秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

口琴から氷川神社の宇宙へ

2018-01-20 | 日記・エッセイ・コラム
ようやく寒さに慣れてきましたが、来週がもっと強い大寒波がくるようです。
ロシアで、マイナス65度を記録したとあると、そんな世界がどうなのか想像できませんが。
昨日のテレビでも太陽が昇らない極地に住んでいる町をやっていましたが、
それでも生活している人がいると聞くと、
天候が云々より、適用能力がありすぎる人類がすごいんではないか、と思ったりします。
でもさすがに鬱病は増えるという話でした。

まあ、比較的穏やかな地域にのほほんと住んでいますが、
寒い毎日なのであまり遠くにでかけられず。
休日はほとんど家にいまして、youtubeで音楽を聴いていました。
その中で私は結構、気に入っているのがアイヌの音楽なのですが、
度々聞くことがある口琴「ムックリ」が不思議で。



なんだか、この音を聴いていると宇宙の音みたいで、
不思議な感じになるのです。
ビヨンビヨンと糸を張る音が、脳に刺激を与えているような~。
そんな感じで額によせて聴きたくなるような音なのです。

額といえば、その裏にあるのは松果体。
むむ~。
それでムックリを聴いていて、ナショジオのニュースを思い出しました。

「1700年前の楽器「口琴」を発見、今でも演奏可能」
ロシアで発見された古代の口琴(こうきん)が今でも鳴ることが確認され、
考古学者らを喜ばせている。
口琴は、口にくわえた本体を指などで弾いて音を出す楽器。
ロシアの中南部、アルタイ共和国の山岳地帯にある2つの遺跡、
チュルトゥコフ・ログ9とチェレムシャンカで、考古学者らが5つの口琴を発掘した。

「チェレムシャンカで発見された口琴を、私が自ら演奏してみました」と話すのは、
20年以上にわたってこの楽器の研究を続けている、
ロシア科学アカデミー極東支部歴史・考古・民族学研究所のアンドレイ・ボロドフスキー教授だ。
チェレムシャンカで発見された口琴の1つは今でも演奏することができると言う。

これらの楽器は、おそらく熟練した職人が牛や馬の肋骨から作ったものと見られる。
ボロドフスキー氏が演奏した口琴は長さ約11センチで、
1700年ほど前のものと考えられている。
フン族とその後裔が中央アジアの大部分を支配していた時代だ。
当時、中央アジアから現在のモンゴル、カザフスタン、中国東北部、
ロシア南部にわたって遊牧民が幅広く暮らしていた。
(参考記事:「『ネアンデルタール人の笛』、動物の仕業だった」)



(PHOTOGRAPH BY ANDREY BORODOVSKY, THE SIBERIAN TIMES)

この記事がアップされたのが17日で、アイヌの口琴を聴いていたのも、
ちょうどその日だったので思いだしました。

そんなシンクロしてるっぽい口琴だったので、
日本では口琴が発見されている所があるのか調べたら、氷川神社にあった!
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「氷川神社東遺跡」から出土された文化財。
口琴・金銅仏・浄瓶など平安時代の祭祀遺物などが発掘され、
こちらは金製の琴ですが、かなり古いという。
氷川神社よりもう少し古く日本最古のものが、
羽生市屋敷裏で見つかっている口琴です。
埼玉県羽生市名(みょう)という地区ですが、
アジアに特に使われている楽器(共振する音)と考えると、
モンゴルのホーミーと同じものだと思います。

ホーミーも喉や骨?に震動させる音として、この技術は普通の人はできないそうです。
肋骨が折れてしまった人もいるほどホーミーはある種危険。
ですが、人間の体の一部を使って共振、共鳴させる音としては、
口琴とルーツは似ているのかも。
口琴は、口腔に共鳴し大きく響かせる楽器で、その振動により大きく響かせる音。

アイヌでは竹の口琴が流行り、本州南では金属口琴「びやぼん」が
流行したのですが、なぜか幕府に禁止されたと。



神事で使われたと思われるのですが、私は「氷川神社東遺跡」という場所が気になった。
氷川神社へは1度いったことがあるのですが、あんまり印象がない…。
アラハバキを祀る客人神の祀る社の前に池があったのは覚えているが。




猿田彦神

この遺跡は神社境内にあります。
標高14~15mを測る大宮台地の東縁に位置する。
その場所で平安時代の文化財級のものがいろいろ見つかったのですが、
氷川神社に付属した寺院説、陰陽師の居宅説、神事説、仏教、道教的思想を
取りこんだ宗教センターなど、いろいろな説がありますが、なぜここに
集まっていたのかはよくわかっていません。
(埼玉の古代寺院より)

※金製の口琴


そんな口琴を聴いていたからか、何なのか。
その晩、久しぶりに幻想的な宇宙の夢をみたのです!
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冬といえばオリオン座。
夜になると東の空からオリオンが顔を出します。
そんな時期にみた氷川神社の宇宙。

夢の話
カメラをもって氷川神社境内を散策してました。
なぜかバスが走っていたりして観光地みたいになっている。
境内を歩いていると昼間のような明るさだったのが、
気がつくと夕暮れになり、空が薄暗くなっていた。
ふと振り返って空をみると、虹色に光る星雲が広がっている。
うわ~、すごい。と思ってカメラで写真をとる。
きれいにとれたのですが、夢なのでお見せできないのが残念。

そのまま道をすすむと遠くに何かがみえた。
その場所だけ少し広くなっていて、相撲をとる時の土台のような土が盛ってある。
これが氷川神社東遺跡なのか!と思った。
すると地平線にオリオン座と隣にプレアデスが見えた。
オリオンもプレアデスも星がたくさんみえて、この遺跡から見えるようになっているとわかったのです。

もうひとつ星があって三角形に結ばれていたのですが、
残念ながらもうひとつの星を忘れてしまった。
この遺跡は、星がよく見える遺跡で宇宙の星と交信するためにあったんだな、
と、そんな美しい宇宙の夢でした。

夢にみた虹色の星雲は、似ているものを探すならば、「メドゥーサ星雲」
のようにこんな風に広がっていました。


※欧州南天天文台(ESO)が公開した「メドゥーサ星雲」の画像。
(c)AFP/EUROPEAN SOUTHERN OBSERVATORY (ESO)
http://www.afpbb.com/articles/-/3049290

プレアデス星団は、オリオンの三つ星を線で結ばれたところにあります。
夢ではすぐ隣に並んでました。


※宇宙の情報まとめサイト
http://cosmolibrary.com/

オリオン座の左上に光っているベテルギウスが爆発する話が以前からよく言われていました。
いつそうなるか予測がつかないものですが、
もうすでになくなっている星とも考えられるのです。
640光年離れているので、今みている光は640年前の光です。
もし、すでにベテルギウスがなくなっていたら、これからオリオン座が見えなくなります。
ただ、星の一生はわかりません。
物理の計算で求めた結果であり、人間の想念に比べたら
果てしない脳内の宇宙は、いつまでもベテルギウスを輝かすことはできる。

ちなみに、ベテルギウスの和名は「平家星」という。
ベテルギウスの赤色とリゲルの白色を平家と源氏の旗色になぞらえた表現に
由来したと解釈されています。

数ある星々に逢いたかったら夢でみるしかないのでしょうか。
そんな地球と宇宙とは、内在する自身の宇宙と常に繋がっていることを、
口琴と氷川のアラハバキが教えてくれたのでした。

おまけ-------------------------------------------
アイヌ民族に伝わる竹製の楽器『ムックリ』の音色【アイヌ民族博物館 ポロトコタン】
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不老不死?の鈴石

2018-01-05 | 日記・エッセイ・コラム
前回の記事の最後に「たそがれジョフク」と書いてましたけど、
自分で書いておきながら、よく言ったもんだ、と。
徐福様なのに。笑
あの絵をみると、本当にたそがれているように見えてなんだかおかしいのだ。

そもそも、不老不死の薬ってなによ、
どこにあるのよ、
日本に来ちゃったよ・・・という徐福の心の声が聞こえた感じがする。笑
それが伝わったのかどうか・・・
書いた後、しばらくして「鈴石!!」と突如、思い出した。
そうだった、鈴石のことを忘れていました。
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神社にある鈴の原型はなんだろう?
以前から、言霊の鈴のことは書いていました。
詳細はこちら。

※鈴は口の言霊
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/c343c77ffca3ff9e904447e985ea8df1

言霊の音が物質化して人の想念によって造りだされた鈴というものが生まれたという妄想。
そのルーツが鈴石(鳴石)ではないか?と。
そんな話が「日本最古の歴史津波」の本にも書かれていました。

で、また鉄かよっ。
な、話に・・・。

岩沼に金蛇水神社があります。
「昔、三条小鍛冶宗近が、一条帝(平安時代)の六願によって、
子狐丸の宝剱を鍛えんと陸奥へ下った」と。
この神社の聖水で刀を造った伝承があるのですが、
鍛冶があったような跡など、その面影がないな~と思っていました。


霊水

しかし、マップには「三条小鍛冶宗近鍛冶場跡」とある。
今では何もない、だだっぴろい所に跡がある。
39号線を走っていて東の方をみても何もないし、鍛冶場の気配もない。



それもそのはず。
自然の土から生まれた鉄と考えれば、大がかりな鍛冶場を造る必要もなかったのだろう。
それが「フルボ酸鉄」というものだった。

もう一度復習。
一度、海になった平野は海水がひいても強アルカリ土壌になる。
それが50~60年かけないと弱アルカリ土壌には戻らないそうだ。
仙台・名取平野は、海の生態系へと変わり、湿地帯から陸の生態系に戻るのを、
何度も繰り返していた。

それが要因で「沼鉄鉱」の生成地になったという。
数百年~数千年かけて酸素と結合した鉄と、酸素と結合していないフルボ酸と結びついた鉄。

フルボ酸鉄とは、海水には微量の鉄イオンが含まれており、
森が地上に落ちた葉や枝が微生物によって分解される。
その時にフルボ酸ができる。
森でフルボ酸と結合した鉄イオンは、川へ下って海へ到達。
その海に流れたフルボ酸鉄が津波で陸地へ押し流され蓄積された。
森と海の結合した鉄が、名取平野の産鉄族を生みだしたといえるのだ。
金蛇水神社付近で鉄がとれた話は、津波によって生成されたことを伝えているのです。


※図:情報アラカルト(森から海への贈り物フルボ酸鉄)より
http://www.foresternet.jp/app/srch2/get_file/666
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沼鉄鉱は世界中に分布しており、簡単な採取と低温還元の特徴から、
原始社会の製鉄原料であったと考えられるそうです。

「水辺の鉄は欧州での研究が盛んである。
ケルト族(原住民)のつる草の鉄の製錬実験や、類似の発表が相次いでいる。
又、6世紀のスカンジナビア半島の泥炭製錬が実証され、
バイキングが武器をこれで獲得したことが証明されている。
ルードウィヒ・ベックも「鉄の歴史」の中で湖沼鉄を製鉄原料として明記している。」

※古代・褐鉄鉱製連錬の可能性より

古代の製鉄は、それほど手間をかけずに比較的簡素な方法で行われていたようです。
名取・岩沼の湿地帯というのは、多くは沼鉄鉱の土壌が広がっていた。
沼鉄鉱は水辺のある場所に鉄があり、それを製鉄原料としていたわけです。
それが鉄を精製する環境にあったということが考えられるのです。

九州の阿蘇にも阿蘇谷湖がありました。
消滅して今はない湖ですが、沼鉄鉱の鉱山であり、現在も採掘されているそうです。
ここの沼鉄鉱は葦の茎を含んでいるので、有機物と無機物が混じり合って、
良質の飼料になっていたそうです。

前に書いた鬼界カルデラの噴火により、縄文時代から阿蘇周辺にあった文明は消滅し、
それに代わる製鉄が普及したと思います。

さて、名取・岩沼の環境をふまえて考えると、
なぜこのあたりに熊野信仰がもたらされたのか?というのが繋がります。

それが鈴石というものです。
鈴石とは、鳴石(なるいしorなりいし)とも言い、
禹余粮(うよりょう)から由来している。
標本名:褐鉄鉱。

「日本では、中の乾燥した粘土が遊離し、 耳元で振るとコトコト音がするので
「鳴石」もしくは「鈴石」などと呼ばれています。
一方、中国では古代中国の伝説から「禹余粮」という名称が付きました。
それはこんな伝説です。
昔々、”禹”は古代中国伝説の国「夏」の国王で仁政の王として伝わっています。
この禹王が治水工事を行った時に 余った食糧(粮)を会稽山(かいけいざん)に
残したものが後にこの石になったと云われ、禹余粮の名称が付きました。
後漢末3世紀頃の「神農本草経」という中国で一番古い薬の本にこの名が出てきます。」



※奇石博物館より

産地;奈良県生駒郡平群町産(割れ口の見える2個)
京都府相良郡和束町産(割れてない1個)

奈良県の生駒にこの鈴石が発見されているということは、生駒は物部氏の本拠地。
また、二ギハヤヒ降臨説の河内(大阪)に、大量の鍛冶場が見つかっています。
物部氏の製鉄方法によってもたらされた刀が東北地方に伝承されているのですが、
一関が発祥か河内が発祥か、よくわかりません。

ここで興味深いのは、この鈴石が不老不死といわれる薬として用いられ、
それをもたらしたのが熊野信仰ではないか、という話があるのです。

「禹余粮とは、粘土の表面に鉄が付着し、数百年、数千年の間、
この粘土が鉄の塊になって液状化したいろいろな物質がこの中にはいっているもの。
中にある液状のものを水で薄めて薬用として古代人が飲んでいたという。
比丘尼、修験僧は熊野信仰を広めるためにこうした液状化したものを持ち、
人々へ薬として絵解きをしながら使用し、信仰として広めていったと考えられる。
いつの間にか、液状物がなくなり固体形したものが小石となって中に取りこまれ、
手にもって降るとチリンチリンと鳴ることから、現在の鈴になった。
名取にある清水峯神社は、鈴が源流である。」

※「日本最古の歴史津波」より
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秋田唐松神社には大量の鈴が奉納されています。
また、丸い石を敷き詰める天日宮もある。



日本古来には「鈴暦」というのがあったそうですが、詳細は不明。
鈴暦とは、BC697年に作られ、高見産霊が使用されていたといわれる。

こちらのサイトに詳しく書かれているので、参考にしてみて下さい。
スズ暦という暦法(1)
https://blogs.yahoo.co.jp/bebz2006/12098714.html

熊野修験と深い関わりのある室根神社には、金の鈴と銀の鈴がある。



物部氏と同様にニギハヤヒを租とする穂積氏が室根神社を勧請したとあり、穂積を鈴木とする由来がある。
鈴木姓は、「積まれた稲穂」「稲むら」で、熊野地方では、
これを「ススキ」といい、穂積は、まったくススキと同義語である。



鈴という漢字をあてたのは、いろいろな説があり、
・神官が鈴を榊などにつけて祭事に用いた。
・スズは、酒瓶のことでやはり神器の一つ。
・小竹(ささ)もスズというが、これも祭事に用いる。
・アイヌ語のSUSより、清浄を意味する。清水もスズという。鱸の字もすずき。

ということで、熊野信仰が広まる前進には岩沼・仙台名取の沼地の環境にあったと言えます。

ここでもうちょっと深い妄想に。
なぜ、鈴の原型とされる鉄の塊が、その霊力や不老不死という信仰に
人々は委ねたることになったのでしょうか?
これについては、「南方熊楠」が教えてくれたのです!

つづく。
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犬を祀る神社と犬の伊勢参り

2018-01-02 | 日記・エッセイ・コラム
明けましておめでとうございます。
今年も東北地方をコツコツ歩いていきますので、
よろしくお願いします。


今年は、名取熊野三社に参拝してきました。
写真はこちら。

初詣:名取熊野三社
http://blog.goo.ne.jp/natoriuba/e/55e3eb04baf97236ecb0cab5cca3b44c

今年は戌年なので、東北地方の犬にちなんだ神社をご紹介したいと思います。
興味があったら、訪れてみて下さい。
と、いっても犬の社というのは、マタギ犬になりますが。
東北ならではの犬の伝説。
マタギ犬は、生活に欠かせない家族同然の扱いを受けていたことがよくわかります。
また、「犬の伊勢参り」という話もあります。
私は伊勢参りに興味がないのに、犬が単独でお参りしていた?!
といった話を聞くと、素直にえらいな~と思うのでした…。

◆山形県高畠町の犬の宮-------------------------------------

昔、(和同年間の頃)、この高安村(こうやすむら)には、
毎年春秋の二回、都の役人に年貢を差し出すことになり、村人が難渋していました。

ある時、道に迷った旅の座頭が一夜の宿を乞い、
村人から不思議な年貢を取立ての話を聞き及び、何者かのしわざと推測、
村人に悪魔退散の作を授け、座頭は村を去った。

村人達は、早速役人を酒席に招き、甲斐の国から借りてきた三毛犬、
四毛犬を放ったところ、大乱斗の末、倒されたのは役人ではなく、
三匹の大狸と多数の荒狸であり傷ついた二匹の犬も、まもなく死んでしまいました。

この村の大難を救ってくれた二匹の犬を村の鎮守とせよ、との座頭のお告げにより、
祟めまつったところ、この里は難産もなく生まれる子供は無難に育ち、村が栄えたという。

また、この地に生息した高安犬は強い耐久力と激しい闘魂をもつ優秀なマタギ犬として有名である。

(看板より抜粋)




所在地:山形県東置賜郡高畠町高安
高畠駅から車で20分

◆秋田県老犬神社-------------------------------------------

旧南部領だった鹿角の草木に、代々佐太六と名乗るマタギがいた。
なかでも十七代佐太六の腕は優れ、領主南部信直から天下御免の狩猟免状を
もらっていたが、佐太六にはシロという子牛ほどもある猟犬がいた。

ある日、佐太六はシロをつれて狩に出たが、猪を見つけて撃ったが手負いに
なったまま逃げるので、その後を追って三戸城近くまで行き、
ふたたび猪を見つけて撃ったとたん姿を消してしまった。

そのとき、三戸城の役人が現れ、「城に向けて発砲するとは不届き千万」と
縄をかけようとしたので、佐太六が「私は天下御免のマタギ・・・」と言いかけて、
その日に限って巻物を忘れてきたことに気づき、言い分もままならず、
ついに三戸城に引かれて取り調べを受け、死罪と決まった。

主人の危機を知ったシロはひたすら走って家に駆けつけ、佐太六の妻に激しくく吠えたが、
佐太六の妻は何のことかわからなかった。再び佐太六のところへ行ったシロは、
佐太六から免状の場所を何度となく教えてもらい、
再びシロは山河を駈け戻り仏壇の下で激しく吠えた。

妻は、はっと気付いて巻物を見つけ、竹筒にいれ、シロの首に結んでやった。
シロはすぐに引き返し再び主人のもとへ走り続けたが、城に着いた時はすでに遅く、
形場の露と消えてしまった。
犬吠森という山があるが、シロが主人の死体をくわえて三戸城の見えるところに運び、
幾夜と続けて恨みの遠吠えをしたところといわれています。






南部信直の狩猟免状は、秋田県大館市の老犬神社にも同じものが保管されている。


所在地:大館市葛原の山中。(駐車場有)



この話は、実際にモデルとなった方がおります。詳細はこちら。
※「マタギ犬を祀る老犬神社」
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/9c6afea460e62e7d964544eef26012bd

◆犬の伊勢参り------------------------------------------------

江戸時代、伊勢外宮で奇妙なことが起こったそうだ。
それが犬の伊勢参り。
その話は「明和続後神異記」に記されている。

「犬の伊勢参り」という本は、犬が単独で(人を伴っていたわけではなく)伊勢参りを
していた事がいろいろ書かれており、うっそだ~と思いつつも以前、買ってしまった本です。
全国に犬が単独で伊勢参りをしていた伝承が記録されており、
実際、どうなのか?検証しているもので面白い本です。



伊勢神宮は犬や僧尼などは禁止です。
神社では動物など、穢れを嫌がるので入ることはできませんが、
この犬だけは、「普通の犬ではない」とのことで内宮近くまで来たとか。
また一礼するように伏せをしている姿があったとか。
そんな伊勢参りをする犬に、人々は犬を特別視するようになり、
お札や銭などを一緒にくくりつけてあげたりしたとか。
そういう犬をみれば、ああ、伊勢参りの犬だな、とわかるので、
丁重に犬を見守ってあげたというのです。
また、犬に名前(飼い主)を記している場合もあり、
周りの人々は犬が家に帰れるように仕向けてあげたとも。


(伊勢内宮)

その本に、福島県須賀川にシロという犬の塚のことが書かれていました。
「明和の御蔭参りに始まった犬の伊勢参りは、その後も様相を変えて続いた。
松浦静山(肥前平戸の藩主)がその目でみたように、御蔭参りの集団とともに行動するのではなく、
単独で伊勢参りをする。「房州の犬」は主人の代参として神宮に行き、無事戻ってきた。
静山が見た「白河の犬」も代参の犬だったと思われる。
同様の例は、ほかにも多数ある。
とくに東北地方のように伊勢から遠く、簡単にお参りに行けない地方からの代参
の犬が出現した。

福島県須賀川市十念寺不動堂の裏に犬の像があります。
年月は特定できませんが、寛政年間に主人に代わって伊勢参りをしたシロという犬の像。
その台座にはこう刻まれている。

「犬塚 寛政の昔、市原貞右衛門綱稠(つなちか)の飼犬が主人の命を受け、
道中多くの人々の善意に守られながら伊勢参りをなし、お礼を背負って無事帰宅す。
綱稠大いにこれを労い死後その姿を石に刻みてここ十念寺に葬る。
本年台座を設け犬塚として多くの犬の霊を共のこれを弔う。」



※シロの犬塚(Travel.jp)
https://www.travel.co.jp/guide/article/13182/

シロの塚へはまだ行ったことがないのですが、
犬の宮と老犬神社はマタギ伝承から由来しているものなので、
伊勢参りをする犬とは、また異なる生活の中で犬も様々に生きていたのだな~…なんて思うのでした。
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足尾銅山へ

2017-12-30 | 日記・エッセイ・コラム
今年最後の妄想が、足尾銅山とはね~。笑
渋いから~。





29,30日は宇都宮へちょっと帰省しました。
主人の実家は宇都宮なので帰省しましたが、
昨年、今年と義理の両親が亡くなりましたので、寂しいものです。
大掃除もあまりできず。
サムい~。

栃木県にもいろいろと巡ってきたので、もう見るとこないよね~と
主人と話をしていたのですが、子供の頃から一度も行っていない所がありました。
そうです、リアルな人形がある足尾銅山ですっ!



古峯神社へ参拝するたびに、足尾銅山は気になっていました。
ただ、茨城県の足尾山と栃木の足尾銅山とは関係しているのかわかりません。

足尾は日光市にありますが、足尾の地名由来についてはこちらの昔話を参考に。
「栃木の多気不動尊」
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/6caa032a27ad4b363ba5879233fe5b6a

こんな寒い時に足尾銅山に観光する人なんているの~?
と思っていたら、結構いました。
家族連れとかカップルとか、一人で観光してきた方やいろいろ。





もう似てます。秩父と。
秩父も秩父鉱山(ニッチツ)がありましたから。
廃墟な銅山は、異質な空気がありますね。
昔は栄えていたのですから。
でも今は、はげ山が残るだけ・・・。









もう武甲山みてるみたい。
実家に帰ってきたみたいな。



実家は武甲山の麓で、石灰を掘ってサイレンとダイナマイトの発破の音を毎日聞いていたわけで。





秩父セメントや三菱セメントなど、工業団地や煙突。
それが懐かしい風景になっています。
なので足尾銅山をみると、なんだか懐かしいと思ってしまう・・・。



でもか細い木々の植林が痛々しい。
鉱毒事件がありましたから。





秩父と同じと思う風景は、「秩父帯」にあります。
秩父帯(ちちぶたい、英: Chichibu zone)は、日本の房総半島から関東山地、
赤石山脈、紀伊山地、四国山地、九州山地を経て沖縄本島までの長さ1,500kmにわたって
帯状に分布する地体構造区分の一つである。
西南日本外帯に属し、主にジュラ紀の付加体からなる。
埼玉県秩父地方より命名。


足尾銅山も秩父帯に属します。



※中国四国農政局より。

こちらのサイトの図は美濃・丹波帯。
しかも「滋賀県の大地」をのせているページでした。


http://www.geocities.jp/p451640/daichi/1_tsukuri/3_rekishi/chishi_2.html

※緑色の斜線が秩父帯
美濃-丹波帯(みの-たんばたい)も秩父帯です。
秩父の蓑山(美の山)が、美濃の由来であるというのは和銅がとれた所なので、
秩父の産鉄族たちは、秩父帯を歩いてきているわけです。

「日本の地体構造区分上、西南日本内帯における区分名の一つ。
美濃帯、丹波帯とも中生代ジュラ紀の付加堆積物が分布しており、
一続きの地帯と考えられるので、美濃‐丹波帯とよばれる。
美濃‐丹波帯には、海洋プレート上に堆積した、
古生代石炭紀からペルム紀の玄武岩質火山岩類や石灰岩、
ペルム紀から中生代ジュラ紀前期のチャートが、
海溝で砕屑岩と混ざり合って付加体を形成している。」




それで、足尾銅山の山ろくに、金属鉱山に特有のシダ植物、ヘビノネゴザの
大群生がみられるという。
特にヘビノネゴザの根には、土壌中の重金属量に比例して、
銅、亜鉛などの重金属の蓄積が著しいとの事。
イタドリでは、銅、亜鉛、カドミウム共に葉より根に多く取り込まれていた。

足尾銅山で生育していたヘビノネゴザ、イタドリ、バッコウヤナギ、ヨモギ、
ノガリヤス、リョウブなどの植 物は、いずれも体内(組織中)で
メタロチオネイン(細胞質に取り込まれた重金属と結合、無毒化)を作る種類ばかりでした。

重金属で汚染された土壌で生育可能な植物種は、
このような特殊な蛋白質を合成できる種類(この特性は、遺伝子配列の変化で獲得、後天的)
に限られると考えられます。

※歴史散歩とサイエンスより
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/135.html

ということで、シダやイタドリの生息地を修験者たちは、
鉱物を発見する目安にしていた植物だったのです。
また、それらの植物に解毒作用があったならば、体内にそれを含めようとしたことが、
不老不死の元(薬水)になっているのですね~。

あ~、イタドリといえば、多治比氏だ~。
多治比彦の「たじひ」が、イタドリからきている。
タジヒは古名であり、日本書紀には、
「天皇初め淡路宮に生まれる。
生まれつき歯ひとつ骨の如し、容姿美麗、ここに井戸あり端井(みずのい)と日う。
すなわちこれをみて太子を洗う。時に多遅花(たじひのはな)落ちて井戸の中にあり
因りて太子の名となすなり、多遅花は今の虎杖花(いたどりのはな)なり。
故に多遅比端歯別天皇(たじひみずはわけ)という。」


つまり、産婆の井戸の中にイタドリの花が落ちていたというのは、
鉄や銅などを精錬していている工程から由来しているのであり、
それがイタドリであると考えれば、
多治比氏が丹生一族であることがわかる。
そして秩父で占拠し銅を発掘していたわけだ。
そのような山民をサンカ(山窩)とも呼ばれた。



武甲山麓、芦ヶ久保にも猿田彦を祀る社が多い。
吉田町も椋神社という固有の神がおり、猿田彦がニニギを先導した話になっている。


(猿が2匹いた。)

これも産鉄の話と絡んでいるわけです。
古代製鉄民が祀るのは猿田彦神なのかね。
足尾銅山にも猿田彦神を祭る社があります。
おそらく、高麗や加羅なのでしょう。




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さて、段になっている山をみると、武甲山山頂にみえてくるもんだ。
深く掘ってますね~という感想しかないけど。



なんと掘った坑道の長さは1200kmになると!
東京~博多間。
ジオラマが展示されてますけど、まるで蟻の巣・・・。



全国の銅産出の40%は、足尾銅山が占めていました。


タンパンは猛毒です・・・



鉱脈がある所まで、十字に掘り進めてトロッコが通れるようにします。
鉱脈が見つかれば階段上に掘っていくそうです。

トロッコで入口まで行き、そこから徒歩で見学です。
約30~40分くらい。



以前、ドラマで「足尾から来た女」をやっていて、
ドラマは普段、見ないのですが、女優の尾野真千子さんの演技に惹きつけられ
最後までみてしまいました。
秩父もダムで沈んだ村がありましたが、「足尾から来た女」のドラマにあったように、

「明治20年代、渡良瀬川最上流部に位置する足尾銅山より流出する鉱毒が、
渡良瀬川沿岸に広がり大きな問題となりました。
その中に谷中村があり、足尾鉱毒被害の防止対策の一つとして、
氾濫被害の軽減のため渡良瀬川下流部に遊水地を造る計画が打ち出された。
その計画が、谷中村を中心とした地域で明治38年(1905)から栃木県が買収を始め、
村人達は反対したが、明治39年(1906)に谷中村は藤岡町(現・栃木市)に
合併され廃村となった。」
という歴史があります。



愛宕下:社宅
江戸時代の社宅跡。「坂詰」という地名で農家が3戸あったが、
1887年に松木から起こった大火で消失し以後、草っぱらになっていた。
その後に足尾銅山の社宅地となった。

秩父でも若い女性が丁稚奉公で絹織物(秩父銘仙)へ出稼ぎしていました。
家に帰るのは1年に1回くらいで、住みこみで働くわけです。
今のように職場が合わないから辞めるなんてことはできません。
池に身を投げる女性も多かったと聞く。
もっとひどい場合は、女の子が売られることもよくあった。


江戸時代の精錬場


女性は石を砕く仕事。

そんな時代に、武甲山の石灰開発がありました。
今でも高齢者の方たちは、武甲山のおかげで食べていけるようになったと。
女性が売られることがなくなったのは、確かに良かったのかもしれない。
が、今でも武甲山は体をはって仕事をしている。
本当に産業の発展のためなのか?
横瀬はそのセメントで唯一黒字。なので秩父市とは合併しない。(他にも理由ありますが)

日本の貧困を避けるために、村が犠牲になる事があった時代。
どうしても質の高い鉱石がとれる山間部の村が消えていくことになる。
質が高い銅は海外でも評判で、足尾銅山は「オランダ東インド会社」が買占めました。
シーボルト。歴史教科書にでてきますね。
この人は、アジアの鉱石の取引をするためにインドを経由して、
日本の銀や銅を買い取ります。
足尾銅山は古河財閥が経営してましたが、後の富士通だった・・・。

三井財閥も東インド会社と契約していたはず。
秩父は三菱など、鉱石の財閥は住友といわれていますが、
日本の功績が高く売れる理由としては、やっぱり鉱脈の質?みたいな、
何か魅力的なモノが埋まっているのかもしれないね~。
どんどん海外に流出しているけど、当時は鎖国でもあったよな。。。


大山積見神を祀っている神社のようです。
---------------------------------------------------
ということで、年明けにこの話は重いので?今日のうちに書いてしまいました。笑
足尾銅山は、行くべきですね。
いろいろ考えさせられます。

結局、産鉄な話で終わる・・・。
今年も読んで頂き、ありがとうございました。
来年も相変わらず、こんな妄想をしながら東北探訪をしま~す。
よいお年を~♪

おまけ:雪山が映える高速道路


福島市


吾妻連峰


雲をみてしまう~


安達太良山


高原山


餃子:みんみん
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草なぎの剣の妄想

2017-12-26 | 日記・エッセイ・コラム
11月に茨城へ行ったのですが、その途中で立ち寄った国宝白水阿弥陀堂。
このお寺も平泉に繋がっているお寺なのです。
その写真をアップしようと思いましたが、
その前に・・・

前回の飯坂温泉の話で、いろいろ妄想していると音に気づきまして。
伊雑宮は「IZOU」で「IOU」.
信夫佐藤兄弟の菩提寺も医王寺で「IOU」
その前に噴火(薩摩硫黄島)と天の岩戸の話を書いていましたが、硫黄島も「IOU」。

伊雑宮が、元は「イサハ」の「ア」だとすると、
アからウに変わっている音に興味を持ちました。
コトダマ学(島田正路先生)の本を参考にしますと、
イは実践知・道徳、オは経験知・学問、
「ウ」は五母音の中心になり、ウは、心の主眼となる欲望。
神様でいうと、天之御中主神。
宇宙の最も高い神。
ここからすべてが生まれているので、始まりは「ア」ではなく、
「ウ」なんですね。(言霊では)
なんとなく、話が天の岩戸開きのようになっていくのも、
言霊の音「ウ」の働きがそうさせていると感じたものです。

天津太祝詞(音図)を、創造意思の働きである8つの父韻を
中心に並べ変えて八角形の構造に収めたものがあります。
それを八咫鏡と呼ばれるもので、これがその図です。





方位の図と比べるてみると興味深い。(ちょっとずらしてみる)
イが中心で、ウ・オは、方位でいうと、丑寅にあたる北の方。
艮の金神みたいだな~。

アワが、申の庚申や未に値するのもなんだか納得します。
アワ歌は申の方角を象徴しているような。
未申は、裏鬼門。
方位は季節によって回転するし立つ位置により異なりますので、一慨には言えませんが。

例えば、鏡を中心におくと、アワの反対に映るものにオウの音霊がある。
イオウは、アワ音を背にしているとも言える。
イが中心なのは、要る、居る、射るなど、「存在がここにある」という意味になっている。

ということで、「オウ」という言霊は、またアワの音を反転させていたりする。
その音に何かを感じたのだから、鬼門が働いたとか。
鬼門にあるといわれる富士塚、(12月23日もいった~)
天の岩戸、硫黄島や医王寺、伊雑宮の瀬織津姫などといった言霊にシンクロするわけです。
いろんな解釈ができて面白いね~。

何かに魅かれることや気になるのは、その裏に言霊の響きがあるのだから、
感じるままに進めばよい、という事なのですね。
導かれた時に、その裏(相反するもの)を考えるのも面白い。
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さて、硫黄島は安徳天皇が逃れた島とも伝わり、安徳天皇は神器のひとつ、
草なぎの剣をもったまま入水した(壇の浦で亡くなる)伝承があります。
源頼朝にとっても後鳥羽上皇にとっても必要な剣だったのですが、
源義経が安徳天皇を無事に保護することができなかった失敗から、
義経は追われることになったとあります。

硫黄島にも熊野三社があるんですよ~。
平家たちが流罪された島ですから。
昔の重罪は島流しだったそうです。
社会から孤立させることが最も重い罪でした。



「硫黄島熊野三山」こちらのサイトを参考にしてみてください。
詳しくのってます。
http://www.ioujima-kumanosanzan.com/index.html

硫黄島に流された藤原成経(ふじわらのなりつね)、平康頼(たいらのやすより)、
俊寛僧都(しゅんかんそうず)のうち、平康頼が先達となって
成経とともに硫黄島の熊野三山詣でをしていたと考えられます。(サイトより)



草なぎの剣は、いろいろあって最終的に熱田神宮に戻されたそうですが、
本来は伊雑宮にあったものだとする説もあり、謎が深まる剣です。
ただ、私はこの剣について、「剣を見たものは目がつぶれる」という伝承があるので、
鍛冶神(天目一箇神)に関連する、これも天の岩戸の際に用いた剣を伝えていると思います。
また、目がつぶれる=目が見えない=見えない剣。
見えない=内在する。
自身の中には見えるものであるが、外には見えない。

人間が内在するエネルギーはとてつもなく強大なものです。
予想がつきません。
例えば、太陽の光が弱くなっているというが、これも太陽が内在する
エネルギーではないので、実際の太陽エネルギーがどれほどなのかもわかりません。
宇宙もそうです。
内在している宇宙ってなんでしょう?
宇宙人とかフワフワ飛んでいるようなUFOは、だれかに内在した想像を事象しているにすぎないのです。
私の中に、そんなUFOは内在しません。なので見えてませんし、見えるはずがない。
目のでっかい宇宙人もそうです。
それを見てしまう人は、相当、重くて暗いエネルギーなんだろうと思ってしまいます。

ブラックホールと同じで、吸収力はすごいのに吐き出さない。
だからいつも重たい。そんな人・・・。

ということで、物質化されている剣ではないというのが正しいのでは?
誰も手にしたこともなければ、触れたこともない。
視覚で見える剣ではないという意味。
言霊のように両刀の剣ということなのでしょうね。
片刀(カタハ)ではない。

言霊では、刀の一つは分析(太刀)で、もうひとつは総合(連気)。
「連気」は「つるぎ」という。
絶ち切るの意味の太刀から、刀で切ることに現象が伝わっているわけです。
切腹は自身からの絶ちです。が、一つでは絶ち切ることしかできないので、統合しないとならないわけです。
一方だけでは消えないのですから、また生まれてしまいます。
消したければ、くっつくこと(統合)をしないとならない。
でも敵とか悪であったとしたら、それを受け入れなければならないので、苦痛になることもある。
日本人は、比較的受け入れやすい民族ですが。

先祖供養も、連気するしかないと思っています。
例えば源氏と平氏のように、異なる民族や宗教や男女といった分裂です。
それを統合する必要があったから剣が必要だったのです。
それを異常にこだわっていた(欲しがっていた)後鳥羽天皇が、
「コンプレックス」と言われるのはおかしいのです。
その意味を知っていたから、剣にこだわっていたわけでしょう?

天皇は古来から「霊知り」(ひしり)といわれ、霊界を司る祭司でした。
壺切御剣(つぼきりのみつるぎ/つぼきりのぎょけん)という儀式もあり、
日本の皇太子(東宮)に相伝される太刀。
皇室経済法第7条に規定する皇位とともに伝わるべき由緒ある物(いわゆる御由緒物)
であり、三種の神器や宮中三殿とともにいわゆる御由緒物の中でも別格の扱いを受けている。
「壺切の御剣」「壺切太刀(つぼきりのたち)」とも言う。
現在は、皇太子徳仁親王に継承されている。(Wikipedia)

これは、壷にアイウエオの一文字ずつ書かれた五十音があるそうで、
その五十音が入った壺を見る儀式があるそうです。

・・・・日本って国は不思議だね。
そんなことを何も知らなくても生きていける。
いや、これがあるから生きていけるのかもしれない・・・。

三種の神宝は、神道だけではなくキリスト教、仏教にもあります。
地球上の宗教をひとつにするというか、宇宙信仰みたいなものでしょうか。
宇宙はとても孤独で寂しいのですよ。
だから地球みたいな星があるのは、みんながいるから寂しくないし有難いのです。


(深山にて)

「人類みな兄弟」
もうそれでいんじゃない?と思うんですけどね~…。

AIとかもどうなんだろうね~。
私は霊に対しても戦おうとするところがあるので。ワラ
相手がコンピューターであっても、ガチで戦ってしまうと思います。ワラ~。
楽しみです。ワラワラ~。

まあ、そんな妄想で終わります。(←なにもまとまらずに終わる)
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ということで、話は変わりまして、福島県いわき市にある白水阿弥陀堂で癒そう。
次回、写真アップしておきま~す。


※富士塚の光
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天の岩戸と噴火の歴史

2017-12-16 | 日記・エッセイ・コラム
そういえば、今年は鳥海山への精麻奉納は私はできませんでした。
その日は、高舘山散策だったので。
友達は、3年続けるといって今年が最後の奉納でした。
鳥海山は大物忌という豊受大神で、私にとって鳥海山は聖山です。
何の縁もないのに鳥海山は、みんなが富士山にあこがれるのと同じように大好きな山です。
豊受大神がこの地(深山)とご縁があったのならば、
食事を用意する大物忌という存在が気になった。
これも麻の働きなのかな、と思ってしまいました。

今年の7月8日20年ぶりの「遷座祭」が行われたそうです。
一定の年限で本殿などを造り替える「式年造営」の締めくくりの神事。
厳かな雰囲気の中、新しい本殿にご神体が移された。
※毎日新聞(遊佐町吹浦の鳥海山大物忌神社本社)



その際に、宮司さんが精麻を頭に巻いて頂いたことを友達から聞いて、
一緒に参加している気分になりました。
ありがとうございます。



鳥海山大物忌神社 遷座祭
http://www9.plala.or.jp/thoukai/senza.html

主人も鳥海山が好きで、私より鳥海山に行ってる・・・(ずるい)
主人はツーリングが趣味なので、以前一人旅の時に写真を送ってくれました。
こんな天気のよい日に、山頂には行かずともこんな近くまで行ってる。





雲に隠れている鳥海山。
いいな~。



さて、食事についてですが、千貫山に斎宮が実際あったかどうかは、
まだわかりません。が、尼寺があり「おすずひめ」伝承があるのは、
何かがあったと思います。

元伊勢の籠神社(このじんじゃ)に祀られている豊受大神について。
「豊受大神は私たちの毎日の生活に必要な「衣食住」の守護神であります。
また天照大神がご自身のお食事を司ってもらうために自ら丹後国から
お迎えになった神でもあり、天照大神にエネルギーとパワーをお入れになる神でもあります。

神話によると、豊受大神は彦火明命(籠神社主祭神であり、また海部家の始祖)の
后神である天道日女命に五穀(人間の主食となる米・麦・粟・きび・豆)の種を授け、
更に養蚕の技術を伝授し、私たちに生きるための糧や知恵を授けてくれました。」


それが鳥海山の大物忌としても伝わり、大物忌は、神宮外宮の豊受大神と同神としている。
鳥海山の大物忌は、噴火によって大物忌の怒りであると考えられ、
噴火のたびに高い階級が授けられた。
外宮の多賀宮は、豊受大神の荒魂を祀る。

角田の熱日高彦神社は、ニニギとヤマトタケルを祀っていますが噴火を鎮める
といった祈祷に由来するのではないか、と思います。
「アチ」や「オチ」という言葉から、「熱日高彦」になったと考えます。

正確には、「天津日高比古番能邇爾杵尊」
ニニギといえば、コノハナサクヤヒメで富士山の女神とされる。
ここには蔵王があったので、蔵王の度重なる噴火を鎮めるために
ニニギを降ろしたことがあったと思うのです。

秩父では宝登山神社がありますが、山中で火に囲まれたヤマトタケルを
救った狼伝承があります。奥の院は狼の狛犬になっています。
これも、火を鎮める火防は台所の火など、火災を鎮める祈祷になっていますが、
噴火を鎮めることに由来するのでしょう。

さて、どんどん難しくなっていくので嫌になってきたなぁ。笑
なんでまた天の岩戸だよっ。てところに戻ってしまいます。

思うに、天の岩戸が単純に日食だけの現象で、
あんな風に伝えていくものか?という疑問はあります。
スサノオは荒魂でもあるんですね。
アジアにも皆既日食と思われる伝説があるので、天の岩戸もその現象を伝える説が有力。
ですが、それはちょっと違う気もしてきた。
古来の人たちも天文学の知識をもっていたので、定期的に訪れる日食現象を、
祈祷するのはどうかな~。ほんの数分の出来事を毎度行うのはちょっと大変です。
ということは、太陽が隠れる時に何かが起こると考えた?
その要因が噴火などの災害にあった説もある。
それを鎮めるための天の岩戸儀式と考える。
------------------------------------------------------------
ここでちょっと噴火の歴史を。
私は阿蘇山が噴火するとすごい事になるとは、以前からいろいろ耳にしてました。
確かに阿蘇カルデラの中に人が住んで街になっているような光景は、
それだけあの巨大カルデラを作ることがいかに凄まじい大噴火だったのか、
と想像できます。

それくらいの巨大噴火を起したことが、今から7000年以上前にあった。
鬼界カルデラ!
それが天の岩戸を物語るという話。

「鬼界カルデラ(きかいカルデラ)は、薩摩半島から約50km南の大隅海峡にあるカルデラ。
薩南諸島北部にある薩摩硫黄島、竹島がカルデラ北縁に相当する。
薩摩硫黄島はランクAの活火山に指定されている。」


※薩摩硫黄島硫黄岳

ちなみにこの硫黄島には、あの安徳天皇伝承が多いんです。
安徳天皇と伝わるお墓もある。(平家一門)
源義経が安徳天皇を守れなかった罪に問われて兄の頼朝に殺害されそうになった
という伝承があるもう一人の天皇。
鹿児島県三島村硫黄島に安徳天皇陵があるのですが、「三島」という地名が気になりますなぁ。
過去、安徳天皇を保護した武将たちも島流しされたという。



そんな鬼界カルデラに「鬼界アカホヤ火山灰」が見つかっています。
約7300年前に起こった大噴火。

「火山灰に覆われた面積は約200万km2、体積は約100km3にもなる。
偏西風にのって東北地方まで到達した。
九州南部において地下の比較的浅い場所に厚さ約1mの層をなしており、
四国、中国地方西南部および紀伊半島においても層として確認することができる。
種子島では、20~40cm、琵琶湖では3~5cmの厚さである。
また、層が不明瞭な地域においては土壌分析によって検出可能であり、
おおむね日本全域で確認されている。」




そんな大噴火によってひとつの縄文の文明が消えたと言われるのが、
貝文土器を残した貝文文化。
貝の殻を模様にした筒状の土器で、一般的によく知られる縄目の縄文土器とは
異なるため、縄文文化とは違う文明があったと考えられます。
鹿児島県霧島にある上野原遺跡で見つかった貝文土器。


※上野原遺跡で復元された縄文時代の集落

「角筒形は全国でもほとんど例のない特殊な形の土器です。
南九州で独自に発生したと考えられ,上野原遺跡で用いられていた頃が
文様・形状ともに最も美しいと言われています。」
レモン形の土器なんです。すごい美の技術ですよね!
7000年以上も前からこんな技術をもっていた人たちとは、
どんな人たちなのでしょ~。
用途としては,煮炊きやドングリなどのあく抜きに使われたと考えられています。


※鹿児島県上野原縄文の森
http://www.jomon-no-mori.jp/uenohara_kakutou.htm

こちらのサイトでも詳しい発掘状況がわかります。
土器が立派です。

※南九州・上野原遺跡
http://inoues.net/ruins/uenohara.html

「地層の年代決定において縄文時代の早期と前期とを分ける重要な鍵層の一つになっている。」とされ、
貝文文化があった時、世界の文明も発達している。
BC5000年前ギリシャの新石器文化。すでに農耕が始まる。
BC4600年前黒海のヴァルナで金製土器が誕生。
青銅器文明もこの頃。
BC4500年前メソポタミア文明スサ文明。
BC4300年前に鬼界カルデラ噴火。

要は、日本に稲(農耕)が伝わる以前から土器が製作されていたことが重要なのです。
狩猟生活をしていた人の美的感覚は、現代人とさほど変わらないのだから驚き。

天の岩戸の舞台は、宮崎県の高千穂とされます。
宮崎観光;天岩戸神社のサイトより。

「平成22年2月6日(土) NHK総合テレビで みやざきスペシャル
「神々が舞う里 ~俳優・温水洋一 高千穂をゆく~」という番組が放送されました。
(宮崎県下だけのローカル枠での放送番組です。) 
その中で天岩戸神社も紹介され、興味深いお話がありましたのでご紹介します。
(ナレーション)
実はこの神社(天岩戸神社)にはユニークな説が伝えられています。
天岩戸の神話は実際の出来事が元になっているのではないか?
天照(アマテラス)つまり太陽が隠れた原因は、
まちのすぐ北西にある阿蘇山の大噴火によるものだという のです。

(天岩戸神社宮司 佐藤延生さんのお話)
これ全部この地方の岩というのはこれは 阿蘇山から流れ出た溶岩でございます。
ですのでそういう溶岩が、このあたりまで流れ出て来る程の大きな爆発が何回かあって、
そのひとつが人間と話でずっと伝えられて、で、後々人間の神様が登場してきて
人間の神様とこの阿蘇山の爆発が合体して 語られていって、
日本書紀、古事記の神話の中に 書かれていると。
これがまあ私としては天岩戸開きの真相だろうな・・と。」


ですから、研究者が考えている天の岩戸は、
日食のことを言っているのだろうけど、「それを物語る背景」を考えなければ、
日本の歴史を継承=警鐘できないと思っている。
また震災のようなことがあって、あの時こうしていればよかった。
という後悔だけはしたくない。

福島原発で苦労されている福島県双葉町の古代史で、天手力男が登場しましたが、
これも天の岩戸開きに関係していました。



東北地方では、915年最も大きな被害が起こったのは、十和田噴火です。
これは白頭山と連動しているといわれていますが、
白頭山の大噴火について詳細に語られている史実がない。
多くは、伝説としてのみ。
考えられるのは、白頭山の巨大噴火により多くの住民が亡くなった為、
それについて語れることができなかったとか。
朝鮮の史書にいくつか「鳴雷」といった奇妙な音を聞いている話があるが、
その実態についてはほとんどわかっていません。

十和田噴火は、噴火によりできた湖が、白頭山と類似した伝説「三湖(さんこ)伝説」
になっています。




十和田神社の天の岩戸



白頭山火山灰の真下に火山灰が発見された十和田湖の平安噴火がありますが、
白頭山の噴火と十和田噴火がほぼ、同時期に起こった様子。

また、北朝鮮が白頭山を重視しているのは、朝鮮族の発祥が白頭山に由来しているからです。
伝説では、朝鮮族の祖といわれる壇君(ダンクン)は、天から遣わされた桓雄の子として
白頭山で生まれたとされている。

その白頭山の始祖伝説のひとつに、オロチ族がいます。
射日神話です。
一つだけ太陽を残した話がある。
一つの矢は姉、一つの矢で妹を射る。
真ん中の太陽だけ残したという話。

日本では太陽の代わりに、姉妹の三山伝説として伝わる。
埼玉県入間市にも射日神話が伝わっていますが、熊野信仰のヤタガラスの3本足は、
3つの太陽信仰からきています。
これは太陰に関係する道教にも繋がるので月でもある。
太陽と月は同じもの?
この伝説は、中国大陸~東南アジアにある。

ということで、天の岩戸は噴火(鬼界カルデラor阿蘇山)を伝えるものであり、
それによって射日神話が生まれたのではないか、と思うことです。
太陽を射るのは、噴火によって雲が覆われた時期が非常に長かった異常気象が
続いたことを示しているでしょう。

鬼界カルデラといい薩摩半島ですが、鬼ヶ島ともよばれる。
火の中で出産したのはコノハナサクヤヒメ。
角田に熱日高彦神社を置いた意味も、コノハナサクヤヒメに鎮めてもらう意図もあったと思います。
その流れで、災害を祈祷する斎宮が置かれたと考えてもおかしくないわけです。

ところで、蔵王の噴火の歴史について、1894〜97年噴火(明治噴火)の降灰分布図をみて不思議に思った。
まるで狙ったかのように、名取の閖上に降灰が流れている~。


これが風向きということもあれば、高舘山の熊野神社がある場所は、
常に蔵王の風を受けているということになるのですね。
興味深い図です。

越智氏は伊予国にいた豪族で大山祇神社に関係します。
愛媛県越智郡大三島。
また、狼信仰は、三峰神社や御嶽講などの関東と山積見神社の福島の2つがある。
(丸森にも狼信仰が伝わっています)
おそらく、妙見信仰は秩父彦と越智彦にも関係していると思います。
天の岩戸で祈祷をした思兼命の子の系譜が2つがあり、
ひとつは越智氏、もうひとつが秩父彦です。(先代旧事本紀)

妙見信仰が狼信仰となり、秩父彦の方は三峰講として定着し、
越智氏の方は、山積見神社に寄進されたのでしょう。

それについては、また次回、機会があれば書いてみようと思います。
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岩戸開きの123

2017-12-04 | 日記・エッセイ・コラム
用事があってちょっと秩父に帰省してました。
今年の12月3日の夜祭りは、日曜日でした。
2日の前夜祭には数年前に行った記憶がありますが、
3日の夜祭はすごく久しぶり。
いつぶりかな。。。
といっても夜は、M-1グランプリみてましたけど~。笑
秩父の夜は、極寒ですから・・・。

花火は、庭から見えるので良かったです~。
でも、寒すぎ。
盆地の底冷えは、体にくるね~。痛いね~。
仙台の方が暖かいね~。

さて、またいろいろあって、いろんな繋がりがあって。
何から書いたらよいのか・・・。

------------------------------------------
つくづく、秩父平家なんだよ。
そこなんだよ~。
という風になってしまう。
秩父くさくなってる!笑
これは変成意識状態みたいに、おかしいです。
祭のせいじゃ。
明日になれば治ると思いますが。笑

11月23日の出来事。ある場所へ行ってみました。
大津波の本で日高見国の深山を妄想している時に、
ある人から、教えてもらった場所がありました。
極秘にしているわけではないと思いますが、
場所を明らかにしてはならない空気な場所。
申し訳なく、その場所はお伝えできないですが、
別にそこへ行ったからといって、何かあるわけではないです。

名取のある場所なのですが、「この場所知ってますか?」
と情報を教えてもらった。
それが富士山信仰に関係しているものでした。
富士塚というものです。

詳しいことは不明なのですが、名取の熊野神社創建に関係しているそうです。
それは霊性な話で、玉置神社と磁場?で繋がっているとか。
といっても高舘山の方ではないんです。

それで、東北地方で、富士塚や富士山信仰と直接関わることがなかったので、
珍しいな~とも思ったんです。
というのは、富士塚は、富士山の噴火の信仰がある「火」がルーツです。
でも名取や仙台平野は大津波を受けている「水」です。

それは、日月神示の「ひふみ」が意味することです。
どうやらここに、はるか昔、誰かが国常立命を置いたと考えられる。
相当昔です。600年以降と思いますが。

それをどうやってか、隠してきたような話。
が、今、それが見えてきたという話・・・。
ただ、何も残ってません。
そこが重要なんだと思います。


仙台・名取平野。
坂上田村麻呂がどこの場所か不明ですが、たぶん、高舘山だと思うんだけど、
陸奥へやってきた時に、仙台・名取平野の状況を説明している文献があるんです。
貞観地震の前から地震、津波はあり、しばらく湿地帯のように大きな水溜まりがあったりして、人が住めるような状況でなかったわけです。(海水が引かなかったそう)
しかし、それ以前は、多賀神社も国府も置かれていたわけですし、古墳も多くたくさんの人が住んでました。
震災と大津波で、こんな風になってしまったんだ~とマロもそう思ってみていたと思います。
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さて、実際、その場所へ行ってみたら、空気はイングランドのようでした。(感じ方は人それぞれですけど)
アイルランドではなく、イギリス。
紅葉の風景がそう感じたのかもしれないけど、雰囲気はとっても良い森で、
ヨーロッパの北の森の空気。それが意外でした。

磁場というならば、今、ポールシフトが起こりつつあるという説を思い出しました。
磁場が何かと関係していると思います。

ところで、日月神示とは何か?
そういえば、震災があった後、私は日月神事に関係する本を3冊も買っていた。
実家にあって思いだしました。
日月神示は天変地異のような予言をしていますが。実際どうなんでしょう?

Wikipediaから
「日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明に
「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊よる神示を自動書記によって
記述したとされる文書である。」
原文はほとんどが漢数字、独特の記号、そして、若干のかな文字の混じった文体で構成され、
抽象的な絵のみで書記されている「巻」も有る。

「なお、原文を解読して漢字仮名交じりの文章に書き直されたものは、
特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれる。
日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、
1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより
広く一般にも知られるようになって来たといわれている。」


国常立命を降ろした場所が、麻賀多神社(千葉県成田)です。
麻の産地だったので、麻がついてます。
延喜式では、「真賀多真」の勾玉から由来しているなど、
景行天皇に関係する古いお社のようです。
--------------------------------------------------------
日月神示の自動書記した内容の中では・・・。

「火であって水動くぞ、水あって火燃ゆるぞ。
火と水と申しておいたが、その外(ほか)に隠れてた火と水があるぞ、
それを一二三(ひふみ)というぞ。
一二三とは霊・力・体(ひふみ)ということぞ、言葉ぞ、言霊ぞ、
祓いぞ、禊ぞ、渦巻き(右回りの渦巻きの図)ぞ、スサナルの仕組みぞ、
鳴り鳴る言霊ぞ」
(昭和19年10月27日)

「世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。
雲出でて地(くに)となったのぞ、出雲とはこの大地(くに)のことぞ。
スサナルの神はこの世の大神様ぞ。」
(昭和19年11月24日)
※「日月神示の大予言:泉田瑞顕、久保脩著」より

といった意味の内容がたくさん書かれています。
実際、震災があってからたくさんの人が気づきました。
マイナスなことがあって、プラスのことがある。
それは、そうするしかないという事です。
今のような状態では、地球が変異してしまうのは当然のこと。
自然を破壊しているのだから、当然、返ってきます。

日月神示については、特段、深く妄想はしませんが、何かあると思っています。
震災以上のことが起こっても、私はそういうものだと思っています。
それにあらがうこともなく。

スサナルは、ホツマツタエにも登場してましたが、忘れた…

で、興味深いのは、日月神示でも大本教の出口王仁三郎さんも、
尾張の美濃から一人の女性が?救世主として顕れる的な予言をしてます。
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富士山が噴火したがっているのかどうか。
相撲でも日馬富士のことで、ザワザワしてますが、
富士山が噴火する変わりに?結果、日馬富士が噴火してしまったような・・・。
怒りの火をもってしまったのだな、と思ってニュースをみてました。
相撲は国技であり、スポーツではなく競技でもなく、儀式的なものです。
日本の神事。
日月神示の「言霊ぞ」は、そう言えますから、名前が重要なのかな、と思いました。

ところで、11月23日は考えてみれば、「123」が含まれてますね。
その日は、名取熊野那智神社の新嘗祭でした。
なので、行ってしまったのです。

宇宙は全て数字で説明できる。とはよく言われます。
ゾロ目はそういう意味で、普通、規則的に同じ数字が並ぶことはないので、
それも宇宙が規則的に流れている瞬間に、自分がその流れの中で存在している
と思えれば、奇跡的な事です。
惑星が一列に並んだみたいな。
数字も星の動きを表しているのでしょう。

そんなことがあっての12月3日。123の秩父帰省でした。
平家の「平」を崩すと「一八十」の「いわと」になります。
天皇陛下のご退位も話題になりました。
もうすぐ平成が終わります。「岩戸になる」平成が、
岩戸が終わると同時に、岩戸が始まる意味と考える。

精神世界の話ですが、明らかに世の中はガラリと変わるわけですね。
それに順応できる人は、難なく過ごせるという意味であればよいのだが、
「心して」というメッセージがある。
岩戸開きには、富士山が関係するような・・・。

ということで、秩父夜祭がなぜ、12月3日に必ず行われるのか。
理由は明らかではないですが、一二三の隠された一厘の仕組みがあるならば、
スサナルが存在しているわけですね。

さて、ちょっと秩父平家について、行ってみたい神社があったので行ってみました。
後で調べて、またまた不思議な繋がりになってしまいました。

名取のその場所へ行く前から、秩父へ帰省したら行ってみたい神社があって散策コースを考えて
いた時に、日月神示が出てきたわけで。

富士講は、関東にとても多く、秩父にも多いです。
それが噴火に関係していました。
津波の次は噴火・・・。

つづく
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おまけ~。
秩父夜祭の花火を庭でみてました。
でも外は寒いので、最後だけ。
ドーンという音で家が震動で震えるんですよ・・・。(2か所であげてるんですけどね)
そのくらい近いところで花火をあげている・・・。
テレビを見ていても、気になってしゃーない。笑





我家は市内からはずれてますので、明りがほとんどない暗闇で見える花火は圧巻。
まるで大きなスクリーンで花火をみているみたいです。
宇宙に浮かぶ花だね~。





123にふさわしい宇宙の幕開けでした~♪
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「ちはやぶる かみよもきかず」な紅葉

2017-11-11 | 日記・エッセイ・コラム
千早ぶる 神代もきかず 龍田川
 からくれなゐに 水くくるとは(在原業平朝臣)




茨城からの帰路は郡山を経由して下道で帰ってきました。
途中、きれいな渓谷をみつけ立ち寄ったのですが、
川の名前を忘れてしまった・・・。

百人一首の「ちはやぶる~」の歌とあう川。



この歌の意味は、「百人一首講座」から参考。

「神々が住み、不思議なことが当たり前のように起こっていた、
 いにしえの神代でさえも、こんな不思議で美しいことは起きなか
 ったに違いない。
  奈良の竜田川の流れが、舞い落ちた紅葉を乗せて、鮮やかな唐
 紅の絞り染めになっているなんて。」





千早の「ちはやぶる」の意味は、
「いち=激い勢いで」「はや=敏捷に」「ぶる=ふるまう」という言葉を縮めたもの
と解釈されるそうです。
神にかかる言葉が、「ちはやぶる」なんですね。

これも恋愛の歌だそうですが、百人一首は、ほとんどがラブレターみたいな
恋歌なんですよね・・・。



自然に合わせてみると、
迅速に勢いよく流れる川の力によって自然の美が保たれている。
これを神の姿とみた古代の人々の感性に、私も共感していきたい。



もう山は落ち葉になって紅葉が終わりつつあります。
高山は雪を被りそろそろ冬の季節ですね~。
(タイヤ交換まだしてない・・・)
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磐井氏の阿蘇ピンク石 

2017-11-10 | 日記・エッセイ・コラム
もう一気に書いてしまいます~。
葛城氏と直弧文について調べていた時に、
テレビをなにげなくみてまして。
チャンネルを変えたくなっていじっていたら、
ちょうどNHKの「歴史ヒストリア」という番組が始まる時でした。



あまりこの番組をみたことがなかったので、
なにかなあと思ってみていたら、「沖の島」でした。
世界遺産になったので、最近よくやってますね。
正直、興味がなかったので他のチャネルに変えようと思ったけど、
ちょうど九州と大和のことをやっていたのでそのまま見てました。

簡単に言いますと、朝鮮半島では百済と新羅があり、
その北側に高句麗がありました。
高句麗に攻められることがあり、百済は日本の大和と同盟を結ぶ。
もう一方の新羅は九州の豪族たちと手を結びます。

その新羅と共に戦ったのが、九州の磐井氏でした。
後に大和(百済)VS磐井(新羅)となり、「磐井の乱」となります。



磐井の乱(いわいのらん)は、527年(継体21年)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした
近江毛野率いるヤマト王権軍の進軍を筑紫君磐井がはばみ、
翌528年(継体22年)11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱、
または王権間の戦争。
この反乱もしくは戦争の背景には、朝鮮半島南部の利権を巡るヤマト王権と、
親新羅だった九州豪族との主導権争いがあったと見られている。


ああ、そうか、思い出した。
火の鳥でみた大和と隼人は、このことも伝えているのか、と。
(磐井氏が隼人だったかは不明です)

そして、番組の中で一番、興味をもったのが磐井氏の風習でした。
彼らは「石人」という大きな人形の石をつくり、石墓の前に門番のように
置かれていたことです。
磐井氏は石の埴輪を作っていました。
大和の古墳に埴輪が作られるようになった為と考えられます。



その石人とは、「石人山古墳」といい、
福岡県八女郡広川町一条に所在する前方後円墳。
八女古墳群を構成する1基で、国の史跡に指定されている。

それがなんと、Rさんが送ってくれた直弧文の情報にあったのです。
前回の写真「民族学伝承ひろいあげ辞典」からリンクした写真。
歴史ヒストリアで伝えていた石人は、
あの直弧文が刻まれた八女古墳群だったのです!(画像)



その古墳に石人を立たせて守っていた磐井氏というところが、
なんだか、悶々としてしまった。
この石人、槍でつつかれた穴がいっぱいあるんです・・・。

・・・で、磐井氏ってだれー!?
な、話なんですけど。

こんなにタイムリーに情報が入ってくるのは珍しいので、
見せられているのだな、と思います。
いや、そうなんです。きっと。

磐井氏の存在は知りませんでした。
なんせ、九州の古代史をあまり知らないもので。
その文様から葛城氏に継承されているという事。

そして沖の島ということで、宗像三女神がいます。
三女神の意味もなんとなくみえてきました。
文様で妄想するならば、すべてにおいて三位一体です。
永遠のシンボルです。

ケルトにかっこいい文様があります。
トリケトラというもの。(真ん中の図)



上:最もシンプルなトリケトラ。
中:サークルが組み込まれたデザイン。
このタイプのトリケトラはサークルが組み込まれる事により、
三位の一体性及び永遠性が強調されています。永遠の神性を現すデザインとして
クリスチャンのトリニティーシンボルとしても好んで使用されます。
下:ダブルトリケトラ

日本でもある水引に似ています。


でも、直弧文にその思想が見受けられない。
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今回の茨城探訪は、横穴式石室を残した装飾古墳や、
また九州からわたってきた豪族について、いろんなことを考えさせられました。

多氏の実態は、あまりよくわかっていませんが、
黒坂命は多氏一族だった。
神八井耳命である兄が弟に皇位を譲ったという話が真実であれば、
あまり表に出ることはなかったと思います。

多氏に興味があるのは、埼玉の巨大前方後円墳から出土した
(稲荷山古墳)鉄剣に「意富」の名が記されていたこと。
オオ=意富、於保、多、大、太。
秩父にも太田や別所といわれる地名がある。
別所も産鉄族の多氏に関連する土地であり、また妙見信仰にも関係している。
相馬に横穴石室(装飾)古墳が多いのはそのためであるが、多氏がどんな人であったかはわからない。

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また、「民族学伝承ひろいあげ辞典」にこんな記事がありました。
この磐井の乱があった九州事情について、

「装飾古墳をもつ九州の多氏が同じ神八井耳を祖神とし、
なおかつ神武天皇の直系と自称したのか?」

「筑紫君磐井が敗れる6世紀中盤前から阿蘇ピンク石石棺が一気に出現し、
産地である宇土半島以南に中央の靫負大伴氏を「我が君」と仰いだ火の葦北国造がおおきく
繁栄し、そして磐井の乱後、突然阿蘇の石は使われなくなる。

「これはなにを意味するのか?そのあと大和ではなにが起きていたか?
継体大王とその皇子たちが死んだと「百済本紀」が書き残し、
摂津の淀川に今城塚古墳が出現、時代は欽明へ。

そして今城塚の中から継体時代最後の阿蘇ピンク石が出てきた・・・・。」

「倭五王の4~5中盤まで、菊池川産灰色凝灰岩石棺が独占した畿内の古墳。
それが装飾の衰退を契機に、一気に宇土の石に変化。
その後、磐井の乱、大伴氏の失政があって物部氏や蘇我氏が強大化。
とたんに阿蘇ピンク石石棺は消え去り、葦北国造も百済も衰退。
継体に代わって蘇我氏と欽明出現。この謎は?」


ん~。。。阿蘇ピンク石?
大王の墓にピンク石を用いていたようで、
継体天皇と欽明天皇の間になにかあったようなのです。

「ピンク石」が何か?これも偶然見つけた。
11月6日のニュース。

「朝倉に謎のピンク岩」(西日本ニュース)



「九州豪雨で被災し、休館している福岡県朝倉市黒川の
「共星の里 黒川INN美術館」の周辺で、ピンク色の巨岩が多数発見されている。
豪雨により上流部から流れ込んだとみられるが正体は謎。
同館では珍しい岩を使ってアート作品にする構想を練っており、
同館アートディレクターの柳和暢さん(70)は
「地域の復興と再生のシンボルにしたい」と話している。」

「岩はもろくて崩れやすく、付着した土砂を取り除くとピンクや薄紫の地肌が出現。
柳さんが調べたところ、約9万年前の阿蘇山の大爆発でできた熊本県宇土市産出の
「馬門石」にそっくりで「大昔の大災害の証拠かも」と近く専門家に分析を
依頼する予定という。」


なんとまあ、こんなに繋がるとは!
最期にもっと驚いた。
というか、やっぱりというため息・・・。
最期の最期に、こーきたか。

北九州にも多氏の痕跡を残す地名が残っている。

「佐賀郡大和町はタイワと読むのですが、オオワと読む名前がいるように、
以前はオオワの「於保」という多氏の存在を示したのかもしれません。
ここから佐賀県市に流れていく「多布施川」は元は「オオセ川」だったかもしれない。
そしてこの於保里や於保の北側は、福岡県との境をなす背振山系ですが、
そこには製鉄と関連すると思われる金山、金ノ頭、金立山、金敷城山、
倉谷、久保山、伊福、雷山などの地名が散在します。
また、那珂川のナカも、朝倉のアサも産鉄用語になる。
この那珂川と常陸の那珂川の関連については、吉野氏の指摘通りであります。」

※産鉄族の多氏

「背振山系」とは、ILCのリニアコライダ―の候補地になっていた所でした。
ILCアジアー九州推進会
https://www.ilc-asia-kyushu.org/

なぜ九州と東北には地震が多いのか。
なぜ、背振山系と北上山地が選ばれているのか。
世界中に花崗岩はあるのに、日本が選ばれた理由は何か。

何度も言ってますけど、歴史は何度も繰り返す。
また同じ金取り合戦をするわけだ。
また、まつろわぬ民は延々追われるわけだ。
そして地元人がそのツケを払うことになるわけだ。
見えないようにして。

また、ちょうど日本に、イバンカとトランプが来日していた時です。
北朝鮮の問題など、いろいろからんでます。
アジア各国を訪問したのは、これからはアジアが重要になるからでしょう。
アジアが分断したら、世界が破たんします。
ただ、日本人のフィーバーぶりが気持ち悪い。

・・・繋がりすぎだね。
香香背男の「背」。北の月とかく背。
これは、九州の阿蘇氏と東北の安倍氏の叫び?
もう叫んでるみたいな。
でも私たちの耳には何も届いてない。
だから、その間に多氏が入ってきて、いろんな事を伝えているわけです。
私には、古代史を延々綴ることしかできませんが。

大洗の渦巻きから始まり、黒坂命→多氏→石室古墳の文様。
そこから葛城氏の直弧文から磐井氏の乱。
そしてピンク石。。。ずいぶん遠回りしてきた感じだけど。

渦巻きは「始まりでもあり終わりでもある」
このメッセージは、「アルファでありオメガである」という意味だな。

ピンク石の使い方は、
「敷地内に館の名称の「星」にちなんで、北斗七星とカシオペヤ、
北極星の形に配置することを思い付いた。」

そうです。

こういう弔い方だけは伝授されている。
それはそれで良かった。

それにしても竪破山に登っただけで、こんなに情報が入ってくるとは!
あの山はすごい!ただもんじゃない。
このピンク石が鎮魂になることをお祈りしております。

てなことでミッション終了~。
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多氏の渦巻きと葛城氏の直弧文 

2017-11-10 | 日記・エッセイ・コラム
奈良県には多くの石室や石舞台古墳があります。
石室に紋様を残しているのは、九州が発祥ですが朝鮮半島を経由して
伝わったとされています。
しかし、ある時代を境に、このような石室や石舞台が姿を消します。

ちょっと竪破山から外れた話になりますけど・・・。
大洗の渦から竪破山へ登り帰路についてから、改めて葛城氏について考えてました。
このような石舞台や巨石を考える時に、いつも思い浮かぶのが柴田町にある拆石神社
なんですね。あの小山にも石室の墓があり裏手に巨石の壁があります。
石でふさいでいるように見えるのです。
その場所で留めているといった空気なのです。
そのような思想はどこからくるのか?
以前から、葛城氏が気になっていたところで、不思議なことがわかりました。

いろいろ葛城氏と巨石についてネットで調べていたら、
こんな情報を見つけました。

国の史跡に指定されている宮山古墳は奈良県御所市に位置する前方後円墳。
4,5世紀に築かれたもので墳丘の長さは238m。
ここは国の史跡でも誰でも立ち寄れるそうです。
そこに被葬者を安置した埋蔵施設、竪穴式石室が存在するのですが、
これがとても不思議なものなのです。



「石棺に付随する丸い部分は縄掛突起と呼ばれており、
石棺を引っ張る際、縄を引っ掛ける部分。
縄掛突起の巨大さからも、被葬者の強い権勢がしのばれます。」


この墓の被葬者が、「葛城襲津彦」であると。
葛城襲津彦(そつひこ)とは、4~5世紀に推定される古代豪族で、
武内宿禰の子といわれる。葛城氏や同族の祖。
『百済記』の類似名称の記載からモデル人物の強い実在性が指摘される。

ということで、実際にいた人物だった墓となれば、大発見です。
ですが、この人の人物像より、もっと関心をもったことがありました。

「被葬者の権勢は出土した埴輪群からもしのばれます。
石室の周囲には方形の埴輪列が二重にめぐらされており、
そのなかには家型埴輪のほか、楯や靭などの珍しい形象埴輪が含まれていました。
写真は靭型埴輪(「靭」は弓矢を入れる箱)を復元したもの。
高さは147センチメートルと大きく、見るものを驚かせます。」




この写真をみて釘づけになった!
これは、直弧文(ちょっこもん)ではないのーっ!!

この紋様、あまり知らない人が多いと思います。
私も知りませんでした。
半年以上も前になるかなあ。
縄文好きなNさんが籠の模様をみていた時見つけたそうで、
Rさんが、教えてくれた情報なのです。

「こんな紋様があるけど不思議だよね」って以前、いくつかのサイトを
教えてくれたので、スマホのブックマークに保存してました。
いつもだったら必要ない情報はすぐ削除するのですが、
これだけはいつか必要な時が来るだろうと思って、削除しないでずっと保存してたものでした。
よかったよー。削除してなくて。笑
まさかね~、葛城氏で繋がるとは!



ちょっと雑な感じの直弧文ではありますが、まぎれもない直弧文です。
※画像:Travel.jpより
https://www.travel.co.jp/guide/article/12265/


※画像:直弧文における斜交帯の起源に関する私見 -ちょっと寄り道直弧文解説講座-

直弧文とは-----------------------------------------------------

わが国古墳時代に,「直弧文」という独特な文様がある。
なぜか他国にその類例がなく,また6世紀後半以後,国内にもそれを伝承するものはみられない。

その定形は装飾古墳の石障,石棺などに施されたもので,
正方形に近い方形を枠として,その2本の対角線と,帯状のテープがからみ合った図柄である。
また貝輪などの装飾に施されたものは,方形の枠はなく,不整形な文様となっている。

その構成はひじょうに複雑であり,
しかも動きの表現,とくにほとんどが回転運動をあらわしている。
直弧文は、装飾古墳の石室、刀の装具などに用いられる紋様で、
仏教伝来とともに消えている。

日本独特の幾何学紋様である三角文や円文や渦巻きはあるけれど、
直弧文は、直線と円弧という2種類の幾何学文様を組み合わせたもので、
それ自体がそのままでまとまりがあり、装飾効果をもっている。

※直弧文考:小山清男より参照

特徴は、必ず「直」とされる2本の対角線を四分割していることにあるそうです。
簡単にいえば、円を4つの正方形に区切っていることにある。


※直孤文鏡(復元)
新山古墳(しんやまこふん)出土。(奈良県北葛城郡広陵町)

私はこの不整合にみられて実は整合されていることに、
異常巻きアンモナイトを思い出した。

この複雑な文様はどう解釈すればよいか・・・。

おそらく、縄文時代から続いていた渦巻きの死生観が、
直弧文によって死生観が変わった時代とみている。
つまり、縄文時代やケルトなどのはるか昔の渦巻きというサークルは、
あの世とこの世を自由に行き来できる魂であったものを、
直弧文によってサークルを四方に閉じることで、
永遠に戻ってこないようにする死生観であると思った。

以前に書いた「言霊と物部氏の渦巻き」より

渦巻きは、「閉じる」と「開く」を意識しているような描き方をしている。
渦を描いて「結ぶ」のは、ケルトにも四つの結び目がある。
円を描いた中に、4つの結び目をつくる。


ケルトの渦巻き

原始キリスト教やユダヤ教の渦巻き

日本の渦巻き(左巻き)

秋田物部氏の渦巻きも、最後に十字に結びをするものがある。
ケルトの場合、4つの結び目は、4つの方角、4元素の意味がある。
物部氏の2つの結びというのは、陰陽の結びを行っていたと思われ、
それが「虫おさえ」というもの。
虫はおそらく龍のことで、地下のマグマの振動、地震を指すものだと思います。
要するに地震の揺れを抑える祈祷ということ。

物部氏の祈祷は、人の魂に対して行うより、要石をおくように
地下に存在すると言われる龍封じ(地震)など、地球のための祈祷と考えられます。
これが後に、人の魂に対する封じ方に変わったのではないか?

「民族学伝承ひろあげ辞典」に興味深い話がありました。
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/49495749.html

「渦巻きは永遠と再生願望を示し、死者のヨミガエリを願う呪の模様として、さかんに使われた。
やがて渡来した模様にもそれとよく似た弧文があった。
それはもともとローマの忍冬唐草紋だった可能性はないか?

縄文の永遠再生願望の発想からならば、渦巻き、円の切り取りはあり得ない。
それは命の永遠を断ち切る思想となってしまうからだ。
本来なら円や渦は一筆で描き続けられ、終わりなき絵柄であるはずだ。
吉備の亀石のように。ところが大和では、それが唐草模様のように切り取られ、
篭目のように組合されてゆく。そこには永遠性、再生の夢がない。
これはファンタジーなき冷徹な「封じ込め」の呪文である。」

「同じように、大和の古墳は竪穴に封じ込める。
また九州の横口を取り入れた後期になっても、九州のような開放された宮殿の様式をとらず、
石槨という閉ざされた箱のような部屋を巨大な石で塞いで、
死者が永遠に再生しないように封じ込める様式を採用するのである。
しかも石棺もまた、完全に閉じられるように、細密に、ぴったりと身と合致するように
(合子・ごうす式という)設計した。
ここが大和が、地方とは違った命の哲学を持っている証明なのである。
しかも家族の追葬や、周年祭祀(いわゆる仏教の法事・法要)を許さない、
「封じ込める」再生観だ。」




むむむー。
ですが、魂というのは、そんな風に封じ込めることで
自由を奪われるということになるのかねぇ・・・。

でも、現代人よりずっと宇宙を知っていた古代人が、渦巻きを重要視し、
最期の弔いだけは、ちゃんとやっていた事を考えると、死の儀式がとっても重要だった
ことがわかります。そのような自由な宇宙思想とはかけ離れ、
自らの肉体を封じ込めてしまう発想は、人間を宇宙から遠ざけることに等しい。
それは、古代人にとっては理解できないものであったと思う。

妄想するに、縄文時代やそれより古い時代の死というのは、
単に魂を肉体から離れさせるだけだったと思う。(幽体離脱のような)
それなら、また戻ってきたければ、肉体に戻ってくればよい。
といった死生観だったと思います。

でも現代は、死は苦しみであり孤独であり、恐怖となっている。
この時代の豪族たちが、あまりにも悲惨な?生き様であったのか、
もうお役目終わりましたと。もう戻ってこなくていいよ。
といった優しさであればよいが、そうではなく、完全な封じこめだとしたら、大和の弔い方は好かんなぁ。

いずれにしても、葛城氏の墓に直弧文を記す意味とは、
円を4角に閉じることから、四方向には逃げられないという意味か、
もしくは、迷宮のように流動的にその中で生きることを強いられるような意図がある。
もう生まれ変わる必要がない呪いを仕掛けたと言えるかもしれない。

多氏が残した文様-------------------------------------------------------

それに対し、多氏が残した横穴石室には、直弧文は見られません。
ケルトによく似ています。
横穴式石室の三角形、鋸歯文や同心円は、旧石器時代まで遡り、
黒海やコーカサスの周辺が関連すると言われています。
ウクライナの骨から刻まれた文様も同じ形だったと。
農耕民より遊牧民の方が、抽象的な意味にとらえる傾向が強い。


福島県双葉町にある石室古墳の渦巻き。3Dアーカイブされます。
この古墳も多氏の痕跡があると考えられている装飾古墳です。

この図は、人の肩から渦巻きを描いています。
そばには猪と鹿の間に矢じりが描かれている。
これについて、「産鉄族の多氏」より、
「・・・この人物像は墓主とみてよい。そうすれば肩にかかる渦巻文は、
この墓主の霊をみちびく霊妙な神秘性のあるものと考えられないだろうか・・・」

装飾古墳は、亡くなった人の場面が描かれていることが多い。
武人であったり、そばには貴重な財産であった馬などを描く。
動物も描いたり、とにかく賑やかだ。

しかし、九州の横穴石室には渦巻きはなく同心円のみであると。
東日本の太平洋沿岸にきて渦巻きが描かれている石室があるのは、
海が渦を巻くのをみて描いたのでは?という説があったり、
渦巻きを簡素化するためとの説がありますが、真相は謎。



虎岩古墳の右上に隼人の盾と同じ渦巻きが記されています。
中心に見えるドーナツのようなものが同心円。

三角形が重なっているのは、ホピ族も同じような文様を体に刻んでいます。
これは水の意味がありそれが魔よけにになるそうです。
-------------------------------------------------------------
余談ですが、世界中に不思議な幾何学文様が見つかっています。
最近では、カザフスタンの地上絵が不思議です。
ナスカの次にすごいと言われた地上絵。
しかも、この絵の発見は、Google earthで見つけたって…。
その絵の中で、この図に釘付け。
これはどこかでみたような~…。


※TOCANA


ケルトに似てるなあと。
トリプル・スパイラル(トリスケル)というもので、
巨石時代、新石器時代のアイルランド遺跡にも多く見られるもの。
紀元前3200年頃に作られたニューグランジ遺跡の石に彫り込まれた
トリプルスパイラルで有名です。


ナスカのお猿も渦巻き。

さて、そんな直弧文なのですが、また不思議なシンクロになりました。
多氏の残した石室は、九州が発祥というのは知っていましたがこのような形で、
繋がるとは思ってもみませんでした。
直弧文が何かを訴えているみたいで。

この記事を書き終えてベランダに出たら、
クロスしている飛行機雲が。
まるで葛城そつひこを弔ってくれているような十字雲。
これで終わりたいところだけど、もうちょっと続きます。

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