
星のように点在していた事がわかります。


こっちは拡大。

ここから深い妄想に入ってしまいます。
いろんな所に繋がってしまい、長くなってしまった…。

茂谷山について--------------------------------------------

さて、茂谷山は、「モヤ山」と言います。
調べてみると、モヤとつく名前は、秋田、青森に集中してありました。
まず、八郎太郎の伝説より。

・鹿角の神々との争い

南祖坊の闘いに負けた八郎太郎は、生まれ故郷の鹿角に戻った。
青垣の高い山に登ってみると、米代川、小坂川、大湯川の3つの川が集まる、
錦木の男神、女神の狭い谷あいが見えた。

「ははぁ、あの谷間を埋めて、3つの川の水を貯めれば、
俺の暮らせる湖ができるかも知れねえ」
と考えた八郎太郎は、毛馬内の茂谷山に男神、女神の間を挟み、
茂谷山を背負うために鹿角中のブドウ蔓と藤蔓を集めて、綱ないを始めた。

これをみて、鹿角の神様は、驚いた。
「こりゃ、大変なことになった。あのままにさせてしまったら、
鹿角中水の中に沈んでしまう」
鹿角の神様たち42人は、大湯の下の方に集まり、八郎太郎を倒す相談をした。
この神様が集まったところを「集宮(あつみや)」という。

まず、茂谷山を背負う気になっている八郎太郎に、石をぶつけ、
花輪の日向屋敷にいる12人の鍛冶衆や、金槌や、つるはしや、たがねなど、
いっぺんに作らせて石を切り出し、牛の背中に背負わせて、
集宮まで運ばせた。その石、あんまり重く大きいために、途中で血を吐く牛もいた。
それでその場所を、血牛(乳牛)とよばれるようになった。

こうやって神様が集まって自分を倒す計画と知った八郎太郎は、
「これではだめだ。神様には勝てねえ」と言って、
茂谷山にかけた綱をほどいて、鹿角から逃げだし、米代川へ下って行った。
茂谷山の中腹あたりは、八郎太郎がかけた綱の跡が今でも残っているという。

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へ~、噴火によって地形が形成されるような話ですね。
あまりにもスケールが大きい話です。

この後の話では、鶏が鳴き、突如、大地震と共に大洪水が起こり、
慌てて舟に乗って助かるといった話になっていく。
それから鶏の卵すらその地域では食べなくなったと。

大洪水があった伝説のようで、その洪水を引き起こしているのは、
八郎太郎という龍なのですが、八郎太郎も水がないと生きていけないので、
大きな沼地を造りたくても、なかなか作れないような話になっています。

最後は、田沢湖へいき辰子姫(龍女)と結婚し、夏は十和田、冬は田沢湖へ行くといった話です。
田沢湖は日本一の深さから、二人の愛がその深さを示しており、
また、その愛が年々深まっているので、田沢湖も年々深くなっている。
と言った話で終わっています。なんだか感慨深い話です。

さて、鹿角の神々との争いから、わかる人は、もうわかっていると思いますが、
古代アラハバキ、12人の失われた支族、ムーやアトランティス、
スサノオのヤマタノオロチ、諏訪神の洩矢、ピラミッド崇拝、などなど。
いろんな想像ができる話です。
もう全部この伝説で世界が凝縮されています。
よくこの話が残っていたね。そっちの方がすごいです。

靄山(もや山)というのが青森県五所川原にあります。
「モヤ」は、アイヌ語で「モイワ」のなまりで、
「モヤイワ」とは、「小さい岩」の意味があるそうです。

十三湖の靄山、藤里町の茂谷、田沢湖の南にある靄森山、八峰町の母谷山、
八甲田北部にある雲谷山など。
特に、靄山は岩木山と深い関係にあるピラミッドといわれる。
靄山は姉、岩木山は妹とされ、安東氏が人工的に土盛した説がある。
「モヤ」とつける名前に共通しているのは、独立峰(単独の紡錘型)であり、
土を盛ったような形をしている為、ピラミッド説が有力となっている。
そのため、古来から神聖視されていた山であると。


靄山(青森県歴史観光案内所より)

そう考えると、仙台のピラミッドは太白山で、
金星が落ちてできた山といわれるので、山頂に貴船神社が祀られていますが、
茂庭台(もにわだい)にある。「モニワ」という響きもアイヌ語を想像します。
太白山も伝説がとても多い山で蛇伝説もある。
ここにも安部氏がいたし。
岩も多いので、モイワがモニワに転じたとも考えられます。

母谷山(もやさん)がある八峰山は、菅江真澄の紀行に、
「蝦夷が住んでいた館があり、安部氏の後、安東氏が抗争で敗れた。」
ここは元は海上交通の監視を行っていたという。

伝説にある米代川の南は能代で、茂谷山があります。
能代の茂谷山の池近くには、エヒバチ長根窯跡が見つかっている。

「これは、鎌倉時代前半の窯跡。
昔からすり鉢(エヒバチ)に似た破片が見つかり、エヒバチ長根と呼ばれていた。
発掘調査では標高70 - 75 mの斜面に南北方向に掘られた3基の窯跡が確認されており、
生産された器種は、甕、鉢、片口鉢、四耳壺から経筒容器など8種ほどである。

この規模の窯を維持するためには、有力な支配者や経済基盤が存在したと思われるが、
ほぼ同時期にこの近辺での山岳仏教の盛地であった高岩山からは、
径甕(秋田県指定文化財)や四耳壺が出土している。
また、茂谷山付近には更に「瓶長根」や「瓶ノ沢」という地名があるという。」



※能代の茂谷山

このエヒバチの須恵器は、十三湊の安東氏関連遺跡から出土した須恵器と同じもので、
須恵器の起源は、朝鮮半島の加羅による。
新羅王の天日矛(アメノヒボコ)と関係し、須恵器職人を従えてやってきたと言われる。
3~6世紀頃のことで、秋田~十三湊では、すでにこの頃から大陸との交易がさかんだった。
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そんなモヤと結ばれるレイラインとは?
妄想するに、大湯ストーンサークルは、八郎太郎という龍が目覚めるための
祈りを行っていた場所。

八郎太郎の復活祭です。
なので、八郎太郎の出身地である鹿角に帰ってくるという意味は、
春分の日、茂谷山に日が沈む時、龍(大蛇)が姿を表すからです。
そのため、茂谷山は、人工的に土を盛ったピラミッドにしているのです。

それが新しい生を授かる魂の再生の働きがあり、縄文人は、ずっと長い間、
祖先である龍族に対し、何度もコンタクトをとってきたのですね。


大体の位置関係は、こんな感じですが、
春分日と結ばれる茂谷山は、岩木山にも繋がる。
そのすぐ隣に大湯ストーンサークル(星マーク)があり、
能代と二戸の茂谷山も繋がる。
北は青森県の雲谷山、南にはモヤという名前の山はありませんが、八幡平があります。
東西南北に点在するモヤ山は、八郎太郎が生まれた草木のあたりにぶつかるようです。
イエスキリスト伝承の戸来岳からマタギの阿仁地方、岩木山から先は龍泉洞に繋がります。

大湯ストーンサークルの石は、
安久谷川を使い、青緑石にこだわっているそうです。
諸助山という山の岩体は石英閃緑ひん岩で、その石を使っているそうです。

もうひとつ、この安久川からきている山を「四角岳」という。
老犬神社の伝承にでてくる定六が追った鹿(猪)がいたのが、
この四角岳という。この山に鬼がいて、定六がその鬼にだまされて
処刑されたと・・・。
むむむ。飢餓の原因がこの山にあるとされ、
この山は猿田彦神を祀っていた。なにかと繋がってしまうねえ。

マヤのピラミッドも同じで、春分の日になるとピラミッドに
大蛇が現れるように設計されている。
※ククルカンの降臨(http://isekineko.jp/tyubei-kukulukann.html)


なぜ、春分の日が大事なのか。
世界でも春分の日は、新しい命の誕生といった意味があり、
キリスト教では、イエスキリストの復活祭となっている。
1年は365日ぴったりではないので、
年々、3月21日だったり、20日にずれたりするのは、地球と太陽の位置がずれるため、
暦にもずれがでる。
日本では、春分の日に「春季皇霊祭」が行われ、歴代の天皇・皇后の霊を祀る儀式を行います。

ヘブライ語では「パスハ」や「ペサハ」とよび、「過越(すぎこし)」という意味。
その日が過ぎることを祈るというのは、「太陽が春分点を通過した瞬間」という意味。
春分の日に、何かが起きていたからでしょうね。
私は、この時に龍が降臨するからだと思います。
覚醒というのは、そういう事を示しているかもしれない。
人類の祖先を忘れないためです。
難しいところですが、何かが起こる瞬間の春分点に、
太陽が影響している事を示しているのでしょう。

それは、「その時を穏やかに過ごす」という意味もあり、
民間信仰では、丸い円の藁をくぐる。
縄文人は、出産でもそのような祈祷をしていたわけです。
産まれる時の星の巡りを観察しながらの出産。
火炎土器を使い、火をたいていた。

悪い星巡りに出産すると良くないので、その時は、穏やかに過ぎる時間を待つといったこと。
おそらく、神功皇后が三韓征伐に出産を遅らせた伝説があるのは、
悪い星巡りに出産しないように遅らせたものだと思います。
その伝説は、スサノオの牛頭天王のことです。

それで春分の日の現象とは、北極と南極でよくわかる。
この時を境にして、北極では昼の時間になり、南極では夜の時間になる。
これが半年以上続く。地球での陰陽の働き。

他にも、「モヤ」で連想するのは、モヤイ像です。
イースター島のモアイは、モヤイの「ヤ」の発音らしい。
まあ、どっちでもいんですけど、そのモアイ像が一列に並んでいる理由は、
春分の日に沈む方角を向いている説があった。
ある話だと、日本の方角を向いているという人もいる。
エジプトのピラミッドかもしれないし。

モアイの意味は、「モ」は未来。「アイ」は生きる。だそう。
未来に生きる。


画像:via Enjoy Your Holiday

イースタ島には、耳長族と耳短族の争いの伝説がありましたが、白人の植民地化というよりは、
はるか昔、頭にアンテナつけた宇宙人がやってきたという方が、面白い。笑
兎みたいな長い耳をつけた人。
角だね。因幡の白兎みたいな。

でも、なぜモレに関係するのだろう?
諏訪みたいな話だから?だんだんわからなくなってきた。笑
ですが、ここに、モレがいたことがなんとなくわかります。

モレの名前には諸説がありますが、母體(モタイ)とよぶ。(磐貝公母體)
アテルイが生まれたといわれる場所を、田茂(タモ)という。(田茂郷跡呂井)
モは、母の地名をあてる事が多い。
母袋(もたい)、田母神(たもかみ)など。
モタイは、龍の体ということで、龍の気みたいなもの?


アテルイとモレの碑(水沢)

八郎太郎が生まれた保田(ぼった)は、元は「ぼ」ではなく、
母の「モ」だったのでは?母田。
武蔵に「エタモイ」という人がいた。
イズモも「モ」

しかし、天の神々は、龍を黄泉の国にいてもらうことにした。
表に出ないようにしたわけです。
母は子供のそばにいたい。
でも、子供たち(私たち)は、父神のそばにいるようになった。
父方に育てられるよう、父は天神にされたわけですね。
それから天の神話になった。
日本では、大地の他に海が母神であることも。
海の母は、ウガヤフキアエズ。
日本は、いろんなお母さんがいていいね~。

天照大神は、アマである母を照らすのですが、アイヌ人や先住民にしてみれば、
自然の営みを育む大地とは、まさにそのまんまな地球です。
卑弥呼のような祈祷をする巫女は必要なかった。
歌や踊り、星の観察、宇宙の神話を語る。
それだけで十分、事足りていた。
そんな母と子が引き裂かれたような話があるから孤独を感じる。

現実的に考えれば、自然環境を利用し、治水工事を行った中国の禹の話でもあります。
山を崩して水を大地に流すような破壊的なやり方ではなく、
渓谷を変えれば、水の流れが変わるといった自然の景観をそのまま利用した
治水工事のやり方は、中国雲南省付近にいた禹の一族が考えたものといわれます。
その禹は龍族の末裔で、おそらく大洪水で助かったノアの末裔だと思います。

なので、船をつくり神に奉納する祀り方をしている男鹿半島の真山神社は、
先祖がノアだったから、「天の磐船」のことを伝えていると思います。
舟は先史時代から造られていたので、普通に乗り物であったものを、
わざわざ神に示すことはないのだから。
ノアの大洪水で使われたのは木ではなく、隕鉄だったかもしれないし。
諏訪の安曇氏も海民ですが、古代船を神格化している。

男鹿半島に上陸したノアの末裔。
また、鳥見山の伝承。それが二ギハヤヒとなっている。
ユダヤ=二ギハヤヒ、ナガスネヒコ=縄文だったら、
アテルイはユダヤ、モレは縄文で納得できます。
モレの子孫が北東北の安部氏で、安東氏となり、またその先祖はナガスネヒコ。
伊達政宗がナガスネヒコの子孫だと言われるから、太白山のオドガ森(聖なる山)にこだわり、
茂庭とし、太白という金星信仰と結びつけ、崇めたのでしょう。
金星は太陽神と結ばれ、アイヌ人はオオヒルメムチとして崇めたと思います。
それらの関係は、婚姻を結び、熊野修験は異類婚として伝承しているわけです。

鹿角にアテルイが逃れた伝承があります。
それは、八郎太郎の母神に会いにいくためだったと思います。
男女を入れ替えるというのは「君の名は」でもありました。
ミツハという名前は、ミツハノメという響きを想像するのですが、
それは水に棲息する生き物のような名前だな~と思います。
よって、それも八郎太郎と辰子姫。
この場合、入れ替えるというよりは、合体する場所ということでしょうか。

八郎太郎は、夏の陽を司る。
辰子姫は、冬の陰を司る。


で、これがまだ続いてしまう。
もう私はギブアップしたい。笑
でも、まだあるみたい。
八郎太郎と辰子姫の深い愛とは、地球の内部のことを言っているのでしょうか・・・?

つづく。
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マタギ犬を祀る老犬神社

2017-08-26 | 東北地方の伝説(秋田県)
宮城県では、連続35日の長雨になりました。
「やませ」の影響もあり、仙台は昭和9年ぶりの長雨記録になったそうです。
「昭和9年」の長雨で何があったか。
「昭和東北大飢饉」

「森と水の郷あきた」より
http://www.forest-akita.jp/data/kiso-bunka/kisobunka05/kisobunka-05.html

「北東北は、稲作の北限に位置していただけに凶作・飢饉常習地帯であった。
中でも、冷たい北東風「ヤマセ」によって冷害になる筆頭が岩手県北上盆地であった。
その過酷な風土は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にも記されている。

「奥羽地方ほど頻繁に深刻な飢饉がおこったところはない」というのが
歴史書の定説になっている。
南部・盛岡藩を例にとると、江戸時代に大小あわせて94回、
すなわち3~4年に一度の割で凶作に襲われ、
実に16年に一度は飢饉に苦しむ歴史を繰り返している。」

「飢饉の際に生まれた子供は、育てることができず「口べらし」と称して間引きが行われた。
当時は生まれたばかりの赤子は、霊的に未成熟で間引くことを神に返す行為とされた。
だから、そんな子供は墓ではなく土間や台所に埋める風習があった。
その間引きされた子供がザシキワラシになったと言われている。」

「凶作が決定的となった昭和9年、秋田県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると、
「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、
1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。

身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる仙北・平鹿・雄勝三郡であった。
一方、マタギの村・根子の記録によれば、昭和7年、戸数84戸のうち76名が農閑期に
鳥獣の毛皮、熊の胆の行商で潤っていた。
「年額8千円~1万円位の収入」があり、娘の身売り問題とは無縁であった。
秋田では、コメの依存度が高いほど、「けかち(飢饉)」の悲惨な歴史があったのである。」

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今回の秋田県の探訪で「マタギ」について、何かとても重要なメッセージを
受けている気がずっとしていました。
それが、今のこの長雨でもたらされた昭和の大飢饉と繋がっていることがわかりました。

「江戸時代、農民の食べ物は、租税、小作料納入の残りしかないから、
米を常食にするだけの量はなかった。
米は正月や盆の儀礼食くらいで、普段は麦、粟、稗であった。
米中心主義のおかげで他の穀物は雑穀と差別的な言葉で呼ばれるようになったが、
稗は冷害的気象条件にも耐えうる優れた作物であった。」

「だから、青森県の下北や岩手県の閉伊郡、奥羽山脈の山間地帯では、
稲を植えても実らない水田に稗を植えたという過去の歴史もあったのである。
北東北は、気候風土から言えば、稲よりも稗・粟であったはずだが、
それに逆らったために、凶作、飢饉を繰り返すことになったのであろう。
昔から日本は「米食民族」などではなく「米食悲願民族」であったと言われているのも頷ける。」


「マタギの文化を改めて見直す時期」ということを、
マタギ犬が伝えたかったことなんだろう。
その犬に導かれて、「老犬神社」へお参りしてきた事を今になって納得できた。

お米は食べようと思えば、今では食べられる。
震災で被災しても、餓死することなどない。
流通の発展、人々のボランティア精神など。
今は住みやすい社会になっています。
それでも、満足に食べさせてもらえない子供たちがいるのは、なぜでしょう?
「心の飢餓」
これだけは、誰も解明できません。
-----------------------------------------------------
さて、男鹿半島を抜けて十和田湖を目指していたのですが、
主人が「老犬神社」という看板を見つける。
「老犬」という言葉に何かを感じたのか、
どうしても行ってみたいという。

老犬神社は、有名なマタギ犬(秋田県)を祀っている神社です。
以前にもこのブログでマタギの老犬神社のことを書いていたので、
内容は知っていました。
まさか、その神社のそばに来ているとは・・・。(感激~)

主人が、老犬神社の伝説って何?
と珍しく聞いてきたので、「マタギには免許となる巻物が必要だったが、
たまたま狩りに出た日、巻物を忘れて~・・・・。」(めんどくさ)
途中で面倒になり、とりあえず、老犬神社の看板の説明を二人で食い入るように読む。





老犬神社の伝説
「旧南部領だった鹿角の草木に、代々佐太六と名乗るマタギがいた。
なかでも十七代佐太六の腕は優れ、領主南部信直から天下御免の狩猟免状をもらっていたが、
佐太六にはシロという子牛ほどもある猟犬がいた。

ある日、佐太六はシロをつれて狩に出たが、猪を見つけて撃ったが手負いになったまま
逃げるので、その後を追って三戸城近くまで行き、ふたたび猪を見つけて撃った
とたん姿を消してしまった。

そのとき、三戸城の役人が現れ、「城に向けて発砲するとは不届き千万」と縄をかけよう
としたので、佐太六が「私は天下御免のマタギ・・・」と言いかけて、
その日に限って巻物を忘れてきたことに気づき、言い分もままならず、
ついに三戸城に引かれて取り調べを受け、死罪と決まった。

主人の危機を知ったシロはひたすら走って家に駆けつけ、佐太六の妻に激しくく吠えたが、
佐太六の妻は何のことかわからなかった。
再び佐太六のところへ行ったシロは、佐太六から免状の場所を何度となく教えてもらい、
再びシロは山河を駈け戻り仏壇の下で激しく吠えた。

妻は、はっと気付いて巻物を見つけ、竹筒にいれ、シロの首に結んでやった。
シロはすぐに引き返し再び主人のもとへ走り続けたが、城に着いた時はすでに遅く、
形場の露と消えてしまった。

犬吠森という山があるが、シロが主人の死体をくわえて三戸城の見えるところに運び、
幾夜と続けて恨みの遠吠えをしたところといわれています。



---------------------------------------------------
私は犬が大好きなので、ムツゴロウのようにハグしたくなる神社です。
「マタギ犬はいねが~。」
と、ナマハゲ風に声をかけつつ(笑)、御堂の中までに入らせて頂く。(見学自由です)



たくさん犬が書かれた絵馬がありました。
犬好きというか、犬を本当に愛してやまないひとたちが、
その敬意をしるし、絵馬にその思いをつむぐ。
とても珍しい神社です。





ところで、この話はマタギ文化のある秋田らしい伝説だと思っていました。
が、どうやら実際にモデルになった人がいたようです。
え?もしかして実話?

看板の説明によると、「江戸時代頃、定六(佐太六)という又鬼(マタギ)がいた。
この先祖は、源頼朝の富士の巻狩の際、目覚ましい働きによって
全国通用の子孫永久又鬼免状巻物を頼朝公より拝領し、
代々相伝している家柄だった。」


富士の巻狩とは、1193年5月に源頼朝が多くの御家人を集め、
富士の裾野付近を中心として行った壮大な巻狩のことである。
巻狩(まきがり)とは中世に遊興や神事祭礼や軍事訓練のために行われた狩競(かりくら)
の一種で、鹿や猪などが生息する狩場を多人数で四方から取り囲み、
囲いを縮めながら獲物を追いつめて射止める大規模な狩猟の事。
マタギの大会みたいなものでしょうか。
「巻狩り」とも表記するそうです。

という事は、定六は、全国的に知られた有名なマタギだったことがわかる。
であれば、もし免状をもっていなくても、名前を聞けば役人にも伝わるはず。
しかし、これは巻物をもっていなかったという理由だけで、
定六は疑いをかけられ、処刑されてしまったのではないか、と思う。
定六に対する恨みをもったものの行為だったとしたら・・・。

「南部信直から天下御免の狩猟免状をもらった」とあるので、
南部信直の家臣だったと思われる。
「南部信直は、三戸南部氏の家督を継ぎ三戸城へ入城、信直の代へと変わる。」
その城主である南部氏に対し、「三戸に向かって鉄砲を撃った」ことが、反逆者とみなされたのか…。

しかし、Wikipediaによると、
南部信直は、駿馬と鷹を献上して誼を通じるなど優れた一面があったそうです。
・・・南部信直もマタギのような人だった?
その時代の家督争いが、老犬神社の伝説に由来しているような気がするのです。
南部信直=定六?と、考えていたら、なんと!こんな情報を見つけた。

「青森県のマタギといえば、目屋マタギ(江戸後期誕生)や
赤石マタギ(江戸中期誕生)が有名だが大川原マタギの歴史は古い。
平成二十二年には大川原かつて庄屋であった民家から南部藩第二十六代当主で
戦国武将南部信直の狩猟免状が見つかったのだ。
あわせて、マタギたちが山に入る際に身につけていた巻物「山立根本記」も見つかった。
南部信直の狩猟免状は、秋田県大館市の老犬神社にも同じものが保管されている。」



※「おやまのおもしえ学校」
http://matagi.omoshie.com/whats_matagi

やはり、南部信直も優秀なマタギだった。
おそらく、南部氏=定六の狩猟の民を崇拝するために語られた伝説なのでしょう。
しかし、無念な死をとげた人?だったか、マタギに誇りをもっていた人だと思うので、
マタギ犬がそれを知ってほしいと、私たちに吠えてきたのかもしれない・・・。
家督争いとか、今でも家族間のもめごとはある。
相変わらず、うちもカワリモノで手に負えない義姉がいますが。
今も昔も変わらない。


※四日市祭「富士の巻狩り」
暴れまわる大猪を諏訪神社境内へ追い込み、
子どもが扮した源頼朝公以下の侍たちが射止める。

諏訪神社でマタギ狩りの神事が行われているとは。
やっぱり、諏訪なのですね。
---------------------------------------------------------------
そんな老犬神社に導かれた後は、十和田湖へ向かいました。
ここは、静かな大きな湖ですが、湖畔の静けさは中国で感じた龍の気とよく似ていました。

つづく。
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男鹿半島のナマハゲと徐福伝説

2017-08-25 | 東北地方の伝説(秋田県)
男鹿半島に入ると、すぐナマハゲが歓迎してくれました。
ふっつーに考えてみると、すごい形相で巨大な鬼が、包丁を持って
「ようごそ~」とWelcomムードなのは、シュールすぎます…。



でも私の脳内ドーパミン放出。
「やっとここまできたよ~。」



が、私は秋田に来たといえば、ババヘラアイスだよ。
こっちが先。



ババヘラアイスは鬼に勝るものなし。
でも、能代の時はいっぱいあったのに、今回は2回しかババヘラをみていない。
だんだん、ババヘラアイスをするおばあちゃんがいなくなっているのだろうか・・・。
そんな心配は別によくて、それより、ナマハゲは人気です。
みんな写メとってます。

宿は、門前町というところにある場所でお世話になったのですが、
すぐ目の前が海で、裏手の山は、あの999段の階段を作ったなまはげ伝承で有名な
赤神神社と五社堂がある所でした。



なまはげ伝承は以前にも書いていたのですが、もう一度おさらい。

赤神山大権現縁起-----------------------------------------

秋田県男鹿半島に赤神神社があり、ナマハゲ発祥に関わる神社といわれています。

漢の武帝が(BC141~87年)白鳥に駕し雲の車に乗って男鹿に飛来してきた。
(白鹿に跨ってきたとも)
武帝は赤旗を立て、車の前後左右を五色(赤・青・白・黒・黄色)のコウモリが
囲んで付き添っていた。
神仙ではそれぞれの色を皇帝の座に重ねて漢の武帝は、赤旗とされたという。

この五色は、五鬼とされ眉間鬼、逆頬鬼という夫婦と、その子供である眼光鬼、
首人鬼、押領鬼の三兄弟だった。

男鹿半島についた武帝は、この地に開拓を五鬼たちに命じた。
鬼たちは懸命に働き、眉間鬼と逆頬鬼の夫婦は疲れ果てて死んだ。
三兄弟はその後も頑張り抜いた。
武帝は鬼たちに褒美として一日だけ好き勝手にすることを許す。
すると、鬼たちは里に出て人をさらったり、食べたり、恐ろしい乱暴を働いた。
そこで里人は考え、鬼たちと賭けをする。
五社堂までの千段の石段を鬼たちが一晩のうちに造り上げることができたら、
鬼たちの言うことを聞く。
しかしできなかったら、鬼たちは乱暴をやめる、という趣旨の契約だ。

鬼たちは寒風山の石を一つずつ運んで積み上げ、九百九十九段まで造り終えた。
まだ夜明けは来なかった。
だが、その時、里の知恵者が物真似の得意な村人に、鶏の鳴き声を真似させた。
一番鶏が鳴いて朝が来たと思った鬼たちは、地団太踏んで悔しがる。
あたりに大杉を根っ子ごと引き抜き、逆さに付き立てて暴れていった。

※東北不思議探訪 伊藤孝博著より



地団太を踏んで悔しがった「地団太」という言葉は、
タタラ(団太。足踏みのフイゴ)の事を言うそうです。

「鶏が鳴いて~」というのは、荒神(こうじん:あらがみ)に関係するそうです。
荒神の舞納めは、最後に神職がコケコッコーと鶏の鳴き声で終了する。
これは、陰(闇)から陽(光)の転換を示しているのだと思います。



荒神は、竈神(かまどがみ)として祀まつられる三宝荒神、
屋外に屋敷神・同族神・部落神として
祀る地荒神、牛馬の守護神としての荒神に大別される。
荒神信仰では、鶏を食べることで縁起があるといった風習もあります。
また、農耕儀礼に関わっているもので、火をたいた神事(火神)です。
おそらく、ここで農耕儀礼をやっていたと思いますが、
タタラ製鉄の祭りといえるかもしれません。



鶏の夜明けというのは、本山三宝荒神によると、
「夜の明け方に丑寅口を見まいらせ候へば さも凄まじき蛇体の姿にて」
と異形の姿は、丑寅の鬼門からやってくる邪悪な存在といわれる。

やっぱり蛇なんですね。
三輪信仰の影響もあると思います。

内と外は夜明けに時間の裂け目に訪れる。
鶏が太陽の「陽」の気を一番早く感じる鳥といわれ、重宝されています。
朝一番に鳴く鶏は新しい時間の始まり。
修験は、山と里の2つの空間を自由に行き来した。
自らの在り方を変えるために、洞窟にこもることをし、
修行を通じて、山と里の境界をひく。

村人は、そんな山には鬼が住むと考え、あの世を繋げる
働きをしていると考えていた。
また山に入ることで、内在にある自身が自然と一体化することも望んでいた。

※参照「神と仏の民俗 鈴木正崇著」
---------------------------------------------------
「菅江真澄の道:門前」
「1804年菅江真澄は次のような由来を記述している。
門前の浦に入った。袖垣に着物を干しかけてある。
小橋を渡ると萱ぶきの堂がある。何が祭られているのか。
飽海郡落伏寺(山形県遊佐町)、陸奥の黒石寺(岩手県水沢市)
などのように自然石をたたんで御坂としていた。
これも一夜のうちに鬼が集まって築いたという物語がある。





伝え聞くところによると、景行天皇の御代、近江の竹生島と同じく湧き出た山という。
紀伊国熊野新宮、本宮になぞらえ、金剛、胎蔵ふたつの峰として、いま、真山本山という。
円仁(慈覚大師)が仁明帝の承和4年(837年)のころ唐にわたり、
文徳帝の仁寿の年(851年~854)この山で修行され、天台の仏法を行い、
赤神山日積永禅院といったが、近世になって真言宗に改宗したという。
その昔、自寂院、仙壽院、印象院、円月院、照光院、泉光院など多くの寺があったが、
今は吉祥院、長楽院だけ残っている。



大門の仁王は運慶の作と伝えられている。
楼の大鐘は1392年に鋳たものである。
小堂はいかめしく、蓮の生えた池の面に半ばさしでて建てられ、
中島に弁財天の小さな祠があり、松が生いている風情はことにおもしろい。
板をはるばる登ると姿見の井戸があり。
この水鏡がくもって、姿がぼんやり映った人は命が長くないという占いもあるという。




九九九段の階段


姿見の井戸



またこの山に、五百人もの童をつれ、乱を逃れて不老不死の薬を採りに来たという。
秦の徐福の塚というものがある。

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菅江真澄が見ていた同じ風景を見られるのは幸せな事です。
何百年も変わらない風景が、どんどん減っている中、
東北地方には、多くの環境哲学の真髄が残っている。
その空気に触れられる幸福とは、厳しい環境の中で人々が生き抜いてきた姿勢にあります。


五社堂

徐福塚
「司馬遷によって書き表された中国で最も古い歴史書に
秦の始皇帝の命を受けた男が、童男童女数千人を乗せた舟で海を渡り、
不老不死の薬を探しに東方へ向けて旅立ったとあります。
今からおよそ二千二百年前のことですが、その向かった先が日本であり、
その命を受けた男が「徐福」だったと言われています。



徐福は、神薬(薬草)を求めてさまざまな所を旅したためか、
日本各地に徐福伝説が残されていますが、そのうちの一つが男鹿でした。
江戸時代の紀行家・菅江真澄は男鹿の門前を訪ねたときに日記に、徐福塚(墓)
を図絵と文章で記録しました。
それには「古、渤海及び鉄利の人一千百余人が吾国を慕い来て
出羽国に置き、衣食を給して還したと続日本紀にある。
その異国の人たちがこの処にいった頃、武帝の廟或いは大保田村の
蘇武塚や、この徐福の塚など、その当時祭ったのかもしれぬ」
と書かれています。



また、船越御役屋の役人だった鈴木重孝が書き残した
男鹿の地誌「絹ぶるい」にも徐福塚が記録されています。
しかし、その徐福塚は道路工事などで失われてしまったのか、
今では探しようがありません。
そこで門前に伝わる徐福伝説を後世に伝えようと、真澄の図絵を参考にこの地に
産する門前石で、徐福塚を復元しました。」


徐福は、オリエンタルユダヤ人なのでしょうか。
戻ってきたわけですね。
2000年以上も前に。ノアの末裔みたいな話ですけど。
徐福の一族か深い関係のある人が、男鹿半島に塚を祀ったようです。

これは平成17年とあるので、最近の復元です。
たくさんの人を引き連れて男鹿半島に来たようですが、
実際、ここでの生活はとても質素なものだったと思います。


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秋田へ来て一番感じたことは、「マタギ」です。
今回の旅で、又鬼(マタンキ)という鬼=キというのを強く感じました。

ナマハゲは、地元の人にとって恐ろしいものだと言われた。
しかし、古代舟をつくる技術はもっており、その道具も鉄で作り立派なものでした。





地元の人にその技術を教えたのは、ナハマゲといわれたマタギであり、
地元の人は今でも古代舟をつくり神に捧げているのが、「真山神社」なのです。
(真山神社については後ほど)

「なまはげ」という言葉も、「生剥ぎ」という動物の皮を剥ぐことに近いと思う。
生剥ぎというのは、マダハギ(マダの木の皮剥ぎ)から由来するものなので、
ナマハゲは、マタギなんだと思います。
ただ、ある解釈では、人間の皮をはぐという恐ろしい生贄と考える説もあり。
古代文明では、そういうことがあったかもしれない。
が、日本はそれ以降の歴史なので、生贄ではないと考えます。

仏教に殺生がありますが、マタギの場合、単純に殺すというのではなく、
マタギはそれを生業とし生きるためであったのだから、山神から与えてくれた恵みとして
受け取ると考えている。
昔のマタギは山に入るとき、身なりを綺麗に整える。
山神は女神なので、失礼のないように、といったことか…。
妻や女性が山に入ると、まったく獲物を捕まえることができないという。
獲物を捕らえたらアイヌの熊儀礼(イヨマンテ)のようにちゃんと天に返す儀式もやっていた。
なので、何度もそれを繰り返すので、「又(また)鬼になる」から
「又鬼(またぎ)」となったそうだ。

マダという木は、縄文時代から棲息しているシナ類の木です。
山野に自生する科(しな)、楮(こうぞ)、葛(くず)などの
草木から取り出した繊維で糸を作り、その糸を織り上げ、
衣装や装飾品として利用してきたそうです。
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ところで、男鹿半島に上陸したナマハゲは、「五色のコウモリ」だった。
赤神神社の由来にもあるように、菅江真澄の伝承によると、
「コウモリの窟に漕ぎ寄せて、舵で船端をたたくと、その音に驚いて
コウモリがむらむらと出てくるが、この中に五色のコウモリがいるという。
それで五色のコウモリが五頭の鬼になったという伝説があるのだろうか」





※舞台島

「五色の人種」というのは、オーパーツとして、太古の昔より火の神を祀る幣立神宮
(宮崎県)に五色のお面が祀られています。
太古の人のことで、神は、紫人(黒人)、白人、黄人、赤人、青人の五色の人類を造られた。




※漢の武帝が舞台島に降りたち、巫女に舞をさせた伝承。

この五色人が全世界に散らばって、現在の世界の人種になったというのである。
ということは、ナマハゲの赤は、ユダヤ人やアメリカインディアンをさす。
ナマハゲの青い方は、スラブ人ということに。。。


※高校生のためのおもしろ歴史教室より
http://feb27.sakura.ne.jp/episode06.html

オカルトマニアたちの間では、ナマハゲは地底のアガルタからきた
青と赤色の宇宙人で、悪いことをしたので地上に追放され、
人を襲っていたという。それがナマハゲなんだと。
でもそのナマハゲは、村人に知らない世界をいろいろ教えてくれた。

赤と青の宇宙人で思うことがある。
かなり前にみた夢ですけど、よく小さい頃からUFOの夢をみてました。
無数に飛んでいるUFOを高い階のマンションからみながら、私の両親を探していました。
会えると思って探していたのですが、会うことができす。
がっかりして後ろを振り返ったら、銀色の物体に青色のラインが入った
UFOがマンションの部屋の入口(マンションは知らない場所です)
に浮いていて、すんごいびっくりしたのを覚えています。
これが自分の親?と思っていると、実際の私の母が出て来た。
で母親のすぐ真後ろをそのUFOがス~と通っていくのです。
「あ、ほらUFO!」って母に言うのですが、母には見えていないのです。
マンガでみるような超高層ビルが立ち並ぶ近未来都市のような風景で、
空は完全な宇宙でした。

もうひとつみた夢。
今度は銀色の赤いラインのUFOもみています。
これは知らない人の背後にピタっとくっついているUFOでした。
守護霊みたいなものです。
そのUFOに乗せてもらい、森の中を飛んでいる夢でした。
いずれのUFOも小さいものです。
シュタイナーは宇宙的な形象をもつ物体(見えない)は、
アストラル界という世界に存在するものだとされる。
私が見た夢は、アストラル界に通じるものだったかもしれない。

ただ、なぜ、赤と青なんだろう?とは思っていました。
ナマハゲは、人間のような姿ではなかったと思います。
誰かがそのような現象としてとらえ、それが幻であったとしても、
長年いろんな人に伝承されていくと、人は想像を現実にこの世界に呼んでしまいます。
「権現」という目に見える姿としてナマハゲは現れたのでしょう。

それが鬼のような怖い形相であるというのは、人はそのナマハゲに、なにか
とてつもない恐ろしい力をもっていると潜在的に思いこまされたものだと思います。

しかし、そのナマハゲが1000年以上も前、いやもっと2000年以上も
信仰され続け、人々から愛されるようになったのは、
アガルタでは悪いことをしたが、地上で、ナマハゲは神になったのではないでしょうか?
民間信仰の中で生きることに決めたナマハゲ。
要は、人間がナマハゲを神にしたのです。
アガルタで追放されたというのは、人間から多くのことを学べという意味でしょう。
人間の神になりたくてしょうがない宇宙人は、た~くさんいます。

秋田県の海では(たぶん男鹿半島なのかな?)赤いUFOがよく現れることで有名です。
なぜ赤なのかはわかりませんが、赤神神社があるように、
赤い星を象徴としているものだと思います。

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もうひとつ、「五龍王」というのもあります。
荒神神楽では藁の龍をタツとよぶ。
神が霊としてあらわれる意味で、見えない霊を形象化させているもの。
王子舞というのがあるそうで、東西南北中央に青龍王、赤龍王、白龍王、
黒龍王、黄龍王を鎮める舞だそう。

やっぱり龍や蛇信仰にムスビつけられる。
蛇や龍は水を支配する。
それが大地と結びつき、蛇(龍)を剣や杖に見たて、それを保持する人物が王になった。
それが物部氏だったのです。

福や富、性の支配者、豊饒力とは、神楽にもみられ、
蛇の杖をもった姿とは、フギとニョカの姿であり、
水を支配する存在を、神として崇められた神楽は日本にはたくさん残されています。
大洪水の話、物部氏、オリエンタルユダヤ人。
はるか遠い伝説の地を求めて日本に辿りついた物部氏は、
静かにひっそりと秋田県で400年近く暮らしていたのです。

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ジオな男鹿半島

2017-08-23 | 東北地方の伝説(秋田県)
まずは、ジオパークな男鹿半島を。
あまり時間がなかったので、くまなく見ることはできませんでしたが、
面白い岩や海岸、八望台を楽しんできました。



寒風山も有名ですが、今回は行かず。
後で登山をするためにとっておきます。







海を見ながら走らせていると、「ゴジラ岩」という海岸に到着。
しかし、どれがゴジラ岩なのか全然わからない。





歩いていると後ろには、主人の他に、2組の夫婦がついてくる。
いやいや、私はゴジラ岩を知らないからわかりませんけど…。







みなで、あれがそうかね~・・・?
と、それらしき岩を別の方向から眺め、もうそれにしておく。
不完全燃焼で、ぼちぼち帰った。


※写真:男鹿なび:これがゴジラ岩

男鹿半島がいい!と思った理由は、ジオな世界があったからです。
火山はいいね~。


戸賀湾





八望台の展望は良かったです。
「マール」というのを見ることができました。



初めて聞いた言葉ですが、マールというのは、ドイツ西部のアイフェル地方の方言で
「湖」を意味するそうです。




3つのマール


遠くに見える山が、ナマハゲ伝承の真山(しんざん)


寒風山





「二ノ目潟は直径400m、深さ11.8m。
男鹿目潟火山群のひとつ。
一度の火山活動でできた火山を単成火山といい、
男鹿目潟火山群も含まれます。
この火山活動は、40万年前に起こりました。
火口の周りに噴出物が積もった丘があり、タフリングと呼ばれます。
目潟も単成火山ですが、丘がほとんどなくマールと呼ばれています。」






Wikiによると、
マール(英: maar)とは、マグマ水蒸気爆発による火山地形のひとつ。
水が豊富にある場所でマグマ水蒸気爆発が起こって火砕サージを発生し、
爆発によって生じた円形の火口の周囲に、少量の火砕サージ堆積物からなる低い
環状の丘を形成する。火口底が地下水面より低い場合は、中に水が溜まることが多い。
その場合、火口は湖となり、沿岸部では湾入する。
通常は1回だけの噴火で形成され(単成火山)、この点で成層火山頂上の火口(湖)とは異なる。


これはアメリカの水蒸気爆発。ウキンレク・マール群

「一ノ目潟は二ノ目、三ノ目潟とともに男鹿目潟火山群を構成しています。
東北地方では唯一の火山形態の一つであるマール(爆発火口)として
知られる淡水湖で、男鹿市の水源にもなっています。
直径約600m、水深約44.6m、6~8万年前に形成されたと考えられます。
また、地球の地下深いところから噴き出た岩石である「カンラン岩」が
見られる火山として、さらに湖底堆積物の層が縞状に堆積する「年稿」が
確認されている湖として、世界的に注目されている貴重な文化財です。」




このマールから「かんらん岩」というのがありまして、
なぜか興味をもった。
調べると、面白いシンクロに。
これを加工すると美しい宝石に変身。
「苦土かんらん石で緑色のもので特に美しいものは、
8月の誕生石であるペリドットとよばれ、宝石にされる。」
と。


ペリドット:8月の誕生石の意味は、夫婦の和合。
わ~、なんかシンクロ多いなぁ。夫婦神の和合だ~。



ペリドットは、含有する鉄分の作用によって、緑色を示す。
夜間照明の下でも昼間と変わらない鮮やかな緑色を維持したため、
ローマ人からは「夜会のエメラルド」と呼ばれていた。
後にペリドットは十字軍によって紅海に浮かぶセントジョンズ島から持ち帰られ、
中世の教会の装飾に使われた。200カラット以上ある大きなペリドットが、
ケルン大聖堂にある東方の三博士の3つの聖堂を飾っている。


は~、そーいう繋がり方ねぇ。
前回の秋田物部降臨地の話で、三倉神社の妄想してました。
「船岡の3人の貴人という伝承も、そっち系にいけば、
ベツレヘムの三人の博士みたいな話だ。」
と、なぜそんな話になったか、よくわからなかったのですが、
ジオで繋がるとは!
ペリドットの「東方の三博士」が、新約聖書に登場し、
イエスの誕生時にやってきてこれを拝んだとされる人物。


東方三博士

『マタイによる福音書』「占星術の学者たちが東の方から来た」としか書かれておらず、
人数は明記されていない。彼らはヘロデ大王に「ユダヤ人の王としてお生まれになったかた」
について尋ね、ベツレヘムへたどりつく。彼らはイエスを見て拝み、
乳香、没薬、黄金を贈り物としてささげた(この贈り物の数から「三人」とするのが定着した)。
ヘロデ大王は幼子を見つけたら、自分に知らせるようにと彼らに頼むが、
彼らは夢のお告げを聞いてヘロデ大王のもとを避けて帰った。
博士とは賢者の意味。


男鹿半島に到着した徐福の伝説があります。
錬金術師ですね。
火山の島には、宝石が眠っていることは知っていたはずです。

古い産地としては前述のセントジョンズ島があり、鉱脈は枯渇していないものの、
採掘が禁じられている。(wikipedia)
という事で、宝石も呪術的な信仰として生まれていました。
そのルーツは、旧約聖書にも登場するように、誕生石というもの。
誕生石を知っていた人でなければ、男鹿半島へ上陸することもなかったのでは?
誕生石の起源は、紀元前1世紀に遡り、ユダヤ古代史に記載されており、
石を四列に三個づつ合計十二個並べるそうだ。



「セントジョーンズと同じような島がある」という情報を聞いて、
男鹿半島に上陸したという妄想をしてしまう。
もしかしたら、その情報を伝えていたのが二ギハヤヒだったら面白いね。
それから、徐福がやってきたりしてね。(2000年前という話だから)
彼らは火山の島を重要視し、岩石を宝石にする技術をもちながら、
地球を堪能していたのですね~。

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秋田物部降臨地とノアの箱船

2017-08-21 | 東北地方の伝説(秋田県)
人の怒りが蔓延しているのでしょうか?
大洪水に落雷。1ヶ月近い毎日の雨。
特に太平洋側は。

しかーし、日本海側は晴れて青空がみえ、天気に恵まれました。
お盆後、また行ってしまいました~。
北東北へ。主人とGO!
今回は、Deeeeepすぎる旅でした。
高速は使わず国道をコトコト進み、鬼首から秋田入り。
雨で荒雄岳がみえず・・・。

協和町の唐松神社→三倉神社→男鹿半島→老犬神社→十和田湖・奥入瀬
→鹿角の大湯ストーンサークル→大日堂→八幡平→長者屋敷公園。

濃いっ!
濃すぎる!
秋田、青森(ちょっと)、岩手の3県をまたがる2泊3日。
老犬神社と大日堂は、予定外でした。
まさか、この2つを巡ることになるとはねー。
---------------------------------------------------
今回は、なまはげ伝承の男鹿半島に行きたかったので、
男鹿半島に宿泊してきました。
初めて男鹿半島へ行った感想は、すごく良い所。



なまはげは良く思われていないふしがあり、鬼が子供をとって食べるとか、
オカルトマニアでは、鬼くさい話をしているようですが、
こんな美しい空と海と島がある場所で、悪いことなんかできないよね。



寂しいとか孤独とか、住んでないから感じないだけなのか、
山よりは海の方が、開放的かもしれないな~。
日本海は美しい~。

さて、男鹿半島の話は後にしまして、もう一度行きたかった唐松神社へ、
また立ち寄りました。
秋田物部氏について、いろいろと書いていましたが、
勝手に書いてすみません。みたいな懺悔な気持ちを持ちつつ、御礼参り。
いつも妄想させて頂き、ありがとうございます。笑。

もう一度神社へ行ってお礼をしないことには、終わりにできないと思いまして。
行ってみたら、きれいなトイレができていたので、
やっぱり訪れる人が多いんですね~。
こんなにきれいなトイレが神社にあるなんて。。。普通ないですよ。



天日宮の裏にある丸い石を前回全く気づけなかったので、
今回は、しっかり石に触れてきました。
秋田物部文書によると、秋田物部氏は、北方のシャーマンではないか、という説があり、
私もそう感じることがあります。



秋田物部文書より
「二ギハヤヒが天降ったというこの山岳地帯一帯は「哮ヶ峰」という所であるが、
古代難波から大和への経路は必ずこの街道を通らなければならなかった。
その頃、大阪湾は深く内陸まで食い込み、今の枚方市のあたりまでが入江になっていた。
そんな折、北方系のシャーマンと南方系の稲作文化をもった一族が南方系の
樟舟(くすふね)に乗って大阪湾から淀川を遡上、この哮ヶ峰に定着した。
当時大和は狩猟民族である原住民が住んでおり、野山をかけめぐっての生活が主で
あったが、二ギハヤヒ一族が持ってきた高度な文化は原住民を支配し、
当時大和に勢力をもっていたナガスネヒコを懐柔し、小国家を形成した。」


唐松神社へ向かう途中、雄物川を通りました。
大きな川です。
でも、先月の大雨で氾濫したので、立ち入り禁止の看板が見え、
まだ復興中の所もあるようです。

秋田物部氏は、日本海の大陸から鳥見山(鳥海山)へ天降ったと考えられるので、
先に到着したのが、男鹿半島ではないか、といわれている。
男鹿半島に漂着し(漂流したこともあり得る)、雄物川を下って協和町境に入ったと考えられると。
そうなると、秋田物部氏は、大和物部氏とは異なる民族だった可能性も。



男鹿半島に最初に漂着したと考えるならば、ナマハゲ伝承やマタギの風習、
古代舟、龍信仰、大湯ストーンサークルから大日堂に伝わる舞などは、
秋田物部氏の影響を受けていると考えられ、実際行ってみて感じたのは、
古代アニミズムの自然霊というもの。

後で詳しく述べますが、秋田物部氏が何を残したのかは、
個人的に感じることですが、やっぱり「モレヤ」だと思うのです。
「モレ」という言葉がずっとありました。
アテルイとモレの。
秋田~青森~岩手で巡った最後が、アテルイの伝承地でした。
この伝説は知っていたけど、アテルイとは知りませんでした。
岩手で「長者」といったら、アテルイなんですね。
アテルイは個人の名前ではなく、マロに征伐された長をアテルイと呼ぶのです。
こういう終わり方が、やっぱりアテルイとモレなんだ、と思う旅でした。

秋田へ行く前から、気になっていた山がありました。
実際その山を目で確かめることはできなかったのですが、
それが「モレ」という言葉と繋がっているのではないか、と。
ふとそんなことを思っていたところ、大湯ストーンサークルをみて、
なんとなくわかってきた気がします。
--------------------------------------------------
雨が多いことと、大洪水という出来事がシンクロしてしまった。
それが今回の旅で気づかされたこと。
それは、龍そのものでした。
これが龍の働きなんだ、と感じることがたくさんありました。
それは、自然の中で生み出される「水」にあったのです。
水というか、靄ですね。「もや」
霧のような。中国の方がもっとすごかったけど。
レムリアかもしれないけど。ムーなのかなあ。


唐松神社蛇頭神楽(秋田民俗芸能アーカイブ)
http://www.akita-minzoku-geino.jp/archives/5422

それで、その龍という気のような風のような何とも言えない
空気感というのは、ミシャグの洩矢なんだと、改めて思いました。
言葉では説明できない、聡明で存在力の大きい何かが包まれているような感じ。
後の「守屋」は、大和物部氏だったかもしれないね~。



意外にも東北地方には「諏訪神」というのが似合わない気がする。
変な話ですけど、諏訪というよりは、モレヤと言った方が似合うのが秋田です。
アニミズムな諏訪神が鎮座している土地だと感じます。

実は、秋田へ行く前日、主人が「君の名は」のDVDを借りてきたんです。
話題になっていたので見たのですが、あれは諏訪湖ですね。
隕石が落ちてできた湖が、確か、諏訪湖だったと思います。
でも、私は隕石で思う湖といったら中国しか考えられないですけど…。

諏訪湖は、小太郎の母が龍でした。
そんな伝説が残されていますが、それは十和田湖も同じ。(隕石でできたのではないよ)
十和田湖も龍神です。

ミシャグとマタギとナマハゲと龍。
なぜか、しっくりくるのですが、それが残っているのが秋田なのです。
このあたりは、後ほど、妄想します。(あくまで妄想ですので)


-------------------------------------------------------
さて、もうひとつ行ってみたかった神社がありました。
唐松神社の近くに三倉神社があります。

伝承によると、船岡字合貝という地名で、
往古、尊貴3人騎馬にて通りかかり、この地に小休止した。
鞍を脱いでこの処に置いたので、三鞍さんとよんだ。
他には、清水の湧き出る所があり、水眼病に効果あり、
信者が訪れて治療につとめたことから、「盲」即ち「めくら神社」
が訛って「みくら」になったという。




この三倉神社付近に「十種の神宝を奉じ居住した」と伝わる。
いつの時代か不明だが、かつてこの神社に十種の神宝を一時納めていたというのです。

「盲」ということも十分、考えられます。
盲巫ということです。



おそらく、秋田物部氏の祈祷や呪術は、治療や道教に関係する蘇生など、
一般の庶民に向けて行っていたと思われます。ヒーリングですね。
そのシャーマニズムな祈祷は、後に、イタコやオカミサンやオナカマサマなど、
修験や盲巫に秘法といして受け継がれたのが、巫女の道具になったと思います。



秋田物部氏が北方シャーマニズムの由来があること、
巫女の道具も、北方シャーマニズムに酷似しているということ。
偶然ではなく、同じ民族であった一族どうしで、北東北を開拓しながら、
自然霊と共に暮らしていたことは想像できます。
なので、北東北にはイタコが多いのです。

また、「三」という数字をあてているのも、
住吉三神が考えられます。

唐松神社には、神功皇后の伝承がありますが、
三韓征伐を果たした神功皇后は、その帰り男鹿半島に立ち寄り、
さらに生保川(雄物川)を遡上、石見川(岩見川)を経て、船岡の地に上陸し、
皇后はその地に船玉大神を祀ったという。

この神社の祀神は、海神の表筒男命、中筒男命、底筒男命の住吉三神。
この三神は、神功皇后を加護したと伝わる。

思いだしたのは、仙台の愛子にある諏訪神社です。
諏訪神社は、本来、住吉三神でした。
愛子は、秋田物部氏が「愛子神」の護符をもっていたこと。
また愛子は、早くにキリスト教が伝わっていたこと。
伊達政宗の長女が、愛子のキリスト教に深く関わっていたこと。



唐松神社の天日宮は、聖杯だと思っています。
聖杯を丸い石で胎水とみたて、丸い石は、出産のオブ石のこと。
子宮の意味があると思います。
「大地母神」のかなり古い時代のマリア様を感じます。
要は、天日宮はお母さんのお腹みたいなもので。
そう考えてみると、天日宮は、女性的で幼い少女の純粋なイメージがあります。
とにかく印象としては、明るくて元気。



なぜ、船岡という地名なのかは、
船が転覆してしまった(突如、大嵐がきて)のがそのまま丘になったという。

こういう話をきくと、ノアの箱船を思うのです。
船がそのまま丘に乗りあがったということを伝えているわけです。
それは、深い話になっていくのですけど、
ノアを助けたのは龍みたいな存在というか。
大洪水を起したのも龍(水)なのです。
でも、人間を残したかったのでノアを助けたんですね。
ノアの種を残すことは考えていたので、人類が滅亡することは免れた。

しかし、そのトラウマがある。
天からみていた羽をつけた人間に近い?ある存在が、
それを良しとしなかった。
なので天から地上におりてきた。
おいおい、的なツッコミ程度だったと思うが。笑
話が違う、と。
なんなら、自分らが人間になろう、と。
アヌンナキだっけ?
人間(ノア)は、未熟と思っていたから、私が王になろうと言ったのが、
シュメール人の祖といわれる存在だったと思います。
アヌンナキとかエンキとかエンリルとかいろいろシュメール文明に出てきてしまう。

それから龍を信仰する人たちは、ノアの末裔となるのですが、
大洪水を引き起こされて、また人類が滅びるのは困る為なのか、
それとも龍神という何か宇宙的存在を祖にしているから、
喜ばせるために、石棒を立てて神を降ろしてきたのか・・・。

要するに、秋田物部氏の祓えというのは、ノアの大洪水のことを示しているのでは
ないかと思うのです。大洪水を引き起こしてしまったのは人間の罪があったからです。
欲望と説明されていますが。

混沌とした「中ツ国」の祓えを祝詞としているのは、
「葦原中国」のことです。
秋田物部氏の祓に「日高見国」はないんです。

葦はシュメール語で「gi」「ギ」という。
自分たちが住む場所を「gi」とよんだ。
イザナギの「ギ」でしょう。
シュメール人の祖、エンキがいた所が、神話でいう葦原中国という話がある。
エンキの意味は不明ですが、「水」に近い意味があるそうです。
霧のようなまだ地が治まっていない世界=エンキ=葦原中国


※エンキ(水が流れている)

そういう世界観を知っていた秋田物部氏だったので、龍封じの祈祷をしてしまうのです。
大洪水を起さないために。
自分たちの祖をどこかで抑えてきた感じがします。
それは地震にも繋がっています。

この「gi」が「キ」になっているのですが、
巨石に書かれた古代文字に、「キ」が書かれているのですが、
男神の意味があります。
盛り土の小さい山も、シュメール語で「ki」という。

船岡の3人の貴人という伝承も、そっち系にいけば、
ベツレヘムの三人の博士みたいな話だ。

「往古、尊貴3人騎馬にて通りかかり、この地に小休止した。」
とありますが、ユダヤ人であると思うので、

「キリストがベツレヘムで誕生した直後、東の国で誰も見たことがない
星が西の空に見えた。3人の博士、すなわちカスパール、メルヒオール、
バルタザールらは、ユダヤ人の王が生まれた事を知り、
その星に向かって旅を始めた。」

この伝承は、ベツレヘムの道を進み、星が止まった真下にマリアに抱かれた
イエスを見出す話になっています。

船玉神社には、神功皇后の妊婦姿の絵馬や、
子を抱くマリアのような像があります。

住吉三神の「筒」は、星なんですが井戸の水の意味がある。
水=星と捉えていた三つ星。
オリオンと思うのですが、違う星のことを言っているかもしれません。

秋田物部氏にとって、神功皇后とは、マリアと重ねている部分が見え隠れしている。
ま、このへんは、自由に妄想して。

ところで、西日本と東日本の天候が見事に逆転してますね。
西は晴れで東は雨。
こういうところで、何か繋がっていそうな縄文聖地のある秋田ですが、
秋田物部氏の妄想はこのへんにして、
次は、とうとう来てしまった。
いや、導かれてしまった・・・ナマハゲに会いにいく。

おまけ------------------------------------------------
「目覚めの水」 

応仁の昔から神室道中及び有屋峠を越える
金山道中の力添えの水として人々に愛飲されてきた清水。
ゆざわジオパークで見ることができる岩石の中で
一番古い年代のもの。
この岩石は、約1億年前にマグマが地下の深いところで
ゆっくりと固まってできました。










目覚めの水・・・龍の目覚め。。。
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秋田物部氏のアヒル草文字

2017-07-24 | 東北地方の伝説(秋田県)
先週、また「秋田物部文書」の本を図書館でかりてきまして、
そろそろ8月に入る夏の時期になると、なぜか、秋田物部妄想にスイッチが入ってしまいます…。

2014年の夏に秋田唐松神社へより、妄想ブログ書いてましたが、
それ以来、梅雨明けのお盆近くになると秋田物部妄想をしてしまう。
2015年の8月もアテルイと物部氏の妄想し、暑い中、出羽神社(胆沢)に行ったのを覚えています。

今回も、8月に秋田の方へ行く予定なのですが、(あくまで予定)
雄物川の氾濫をニュースで見ると、やはりこの川は昔から氾濫の多い川だったのだな、
と思いました。
田んぼがーー!
被害にあわれた方はいないようですが、無事の知らせを祈っています。
大変だと思いますが、どーも、九州と日本海の東北がリンクしているというか、
地震でもそうだし、ほんとにシンクロしてしまうのだな、と痛感してしまいます。

そんなに荒れ狂うことはなく、穏やかにできないものだろうか…。
平穏な波で「整える」ことを考えてこの時期を乗り過ごしたい。

秋田県には鉱山が多いのですが、荒川という川名があります。
荒川は秩父もそうですが、福島、秋田にもあるように意外と聞く名前です。
銅や金も古代はとれた秩父なので、そのような場所に「荒川」とつける事も
あるようですが、
「荒れくるう川(あばれ川)」から由来しているのが定説です。
荒魂といったように、荒の方ですね。

秩父の場合、荒川の氾濫を防ぐために、
陰陽五行?治水工事の祖といわれた「禹歩」の北斗七星に諏訪神社が荒川沿いにおかれています。
北東北では、北斗七星がエミシ征伐として坂上田村麻呂が祀ったように
言われていますが、関東では北斗七星は妙見信仰からもたらされる、
古くは七夕ルーツの銀河(宇宙)と地上を描く「鏡合わせ」の宇宙的な意味があります。
亡くなった霊や魂を天上させるために宇宙へ向かわせた為の祈祷ということになると思う。
かなりシャーマニズムな。

それが秩父夜祭の原点ですから。
宇宙に行くには、「柱をかける」と言われます。
役小角が「山に柱をかける」ことをしていたといわれますが、
福島県の磐梯山が柱をかけた山の伝承があるように、宇宙にもっとも近い聖山に、
人の魂は山頂から宇宙へのぼっていくと考えられていました。

その柱というのは、宇宙から降りてくる太い柱(空洞説もあり)というもので、
聖山にかけられるのですが、秩父の場合は、武甲山です。
それが元に、札所観音霊場がありますが、武甲山(神奈備山)がどのお寺からもみえるように、
設定されています。
そのように仕掛けたのが「13人の権現」という漠然とした人たちですが、
横瀬資料館にいくとその絵がありますが、日本だと、僧侶みたいな人たち。
でも失われた十二支族を思わすような話です。

物部氏も川の氾濫を防ぐ目的のように、三角形に結んで神社(特に鹿島神と香取神)
を置いたり、エジプトのナイル川を想像させるような話があります。
ナイル川も氾濫が多かったみたいです。
秋田物部氏は、日本海から鳥見山へ上陸。男鹿半島~雄物川流域に下っていきました。
雄物川は、生保川とも言ったそうです。


※秋田物部文書
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さて、秋田物部氏が占拠していた所で有名な唐松神社や韓服山というのは、「カラ」と読む。
このカラの由来は不明ですが、よく古代史に出てくるのはカラ族のことをさす。
妄想ですが、唐桑半島もカラですけど、なぜ「韓服」と書いて、「カラマツ」
とよませたのか、以前にも書いてましたけど、
九州の熊襲に関係すると思うんですね。
それが九州と日本海の安東氏や安部氏が似ているなあ、と思うのです。

「唐服宮記録」というのもあるように「カラマツ」といいます。
武内宿禰は、東国征伐のさい、「東夷(ひがしひな)の中に日高見国有~」と言っている。
(日本書記)この冬に、、ヤマトタケルの東国征伐が始まるのですが、
そのためか、気仙沼の唐桑半島の御崎神社には、日高見神社が祀られています。

後に仲哀天皇の熊襲征伐の途中に、天皇が崩御する。
神功皇后、武内宿禰らは喪に隠し崩御したことを伝えずにいた。
この時、皇后がどうしたらよいか相談をした人の中に、
秋田物部文書の中には武内宿禰の名はなく、物部膽咋宿禰(いくいすくね)
(宿禰は天皇の臣下の敬称。)とある。
物部氏も三韓征伐に神功皇后と一緒に行動していた。

その熊襲襲来のときに、「自ら熊襲が服従」してきたとある。
クマソは「自ら(おのずから)服らひぬ」という事で「自服」という地名?になったとか。
服は捕虜の意味もあるようで、「服従する」服からきていると考えると、
男鹿半島に降りた武帝は五色の鬼を連れてきた伝承がありますが、
唐=韓から多くの奴隷(捕虜)を連れてきたとも考えられる。

まつろわぬ民というのは、「服ろわぬ民」と書いたということも?

また、カラは、クラともいった。
それが「高木神」というのだから驚き!
そうなのー?

繋がりそう?
まだ悶々としているのでわからない。
そういえば、クラとつく山名は非常に多いですね。
闇、鞍、蔵、倉はみんな「クラ」ですが、その由来は、カラ族ということ。
しかも、そのカラ族は、「アヒル(阿比留)草文字」の神代文字を使用していたというのだから、
物部氏らしいなあ、と思ったのです。

が、さっぱりこの文字がわからない。
これは、そもそも声に出して読むもの?
アワ歌とは違うの?というとこからして、意味不明。
なにか憑依してわけわからん状態で書いた感じ…。
電気が走ったような文字。
都市伝説のような話では、失われたアークというものがあり、
それを解読するのにアヒル草文字の読解力が必要だという・・・。(ホントカ)

しかし、私はこの物部氏の(一部だけのせます)を見る限り、
完全なアヒル草文字でないような。よく似てますけど。
出雲文字(イズモモジ)というのを見つけました。


※神代文字の事
http://kstn.fc2web.com/kamiyomozi.html


薩摩藩が伝えたアヒル草文字

こちら(出雲文字)の方にも近いような。
真相は謎ですけど。
いったい、物部氏は何を残しておきたかったのでしょうか?
まあ、知るすべもないですけど。

それで、カラ族とは、韓国の意味ではなくて、
ペトログラフが岩に記されているように、神代文字を記し、
世界の創世に関わってきたかなり古い日本人という話です。
クル族というのもカラ族と同じ?らしいですが、クルは子孫の意味があるそうです。
古代インドの文献に現れる、インド・アーリア人の一部族の名称ということで、
この神話に、盲目の王様がでてくるんですね。
ドリタラシュートラという王様なんですが。
クル族も弓の名人らしい。弓などの戦術を使った術を学んでいる話があります。
棍棒術とか出てくるのですが、鬼がもってる棒じゃね?
その棒を武器にして中国では拳法として用いられたそうです。
インド~中国に渡った時に、戦術として武術と棍棒が用いられたような話です。

また、クル王の子孫は、盲目の王様を祖としている話。
なんでインドで盲目なのか、わからないけど、
この写真をみると、仙人だわ~と思うし、夢の国だし。
聖なる樹みたいな。


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全然、まとまってませんけど。
物部氏も葛西氏と同じ、三つ柏(葉)の家紋なのです。
破壊的な感じを受けるのは、こういう所で繋がるのだな。

それで、悶々としていているところで、面白いことがわかった。
調べはじめると不思議と最後は、うまく?繋がっていくものです。
徳川家も三つ葉だったと思いますが、三つの葉や柏というものは、エジプトにもあるようです。

この写真は、エジプトの「ファラオ・アイの胸飾り」といい、
「アイ」という意味に謎がありました。



ファラオアイというのは、ツタンカーメンらしい。
面白いサイトをみつけたので、引用します。

「前九世紀のエジプトでティルムン(日本)以来の世界の王の証として大切にされてきた空艇は、
かの有名なツタンカーメン王の時代に、あやうく欧米人の祖先によって奪われるところだった。
しかし、この時代にエジプトに侵入した欧米人の祖先が、テーベの都を廃虚としたとき、
一八王朝最後のファラオ・アイ(日本神話の高木神)はエジプトを脱出し、
インダス文明の都モヘンジョダロに避難した。

そのアイがモヘンジョダロの謎の神官王として今に伝わっていることは、
彼の法衣の文様がツタンカーメン王の墓室の壁に描かれたアイの服や、
同じ墓室に安置された"黄金の牛"の表面に描かれた文様と同じ"三つ葉"マークであることからも
確かである。このマークは、日本の神代文字で「アイ」と読めるからだ。
高橋によれば、中国の『史記』に「西周」と記された原日本人のエジプト世界王朝(一八王朝)は、
アイ(高木神)の時代にその都をエジプトのテーベからインドのハスティナープラに移したという。
エジプト一八王朝の系図が古史古伝の一書、『宮下文書』に記された日本の
天常立王朝の系図と一致することは何を物語っているだろうか。」

※「古代インドの神代文宇の三つ葉が物話る原日本人カラ族の謎の出自」より

へ~・・・・・・。
もう点がついてしまいますけど、唐松神社の護符が「愛子神」なんですが、
愛宕神(カグツチ)と言われます。
が、「愛」という文字は使っています。
けれど、アイとはよまず、「あやし」と読むので、ちと繋がらない。



アイというのは、形にすると前方後円墳の様にみえます。
ホツマツタエのオシテ文字のアイをみると、私には頭と胴体にみえる。
首は、身体をつなげる重要な「気」ですよね。
これは丸と四角であり、前方後円墳を模していると思いました。
その古墳が、石舞台など、エジプトの蘇生=ピラミッドであることは言えますし、
頭(丸)と体(四角)を繋げる意味があって、前方後円墳の形があると思います。
物部氏が蘇生の呪術が得意だったことを考えると、物部氏のルーツがエジプトにあるのも
みえてきますが・・・。

まだ仰天話がある。先ほどの引用したサイトから。

「元は、日本というのは。「ジッポン」とよばれ、その語源が「ティルムン」という。
ティルムン→ティムン→ティプンからジッポン。
そのティルムンは、中国で「夏」として知られ、日本では「アソベ」の国として
知られた「シュメール文明の楽園」であり、3500年前の大洪水を治めて
夏王朝をひらいた「禹」は旧約聖書のノアのモデルとなった日本の
ウトナピシュティム(天御中主)だった。」


むむむー。
中国夏の時代は、紀元前1900年~1600年前の時代。
「夏」になると物部氏妄想が始まり、今回の洪水で九州と似ていること(アソベ=九州阿蘇氏or津軽)
川の氾濫に禹に繋がっていると思ったこと。して、妙見信仰は天御中主だし。
秩父神社の親分神だし。その神奈備山が武甲山だし。ハワイからきている地層だし。
でも、三つ柏(葉)に破壊されているし。

都市伝説みたいな話ですが、確かに、その「禹」という文字は、蜥蜴や鰐・竜の姿を描いた象形文字であり、
禹の起源は黄河に棲む水神だったといわれています。
海洋民族によって崇拝されていた神であるとされ、
また、禹が伝わるミャオ族の住む地域で、顔は人で身体は魚の姿で書かれた土器があることから、
ドゴン族のノンモだったり、


人面魚身:出典3.bp.blogspot.com

イエスキリストが魚のシンボルとされていることなど、
ルーツは宇宙人(シリウス)やノアの末裔など、いろんな諸説があります。


※禹(ウ)は偏枯(へんこ)なり。
「山海経」より、人面魚身である。氐人(ていひと)は、禹は魚の形をした洪水神として信仰し、
偏枯とは、そのような洪水神としての禹の姿を表す言葉。
画像:東北学院大学アジア地域文化研究所:公開講座(長江流域の古代文化)

なんだかな~。。雄物川の氾濫で、再び禹の存在に出くわすとは・・・。
物部氏は、エジプト~中国大陸~日本に渡ってきた人たちでしょう。
ということで、ほとんど繋がってしまった。
でも、日本人として、それがどうした?という冷め方がいつも半端ないのはなんでだろう。ワラ
もう次元の違う世界で、
地に足をつけて生きるのは大変だなぁ、なんてことを思いながら「ぷにたま」を食す。

神代文字が、世界の謎を解くカギであることは、よくわかります。
まれに、それが日本にだけ残されていることが驚きでもありますが、
また、そんな私が日本人だということも驚きだな。笑
たぶん、私の先祖は元は日本人ではないと思うんす。
だから、日本の歴史にすごく興味をもつんですね。そういうのはありますよね。

まあ、物部氏というのは謎な集団ですが、何かと興味深い人たちではありますので、
東北の物部氏をひろってみると、なぜか、アテルイとか大武丸とか、イタコや口寄せなどに繋がって
いってしまうので、これからも興味深い話があったら、妄想します。
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