秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

蘇民将来子孫門戸☆

2017-03-27 | 東北地方の伝説(北東北)
「ソミンショウライ シソンモンコ☆」
は、呪文みたいなものです。
最後に、五芒星をつけるのが重要らしいです。
水沢へ行った時に、水沢駅に大きなレリーフがありました。



ちょっとびっくりですね。
さすが水沢。
こういうのが駅に飾られていることを何も不思議でない風景になっていて、
蘇民将来を知っている外国人がいたら(いるのか?)
日本では今でもそのお祭りをしていることに、驚くよね。
これが東京のメトロにあったらなあ。ワラ

蘇民将来について事細かいことを書いていても、キリがないほどたくさんの伝承が残っている。
以前から書いている話でもありますが、もう一度思い出しながら、妄想したくなった。
なぜなら、蘇民祭りで有名なのは、黒石寺なんですよね。



天使ミカエル-----------------------------------------

その前に、前回の天使ミカエルがなぜ竜を退治するようになったのか。
ヨハネの黙示録より
「わたしはまた、一人の天使が底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、
天から下って来るのを見た。
この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、
つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、
鍵をかけ、その上に封印し施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、
諸国の民を惑わされないようにした」


実は、ミカエルはサタンと双子の兄弟という話がある。
おそらく、善と悪という二人の自分が登場させているものだと思います。
やっぱり、光があるのは闇のおかげです。
互いに必要なもので、シリウスAとシリウスBのような関係で、
閻魔大王の兄と妹のヤミーのようで。

そっくりな自分という双子とは、自分の中の悪を封じたということでしょう。
兄弟の話は、世界神話でも多く語られます。
ミカエルの任務は、知識の木から実を食べてしまった人類の祖、
アダムとエヴァを楽園から追放する任務をしていた。
皇帝のような姿で軍衣をまとって地上を訪れる。

ある説では、人類が神に近づこうとしたことがあったそうだ。
堕天使というルシファーは天では非常に良い天使だったのだが、
欲をもったことで、地上に落とされたという話などがあります。

人間の欲というのは、神というとわからないのですが、
難しいけれど、肉体を持っていなかった時代があり、肉体をもつことで、
人は寿命をもち病気をし、死を経験することになったと。
なので、ルシファーは、一旦、天上(次元が違う話ですが)していたのが、
地球に戻されたんだろうな、というSFな話でしか妄想できません。

西洋で語られるルシファーとは、
「天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが竜に戦いを挑んだのである。
竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。
この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、
全人類を惑わす者は、投げ落とされた。」

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さて、西洋の話から、日本では近い存在としてスサノオ伝承があります。
蘇民将来とは何か。
駅のレリーフの説明より。
「中国古代文字、金石文字で書いた厄除けのおおまじない。
☆マークは、護身の秘法として唱える。
臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前の九字を切ることを表している。

日本の祭りの源流のひとつと言われている全国各地で行われている
蘇民祭ですが、なかでも旧正月7日の夜から翌朝にかけて行われる黒石寺の蘇民祭は、
全国的に知られております。

ではなぜ、「蘇民将来子孫門戸」の文言が厄除けになるのか、
「備後風土記」和銅6年(713年)に、昔、北海におられた武塔の神が、
南海の女神をめとりにお出かけになり途中で日が暮れてしまいましたので、
蘇民将来と巨旦将来の兄弟に宿を頼みました。
裕福な弟の巨旦将来は断りましたが、貧しい兄の蘇民将来は快く宿を引き受けました。
後日、蘇民将来の家を訪れた武塔の神が申されるには、「吾、じつは速須佐能雄の神なり
蘇民将来のために報いよう。茅の輪を腰に着けよ。また後世に疫気あらば
蘇民将来の子孫と言って茅の輪を腰に着けよ。すれば、疫気から免れるであろう」
と申されました。


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「牛頭天王と客人神伝承」によると、
客人神とは、「まろうど」と言いますが、韓国語で「ソンニム」で
天然痘の意味がある。ソンニムがソニンからソミンへ転訛たとも言える。
兄弟の話から、ミカエルの善と悪の双子の関係がみえてきそうなものです。

「まどろむ」と「まろうど」が言霊としては似てるから、
眠い言葉だと思うだけなんですけど。どうも、その変が、眠る地になっていると
感じているのは私だけか・・・。

客人神とは、客人をもてなすことにより「穏やかにお帰り願う」という意味があり、
これが星の運行なんです。
牛頭天王は、朝鮮のムーダンから由来しています。
朝鮮に由来する巫であり、韓国の伽耶山に牛頭と書かれた石碑が鎮座します。
伽耶(かや)は、加羅(から)のことで、元は安羅でアラに通じる。

また、この国の特徴は、支石墓にある。
ヨーロッパでは、アイルランドのケルトが発祥。
日本では最も古い巨石があるから、支石墓は西から来たものと、
古来から日本にあったものが混合している。
で、このような石の造りの墓を得意としていたのには、有名な豪族では蘇我氏、
葛城氏、同じく支石墓のあった物部氏たちなど。
特に、物部氏のフツノミタマの祝詞や物部数詞からは、朝鮮から由来する祈祷がルーツにあると
いわれている。物部数詞は、易学を元にしていると思われるのですが、
易学を知らずして、十種神宝は理解できないのだろう、と。

朝鮮半島では、松の木をご神木とすることが多い。
あこや姫伝承がある千歳山に伝わる「松の木の精霊」も、
松に神がおりるコトビキ(琴弾き)であった巫女=あこや姫を残している場所に、
物部守屋を継承する石碑があるのも、偶然ではないという事。

「ソシモリ」という場所が古事記だったか、神話にでてきます。
スサノオがおりた場所がソシモリで、スサノオが降りたのは高い柱のこと。
ソシ=高い柱、モリ=頂上。
東北地方では、「山(ヤマ)」とは言わない。
古くから山のことは、「森(モリ)」と言っていた。
モリは頂上にあり、神が降りてくる柱だから、東北(主に北部)ではモリという。

御柱ということなんでしょうね。
おそらく、諏訪のモリヤは、本来は、守るモリではなく、
柱を降ろす時に、矢を放ったのだろうと思うので、そのような想像をすると、
よく東北地方には山に矢を放つ伝承が多いのは、柱を降ろす時の儀式に、
山に向かって矢を放ったことに由来するのだと思うのです。
どういうものかわかりませんが。

なので、モリヤ(守屋)というユダヤ人は、後からやってきた渡来人であり、
本来のモリヤ(守矢)の姿とは遠い気がするんですね。
動物儀礼といったものは、ユダヤにもありました。
動物の血を玄関にぬっておくと災難から免れる話は、蘇民将来と同じです。

その降りてくる木が、朝鮮では松の木とされるそうです。
日本では杉。
そんな松については、琵琶湖の唐崎神社が有名。
日吉大社を祀る神社なのですが、、龍の姿に身をやつした大神様が、
船にのったまま松のこずえに上がるという神業を示されたことから、神聖視される。
想像するに、大津波でたまたま船が陸にあがったという事かもしれないが。
これから祭りには、粟飯を供えるという。
蘇民が宿を受け入れた時に、粟飯を提供したとあるので、唐崎神社の話は、
蘇民将来と同じ伝承があるといわれる。

ハリサイニョ-------------------------------------------

さて、龍といえばハリサイニョ。
スサノオの第二妃。
なぜか、2番目。
いろんな名前にされているので、ひっくるめて龍の女神とする。
ハリサイニョは、女性神官で巫だった。
占いをしており、井戸の水で足を洗ったことから、石占井というのが残る場所もある。
石神井にも似ている。

牛の角がはえた動物のお面をかぶる祭りなどは、朝鮮半島にもある。
牛頭天王の顔に、角があったというのはムーダンの始祖パリ公主(ハリサイニョの夫
のパフォーマンス)にあったと考えられている。
例えば、豚の頭を両手で持ちあげて被るしぐさ。
「頂に三尺の牛頭あり、又三尺のあかき角あり」と言われていた。
※三尺=114cm

パリ公主とは、薬水を求めて旅にでる娘の話がある。
薬師様のような話。
王に棄てられた王の末娘がいた。
娘は、地獄に住む無長神仙のもとへ行き、水を手に入れる。
王の夫妻に飲ませて蘇られせた話。
これは沖縄にも月の水が薬水で、蘇り(若返り)の水とされる。
ハリサイニョは、イナンナのようでもあり、イワナガヒメでもあり、
ミズハノメだったり、いろんな姿に変わる女神だと思います。

なので、スサノオの奥さんは、薬水をもっていた人で、
あの世とこの世の世界を繋げる役目をしていた。

蘇るから、蘇民という漢字になったんでしょうか?
角は、動物などの角や精霊の象徴だと思います。
アイヌ人が神宝とした角がそれで、鬼も角があるからそれが強い霊力として恐れた。
その霊力を失くすには、角を切るしかなく。
なので、角塚古墳は、角をとられてしまった。

でも角はまた生えてくる。
蛇の脱皮も同じで、これが永遠の象徴とされたのです。

なのに、そういう力を封じた巫女もいる。(呪詛みたいな)
これもスサノオのヤマタノオロチのように、自ら持つ霊力を捨てたのかもしれない。
悪=闇は、必要なものだから消すことはできない。
本当の悪というのは、自分で行っていることが悪いことだとわかっている人を差す。
精神病などでは無罪になるというのは、そういうことで、
理解していなくて悪業をするのは、本当の悪ではない。という認識。

さて、黒石寺がなぜ、蘇民将来なのか。
なして、黒なのか。

玄武は太陰である。
北方を守護する水神であり、玄は、黒のこと。
長寿と不死の意味がある。
また、黒石寺は、古くは妙見信仰でした。

魏志倭人伝には、倭国の北限は、狗邪韓国(くやかんこく)であった。
岩手県では、狼信仰は邪教だった。
狗邪韓国は、3世紀頃にあった朝鮮半島南部の国なのですが、
東北地方が北で黒。また玄武とされ、鬼がいて・・・ということを
妄想するに、インドでいうダキニのような信仰も。
この頃の東北地方は、多民族国家だと思うので。

それは夜叉ですが、白狐に乗る天女だというのですが、女の鬼です。
白狐といって浮かぶのは、九尾の狐。
時に、シバ神と一緒にお供し、強風を起すという荒神。

東北地方は、自然環境の厳しい土地であり、
津波などの自然災害が非常に多い所でした。
西に比べたらはるかに多くの自然の猛威を受けていたわけです。
十二支に辰がいますが、中国では竜の骨がみつかり雨や洪水を司ることをしていた為、
実際にいたと信じられているそうです。
が、これが恐竜説というのもあります。
竜魚のようなものだと思いますが。

竜は何かと悪とされます。
ギリシャではミノタウルスが有名。
ミノア文明ですが青銅器がさかんに作られていました。
アトランティスとも深い関係がある土地ですが。

ここにも、牛飛びの儀式をしています。
伝説では、顔が牛、身体は人間というミノタウルスを産んでしまうので、
迷宮をつくって閉じ込めてしまう話。
ラビリントスの話は有名ですが、人とは違う子を産む話は、日本の伝承でも
とても多いものなので、(馬とかワニとか)これも人とは異なるものは、
神のような存在として崇められているのは世界共通なのですが、大体、封じられます。

五角と六角------------------------------------------------------------

蘇民将来には、蘇民将来護符があります。


※神戸・祇園神社

五芒星から六芒星への変化の話もあります。
鶴が五芒星、亀が六芒星といった説もあり、興味深いシンボルです。
これは「統べる(すべる)」の統一といった意味があり、
五芒星は縄文時代頃からあったシンボルといわれ、
六芒星はユダヤのシンボルといわれます。
妄想するに、日本のDNAにある特殊?な人類とユダヤ人の融合ともいえるようです。
分断されたのを、一つにするという話で、世界神話で兄弟といっているのは、
日本人とユダヤ人なのかもしれません。

牛を飛ぶギリシャの話からも、たまたまその牛宿に出会った時に、
飛び越える術(呪い)をしていたと思うのです。
そのような時に巡りあわないように、祈祷をしたことがあり、
また多種多様な民族の増加で、病気(ウィルス)が蔓延したこともありました。
海側で、結界(アイヌのイナウなど)を置いていたのはそのためで、
このような形も呪い(まじない)だったようです。



以前書いた内容ですが、再度、引用します。
川村 湊:牛頭天王と蘇民将来伝説より

牛頭天王伝説の中に、出産の不浄がある。
出産時の星めぐり(天刑星=病魔)と考えられていたので、祈祷師は、
早くに本来の場所へ帰るよう促すことで退散させることをした。
強い疫神を滅亡させるのではなく、本来元の場へ還すことを祈るだけであった。
「箒(ほうき)信仰」は、丸い石をオブの石といって拾い神棚に祀る風習があるとの事。
かつては座産が多く、助産婦を「トリアゲバアサン」と言って村の器用な
女性がこれに当たった。(これは土佐地方:物部村の特徴)このオブ石は姥石の事だろうと、
著者は伝えています。

また、悪運に巡りあわせたために、「こたん一族」が滅亡したことになったのは、
「呪詛(すそ)」と考え、因果応報として神罰を受けた結果と考察している。
たまたま出産という場に立ち会うことになってしまった。
(血のケガレに恐れ、断っただけのことである。)

疫病神として天刑星に呪詛をかけられた「こたん長者」は、坊主千人、太夫千人、
出家千人を雇って呪詛返しの祈祷を始めるが、愚かな坊主の一人が、
楊枝として使おうとしめ縄の注連の足を千切った為に、
そこから「獅子蜂」に変身した天刑星によって侵入されてしまう。


これには、私も納得できます。
縄文時代、出産の時に火をたいていた事がわかっています。



釣手土器(香炉)は、その時に用いていた土器であると考えられており、
「火は生命の光をともす力」として命の息吹を司ると考えられた。
出産の苦しみ、痛みからの解放です。
その祈りから、蘇民将来が生まれたと考えるのが自然だと思います。

古代、人が生まれる時の星宿の知識がありました。
その星の生まれからその人の人生が決まるからです。
それがユダヤのルーツだと思うのですが、そのような星の運行から
蘇民将来が生まれたわけです。

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最後に、宮城県涌谷町に金がとれた、箟峯寺(のの岳)があります。
マロ伝承がある有名な所ですが、ここにハイヌヴェレ神話があり、
女神をおいつめた話がある。
伝説では坂上田村麻呂が退治した鬼の体を分けて埋葬したと。
悪路王を追いつめ、互いの戦死者の塚をたてたのが観音堂無夷山箟峯寺と伝わる。
松島にある富山に大竹丸、箟岳には高丸、石巻の牧山には魔鬼女(まきめ)と伝わる。

何かよくわからないが、出雲からの貢物である「礪(といし)」砥石?
と同じようなものらしい、貴重なものがあると伝わる。

これが五角形の蘇民将来にある疱瘡石に関係している。
無夷山箟峯寺には、ここだけにしかない五芒星(五角形)の疱瘡除け守りなどがある。
岩手県の黒石寺に伝わるものでは、六角形の小間木で六芒星である。
黒石寺のサイトによると、材質はヌルデ。
蘇民祭の中でも、五角形は箟峯寺 (宮城県) と黒石寺のみであり、
五角形は陰陽道の「五芒星」を意味しており、陰陽道に用いる代表的呪術図形である。

平泉にも箟岳山というのがあり大六天と疱瘡の版木がある。
白山信仰、八幡信仰、五大種子(五大原素)を祀り、
疫病を流行らせた恐怖に対し聖水をもたらしたといわれる。

ヌルデは治療薬ですが、このような治療をもたらしたのに、錬金術師がいます。
修験者のルーツというか。
黒石寺ではヌルデをお守りにするそうです。
虫よけみたいなものですね。

そういう知識をもっていた人たちの多くが、ユダヤ人で、
どうやっても、何を調べても、行きつく先はユダヤなんです・・・。
こればかりは、私も深いところまでは追求できません。
ユダヤの融合があるとはいろいろ聞きますが、縄文人は何だろう?と思います。
ユダヤと縄文の関係とは?

それがこれからのテーマなような気がします。
角は、アンテナともいえる。
宇宙のアンテナをはっているといろんなモノが降りてきますが、
これからは、個々に降りてくるというか、もうそうなっています。

大地母神を封じた男神が強すぎて、今は出る幕なし。ってことのようですが、
五芒星は星の形は、陰陽師やケルトの世界では、一文字で書けることから、
エンドレス(終わりがない)な意味で、永遠の意味があります。
六芒星は、上と下に向く三角形が重なるので、男女の統合の意味があります。
永遠であり全てであった星から、イエスキリストの自我が芽生え、男と女が生まれた。

人は男女神を祀り、夫婦神を敬うことをしてきた。
当たり前ですけど、自分に感謝し、家族に感謝できる人、
奉仕できる人、仕事や日常の中でそれができる人が、自然と浄化に至っているわけです。
問題は、自らの行いでそれをすることができるか。
他者を媒体にした受け取りは、何の効果もないってことです。
自ら脱皮できなければ、意味がないってことです。

で、何が蘇民将来なのか、全然まとめられませんでしたけど、
角をもっているものは、精霊の力なのだと思います。
それが強すぎることを恐れたこともあり、また、その力を封じるという意味は、
自分たちがそのような力をもっていることを、どうしても、嘘くさい感じがして
受け止められない。いまだに。そう思っている人は多数。
実は私もそういうふしがある。でも本当は、すごいパワーを持っている。

だから、アイヌの神宝がでてくるんですね。
何の目的かわからなくても、角とはそういう力を持っている。
そういうアンテナを人間も見えないだけで持っている。
だから、兎の耳は長いんですね。
兎=月神=セオリツヒメ・・・でた。
あえてここで、それがでた。

実は、昨日、ブログを更新しようと思っていたのですが、時間がなくてやめました。
そしたら、その日は、歴史クラブの集まりで、椿大社から頂いたお守り(なんというものか忘れた)
を見せて頂いた。それは、絵馬に「瀬織津姫」と書かれたお守りでした。
それが、なんと牛頭天王と一緒に祀られている瀬織津姫だったんです。
写真をみせて頂いたのですが、確か、小さいお社?で牛頭天王の前か後ろに
瀬織津姫が祀ってあったんですね。
なので、「蘇民将来子孫~」の言葉が書かれた護符もついていた。

わ~、蘇民将来を書いている時にー。タイミングよすぎでしょっ。
でも説明できない。瀬織津姫は謎すぎる。

椿大社は猿田彦命。
「みざる、いわざる、きかざる」の三猿があったね。
これは、水沢宇宙科学館の門にあった石碑がそれでした。
そこで、猿田彦命を妄想してました。こういう所で繋がるから不思議~。
ブログにも「ミロク」なんでしょうね。とか言ってる感じからして、もうそういうことで。
・・・どういうこと?

はい、水沢はおしま~い。

次は、久々にお山の話~♪
コメント
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私はアルファでありオメガである

2017-03-25 | エミシについて
スピリチャルな話なんですけど、あえてこういう世界を
東北の古代史と繋げてみたら、いいな~と思っています。

この言葉がメッセージの中で一番重要な意味があるとわかったんです。
まだ、続いている水沢なんですけど。。。

どう思うかは自由ですので~。
妄想が暴走してま~す。
また不思議なシンクロで驚いています。
というか、これを無視できないものというのは、やっぱり世の中は
目に見えないところで、何かが着々と動いているんだな、と感じます。

また、youtubeなんですが、これは賢いですね。
今のネット技術は、ストーカー並みにしつこく情報を検索してくれますね。
自分にあった情報を。
過去にみた履歴を知っているから、私が好みそうな情報を探してくれる。
気持ち悪いけど、探す手間がはぶける。

これはこれで多いに利用すべきだと思いますけど。
なので、いつものように面白い動画をみていたら、
こんな動画が出てきた。
「2017年アセンション予報 3月13日付 大天使ミカエル 
”3月20日に、人類は2つのタイムラインに分かれます”」

・・・・・・・。
もう点がいっぱいつくほど???なんですが、
動画を見ると、文章がツラツラと流れるだけの動画だったので、
それだと疲れるので、何かテキストでこの内容について載せていないか検索したら、
結構、でてきたんです。

その中で、「メダフィジックス通信」というのがあったので、
それを読んでみたら、あの言葉があったんです。
http://metaphysicstsushin.tokyo/2017/03/14/%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%97%E5%B9%B4%E3%82%A2%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E4%BA%88%E5%A0%B1%E3%80%80%EF%BC%93%E6%9C%88%EF%BC%91%EF%BC%93%E6%97%A5%E4%BB%98%E3%80%80%E5%A4%A7/

引用します。
「創造主による新しい地球の創造です
銀河に残存する支配者たちは、ソースの光に連れ戻され、魂レベルで再生され、
これまでとは違う形で存在することになります。

これは大天使ミカエルの主要な任務です。
カトリックでは、サタン、デビル、ドラゴンなどと呼ばれる支配者たちは、
地球の時間で言う2017年3月20日、私の聖なる槍に貫かれ、
もはや居場所を失うでしょう。

人々から生命のエネルギーを奪う彼らを止めることができるのは、私だけです。
これが私の神聖な義務であり、主要な目的です。

これによって人々が被る損害は、永久に終わりになります。
この宣言は、天使と唯一の創造主の意志によってなされます。
天国の王国が地上にやって来ます。求める者は皆、それを目にするでしょう。
この聖なる告知は、地球上の時間で2017年3月20日に施行されます。

唯一の創造主はここにいて、人類の領域を上昇させ、
望む者に永遠なる宇宙の王国を与えるのです。これは創造主による新しい地球の創造です。
この宣告はアルファにしてオメガであり、私、大天使ミカエルによって署名され、
天と地上の全てが目撃し、私の真実の印によって永遠に実施され続けます。
この宣告は施行され、アカシックレコードに永久に刻まれることになります。」


う~ん。。。今年が特に春分の日に何かあったのでしょうが、それで何がどうなるかわかりません。
私も「アルファでありオメガである」という言葉が異常に強いなあ、と思ったけど、
最初は無視したんです。でもやっぱり気になるので、水沢探訪の最後に付け加えて書いていましたが、
「水沢からわかったこと」で書かないといけないと思ったものでした。
その時に、何の根拠もないのに「アテルイは複数いる」とも書いた。
実は、これが、イスラエルに似ていることに気づくんです。
後でこれがでてきました。それらしい話が。

実は、この言葉は、イエスキリストやミカエルが発していた言葉であると知り、
考えてみると、アテルイのAから緯度を計測した木村先生のZが見事にハマるんですね。
アルファはAで、オメガはZですから。

だから、これは素直に受け取ってみようと。
3月20日は春分の日で、これを知ったのが昨日だからすでに過ぎてますが、
北緯39度8分の宇宙の話で、春分の日のズレや、木村先生が見つけた
緯度のズレの解明の背景に、何らかの外敵な圧力により、地球内部の流体核が共振し、
ズレが生じる現象があった。
それが「潮汐」だったんですね。

その時、その瞬間、その地球と宇宙の惑星たちとの共振により、
魂の震えが起きると、古代の人たちは、それをひとつの宇宙への扉と考え、
唯一、宇宙との交信ができる瞬間と捉えていたことがあったでしょう。
それがアセンションということに繋がる?
はるか昔、忽然と消えた先住民は、アセンションしたと言えるのでしょうか。
まあ、妄想で。

いまいち、アセンションの意味がわかりませんけど、
別に死んでしまうということではないそうです。
このまま、生きながら別の世界へ?行くようです。
そうなると肉体がいらない。

でも、肉体も一緒に持って行くとなれば、自由に肉体におりてきたり、
肉体に宿すこともなく、透明人間みたいなことになっていく?
ますますわからん。。。

で、それが2017年3月20日に、「再び」起こったような内容になっている。
メッセンジャーな存在が、それを伝えるために「わざわざ」3月11日に
水沢に導いてくれたと思うこと。

シュタイナー理論が入るけれど、
イエスキリストの自我の芽生えを行った紀元前、救世主のように顕れた聖者が、
東北地方にも顕れた時があった。
「わたしはアルファでありオメガである」
というのは、「私はわたしでありすべてである」という始まりと終わりの意味があると。
再生の意味でもあるのですが、私が考えるのは、
縄文人や先住民たち、民族の意識というのは、集合体にあったので、
「すべてのものは、わたしもその中の一部」なんです。
「わたし」という個がなかったから、アイヌ人も外国人が来た時に、「私は人です」と言った。
でもキリスト教というのは、「私はわたし」という自我を芽生えさせることで、
他者との比較をもたらしたのだろうと思う。
私とあなた、という対になるのは、そこに神をみるという思想は同じです。
相手は、私の鏡です。

ですが、そこに悪というものがでてきた。
私を善とし、見える世界が異なると、悪とした。
自分とは異なるものに対し、差別した。
それが失敗した覚醒だと思っています。
そこも含めて、「それも全てである」と言えない人が増えてきた。
なので、大洪水が起こったとか。
----------------------------------------
大和朝廷は、先住民に姓(かばね)や役職、土地などを与え、
所有することを意識づける改革を行おうとしていたんでしょう。
それがイエスキリストの革命みたいなもので。

しかし、その自我の芽生えが善かれと思ったことが、失敗した。
そのため、キリストは罪をかぶり十字をかけられた。
ですが、「イエスの再降臨」という噂が後を絶たない。
ということは、再び、イエスキリストが「最後のチャンス」として、
もう一度、再来するという意味に思えたんです。
それが今年の3月20日に起こった出来事・・・。

ということは、アテルイの働きは、イエスキリストとも言えるんです。
ちなみに、神というのは、自分がそうやって投影するもので無限大です。
なので、アテルイがイエスだと言っているのとは違い、そう感じたということです。

例えば、武甲山は私にとって幼い少女にみえる。
ある人は、スサノオのように見える人もいる。ヤマタノオロチみたいな。
あたある人は、老婆に見えるとか。
そういうのは、自分の肉体を通して見る世界だから、
人が無限大にあるのと同じで、神も無限大です。
私にはそのように感じるモノを、どこかで過去、覚えているから、その感覚が蘇ったということ。
それを投影するならば、イエスキリストのような男性の姿に見えたんです。
イエスではないかもしれないが、他の聖者を知らないので、イエスだと思っています。
ちなみに、日本人によく似たアジア人です。

だから、アテルイが終わった感じがしたというのは、「完結」の意味だったんですね。
アセンションの完結かどうか、そう思いたいけど・・・てか、そういうシンクロなんだっけ。
でも、全然、実態として感じ取れないけど、そういうもんかね?

後で細かく妄想しますけど、蘇民将来の話をする前に、
このことを知っておいてほしい。というメッセンジャーがあったと思わざる得ない
話になっていくんです。

なぜ、刀より剣の方が大事か。
これもアテルイの剣が伝えていると思うのです。
以前に書いた話「伝アテルイと剣」で、こんなことを書いてました。

「剣から刀になることでかえってバランスを欠いたことはないだろうか?
判断力の欠如により、ただ恨みをもって自分だけの勝手な念を消したい為の道具にすぎない。
剣は切らないから両方の手でもつ。
刀は片方だから、片手で持てるように考えだされた。
剣を口の中に入れる不動明王があるが、山頂に置かれた鉾や剣をみても天から垂直に
落ちてくる力を大地に含め、人間の体内にも含める。

体の中心の軸にエネルギーを通す時、剣を使って地球の大地の中(マグマ)まで
響かせるようなイメージ。
それを落雷に委ねたのだろうと思う。当たったら死ぬけど…。
雷神とは、剣を使って大地にエネルギーを投入したとか。
意外にも雷と剣は深い関係がある。」

「そのようにすると、大地震がおこるような震動があったのかもしれない。
それは直刀でなければならなかった。
「天羽羽矢」は羽を2つ書く。羽とはこの場合、刀のことで刀が2本で剣になる。
それを「ハハ」とよび、蛇と重ねた。
月山刀は、赤色の蛇とよばれ、ヤマタノオロチの時に生まれた剣と伝わる。
八劒神社はヤチホコの意味で、大国主を祀る。
また、「八つの肝」の意味もあり、肝は五臓の中で一番重要。
肝心、肝に銘じる、というように剣で五臓をおさめる。
そんな意味がありそうです。」


※岩手県指定文化財 毛抜形透蕨手刀 陸奥国 中尊寺蔵
長52cm 反り0.4cm
エミシの首長・悪路王の佩刀(はいとう)と伝えられる。

大事なのは、剣は2本。
刀は1本。
バランスをもつためには、剣は2本必要。
でも今は、1本の刀しか作られない。


※太刀 銘 舞草 陸奥国 鎌倉時代後期

あの頃は、日本は大きく2つの国にありました。
西の大和と東の日高見国です。
飛騨のヒナからきています。縄文=ヒタカミです。
ヒタカミは、大和からみたら異国でした。

朝廷は、植民地のようにヒタカミを支配することを考えていたのではなく、
中臣鎌足の言葉にあるように「小国なれど大国あれ」と言ったのは、
外国からの侵入を防ぐためには、大王が君臨し先住民を従えている強国であることを
記さないと、すぐ植民地にされるからです。
なので、書物は時として勝者側の理想で書いたのではなく、日本がを支配されない為に
書いたものでもある。弱い国と見せないためのもの。
真実の書物が葬られたのは、そういうのを理解できない民族が多く集まってきたから。
そんな話をしても通用しないからです。

でも、ある時突然、そんな真実が個々の人の前に顕われる時がすぐきます。

先住民に自我を植えさせるというのは、ある種の洗脳で、
農業をたくさんする人が必要だったからです。
「土地も木々も自然もすべてものは、みんなのもの」という考えから、
「俺のものは俺のもの。お前のものも俺のもの」
というジャイアンな倭人がやってきて、のび太がびっくり。
(なんでドラえもん・・・)

東北は資源が豊な縄文の聖地だったので、西の大和は先に支配することを考えた。
他の国にとられないように。
そこで派遣されたのが、海賊として強かった安曇氏の子孫といわれる阿部比羅夫でした。
海を防御する「防人」です。
後に、熊野水軍や安東水軍、村上水軍などが台等し、豊臣秀吉の時代になって
鎖国を強行したのは、日本人が海外に奴隷として売られていたからです。
だから鎖国は正しかった。
しかし、これも善かれと思って失敗した例だと思います。

というのは、マロが派遣されてから争いが治まったというのは、
姓を与え、仕事を与えるようにしたのですが、それが海賊の強化だったと思うのです。
ですが、その強化された海賊が力をなし、多くの日本人が海外へ売買されるようになった。
後に豊臣秀吉は、村上水軍を倒しています。
徳川家康の時代になってから、完全に鎖国となり、日本人の奴隷売買はこの頃で終わったと言われます。

また、陸奥には大和からたくさんの豪族がきていたので、そういう人は地元へ帰らせた。
代わりに、他の地で仕事を得たい人を「農業を学ぶ」研修という口実で、
実は、防人として海軍にさせていたのではないか、と思います。
エミシは体格もよく力があったので、農業にはあまり向いていなかったんだろうと。
元軍事だった人もいたわけですから。

阿部比羅夫が来た頃から、すでに東北地方では交易がさかんでした。
その水軍力は、マロが必要としていた事だったと思います。
平泉にアフリカの遺品があったのは有名な話で、水軍力が勝っていた場所でした。
また、大和朝廷がアテルイやマロの時代から、争いがなくなったような話にしているのは、
この頃になって湾曲の刀(舞草刀の原型)が作られるようになったからでしょう。
隕鉄剣というもので、それが原型なのですが、二ギハヤヒの依り代だという。

後に切れる刀に考案したのは、朝廷など大和や海外からの侵入を防ぐ目的の
戦いを教えていたのが、アテルイとマロだったかもしれない。
そのための刀を持たせた。
すでにこの頃、純粋な鉄で湾曲の技術をもっていた人達がいたことを
朝廷は知った時、戦うのをやめたんですね。勝てないから。
それがアラハバキ族だったといわれます。
その代わり、争いではなく政治、経済で支配していくことに。

大和朝廷が先住民にしてきたことは、農民をたくさんつくれば、食べることには
困らない社会を作りたかった。今と同じように。
いつの間にか、柵(みかけだけですが)を設けることで、
だんだんと自分の領域が狭くなり、行動範囲も狭くなります。
そうなると、狩猟ができなくなってくる。
農業をしざる得ない。
よって、自分の意思や力で自立して生きていく術を失っていきます。

洗脳というのは、そうやって土地を区画していくことで行動範囲を監視する。
そこにリーダを持たせたのは、熟エミシというもので、
エミシの中でも階級をもたせた。

そうなると、差別がうまれる。
それが発端で、伊治コレハリ(栗原のルーツ)の乱が生まれたと思います。
これもエミシ間の差別から生まれたらしいですが、
エミシの中でも階級をもたせることで、朝廷は、分断を起すように仕向けている
感じがするのです。そのやり方が、今も変わりません。

実際、前九年の役は阿部氏や藤原氏、清原氏たち兄弟の争いですよね。
それが発端ですから、一族だけの話なんです。
国とかの話ではなく。

でも争いは、柵の中だけで行われるようになっているので、
京都の朝廷までは及ばない。害をこっちには起さないように分断をさせている。
そういうやり方がみえる。

一族を滅ぼしてきた武将が集まっていた所に、平泉の仏教寺院が建てられました。
鎮魂の意味がありましたが、なかなか世界遺産にならなかったのは、
そんな悪をしてきた思想を遺産として認められないという事があった。

ですが、東日本大震災で世界遺産に認められた。
世界遺産を決めている人は、世の摂理を見ている人たちです。
どこかでその罪を精算したものと、認識していないだろうか。
そういう風にとらえて歴史をみている外国人の視点はすごいが、
東北の人たちは特にそれをわかっていない。
一番、多くの被害を受けているのに。

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アテルイの名前は正式に、大墓公阿弖利爲というそうです。
一般的に、エミシの族長の名前は、地名や場所に「公」(朝廷から認められる)
で名前なんだそうですが、この名前の付け方に似ているのが、バビロニアにあります。

カナンの地域にいた嵐と慈雨の神である「バアル」です。
バアルは、「主人」「地主」という意味。
メソポタミア文明に出てくる神話なのですが、
棍棒と槍(稲妻の象徴)とを握る戦士の姿で表され、雨により豊饒を与える。
血縁を大事にする民で、詳しいことはわかりませんが、
イスラエルの人たちとはちょっと違うようです。
その偶像として崇拝されていたバアルにも、固有名ではなく複数の男神を表し、
それぞれの地域によって崇拝された地名などをつけるという。

「各神殿はそこに祀られる神の名を表し、各地方及び地域は、
その最高位の神で保護神をバアルとし、こうして「神は主(der Gott, der Herr)である」、
つまりバアルはその地方およびその住民の「所有者」であり、その種族、部族を臣下、
下僕、下女として「支配」するものであることを意味します。
そういう点で、バアルという呼称は「厳密にはどの神に関係のある主であり所有者であるか」
を補って考える必要がありました。そのような例は、
バアルが祀られている地域によるもので、様々なものがあります。
例えば、ティルスのバアル、シドンのバアル、タルフス、ハラン、
ヘルモンの、ペオル山の、ビブロスのバアラトと言ったようにです。



※バアルと偶像崇拝より
http://blog.goo.ne.jp/watapi_1968/e/ecba7c27c5360012599fc4f921a6b2d9

これも以前、イナンナの話で書いてました。
この像が似ているんですね。
片手をあげた姿は、釈迦と同じですね。


「釈迦は7歩歩いたあと右手を高く挙げ、左手を下にして
「天上天下唯我独尊」としゃべったそうです。」
仏教でのイエスキリストの降臨というのは、釈迦の降臨ともいえるのでは?

イナンナは、イシュタルの女神と同じように語られているアナトという女神もいます。
アナトの配偶者が、バウル(男神)という嵐と慈雨の神がおり、
バウルはセム語で「主」という意味。


ヤムという海神とは敵で、荒々しい自然界の水を征する
利水・治水の神を象徴しているそうです。

バウルの実りの雨により、命を養う糧を得る伝説があるのですが、
敵を臼で粉々にひいて、畑にまいた話しになっている。
これが、狩猟文化から農耕文化への転換期を伝える話し。

つまり、先住民といわれたまつろわぬ民は、狩猟をしていた民で、
中東の方から鉄の技術をもっていたバビロニアなどにルーツをもつ人たちと言えそうです。
その人たちの中に、フェニキア人の商人がいた。
だから東北地方は交易がさかんだった。

ちょっと長くなりますけど、もうちょっと我慢して下さい。(汗)
東北に逃れた物部氏をマロが起用してきたことにも関係するのですが、
カナンの地を望んでいた人だったと思い、そこに胆沢があったのでは、と思う。
フェニキア人がたくさん上陸していたのではないか、と思う。

湯殿山に「常世岐神」の石碑があるのですが、以前にも書きましたが、
赤染氏という染色技術者が祀る神であった。
染色は出身地の名前をつけるそうで、紫や赤は、カナン人の輸出商品だった。
カナン人はノアの大洪水で助かった息子の名前。
そのルーツの秦氏がおり、西陣織を伝えたといわれる。
また、戦いの時は赤い旗を掲げていた。

その赤染氏が祀る神社が河内(物部氏が占拠していた所)と、
北部埼玉にしかないそうです。
また、秋田のなまはげ伝承のある赤神神社は、漢の武帝がやってきて、
鳥海山に上陸。そこに赤い旗を置いてきた一族が自分たちがこの世を創った一人である
と言った伝承がある。
バベルの塔のように、99段の階段を作ったが、夜があけてしまったので、
100段までに至らなかった話。
これらの伝承は全国にありますが、なまはげ伝承にもあります。
共通するのは巨人族です。
巨人は地球を離れて別の次元に移動した人たちと言われています。

また、バウルは天を司り、妻は、豊饒の女神となっている。
これらを対に一緒に祀ることをしていた。
モレの名前には諸説がありますが、母體(モタイ)とよぶ。(磐貝公母體)
母袋や、田母神など。


※田茂山にある石碑

ですが、この石碑は、豊饒の意味で母としている。
男神と女神と考えているから、このような対となる石碑があるのだと思うのです。
モレは男性といわれますが、ここでは女性になっている。
ただ、アテルイの漢字の意味はわかりません。

また、「カナンとフェニキアでの種々のバアルは「太陽の神」であり、
そのシンボルは太陽神の特徴を持っています。
雄牛もまた最もよく知られたバアルのシンボルです。」


さて、ここからやっと「牛」がでてきました。
バウルは牛だったんです。
そこから蘇民将来の話に繋がっていきます。
水沢にある有名なお寺を忘れてました。
蘇民将来の裸祭りとして伝わる黒石寺。
ここもアテルイとマロの伝承があるお寺です。

カナンの地とバウルの男神、牛。

ということで、ようやく蘇民将来の話にいけそう・・・。
なぜ、蘇民将来の前に、天使ミカエルのヨハネの言葉で、アセンションなのかは、
蘇民将来は、牛頭天王のことなんです。
スサノオなんですね。スサノオはヤマタノオロチで龍を退治してます。

西洋で、龍を退治しているのは、ミカエルなんです。
なので、スサノオ=ミカエルだったんですね。。。
そしてミカエルは大きい~。



だから、ミカエルの存在を無視しては、牛頭天王(蘇民将来)は語れないってことでした・・・。
このタイミングで入ってきたから、無視できなくなってしまったわけで。汗

続く・・・。
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水沢からわかったこと

2017-03-23 | 日記・エッセイ・コラム
ひとりごと

水沢からしばらくして、あ!と思うことがあった。
角塚古墳にいた時に、「もののけ姫」の曲がなぜ流れたのか。
また、アテルイが終わった感じがするという完結なものと、
アテルイのAから木村先生のZ項の、AtoZが、アルファでありオメガであるという事。
ヨハネの黙示録、主の言葉「私はアルファであり、オメガである」
「すべてである」という意味。


※ミルウォーキーの聖パウロ聖公会

そして、角と、もののけ姫とアテルイを繋げたきっかけが、
東北歴史博物館で見かけたアイヌの神宝だった事を思い出す。
思えば、あれから始まっていたんだ~ということに気づいた。

角塚古墳の主は、アイヌ人や先住民族たちと深い関係があったと思えます。
アイヌの神宝を昨年秋頃、複数の人に見せたら、もののけ姫やアテルイのイメージがあるという意見があった。


※アイヌの首長しか持てなかった神宝

それがずっと気になっていたところで、登米の佐沼城跡へ行き、照日権現と出雲神に出会った。
その佐沼城は、鹿鎮護のために鹿を生き埋めにしたことから、
別名「鹿ヶ城(ししがじょう)」とも呼ばれていたこと。

それが対馬系日神であることを知る。
照日権現の祭神は天津向津姫神。
向津姫・・・むかつひめ?聞いたことあるな~。



兵庫県六甲山の瀬織津姫は、向津姫という。
また、宮崎県の日向国には、日向津姫=向津姫のことをいう。
よって、向こうからきた姫・・・という説があるが、九州からとも言えるのだ。
その姫が、東北へ来ていたということにもなる。
遠野がそれで、遠い国、果ての国までやってきたのではないか、と思うのだが…。

だから早池峰山があるんですけどね。
花崗岩があり北上山系は、日高見国の最北で、キタカミ(北上)はヒタカミであったのだから。
それがリニアコライダーで、北上山系の自然が破壊されることを、
何かを通じて、訴えている存在がいることを無視できない。

角=鬼であり、角塚古墳の伝説は大蛇の角を埋めた小夜姫伝承があるわけだ。
蛇、龍の角は、鬼の角と同じだろうと思う。
なので、蘇民将来の伝承がある。(これは後で書きます)

その女性とは、向津姫=瀬織津姫ともいえるのだろうか・・・と思ったんです。
だとすれば、早池峰山系や北上山系に繋がる。

じゃ、アテルイとは?
私が思うに、複数いたんでしょう・・・。
そうよばれていた人が。影武者とまで言えるかわかりませんが、
巣伏の戦いには、事細かく亡くなった人の数まで記されている。(続日本紀)
細かい描写なわりに、当時、エミシの賊長が大墓公とよばれたことを
書いていても、その人物が朝廷とかなり苦戦した大物だったのにも関わらず、
詳細が記されていないのは、敗者を書くことをしない、というよりかは、
詳しく知らないから書けなかったと思う方が正しい気がする。

後になって記された日本紀略というのに、アテルイの名が記されているそうだが、
誰がどのようにしてその書を記したのか不明なので、実際、知らなかっただろう。
もしくは、書くことをしなかったのは、細かく書けない事情があった。
怨霊を恐れていた時代、「軽々しく名前は書けない」ということもある。
言霊の威力を恐れてのこと。それがどこかセオリツヒメの境遇と似ている感じがした。

しかし、私は巣伏の戦いはあったとしても、実際の内容の多くは編集されたものだと思っている。
そんなに数千人(1000人近い人)もの人が亡くなったとは思えない。
エミシは当時300人程度だったらしいが、
エミシといえど、朝廷にここまで対抗できるのだ、という主張もあるでしょう。
当時、そこに住んでいた人全員が、祭りのように盛り上がっていただけのことのようにも見える。

ただ、あの場所に大きな北上川が流れ、たくさんの犠牲者を出したこと。
北上川は、エミシ最前線で多くの犠牲者を出している。
震災でもそうだった。
水の祓戸神が、どれだけ多くの巫を従えて、この地にたくさんやってきたか。
鎮魂も追いつかないほどの無念な魂の数だろう・・・。

実際、行ってみると、大体そういうものでしょうが、何も残ってません。
この地には、何も残さない方がよいのだ。という感じを受ける。

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アテルイという人物が、先住民からもらった宝を持っていたイメージがある。
それがこの角とよく似ているような神宝だったのだろうか。
古墳のどこかに、このようなものが埋まっていたら興味深いが。

この神宝が何かよくわかっていません。
鍬形を持つアイヌの首長の図がありますが、
首長のみ持つことを許されたようです。
霊力が強すぎるため、ずっと置いておくとその村に災いが起こるので首長が
どこかの山中に埋めてくる。だから首長が死んだらそのありかは分からなくなるので、
現物はほとんど残っていないという。

兜の鍬形が魔法の道具として使われたとある。
アイヌの宝物には、役に立ち価値のあるものを「イヨクペ」といい、
豪華で素晴らしいものを「イコロ」とよんだ。
イコロを所有する者が「ニシパ」とよび、
「ニシ=空、パ=上(長)」を表すそうだ。



もののけ姫のアシタカが乗るヤックルの角。アイヌの神宝は、(動物の角)を模しているのか?
出典: www.amazon.co.jp

アイヌの宝物の中でも、先が二又にわかれている兜の前立を模した「鍬形」
を、「ベラシトミカムイ(へらのついた宝器)や「キロウウシトミカムイ(キロウは角)」
と呼ばれ、とりわけ大切に扱われた。
鍬形には、病人の枕元において災いを払うなどの霊力があり、家に置いておくと
祟りをなすために、普段は「地室に蔵し」あるいは、
「深山巌窟に秘蔵し安ずる」という。
鍬形だけではなく、鎧や金の角をつけた甲など、すべては酋長の宝物として
釧路地方には多く伝わるそうです。

※首長しか持てなかったアイヌの神器
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/5c7c51effcf69c33393e7aeb501b851a

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さて、水沢や胆沢など、エミシの地には鬼伝承がとても多い。
特に、青森県は鬼伝承が多く、地元の伝承では鬼は村人に親切だったという。
秋田県でもなまはげ伝承がある。
東北は鬼=陰とも言えるのだが、実は、以前の記事でアテルイが、
王仁という和邇氏説を書いたが、ワニではなく、元は「オニ」と言ったそうだ。

ですから、鬼の角も動物の角のことで、これが、牛頭天王の角と同じ意図が
あるのではないか?と思う。

もし、東北地方の鬼伝承が、美しい人から悪にされた話として
本来の力を失っているのだとしたら、鬼は鬼になる前の姿はどうだったのだろう?と思う。
そんなことを考えるのは、おかしいのかもしれないのだけど、
最初っからあんな姿であるはずがないよね~と。

ということで、再び、水沢の蘇民将来について妄想します。
鬼に繋がりそうなので。
続く。
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銀山温泉と天女伝説

2017-03-20 | 東北地方の伝説(南東北)
あー、肩こり、腰痛で体がガッチガチ。
水沢から帰ってきて、怖い夢をみて、金縛りにあって。
巣伏・・・に行かなきゃよかったと後悔しつつ、
胆沢の時も体がガッチガチで、
今回もそうなって・・・と、何かのせいにする私。





これは、「温泉にいかねばっ!」とひらめく。
だからスマホのやりすぎってことで。
ええ、ええ、別に温泉に行きたいだけです。



まだ雪多い鍋越峠(347号)から銀山温泉へ!!
数年前の夏に行ったきり、久々でございます。
あの頃は、鍋越峠から行くと美味しいコーヒーが飲める
お店があったのですが、今はないみたいです。
以前は冬の期間、鍋越峠は閉鎖していたのですが、道が整備され、
昨年から通年開通しているんです!





なので、尾花沢の銀山温泉へGO~となったわけです。
ずっと日帰り入浴すらいけなかったので、旦那と疲れを癒しにいってきましたが、
鍋越峠といったら、大野東人。
加美町~尾花沢までは、「東征の際に開削された古道に由来」という道ですが、
銀山温泉があるということは、銀鉱窟があったからですね。



改めて、加美町から船形山や薬莱山を眺めながら街道を通ると、
よくここまで歩いてきたよな~なんて思うのです。
今は、スイスイ車で移動ができますが、峠越えを歩いてみたい。
けど、無理ぽ。

347号線はなかなか良いです。
途中、名水がありました。
何も持って来なかったので、お水だけ飲んでみようと降りてみたら、
名水を探訪しているというご夫婦にお会いし、
ここが一番おいしいとのこと。
いっぱいタンクにお水を汲んでました。
雪が深いので、長靴でないと下まで降りれず。
コップに水を汲んで上まで運んで飲ませてくれました。笑。


※矢印のところを降りていきます。(雪のない日にいきましょ~)



また行く機会があったら、今度はタンクをもっていくどー。
確か、ここの水で沸かせたコーヒーが飲めたんだと思います。
もうどの場所に店がでていたか思い出せないほどの雪の厚み。
夏と景色は全く違うので別世界。

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尾花沢に入ると「母袋」という気になる地名が。
「もたい」というのですが、ここに目立って面白い形の二つ森。
暖かくなったら登ろうと思います。


(たぶん葉山)

山形新聞より
「母袋(もたい)橋」(全長約81メートル、幅約7メートル)は、
尾花沢市と宮城県側を結ぶ国道347号に設置されている。
母袋は丹生川右岸の集落名だ。
先代は木橋で、現在地から50メートル上流に架かっていた。
自動車の交通が増えだした昭和30年代、古川尾花沢線(現国道347号)の道路改良工事が
行われ、1966(昭和41)年に永久橋の現橋に架け替えられた。
橋の東方にはラクダのこぶのように二つの山が連なる「二ツ森」がそびえ印象深い。




昔は、母袋集落で戦前ごろまで行われていた月山参りをしていたそうです。
それは五穀豊穣(ほうじょう)を願って月山に参拝登山することで、
出発日の早朝、白装束姿の男性たちが母袋橋の下の丹生川に漬かって水ごりをしたという。



この川の名前が、「丹生川」なんですね。
川が赤くなることがあって、その名前がついたということですが、辰砂(しんしゃ)ですかね。
別名、賢者の石、赤色硫化水銀、丹砂、朱砂など。
日本では古来「丹(に)」と呼ばれた。水銀の重要な鉱石鉱物。

ということで、銀が豊富にとれることを知っていた大野東人。
東北地方の開拓は、豊かな鉱物資源にあったのですが、
それを交易目的として、エミシを熟蝦夷として育てていくのです。


犬ものほほ~ん。


銀山洞へは、冬の間は通れません。この先にも面白いものがあります。




※温泉神社

今も昔も変わらない医療といったら、温泉~。
温泉と蕎麦があれば十分、良い薬になります。



天人清水------------------------------------------------

さて、延沢地区に、天女伝説があったんです。
尾花沢に古城山というのがあり、延沢城跡があります。
雪深いので近くまで行ってませんが、この城跡に、池があるそうです。
涸れない池といわれるそうですが、「天人清水」という。

1547年、野辺沢満重という人がおさめていましたが、なかなか良縁に恵まれず。
ある時、天人清水で出会った天女と夫婦になり、子(満延)を授かった話があります。


延沢城
http://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/obanazawa/nobesawa.html

最上三十三観音の22番(延沢地区)にも同じような伝承があります。
「寛文年間、延沢に住んでいた土屋又三郎という人が、深く観音を信じ、
諸国の霊場を巡礼して歩いている途中、近江の国の瓦原寺に泊まった。
その夜、夢に天女が現れ「自分はここの観音であるが、お前と一緒に出羽の国に
行ってとどまりたいから、明日、私を背負って出発せよ」というお告げがあった。

翌朝になると、寺の住職が又三郎のところに来て「昨夜おそく、ここの観音様が
枕辺に姿を現して「今夜泊まっている修行者といっしょに、出羽国の祥雲山に行きたい」
といわれた。どうか、あなたが大切に持って行ってくれないか」というのである。
又三郎も同じ頃に同じ夢を見た話をし二人とも驚いてしまった。

又三郎はこれを機会に仏門に入る決心をし、山城の国、宇治の黄蘗山に足をとめ、
隠元禅師について頭を丸め、尊像を棒じて故郷の延沢に帰った。
彼は直ちに竜護寺の境内にお堂を建てて、観音像を安置したが、これを聞いた人々は毎日、
参詣に通うことになった。貞享元年になり、竜護寺の第十一世徳眠禅師のとき改築したが、
宝歴十三年第十三世梅林大和尚の代、山火事でお堂が焼けた。
尊像と宝物の隠元禅師の書は無事だった。
その後、直ぐに再建されたが、明治四十五年頃には各所が傷んできたものを、
先代の住職が改築し、いまのところに移転したのである。
尚、平成15年に新築。


本尊は聖観世音、慈覚大師の作。
http://www.mogami33.com/guide/no22.html

天女の羽衣------------------------------------------------

天女といったら羽衣ですけど、羽衣伝説は各地にありますが、
これが「ヒレ(比礼)」という祝詞につかわれた言霊の意味ではないか?
というのを最近知った。

なので、そのタイミングで天女伝説がきたので、なるほど、と思うけれど、
何だかよくわからない。笑

ヒレというのは、物部氏の十種神宝の中にある「蛇の比礼」「百足の比礼」のこと。
古事記でも、スサノオから試練を受ける大国主の話があります。
蜂のヒレ、蛇のヒレがでてきますが、これによって難行から救われたという話。
ヒレとは、霊顕とも書くのですが、これが「牧(ヒラ)」ともよび、
「領巾(ヒレ)」の事だと聞いた。
奈良時代~平安時代にかけて用いられた女性用の細い肩かけのこと。
羽衣とは、領巾のことで正しくは、「領巾」なんだそうです。

また、種々物の比礼とは、神代文字だという。

蜂のヒレ、蛇のヒレがでてきますが、「霊を顕かにする」という意味なんですね。
言霊によって「隠れたものを明らかにする」とか、
地位や身分が高い人に対して使う言葉なので、ヒレというスカーフのような布は、
妄想するに、その人がもっている霊的な力の象徴であると。
その領巾は、天女がはおっている羽衣で、その力とは天に自由に飛ぶモノか、
神のような崇高な存在を見ることができるモノと言えるのです。

チベットでも、白いスカーフを渡す風習があります。
カターというそうです。

「チベット及びチベット文化圏では、寺の参拝、ダライ・ラマ法王や高僧の謁見、
宗教の儀式、知人・友人の送迎、子供の誕生日、結婚式、葬式など様々な
シチュエーションで、カターと呼ばれる白いスカーフを挨拶しながら相手に渡す習慣がある。
カターの「カ」は口で、「ター」は布あるいは印(しるし)、誠心誠意、
心からの敬意を表している。
つまり、カターを相手に渡すことにより、自分の心からの敬意を表すという
挨拶の印なのである。」

※「くらしの中の信仰」より

口と布の意味。
これも言霊やヲシテ文字にも風習が似ているなあ、と思うのです。
それに、五色のカターがあったのだから、五色の人種を表しているものでしょう。
(黒の代わりに緑)

また、羽衣の羽は、鳥の羽ですが白鳥とも鷹ともいわれ、さまざまです。
これに共通するのは、鳥葬です。
これはチベットや山岳宗教に限られているものですが、
ネパールにもあるように布をかける風習はチベットの鳥葬でも同じで、
布をたくさんかぶせた囲いをつくります。
布は、黄泉国との繋がりがあり、生まれ変わりの儀式で用いられるものです。

出羽のヘラクレス---------------------------------------------------------

延沢には銀山跡もあります。
「尾花沢の銀山は、康正2年(1456年)に金沢の儀賀市郎左衛門という人が発見したという
言い伝えがあり、最盛期には島根の石見、兵庫の生野とともに三大銀山と呼ばれ、
2万5千人の人々がいました。」


出羽のヘラクレスといわれた力持ち伝承が残る「延沢満延(みつのぶ)」は、
先に述べた天女と結婚して生まれた子。
最上義光も逃げ出すほどの力もちだったそうですが。

話をする時でも常に手には鉄の指揮棒をもっていた伝わる。
この怪力ぶりは武将たちにも有名で、ギリシャ神話のヘラクレスのような人と
伝えられている。(当時、そのように呼ばれていたかは不明)

鍛冶屋と羽衣伝承、白鳥は関係しています。
鍛冶屋のある場所に、白鳥がたくさん舞い降りた伝承や、
ギリシャ神話でも羽衣伝承は、鍛冶屋が舞台になってます。

火の力によって新しいものを作り出す鍛冶屋は魔術師と見られていた。
王がその力を無理に支配しようとすれば、鍛冶屋は王権に危機をもたらすという
図式が北欧神話にもたらされている。(世界神話辞典)

ヴェルンドというゲルマン人の鍛冶屋の伝承は、
指輪をつくる鍛冶屋だったが、その力をおそれ島へ監禁して出られないようにする。
ヴェルンドは島にいた鳥の翼で羽衣をつくり、島から脱出する白鳥神話。
なんとなく、映画「マレフィセント」に似てますけど。


※ヴェルンド神話にでてくるフランクスの小箱
弓をもつ人が描かれている。

鳥取県の鳥取部は、主に白鳥を捕まえて献上する集団だといわれています。
捕鳥なので、鳥取というらしいですが、ちょっと違うのかも。
私はトート(エジプト)神から由来していると思います。
古事記には製鉄や鍛冶のある場所に、白鳥や鳥取伝承、鳥を捕まえて移住してきた
と思われる地名が多く見られることから、鍛冶場と鳥は深い関係があるのです。

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帰りに、徳良湖へ立ち寄りました。
「めでた めでた~の わかま~つ さ~ま~よ~」の民謡で有名な
花笠音頭の発祥地です。





「日本を代表する民謡「花笠音頭」は、この工事の際に唄われていた
「土搗き唄」から生まれたものです。
たびたび懸賞付新作歌詞の募集があり、人夫達は仕事に作詞に張り切り、
何百という歌詞が誕生しました。」

若松様は、若松寺(じゃくしょうじ)のことです。

※若松寺についてはこちら。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150106





仙台への帰路、天童から48号線で帰ってきたのですが、
バックミラーにきれいな真っ白い月山がみえました。
白いプリンみたいな、マシュマロのデザートみたいな。
おいしそうなデザートのように真っ白い山。
葉山の影にかくれて山頂の部分しか見えないのですが、その部分が真っ白いお椀みたいに
みえて、とにかく「雪見だいふく」なんです!笑

運転中だったので、バックミラーからチラチラ月山をみながら
夏の登山を妄想しながらの山形でした。
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北緯39度8分の宇宙

2017-03-14 | 日記・エッセイ・コラム
深~い宇宙の謎が少しだけ解けました。
巨石文明でもなぜ、春分の日に太陽測定をしていたか、とか。
なぜ星を地に映すことをしていたのか、とか。

宇宙遊学館は、アテルイプラザから徒歩10分くらいのところにあります。
途中、駒形神社があるのですが、今回は参拝はせず。

さて、水沢にこんなすごい研究を行っている宇宙があるとは知りませんでした。
鳥海山大物忌神社の帰り、たまたま聞いた話でしたが、
こんな場所へ導いてくれるなんて、まだまだ知らない世界が東北にはありますね。



宇宙遊学館の入口に、「三石碑」がありました。
ちょっと拝見。
「この場所は、遠い昔から若柳を経て秋田に通じる仙北街道と、
小山を経て衣川に至る衣川街道の分岐点で交通の要であった。
三石碑のうち、右の馬頭観世音碑(1760年)は農耕運搬の労役に服した
馬に感謝し、無病息災を祈ったもので、右はせんぷく、左は衣川とあり、
道しるべにもなっていた。

中の五猿碑(1852年)は、見ざる、聞かざる、言わざると慎みを輸したものだが、
去るに通じることを忌み、五猿で神の使者で御座ると縁起をかついだもので、
県内に例はなく重要文化財に価すると言われている。
左は庚申塚(1844年)で庚申信仰の結願の日に建てられたもので、
右はせんぼく、左はけわひさか(化粧坂)とあり、これもまた道しるべであった。」


----------------------------------------------------
申と去ると猿・・・猿田彦。
宇宙の入口にふさわしい3つの石碑ですね。
やっぱ先祖の氏神だけあって、宇宙の入口にこういう石碑が偶然にも
置かれていることを考えると、猿田彦はまさに宇宙から降りてきた人だと思うのです。
いろんな宇宙がごっちゃになっているのを、整理した人だと思ってます。
正しい道しるべを印した人です。

ミロクなんでしょうね。
数字で言うと、666。
震災から6年という「6」の節目が大事な意味がだんだんわかってきます。

青面金剛像というのがあり、庚申信仰なのですが、
庚申の夜に体中の三戸(戸は上の棒がない漢字)「さんし」といって虫が人体を抜け出て、
天帝にその人の罪過を報告に行くといわれ、その報告のもとに健康や寿命が定まるといわれていた。
庚申の夜は寝ずに「さんし」が抜けないようにすることが、元の信仰になっている。
サルタヒコ命やアメノウズメ命を祀る佐倍乃神社も、塞神と伝わり道祖神となっています。


※日月、二童子、四夜叉、二鶏、「見ざる、言わざる、聞かざる」のいわゆる三猿を配置した図。
見ない、言わない、聞かない。
そんな宇宙の世界を見えるようにしてくれた木村先生の業績。

目に飛び込んできた「Mizusawa VLBI Observatory」水沢VLBI観測所。
ここは見学自由です。なのでオープンですよ~。



VLBIとは、
超長基線電波干渉法(ちょうちょうきせんでんぱかんしょうほう、
英: Very Long Baseline Interferometry、VLBI)は、電波天文学における天文干渉法の一種。
離れたアンテナで観測したデータを、原子時計などで計測したタイミング情報
とセットにして磁気テープなどに保存し、郵送などにより1か所に集約して
相関させることで像を得る手法である。




だから難しいんだって・・・・。
ここでの説明によると、国立天文台水沢では、現在2つの大きな研究があり、
そのひとつに、VLBI観測所があるそうです。
VERA(ヴェラ)というプロジェクトだそうで、
鹿児島、小笠原、石垣島の4か所に置き、この4つを組み合わせると、
直径2300kmの巨大な電波望遠鏡の性能が出せると。
それが世界一の精度で、銀河を立体的に地図にしているのだそうです。(↓)



VERA(ヴェラ)に興味ある方は、こちらへ。
http://veraserver.mtk.nao.ac.jp/outline/

へ~、電波望遠鏡というのは、1個で機能していると思ってたけど、
それぞれの観測地にある望遠鏡を「繋ぎ合わせて」巨大な電波望遠鏡としているんですね。
しかも、島の中でひとつだけ、水沢っていう所がツウなわけで・・・。



Z項-------------------------------------------------------------

この中に木村榮(ひさし)先生の業績を紹介している記念館があります。
趣があって良いですね。



緯度といっても説明できませんね。素人には難しい。
北緯何度とか東緯何度とか、スピの間では北緯○○度のラインについて、
宇宙的な話がたくさんあって面白いです。
私も緯度は重要なラインだと思ってます。
説明できないけど。

その緯度の誤差を解明した方が、木村先生でした。
大発見だったわけです。
その数式にZと加えたので、Z項と言われました。

「地球は自転しています。
その自転軸が変動し、緯度が変化していることが19世紀末に発見されました。
これを詳しく研究するため、同じ緯度線上に観測所網が設置されることになりました。
当時、世界情勢から東洋では日本が、日本国内では気候、地盤、交通の便のよさから
水沢が選ばれ、北緯39度8分に位置する世界6観測所による
共同緯度観測が1899年に始まりました。
明治維新から30年ほどしか経ってない日本にとって欧米諸国が互した
国際共同観測事業への参加は画期的なことでした。」


だから、ここにリニアコライダーをもってくる予定になっているんです。
2030年を予定しているそうですが、まだ先だね~。
でも、宮沢賢治はなんて言うのかなあ。
花崗岩を破壊されるのはどうかと思いますよ。

6か所という「6」がここでも。
・ゲイザーズバーグ (GAI) アメリカ合衆国
・シンシナティ (CIN) アメリカ合衆国
・ユカイア (UKI) アメリカ合衆国
・水沢 (MIZ) 奥州市水沢区
・チャルジュイ (TSC) 現トルクメニスタン
・カルロフォルテ (CAR) イタリア



水沢が選ばれたのは、宇宙を研究するうえでの環境が整っていたのですね。

「しかし、観測開始からしばらくしてドイツにあった中央局から、
水沢の観測所は誤差が大きいので調査するよう要求がありました。
これが事実ならば、新生日本の科学界の国際的な恥辱です。
木村榮は悩みながらもあきらめずに研究を続け、ついに緯度変化の計算式に、
図のような「Z項」を見つけました。」



この発見で、木村先生は、数々の賞をもらってます。

「恥辱」というのがでてきましたが、「国の恥」と捉えた。
日本は「恥の文化」とか「甘えの文化」と言いますね。
こういう精神が日本人の良いところですから、世界に貢献できる。
モリトモ学園が揺れてますけど、本当の日本の精神を学ばせたいなら、
恥の文化を知るべきなんですよね。



日本人ほど世間の目を気にする民族はいないです。
愛国心も世界一といわれます。
それが恥の文化です。
日本人ほど世界の目を気にする民族はいないという事でもあります。
「恥ずかしいことをしない」その判断は、相手にそう思われたくないからで、
正しいかどうかではなく、自分はどう思うのか。
木村先生の業績の背景に、このような精神があったと思います。

ドイツから誤差が大きいと言われなければ、生まれていなかったことです。
それを日本として恥ずかしいことだと思ったんですね。
木村先生の発見は、当時、世界から相手にされなかったそうです。
この時代、日本などのアジアに対する差別的な見方はありました。
西洋人にとってアジア人が、こんな発見をするはずがないと思っていたことがあったそうです。



※観測星は12群からなる。
季節毎に見える星が変わるのに対し、毎月1群づつずらしながら観測し、
1年に戻る。1群は6星対(12星)からなる2時間で観測。

--------------------------------------------------
難しいけれど、世界の神話がなぜ月を神としているか。
なぜ、ノアの大洪水を残しているのか。
なぜ、先住民は岩に星を描くのか。などなど、その意味が何となく見えてきまして、
古代の先住民も、地球の公転や自転の動きをよく知っていました。
例えば、ドゴン族ではもう一つのシリウスを観測していましたね。
シリウス信仰は、聖徳太子もそうでした。太陽と別にシリウスの計測をすることで、
地球の自転?を調べていた。

なぜか?
はるか昔も、ディープインパクトがあったからでしょう・・・。
また空から魔王が降ってくる・・・ことを避けられないけれど、
それを予測すれば、人類は助かると思っていた。
神話の視点からみれば、そんな宇宙を神として丁重に祀ることで、
ご機嫌をとっていたわけですね。
天体のことを知っている占い師といったら、エジプトでは神官になります。
そういう宇宙の法則を知っていた人ですね。

地球の自転(地軸)は、星を見あげた時に回る回転の中心方向をさすと。
その中心が、北極や南極にあるのですが、
その方向そのものが星々のある天空に対してゆっくり(万年の時間で)、
またあるリズムで動いてゆく。

今からおよそ1万3千年たつと、天の北極は、今は北極から大きく離れている
こと座(はたおり座)の近くに来ますし、小さな振動を繰り返してる。
これを「才差・章動」と言うそうですが、
江戸時代、全国の測量をしていた伊能忠敬はすでにこのことを知っていたと言います。

緯度が変るのは、先に述べた地軸の天空に対する動き(歳差・章動)とは全く異なって、
地軸が「地球そのものに対して揺れること」が原因で極運動と呼ばれます。
この極を動かす原因は、地上で重い物が移動したり、
内部が変形したりすることによりますが、当時はそのことについてまだ何も分かっていませんでした。

木村先生は、ある時、
「水沢だけでなく他の観測所にも共通に「おかしな変化」があることに気が付きます。
冬になると6か所の観測が、みな共通して緯度が大きくなり、
逆に夏になると小さくなるという現象でした。
変化の大きさは角度で0.03秒という小さな量でしたが、
観測精度からみて決して見過ごすことのできないものでした。」


これは極運動では説明できないそうです。
自然現象といいますか・・・。
極運動というのは、スピの話でも出てくる「ポールシフト」がありますね。
小さい変化に対し、大きな変化が起こることを言います。
ジャイアントインパクト(月が地球に衝突した)など、
月と地球との深い関係があるのです。

「Z項は、はじめのころ、大気や地面の傾斜の影響などによるものと考えられていましたが、
やはり詳細は不明でした。Z項の原因が分かるまで、半世紀以上にわたって多くの
天文学者・地球物理学者を悩ませます。
残念ながらZ項発見者の木村自身は、原因がわかる前の1943年に死去しました。」


1970年になって、後輩の研究者、若生康二郎によってその原因をつきとめたそうです。
それがマントルなんだよね。
宇宙の空でなく、地球の内部にあったというのが驚き。
やっぱりリンクしてるんだね。

詳しい説明は、宇宙遊学館のサイトから詳しく図解にのってますので、
興味ある方はサイトを見て下さい。こちら→ http://uchuyugakukan.com/

私は、やっぱり天と地は繋がっているんだな、と思いました。
科学は難しいけれど、神話がその説明をしていたことに関心をもちます。

答えがここにあったとはねえ。
難しいけれど、なんとかまとめつつ妄想~。

流体核(外核)というのがあり、地球の中心にある液体の層。
現在は、24時間の自転周期で動いてますね。
それより7分短いところに固有の周期をもつ箇所があると。
この周期は主としてマントルと流体核の境界の大きな形によって決まるそうです。
この周期に近い変化をもつ外部の力が働くと、共鳴し流体核が振動し、
地軸が揺れることがわかった。
その外部の力というのが、「潮汐」だったんですね。
月の潮の満ち引きに関係していること。
どうも、月なんですね。(他の天体説もあり)



深いマントルの動きと共鳴し、振動させることで緯度にも変化がおきる。
その変化をつきとめたZ項によって、緯度が地球内部と関係することがわかった。

「地球に固定した小さい円錐体が天空に固定された大きな円錐に内接して
回りながら南から西に半年周期で回転して行きます。
流体核の共鳴による半年周章動への影響が、Z項の原因だったとする長年のなぞの解明は、
世界の天文学および地球科学の研究に大きなインパクトを与えました。」




このような因果関係をもっていることでひきおこされる誤差は、
わずかな誤差ではありますが、宇宙を考えるうえでこの微少な誤差が正確にわからないと
何も宇宙が計れないと言われます。

江刺地球潮汐観測施設での地球潮汐観測から見られる地球の流体核の効果や、
また最新の計測技術であるVLBI(超長基線電波干渉計)や超伝導重力計による
地球の揺れの観測からでも確かめられたそうです。

恒星時(こうせいじ)というのがあります。
よく古代ヨーロッパや、日本でも古くは巨石文明があり、
春分の時が重要だといわれます。この時に働く力が重要だといわれ、
古来から、日周運動という天体の動きを観測していました。
その中で、これは「春分点のみかけ」といわれ、春分の時に誤差が生まれる。
太陽の動きから地球の自転により24時間であることを古代の人も知っていて、
またそれを取り巻く星は、ずれが生じるということなので、正確な動きは示せない。
遠くに星はあるから、ズレてしまうということですね。

不思議なのは、春分点は、赤経0時かつ黄経0度であり、この点を太陽が通過する瞬間のことを
言うのですが、春分点は歳差(せいさ)によって恒星に対して動くとある。
歳差とは、「自転している物体の回転軸が、円をえがくように振れる現象である」
コマのような首振り運動。
よって振動なんですね。
そのような振動が起こると、ずれが生じると。
その微妙なずれというのは、何も気にしなければそれまでなんですが、これがあらゆる天体や
地球の動きに影響していることがあった。

これは、以前に回るコマのことを妄想してましたが、日本の家紋にもある車輪です。
あれは回転する軸を意味していると。
高麗や駒形山など、駒の地名が多い岩手県を考えると、駒は回る軸をもっているコマと考える。

友人が、重い振動があったから(ディープインパクトにより)今のような重い
3次元になったけど、コマの振動が軽くなればそれは上昇し、4次元、5次元の世界に向かうと。回転が早ければ早いほど軽くなるということですか?
なので今は回転が遅いということなんですかね。
時間が早く感じるのは回転が早くなっていたりして。

そのテクノロジーが宇宙船ですね。
天の浮船。ニギハヤヒです。
これは、マントルの地球内部のエネルギーの振動を利用していると言えるかもしれない。

ですから、鳥海山にニギハヤヒが下りてきたのは、
鳥海山には内部のマントル(外核)に繋がる柱があるってことです。
何らかの衝撃を受けて共振した時に、何かがおこったとか。天変地異みたいのが。
SFチックにいうと、未知との遭遇みたいな。ワラ

よく火山の噴火にUFO映像とかありますけど、全くのウソではないのかな。

妄想ですが、レムリアが落ちてきたのは、重い振動により引力が強く地に引っ張られたという現象。
それがどんどん海まで沈んでしまった文明がムー大陸だったと思います。
春分の時に太陽が来るように巨石を置いて崇めているのは、その振動による瞬間の地球
内部のとの共振(月により引き起こされる)によって、
人々は、次元上昇や宇宙を考えていたんでしょうね。
その時は、宇宙に自由にいけたんだと思います。
それをもっと大きい働きにすれば、ポールシフトが起こることも可能だったわけで。
一度、そういう転機が訪れたことがあったと思うのですが、失敗したんでしょうね。

まあ、そんな宇宙へ行ってしまう人々を、ずるずると地上へ引きずり降ろしてきた感じがします。
「蜘蛛の糸」みたいな。一人だけ行くってのは、できないのよ~。

神話ではそのような描写は、ずるずると地上にいた国津神に対し、
天から降りてきた天津神が、天女と共に次元上昇をさせてあげようと
「あえて地上へ降りてきた」話になっているんですね。
そのまま天津神もずるずるいてしまった(帰ってこなくなった)という神話が、
今の日本の歴史に魅力的に語られている。
本当は、別の目的だったのになあ、みたいな。

で、これがスワが前回でてきましたけど、巣伏のスワですね。
スフなんですけど、諏訪湖と繋がるならば、これがまさに隕石衝突説ですね。
諏訪湖は、ある説では隕石の衝突という見方があるそうです。
見たことないですけど、映画「君の名は」は諏訪が舞台なの?
おばさんは、どうもアニメが苦手・・・諏訪は実際行ってみないと深すぎてわかりません。



※目標台:望遠鏡を水平にしてから、この目標台の中にある
豆電球をのぞいて正しい北の方向を決めました。
光が映っていてきれいですね~。

木村先生のZ項のように、
なぜ、この誤差が重要なのかは、地球と宇宙の惑星や太陽など、星までもが、
地球と月との因果関係により影響を受けているのではないか?と思うのです。
地球が惑星の構成の中心とされて生まれている感じがします。

そのズレを見える形で計測すると、地球の創世には数々の揺れや振動、ズレが起こっていた
ことを自然現象でみていたんですね。それが天変地異を引き起こす要因になっていた。

人類がそのような宇宙を観測するようになった背景に、
北極星がいずれ将来、琴座に移動するように、周期は約25,800年というのだから、
その周期にそって動いていれば、必ず逆になることがあるってことだ。
妄想するに、巨大な極運動を引き起こすうような、ポールシフトが起こる可能性大。
ということに古代の人たちも気づいていた。
---------------------------------------------------
ここでは、地震観測も行っています。
スマトラ地震は、最大で約2cm程度移動した(極運動が発生した)可能性があると
する予測があるとも言われます。
2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(Mw 9.0)の誘発地震とみられている
長野県北部地震では、潮汐に関係するとみられる地震が最大規模となった M 6.7 の
地震を含む全体の約50%(通常の地震の10倍程)という非常に高い相関で確認されたそうです。

1896年6月に明治三陸地震の津波で22000名の死者を出したといわれ、
同年8月にも陸羽地震で(死者200名)によって地震研究が高まったといわれます。

「科学する心」というのがあり、記念館にいくと実際の木村先生の声も聞けますが、
何でも疑問を持ってわからないことを研究する心のことだそうです。

宇宙遊学館の雰囲気もまた、良いですね。
入口のマークも、太陽と星ですね。(五芒星)







こちらには、宮沢賢治も訪れていたそうで、木村先生の話が「風の又三郎」にのってます。



風の又三郎の像



神とはまさに宇宙のことを言っているわけですから、
私たちがその鏡になることをしなければ、見えないものを見えるようにはできないと思います。
Z項も「見える」ようにした方式で、私みたいな素人でも、これだけの宇宙を想像
できるのだから、誰にでも宇宙は近い存在であり、すぐ目に見えて隣で存在しているものと、
気づかなければ、せっかくの地球が台無しです。


奥州の空



いつかディープインパクトはあると思っています。
でもそれは、宇宙が規則的に回転をし、地球のために生かすものであると考えれば、
自然現象なのです。

電車の中で思うこと---------------------------------------------------

仙台へ帰る時、水沢発一関行きの電車の時刻が、偶然にも15時11分でした。
乗ってから平泉あたりで気づいたのですが、
3時11分という時刻と、3月11日が同じ。
それが平泉を通過する時に気づいて、フツフツと思うのです。

1000年前に争いをしてきた安部氏と源氏。
やっぱりここに来ると安部氏が浮かんできます。
初代、平泉を建てた藤原清衡ですね。
母は、安部頼良(奥六郡)の娘、有加一乃末陪(あるかいちのまえ)。
安部氏は、蝦夷に帰順して俘囚となり平泉文化を成し遂げたわけですね。
争いが多かった時代の武将たちの仏教国です。
そんな世界を築いた息子を影ながら力を与えていた人が、有加一乃末陪でした。

安部氏が先住民族の何のDNAなのかは、アイヌ人と共通するのかは不明です。
が、アイヌ人に近い人だったとは思います。
藤原清衡が亡くなる時に、一緒にアイヌの衣装などの品もあったので、
奥州藤原氏もアイヌ人だったのでは?と話題になりましたが、違いました。
アイヌ人は、朝廷から迫害されてきた人たちをかくまることをしてきました。
良く言えば、保護ですね。
義経伝承が有名ですが。

有加一乃末陪の夫である藤原経清は、裏切り者として処刑されます。
朝廷は、錆びた刀で首を切る残忍な仕打ちで処刑したと伝わります。
この話、アテルイやモレも同じような方法で処刑されたといわれますが、
蝦夷は、こういう殺され方をされていたんですね。

当時、7歳だった清衡も殺される運命だったのですが、
敵の清原武貞が有加一乃末陪に好意をもち、息子と共に助けられ、二人の間に子をもうけてます。
清原氏としては、安部氏の子孫は絶やしたくないと思ったはず。
でもその後は、渡る世間は鬼ばかり。
複雑な家族構成の中、子供たちは翻弄され、結局は、兄弟同士で争う後三年の役が勃発します。

なんだかね~、この時代、家族の嫌な念がつきまといます。
家族とか一族の争いは、すごく重たい念なんです。
それがコマの回転を遅くしている原因のひとつですね。
それをどうすることもできない奮闘の場所が平泉だったと思うと、
エミシ征伐は、単純な話ではないのです。

ということで、水沢の先祖?が、宇宙を繋げてくれたと思う旅でした。
これで気になっていたアテルイもどこかで終わった感じがします。
そうそう、なぜZなのかは、サイトを見て頂くことにして、
Zは、アルファベットで最後ですね。
Aからの始まりから、終わりがあることも伝えてます。

ヨハネの黙示録。
「私はアルファでありオメガでもある。」
A to Z とは、すべてであると。

てなことで、ミッション終了~♪
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アテルイの郷

2017-03-12 | エミシについて
3月11日に、水沢に導かれた話の続き。


※一関から磐井川

アテルイの故郷といわれる地なのですが、
アテルイがどんな人かは、重要ではないと。
ここで何があったかを考えると、震災のあの現実とは思えない出来事が重なるものです。

歴史は何度も繰り返す。
悲惨な状態を経験しないと、人はなぜ学べないのか。
また、何を学んだらよいのか。

震災の出来事も、だんだん忘れていってしまいますから。
人間ですから仕方ないです。
でも風化してはならない出来事はあるので、
震災もそうですけど、蝦夷の歴史も風化してはならないと思います。
根っこにあるのは、そこだと思います。
九州も同じく。
-----------------------------------------------------
角塚古墳を見たらお腹がすいたので、水沢駅近くに
美味しいコーヒーが飲めるカフェがあると知って、
「地球屋」というカフェへ。



これまたナイスなネーミング。
やっぱ、カフェはカレーとコーヒーだね。
チキンカレーも美味しかったです。
★cafe地球屋
https://tabelog.com/iwate/A0303/A030302/3008434/



雰囲気もとてもよくて、のほほんしていると目の前に「ILC」の旗が。
ここにくるとリニアコライダ―の文字を見かけますね。。。



お腹が満たされた後は、アテルイを称える碑などがあるそうなので、
行ってみました。

アテルイについてですが、妄想すればいくらでも言えますけど、
実際、この人がよくわかりません。
ですが、史料もほとんどなく、たった最後に名前が悪路王(アテルイ)として挙げられるだけなのに、
歴史上、こんなに注目される人物になっているのが不思議です。



アテルイが、跡呂井(水沢区)という所から発祥している理由はあるのですが、
その地名が何を元にしているかはわからない。
ア・トロイ、なのか、アトロイなのか。
トロは登呂遺跡とかあって、言霊的には同じ発音ですね。
タモノキミ(大墓公)アテルイというのも、田茂という地名が発祥といいますが、
タモには、エタモイという武蔵の豪族の名前がいます。
これも言霊的に「タモ」が同じ発音です。

アテルイは実在した人物というのだから、実際、陸奥街道を通っているわけですか?
ならば、雷神山古墳を知っていただろうし、名取も通っていたはず。
その古墳の主が、誰だか知っていたはず。


※この奥が巣伏の戦い場所。

エミシの風習の特徴としては、縄文人と同じように、
出産や婚姻の祈祷は大事にしていたそうです。
出産の祈祷は、縄文人が先祖との繋がりを大事にしていた証でした。
精霊も祖霊とも仲介、交流していたような祈祷(どんなもの?)が
火を焚いて祈祷をする中で、出産をしていたわけですが、
子供や成人が亡くなると、この世で使っていた生活品や装着品を
丁重に送ることをしていたそうです。
後に、渡来人がやってきて家族が複雑に変化してくると、そのような風習は途絶えます。

土偶があるのは、安産祈願があり出産で亡くなる女性が多かったことから、
その苦しみや痛みの代わりに土偶がありました。
無事出産すると割っていたようです。

物部氏の祈祷の多くも、出産の安産祈願と死者の蘇りの祈祷があります。
生と死の祈祷を行っていただけではなく、地元の豪族間との婚姻も結ばせていたようです。
後に、葛西氏がそれを受け継いでいる感じがします。

仲人のような役目をしており、出雲の神様が縁結びといわれるように、
物部氏も独自の縁結びを行っていたそうです。
なので、秋田唐松神社も縁結びの神様と言われます。
血縁を非常に重んじていた氏族だったので、天皇家の結ぶつきの祝詞を唱えて
いた理由も何となくわかります。

物部氏の蘇生祈祷は、シャーマニズムがあり、北方系チュクチ族にも
同様の祈祷があるそうだ。
病人が出ると板状の木偶に呪文を唱え、病人の患部から病根を乗り移らせ、
木偶を破壊して身代わりにさせる。これらの祈祷は、北方系諸民族に共通するそうです。
秋田物部氏の虫おさえという祈祷が、似ています。
日本でも古代、人形の板を作って呪術を行っていました。
木を使った祈祷は、北方が主だと思います。


※貴重なチュクチ族の写真~。(Wikipediaより)
チュクチ族とは、ロシアのシベリア北東の端のチュクチ半島(ツンドラ地帯)に住む
旧シベリア諸語(古アジア諸語・オホーツク諸語)に属する民族のことです。
ただ、この民族と同じとはわかりませんけど。

エミシは、先住民と共同生活をしていた帰化人もいたと思うのですが、
朝廷はエミシの製鉄技術に脅威をもっていた為、
エミシに対し、「其れ東辺北辺は鉄冶置くことを得じ」
という鉄を作る禁止令を出しています。

その技術をうまく利用しようとしたマロがいたわけで、
上毛野氏にかわって物部氏を起用したり、アテルイが登場したりする。

鳥海山の二ギハヤヒから水沢の宇宙へ繋がることに、意味があります。
アテルイとモレが処刑された場所が、河内国(椙山)といいますが、
実際はよくわかっていません。
ですが、河内国にしたい理由があるわけです。
二ギハヤヒが降臨したと伝わり、物部氏や秦氏が拠点としていた場所。
ヤマトタケルが白鳥になって飛んでいった話のように、
亡くなる場所をその地に設定する時に、「鳥」が見え隠れする。
二ギハヤヒが降臨した地なのだから、故郷へ帰ったという意味がないだろうか。

もう一つのアテルイ説として、「王仁」という人のお墓が大阪牧方市にある。
ここにも、アテルイとモレのお墓が伝承されている。
牧方は、七夕発祥地です。
これもカササギという黒い鳥伝承があって、カササギはヤタガラスとの説もあり。
「現在の枚方市、交野市のあたり一帯は平安時代の頃は「交野が原」と呼ばれ、
日本に於ける七夕伝説発祥に地と伝わる。
平安時代初期、桓武天皇(在位:781~806年)はこの「交野が原」において
北極星を祭り、国家の安泰を祈願し、たびたび狩猟を楽しんだといわれる。」


それに七夕にはデネブという白鳥の星があるのですが、中国では白鳥ではなく、
カササギのことで、中国からもたらされた七夕伝承は、
カササギの羽で橋を作り、出会わせた話になっています。
この橋渡しのような伝承があるのが、千歳山(山形県)のあこや姫伝承が有名で、
名取の橋をかける名取太郎という人で、松の精霊が登場します。
おそらくこの話は、熊野信仰がもたらしたものだと思うのですが、
数年前に物部守屋を継承する碑が発見された。(明治時代の尊王攘夷論があった頃)
なので、偶然とは思えません。


※カササギ

おそらく、ヤマトタケルは白鳥とされたが、アテルイは黒い方の鳥である
ヤタガラス(カササギ)と結びつけられているようなのです。
白鳥氏が、鳥の白鳥のことを示しているとは限りません。
ただ、鳥をトーテムとしていた豪族だったことはあると思います。

桓武天皇は、ちょうどアテルイがいた蝦夷征伐の時代でした。
王仁とは、「ワニ氏」のことですが、ワニというと、神話で豊玉姫がワニのような爬虫類を
生んだ話になっている。それと関連づける話にしていると思うのですが、
いずれにしてもアテルイは、渡来してきた騎馬民族と言えますが、
どこかで太陽神となった事を伝えたい氏族がいたことは確かです。
そんな物語を仕組んだ背景に、鎮魂の意味で藤原氏(物部氏も?)と熊野があったかもしれない。

と、ここまで角塚古墳から広がりすぎましたけど、
ま、いろいろな氏族がいてワイワイしていた場所なんですが。(なんだそれ)

北方の王者----------------------------------------------------

水沢駅の東へしばらく行ったところの交差点にアテルイ公園があり、アテルイ像があります。
土偶みたいな不思議なアテルイなんですけど。



看板の説明より一部、抜粋。
「そもそも蝦夷は文字をもたず、日本人のルーツとも言うべき縄文文化の中に、
土器として表現されたものから彼らの思想を汲みとるにすぎない。
縄文人は水鏡をもって天空を映じ、火炎土器(縄文中期)には
その上昇志向が表現されており、口縁のうねりと渦巻状のくねり等の装飾が
特徴とされている。

こうした中で、その偉大な先人を顕彰すべく、この縁りの地に建てたのが
この像である。地域シンボルとしてのこの像は、そうした史実を基として、
時の権力に対抗し続けたこの地(蝦夷)の首長アテルイの怒りを、
抽象表現とし、縄文土器の中でも、特に雄壮な形象をもつ火炎土器を背に
構成したものである。
肌は土器の色、大きさは縄文人の上昇志向とアテルイの偉大さを表現するため、
あえて際立つ高さの円筒にまとめたものである。
尚、周囲の池は縄文人の水鏡と、巣伏の戦場、北上川の水を意味したものである。」




へ~、怒った感じの顔は、怒りを表しているからなんですね。
いろんな意味を込めた像なんだね。
晴れているのだけれど、ちょうどパラパラ雪が降ってきたので、震災を思い出しました。
あの時も津波が来てから、雪が降り注いでいた。
暗く寒い時でした。
この時だけ雪が降っていたのですが、アテルイの怒りが雪を降らせたのでしょうか。



青森県の十三湊あたりにトミナガスネヒコと伝わる墓があり、
神明社が建立されています。
ここも跡呂井地区の氏神らしいのですが、神明社です。
アテルイもナガスネヒコも神明社が関係するのかな。
神明神社は、天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社であると。
太陽神なんですよね。



行ってみると、公園からすぐのところにありました。
ここは「アテルイ王千二百年祭記念碑」があります。



まだ忌中なので、神社参拝は避けてますが、境内に入ると
ずら~っと並ぶ石碑の数・・・・ありすぎ。



何の石碑がみてないのでわかりませんが。
ここまで石碑があると修験の人も来ていた場所なんですね。
迫害された天皇家の誰かが逃れてきたから?
-------------------------------------------------
さて、水沢の人たちがアテルイを今でも尊敬していることを感じたところで、
最後は、ゆっくり宇宙遊学館へ行こうと思っていたのですが、
「巣伏の戦い」というのがあり、「巣伏」という漢字が気になった。
行くつもりはなかったのですが、どんな場所なのかマップで調べてみたら、
ここから近いところにありました。
ん~、ママチャリでも10分くらいで行けそうだなぁ。


(北上川のほとり)

途中で道に迷ったら引き返して帰ろうと、あんまり行く気がしなかったけど、
スイスイ行けた・・・。



巣伏の戦いとは、紀古佐美とアテルイがぶつかったところで、
互いにたくさんの死者をだしたという。
その多くが、北上川での溺死です。
今より大きい大河だったので、海に溺れるような過酷な場所だったと思います。
巣伏は「すふし」と読み、
「四丑」(しうし)地名として残っていることから、由来しているそうです。




上の写真と同じ碑ですが、逆光なので真っ黒なところ、
ちょうど文字の部分が光ってますね。「巣伏の戦いの碑」

「巣伏」という漢字の由来は調べてみないとわかりませんが、
巣に伏すというのは、意味としては、「腹ばいになってひそむ」ということで、
巣に臥すという意味ではないかな、と。
眠りにつくといった意味で、お籠りぽい気がする。

胆沢の合戦



また、これは深読みしすぎかもしれないけど、「スフ」というのは、
周防国(スフ)というのが山口県にあって平安時代ですけど、
このスフは、元は「スワ」と読んでいた。
アスハとかアスワとか、スワとかいう言葉は飛鳥や熊野の阿須賀に似ている。
須賀は、スサが由来ともいい、スサノオの説もありますが、
無理やりつけると、四つの丑はスサノオでもありますね。
何かを引き起こしてしまう土地の言霊であることを感じます。



どこかで宇宙が繋がっていると思うんですね。
水沢に宇宙天文台があるのも、宇宙を引き寄せる場所だからです。
妄想するに、宇宙戦争のような星信仰の争いはずっとあったと思っています。



シリウスは聖徳太子の象徴といわれますが、先に述べたカササギの鵲森宮(かささぎもりのみや)
という神社は、聖徳太子が建立したと伝わります。
丑寅の牛がスサノオならば、プレアデス。
タタラ族はオリオン。などといった宇宙妄想も面白い。
もう地上に降りてくると、ごっちゃになりますけど。


展望からの景色


奥の川が北上川

そんな場所がありそうな巣伏では、紀古佐美はこの時大敗したのですけど、
さっさと引上げてきたらしく、腰ぬけのように書かれてました。
ムリ~っていう早いあきらめには共感します。笑
ですから、私は紀古佐美派。(そこか)



しかし、今までだったら蝦夷に大敗したら、降格や左遷などの罰を受けるのですが、
処罰されるところを、これまで朝廷に仕えてきた功績を勘案され罪を免じられていたそうです。
なので、そんな腰ぬけとは思えず。
大体、この頃の桓武天皇がおかしかった。
蝦夷に対する執着は普通ではなかったのだから。



その後、大伴弟麻呂が胆沢へ攻撃し、少し有利に。
そしてマロが征夷大将軍となり胆沢城を建てる。
その年(802年)にアテルイが降伏し、8月13日に河内国(大阪)で処刑された。
巣伏の戦いから13年が経っていました。

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ここは、有名な田んぼアートをしている所だったんですね!
来れてよかった~。





とにかく、美しい雄大な雪山がいいね~。
焼石岳かな。
夏になったら焼石岳に登りたい!



山萌えをしつつ、ママチャリをこぎまくって最後は、木村先生の宇宙を堪能する。
続く~。

★アテルイへの道(興味ある方はぜひ)
 駅から東へ進み、花園町交差点を直進。次の交差点(右側)にアテルイ公園があります。
神明社へは、信号を渡り直進し、郵便局を左折。小学校を過ぎてすぐ角を右折すると神社があります。


 巣伏へは、4号線に出て広い道を下り、ひとつめの交差点(信号はないです)を右折。
広い田んぼの道を走り左に曲がり川の方へ進むとすぐです。
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水沢の角塚古墳とアイヌ

2017-03-11 | 東北地方の伝説(北東北)
ミサの水沢へ。
3月11日の震災から6年。
あ~、もうそんなに経つんですね。
昨日のことのように今だに、長かった地震の揺れが体に染みついています。

なぜか、3月11日に水沢にいくという流れ。
介護生活が終わったら水沢に行こうと思ってましたが、
平日に動きたかったけど仕事が忙しく休めそうにない。
別に急いでいくこともないのだが、
むしょうに行きたくなってしょうがなくなった。
そうすると、11日しか動けない。。。

ん~、震災から6年という月日。
閖上の方に向かって遠くの目をしてしまうと、林先生の「今でしょ」
が飛蚊症のようにしつこく浮かんできた・・・。笑

今でしょ?
何が??

昨年10月に鳥海山大物忌神社へ精麻を奉納してきたのですが、
その帰り、なぜか水沢に宇宙天文台があり、z項を発見した木村さんというすごい人がいる
話になって。知人がそれを教えてくれたのですが、
リニアコライダーがあの地に選ばれたのは、世界中の物理学者が木村さんの故郷を求めて
いたからと・・・。

・・・・忘れてた。リニアコライダーの存在。
花崗岩という地層の環境で選ばれた他に理由があるはず、と思っていたのですが、
水沢にそんな木村先生の宇宙があったとはっ!納得!!
それを聞いて、行ってみないことには妄想できんっ。
と思っていたところ、義母に続き義父の介護生活になり、今まですっかり忘れてました。

以前、安部氏探訪で胆沢へ行った時に、いろいろと妄想してましたが、
やっぱり水沢も胆沢も安部氏の存在がとっても大きいと感じます。

木村先生の話は、後ほど、書きまくります。

最北の前方後円墳-----------------------------------------



ということで、3月11日に水沢行脚へ。
震災の6年というのが、私にとって大きな節目にあたるようです。
でも、なぜ水沢なんでしょう?
・・・わからんねえ。

とりあえず、岩手といったらお供はママチャリ。デタ。
レンタルサイクル~♪エコだね~。



※「観光物産センターZプラザアテルイ」でレンタルできます。
名前がアテルイ。。。Zは、ももいろクローバー。。。でなくて、
Z項の木村先生のことです。タブン

また、水沢といったらアテルイの故郷となってます。
山はまだ雪が多いですが、そんなに寒くはないです。
もうすぐ春ですね。

宇宙へ行く前に、行ってみたかった角塚古墳へ!
水という地名には、宇宙と深い関係のある土地だったことに気づく。
古墳に一本杉が立っているのはとても珍しいです。
一柱に神が降りてきそうな、そんな古墳なので、
この古墳の主はどんな人だったんだろうと思います。



以前にも書いた伝説ですが、もう一度、角塚古墳の伝説について、ざっくりと。

「当地には高山掃部という長者がおり、その妻は強欲であったがために大蛇に変身した。
大蛇は農民を苦しめ、里人は松浦の国から小夜姫という娘を買って
生け贄として差し出すことにした。
大蛇が現れた時、小夜姫がお経を読み経文を投げつけると、
大蛇は元の長者の妻に戻ったといい、大蛇の角を埋めたところがこの角塚古墳であるという。」


「里を救った如来さま」と題した看板では、もう少し具体的で、
大蛇は、8月15日の夜に、15歳の娘を差しだせという。
なんだか、仙台の広瀬川に伝わる橋姫伝承と似てます。
川の氾濫を鎮めるのに人柱をしたという伝承は、たくさんあります。
このあたりは、小夜姫にまつわる話が残っているのですが、
化粧坂というのがあり、小夜姫が持ってきたと伝わる高さ5センチの
小さな如来様が薬師堂に祀られているそうです。



化粧というのは、宮城県北部にも悪玉姫伝承で化粧池(沼)があります。
悪路王と関係しているのでしょうか?

東北の古代史では、悪路王といってアクリかアクロという地名が由来し、
アクリ(阿久利)という地名にいた長という意味がある。
大高丸がそうだと言われますが、アテルイと同一とは言えない。
なので、アテルイという人が突如現れたのには、何か理由があるはずです。
もしかしたら、アテルイは大和朝廷に仕組まれたこともあったかもしれない。

妄想するに、大和のことをよく知っていて、エミシの言葉も理解していた人
を起用したのは、古くから来ていた安部氏や大伴氏、物部氏、秦氏などが、
朝廷から離れ、東北へ逃れ、左遷された屈辱的な精神をもつ氏族を
利用してきた大和朝廷=藤原政権があったと思うのです。
その悔しさというか無念さ、いろんな感情が伝わってくる。


---------------------------------------------------
ちょっと話が脱線しますが、前世の話です。
数年前に友人のヒーリングを受けた時、
時代は不明ですが、小さい円墳の上で白い服をきた少年らしき人が、
地面に伏して泣いているビジョンが浮かんできました。
そのことを友人に話すことはしませんでしたが、
なんとなく、私の中であれがエミシなのか、と思ったのです。

すると、セッションが終った後、友人が、私は東北地方に縁があり、
昔、村を壊滅させてしまうような出来事があり、その時、私は若くして
長だった前世があったそうです。
未熟だったからか、自身の決断不足が原因で、村を失ってしまった悲劇がありました。
その頃、私は転換期があって、決断に迷っていた時期でもありました。
核となる前世の記憶は残るもので。
その決断力のなさから今の自分に到る、と思ったわけです。

円墳で泣いている姿と一致したので、
きっと、あの円墳は少年の父親だったと思うのです。
エミシというのは、先住民とひとくくりに言われますが、
普通に東北地方で暮らしていただけです。
主に、稲作などの農業はせず、漁や狩りを中心として暮らしていました。
特に、八幡平が好きなのですが、
悲劇がたくさんあった時代に生きていた前世が、蘇りました。
でも、こうやって東北を行脚していることがとても楽しくて、
ワクワクしてきて、幸福感があるんですね。
それは不思議です。

前世は誰でもありますが、核となるものは、魂に受け継がれ記憶され、
シュタイナーでいう前世のカルマというのがそれなんですが、
私は過去に生きるタイプなので、こういう生き方を選んできたのだな、と思ってます。
なので、古墳萌え~になるわけですけど、笑
ただ、雷神山古墳、角塚古墳、天栄村の龍ヶ塚古墳しか興味がない。
何か共通するものがあると思うのですが、そこは、はっきりしてるんです。

たぶん、ルーツは九州の豪族ってことなんでしょう。
そこに物部氏が入ってくるのは、彼らは北方の人たちなので、
南と北の先住民が入り混じっている歴史が、たまらないわけです。笑
--------------------------------------------------
さて、歴史に戻りまして、
日本の古代は、東日本の日高見国と大和朝廷が中心にあった大和国と大きく2つに
わけられると考えられている。
国境におかれている塞神や道祖神も、日高見国の境を印すためとも考えられる。

栃木県から福島へ入る時、高速を走ってみるとわかるけれど、
那須高原のある那珂川を渡り、箒川を渡って、白河関に入る。
昔は、大きな大河だったと思うけれど、今は水の流れは乏しい。
大きな川が国境になっていた。
阿武隈川、名取川、北上川・・・。

岩手県内の古墳群は、ほとんど北上川流域の平野、水田地帯に集中している。
角塚古墳は、仙台の雷神山古墳、遠見塚古墳と形状がよく似ているので、
専門家の話では、同じ系譜の墓であるという。
ということは、奥州街道を通って名取~多賀城あたり~水沢へ北上した豪族の墓となる。

5~6世紀始めに造られたとされ、農耕社会とそこでの政治的諸関係を示すもので
東北地方における古墳時代を解明するうえで重要な前方後円墳としては、
岩手県唯一の古墳です。



アテルイが亡くなった年は、802年くらいだったと思う。
なので、角塚古墳はすでにあったわけです。
アテルイとモレの碑がある田茂山に行った時、「角塚古墳」の看板があった。





あの場所から角塚古墳はほぼ一直線にならぶ。
古墳がよく見えていたわけですね。



この古墳の主はわかりませんが、大和朝廷から位と姓を与えられた長であったことは確かです。
埴輪が見つかっているのはここが最北だそうですが、続縄文文化と大和朝廷の関係があったそうです。

このあたりの古墳群の特徴として、農具を副葬とする古墳と、
武器を副葬とする古墳の2つのタイプがあり、農具を副葬とする古墳の方が上回っている。
農民が主体で、戦士は客体であると。
-------------------------------------------------------------
エミシについていろんな諸説がありますが、
北方系ツングースが代表的な人種であるといわれています。
シベリアの方ですね。
アニミズム、シャーマニズム、トーテミズムの世界観があるからですが、
続縄文文化とアイヌの文化にエミシも共存していて、
金属を使用し、稲作は伴わない狩猟などの生活をしていた。
7世紀頃まで続いており、擦文文化がアイヌの担手となったそうです。
熊おくりの儀礼などもそれで、北方の影響を受けている。



エミシの遊戯という点では、柳田国男の「山人」にも書かれています。
「農耕をしなかった先住民が山人になった。
隔絶した山中に住む異民といわれたが、毎年の定めの時期に、
京都の朝廷へ出てくることがあり、主として神事と関係しており、
延喜式をみると、祭の儀式の中に山人が出て来て庭火を焚いたり、
舞を舞ったり、歌を歌ったりしたことが分かる。
後に山人が来なくなったので、朝廷の役人を山人に擬してその役を
勤めさせたものである。」


柳田国男は、山人とは、日高見国の国神のことを差し、大和とは区別されていたと。
日高見国にいた国神が、朝廷に舞を披露していたのでしょう。
その頃は、まだ激しい争いがあったわけではなかった。

また、土地を個人が所有する概念もなかったので、
大和朝廷による律令制などは、理解しがたいものだったのです。
エミシには国家というものはなく、自由だったといわれます。
おそらく、アテルイという人は、他民族国家だった東北を
一つにする連合国みたいなことを考えていた為に、大和朝廷から迫害されたと思います。


※公園にある埴輪の像。
----------------------------------------------------
なぜか、角塚古墳の妄想をしていると、
むしょうにアイヌの歌を聞きたくなりました。
安東ウメ子さんの歌です。
以前から安東ウメ子さんの歌は好きだったのですが。



アイヌと何か繋がりがあるのでしょうか。
安東ウメ子さんは、もう御亡くなりになりましたが、
あの安東水軍の末裔ではないか、といった話も聞きます。


※角塚古墳を見守る埴輪たち。

なんとなく、角塚古墳は和人だったと思うのですが、
後に一族は、先住民と婚姻を結び、混血してアイヌ人となったような気がするのです。
安部氏がそんな感じで。
続縄文文化とは、オホーツク文化が樺太から千島列島に広がった文化なのですが、
アイヌの文化や縄文文化とは違うものだそうです。
オホーツク文化は、主にクジラ漁やアザラシなど海の漁をしていた人たちです。

その同じ頃に、本州の文化が入り北海道特有の「擦文文化」が成立。
北海道と東北との交流が、南下し本州との交易がまじりあう。
鉄製品が使われたのもこの頃で、エミシは本州から東北へやってきて、
北の文化を吸収し、独自の文化を育んだものと考えられます。



アイヌの文化は、擦文文化から変わったといわれ、
角塚古墳などの水沢の古墳群は、北海道文化からの流入による影響を受けていたと
考えられるのです。

だからアイヌの歌が響くのかもしれない。
角塚古墳の伝承で、なぜか、アイヌと繋がる部分では、
北海道日高という地名にある沙流川(さるがわ)が繋がる。
日高の沙流川は、オキクルミの妹の伝承があります。
これも震災の津波と関連しているのでしょうか?

「サル」という川名は、遠野にもあります。
猿ケ石川ですが、北上川水系北上川支流の一級河川。
遠野物語の舞台となった河童の川です。

アイヌでも津波除けの呪いがありました。
「津波は、心をもつ悪い波で、古道具や穀物のヒエなどを海岸へ並べ、
ホーイ、ホーイと言いながら道具などを蹴飛ばして海に入れ、
先に物を渡すからコタン(集落)まで来なくていいと頼む」

※1943年胆振管内むかわ町より。

日高の沙流川がある平取町に過去、60mを超える巨大津波があったことがわかりました。
亡くなった方もその時は多く、陸地に駆け上がった高さは63mにも達していたそうです。

二風谷というアイヌのコタンがありますが、平取町だったと思います。
風の谷のナウシカ、みたいな。
そうそう、ジブリといえば、角塚古墳の帰り、なぜか米良さんのもののけ姫の歌が
頭の中で流れ始め、なんでジブリだろう?と思っていたんだけど。
面白いことに、この後、お腹すいたのでカフェに入ったら、
そのお店でも、クラシックでジブリの音楽が流れてました。

とりあえず~、角塚古墳に行けて良かった~。
小川が流れていて、近くまで行けない感じでしたので、
遠くで拝観する感じです。
向かいが広場になっているので駐車OKです。

で、やっぱり、水沢といったらアテルイの故郷ですね。
水沢市民がいかにアテルイをこよなく愛しているのか、よくわかりました。
ですが、個人的に、私は紀古佐美も気になっている人です。
続く~。
--------------------------------------

最後に、なぜアイヌだったのか。
なんだか、この日、私はとても癒されています。

妄想中、素敵なアイヌの歌をみつけました。
やっぱり、私はこういう歌に惹かれます。
アイヌの歌は好きです。
こんな眠りの中で生きていきたい。

60のゆりかご アイヌ音声 日本語字幕
公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構


アイヌモシリ
人間の静かな大地。

3月11日。震災から6年。
この歌が少しでも慰めになりますように。
再び、新しい眠りに目覚めて。
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女人禁制の山で遭難した昔話

2017-03-08 | 神話・伝説
長野県の山岳救助隊が訓練中にヘリの墜落で亡くなったニュースがありました。
本当は遭難する人を救助するための専門家が山で亡くなるというのは、本当に残念です。
私は山が好きなので、こういう話を聞くと辛いです。
ご冥福をお祈りいたします。

山はいくもんでねぇ。
標高の高い山は怖いんですけど、なぜ山に登るんだろう。
とか言いつつ、ジブンもな・・・。

数年前に奥秩父でも大変な事故がありました。
山での救助隊の遭難や事故死について、思いだす事がある。

秩父の笠取山で起きた事故。
2010年の夏でしたが、奥秩父大滝に笠取山というのがあります。
奥深すぎて知らない山です。
山梨県の県境にありますが、もうあのへん、私は怖くて近づけないんですけど。
雪男がでてきてもおかしくないほどの深さです。。。

昔も峠越えをしてきた平家落人たちがいたと聞きますが、
結構、遭難されたり亡くなっている方は多い場所だと思います。
両神山も岩場が多く、滑落して亡くなっている方が多いので気をつけましょう。

そんな笠取山の沢で、山岳パーティの女性が一人、滝つぼに転落して亡くなりました。
救助に向かった防災ヘリでしたが、雨雲が発生して不安定になったそうで、
そのまま墜落して5名とも亡くなりました。
この時、夏だったので急速に雨雲が発達し大雨、雷の天候の悪さがあったそうです。
そんな状態だったので、秩父県警は取材人に対し、
「三次被害を防止するうえで極力控えてほしい」と言っていた。

しかし、日本テレビのカメラマンと記者が山岳ガイドに頼み、
入山したのですが、あのあたりの沢は技術がないとベテランでも
危険な個所だったらしく、継続するのは難しいとなり下山したことがあった。

それなのに、なぜか、勝手に記者とカメラマン2名が強行入山してしまった。
翌朝、滑落して亡くなった沢の場所で、2名が遺体となって発見されたという。
四次遭難で9名もの命が奪われた山の話でした。
さすがにこの話を聞いた時は、入ってはいけない山があるんだな、と思ったものです。



有名な三峰神社がある大滝はこんな感じで、秩父はすり鉢の底に住んでまして、
急な山の斜面に栃本の集落があります。
深すぎて酔った時があった。笑。ほんとに。




※道がみえますか?

一緒に歩いていた友人も、なんかおかしいと言ってて、
道のずいぶん下の方に荒川が流れてまして、のぞきこんでみていたら気持ち悪くなって。
その時は、ふらふらして気持ち悪かったですけど、餓鬼憑きかもしれんなあ。ワラ
ある人が体験した話で、奥秩父のどこかの山には磁場のゆがみがあるという。
どのへんかわかりませんけど。

--------------------------------------------------
やっぱり山はあなどってはいけませんね。
私も水と雪の怖さを経験したことがあります。
雨が降った後は、山の水は増水しています。
笠取山も普段は、水かさが少ない沢だったようですが、
大雨が降った影響で水が増していたようです。
石の上はすべるので、よく私は転びますけど、
すぐ下が川だったらおだぶつです。

宮城県のブナ林が生い茂る船形山へ行った時も、
大雨の後だったので、大きな川になって登山道が塞がれていたことがありました。
ベテランの方と一緒だったので良かったですけど、そういうのは予見できない。

また、数年前の4月末頃、一人で泉ヶ岳に登った時も、下山は北泉ヶ岳側の
三又路の方から下山した時がありましたが、北側はまだ雪が積もっていて、
全く白い大地で道がないっ!
でも、有難いことに、私の前にも数人のおばちゃんが下山していたようで、
足跡がついていたので、助かりました。
いつも知っている登山道が雪山になると、全く違う風景になっていることに
びっくりしましたが、もう雪はないだろうという思いこみが怖い。
こういうところで予見できないから遭難してしまうんですね。
ただ、この時面白かったのは、山頂でばったり職場の人と会い、
三又路でも知人とばったり会い、なぜかよく人と会ってました。山なのに。

--------------------------------------------------------
さて、昔は山へ入るなんぞ、あり得ませんでした。
登山なんて概念はなかったわけです。
神隠しのように、山へ入ったきり帰ってこない話はとても多く、
山神様は女神なので、女性(特に若い人)を嫌うと言います。
女人禁制とは、マタギの風習から由来してますが、富山県にこんな昔話がありました。



「人形山」
昔、越中の平村に、母親思いの仲の良い姉妹が病気の母親と三人で暮らしておりました。
二人の父親は早くに亡くなっていて、白山権現様を信仰する信心深い母親は
一人で二人で娘を育てていましたが、無理がたたったのか病気になってしまったのです。
姉妹は、母親の代わりに一生懸命に働き、幼いながらも一人前の働きをするように
なっていました。

しかし、母親の病は春になってもよくならず、幼い姉妹はいつも「南無白山権現」と
唱えながら病気が治ることを祈っていました。そんな親孝行の二人に白山権現様からの
夢のお告げがあり、病気を癒す温泉を教えてもらいました。二人は、
雨の日も風の日も毎日母親を温泉に担いで連れていってあげました。

そうして、秋になるころに母親の容態はよくなり、二人は秋の収穫をする際に
ふと思い立って、白山権現様にお礼参りをしようと出かけました。
ところが、白山権現様は女人禁制の厳しい掟がありました。
そんなこととは知らない姉妹は白山権現様にお礼をして、
帰り道に吹雪にあい遭難してしまいました。

もし、思い立ってのお礼参りでなければ、母親に一言声をかけていれば当然教えて
もらえたはずの女人禁制でした。禁を破ったことにお山が怒ったのか、
あるいは季節より早い吹雪がきたのか…姉妹はついに帰ってくることはありませんでした。

一人取り残された母親は、春になって姉妹の事を思いながらとぼとぼと畑に
向かっているとき、山肌に姉妹の姿を見つけました。
姉妹の早すぎた死を悼んで山の雪も二人の姿を消すことができなかったのでしょう。
その二人の人形(ひとがた)の話は村に伝わって、
いつの頃からかこの山を「人形山(にんぎょうざん)」と呼ぶようになったということです。



東方聖地@ ウィキより
https://www63.atwiki.jp/th_seiti/pages/99.html

山神様を姉妹として語る話は、遠野物語でもあります。
おそらく、白山信仰があったので姉妹信仰(山神)の話としてのせたのだろうと思いますが、人のような形に見えますね。
修験の山の多くは女人禁制なんですけど、おかまいなしに山姥は登ってますけど。。。
--------------------------------------------------------------
春になると高山の雪の形がいろいろに見えて、面白いです。
東北地方では、福島県吾妻山の雪うさぎ、


※一般財団法人 自然公園財団より
http://www.bes.or.jp/joudo/blog/detail.html?id=4754

岩手県岩手山の鷲など。
「巌鷲山(がんじゅさん)」ともいう。かっこいい~。


※ホテルエース盛岡より
http://www.hotel-ace.co.jp/blog/?p=4261


岩手山のカルデラに萌え~。


出羽三山では雪の量で今年の豊作を占うことをしています。
月山途中の出羽三山
展望のよい低山に登って、高山の雪山を眺めるのも春の楽しみのひとつです。
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病気とカルマのお役目とは

2017-03-07 | 日記・エッセイ・コラム
ようやくお役目が終わりましたが、短い間でした。
義父が先月末に亡くなりまして、無事葬儀も終えたところです。
この場をお借りして、いろいろとお力を頂いた方や、
在宅介護の話をする度、皆さんが私まで心配して下さったことに、
心から御礼申し上げます。
本当に心の支えになりましたし、良いケアマネさんに恵まれ、
比較的、安泰な介護生活でした。
おかげさまで、なんとかぎりぎりまで義父と家で過ごすことができ、
悔いのない介護生活でした。
本当にありがとうございました。

義理の両親を仙台で看取るとは考えたこともなく。
もちろん、本人もまさか仙台で・・・というのは一番、
願ってもいない最期だったと思ってます。
義父の本家はこっちの人なので、先祖の計らいがあったことは感じてました。
先祖のカルマもあります。



介護を通じて、病気についていろいろと考えさせられます。
病気にならないと、自信をもって言えない・・・。
みんな、病気をして亡くなると思っている。
そういうものだと思っている。
でもね、心臓は強いのよ~。
義父は慢性心不全で入退院を繰り返してましたが、
ガンでない限り、心臓が動く限り生き続けます。
意識がなくても、最期の最期まで心臓が動いていることに、
変な話ですけど、感動してしまった。
心臓は素晴らしい。マジで。心臓こそ心です!
心がいつまでも、生きたがっていました。

終末期といわれると、治療はできないから、
余生をどう過ごすか?と必ず医師から聞かれる。
最期の看取りは、家か施設か、病院か。
急変したらどうするか。急変するとまあ、大変。
これって家族が一番気になることなんだけど、
本人の意思が何もないと、病院で体じゅう管をつけられた最期を看取ることになります。
それが嫌なら、家での看取りとなりますが、家で亡くなる場合、
病気にもよりますが、苦しい痛みに悶絶する姿を見送らなければなりません。
特に肺水腫は。
そうならないための看取り方なんてものはないが、本人も家族も徹底して病気に向き合っていかなければ、
家での看取りは難しいです。
いろいろとトラウマになると思います。
あまりにも苦しむので、結局、救急車を呼んだ人もいらっしゃるようです。

個人差はありますが、薬の副作用は体にどんな風にあらわれるか、
日に日に悪化する体をみると、自分はこんな風にはなりたくないな、と思ってしまう。
なので、義父が体に受けた影響は大きかったのではないか、と思います。
本人は何も気にしていないようでしたが。

病院で亡くなることを望んではいなかったところはありましたが、
少しでも苦痛を和らげるためには、病院での看取りは仕方のない選択でした。
絶食絶飲で脱水状態に。脳に酸素が至らなくなるので、意識が朦朧としてくる。
そうなると痛みや苦しみもわからなくなる。
痛みを伴わないだけ、まだ良いのかもしれないが。
これが日本の医療なんです。



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義母は先月7月に亡くなりましたが、まだ生きたいと言って亡くなりました。
義父は、早く死にたいと言ってましたが、義母より長く生き、
平均寿命を全うしました。

早く楽になりたくてもなれない。
もっと長生きしたいけど生きられない。
どうして人は、このような差があるのか?

この説明をしてくれているのが、シュタイナーのカルマ論なんですね。
難しいけど、私は「シュタイナーのカルマ論」を読んで自分に納得させてました。

病気も自らのカルマにより引き起こすもので、
病気もカルマと考える。

「業(ごう)」というカルマは、サンスクリット語の行為(クリマット)から
由来し、死んでも失わない代々アートマンに伝えられると考えられる。
アートマン=ブラフマー=宇宙の根源。
宇宙の根源=丑寅の金神とすれば、
牛頭天王の伝染病をお祭りとした起源は、人類史の長い長い歴史の中で、
行ってきた悪業のカルマによるもの。
その結果なのだから、カルマを解消する必要があると昔の人は考えていた。
神様にお伺いをたてるではなく、それを自覚することがカルマの解消となる。

インドのバラモン教ウパニシャッドは、
善なすものは善生をうけ、
悪をなすものは、悪生をうくべし。
浄行により浄たるべく。
汚れたる行によって汚れをうくべし。
善人は天国に至って妙薬をうくれども、悪人は奈落に到って諸の苦患をうく。
死後、霊魂は秤にかけられ、善悪の業をはかられ、それに応じて賞罰せられる。


カルマは本来起こらない方が正しい。
善も悪もなく平穏でいれば、何も起こらないし、返ってもこない。
日本では禅でそれを表現している。
「不変」ということ。

葛飾北斎が富士山を多く描いているのは、不変の姿があるからです。
波があっても富士山などの自然は変わらないが、人間はつねに変わる。
常に流動的に人は変わるのだから、変わりたくない人は苦しむ。

西洋の二元論は、善と悪をたてる。
悪が竜としていることで、善を自分とする。
スサノオのヤマタノオロチは、二元論を説明している。
ただ、善を認めることは悪をも認めることになる。
悪も自らの行為によるものであるから、
スサノオは自らのカルマを解消するために自らの悪を退治しているわけだ。

しかし、西洋の二元論は、悪とは他者や別の外来から引き起こされたものと考える
ようになっている。
それが間違っていると思うのだが、シュタイナーはこれを人類の肌の色で説明していた。
難しいのでパス・・・。

アストラル体--------------------------------------------

私は人間にとって一番大事なのは、「肉体」だと思っている。
病気するとよくわかると思う。
なんでも土から目覚めるためには、肉体を腐敗させないといけないからです。
それがバクテリアとなり、また土から命が育つ。リアルですけどそういうもの。
神話の黄泉国にいったイザナミの遺体をみて、つい逃げてしまったイザナギは、
そのような腐敗していく体に向き合わねばならなくなったことを説明しているのでしょう。
それが大きな人類の転換期。
そこから人間は死を体験することになった。

地球に生まれたからには、肉体と付き合っていかねばならない。
それを経験するために地球に生まれているので、それが嫌なら二度と生まれてこなければよい。
みんな、肉体の根源を知るために、あえて苦しみや痛みを経験するためにわざわざ
痛い思いをして生まれている。
障害をもっていることは、この際、何も関係ない。
そういう肉体で生まれてきたということは、カルマ論では自ら決めてきたことなのだから。
本人が一番、潜在的にわかっていることなんです。
いずれ、それが目覚める時に、痛みを伴ってくると説明しているが、
それをカルマとするよりは、障害をもっている人は、自らの肉体を痛みとして受け止めることを
覚悟して生まれていると思う。他の人ならば、辛くて生きられないはず。
だからそういう方は、強い人だと思っています。

スピな話で難しいけれど、人は肉体→エーテル体→アストラル体という層で包まれている。
オーラってやつか。この際、オーラの色なんて重要ではない。
シュタイナーのカルマ論では、人間のアストラル体は、霊的な帯で包まれており、
このアストラル体がもうひとつの内にあるエーテル体と肉体の中へ深く入って浸透
させていくと、人体機能に障害がおこるという。

痛みは、身体の異常なアストラル体の覚醒とされ、
前世の過失であったり、正常な時とは異なる肉体、エーテル体との関連を
アストラル体が求めていると。
過去に行っていた行為を現世も記憶し、それを「目覚めさせる」ことで、
痛みや苦痛を受けとることになる。

それは生まれる前から、自分で決めていたことになる。
寿命がそれぞれ人によって異なるのは、自ら決めていることだからです。
それをアストラル体に求めてきた結果なのだから、病気になって初めて目覚めたということ。

健康な状態とは、アストラル体は眠っているという。
目覚めていない状態は、正常なことでアストラル体が眠っているのは良いらしい。
ただ、痛みを知らない病気もある。
アストラル体の目覚めに気づいていないということか。。。
私はこれがうつ病などの精神的な病で説明できると思う。

睡眠中にも自我の記憶や人間の記憶は意識をもっているけれど、
自我がそれを記憶することができないほど、「暗い状態」にあるという。
夢のような明るさではなく、暗い=重いものであり、眠っている時の
暗さがずっと留まっている状態なので、痛みを知らないといったこと。
難しいけれどね。
なんとなく私はわかります。

夢は見た方がよいとは言いますね。
脳が整理している状態なのだけど、暗い夢になっていくと精神的にも追い詰められます。
正常な夢とは、眠っていても光を受けていると考えられるためですが、
若い頃、鮮明な夢をみていたのは、より多くの光を受けていたのだな、と思いました。

前世において何かをし、死と新生の間で影響を受け、
そして今、エーテル体が肉体をしっかりとらえて目覚めたとすると、
その人の中に深い意識が現れる。
痛みは、アストラル体の中で記憶されるので、魂が痛みを感じるとも言え、
これがアストラル体の作用と考えられる。

死を看取ることがいかに大事なことか、よくわかる。
苦しみの中で亡くなると、その痛みを記憶したまま生まれ変わることになると。
極力、痛みを感じないことの方が、カルマ論では解消されるといえるわけです。

古来のシャーマン(巫)はこのような看取りも行っていたわけです。
不治の病というのは、悪業のカルマから起こると信じられてきた。
それが先祖なり、過去世なり、民族のカルマという人類のカルマもあると
シュタイナーは説明している。
ただ、他人のカルマを他の人が受けることはないので、自分に起こることは、
自分が過去におこなってきた業であることを自覚せねばならない。
病気もそういうこと。
まれに、うつ病などの精神病が、先祖の何かがふりかかっていると言われることもあるけれど、
私はそれもちょっと違うのかもしれない、と思えてきた。

自ら、それを受けることを肉体に通してきた人と、
自分で受けることはせず、介護という形で最後の看取りの世話をすることを受けるか、
ということになるのかもしれない。

「テナヅチ」という神様がいますね。
手長、足長明神ですけど、手長はテナツチともいわれ、手で撫でる神様という話がある。
福島県の鹿狼山に祀られていますが、
これは病気の人を癒すために、「手で撫でる」という意味があると思います。
これも介護のことになりますね。
手で癒すヒーリングもありますが、人間の手はまさに魔法の手です。

他人がそこに介入する時は、痛みを和らげることしかできないんですけど、
ガンなどの緩和ケアが大事なのはよくわかります。
欧米ではここがとてもすすんでます。
心不全の緩和ケアもあった方がよい。
呼吸ができない苦しみは、耐えられないわけですから。
それもガンと同様の苦しみがあります。意識があるから辛いんですねよね。

シャーマニズムの巫は、その役目を果たしていたのだから、
ウパニシャッドを「優婆尼沙曇」と書いた。
優婆=姥なので、姥神として祀る意味は、カルマのことを示していると思う。
姥捨という言葉も、看取った場所なのかもしれない。
この思想が世界に広がり、男性の在家は「優婆塞(うばそく)」と言い、
女性の在家は、「優婆夷(うばい)」と言う。
「夷」は、「蝦夷」でも使われていますが、巫のことを示すこともあり、
まつろわぬ民とは、女性の巫のことを伝え、それがカルマによる悪業を
浄化せねばならないのに、封印してきた歴史がある。

民族のカルマというものは、東北地方に多い塞神のことを伝えていると思う。
男女神は、本来、道祖神といい夫婦が一緒に手を繋いでいる像が多い。
長野にはそんな道祖神が多く、シュメールでも同じような道祖神があります。
しかし、イエスキリストとマリア(マグタラ)を一緒にいる姿をみたことがない。
イエスとマグタラのマリアは切り離されている。
西洋の二元論は、男女神を切り離すような仕組みがあると感じます。
なので、アメリカは特に、そのカルマを受けていると思います。

男女神を避けられた要因に、大きなカルマも含まれていると思うから、
男女神を一緒に祀らねばならない。
エミシのカルマってなんだろう?と思うのですが、
ホツマツタエにあるハタレが蝦夷といわれる事もあります。

ですが、「自ら行った行為は必ず返ってくる」ので、
まだまだカルマは残っている。
それが悪だからどうのこうのではなく、
何の役目をもって自分が生まれてきたのかを知る時であり、
またそれを自覚せねばならず。
生きている時は、肉体と向きあう必要がありますが、
その責任は、自ら果たさねばならない。

死ぬ時に、アストラル体を目覚めさせればよい。
そして痛みがあるのならば、「自ら目覚めるために決めてきたこと」
を、無視せずに考えていかなければ、痛みは永遠に消えないのだろう。

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さて、出産も子育ても介護も、多くは女性の役目となります。
シュタイナーは、
「女な心的、情的に諸印象を受け取ることによって、
人生経験を魂の深層の中に取り込みます。
男は学問の分野ではより豊かな経験をもつことができるかもしれませんが、
女の場合ほどにそれを魂の生活の中に深く取り込もうとはしません。

女の場合、経験世界全体が深く魂に刻印ふけられ、それによって諸体験が
身体組織の中により深く作用し、未来の身体をより強く規定します。」


女性は、生活の中で子供や家族などいろんな人間関係を通して、
経験をしなければならないことがとても多い。
だから、いちいち自分のことばかり気にしていたら、やってられない。
自分のことばかり考えている人は、転機についていけない。
男は、女が母になり変わっていくことに、ついていけないのだろうと思う。
離婚が多いのもそれで、男は女のように変われない。

また、なぜ、女性がその役目をすることが多いのか。
昔から「嫁」とは、大変な位置づけでした。
歴史にからめると、
私は古代史の中で物部氏が一番、興味をもつ人たちなのですが、
もののふの祷ができなくなった要因に、女性の巫が悪いモノをおろしてきた
のだろうと思うことがある。
地球全体が滅亡しかねない何かを降ろしてきた結果、もののふ集団は、
自らの祈祷を封印したのだろうと思う。
セオリツヒメもその一人であり、十種神宝が一般的に祝詞としてあげられない理由は、
大きな転機を起したくない、変わりたくない者たちによる働きがあったと思っている。

それでは何も変わらない。
再生は終わりにせねばならない。
と考えている人たちと、変わらないでいたい人たちの葛藤が常にあります。

宇宙な話ですが、私はオリオンの記憶があります。
オリオンは破壊をもたらしたと言われていますが、
それは何となくわかります。
そういう場所に、導かれているからです。
それも私の業であるカルマだと思っていますが、介護をすることで、
先祖もその一人だったとわかったところで、
ようやく、私の中のカルマが解消されたという思いでいっぱいです。

短期間でいろんなことがたくさんあって、
しばらく放心状態なんですけど、かなりエネルギーを吸い取られた感はあります。

とりあえず、山へいってエネルギー補給はしないとなあ。
私が自分のために行った行為が、少しでも民族のカルマも解消されていることを願い、
もうひとつ、先祖であったエミシという集団のカルマをどうするか。
大げさですけど。ワラ
それを私が何かすることではないけれど、これからは自分のためにいられることが何よりもうれしい。

※写真は河津桜:宇都宮城跡より。
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映画から繋がる歴史のすきま

2017-03-02 | 日記・エッセイ・コラム
話題の「ララランド~♪」みてきました!
何年ぶりかな。久々に映画館でみてきました。
私は映画にはあまり興味がないのですが、
NHKのあさチャンで、ララランドのピアニスト役の俳優と監督がゲストで
出演しており、映画の内容を聞いていたら、見に行きたくなってしまった。



20代のころ、アシッドジャズが流行り、
クラブへよく行ってましたが、そこからジャズが好きになりました。
この映画でも、ジャズを死なせてはいけないと、古きよきジャズを残すため、
自分の店をもちたい夢をもっているピアニストにとても共感してしまった。

日本でもそうだけど、アメリカでもジャズ離れがあり、
若者たちは、アレンジした曲しか好まないという。
そうなると、本物のジャズを知らないわけですね。
アメリカでそうなんだな~と思いました。

仙台にはジャズ喫茶がありますけど、今は何軒残っているんでしょうかね。
友達とジャズを聞きながら、ジャズに詳しいおっさんのマニアな話を
ひそひそ聞いていたもんだ。
なぜか、ジャズ好きはトーンが低い・・・。

アシッドジャズという言葉も死語みたいなもんで。
アンビエント系の曲とか、ドイツテクノとか、ほんとにマニアックで
破壊的で、すぐフリーメーソンだとわかるデザインのアルバムとかガンガン聞いてて、
今思えば、私は洗脳されていたから、こんな古代史を妄想することになるのだな。ワラ。
今は、全然、聞かなくなりましたけど・・。

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やっぱ歴史が好きなので、ジャズの歴史ってなんだろう?と、思って検索してみました。
なぜか、ニューオリンズの「マルディグラ・インディアン」
というのが出てきて、気になった。
もうジャズの話ではないですけど。

Wikipediaからの情報です。

マルディグラ・インディアンは、マルディグラの時にネイティブ・アメリカンの
儀礼的な衣服に影響を受けたコスチュームで着飾った、
ルイジアナ州ニューオーリンズの主に
アフリカ系アメリカ人が組むカーニバル・レベラー(reveler、 飲み騒ぐ人)である。


ジャズの発祥は、確か、ニューオリンズだったと思う。
ジャズから離れますけど、19世紀頃に始まったものらしく始めて知りました。

「彼らはクルー(krewe)ではない。フロートにも乗らず、
毎年のパレードの道は秘密にされている。大きなクルーと鉢合わないように裏通りを行く。
約38のトライブが存在し、規模は6人くらいの集団から2~30人のメンバーまで幅広い。
それぞれの部族は独立しているが、アップタウン・インディアンとダウンタウン・
インディアンの2つの大きなグループに分けられる。」

トライブのほとんどは、ニューオリンズ在住で、多くはゲットーやギャングが
母体となっていた。
その伝統は、ひどい人種差別の法律から逃れた黒人がインディアンとして
自らを示したという、社会から追放されたアフリカ人とインディアンの
密接な関係に源を発している。」


だんだん注目を集めるようになり、差別からの緩和?のために、
踊りやコスチューム、音楽と合体したのだという。


※マルディグラ・インディアンの衣装に身を包んだビッグ・チーフ・モンク・ブードロー

おそらく、人種差別から端を発した踊りのようなのですが、
なぜか、ふっと、青森県のねぷた祭りの「カラス族」の話を思い出した。

・・・似てるかもしれない。

日本だとお祭りですよね。
差別による暴力行為があった昔、歌や踊りで緩和することを、
メッセージ性をもってジャズがあったと思う。
ソウルとはまた違う社会問題を提議されているような、そんな意味も含まれる
土地で生まれた音楽なんだと思ったわけです。

これ、日本の祭りに例えると、地元の人しか知らないだろうカラス族の存在にも
見ている方向が一緒なんではないかと思う。

「カラス族とはねぶた祭りで傍若無人な振る舞いをする者達である。
彼らはハネトの正式な衣装ではなく、黒装束などの衣装でねぶたに参加し
それがカラスのように見えると言うことで「カラス族」または単に「カラス」と
呼ばれるようになった。「カラスハネト」とも言われるが彼らの振るまいは祭りに
そぐわないもので、そもそも「ハネト」の名に値しないとして地元メディアでは
「カラス族」として表現されることが多い。徒歩暴走族の部類とされる。」


今はすたれてきたのかどうかわかりませんが、私はねぷた祭りを見に行ったことがないので、
よくわかりませんけど。
カラス族がいると聞いたことがあって、なぜか、マルディグラ・インディアン
と重なると思ったんです。

ねぷた祭りは音楽ではないけれど、差別的に長い間ずっと言われ続けていた
先住民のソウルが入っているんだと、そう感じるわけです。
別に美化してるわけでなくて、

何かが若者たちにそうさせてしまう歴史が、ねぷた祭りにあるからです。

それがマルディグラ・インディアンの起源に、何か通じるものを感じたのです。
表現は違えど、私はそう感じました。

どうやら、東北のエミシの歴史は、残酷なことが多々あったようです。
いまだに、ゲリラ戦があった場所は鎧や冑、遺骨なども見つかることがあるそうです。
時代は、鎌倉時代以降ではありますが、戦いばかりしていた土地なので、
東北の祭りは、祟られることを恐れる鎮魂の意味があります。
私はいまだに、七夕祭り以外、一度も東北の祭りをみたことがないのです。
たぶん、これからも見ないと思いますが、
祭りは、当然、美しく終わるものではない。
毎年、毎年、お伺いをたてながら今年も種をたやさずよう生きられるように。
という願いだと思います。
秩父なんていっぱいお祭りがありますけど、相当、大変な場所だったと思うのです。

ただね、エミシの魂みたいなものは、北東北に残っているのは当然ですけど、
その土地を鎮める必要があるお祭りだとしたら、
カラス族の表現というのは、「その土地から出てくる何か」であって、
それを単に反抗する若者な捉え方では、いつまでたっても「ねぷたの鎮魂」にはならないよね?

エミシを否定する東北の人たちにとっては、差別にも至らない。
アメリカの先住民は違いますね。
まず、肯定しているところが日本人と違うわけです。

アイヌ人について、日本の歴史は向き合うこともしないですね。
東北人は、大体エミシについて、無関心すぎます。
これだけ言われ続けて、お祭りもあるのに。
縄文人も、ほら穴に住んでいる未開な人だと思っている日本人が圧倒的に多い。
そんな認識でいる日本に、縄文を世界遺産になんぞできるわけがない。

インディアンや黒人は、その点、うらやましい。
たとえ部族間の争いや紛争、警察沙汰になったとしても、傍観者でいる日本人よりはまだいい。
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相変わらず、話がそれますけど、
ララランドは、とてもよい映画でした!
夢をもつのって、いいなあ。
カルフォルニアはいいね~。
アメリカもいいね~。
古き良きアメリカ、戻ってきてほしいねえ~。
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