秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

私はアルファでありオメガである

2017-03-25 | エミシについて
スピリチャルな話なんですけど、あえてこういう世界を
東北の古代史と繋げてみたら、いいな~と思っています。

この言葉がメッセージの中で一番重要な意味があるとわかったんです。
まだ、続いている水沢なんですけど。。。

どう思うかは自由ですので~。
妄想が暴走してま~す。
また不思議なシンクロで驚いています。
というか、これを無視できないものというのは、やっぱり世の中は
目に見えないところで、何かが着々と動いているんだな、と感じます。

また、youtubeなんですが、これは賢いですね。
今のネット技術は、ストーカー並みにしつこく情報を検索してくれますね。
自分にあった情報を。
過去にみた履歴を知っているから、私が好みそうな情報を探してくれる。
気持ち悪いけど、探す手間がはぶける。

これはこれで多いに利用すべきだと思いますけど。
なので、いつものように面白い動画をみていたら、
こんな動画が出てきた。
「2017年アセンション予報 3月13日付 大天使ミカエル 
”3月20日に、人類は2つのタイムラインに分かれます”」

・・・・・・・。
もう点がいっぱいつくほど???なんですが、
動画を見ると、文章がツラツラと流れるだけの動画だったので、
それだと疲れるので、何かテキストでこの内容について載せていないか検索したら、
結構、でてきたんです。

その中で、「メダフィジックス通信」というのがあったので、
それを読んでみたら、あの言葉があったんです。
http://metaphysicstsushin.tokyo/2017/03/14/%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%97%E5%B9%B4%E3%82%A2%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E4%BA%88%E5%A0%B1%E3%80%80%EF%BC%93%E6%9C%88%EF%BC%91%EF%BC%93%E6%97%A5%E4%BB%98%E3%80%80%E5%A4%A7/

引用します。
「創造主による新しい地球の創造です
銀河に残存する支配者たちは、ソースの光に連れ戻され、魂レベルで再生され、
これまでとは違う形で存在することになります。

これは大天使ミカエルの主要な任務です。
カトリックでは、サタン、デビル、ドラゴンなどと呼ばれる支配者たちは、
地球の時間で言う2017年3月20日、私の聖なる槍に貫かれ、
もはや居場所を失うでしょう。

人々から生命のエネルギーを奪う彼らを止めることができるのは、私だけです。
これが私の神聖な義務であり、主要な目的です。

これによって人々が被る損害は、永久に終わりになります。
この宣言は、天使と唯一の創造主の意志によってなされます。
天国の王国が地上にやって来ます。求める者は皆、それを目にするでしょう。
この聖なる告知は、地球上の時間で2017年3月20日に施行されます。

唯一の創造主はここにいて、人類の領域を上昇させ、
望む者に永遠なる宇宙の王国を与えるのです。これは創造主による新しい地球の創造です。
この宣告はアルファにしてオメガであり、私、大天使ミカエルによって署名され、
天と地上の全てが目撃し、私の真実の印によって永遠に実施され続けます。
この宣告は施行され、アカシックレコードに永久に刻まれることになります。」


う~ん。。。今年が特に春分の日に何かあったのでしょうが、それで何がどうなるかわかりません。
私も「アルファでありオメガである」という言葉が異常に強いなあ、と思ったけど、
最初は無視したんです。でもやっぱり気になるので、水沢探訪の最後に付け加えて書いていましたが、
「水沢からわかったこと」で書かないといけないと思ったものでした。
その時に、何の根拠もないのに「アテルイは複数いる」とも書いた。
実は、これが、イスラエルに似ていることに気づくんです。
後でこれがでてきました。それらしい話が。

実は、この言葉は、イエスキリストやミカエルが発していた言葉であると知り、
考えてみると、アテルイのAから緯度を計測した木村先生のZが見事にハマるんですね。
アルファはAで、オメガはZですから。

だから、これは素直に受け取ってみようと。
3月20日は春分の日で、これを知ったのが昨日だからすでに過ぎてますが、
北緯39度8分の宇宙の話で、春分の日のズレや、木村先生が見つけた
緯度のズレの解明の背景に、何らかの外敵な圧力により、地球内部の流体核が共振し、
ズレが生じる現象があった。
それが「潮汐」だったんですね。

その時、その瞬間、その地球と宇宙の惑星たちとの共振により、
魂の震えが起きると、古代の人たちは、それをひとつの宇宙への扉と考え、
唯一、宇宙との交信ができる瞬間と捉えていたことがあったでしょう。
それがアセンションということに繋がる?
はるか昔、忽然と消えた先住民は、アセンションしたと言えるのでしょうか。
まあ、妄想で。

いまいち、アセンションの意味がわかりませんけど、
別に死んでしまうということではないそうです。
このまま、生きながら別の世界へ?行くようです。
そうなると肉体がいらない。

でも、肉体も一緒に持って行くとなれば、自由に肉体におりてきたり、
肉体に宿すこともなく、透明人間みたいなことになっていく?
ますますわからん。。。

で、それが2017年3月20日に、「再び」起こったような内容になっている。
メッセンジャーな存在が、それを伝えるために「わざわざ」3月11日に
水沢に導いてくれたと思うこと。

シュタイナー理論が入るけれど、
イエスキリストの自我の芽生えを行った紀元前、救世主のように顕れた聖者が、
東北地方にも顕れた時があった。
「わたしはアルファでありオメガである」
というのは、「私はわたしでありすべてである」という始まりと終わりの意味があると。
再生の意味でもあるのですが、私が考えるのは、
縄文人や先住民たち、民族の意識というのは、集合体にあったので、
「すべてのものは、わたしもその中の一部」なんです。
「わたし」という個がなかったから、アイヌ人も外国人が来た時に、「私は人です」と言った。
でもキリスト教というのは、「私はわたし」という自我を芽生えさせることで、
他者との比較をもたらしたのだろうと思う。
私とあなた、という対になるのは、そこに神をみるという思想は同じです。
相手は、私の鏡です。

ですが、そこに悪というものがでてきた。
私を善とし、見える世界が異なると、悪とした。
自分とは異なるものに対し、差別した。
それが失敗した覚醒だと思っています。
そこも含めて、「それも全てである」と言えない人が増えてきた。
なので、大洪水が起こったとか。
----------------------------------------
大和朝廷は、先住民に姓(かばね)や役職、土地などを与え、
所有することを意識づける改革を行おうとしていたんでしょう。
それがイエスキリストの革命みたいなもので。

しかし、その自我の芽生えが善かれと思ったことが、失敗した。
そのため、キリストは罪をかぶり十字をかけられた。
ですが、「イエスの再降臨」という噂が後を絶たない。
ということは、再び、イエスキリストが「最後のチャンス」として、
もう一度、再来するという意味に思えたんです。
それが今年の3月20日に起こった出来事・・・。

ということは、アテルイの働きは、イエスキリストとも言えるんです。
ちなみに、神というのは、自分がそうやって投影するもので無限大です。
なので、アテルイがイエスだと言っているのとは違い、そう感じたということです。

例えば、武甲山は私にとって幼い少女にみえる。
ある人は、スサノオのように見える人もいる。ヤマタノオロチみたいな。
あたある人は、老婆に見えるとか。
そういうのは、自分の肉体を通して見る世界だから、
人が無限大にあるのと同じで、神も無限大です。
私にはそのように感じるモノを、どこかで過去、覚えているから、その感覚が蘇ったということ。
それを投影するならば、イエスキリストのような男性の姿に見えたんです。
イエスではないかもしれないが、他の聖者を知らないので、イエスだと思っています。
ちなみに、日本人によく似たアジア人です。

だから、アテルイが終わった感じがしたというのは、「完結」の意味だったんですね。
アセンションの完結かどうか、そう思いたいけど・・・てか、そういうシンクロなんだっけ。
でも、全然、実態として感じ取れないけど、そういうもんかね?

後で細かく妄想しますけど、蘇民将来の話をする前に、
このことを知っておいてほしい。というメッセンジャーがあったと思わざる得ない
話になっていくんです。

なぜ、刀より剣の方が大事か。
これもアテルイの剣が伝えていると思うのです。
以前に書いた話「伝アテルイと剣」で、こんなことを書いてました。

「剣から刀になることでかえってバランスを欠いたことはないだろうか?
判断力の欠如により、ただ恨みをもって自分だけの勝手な念を消したい為の道具にすぎない。
剣は切らないから両方の手でもつ。
刀は片方だから、片手で持てるように考えだされた。
剣を口の中に入れる不動明王があるが、山頂に置かれた鉾や剣をみても天から垂直に
落ちてくる力を大地に含め、人間の体内にも含める。

体の中心の軸にエネルギーを通す時、剣を使って地球の大地の中(マグマ)まで
響かせるようなイメージ。
それを落雷に委ねたのだろうと思う。当たったら死ぬけど…。
雷神とは、剣を使って大地にエネルギーを投入したとか。
意外にも雷と剣は深い関係がある。」

「そのようにすると、大地震がおこるような震動があったのかもしれない。
それは直刀でなければならなかった。
「天羽羽矢」は羽を2つ書く。羽とはこの場合、刀のことで刀が2本で剣になる。
それを「ハハ」とよび、蛇と重ねた。
月山刀は、赤色の蛇とよばれ、ヤマタノオロチの時に生まれた剣と伝わる。
八劒神社はヤチホコの意味で、大国主を祀る。
また、「八つの肝」の意味もあり、肝は五臓の中で一番重要。
肝心、肝に銘じる、というように剣で五臓をおさめる。
そんな意味がありそうです。」


※岩手県指定文化財 毛抜形透蕨手刀 陸奥国 中尊寺蔵
長52cm 反り0.4cm
エミシの首長・悪路王の佩刀(はいとう)と伝えられる。

大事なのは、剣は2本。
刀は1本。
バランスをもつためには、剣は2本必要。
でも今は、1本の刀しか作られない。


※太刀 銘 舞草 陸奥国 鎌倉時代後期

あの頃は、日本は大きく2つの国にありました。
西の大和と東の日高見国です。
飛騨のヒナからきています。縄文=ヒタカミです。
ヒタカミは、大和からみたら異国でした。

朝廷は、植民地のようにヒタカミを支配することを考えていたのではなく、
中臣鎌足の言葉にあるように「小国なれど大国あれ」と言ったのは、
外国からの侵入を防ぐためには、大王が君臨し先住民を従えている強国であることを
記さないと、すぐ植民地にされるからです。
なので、書物は時として勝者側の理想で書いたのではなく、日本がを支配されない為に
書いたものでもある。弱い国と見せないためのもの。
真実の書物が葬られたのは、そういうのを理解できない民族が多く集まってきたから。
そんな話をしても通用しないからです。

でも、ある時突然、そんな真実が個々の人の前に顕われる時がすぐきます。

先住民に自我を植えさせるというのは、ある種の洗脳で、
農業をたくさんする人が必要だったからです。
「土地も木々も自然もすべてものは、みんなのもの」という考えから、
「俺のものは俺のもの。お前のものも俺のもの」
というジャイアンな倭人がやってきて、のび太がびっくり。
(なんでドラえもん・・・)

東北は資源が豊な縄文の聖地だったので、西の大和は先に支配することを考えた。
他の国にとられないように。
そこで派遣されたのが、海賊として強かった安曇氏の子孫といわれる阿部比羅夫でした。
海を防御する「防人」です。
後に、熊野水軍や安東水軍、村上水軍などが台等し、豊臣秀吉の時代になって
鎖国を強行したのは、日本人が海外に奴隷として売られていたからです。
だから鎖国は正しかった。
しかし、これも善かれと思って失敗した例だと思います。

というのは、マロが派遣されてから争いが治まったというのは、
姓を与え、仕事を与えるようにしたのですが、それが海賊の強化だったと思うのです。
ですが、その強化された海賊が力をなし、多くの日本人が海外へ売買されるようになった。
後に豊臣秀吉は、村上水軍を倒しています。
徳川家康の時代になってから、完全に鎖国となり、日本人の奴隷売買はこの頃で終わったと言われます。

また、陸奥には大和からたくさんの豪族がきていたので、そういう人は地元へ帰らせた。
代わりに、他の地で仕事を得たい人を「農業を学ぶ」研修という口実で、
実は、防人として海軍にさせていたのではないか、と思います。
エミシは体格もよく力があったので、農業にはあまり向いていなかったんだろうと。
元軍事だった人もいたわけですから。

阿部比羅夫が来た頃から、すでに東北地方では交易がさかんでした。
その水軍力は、マロが必要としていた事だったと思います。
平泉にアフリカの遺品があったのは有名な話で、水軍力が勝っていた場所でした。
また、大和朝廷がアテルイやマロの時代から、争いがなくなったような話にしているのは、
この頃になって湾曲の刀(舞草刀の原型)が作られるようになったからでしょう。
隕鉄剣というもので、それが原型なのですが、二ギハヤヒの依り代だという。

後に切れる刀に考案したのは、朝廷など大和や海外からの侵入を防ぐ目的の
戦いを教えていたのが、アテルイとマロだったかもしれない。
そのための刀を持たせた。
すでにこの頃、純粋な鉄で湾曲の技術をもっていた人達がいたことを
朝廷は知った時、戦うのをやめたんですね。勝てないから。
それがアラハバキ族だったといわれます。
その代わり、争いではなく政治、経済で支配していくことに。

大和朝廷が先住民にしてきたことは、農民をたくさんつくれば、食べることには
困らない社会を作りたかった。今と同じように。
いつの間にか、柵(みかけだけですが)を設けることで、
だんだんと自分の領域が狭くなり、行動範囲も狭くなります。
そうなると、狩猟ができなくなってくる。
農業をしざる得ない。
よって、自分の意思や力で自立して生きていく術を失っていきます。

洗脳というのは、そうやって土地を区画していくことで行動範囲を監視する。
そこにリーダを持たせたのは、熟エミシというもので、
エミシの中でも階級をもたせた。

そうなると、差別がうまれる。
それが発端で、伊治コレハリ(栗原のルーツ)の乱が生まれたと思います。
これもエミシ間の差別から生まれたらしいですが、
エミシの中でも階級をもたせることで、朝廷は、分断を起すように仕向けている
感じがするのです。そのやり方が、今も変わりません。

実際、前九年の役は阿部氏や藤原氏、清原氏たち兄弟の争いですよね。
それが発端ですから、一族だけの話なんです。
国とかの話ではなく。

でも争いは、柵の中だけで行われるようになっているので、
京都の朝廷までは及ばない。害をこっちには起さないように分断をさせている。
そういうやり方がみえる。

一族を滅ぼしてきた武将が集まっていた所に、平泉の仏教寺院が建てられました。
鎮魂の意味がありましたが、なかなか世界遺産にならなかったのは、
そんな悪をしてきた思想を遺産として認められないという事があった。

ですが、東日本大震災で世界遺産に認められた。
世界遺産を決めている人は、世の摂理を見ている人たちです。
どこかでその罪を精算したものと、認識していないだろうか。
そういう風にとらえて歴史をみている外国人の視点はすごいが、
東北の人たちは特にそれをわかっていない。
一番、多くの被害を受けているのに。

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アテルイの名前は正式に、大墓公阿弖利爲というそうです。
一般的に、エミシの族長の名前は、地名や場所に「公」(朝廷から認められる)
で名前なんだそうですが、この名前の付け方に似ているのが、バビロニアにあります。

カナンの地域にいた嵐と慈雨の神である「バアル」です。
バアルは、「主人」「地主」という意味。
メソポタミア文明に出てくる神話なのですが、
棍棒と槍(稲妻の象徴)とを握る戦士の姿で表され、雨により豊饒を与える。
血縁を大事にする民で、詳しいことはわかりませんが、
イスラエルの人たちとはちょっと違うようです。
その偶像として崇拝されていたバアルにも、固有名ではなく複数の男神を表し、
それぞれの地域によって崇拝された地名などをつけるという。

「各神殿はそこに祀られる神の名を表し、各地方及び地域は、
その最高位の神で保護神をバアルとし、こうして「神は主(der Gott, der Herr)である」、
つまりバアルはその地方およびその住民の「所有者」であり、その種族、部族を臣下、
下僕、下女として「支配」するものであることを意味します。
そういう点で、バアルという呼称は「厳密にはどの神に関係のある主であり所有者であるか」
を補って考える必要がありました。そのような例は、
バアルが祀られている地域によるもので、様々なものがあります。
例えば、ティルスのバアル、シドンのバアル、タルフス、ハラン、
ヘルモンの、ペオル山の、ビブロスのバアラトと言ったようにです。



※バアルと偶像崇拝より
http://blog.goo.ne.jp/watapi_1968/e/ecba7c27c5360012599fc4f921a6b2d9

これも以前、イナンナの話で書いてました。
この像が似ているんですね。
片手をあげた姿は、釈迦と同じですね。


「釈迦は7歩歩いたあと右手を高く挙げ、左手を下にして
「天上天下唯我独尊」としゃべったそうです。」
仏教でのイエスキリストの降臨というのは、釈迦の降臨ともいえるのでは?

イナンナは、イシュタルの女神と同じように語られているアナトという女神もいます。
アナトの配偶者が、バウル(男神)という嵐と慈雨の神がおり、
バウルはセム語で「主」という意味。


ヤムという海神とは敵で、荒々しい自然界の水を征する
利水・治水の神を象徴しているそうです。

バウルの実りの雨により、命を養う糧を得る伝説があるのですが、
敵を臼で粉々にひいて、畑にまいた話しになっている。
これが、狩猟文化から農耕文化への転換期を伝える話し。

つまり、先住民といわれたまつろわぬ民は、狩猟をしていた民で、
中東の方から鉄の技術をもっていたバビロニアなどにルーツをもつ人たちと言えそうです。
その人たちの中に、フェニキア人の商人がいた。
だから東北地方は交易がさかんだった。

ちょっと長くなりますけど、もうちょっと我慢して下さい。(汗)
東北に逃れた物部氏をマロが起用してきたことにも関係するのですが、
カナンの地を望んでいた人だったと思い、そこに胆沢があったのでは、と思う。
フェニキア人がたくさん上陸していたのではないか、と思う。

湯殿山に「常世岐神」の石碑があるのですが、以前にも書きましたが、
赤染氏という染色技術者が祀る神であった。
染色は出身地の名前をつけるそうで、紫や赤は、カナン人の輸出商品だった。
カナン人はノアの大洪水で助かった息子の名前。
そのルーツの秦氏がおり、西陣織を伝えたといわれる。
また、戦いの時は赤い旗を掲げていた。

その赤染氏が祀る神社が河内(物部氏が占拠していた所)と、
北部埼玉にしかないそうです。
また、秋田のなまはげ伝承のある赤神神社は、漢の武帝がやってきて、
鳥海山に上陸。そこに赤い旗を置いてきた一族が自分たちがこの世を創った一人である
と言った伝承がある。
バベルの塔のように、99段の階段を作ったが、夜があけてしまったので、
100段までに至らなかった話。
これらの伝承は全国にありますが、なまはげ伝承にもあります。
共通するのは巨人族です。
巨人は地球を離れて別の次元に移動した人たちと言われています。

また、バウルは天を司り、妻は、豊饒の女神となっている。
これらを対に一緒に祀ることをしていた。
モレの名前には諸説がありますが、母體(モタイ)とよぶ。(磐貝公母體)
母袋や、田母神など。


※田茂山にある石碑

ですが、この石碑は、豊饒の意味で母としている。
男神と女神と考えているから、このような対となる石碑があるのだと思うのです。
モレは男性といわれますが、ここでは女性になっている。
ただ、アテルイの漢字の意味はわかりません。

また、「カナンとフェニキアでの種々のバアルは「太陽の神」であり、
そのシンボルは太陽神の特徴を持っています。
雄牛もまた最もよく知られたバアルのシンボルです。」


さて、ここからやっと「牛」がでてきました。
バウルは牛だったんです。
そこから蘇民将来の話に繋がっていきます。
水沢にある有名なお寺を忘れてました。
蘇民将来の裸祭りとして伝わる黒石寺。
ここもアテルイとマロの伝承があるお寺です。

カナンの地とバウルの男神、牛。

ということで、ようやく蘇民将来の話にいけそう・・・。
なぜ、蘇民将来の前に、天使ミカエルのヨハネの言葉で、アセンションなのかは、
蘇民将来は、牛頭天王のことなんです。
スサノオなんですね。スサノオはヤマタノオロチで龍を退治してます。

西洋で、龍を退治しているのは、ミカエルなんです。
なので、スサノオ=ミカエルだったんですね。。。
そしてミカエルは大きい~。



だから、ミカエルの存在を無視しては、牛頭天王(蘇民将来)は語れないってことでした・・・。
このタイミングで入ってきたから、無視できなくなってしまったわけで。汗

続く・・・。
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アテルイの郷

2017-03-12 | エミシについて
3月11日に、水沢に導かれた話の続き。


※一関から磐井川

アテルイの故郷といわれる地なのですが、
アテルイがどんな人かは、重要ではないと。
ここで何があったかを考えると、震災のあの現実とは思えない出来事が重なるものです。

歴史は何度も繰り返す。
悲惨な状態を経験しないと、人はなぜ学べないのか。
また、何を学んだらよいのか。

震災の出来事も、だんだん忘れていってしまいますから。
人間ですから仕方ないです。
でも風化してはならない出来事はあるので、
震災もそうですけど、蝦夷の歴史も風化してはならないと思います。
根っこにあるのは、そこだと思います。
九州も同じく。
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角塚古墳を見たらお腹がすいたので、水沢駅近くに
美味しいコーヒーが飲めるカフェがあると知って、
「地球屋」というカフェへ。



これまたナイスなネーミング。
やっぱ、カフェはカレーとコーヒーだね。
チキンカレーも美味しかったです。
★cafe地球屋
https://tabelog.com/iwate/A0303/A030302/3008434/



雰囲気もとてもよくて、のほほんしていると目の前に「ILC」の旗が。
ここにくるとリニアコライダ―の文字を見かけますね。。。



お腹が満たされた後は、アテルイを称える碑などがあるそうなので、
行ってみました。

アテルイについてですが、妄想すればいくらでも言えますけど、
実際、この人がよくわかりません。
ですが、史料もほとんどなく、たった最後に名前が悪路王(アテルイ)として挙げられるだけなのに、
歴史上、こんなに注目される人物になっているのが不思議です。



アテルイが、跡呂井(水沢区)という所から発祥している理由はあるのですが、
その地名が何を元にしているかはわからない。
ア・トロイ、なのか、アトロイなのか。
トロは登呂遺跡とかあって、言霊的には同じ発音ですね。
タモノキミ(大墓公)アテルイというのも、田茂という地名が発祥といいますが、
タモには、エタモイという武蔵の豪族の名前がいます。
これも言霊的に「タモ」が同じ発音です。

アテルイは実在した人物というのだから、実際、陸奥街道を通っているわけですか?
ならば、雷神山古墳を知っていただろうし、名取も通っていたはず。
その古墳の主が、誰だか知っていたはず。


※この奥が巣伏の戦い場所。

エミシの風習の特徴としては、縄文人と同じように、
出産や婚姻の祈祷は大事にしていたそうです。
出産の祈祷は、縄文人が先祖との繋がりを大事にしていた証でした。
精霊も祖霊とも仲介、交流していたような祈祷(どんなもの?)が
火を焚いて祈祷をする中で、出産をしていたわけですが、
子供や成人が亡くなると、この世で使っていた生活品や装着品を
丁重に送ることをしていたそうです。
後に、渡来人がやってきて家族が複雑に変化してくると、そのような風習は途絶えます。

土偶があるのは、安産祈願があり出産で亡くなる女性が多かったことから、
その苦しみや痛みの代わりに土偶がありました。
無事出産すると割っていたようです。

物部氏の祈祷の多くも、出産の安産祈願と死者の蘇りの祈祷があります。
生と死の祈祷を行っていただけではなく、地元の豪族間との婚姻も結ばせていたようです。
後に、葛西氏がそれを受け継いでいる感じがします。

仲人のような役目をしており、出雲の神様が縁結びといわれるように、
物部氏も独自の縁結びを行っていたそうです。
なので、秋田唐松神社も縁結びの神様と言われます。
血縁を非常に重んじていた氏族だったので、天皇家の結ぶつきの祝詞を唱えて
いた理由も何となくわかります。

物部氏の蘇生祈祷は、シャーマニズムがあり、北方系チュクチ族にも
同様の祈祷があるそうだ。
病人が出ると板状の木偶に呪文を唱え、病人の患部から病根を乗り移らせ、
木偶を破壊して身代わりにさせる。これらの祈祷は、北方系諸民族に共通するそうです。
秋田物部氏の虫おさえという祈祷が、似ています。
日本でも古代、人形の板を作って呪術を行っていました。
木を使った祈祷は、北方が主だと思います。


※貴重なチュクチ族の写真~。(Wikipediaより)
チュクチ族とは、ロシアのシベリア北東の端のチュクチ半島(ツンドラ地帯)に住む
旧シベリア諸語(古アジア諸語・オホーツク諸語)に属する民族のことです。
ただ、この民族と同じとはわかりませんけど。

エミシは、先住民と共同生活をしていた帰化人もいたと思うのですが、
朝廷はエミシの製鉄技術に脅威をもっていた為、
エミシに対し、「其れ東辺北辺は鉄冶置くことを得じ」
という鉄を作る禁止令を出しています。

その技術をうまく利用しようとしたマロがいたわけで、
上毛野氏にかわって物部氏を起用したり、アテルイが登場したりする。

鳥海山の二ギハヤヒから水沢の宇宙へ繋がることに、意味があります。
アテルイとモレが処刑された場所が、河内国(椙山)といいますが、
実際はよくわかっていません。
ですが、河内国にしたい理由があるわけです。
二ギハヤヒが降臨したと伝わり、物部氏や秦氏が拠点としていた場所。
ヤマトタケルが白鳥になって飛んでいった話のように、
亡くなる場所をその地に設定する時に、「鳥」が見え隠れする。
二ギハヤヒが降臨した地なのだから、故郷へ帰ったという意味がないだろうか。

もう一つのアテルイ説として、「王仁」という人のお墓が大阪牧方市にある。
ここにも、アテルイとモレのお墓が伝承されている。
牧方は、七夕発祥地です。
これもカササギという黒い鳥伝承があって、カササギはヤタガラスとの説もあり。
「現在の枚方市、交野市のあたり一帯は平安時代の頃は「交野が原」と呼ばれ、
日本に於ける七夕伝説発祥に地と伝わる。
平安時代初期、桓武天皇(在位:781~806年)はこの「交野が原」において
北極星を祭り、国家の安泰を祈願し、たびたび狩猟を楽しんだといわれる。」


それに七夕にはデネブという白鳥の星があるのですが、中国では白鳥ではなく、
カササギのことで、中国からもたらされた七夕伝承は、
カササギの羽で橋を作り、出会わせた話になっています。
この橋渡しのような伝承があるのが、千歳山(山形県)のあこや姫伝承が有名で、
名取の橋をかける名取太郎という人で、松の精霊が登場します。
おそらくこの話は、熊野信仰がもたらしたものだと思うのですが、
数年前に物部守屋を継承する碑が発見された。(明治時代の尊王攘夷論があった頃)
なので、偶然とは思えません。


※カササギ

おそらく、ヤマトタケルは白鳥とされたが、アテルイは黒い方の鳥である
ヤタガラス(カササギ)と結びつけられているようなのです。
白鳥氏が、鳥の白鳥のことを示しているとは限りません。
ただ、鳥をトーテムとしていた豪族だったことはあると思います。

桓武天皇は、ちょうどアテルイがいた蝦夷征伐の時代でした。
王仁とは、「ワニ氏」のことですが、ワニというと、神話で豊玉姫がワニのような爬虫類を
生んだ話になっている。それと関連づける話にしていると思うのですが、
いずれにしてもアテルイは、渡来してきた騎馬民族と言えますが、
どこかで太陽神となった事を伝えたい氏族がいたことは確かです。
そんな物語を仕組んだ背景に、鎮魂の意味で藤原氏(物部氏も?)と熊野があったかもしれない。

と、ここまで角塚古墳から広がりすぎましたけど、
ま、いろいろな氏族がいてワイワイしていた場所なんですが。(なんだそれ)

北方の王者----------------------------------------------------

水沢駅の東へしばらく行ったところの交差点にアテルイ公園があり、アテルイ像があります。
土偶みたいな不思議なアテルイなんですけど。



看板の説明より一部、抜粋。
「そもそも蝦夷は文字をもたず、日本人のルーツとも言うべき縄文文化の中に、
土器として表現されたものから彼らの思想を汲みとるにすぎない。
縄文人は水鏡をもって天空を映じ、火炎土器(縄文中期)には
その上昇志向が表現されており、口縁のうねりと渦巻状のくねり等の装飾が
特徴とされている。

こうした中で、その偉大な先人を顕彰すべく、この縁りの地に建てたのが
この像である。地域シンボルとしてのこの像は、そうした史実を基として、
時の権力に対抗し続けたこの地(蝦夷)の首長アテルイの怒りを、
抽象表現とし、縄文土器の中でも、特に雄壮な形象をもつ火炎土器を背に
構成したものである。
肌は土器の色、大きさは縄文人の上昇志向とアテルイの偉大さを表現するため、
あえて際立つ高さの円筒にまとめたものである。
尚、周囲の池は縄文人の水鏡と、巣伏の戦場、北上川の水を意味したものである。」




へ~、怒った感じの顔は、怒りを表しているからなんですね。
いろんな意味を込めた像なんだね。
晴れているのだけれど、ちょうどパラパラ雪が降ってきたので、震災を思い出しました。
あの時も津波が来てから、雪が降り注いでいた。
暗く寒い時でした。
この時だけ雪が降っていたのですが、アテルイの怒りが雪を降らせたのでしょうか。



青森県の十三湊あたりにトミナガスネヒコと伝わる墓があり、
神明社が建立されています。
ここも跡呂井地区の氏神らしいのですが、神明社です。
アテルイもナガスネヒコも神明社が関係するのかな。
神明神社は、天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社であると。
太陽神なんですよね。



行ってみると、公園からすぐのところにありました。
ここは「アテルイ王千二百年祭記念碑」があります。



まだ忌中なので、神社参拝は避けてますが、境内に入ると
ずら~っと並ぶ石碑の数・・・・ありすぎ。



何の石碑がみてないのでわかりませんが。
ここまで石碑があると修験の人も来ていた場所なんですね。
迫害された天皇家の誰かが逃れてきたから?
-------------------------------------------------
さて、水沢の人たちがアテルイを今でも尊敬していることを感じたところで、
最後は、ゆっくり宇宙遊学館へ行こうと思っていたのですが、
「巣伏の戦い」というのがあり、「巣伏」という漢字が気になった。
行くつもりはなかったのですが、どんな場所なのかマップで調べてみたら、
ここから近いところにありました。
ん~、ママチャリでも10分くらいで行けそうだなぁ。


(北上川のほとり)

途中で道に迷ったら引き返して帰ろうと、あんまり行く気がしなかったけど、
スイスイ行けた・・・。



巣伏の戦いとは、紀古佐美とアテルイがぶつかったところで、
互いにたくさんの死者をだしたという。
その多くが、北上川での溺死です。
今より大きい大河だったので、海に溺れるような過酷な場所だったと思います。
巣伏は「すふし」と読み、
「四丑」(しうし)地名として残っていることから、由来しているそうです。




上の写真と同じ碑ですが、逆光なので真っ黒なところ、
ちょうど文字の部分が光ってますね。「巣伏の戦いの碑」

「巣伏」という漢字の由来は調べてみないとわかりませんが、
巣に伏すというのは、意味としては、「腹ばいになってひそむ」ということで、
巣に臥すという意味ではないかな、と。
眠りにつくといった意味で、お籠りぽい気がする。

胆沢の合戦



また、これは深読みしすぎかもしれないけど、「スフ」というのは、
周防国(スフ)というのが山口県にあって平安時代ですけど、
このスフは、元は「スワ」と読んでいた。
アスハとかアスワとか、スワとかいう言葉は飛鳥や熊野の阿須賀に似ている。
須賀は、スサが由来ともいい、スサノオの説もありますが、
無理やりつけると、四つの丑はスサノオでもありますね。
何かを引き起こしてしまう土地の言霊であることを感じます。



どこかで宇宙が繋がっていると思うんですね。
水沢に宇宙天文台があるのも、宇宙を引き寄せる場所だからです。
妄想するに、宇宙戦争のような星信仰の争いはずっとあったと思っています。



シリウスは聖徳太子の象徴といわれますが、先に述べたカササギの鵲森宮(かささぎもりのみや)
という神社は、聖徳太子が建立したと伝わります。
丑寅の牛がスサノオならば、プレアデス。
タタラ族はオリオン。などといった宇宙妄想も面白い。
もう地上に降りてくると、ごっちゃになりますけど。


展望からの景色


奥の川が北上川

そんな場所がありそうな巣伏では、紀古佐美はこの時大敗したのですけど、
さっさと引上げてきたらしく、腰ぬけのように書かれてました。
ムリ~っていう早いあきらめには共感します。笑
ですから、私は紀古佐美派。(そこか)



しかし、今までだったら蝦夷に大敗したら、降格や左遷などの罰を受けるのですが、
処罰されるところを、これまで朝廷に仕えてきた功績を勘案され罪を免じられていたそうです。
なので、そんな腰ぬけとは思えず。
大体、この頃の桓武天皇がおかしかった。
蝦夷に対する執着は普通ではなかったのだから。



その後、大伴弟麻呂が胆沢へ攻撃し、少し有利に。
そしてマロが征夷大将軍となり胆沢城を建てる。
その年(802年)にアテルイが降伏し、8月13日に河内国(大阪)で処刑された。
巣伏の戦いから13年が経っていました。

-------------------------------------------------
ここは、有名な田んぼアートをしている所だったんですね!
来れてよかった~。





とにかく、美しい雄大な雪山がいいね~。
焼石岳かな。
夏になったら焼石岳に登りたい!



山萌えをしつつ、ママチャリをこぎまくって最後は、木村先生の宇宙を堪能する。
続く~。

★アテルイへの道(興味ある方はぜひ)
 駅から東へ進み、花園町交差点を直進。次の交差点(右側)にアテルイ公園があります。
神明社へは、信号を渡り直進し、郵便局を左折。小学校を過ぎてすぐ角を右折すると神社があります。


 巣伏へは、4号線に出て広い道を下り、ひとつめの交差点(信号はないです)を右折。
広い田んぼの道を走り左に曲がり川の方へ進むとすぐです。
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エミシ語のイシキルイ

2016-12-26 | エミシについて
終わらないナガスネヒコ。
この前の歴史会で、「イエスは2人いた」という話を聞きました。
ワイワイとそんな話をしてました。

この話を聞く前に、気になっている神社が大阪にありました。
ネットで偶然見つけたのですが、ナガスネヒコの妹に関係していた。
でも、卍パワーで疲れてしまい、妄想をやめた。
ナガスネヒコはもういいや、と思ってました。

が、その次の日、また別の方から、「イエスが2人いた」という話が入ってきた。
なーんも言ってないのに。
今までの経験上、こういうシンクロは、何か言いたい先祖がいるのだと。
そう思うことにしている。

書かせてみせようホトトギス・・・。
織田信長気分で。
んー、でもよくわからないなぁ。
妄想ということで。

しっかし、大阪にエミシ語の地名由来があったとはっ!!
「石切」という地名。

東大阪の地名由来によると、
 今も参詣者が絶えない2000年の歴史を誇る石切劔箭神社からつけられた地名。
「石おも切る剣と矢」ということで「デンボ(はれもの、癌)」を
治す霊験あらたかな神社として全国的に有名。
饒速日尊(二ギハヤヒ)縁の地で、もともと軍事氏族物部氏の一族保積氏の氏神
だったところから優れた武器の持つ霊力を祀ったものと考えられる。
「武士」を「もののふ」というのは、ここに由来している。
「石切」の名そのものは、エミシ語で「イシキルイ」
(彼の大いなる脚)長い臑を持つ男ナガスネ彦(進藤治氏)に由来している。


ほんとけ?
「石切」と聞いて、イエスの弟、イスキリが浮かんだのは私だけでしょうか・・・?
ですが、石切の地名は、新しいもので昭和になってからだそうです。
ただ、この地名がつく由来には、穂積氏と物部氏が関係していた。
それに、イボといったら神功皇后です。

また、この石切は、「砌」と書いて「みぎり」という。
由来はこの「みぎり」にあり、「水限 (みぎり) 」の意で、雨滴の落ちるきわ、また、
そこを限るところからという。
石切は、水を切る意味があったのだろう。

いぼ水の由来は、大阪府三島にある磯良神社(いぼ水神社)からといわれています。
この磯良神社のご祭神は、九州安曇氏の祖神で、海人族といわれたエビス様
が深くかかわっています。

安曇磯良は、安曇連比羅夫ともいい、奈良時代、白村江の戦い(現在の韓国)
での英雄でした。安部氏と同一とみる人もいます。

磯良神社に伝わる伝承は、神功皇后(じんぐうこうごう)が戦に行く時、
自分が女であることから、このままの姿では敵に嘗(な)められるので、
男装をし、顔をいかめしくするため疣(いぼ)を身につけようと思い、
通りかかったこの神社に立ち寄り、祈願して社の前から湧き出ている
清水で顔を洗いました。

すると、美しかった顔がたちまち大きな疣だらけの黒い顔となりました。
戦いが終り、磯良(いそら)神社に戦勝の報告をしたあと、
再び社前の清水で顔を洗うと、いままでの醜い顔が消え去り、
もとの美しい姿に戻ったので喜び勇んで大和の王城に帰りました。
後に磯良神社は、疣水神社と呼ばれ、遠くからもこの清水を
くみ取りに来る人が見られるようになりました。


この話は、宮城県の悪玉姫の九門長者と同じですね。
悪者にだまされて奥州に下り召使いとして売られていた姫がいた。
姫は自分の身を守るために、普通の人には醜い女と見え、
身分のある者には元の美しい姫の姿にみえるように観音菩薩に祈願を立てた。
この女性と坂上田村麻呂の間に生まれた子がいるという話。

九門長者と悪玉姫1
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/920d1a790b8a7cc3b94701a996e8f9ec

神功皇后は応神天皇の母。応神天皇は八幡様の事。
なので、マロは、戦勝の神として八幡様を祀るといわれるので、
これには神功皇后を敬う物部氏も関係する。

ちなみに、宮城県北部の色麻にも磯良神社がありますが、
河童をお祀りしています。
磯良神社、伊達神社(いたて)、鹿島神社はそれぞれ鳴瀬川を挟み、
三角形で結ばれる。
またこのあたり一帯も、鹿島神社がとても多い。
茨城県の鹿島神宮、息栖神社、香取神社(千葉)が利根川を挟んで
川の氾濫を防ぐのと似ている。



結局、愛子神の物部氏に繋がる。
二ギハヤヒはナガスネヒコの妹と婚姻を結び、
神武天皇と共に、新しい進化の旅を続けることに・・・。

「鳥見の里と二ギハヤヒ尊の天下り」
はるか昔、河内と大和一帯は、鳥見(登美)の里とよばれ、
穏やかな自然と海、山の幸に恵まれた豊かな土地でした。
この地方を治めていた豪族、鳥見一族は稲作や製鉄の技術はないものの、
狩や漁がうまく生活用具や住居づくりに優れていました。
また、長身の恵まれた体格は戦闘に秀で、「長髄の者」と恐れられていました。
さて、神々の住む高天原では、天照大神が、孫の二ギハヤヒ尊に大和建国
を命じ、「十種の瑞宝(かんだから)」を授けていました。
「十種の瑞宝」は、人々を治め、身や心の病を癒す霊力をそなえた瑞宝です。
二ギハヤヒ尊は「フツノミタマの劔」を持ち、日の御子の証である
「天羽羽矢」も携えて天磐船に乗り、船団を組んで高天原から船出しました。
船団が豊前(大分県)の宇佐につくと、尊は息子の天香山命に「フツノミタマの劔」
を授け、船団の半分をあずけます。
そして自らは、瀬戸内海を通って大和に向かいました。
こうして二ギハヤヒ尊の乗る天磐船は、鳥見の里を見渡す生駒山に着きました。


※石切劔箭神社より
http://www.ishikiri.or.jp/

ふ~ん、こういう神社があったんですね。
もっと興味深いのが、石切劔箭神社からさらに山を登って行くと、
「石切神社上之宮」というのがある。
饒速日の妻の三炊屋姫(ミカシキヤヒメ)を祀る登美霊社があるのです。
これが、ナガスネヒコの妹だった!
しかも、このお社のデザインが、前方後円墳なんだとー。



「ジンジャモール瓢箪山のブログ」よりお借りしました。
http://blog.livedoor.jp/jinjamall/archives/7676243.html

二ギハヤヒとの間に、ウマシマジを生んでいる。
登美や櫛玉姫命、ミカシキヤヒメとか、いろいろな名前にされている妹です。
ウマシマジは、鎮魂の呪術を最初に行った人だといわれている。
秋田の物部文書では、ウマシマジ(可美真手命)が三韓征伐に、神功皇后と一緒にいったと。
他の史書では、武内宿禰となっていて、物部文書では一切、武内宿禰の名がない。
おそらく、武内宿禰は蘇我氏の系譜をもつと考えると、
蘇我氏と物部氏の間の問題があった為、記せない事情があったとか?
でも、どちらが真実かわからないのが謎なんです。

やっぱりこの事は、書いておきたい。
ナガスネヒコが、石切神社に関係するならば、
津軽へ逃れたナガスネヒコ周辺にあるのは、キリストの墓であり、
人工ピラミッドの多さにある。

イスキリ--------------------------------------------------------

竹内巨麿は竹内文書に、「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。
五色人へ遣わし文」にはじまる記述や「イスキリス・クリスマス」の遺言があるとし、
イスキリス・クリスマスはゴルゴダの丘で処刑されず、弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来して死に、
その墓が「十来塚」であるとする。
このイスキリス・クリスマスがイエス・キリストであり「十来塚」が「イエス・キリストの墓」
であるという。

しかし、この説には信頼性がないと言われていますが、
本人でなくとも、深く関係していた人か、その一族が津軽へきたことは確かにあります。


※青森のキリストの墓

前回、津軽の飛鳥で、ヤマタイ国の砦が五角形になっているのを話ましたが、
日本では「桔梗紋」が戸来村(キリストの墓がある村)の旧家に伝わり、
家紋は五角の形。
ユダヤのシンボル六芒星の「ダビデの星」と酷似しているとされ、
イスラエルの失われた十氏族やイエスとの関わりを指摘する説もあるのだ。
ということから、津軽のヤマタイ国を五角形にしたのは、
イスキリに関係する人たちが仕掛けたものだったと思うのです。

そこにはアイヌ人もいました。
アイヌ人や、続縄文人のいた境界にあたるので、
遠くから逃れてきた人をかくまっていたわけです。
そのバックアップをしていたのが熊野修験だったと思うのです。
なので、あの砦には熊野神社に習って石を築いたと考えられるのです。

また、仙台愛子に諏訪神社が祀られ、キリシタンの聖地であるのは、
東北には隠された歴史があり、隠されているのが、星神を祀っていた氏族にあたる。

津軽の北斗七星------------------------------------

この話から、歴史は何度も上書きされているのですが、
それがキリスト教だと思う理由。
それ以前は、諏訪神のようだ。
その諏訪神の何だったかというと、どうも星神にあたる。
星神を封じているような話になる。それが物部守屋だったりして・・・。
その封じている星が津軽の場合、大星神社のようだ。
これが重要な気がする。
大星というと、私はカカセオを思いだす。
ミカホシ(天津甕星)=タケミナカタの解釈になっているようだ。
住吉三神の3つの「筒」ツツは、星。ミカボシも三ヶ星でオリオンかもしれない。



「遠野不思議空間」を書いている岩手のGOさんより、
カカセオは、氷雨のことで、これを「こおらさめ」と読んだのでは?と。
武甲山と熊野修験で、氷雨除けがある。
氷雨というのが、コオラサメというサメというような存在で、
カカセオであるなら、それを防ぐ魔除けとして武甲山と熊野修験が関係するのは興味深い。

が、この氷雨という雨が落ちるさまが、まるで、「みぎり」の意味に似ている。
水が落ちるさま。というのはどんな感じだろう?想像つかない。

おそらく、日本神話における天孫降臨とはイエスの降臨であり、これも新たな人類の覚醒みたいなもので。
どんな名前の神々であっても、この時代は人類が変革の時にあたる。
その前は、諏訪神を中心としたシャーマニズムな星神の世界があったと?
諏訪の守屋は、前にいた一族、守矢とどんな契約をしたのか。
二ギハヤヒを祖とする物部氏や穂積氏を考えた場合。
しかし、それによって追いたてられた星神がいたのではないか、と思う。

青森県には北斗七星に結ばれた寺社がある。(弘前周辺)
由縁では、鬼の鬼門にあたる津軽王国だったので、
桓武天皇の時代に、マロによって津軽に七つの社を建てたと。
星の力をかりて、七つの形に置くことで、鬼を封じたという話。

北斗七星の7番目が大星神社。
私は7番目にこだわりたい・・・。
伊達政宗が戦った場所を点で結ぶと北斗七星になる。
その7番目が最北の登米になる。
その登米には、出雲神社と照日権現を祀っている佐沼城跡があり、
鎮護のために鹿を生き埋めにしたことから、別名「鹿ヶ城(ししがじょう)」とも呼ばれているのだ。
これは諏訪神だね。

この場所で、アイヌ人の神器とアテルイを妄想していた。
津軽の北斗七星も繋がっていそう。

津軽の北斗七星伝承は、こちらのサイトを参考にしてみて下さい。
写真がいっぱいのってます。
「津軽山信仰グループ」
http://www.jomon.ne.jp/~ja7bal/hokuto7.htm

北斗七星神社
①乳井毘沙門天(乳=丹生の水銀のこと)
②村市毘沙門天 
③百沢岩木山(岩木神社)
④高岡熊野宮
⑤猿賀神社
⑥浪岡八幡宮
⑦大星神社(横内妙見堂)

やっぱり、7番目は破壊の神、妙見信仰になるんですね。
④の高岡熊野宮の伝承に、熊野奥照神社、上古斧杭より、扇庄に鎮座の時、
当地にしばらく休み、神の掛石というのがあったので、ここに社殿を建立し、
以来産土神社として祀られたそうです。
石が出産によいというのは、秋田唐松神社の石と同じ思想ですね。

⑤の猿賀神社は、上毛野君田道命を祀る。青森県平川市猿賀という場所。
住所が平(ヒラ)ですね。


※猿賀神社

蝦夷討伐の将で仁徳天皇55年(367年)に伊峙水門(いしのみと)で敗死し、
後に大蛇の姿になって蝦夷を平定したとされる上毛野君田道命(かみつけののきみ たじのみこと)
を主祭神とし、保食神を相殿に祀る。という伝承。
これを後にエミシが田道の墓を掘りだした、大蛇がたくさん出てきたという。
やっぱ蛇。三輪信仰。

鹿(角)=諏訪神とするならば、北斗七星は宇宙に還る場所であり、
天と地の動きがある。北斗七星は地上で反転させる。
宇宙と地上を往復できる場所。
そのルーツが、禹歩(うほ)という中国四川省の方に伝わる灌漑用水を
行っていた大王に繋がる。
禹は龍の意味もあり兎の漢字にも繋がり、亀のような爬虫類ともいわれている。
中国の土器に記されている禹は魚のような人であった。
魚はキリスト教でも神聖なシンボル。

また、禹歩の独特の歩き方が北斗七星を模していると考えられ、
水の災害を防ぐお呪いともいわれている。
よって、禹もノアの大洪水で助かった一族と思う由縁です。
その人たちが日本に渡り道教を伝えたと。
それが北斗七星となり、諏訪神にもたらされた。

この文化財の説明板の隣に、「鬼面伝説」として、次のような話が書かれていました。
【桓武天皇は、坂上田村麿を征夷大将軍に任じ、陸奥へと攻め入った。
この「蝦夷征伐」に対し、津軽の地で徹底抗戦したのが、
糠檀の嶽(八甲田山)八甲田山の女酉長・阿屋須(おやす)と弟・雲谷(もや)の
頓慶(とんけい)である。
胡笳(こさ)という草笛を吹き鳴らしては、あたりに不思議な濃霧を広げ、
毒矢を射返すという、神出鬼没な二人の反撃はおおいに田村麿を悩ませた。
しかし、田村麿は北天に悪鬼退散の祈願をして寝たその夜、夢枕に北斗七星が現れて
七枚の鬼面を授かる事になった。



そして、この面をもっての攻撃には、さしもの阿屋須も、討ち取られてしまう。
阿屋須なきあと、一人頑強に潜伏し戦い続けた頓慶も、七鬼面の軍に攻めたてられ
、抗戦むなしくついに力尽きてしまった。】
ー ここでは、田村麻呂に頑強に抵抗した女酉長とその弟の話とともに、
北斗七星と古面との関わりが紹介されています


大星神社二の鳥居伝承・・・・・・

 田村麻呂は、蝦夷平定の後、この鬼面を納めて「妙見社」を建立し、
崇め奉ったとされていますが、その「妙見社」が、現在の大星神社であり、
宝物として残されている古面は、この時の田村麻呂ゆかりのものとして
今に伝えられている分けです。
なお田村麻呂軍を苦しめ続けた阿屋須と頓慶の勇壮な物語とその勇姿は、
青森ねぶた青森ねぶたにも取り上げられ、郷土に残された伝説を今に伝えています。


-------------------------------------------------------
鬼退治とか隠された歴史は、女性首長ですね。
クリスチャンなマロのエミシ征伐は、大地母神を崇拝していた豪族と、女首長の力でした。
トミもその一人で。
東北が最果ての場所であったのでしょう。
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まつろわぬ民の震え

2016-11-20 | エミシについて
ひとりごと
こんなことを考えている自分は、いったい何者なのでしょう。
・・・暇だ。それか。笑

もののふの祈祷に、「ふるえ~ふるえ~」の祈祷がありますが、
フルエは、そのまんま「震え」の意味があると思います。

噴火や大地震が起きると、まつろわぬ民は、
どんな祭りかわかりませんが、祈祷をして祭りをし喜びに歓喜しました。
大和朝廷は、その様子が異常だというので、まずは九州の阿蘇氏を成敗する
ように考えます。
エミシ征伐の始まりは、阿蘇氏を中心とした豪族や大地母神の思想、
熊襲の征伐によるものです。

それは、噴火や地震の揺れが恐ろしいというよりは、
人間の魂の震えをよびかけることになるから、朝廷側は危機感を覚える。
また、同じことを繰り返すことになる、と。
災害があるたび、神社が昇格するという話は、祈祷を強めることに通じる。
そのようにして古来から続く、自然崇拝の威力を知った朝廷が、
別の神により鎮めることを行ってきた。

人類は何度も絶滅の危機を経験しています。
天変地異を起さないと、人が目覚める(覚醒)現象が起こらないというもの。
私たちよりはるかに先を生きていた古代人の智慧です。
残念ながら、被害がでるのは致し方ないという発想です。

なので、大国主をあがめていたエミシを悪く捉えるのはそのような背景がある。
問題は、そのことについて、「自分の祖先がどの位置にいたか」が、重要。
他人の云うことに自分が従うのではなく、先祖はその時、どうしていたか。
それが今、私たちに繋がっているからです。
そこを見ることができれば、今後、自分はどの役目としているか、
自然とみえてくると思います。

あれだけの震災ですから、多くの方が亡くなられたのは、
いまでも、これからも、ずっと私は、傷ついて生きています。
あの震災で多くの人が傷つきました。
それでも生きなければならない理由に、覚醒などと綺麗事を言うのはどうかしてる。

でも、古代史からずっと歴史をみてみると、環境破壊による要因があったのです。
簡単に述べられないのですが、私たちに返ってきたことだったのです。
なので、これからは、あのような大震災はおきません。
今ようやく私たちが、それに理解しはじめたから。

地盤の傾きや地殻変動の振動、火山の噴火の音(振動)などなど、様々な振動が人の魂を気づかせます。
地震の揺れで心がブレることになる。
その時、恐怖や不安になるか、単に地球のうなりと考えるか。
その意識だけで、180度くらいガラっと世界が変わる。

私は311の揺れより、4月7日の時の揺れの方がショックでした。
地下から湧き上がるゴー、という地響きの音は、普通ではないな、と思ったものです。
あの音は今でも感覚的に残っています。
あの音が、人の魂に震えを起すモノだと感じる揺れでした。
なので地下からドンっと突き上がってくる揺れは、熊本の震度7と同じ揺れ
だったのではないか、と思うのです。

しかも、311から2週間後くらいにいったん実家に戻り、
4月7日の日に、再び高速バスで仙台に戻ってきたのです。
その日の晩に、ドンと地震が起きてしまった。
地震の揺れを体験しなければならないのだな、と思ったのです。

こういう話はキリがないのですが、ちょっと科学的に根拠があるんです。
以前から、私は長白山が気になっているのですが、
4月7日の地震の揺れの方が衝撃だと思ったのは、かなり深いマントル
(地球には上層マントル浅い方、と深いマントルがある)で起こった「スタグナントスラブ」
といわれる地震でした。
深いところで沈み込むマントルの揺れや振動が、心に響いたということです。

これが、実は日本と長白山と地下深い所で繋がっているのです。
言うならば、長白山の存在は、スタグナントスラブによって説明できるという事です。


詳細は、こちら。
「沈み込んだプレートの穴と長白山火山の起源のなぞ」
http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/utokyo-research/research-news/enigma-of-changbaishan-volcano-and-a-gap-in-stagnant-slab/

なので、決して人工地震ではないモノです。
人工で起しているという話は、その揺れを鎮める働きをしているものかと思う。
ただ、それが逆に大きな被害をもたらしている事になっているが・・・。

縄文~古代人は、そのような振動により、人間の核となる魂は、
地球の核となるマグマのエネルギーによる震えを教えに生きていた人々でした。

しかし、大和朝廷など渡来してきた(特に白人)人は、その意味がわからない。
恐ろしいことが起きると予言した人たちは、
そのような震えがなくとも、「自分たちでコントロールできる」と考え、
鎮める祈祷を始めます。
覚醒のための開く祈祷ではなく、地球の震えを鎮める祈祷により、
閉鎖的においこんできた歴史があります。

今、いろいろなスピリチャルの方たちが、鎮魂をされていますが、
大地震や大噴火に異常に反応する人たちは、古代人からみると、
朝廷から派遣された鎮める側の役目として霊統がついているのだな、と思います。

私は地震や噴火が起こることは必要なことだと思う方なので、
エミシを考える。が、まつろわぬ民を追いかけてきた記憶も少しあるので、
どちらの経験もしている。
なので、よく葛藤するのは、自分はどっち側なんだろうということ。
それは、大伴氏もそのような位置で悩んでいたらしい。
私は、大伴氏と縁があるようだ。先祖ではないと思うけど。
(最近、みえてきたこと)
古代史でいうと、物部氏と大伴氏はよくでてくるけど、私の中では、
蘇我氏がみえてこない。
この人は、軍事ではなく財政をおこなっていた政治家や経済界にいた人なので、
私には無縁なんですかね。
家の先祖は、長い間、近衛兵のような役所にいたことがわかっているので、
あまり関わることがなかったのだと思う。

だから、鎮める気持ちにはならないのは、呪術的にどうなんだろう?
という疑問もわいてくるから。
先祖もそのようなことをしていたから、ここで葛藤するのだ。
「こうするほか方法がなかった」と、大国主が泣いてた(と思う)
これは、震災前日の晩に、オラクルカードで大国主を引いた時に出てきた言葉でした。
今になって、だんだんその意味がわかる。
大国主が、大地震を引き起こしているのではなく。
大地母神というのは、そのような揺れを引き起こすエネルギーをもっている。
たぶん、それがオオヒルメムチという母神だと思う。

綺麗ごとかもしれないけれど、そうでなければ、「人は目を覚まさないから」という。
人というのは、土地の霊(神)だと思う。
土地の霊は人に憑きやすいかもしれない。
人を動かすのも土地の霊だったりする。
良くも悪くも入りやすい。

神々とはいうけれど、人間と同じなんだな。
もしかしたら、大国主の方が、私たちに助けを求めているのではないかな?
震災前の年、海をみたくて常磐線で秩父へ帰った。
今おもえば、震災が起きるからエミシが歩いてきた海をみたかったとわかる。
その時、初めて、鹿島神宮に立ちよったのです。

震災の翌日、大洗神社(茨城県)がある海に大きな渦ができた。
震災の時、スーパーで食料を買うので並んでいた時に、
たまたま見てしまった画像だった。
ショックと同時に、とうとう起こった、と思う方が強かった。

今でも大国主の祠に会うと、悲しくなってきます。
なぜ、そうするほか、方法がなかったのだろう。
ただ、犠牲者は最小限に留めてほしいと、常に願っています。
---------------------------------------------------

よく先祖のことで家系に悪いことが起こるといった話をききますが、
本当に先祖が子孫に祟るというのなら、私たちは生まれていません。
本当に祟られる家系は、すでに絶えていると思いがちですが、
実は密かに生きのびていた。
「名前を変えて」(言霊)生き延びている先祖がいたのだから、
子孫がそれでも自分たちの家に悪いことが起こっているのは先祖の過去の行い
があったから。という人がいると、私も悲しくなります。
ですが、もうそう言ってる時代は終わりました。
先祖が・・・というのならば、その先祖の力を逆に私たちが試す時です。
もちろん、良い方向に。

先祖が泣いているイメージが浮かぶ時があります。
特に平泉。私の先祖かどうかわかりません。
思いだすのは、震災の数年前に起こった宮城県北部の地震。
あの時、衣川が泥になって土色の川になっていた。
あれをみて、フツフツと古代を思い出す。
たぶん、同じ光景を昔にみていたからだと思います。
アテルイといった地の場所では、無念さを感じる。
先祖も、一生懸命今でもいきていて、違う形になって側にいることを感じる。

先祖というか霊統というのか、何かが「違う」と一生懸命言っている
のを感じることも、多々あります。
たぶん、私たちが違う方向にいこうとしているからだと思います。
どう修正してよいかわかりませんが。
たぶん考え方、勘違い、食い違い、ということだと思います。

やっぱり本能しかないと。それしか私には言えない。
本能を育ててきたのは先祖でもある。
本能が一番、信頼できるパートナーです。
自分の本能を鍛えるためには、前にも話ましたが、自然に多くつかること。
それに尽きます。自然崇拝は、本能を鍛えるものです。
神社では本能は鍛えられない。

祈祷など巫女の家系にいた人は、「祈りがたりない」といわれることがあります。
祈りがたりないから、宗教に入るというのは全く違います。

求めるのではなくて、与えることをしなさい、という事です。
たぶん、大国主は、与えてほしいと、言っていると思う。
私たちが大国主に対して、何かしてほしいこととは?

実は、私はこれが一番苦手。
だから、早くに介護がふりかかってくるのです。(私の場合は)
平穏に何なく暮らしている人は、もう満たされていると思います。
不公平にもみえますが、先祖が相当な苦労をしてくれたおかげです。
我家も主人の家も、有難いことに災難はありません。
先祖がそのような祈りを続けてきたことを「わかっている」からです。
理解する。それだけで良いのです。
理解をしないから、先祖が悪い行いを・・・という理由になる。
それは違うと先祖が言っている。

怪我や事故、それに免れなかった被害が多いですが、
増えているというよりは、高齢者のドライバー事故の話は、
ようやくニュースで取り上げた事だと思います。
事故の多くは高齢者が圧倒的に多く、それは以前からそうでした。
80歳をすぎた高齢者が運転をする。それ自体、もう本能が死んでいると
思っています。災難を自身で防げないから。
普通は、その年齢で運転はしません。
家族もさせません。
でも自分は大丈夫だと思っている高齢者が非常に多い。
自分の力量をわかっていないのは、本能が死んでいるからです。

もし、この先、事故が起きるようなことがあれば、
それ以前から、車の運転ができない流れになります。
本能が自分を引き止めてくれるものです。
本能とは、そういう働きをするから「本物の能力」という言葉通りのことです。
本質的にすでに持っている霊力です。
その働きは脳のどこか。(これはわからない)

残念ながら、退化しているという意味でもありますね。
高齢者の事故だけではなく、豊洲移転の問題でも、人が退化していきているのだな。。

日々、日常の中で、与えることが少ないといった考えはよくあると思います。
介護でもボランティアでも何でもよいと思いますが、
人に与えることが供養になることは、実際あります。
まれに、家族のひとり(兄弟姉妹の末子は特に)その役目が来ることがよくあります。
私も末子ですから。そういう時は、素直に引き受けるしかありません。
「その人にしかできない」という意味ですから。
それはすごい事なんですよ!
自分のためだったのが、いつか、人のために変わっているものだから。
なので、大変な経験をされている方は、それだけやり遂げる力がある証拠です。
ただ、無理なくね。

福岡県博多で大きな穴があいたニュースに驚きましたが、
水が大量に湧きでてました。
以前から、あの場所では陥没があったそうですが、今回は普通ではありません。
でも、下水も電力もガスも、ほぼすべてのライフラインの管が、
全く問題なかったことがスゴイ!!
建て物が崩れてないことも。
それに、もう復旧している・・・。

元々地下にあんなに大量な水があったわけではないと思います。
詳しいことはわかりませんが、以前、「雨乞ゆず」で書いた話のように、
昔は大量にあった地下水が大震災によって減少した地下水脈があります。
変わりに別の場所で、枯渇していた地下水脈が、大量に湧き出る場所があるのは
不思議ではありません。

ということは、博多市内に?大量に地下水が溜まっているというのは、
熊本の地震によって、地盤の大きな崩れが内部で起こり地形が変わった。
そのため、地下水が集まったという事かもしれない。
被害もゼロだから福岡には天神の地名がある。
地名通りなのだな、と思いました。
九州の地下で、何かが変わっているのはあると思います。
なので、東北の震災と九州の震災により、地下水脈の移動が行われている。
という事は言えると思います。
地下水脈も龍脈のように、流動的に動いてる。

さて、今回の、この福岡の陥没が、地震と繋がっているということで、
これからは、天より地下に目を向ける時かもしれない。
世界の神話では、地下には龍が眠っている話だった。
龍が動いていることは、もう疑いのない事実と考えた方がよいね。
それが東北と九州というキーワード。
地下で繋がっている話。
妄想するに阿蘇山は、東北のどこかの山と地下深く何かで繋がっているかもしれない。

なので、私は前向きに考えています。
未来は、これから明るい方向に、ようやくいってくれます。
今まで見えなかったモノが、だんだん見えるようになってきます。
これから賑やかになるね。
そうそう、以前秩父で「賑わい塾」に参加していたことがあった。
賑わいは、二ギハヤヒからとったという。
そういうことだね。

※気仙沼のスーパームーン
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太陽フレアと蝦夷征伐

2016-11-06 | エミシについて
蝦夷征伐がいつから始まったか、はっきりした年代は特定できませんが、
774年、大伴駿河麻呂が「狄」の征伐と書かれた陸奥開拓へ乗り出し、
それから811年までの蝦夷征伐を「38年戦争」と言われている。

ということで、きっかけは、774年となる。(日本書紀より)
蝦夷は、全列島に統治していた話は中国の史書にある。
「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国」
九十五国を征した中心人物、特に東北地方は、上毛野氏が支配していたので、
毛人と言われているのです。
甲冑を身につけ、山川を駆けめぐり弓をもつ人の姿で書かれている。

蝦夷征伐は、早くは秋田県。647年越国に柵を設ける。
742年名取の郡山(国司)遺跡、後に多賀城に国府が置かれる。
770年に秋田県能代に来着した賊長がおり、この頃から鷹狩りが規制され、
墾田永年私財法(743年)など、不満が募り、蝦夷が反乱をおこす。

ざっと簡単にまとめてますが、
なぜ774年がきっかけで蝦夷征伐になったのか?

この年、宇宙ではこんな出来事があった。
私はこの事に、蝦夷の反乱と何らかの影響があったと思っている。(妄想ね)
全く関係ないことはなく。
古代の人たちは、こういう事にとっても敏感だったから。

赤い十字架--------------------------------------

2012年に名古屋大学太陽地球環境研究所の研究チームが
屋久杉の年輪を検査した結果、西暦775年にあたる年輪から炭素14や
ベリリウム10などの放射性物質の割合が過去3000年間の間に、
最も高くなることを発見した。
これらの放射性物質は宇宙から降り注ぐ宇宙線が大気中の
窒素と衝突して生じる。
これにより、775年頃に地球に宇宙線が大量に飛来していた
ことが明らかになった。この研究結果は2012年6月にNatureに掲載された。

(Wikipedia)

994年にも同様に炭素14が急上昇したことがわかっている。

774年~775年の一年間、ほとんど地球上には存在しない「放射線炭素14」
の濃度が過去最大級だったそう。

「ドイツにあった古い木の年輪でも炭素14が、774年~775年に急増していることが
確認された。
さらに、南極にあるアイスコーン(氷の塊)でも西暦774年に
宇宙線が大量に降り注いできたという証明となる
「ベリリウム10」の数値が急上昇していたという。」



(C)NASA

「774年、イギリスで日没後の空に「赤い十字架」が出現したという記録を、
カリフォルニア大学サンディエゴ校の学生がある歴史書から発見した。
その歴史書とは、「アングロサクソン年代記」で、
これは古代から中世にかけてイギリスの歴史を知る貴重な資料であり、
774年に戦いがあった時、天に赤い十字架が現れ、
さらに大地に見事な蛇が現れたという記述があったという。」


また、ドイツの修道書を分析すると、776年に赤く燃え盛る2枚の楯が、
教会の上を動いていくのを見た、という記述も見つかった。」


中国でも。
「大暦2年(767年)の7月、太陽の脇に青と赤の気が有り、長さが四丈ほど。
太陽の上に赤い気があり、長さが2丈ほど。9月にも太陽に青と赤の気が。
3年正月には太陽に黄色の冠のような気があり、赤と青の気もまわりにあった。」

という記録があったという。

謎カレンダーより
http://enigma-calender.blogspot.jp/2014/03/AD-775.html

これらの異常気象は、太陽フレア説が有力だという。
赤い十字架や赤い盾などは、オーロラのことを示しているとする。
イギリスの古文書には、「大地に現れた見事な蛇」と書かれている。



-----------------------------------------------------------
774年この頃、蝦夷が桃生城を襲撃。
大和朝廷から命令された移民がたくさん住み始めたのもこの頃で、
古くから住んでいた先住民からしたら、ストレスになっていたわけだ。
そして、この事がきっかけで派遣された人が、
大伴駿河麻呂であり、場所が、陸奥国遠山村との事。

それが、この前いってきた登米だった。(昔は遠山村といった)
その5、6年後、アザマロが登場する。南のアテルイと言われた人。
ちなみに、大伴駿河麻呂が「狄」といっているのは、先住民の中でも、
アイヌ人の説があります。ただ、敵意をもって言っていたのかは不明です。

イタリアでも気になる国がある。
774年に滅んだロンゴバルドという国。
ロンゴバルド族がいた王国であり、カール大帝により滅ぼされた。
カール大帝は、キリスト大国を開拓した人で、
また、ヨーロッパにおける封建制度の確立もこの頃がきっかけ。
ロンゴバルド族は、ゲルマン人といわれている。

----------------------------------------------------
ところで、太陽フレアが有力だとすると、
この電磁波は精神状態にも影響を及ぼすものでしょうか?
答えは、YESだという。
地震や噴火といった異常気象も及ぼす可能性はあるというが、
774年頃の天変地異では、大地震の記録はない。


(C)NASA

もし、近く強烈な太陽フレアが起こると、大停電が起こるそうだ。
インターネットなんてできない。
その方がいいけど。
最近、列車のトラブルや停電は多いですね。

でも、決して悪いばっかりではない。
難しい話ですが、太陽フレアは人類の形成に深い関係がある。
太陽フレアによってもたらされた分子が生命を生んだとされ、
アミノ酸とRNAの生成という。

RNAというのが、DNAの遺伝情報を転写した「伝令RNA」
といい、メッセンジャーというのですが、遺伝情報を伝達する核のような存在だそう。
太陽フレアにより、人類の遺伝子やアミノ酸、たんぱく質による形成の源があり、
何らかの潜在的な遺伝子への、もっと深くいうと魂の部分で、
影響を及ぼしていたことがないのかなあ、と消極的な妄想。

結局、いろいろなことを及ぼす宇宙の異変で、不安定な情報だったのか、
それとも前向きな情報だったのか。。。
蝦夷にとっては、どちらに働いた影響だったのか?

といった古代の歴史を宇宙の歴史と繋げてみるのも興味深い。
螺旋に繋がる遺伝子は、宇宙の出来事と互いに引っ張られていることが、
実際あるのだな、と思うのです。


(C)NASA
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胆沢への願い

2016-07-26 | エミシについて
田んぼに白鷺が悠々と飛んでいます。
私はなんで田んぼを歩いているんでしょー・・・。(遠くの目)
歩くことがこんなにきついとは。
湿気のだるさがね~。。。
自分の体力の衰えなのか、たまたま上手く行かなかったのできついだけなのか。

帰ってきてわかったのですが、
今、知人や友人たちが、いろんな所へ行ってます。
昔は、ある特定の人しか行えなかった平和な業を、
普通の人たちが、それぞれの導きや気づきから、同時進行で
行っているようなんです。

例えば、一人で行っていると思っていた作業が、
分散されて複数別の箇所で、同時進行に行われている
ということがわかったのです。
同じ日に、ある人は能登へいき、ある人は最上へ行く。
そこで出来事(シンクロ)が起こるという。
それを共有できる時代になっている!
じゃ、そのように働きかけている人がなにか?というと、
今回、義経だったんですね。
え??あの源義経?という話。(胆沢は違います)
また、それが別の所で、情報として入ってくるというのがまた不思議。
過去、何度も失敗をしてこの先の未来を考えてきた、
数多くの霊統やソウルメイトな存在が約束をして、
地球に生まれ変わって再開を果たすというガイアな話が?・・・。
そのきっかけが、東日本大震災だったという話を多く耳にします。
なので、私は東北で始まっていると思うのは、パワースポットという場所ではなく、
自分自身が変わろとしている人が、震災のきっかけで増えているということだったんです。

義経も過去、そのようなことをしてきた人らしいですが、よくわかんない~。
別に特別なことではなく、それが普通だったんです。
坂上田村麻呂や、平将門、伊達政宗、などなど歴史上に神格化された
ような人が分散して、いろいろな人に働きかけている霊的存在がいるということが
なんとなくわかりました。そして、普通の人がそれをする時代。
ただ、良くも悪くも働きますが。
物質にこだわる人には、起こらない現象なんです。

それが新しい時代の突入だと思っているし、ようやく機会がやってきたと。
ただ、精神世界の話なので実感というよりは、どう受け入れたらよいか、
まだわかりませんし、個人の問題となっておこってくるから、
自分にどんな世界が見えているか、また見せられているか、葛藤もします。
私は古代史が特に好きなんですけど、ほとんど史料にない世界なので、
知るすべがありません。あえてそこを自分の心理と重ねてみています。
自分と祖霊の関係が、精神的なモノで問いかけられることがあるから面白い。
私の原点は、武甲山にあるので祖霊は山。
自然に還ることさえできれば、何もいらない。

刀は悪いものを断ちきる意味がありますが、剣は陰陽どちらも持っているものなので、
悪いことも良いことも、どちらも留めないとならない。
切ったり切られたりではなく、「留める」。そのまま持っているという事。
自分の嫌なところを、いかにそのまま置いておけるか。
難しいけど、それができないと変われない。
大地に剣を突きさすのは、地に足をつけるのと同じ。
「そのままで」いられるか。。。

私の中では、それが666なんですよね。
私の場合、葛藤すると666が現れるようです。
ある場所へ行こうとすると、666が現れるのは、かつて先祖が、
そこで同じような経験をしたからだと思います。漠然としてますが。
成長しようとした段階で失敗したからだと思います。

変わることへの不安があるので、この数字が嫌になってくることもある。
悪でも何でもなく。
自分の未知な部分に触れると不安になるだけのこと。
なので、この数字は、変われるよ!というメッセージ。潜在的に働くモノで。
6は、縄文人の聖数ですから。6を3つ並べるオリオン。
良いオリオンもいます。
なので、胆沢へいく前日、666の数字をみた。
これって昨年の秋、アラハバキ大石を祀る胎内山神社へ行った時と同じ現象だな、
と思いました。
ということは、666はアラハバキで、胆沢もアラハバキ文明?
みたいなのがあったのかもしれない。
アラハバキが何だか、いまいちわからないけど。

こんなことを考えるのは、はるか昔、胆沢にとても精神レベルの高い人がいたんじゃ
ないかな?と思いました。

すっきりしたアテルイ---------------------------------------

しっかし、胆沢の行脚はしんどかったな~。
腰痛いし、足も痛いし、それに食べ過ぎた!
帰ろうかと思ったけど、せっかくここまで来たのに、胆沢城跡と埋蔵文化財へ
行かないと胆沢の歴史がわからない。
駅からそんなに遠くはないけれど、歩く気力がないので、タクシーで。
タクシーのおじさんに埋蔵文化財調査センターへ行ってもらうよう伝えたら、
おじさんが、アテルイの話をうれしそうに話してくれた。
一度、聞いてみたかったのだよ。
「やっぱり地元の人たちは、アテルイが好きなんですか?」という質問。笑
「そうだね、アテルイはいいよね。」と、照れ笑い。
(なぜ照れる?笑)

そうだよね、私もイマイチよくわからない人だけど、
アテルイもモレも好きです。
たとえ伝説上の人物であったとしても、東北を背負って戦ってくれた人がいたと
信じることで、良い方向に導いてくれると思います。
東北は追われた歴史しかないと思っていたけど、そうではなく、
東北の自然は厳しいけれど、雄大な大自然をこよなく愛していた人たちでした。

坂上田村麻呂は、権力とかあまり気にしていない人だったと思うのですが、
どうしてか、私は胆沢城跡に一歩も近づけませんでした。
てか、行けなかったんだな。
何も残っていないけどね。
見えない柵があると感じてしまったのは、他にもあるけど、
特に胆沢城はやっぱり存在力があります。何も見えないのに、なんかあると感じる。
ただ、ポケモンはいない。(私はやってませんよ。歩きスマホは酔うのだ…)

-------------------------------------------------
埋蔵文化財センターには、ちょっとすっきりしたアテルイがいます。
あんまりにも鹿島神宮に奉納されているお面が怖いので、
アテルイの肖像としてこんな感じに。



専門家の間では、アテルイは伝説の人物としてます。
ほんとに伝説の人なのかね?
ヒゲが濃すぎです・・・。笑
入口にはもっとすっきりしたアテルイがいる。
だからヒゲが濃いっ。



2階の展示室の入り口には、目が赤く光る兵隊がいます。(なぜ光る?)
この甲がエミシ独特の甲です。



始皇帝の兵馬俑みたいだな。
舞草刀も展示されています。たぶん、レプリカだと。
誰もいない展示室で、ビデオを30分流すという。
NHKのドラマ仕立てのような映像を見ながら、半分は寝てしまう・・・。
ここで全然知らない名前の人がでてきた。
覚えられない名前。
この人の反撃からアザマロの反撃へ。
へ~、まだ知らないエミシがいるねえ。
エミシ好きにはたまらない展示室だと思います。
丹取郡の遺物など、宮城県北部との繋がりもみられます。

胆沢城---------------------------------------

胆沢城は、平安時代はじめの延暦21年(802)、
坂上田村麻呂によってこの胆沢の地に建てられました。
アテルイと紀古佐美の対戦後です。

大同3年(808)には鎮守府が国府多賀城から胆沢城へ移され、
鎮守府胆沢城が成立。
ここに主な施設として、例えば、こんなことが。
・朝廷に降伏したエミシをもてなす儀式(俘饗ふきょう)
・日常の殺生を滅罪するための儀式(吉祥悔過きっしょうけか)
宴会ばっかりやっていたような話も。
どんどんエミシが熟エミシになっていくので、同志の間では、ザワザワしてました。

胆沢城の主な仕事
・年貢を納めさせる一つの方法として「ムラ」と郡をつくる。
・朝廷側についたエミシを確かめ、もてなす。
・狩りや漁などで得た生き物に感謝し、その年の豊作を祈る会を行う。  
なんか、普通なんですけど・・・。
全然、支配した匂いない。      

詳細は、こちらのサイトへ。
埋蔵文化財調査センター
http://www.oshu-bunka.or.jp/maibun/index.htm

------------------------------------------------
さて、胆沢城へ行く気力が全くなくなった…。
帰りはどうするか。
この後、予定では駅まで歩く途中で、胆沢城跡をみてこようと思ったが、もうくたくたで、そんな気力がない。
バス停が近くにあり水沢駅まで出ている情報をゲット。
1時間に1本は走ってると。時間がちょうどよい!
即、バス行きに決定。
胆沢城とは逆方向に向かう。
帰れってことか。
勿来だね。
結局、胆沢城跡はタクシーで素通りしただけ。
すぐそばなのに、断念。


※埋蔵文化センター近く。今では田園風景が。

考えてみれば、エミシにとって多賀城も胆沢城も要らないんだよね。
多賀城もそうですが、胆沢城も私にはあまり縁がないってことで。

こんなことを妄想していいのか、と思うのですが、
坂上田村麻呂は、クリスチャンだったのでしょうか?
宮城県ですが、地元の人から坂上田村麻呂を祀るお寺は、元はクリスチャンだったと。
もちろん、全てではないですが、キリスト教弾圧の時に、坂上田村麻呂を祀っているといえば、
許してもらえたという話。
あまりにも坂上田村麻呂を祀る寺社が多い東北は、キリスト教が多いことがあります。
マリア観音も多いし。
(以下マロとよばせて下さい、笑)

このような話や、マロがアフリカ人説が浮上するのも、
キリスト教と深い関係があり、イエスの系譜をもつか、
宣教師みたいな人だったので、八幡宮や駒形神を祀っていったのだと思います。
そんな信仰深い人だったから、最終的にエミシの怨霊を、
坂上田村麻呂によって塞いでもらうような役目となってしまった。

物部氏を起用したのも、ユダヤ人だったからと思うし、
エミシを通訳としていたのも、中には西洋からきた人もいただろうし。

帰ってきてから、こんな妄想が浮かんだ。
足が重かったのは変な話、鎧でも持たされてかね?と思っていた。
マロのことを考えていたら、十字架が浮かんだ。
十字架を持って歩いている姿。けっこう大きい木の十字架。
だからといって胆沢城と関係しているわけではなく、
マロが十字架の象徴として浮かぶということ。
十字架にかけられたイエスが浮かぶ。
もう、疲れたという感じで。
柵を壊す、十字架からおろす。
降伏ではなく、平和という意味で、もう終わりにしたいという思いみたいなもの。
あらゆる宗教をひとくくりにする。
そう考えていたマロだったと思う。これもククリヒメなんだよね。

なぜ、この場所に胆沢城や紫波城などが築かれたのかを考えると、
国分寺は北緯や緯度を気にしていたこともあるだろう。
北緯38度には陸奥国分寺と仙台城跡がある。(ほぼ誤差はなし)
北緯39度には、胆沢城や紫波城などの北上山地がそれにあたる。
その北緯39度には、秋田の唐松神社もある。(誤差はあります)
マリア信仰の多い秋田。
秋田物部氏を気にしていたマロがいてもおかしくない。
後に、秋田物部氏は平将門の討伐で関東まで行っているのだから。
シャーマニズムな世界は、この頃も生きていた。
もしかしたらこの城も物部氏が関係しているかもしれない。
安部氏の戦いは、「奥州十二合戦」というのですが、前九年・後三年の役。
9+3で12。これにも3をかけている。オリオンの3つ星。
鳥海山本地の秋田由利12党。何かの結束が、そうさせている。
破壊がオリオンの象徴になっているようですが、
だからこそ、宇宙全体で考えないといけない課題なんです。
火星にいったところで、何も解決にならない。

安部氏との対戦が、1089年頃なのですが、十字軍も1096年頃から
200年にわたって遠征が行われていた。その時代、日本では奥六郡が活発に
なっていたことの時期が重なるのだから、世界がみな破壊の一途をたどる時代だったのです。
ということで、安部氏もいろいろ。
代わりにマロが懺悔しているみたいなのです。変な話だけど。
なので、平和に考えたい。じゃないとなんだか可哀そうになってくるのです。
十字架をもっているマロは、どんな思いで東北で眠っているのでしょうか?

ということで、胆沢探訪は終了~、じゃなかった!!
最後の最後に、こういう展開になるのがすごく不思議です。
なんだかんだ言いつつ、マロの実態がわからなかったので、
ネットでググったら、なんと、
マロと確定できる墓が京都でみつかり、
「武具をつけ、立ったまま埋葬されていたことがわかった」
という情報を見つけてしまった。
マジかー!!
しかも、平安京の方に向かって立っているという。これって東北の鬼門の方にあたる?
嵯峨天皇が、最後までマロに平安京を守ってほしいという命で。
そんな埋葬な仕方。。。気の毒です。

ん~、鎧を持たされているように感じたのは、マロであって、
でもなぜ、十字架なんだろう?
マロは立派な軍人だったことがわかったのですが、じゃあ、
十字架を背負っている人はだれなんだろう?・・・わがらんっ。


※風鈴がたくさん~♪(水沢駅)

見えそうで見えない。
またそのような流れがあったら、再びリベンジ。
胆沢への願いは、まだ続きそうです。
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三輪山に向かって誓うエミシ

2016-06-23 | エミシについて
「是に綾糟等、懼然り恐懼みて、乃ち泊瀬の中流に下て、
三諸岳に面ひて、水を歃りて(すすりて)盟ひて曰さく
「臣等蝦夷、今より以後子子孫孫、清き明き心を用て、
天闢に事へ奉らむ。臣等、若し盟に違はば、天地の諸の神及び、
天皇霊臣が種を絶滅えむ」と申す。
(日本書記)

エミシが三輪山を信仰していたような話は、日本書記にも度々あり、
ここで大騒ぎするエミシがいるから、四大将軍が登場しエミシ征伐と繋がっていく。
泊瀬川の川中の禊、三輪山=大物主を信仰していたような文面。
もし神に反する行いをすれば、子孫が途絶えるぞ、という脅つきの誓い。
子孫が絶えるよ、ということを残している日本書記は、エミシに対する恐怖があったからだろう。

「古代東北と王権:中路正恒」によると、「歃りて」の漢字の意味は、
口をとがらせて皿をすする意味があるそうだ。
中国の史記、漢書の匈奴伝に盟約の形式の中で、鶏や犬、白馬などの血を
皿に注ぎ、また頭蓋骨などを取って互いにすする儀式があったという。
このような中国式の形式を血ではなく、水で代行してすすったのではないか?
という解説があった。

「盟」の漢字に皿がつくのですが、エミシは通訳がいないと大和言葉が話せない人
たちだったので、中国式を知らないはず。エミシはアイヌ語を話していた
説もあるが、実際のところはわかりません。
なので、それをみた人が、そのような儀式と解釈して「歃った」に記されたと。
いずれにしても神に対しての誓いであった。

キリスト教も聖杯がある。
神盟に誓う意味での聖杯であり、これも血である。
イエスの血を飲む意味で、ワインを飲ませる。
「私の血である」という意味で。
カトリック教徒では水で薄めてワインを飲むそうだ。
ラテン語の皿は、食事のコースの一区切りの意味があるので、最期の晩餐となっている。
他の意味としては、「壇」のこともあるというが、王族の血脈の意味。
しかし、エミシの場合、キリスト教ではなく鉄が関係していると思った。

水銀とエミシ---------------------------------------

血がマタギの狩猟文化からと考えると、
水を体内に含めて清めることはあると思った。
動物や自然霊をあがめていたエミシだったので、それが三輪山と繋がった背景には、
ミシャグの信仰があったと仮定するならば・・・、それを促した?人物に秦氏がいる。

1402年世阿弥の花伝書というのがある。
「諏訪神社7つの謎 皆神山すさ」から引用します。
欽明天皇の代に、大和国泊瀬河が洪水となった時に、川上より壷が流れて来て、
中に玉のような緑の子が入っていた。
三輪神社の鳥居の前でこれを発見した人々は、ただちに天皇に奉上した。
その夜、天皇の夢に現れた緑の子は「自分は秦の始皇帝の再誕である」と告げたので、
朝廷につかえて秦の姓を下され、秦河勝と名乗った。

秦河勝の登場ぶりが、宇宙人のようで・・・。
うつぼ舟にのってきた秦氏は、播磨に着き、浦人舟を上げてみると
人間に変わったという。
それで神と崇めて、国が豊かになったので「大きに荒るる」と書き、大荒明神となる。
化身は猿だったり、翁だったり、本地は毘沙門天だったり・・・。
到着した場所が、坂越(さかこし)とよぶが、元はシャクジだったそうだ。
シャクジ→サコシ→サカコシ。
うつぼ舟とは、他界からきた神がこの世の姿になるまで入っている乗り物らしい。
人間らしくない人物を神のように崇める伝説は多いですが、(異類婚など)
乗り物をのせているところ、舟に乗って航海してきた人とも解釈する。

秦氏は、新羅人らしく秦は「波多」と書いて「ハタ」となった。
よって海の人。
諏訪大社のミシャグチ神は、樹、笹、石などにおりてくる精霊を中心とした
営みがある。石棒や石皿は、縄文遺跡でも発掘されている。
縄文時代はこれらをご神体とし、石棒と皿の関係はストーンサークルにも見られる。


※埼玉県入間市の物部天神社、ニギハヤヒを祀る。菅原道真由縁の地でもあり、秦氏(機織神)と多冶比氏のサンカ(ナデシ)が関係している。




さて、私は三輪山に始皇帝が出てくるということは、
エミシが歃った水は、水銀だろうと思う。
不老不死の意味があって、水銀を含んだ水を飲んだ。
秦の始皇帝は、水銀を飲みすぎて亡くなっている。
エミシも同じようなことを考えていたと思うのです。
エミシにとっての聖水は、水銀である。
鉄の朱丹を飲むことができる水であり、新羅人が行っていた儀式だったりして?
後の修験、道教、密教などに繋がっていくものですが、鉄に熟知していたエミシなので、
三輪山にも鉄文化があったと思います。(詳しくはわかりませんが)

泊瀬川は、奈良県桜井市にあり雄略天皇の御宮が置かれた所だった。
長谷寺がありますが、あこや姫伝承でも書いてました長谷に繋がると、
新羅人の聖地だったこともあった。
その新羅が秦氏だったということ。
後の高麗と対立する。
これも白鳥と鷹の融合だと思います。別に争いばかりしてきたわけではなく。

著者によると、韓国では「大、巨、多、衆」などの意味をもつ古語は、
「hana」とよび、これがハタになったと。
秦氏系の巨智氏(こち)は、同一族の異称で、大、巨、多の意と書く。
秦氏系の物集氏(もつめ)の物集も「motum」で集合、連合の意味がある。

よって、多氏も秦氏系と同一という説もあり。
東北では、秦の物部氏と秦の多氏が分裂したのかもしれない。
しかし、どちらもその名をとどめることなく、東北では一括りに蝦夷とされた。

もうひとつ、言霊で妄想すると、
秦の波が多い意味は、山容の陰陽交互の波と解釈される。
盛りあがる山と低い谷底の山波が交互に波うつ。


(山寺から見える山の峯)

八父韻が山波と同じように交互に4つの山と、4つの谷が流れるという意味で、
山人は、「八父韻の秘密を知る人」という話を友人から聞いた。
また、富士山を別名、仙元ともいう。
埼玉県は富士山信仰が多いですが、仙元山という名前も多い。
これが富士山の古語では?ということで、浅間になっている。
産泰神社というのがありますが、泰を産んだという意味で、水から産まれた意味。
仙元平、鬼穴、阿武隈、地底の入口・・・。


(長野県車山から富士山(左奥):左上に白い輪が映っているけれど、車輪みたいなんだよね。車輪=UFOの回転軸)



東北地方にも大森山などの富士山信仰が多いですが、フジとは言わない。
アイヌ語?のオトガ森やオードなどとよんだり、大森山とよんだりする。
富士は宣言する誓いの山だから、仙元や浅間(せんげん)になったんだなあ、と思う。
誓いの山は、すべてピラミッド型の山であった。
それがエミシの祈りの形であり、永遠の命を授かることを願う意図があった。

言霊------------------------------------------

八つの父韻とは、言霊学によると、
「言霊ウとウ、オとヲ、アとワ、エとヱの言霊領域に働いてその二つを結びつけ、
感応同交を起させる活動をする、」
ちょっと難しいんだけど、主体と客体というのがあって、
「思う」ことは、何かに感じて思うのだから、
客体に対して思うことになる。主体ではなく。
何かを行動する時は、必ず主体と客体の関係があり、分かれることになると。
それが何であるか「分かる」から、分かれるという意味。

これは剣を分けた状態が、カタハになり刀になっている世界で、
剣で真っ二つに切ることで、分かることになる。
世の中が分からない(分けない)人間だけになると、片方しか生み出せない。
片方では分からない。なので、男女や陰陽というバランスが必要。
鳥居はそのバランスをくぐることにある。
その八父韻を知っている人が霊知りという。それが天皇(大王)の役目だった。

そんなことを妄想していると、なぜ、山形県千歳山のあこや姫伝承の地に、
物部守屋を継承する碑があるんだろう、という謎がちょっと、とけるような。
あれは、尊王攘夷派が建てたというけれど、物部守屋が霊知り(大王)だったから
わざわざ大きな碑を建たのかな、と。
石碑についての歴史解釈は、明治時代となるとちょっと別ですね。
古代の人たちが思う天皇と、明治時代以降の「天皇制」というのは違います。
簡単にいうと、物部氏は蘇我氏によって神道が排除されたというような内容になってますが、
純粋に、日本の精神を重んじる神道に尽きるわけです。
その訴えが書かれた石碑です。





興味がある方は、こちらを参考にしてください。
※千歳山公園(山形市)にある物部守屋大連之顕彰碑
http://y-kakusho.jp/toukou/toukou96.html

こんなに物部氏に対して熱いエールを送る石碑はないと思います。(笑)
しかも、山形県にね。石碑もとても立派です。
今まで発見されなかったことが不思議ですが。

また、これも秋田県唐松神社とも繋がるような気もしますが・・・。
蘇我氏が物部氏を排除したとは思えないが、秦氏は九州~関東にかけて居住していた
渡来人で、秦河勝は聖徳太子の側近だった。
物部守屋が蘇我氏と対戦していた時、聖徳太子の方が強かったとあり、
物部守屋の首をとった人物が、秦河勝だったという記録がある。
これも実際のところわかりませんが、分裂した意味があると考えると、
言霊を知っていた物部氏をカタハにされた。これが一族の分断の意味がある。
分裂したことで、八音韻をわかる人がいなくなったという意味もあるから、
この時代からガラリと変わってしまった。

祝詞も神に向かって誓う形に代わり、一般の人に向けて誓うことがなくなった。
物部氏は、神ではなく百官(役人)に向かって天皇の名代として奉上していた。
たぶん、特定の人だけの祝詞ではなくて、参拝にきた私たちのような普通の人、
あるいは本人に向けた祝詞だったと思うのです。
言霊は、私たちが使うものだから、一般に向けた祝詞だったのではないでしょうか?

しかし、世の中はいろいろなデマでまかり通っている。
本当の言霊の意味を知っていれば、誰が唱えようが関係ありません。
別に物部氏が特別すごかったわけではないです。
言霊の威力がすごいだけです。

物部氏や秦氏などの渡来人が、はるか遠い国から日本へやってきた時に、
いろいろと知って聞いていたわけですから、
日本語の響き(アワ歌など)や、言霊を解読していた可能性はある思います。
ヲシテ文字やヒフミ文字なども残しているのだから。
それ以前は、世界共通語のなんだけ?忘れた。
岩に彫られて発見されたりしてますが、縄文人だけが知っていたような文字です。

エミシの通訳に物部姓が多いのもそれです。
言葉(言語というか音の響き)に異常に敏感だったような気がします。
しかし、今、この世の中がおかしいことは皆が知っていることですから、
どこで狂った?といえば、私はこの時代からだと思っています。
そこに剣が関係しているから、フツヌシを祀る物部氏がいたという事です。
多氏はその代わりとして古事記を残しました。

ということで、実は、エミシはそんな人たちであったと思うと、
征伐されたことが非常に残念でならない。
また、私たちはエミシに対し、大きな誤解をしていると思うのです。
朝廷に反対した人たちということは、守ろうとしたことにあり、
その破壊を見過ごしてきた今があると考えるべきです。
私は、そこにもう一度戻ってみたい。
二度と繰り返さないための歴史を、エミシから学んでいるのだから。
破壊から学ぶこともある・・・。
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オオヒルメムチとエミシ 

2016-04-02 | エミシについて
一関博物館から徒歩30分位で達谷窟毘沙門堂(たっこくいわやびしゃもんどう)
へ行くことができます。


(遠くに見える山は栗駒山)




(なぜかヤギがいる)

平泉まで行く場合、車で行ってしまうとこの先の姫待瀧に気づくことは難しいかもしれない。
初めて毘沙門堂へ来た時は、主人と一緒で観光客もたくさんいた。

もちろん、瀧のことも知らなかった。
しかし、今回は一人で他に誰もいない毘沙門堂をゆっくりと独り占めできて、ラッキーでした。
こんなことはなかなかありません!





毘沙門堂の前で静かに座っていると、不思議と安らかな気持ちになります。
3つの鳥居をくぐると、そこは黄泉国という設定がある。

お堂の前には弁天池、裏手には白山池。櫛の巫女が金を守り、毘沙門堂が金=不老不死になれるよう
約束しているかのように、ずっとここでお籠りをしている何かの存在がたくさんいる。
(108体あるんだと)
じっと見られているような感じではなく、とても静かに息を潜んでいるような感じ。
だから人間に気づいていないと思う。
変な話、あちらの存在も、なぜここでずっとこうして守っているのかも、
わからないんだと思う。
感じ方は人それぞれなので、あくまでも、個人の感想です。

この平穏さが、後の坂上田村麻呂の鎮魂の御加護であるというならば、
坂上田村麻呂とアテルイ(悪路王)との間には、深い信頼関係があったと思える。

クシナダヒメが深く関係していると思ったが、「靈」の漢字をみて、
私はオオヒルメムチという言葉が浮かんだ。
秋田の大日堂。

その前に、ブログにも書いた覚えがあるのだが、いつものように忘れているので、もう一度おさらい。
しかし、相変わらず悪路王が悪いように書かれていますが、そんなことはないと地元民は
思っているのかどうなのか…。

栗原出身の知人に、歴史の授業でアテルイやエミシのことについて勉強したのか
聞いたら、歴史にエミシは出てこないと言っていた。
悪い人たちだと思っているから、学校では教えないんだろう。

縁起-------------------------------------------------

1200年前、悪路王、赤頭・高丸等のエミシが磐に塞をかまえ、良民を苦しめ
女子供をかすめる等乱暴なふるまいが多かった。
国府もこれをおさえることができず。
そこで桓武天皇は、坂上田村麻呂たちに蝦夷征伐のために派遣。
対する悪路王は達谷窟より3千の賊徒を率い、駿河国清美関まで進んだが、
大将軍が京を発する知らせを聞くと、武威を恐れ窟に引き返し守りを固めた。

801年大将軍は窟に籠る蝦夷を激戦の末討ち破り、悪路王・赤頭・高丸の首を
はね、ついに蝦夷を平定した。
大将軍は毘沙門天の御加護と感じ、その御礼に京都の清水の舞台を模して
九間四面の精舎を建てて、百八体の毘沙門天を祀り、国を鎮める祈願所として
毘沙門堂と名付けた。(別名窟堂)




-------------------------------------------------------

奥州合戦の帰路、源頼朝もここに立ち寄ったそうだ。
葛西家の崇拝も厚く。
葛西氏といえば、秩父平家の祖でもあるのですが、
あの武甲山に三菱マークは要らないと思っていたマークと同じ3つ柏だった。
それに、葛西氏が使っていた旗が巨大な卍だった!
ムーだ…
どっか繋がってしまうね。


(※「郷土のかたな」一関博物館より)

葛西氏が治めていた場所で、宮城県北部の佐沼城があるのですが、ここに照日神社が祀られてます。
最初にここを治めていたのは、照井という名前の一族。その後、
葛西氏が占拠し後に伊達政宗が統治した。
葛西氏は、モノノフのエミシの聖地を占拠していたように思う。
それに、佐沼城は鹿を埋めていたというのだから。鹿の儀式というところ、諏訪神かモノノフか…

その照日神社には、出雲神社も一緒に祀られている。
なので、アテルイを天照皇神とするならば、靈(ヒ)という漢字の巫女は、オオヒルメムチみたいだと思う。
ヒルメのヒの漢字は、女という漢字を含む。

秋田県のだんぶり長者とオオヒルメ神社。大日堂とよばれる大霊日貴神社があり、
黄金マスクのポスターにカルチャーショックを受けましたが…


大日霊貴神社(オオヒルメムチ)※ムチに貴という漢字をあてている。

また、二ギハヤヒと関係していそうだと思ったのは、
「二ギハヤヒ供奉衆」というのがあり、高天原から派遣された二ギハヤヒ軍の将軍みたいなもの。
そのリストが先代旧事本紀以外は、意図的に削除されたという。
理由は、神武東征の優越性を主張するためと。
数あるリストの中に、八意思兼命、阿智神社や武蔵秩父国造の名がある。
秩父彦は二ギハヤヒに従ってやってきた証であるとされる。
秩父に蕨手刀が伝わっているのは、そのような理由があるからだろう。
また、秩父に神武天皇のお社が多いのも、神武東征の転換のために置かれたとも考えられる。
それは物部氏より、尾張氏の可能性が高いという。
では、それ以前は何か、というと、ウガヤ朝であったと思う。(このへん複雑)
達谷窟毘沙門堂もそのリストの一つにあるわけではないが、ウガヤ朝という白蛇の蝦蟇(ガマ)伝説が
残されていますが、ガマは白蛇のことだという。(伝説については後ほど)

個人的な話ですが、そのニギハヤヒの供奉衆のリストに、私の旧姓、「横田物部」というのがあった。
横田は金の意味があることは以前、横田町(陸前高田市)の話で書きましたが、物部とは~。
「天物部25部の人同じく兵杖を帯びて天降り供え奉る25人」
という中に、横田物部が入っている。他に鳥見物部。鳥見といったらトミの鳥海山ではないかっ!
横田は古くは、「オコタ」と呼んだ。
OがYの「ヨ」なっているのは、ひょっとしたら、ヘブライ語かもよ。
YHWHEだっけ?ユダヤの神音。ヤハウェ。ヘブライ人は、オコタと言いづらいので、
ヨと言ったんじゃないの?(勝手な妄想ですけど)
横田はユダヤのルーツもあるかもね。
なのでモノノフのユダヤ人説は否定できません。

アイヌの神=オオナムチ?-----------------------------------------

オオヒルメムチという言葉から、だんぶり長者に繋がる。
だんぶりとは、トンボのこと。
トンボは神の使いとも言われていますが、なぜトンボなのかは、
はっきりとわかりませんが、勾玉のような穴の空いた飾りのような気がします。
トンボ玉は、トンボの複眼に似ているのでその名前がついたそうですが、
古くはオリエント時代や、エジプト文明でも作られており、
ガラスも奈良時代から日本にもたらされている。
穴が空いている石を奉納しているアラハバキか、オオナムチの由来に
飾りの装飾品があったことも何らかの関係があるでしょう。
この話は、簡単にいいますと、だんぶり長者の娘が亡くなって、オオヒルメを祀ったという。
オオヒルメとは、天照大神。だんぶり長者は、清水から酒に変えた人でその娘は、
継体天皇に仕えたのですが、亡くなるとオオヒルメを祀り供養したそうです。
そしてそこに銀杏を植えたと。
銀杏は、秩父の国神にもある。大銀杏は秩父の象徴なんですが、
国神にある大銀杏には秩父彦の墓ともいわれ、秩父彦はワカヒコでないか、という話。
ホツマツタエに秩父彦が出てきたと思う。和歌が上手なヒルコは、ワカヒコに歌を捧げた話。

ワカヒコは、アマノコヤネと同一というか斎名。ワカヒメとワカヒコの関係は、
ヒルコとヒルメとなる。
また、ワカヒコは春日神であり、秩父長瀞には春日神やアマノコヤネを祀ることが多い。
妄想するに、国生みの最初は、ヒルコであり、女神を立てて、
ヒルメとしたのがアマテラスではなく、オオヒルメムチとしていることはないか、と。
それが、オオナムチということ。
オオヒルメムチとオオナムチが似てるだけなんだけどね…
卑弥呼は出雲と関係しているので、先の縄文の産鉄女神から、
出雲族が卑弥呼崇拝の天照神(アマテラス)としたとか?

また、アイヌラックルでは、地上で誕生した初めての神であり、地上と人間の平和を守る神とされる。
オイナカムイ、オキクルミなどの別名でも伝えられている。

つまり、オイナはアイヌの神で、それが訛ってオオナとなっており、その語源がヒルコのオオヒルメムチであると。
ムは不明だが、チは(大地)だから母神。
アイヌの最初の神が、ヒルコだったが、正当性を記す際、古事記ではヒルコを流すことにした。
それは左遷されたというか、失敗したのは「女性から声をかけた」ことにあり、
神の声は、「男から発することにした」それが国生みだとする意図が隠れているとかも?
その話が、神武東征と似ているのです。
また、そのオオナムチは大物主ということもある。
エミシが崇拝していた大物主は、アイヌの神と同一とは言いきれませんが、響きが似ていると思います。

その後、ヒルコを継承する卑弥呼を大和朝廷は、追いかけていたことになるのだろうか?
秋田へ逃れた物部氏や阿部氏など他一族の末裔が、大日堂のオオヒルムチを崇拝していたような気がするのです。
だんぶり長者の娘は、それを継承していた巫女だった。

例えば、兵庫の廣田神社は神功皇后の海外遠征の勝利の時に、荒魂の力によるので、
武庫の地、廣田に創建とある。
この話は、秋田物部氏の伝承、唐松神社の由縁の中にも海外遠征で、神功皇后の話があり、
その勝利のお礼に腹帯を祀るとあるところは似ている。
ちなみに、廣田神社の荒魂はセオリツヒメといわれるが…。

さて、詳しいことはわかりませんが、達谷窟毘沙門堂も何かそんな繋がりがありそうです。
伝説は続く。
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伝アテルイの刀と剣

2016-04-01 | エミシについて
久々に東北探訪。
暖かくなってくると歩くのも楽しい。



今回は一関へ。
昨年、舞草神社へ行き、舞草刀などあまり刀に興味がなかったのですが、
なぜか最近、剣と刀が気になりだした。
さて、1日空いたのでどこへ行こうか?考えたところ、
一関博物館に舞草刀が展示されているというので、博物館へ行ってきました。
2年ぶり?の達谷窟毘沙門堂へも。

※舞草刀についてはこちら。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/3acd245b041f7ce7175922e0bad6a363


厳美渓



なぜ刀と剣が気になったか、ある本からの影響もあります。
またもや、「二ギハヤヒ」と題した黒~い本をみつける。
著者は「ヒルコ」でも書かれていた戸矢学さんの本ですが、なかなか面白い。

この本を読んでいたら、刀と剣の違いを知りたくなった。
誰がどんな目的で剣や刀をあやつっていたのか、というより、
漠然と、剣であったモノが刀という片方だけの刃(片刃)になったことで
(※カタナはカタハ(片方の刃)から由来。)
バランスを欠いているような気がしたのです。
でも剣は対になって両方必要なモノ。
片葉(かたは)の伝説が各地にありますが、片目などもそうで、
それは刀の片刃(かたは)の事ではないか?と思ったわけです。
善悪二元論という悪を作り出したことで、より悪いモノから断ち切ることを考えて作られた刀であると思う。



言霊では、太刀(たち)といい、「絶ち」に通じる。
これは、人間が産まれた時から授かっている判断力で、
物事をわかろうとする分析力となる。
分析、すなわち分けなければ永久に分かりません。
分けるから分かるのです。
この分析する・分ける働きを表徴する器物を太刀とよびます。
~全体としてそのものが理解した時、良いか悪いかの判断をする。
この総合する働きを「剣(つるぎ・連気)とよび、何かを一緒にする時の
「つるむ」と同じことをいう。
分析の太刀と、総合の剣の両方の働きをする古代の剣は、両刃でした。
これに対して物事だけを絶ち切るだけの働きは剣は刀(片名)とよばれました。

キリスト教「われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな。
平和にあらず、反って剣を投ぜんために来れり。」
※ただ平和にするために来たのではない。人々に正しい判断をするために来たのです。

仏教「両頭を裁断すれば、一剣天に奇って寒し」
※あれかこれか経験知の迷いをするより、すっぱり切ってしまえば物事の正邪善悪を
決定することができる」


(言霊学:島田正路著)

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剣から刀になることでかえってバランスを欠いたことはないだろうか?
判断力の欠如により、ただ恨みをもって自分だけの勝手な念を消したい為の道具にすぎない。
剣は切らないから両方の手でもつ。
刀は片方だから、片手で持てるように考えだされた。
剣を口の中に入れる不動明王があるが、山頂に置かれた鉾や剣をみても天から垂直に
落ちてくる力を大地に含め、人間の体内にも含める。
体の中心の軸にエネルギーを通す時、剣を使って地球の大地の中(マグマ)まで
響かせるようなイメージ。
それを落雷に委ねたのだろうと思う。当たったら死ぬけど…。
雷神とは、剣を使って大地にエネルギーを投入したとか。
意外にも雷と剣は深い関係がある。


※両方の刃をもつ剣:(剣名:以餅鉄守一作之1864年)

そのようにすると、大地震がおこるような震動があったのかもしれない。
それは直刀でなければならなかった。
「天羽羽矢」は羽を2つ書く。羽とはこの場合、刀のことで刀が2本で剣になる。
それを「ハハ」とよび、蛇と重ねた。
月山刀は、赤色の蛇とよばれ、ヤマタノオロチの時に生まれた剣と伝わる。
八劒神社はヤチホコの意味で、大国主を祀る。
また、「八つの肝」の意味もあり、肝は五臓の中で一番重要。
肝心、肝に銘じる、というように剣で五臓をおさめる。
そんな意味がありそうです。
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世界遺産になっている平泉の中で、金色堂に納められている刀が
坂上田村麻呂伝承のものやアテルイが使っていたものと同じと思われる
蕨手刀などがあるそうです。

蕨手刀は、ほとんどが東北産で関東地方の他、長野県、島根県で出土されているという。
大和があった近畿地方にはあまり見当たらない。
やはり、エミシが崇拝していた大国主と出雲族が関係していると思う。
蕨手刀のルートが、東北地方~関東~長野(山間部に特に多い)~島根県という流れ。
舞草鍛治の刀が全国的に広まり、舞草鍛治は全国へ派遣され技術を教えることになりますが、
それが良くなかったのかどうか、舞草鍛治は衰退し、なくなります。

NO.1一関市指定文化財 蕨手刀 長41.7cm 奈良~平安時代
一関市大東町摺沢に鎮座する摺沢八幡神社で出土。
ほぼ完全な姿をとどめており、刃の反りは0.9センチあり、柄の先端部分は1.2センチ
ある強い反りの形状



NO.2岩手県指定文化財 毛抜形透蕨手刀 陸奥国 中尊寺蔵
長52cm 反り0.4cm
エミシの首長・悪路王の佩刀(はいとう)と伝えられる。



NO.3太刀 銘 舞草 陸奥国 鎌倉時代後期 長72.7cm 反り2.1cm
鎌倉末期の記録写本「観智院本銘尽」では全国の名人42名中8名の舞草鍛治が記録されている。


(こちらは実際に展示されています)

※「郷土のかたな」一関博物館より

武蔵に伝わる蕨手刀----------------------------------------------------

かなり前にブログで「蕨手刀と円墳」で書いた通りなんですが、
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/05c2da036750b5143ca2463cad45ed8a

日本で初めて自然銅が発見されて(ニギアカガネ)、朝廷に献上したのは、
聖神社に奉納されているムカデを象徴とした。(元明天皇も祀る。)
雄と雌の足の数が違うが、意味はわからない。
記念に大国主と金山彦を祀り、朝廷から派遣された三宅氏らに監督させた。
この辺りでは、円墳がたくさん残されており、7世紀~8世紀初め頃とされる。
荒川と横瀬川の合流地点の南側段丘で、和銅開珍などの古銭と蕨手刀が出土された。
その側に鎮座する美の山は、美濃から由来しており、知知々夫彦の伝承がある。
蕨手刀は東北~武蔵の秩父まで伝わっていたのです。
この刀を重要だと思っていたのは三河だと思います。
三河については割愛しますが、大国主伝承やアラハバキなどのお社、イワクラなどがある三河。
子孫は東北出身だったかもしれない。

しかし、蕨手刀は質の悪い剣であるため、切るものではなく、どちらかというと
神事など儀式的に用いられていたと考えられ、剣は地にさすためのモノであった。
しかし、刀は切るためと変化した。
その違いは、蕨手刀(精神文明)と舞草刀(物質文明)の転換期だったと感じる。
もっと質がよく切れる刀に改良されたのが、舞草刀だったのです。

二ギハヤヒは隕鉄剣?-------------------------------------------------------

戸矢氏は、隕鉄剣は二ギハヤヒの依り代であるという。
隕石伝承は、全国各地にありいずれも磐座信仰と直結している。
天空から降臨した神と考えられ、
そのイワクラは、神奈備山や神籬(ひもろぎ)と同様で古代神道の依り代である。

巨大な隕石が落下して大地を震動させる。
そんなことが古代には頻繁にあったのだろうか?
埼玉県飯能市の星宮神社の伝承にあるように、光るものが落ちてきたので、星宮神社を祀った話がある。
また、雷神と剣の関係も深く、地震の神を祀った推古天皇の話がある。
夏に大地震がありただちに全国に「地震の神」なる神を祀ったという。
そういえば、鳴神という名の神社もあった。
鳴るは、「なヰ」で「ないなる」といったそうだ。
ナイは地震の古語である。
三重県に名居神社というのがあり、オオナムチとスクナヒコをお祀りしている。

東北地方の特に岩手県に集中して舞草鍛治が集まり、良質の刀が完成されたのは、
鉄を多く含む土地であっただけではなく、空から隕石が落ちてきたのを山中で探して拾い、
その鉄から刀を生み出したとも考えられると?
探していたのは、修験者や山伏といった人たちかもしれない。
巨石は宇宙から落ちてきたもので、隕石が含まれているとも考えていただろう。
確かに、隕鉄は古代エジプトの時代から知られていたもので、
鉄を生み出したアッシリアでも隕鉄を使っていた。

また、隕石から鍛造された刀剣はとても重いのだが、
研磨すると隕鉄特有の紋様が浮き上がり、その紋様があたかも龍が昇るようにみえることから、
「龍紋」とよばれているそうだ。

それに鍛治集団は、鬼でもある。
鍛治神掛図というのがあり、一関博物館で見られます。
中央に立っているのが、三宝荒神とよばれる鍛治の神様。
3つの頭と6本の腕をもっている姿をしている。
手前には、鍛冶場の様子が描かれ鬼が剣を作っている。
奥には稲荷(狐)も描かれている。

ところで、アテルイが身につけていた舞草刀が、なぜ伝承されたのだろう?
これも物部氏たちが仕掛けた伝承かもしれない。
二ギハヤヒとアテルイは似ている。
二ギハヤヒという人が実際人物として存在したならば、アテルイは、その祖である?
もし、高倉下という人と繋がるのならば、神宝は、
その技術を手に入れた人のことも言えるかもしれない。

ヒは靈(タマ)-----------------------------------------------------

そんな妄想をしたくなる一関を歩いていると「照井」の文字が。
小学生の絵がいいね~。







達谷窟毘沙門堂には悪路王伝承がある。
悪路王やアテルイという人の伝承が毘沙門堂に伝わる由縁には、
「靈」と書く「ヒ」にあると思うのです。

二ギハヤヒは、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(先代旧事本紀)
おそらく、こちらが正式な名前かと。
そうなると、日は靈であることもいえる。



ニギハヤヒの霊を鎮める場所か、巫女がいたと考えられるのがこの洞窟だったような気もしてきた。
なので、達谷窟毘沙門堂は、「達谷靈窟」と書くのだろう。



重要な言葉を発する巫女は、神の言葉を伝える役目をもっていた。
その代表的な人は卑弥呼ですが、東北に卑弥呼が逃れてきたという話はないし、そのへん後で妄想しておく。

靈の漢字は「雲から雨がしたたり落ちる」象形と「口」の象形と
「神を祭るとばり(区切り)の中で人が両手で祭具をささげる」象形から、
祈りの言葉を並べて雨ごいする巫女を意味し、そこから、
「神の心」、「巫女」を意味する「霊」という漢字が成り立ちました。

(漢字辞典より)


ということで、達谷窟毘沙門堂に「姫待不動尊」があるわけです。
姫待とは「櫛」である。霊力をもつ髪の毛の伝承。
これが巨大な岩になっているものが近くにあるのだ。
こうなると、どんどん繋がっていくので止まらない。
(このへんは後ほど)

戸矢氏は、二ギハヤヒの速を、隕石のように天から落ちてきた高速な光(太陽)
のようなものと表現されていますが、私も同じような感覚はあります。
二ギハヤヒは高速に回転する光。
これは、西洋にも同じものがある。
回転する光とは、西洋ではケルビム(智天使)やエゼキエルという輪がついた車輪である。


(ケルビムと車輪)

実は、これを紋様としているのが生駒氏だった。
生駒は、元は二ギハヤヒ降臨の鳥見白庭山という所を占拠していた氏族。
これは、秋田の鳥海山と同じ二ギハヤヒ降臨地やエミシの地周辺に駒形を祀る
のと同じ意味があると思った。
駒形を祀るのを嫌がるエミシとは、大国主を祀る(ミワ信仰)ことを排除されたから?
それを物部氏が嫌がったということもあり得ます。

妄想するに、堕天使を想像した西洋のユダヤ教やキリスト教など
の異民が先住民の祀る縄文式のイワクラ信仰などを別の信仰に置いたということ?
仏教ではなく。
生駒氏の車輪の象徴は、波を切ってすすむ波切車という。
波というと海を航海してきたように思うが、海に車輪は使わないと思う。
それに車輪が日本では平安時代の貴族が乗る牛車の象徴というが、それが貴族の象徴として家紋にしたならば、
他の貴族もみんなその家紋を使うはず。

生駒氏の「駒」の意味に、回転する光があるならば、駒は、高麗、狛、独楽・・・といろいろある。
狛犬は高麗の犬。独楽は、回るものだが古代にあったものか不明。
まあ、このへんはまた後にしよう。


※生駒氏の家紋

これらの車輪は、中国雲南省のトンパ文字にも歩く太陽として回転する太陽が描かれている。
おそらく、回転する太陽は、地球の周りを回る太陽だと思っていたかもしれない。
私はUFOだと思いますが。
地球が公転しているのだけど、古代の人は、太陽は地球を常に一周していると考え、
その象徴として車輪が生まれたと思います。
生と死も太陽と同じように、日が昇る誕生と月による闇が死を意味する。
人間の一生をたとえたものだろう。

さて、櫛名田比売という巫女がおりますが、そんな姫伝説を。
続く。

一関博物館
http://www.museum.city.ichinoseki.iwate.jp/display/index.html

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スバルの国分寺の瓦

2015-12-11 | エミシについて
蔵から瓦へ。
スメルは、スバル、統べるの統一。
昴はプレアデス。
スメラミコトは、宇宙を統一する役目の意味。
菊紋様がそれを示している。
瓦の紋様からこんな宇宙の妄想。


(長町駅の待合室に展示されている。蓮をかたどった瓦文様)

神道から仏教の転換も、瓦の模様にも変化があるのかね?
16枚から8枚に。
そもそも菊紋様は大体、16枚。
12枚もあるが、失われた十二支族の一つの意味で、12らしい。ホントカ?
正十二四面体は、立体の六芒星。
6次元?とでもいうのかどうか。

いつの間にか、それが太陽の円になった。日の丸がそれ。
多面体をどれだけ重ねれば球体になるかわからないが、光が回転している現象は、
科学的に説明できるとするが…
太陽に足がついて回転するトンパ文字や、
九曜紋もそんな車輪から太陽になる現象かもしれない。
それが、聖母マリアの出現と関係しているのだから、すごい話。
聖母マリアの出現話は、ナショジオに、ちょこっと載ってる。



ただし、天皇に菊紋様を記すようになったのは、明治時代になってから。
それ以前の紋様を妄想するならば、エジプトにもあるようにフラワーオブライフが起源なんだと思う。

皇室は32弁とする表と裏?に菊紋様を描く。
16×16=32。


(平城京出土瓦展より。奈良平城京の瓦:8世紀後半)

で、中心を含めると、33になる。
菊紋様は、エジプトやイスラエル、ペルシャの紋様も皆、世界の遺跡にも記されていますが、
菊紋様は、正四面体の形が隠れていると。
平面?にしたらその形なんだけど、正四面体は、球の中に秘密があった。



多分、完全な円を求める形に、33が関係しているのかも。
札所観音霊場を33箇所にしたのは、おそらく江戸時代からかもしれないが、
それで秩父に一つ追加して34カ所にして100という完全にしたい思想があったわけだから。
しかも、13人の権現者がそうした、という伝承からユダヤぽい。

それで、こんな情報が。
ネットからの情報ですけど。

地球内部に正四面体を南極の頂点に合わせると、不思議な数字が出てくる。19.5度。
球と正四面体の間の空間の角度が、19.5度。
また、109.5度は、蜂の巣の6角形の角度。
最も均整がとれた無駄のない(頂点、辺、面の数が少ない)からでしょう。
メタンの構造も正四面体をもち、周りに4つの水素を結合しているが、この角度も109.5度。
氷の結晶も正四面体。
この数字は世界中のパワースポットに含まれるうえ、火星のピラミッドは、西経33度、北緯19.5度など。
惑星にも関係する数字。
エジプトのピラミッドが火星のピラミッドと酷似しているのは、
こーいうことからきてるかもしれない。
詳細はこちら。
★ピラミッドと地球が作る奇妙な数字の謎
http://matome.naver.jp/odai/2137000037094147401

じゃ、この瓦の文様は何なの?
てことで、トーラスのフラワーオブライフを平面にしたもので、
立体にしたら別次元に覚醒できるものなんだろう?
だから、ピラミッドは覚醒できる別次元の形だ。

地球のグリッドも蜂の巣形で説明できるかもしれない。
そのラインをレイラインと呼ぶそうですが、先史時代の遺跡だけが残されて、
人の痕跡がないのは、何かしらの現象が起こったと言えるかもしれない。

日本はそのルーツをもっている一員、一家ですよ、ということか…
みんな他の星から転生している。

震災の歴史-------------------------------------------------

先月行われた「陸奥国分寺と貞観震災」の史料から、へ~ぇ、と思う話。

貞観地震(869年5月26日)日本三代実録より
<地震>
陸奥国の地、大に震動す。流光、昼の如く隠映す。
しばらくして人民叫呼し起つことあたわず。
或は屋たおれて圧死し、或は地裂け埋えいす。
馬牛驚き走り、或は相昇踏す。
城郭倉庫、門櫓墻壁、崩れ落ちてんぷくすることその数知らず。
<津波>
海口は哮吼(こうこう)すること声雷に似たり。
驚濤湧潮(きょうとうようちょう)、泝し張長してたちまち城下に至り。
海を去ること数十百里、浩々としてその涯?(がいし)を弁ぜず。
原野道路はたちまちに滄溟(そうめい)となる。
船に乗るにいとまあらず、山に登るにおよび難し。溺死する者千ばかり、
資産苗稼殆ど孑遺(けちい)なし。


※孑遺・・・残るところ

--------------------------------------------------
貞観地震の政府の対応について、5月に震災が起こってから、9月に使いを現地へ派遣。
使者と国司が直接現地を訪れ、「民・夷を論ぜず保護せよ」と。

津波への政府の対応(869年10月)
(省略)
聞くならく、陸奥国の境、地震尤も甚だし。或は海水暴に溢れて患となり、
或いは城宇くずれ圧して殃を致すと。
百姓何の辜(つみ)ありてこの禍毒にあわんや。
憮然として愧懼(きく)するに、責は深く予に在り。
今使者を遣わし就きて恩煦(おんく)を布く。
使と国司とともに、民・夷を論ぜず勤めて自ら臨み撫でよ。

既に死する者は尽くし、しゅうひん(埋葬)を加えよ。
その存する者は、詳らかに振血(しんじゅつ)を崇ね(施しをあたえる)
租調を輸することなかれ。(
以下省略)

民・夷問わず。というのは、公民であるか蝦夷であるかを問わずに援助しなさいという通達があったのだ。
正直、この時代は物騒な世の中だと思っていた。
でも違ったのね。
今も、まだ戦争している時代。
この頃からボランティア精神が芽生えていた国の対応。

東日本大震災は、お店を壊して物を盗むなんてことはしない。
海外メディアが、おとなしく列をなして並んでいる姿を賞賛していたが、
歴史をみると、この頃から「食べ物は分け与える」精神が残っていたんだろう。
その日本に住んでいる外国人も、その精神を学んで日本にいるし。
世界に日本人がいなかったら、とっくに滅んでいたんだろうな、とつくづく思う。

しかーーし、救済の影には、「エミシが暴動を起こすので注意しなさい」
という言葉もある。
なぜ、震災が起こるとエミシは暴動を起こすのか?
例えば、イエメンの大雨洪水で、
フランス大統領が、気候変動は紛争に繋がるといった発言があった。
「テロと温暖化は分けて考えてはならない」と。
それぞれの場所で遊牧民と農民が住んでいたが、震災の影響で、
水不足となり、遊牧民が農民の領域へ侵入したことで反乱が起こったことがある。
それがテロに繋がるのはまた別の話だと思うが、水不足という不安が暴動を起こす考えは、今も昔も変わらない。

水信仰や、弘法大師の湧水伝承などは、震災などの影響で水が枯渇することを
防ぐための、灌漑用水の技術を伝えたものだろう。
空海は、自立した水の確保を学びに留学し、密教を含めて考えていた人でした。
それが平和に繋がることと密教との繋がりがある。
それだけに水不足は深刻だった。

貞観地震も、震災により社会不安が蔓延し、大規模な混乱が起こる可能性を警戒しているものだった。
民は、大和朝廷側の開拓民のことを指すと考えれば、
どちらも被災しているので、民が弱くなると考えたエミシが、ここぞとばかりに、
反撃することを想定した話なんだろう。
そう考えると、帰化人もいましたが、エミシは生粋の日本人ではない。

「エミシたち野心を鎮め、役人や民衆の恐怖を安じたい」という事で、五大菩薩を建立する。
この文章だけ読んだら、エミシは野蛮だと思ってしまう。
しかし、やたらに多い塞神を考えると、エミシは民族の総称でもないので、
本当の歴史がどうだったか、そのまま信用するわけにはいかない。
柴田郡にある新羅の郷は、新羅人がいたから後に源氏が追いかけている。
このあたりから山形~笹谷峠は金のルート。
朝廷が金をねらっていた事は確実で、新羅人は峠越えをしながら山伏となり、
修験に助けられながら東北へ逃れていたことが見えてくる。

また、新羅は秦氏と関係している。
渡来人の背後には、秦氏や物部氏の豪族たちがいたわけです。
それに「ヒラ」という地名や名前にも。
ヒラ=平家の平と名乗る人々。そのヒラの意味はまだわからないが、
ヒラミドという言葉がある。
妄想するに、ピラミッドが「日来(ヒラ)神宮石」などと、太陽信仰の意味がある。
卑弥呼を中心とした太陽神とする末裔たちのことだと思う。

新羅の郷については、あこや姫伝承にのせてます。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/25d93640d9e191c8a4328663b34182f5

陸奥国分寺も震災で倒壊しました。
その復興に力を尽くしたのが、柴田郡の新羅人だった。
「870年9月 新羅人潤清ら10人を陸奥国に移住。
前年6月の新羅海賊豊前国貢綿船襲撃事件への関係容疑で拘束された人々」
造瓦に長けた3人を「陸奥国修理府料造瓦事」を預からせ瓦工に技術指導させる。

(潤清らの技術指導によるもの)
ただし、これは百済や高句麗の影響を受けた文様であったという説も。

復興瓦は、台原森林公園がある五本松窯跡。
今では仙台市民の憩いの場となっている森林公園で瓦造りをしていたとは…。

新羅人は海賊だったのねえ・・・。
新羅入寇といわれ、九州を襲ったものが多かった。
しかし、国(朝廷側)の豪族も関与している可能性があるそうです。
現代でも移民の問題がありますが、それと同じで、
新羅での社会不安(飢餓など)があった為、日本へたくさんの移民が入ってきたことにある。
「天平宝字3年(759年)9月、天皇は太宰府に、新羅からの帰化人に対して、
帰国したい者があれば食料等を与えたうえで帰国させよとする勅を出した。
翌年には、帰国を希望しなかった新羅人131人を武蔵国に送還した」
武蔵が強かったのは、海賊の祖でもあるからなんだよね・・・。
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話は変わり、アメリカと日本が対戦する夢を見てしまい(戦争ではないよ)。
あの、ムカデ対大蛇伝説の戦場ケ原のような夢。
森の中で。
そして岩場で大騒ぎ。
物資文明と精神文明の対決。
ですが、どちらも必要なことらしい。
どちらも兼ね備えたバランスを持たないといけないという。
男の△と女の▽。このバランスが星になる。

それで、わかりやすい動画を発見。
正四面体とは、星でした。
星信仰は宇宙。

国分寺の瓦から、こんなところに繋がることが不思議なんだけど。

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