秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

萬蔵稲荷神社の伝承

2017-04-26 | 東北地方の伝説(南東北)
小坂峠付近で馬方をしていた熊谷萬蔵は、ある夜、峠にさしかかった場所で
旅に疲れた一人の老人を自宅に招待しもてなした。
翌朝、老人は自身が稲荷神社の化身であると名乗り、礼として三頭の馬を萬蔵に贈った。
萬蔵は贈られた三頭の馬を資金に稲荷神社を建立。
自らも出羽三山で修行し、神仏の信奉生活と社会奉仕に生涯をささげ、
「大阿闇梨金剛院祐観」の院号を受け、後に即身仏となった。
彼が信仰し守りつづけた賀良明貴稲荷神社を、信者たちはいつしか萬蔵の名前を含めて、
「萬蔵稲荷様」と崇め称えるようになった。



鎮座年代は不詳であるが、奥州山中七ヶ宿街道(旧羽州街道)の此所の地名をとり
賀良明貴稲荷と称した。現社名は、熊谷家(現宮司家)
15代目羽黒派修験者大阿闍梨金剛院祐観こと熊谷萬蔵の名が付いたものである。
萬蔵は羽州街道の難所の一つの小坂峠を行通う人々を助け賀良明貴稲荷の
宮守として修験者として難行苦行を重ねた。
修験者としての修行と業績は出羽三山の認めるところとなり、
大阿闍梨金剛院祐観の院号を授与された。
熊谷家は鎌倉時代からの金剛院修験の家柄であり、萬蔵は15代目であった。
萬蔵は神仏の信奉生活と社会への奉仕に明け暮れ生涯を終えた
(維時弘化4年)1847年6月27日、81歳であった。
遺言により3年3ヶ月後に墓は開かれ、萬蔵は即神即仏(ミイラ)の姿となって
村人の前に再現され爾来、金剛院祐観の高徳を尊び慕う村人、
信者達は萬蔵の信仰し守りつづけた賀良明貴稲荷様をいつしか萬蔵を含め
萬蔵稲荷様と崇め称えるようになった。
明治時代に入り萬蔵稲荷神社と改称、村社と成り現在に至る。

※宮城県神社庁より



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いいね~まんぞうさん!
地図を改めてみると、国見町との峠にある神社。



国見町は、半田銀山の半田山がある。
半田山には源義経が通った道という伝承があり、その義経一行に驚いた
牛が沼に落ちてしまった為、半田沼には牛が主であるという伝承がある。
また、その牛と婚姻した機織姫伝承や水蜘蛛伝承など、
このあたり一帯が、金銀のルートがあり奥州藤原氏の黄金ルートだった
修験の道だったのです。そしてここは前から妄想してますが秦氏の道(養蚕を伝えた)です。
小手子姫伝承にも繋がっていく場所です。



伝承をよむと、出羽三山の即身仏を思いだしますね。
即身仏がここにもあったのですね。すごい。
だから不老不死を伝えた秦氏が関係するわけです。



休日に行ったのですが、さすがに有名な神社だけあって
行きも帰りも赤い鳥居で何人もの人とすれ違いました。

私はこの神社の存在を全く知らず。
ある時、Rさんからすごい山があるよ、と教えてもらい、調べてみると山深い場所にあると思ったので、
なかなか行けない所だと思いそのままにしてました。
でも、飛不動尊へ行ってみたら案外、近くに稲荷神社があるので行ってみたら、
難なく行けました。

お稲荷さんは、私はあまり参拝しないですね~。
なんとなく怖い感じがするのですが、そのようにしてしまった背景はなんでしょうね…。
でも、イナリはイナンナの響きと同じだから、私はイナンナだと思って参拝するとなぜか安心します。
キツネとは関係ないからです。
神道では血を穢れとしますが、逆にそれが聖水だという説もあり、
いつの間にか、女性の血が男性にとって恐怖に?なってしまったんでしょう。
出産の穢れとか月経ということの方が実は大事なことで、
神々に祈祷してきた女性は、あえてそういう日を選んで山に入っていたかもしれない。

さて、私はあまり稲荷神社について知らないので、
「稲荷大神:日本の神様」という本を読んでみました。

それによると、伏見稲荷神社が総本山らしいのですが、
山城国風土記に
「イナリと称する由縁は、秦氏の遠い祖先である伊呂具(いろぐ)の秦公は、
稲や粟などの穀物を積んで豊に富んでいた。
それで餅を使って的としたので、(矢を射る)餅は白い鳥化し、飛びかけて山の峰に
居り、稲が生えてついに社の名とした。」




稲と白鳥の伝来は産鉄がルーツで、修験の火渡りなどの儀式も、
火入れという鉄や刀を造る時の儀式をルーツとするもの。
刀(神宝)は「火と水」(言霊のカミ)からできているので、刀を冷やす時、水に火を入れるという儀式から、
オウゲツヒメの火の伝承と重なる部分です。
刀作りは、神話を元に作られた神宝なので、実際は、人を斬るものではないのです。

なので、白鳥伝承に産鉄族の氏族が関係するとはよく言われ、物部氏などがその代表ともいわれる。
なので、「もののふ」という集団から武士になったのは、刀(神宝)を象徴していたからです。
そのような神宝を作ってきた人ということでしょうか。
武士にとって刀は命そのもので、切腹というのは自身の持つ刀で終えることを言うので、
人から斬られるより自分から斬る方が無念ですけど、亡くなっても怨霊(念)として残らない。
武士は刀に異常なこだわりを示すものでした。
それは、肉体との結界という意味ですから、すさまじいものがありますが。
かなりシャーマンな意味がある日本独特の変な風習です。

宮城県にも三大稲荷の竹駒神社があります。
三条小鍛冶が刀を鋳造したときに、稲荷神が出現して手助けした話がありますが、
金蛇水神社のご神水で刀を造り、竹駒神社へ奉納した伝承がある。
刀を造る時に白鳥が舞う伝承もあることから、白鳥=刀となる。
また、出産とも関係しており、藁の縄をふって回し嫁の尻をたたくと子が授かるといった話もあります。





秦氏や賀茂家や鴨家もそうですが、鳥取部という鳥を扱う人たちのルーツが賀茂家といわれています。
ヤタガラスですね。
大伴氏は産鉄族というよりは、「お供していた」人たちなので、ちょっと違うかもしれない。
蔵王の白鳥信仰が伝わった場所に、萬蔵山があるのだと思いました。


上の方に、不思議なイワクラがありました。
ご神体のようです。

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稲荷は、鉄の「鋳成る」からきている説もある。
元は、稲荷ではなく、伊奈利と書いたそうだ。
お稲荷さんは、ウカノミタマを祀るのですが、言霊でいうと「生まれる」のウにあたる。

「ウ」のコトダマ
「「いのち」は神が宇宙を造りはじめたときから存在しているが、「いのち」が物質に
宿ったのは、もちろん海ができたときである。
海が生命の母と言われるのは、このためである。」


海のウは、「うなる」言霊で、生みだす言霊となる。
ミのマ行は、ママのように母の言霊。
海は母であるという言霊。
それは子宮の胎水と考えられた。
海が汚れると子宮が痛くなるといった話をよく聞きます。
震災時、原発の水素爆発があった事。
震災では私も1年後くらいに子宮がおかしい事がありましたが、
かなり多くの女性が、婦人科系に痛みや違和感を感じていたそうです。
実際、私も病院にいったのですが医師は、不思議がってました。
子宮に異変を訴える人が多いと言っていたのを今でも覚えてます。



ウカノミタマは、古事記では「宇迦之御魂神」と書き、宇宙の魂。
日本書紀では「倉稲魂命」となり、高床式倉庫に保管される稲の意味。

「ウカノミタマは、いわゆる稲荷神社の祭神である。ところが、一般人の中には、
稲荷の祭神はキツネだと思っている人も多いのだ。
どうしてそういうことになってしまったのか。
それはキツネの古名ケツとケツカミとの通音関係から生じた俗信仰だ。」

「倉庫に保管していた稲をネズミが食べてしまうのを、
キツネや狼が追い払ったことで神格化された。
江戸時代の関東に稲荷神社が多いのは、その追われたキツネを追いだし封じ込めた
祠が仏教のダキニ天と習合し、カネ儲けの神として信仰されるようになった。」
~オオゲツヒメのケ神に「気」があてられるのは、植物の葉が火(カ)の気をうけ、
大地に根をおろして水(ミ)を吸い取る。という炭酸同化作用をしているからである。」


「菅田正昭著:言霊の宇宙へ」から引用させて頂きましたが、やはり稲荷は狐ではない。
その本では、気は木であり、ケと同じ神であると。
ケ神が「高木神」だったという見解には納得。
高木神は、タカミムスビの神の別名になっており、カ行に植物的成長の現象と
生命力の発展がみられるのは、カ行のオトダマにムスビ(産霊)のチカラが働いている
からなのである。


稲荷神社があまりよくないキツネ憑きなどと言われるようになったのは、
女性の参拝の仕方に問題があると思ってます。
本来の稲荷神の由縁を知らないからです。
女性のための神様なのに、女性たちがそれを理解していないから、
キツネとなって化けてしまう。
だから、私もお稲荷さんから遠ざかってしまった。
萬蔵稲荷神社は、いろんな気付きを与えてくれたので、お稲荷さんと少し近づけた感じがします。
ムスビの神であり、高木神であったことに繋がるとわかって、ホッとしました。

やはり「木」が「気」だけあって、なるほどね~と思ったものです。
よく山へ行くと、気になる木はいつもあります。
つい目がいってしまう人がいるように、つい目がいってしまう木がある。
神社のご神木ではなくて。



やはり、ここは神社よりも山(萬蔵楽山)がすごいんでしょうね。
途中、気になる木があって写真を撮ったのですが、カメラには一筋の光の柱が立っている。
写真には映らないのですが、紫色の光が映ることはあってもなかなか光の柱は映りません。
山そのものの「気」がすごいな、という感じを受けました。


※ちょっと歪んでいるアカマツが気になった。

その山の気を発しているのは、木であって一本の木がたくさん森(モリ)となって盛りになる。
飯盛山という山名が各地にありますが、気が盛られている山という意味でもあり。
なるほど。そういう山は実家では武甲山にあたるのですが、崩しているけどね・・・。
そうなるとその土地はどんどんエネルギーが吸い取られるから、昔から事故にあったり伝染病をだしたり、
何かとよくない土地になってしまう。
昔の人はそういうことをよく知っていたから、修験者はそのような山を守っていたわけです。
山からの気を受けて生活しているのだから、その山を崩したらもうその気は受けられない。

仙台が守られているのは、太白山の気が強いからだと感じてます。
あの山は崩されることなく鎮座してますね。
小さい山ですけど、かなり気が強い盛りだな、と思います。
聖山を守ることは、その土地の暮らしを平穏にする意図があったのですね。

また、稲荷は、「稲成り生ふ」といい、「生子」といわれた。
峰に飛んだ白鳥がウナリ(うなり)ながら、子を産んだことから由来する。
うなり→いなりに転じた。
これは出産のことを伝えているのですが、山頂で子供を産んでいたということになる?

海で生むのは、ウカノミタマのワニ(爬虫類)。
山と海で産まれたものは、ウナる渦のごとくその気から物質化され命が誕生したことを伝えている。
神話のイザナギとイザナミが柱を軸に回転することを伝えている。
まさに、遺伝子ですね。
私たちの体に刻まれているDNAが、いろんなモノを生み出している。
知らないところでDNAが目に見えない形で、渦巻きになって宇宙に飛んでいるわけです。
それがきっと、エーテル体に刻まれて新しい命を宿しているかもしれない。
私には子供がいませんが、知らないところで、何かを生み出しているのかもしれない。
そんなことを想うと、人間はすごいのだな、と素直に感動。

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七ヶ宿の方へ戻る道途中に、「ヒダリマキガヤ」という天然記念物の樹がありました。
滋賀県、兵庫県に自生する珍しい樹だそうです。







このあたりも風情のある家があるのですが、人が住んでいないようで残念。
この道を「林道熊鷹線」といったんです。その道標がありました。
熊鷹社が伏見稲荷神社にあり、御祭神が熊鷹大神で、熊鷹(クマタカ)と言う鳥類の「鷹」が神様なんだそう。





あ~、鷹といえば大高山神社がありました。(大河原町)
そして蔵王の白鳥があり、白鳥と鷹の融合の話をしてました。
たぶん南方と北方文化の融合とみてますが、
白鳥飛来の地が、砂鉄と関係していることも指摘されていることから、
鷹の鉄族と白鳥の鉄族という、異なる産鉄族の融合という話。
アラハバキと物部みたいな。

山形県に白鷹山という山がありますが、惹かれる山です。
藤原氏が(熊鷹大神)羽白熊鷹を信仰させるために、
稲荷神社と融合したという説があります。
もうこのへん、妄想するにユダヤっぽいんですね~。
だから秦氏なんでしょうね。
でも秦氏は日本人かもしれないよね。
純粋な日本人が日本列島に戻ってきた人も渡来人としてますが、帰化人といいます。
帰化した人が多くいたのですが、朝鮮半島では追いやられて(敗れて)日本に戻ってきただけで、
先祖のルーツは、結局、日本人です。

ということで、興味がある方は、まんぞうさん、おすすめです。
(特に女性にはよいのかも)
私はこの参拝から体調が良くなりましたよ。
肩コリ腰痛にはよいかも(単なる運動不足・・・)

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災難除けに飛不動尊

2017-04-24 | 東北地方の伝説(南東北)
北朝鮮のXデーとか言ってますが、アメリカは戦争をしたがっているのだな、と思うと、
「アンダーグラウンド」という映画を思いだします。
1995年の映画ですが、今だに印象に残っている深い映画です。
最後のシーンとかすごくて。カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞してます。
ユーゴスラビアの内戦映画ですが、けっこうショックでした。

戦争が終わっても、地下で武器を作らせ続けた話となっていて。(簡単にいうと)
ナチスの占領下にあった話で、この時代の詳しい情勢や異なる民族の紛争なので、
実態としてどんなものかわからないにしても、西洋の戦争の歴史は、ずっと繰り返されている。

弟は地上で君臨する夢を掲げ、世界が変わっていく様をみながら自分の思想に酔いしれる。
でも兄は、まだ戦争が続いていると思っているから、家族や友人、知人たちと
一致団結しながら地下で武器を作り続けている。
十数年もの長い間、そのような生活をしている時、ひょんなことから地上へあがった
人が戦争がとうに終わっていることを知る。
そうなると兄は弟に復讐します。(だまされたことに対して)
戦争は、復讐することを覚えるだけです。
戦争で気づくことや覚醒など、あり得ない。

この映画で例えるならば、地下にいる兄は北朝鮮。
地上にいる弟はアメリカ。
地下でだまされながら武器を作っている国はたくさんあるんでしょうね。
地上で君臨するのは、世界の経済を牛耳っている輩であり。
日本はいいカモだと思われている・・・。

戦争は民族の分断です。
考えてみれば、北緯38度線に朝鮮半島を分けたのは、アメリカとロシアですね。
民族を分断している発端は北朝鮮ではない。
その北緯38度線上にある仙台という地に生活している私ですが。
それがナニか?

ま、こんなこと言っても、世の中が地底国のコントロールにあるのだから?
世の中はアングラな世界になっているんだということを実感してしまう。
アガルタとか言われている黄泉国も、武器を作っているかもしれないよ…。

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さて、そんなミサイルが飛んできそうな空気の中で、
飛不動明王が忽然といなくなったらどうする?
あーさすが、避難してますね!ということで・・・。
場所は七ヶ宿にありまして、興味深い伝説がありました。



飛不動堂について
「不動堂は伊達政宗が1591年に創建したものと伝えている。
もとは虎岩下の道の脇(113号)に建っていたといわれ、1594年4月、
不動堂が焼失した。
この火災の際、御本尊が自ら飛びだし、堂後の岩窟に入って災厄を避けたといわれ、
それ以後、飛不動尊と敬まわれるようになった。
さらに、1731年9月7日の大地震の際も、堂の一部は巨岩に押しつぶされたが、
本尊および僧侶たちは怪我もせず無事だったことから、一層霊験あらたかな不動尊として
村人や旅人の尊崇を受けるようになった。
不動堂は地震後、現在の地に再建され、七ヶ宿街道もこの堂の前を
通るようになった。」




しかし、この場所を知るのに2カ月近くかかりました。
きっかけは、宮城県の観光パンフレットのはしっこに載っていた写真。
大きな剣がある寺社になぜか私はくぎづけ。
寺社名が何もなく写真だけ貼ってあったのですが、
たまたま余白があったから載せたっぽい写真なんです。
なのでずっとこの寺社がどこにあるのか全くわかりませんでした。

ある時、そろそろ山登りの季節だな~と宮城県の山をネットで調べていたら、
七ヶ宿の寒風山がヒット。
ずっと前から知っている山ではありましたが、あまり伝承もなく
ピンとこなかったので登りたいとは思わず。

でも、深く調べてみたら面白い伝承がある山かもしれないと、
寒風山を調べていたら、あの写真があったんです!
大きな剣がささっている寺社。
あー。やっぱり修験ぽ。
それでやっとこさ「飛不動尊」という名前と場所が判明したのです。
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ここにも斗蔵寺にいった時のように鐘があったので、
鐘をついてきました。
ゴーーーーンという良い響きが平和な音になりますね。
ありがたい。


※鶏供養碑がありました。

飛不動明王由来の看板がありましたが細かくて長い文章・・・。
ざっくりと。
伊達政宗は、置賜郡(山形県西川町小松)の光山大光院より
材木岩対岸の御霊地に創建され天下泰平、藩内安全を祈願されたそうです。




※材木岩

不動堂の火災は原因不明でしたが後方の30丈余りの高さの虎岩に
飛来したということ。


※虎岩公園



どの岩かわからないのですが、不動尊近くに虎岩公園があります。
展望台があるのですが、散策できる道があり少し登っていくと、
七ヶ宿ダムがよくみえます。
ここが寒風山の登山口になっていた。







山形~伊達藩の街道となっていることもあり、またこの道を進むと、
国見町にもでます。その途中に、有名な稲荷神社があり、
この後寄ってみたのですが、やはり奥州平泉の黄金ルートだな、という感じはしました。
もうひとつの裏ルートのような。
一般的な道ではなく、あまり知られていない修験の道だったようです。



夫婦杉もあって圧巻。
1731年大地震の時、御堂裏の杉の大木が御本尊の
御佛尊を身をもって守ったと伝えられているそうで、
その木は、旧山中七ヶ宿街道の江志峠に建立したそうです。



その話を聞いた部落の若者が、結婚式をあげた新郎新婦に杉の苗を一本づつ
家内安全と災難消除ためにと植えたと伝わる。
その夫婦杉は根本が一体となって伸びているそうです。



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材木岩によってみたら、ちょうど鯉のぼりの準備をしているところでした。
これまた縁起のよいこと~。





材木岩のあたりも巨石や奇岩、石碑などがあり、おそらくここも修験者がいたのだろう、
と思います。
不動尊を守るために必死だった修験者がいたのでしょうね。





何かを必死に守るって大事なこと。
なんだか、お不動さんが私たちを守っているのではなく、
お不動さんは地元の人からずっと守られてきたんだな、と思うのです。
愛されているお不動さんだな~と。



また、目立って大きな木と岩が仲良く。
たぶん、ここから登っていくと裏手の虎岩につきそうですが、道がないので登れそうにありません。





材木岩氷室は、蚕を貯蔵していました。
自然の風穴を使って冷蔵していたものです。
1年中冷風が吹き出す場所があるとの事。
福島県伊達郡から入手したお蚕なので、国見町~ここまでの街道には、
金だけではなく養蚕も運んできていたんですね。





きっと、私は寒風山のことを知っていても興味がなかったので、
登るきっかけとして飛不動尊が導いてくれたんだと思っています。
寒風山に登りたくなってきたのだから不思議です。


動物の足みたいな木がすごくて。ついつい撫でてしまう。

とりあえず、お山は後にして。
次は、あまり知られていない神社へ。
パワースポットとは聞きますが、どうなんでしょ~ね?




もうすぐ開きそうなイチリンソウ

続く。
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福島の桃源郷

2017-04-21 | 日記・エッセイ・コラム
こちらも3年ぶりの花見山。
大荒れの前日に行ってきたので、満開の桜が見られてラッキーでした。
この時期になると、花見山はどんな感じかな?と毎年思う。
そのくらい私はこの里の風景が好きです。





写真家故秋山庄太郎氏が、「福島に桃源郷あり」と毎年訪れたことで花見山が
注目されるようになった。



再度、花見山の説明。

花見山公園のある福島県福島市の渡利地区も養蚕が盛んな地域。
その地域で阿部一郎さんの先代は養蚕を営んでいたそうです。
昭和初期になると養蚕景気も過ぎ去り徐々に衰退していきました。
そんな時代背景のもと阿部一郎さんの先代が、山に生えている花木を売り出したところ、
生け花などでニーズがあることがわかり、
雑木林だった現在の花見山を開墾して花木を植え始めたそうです。



個人所有の山で、二代目、三代目と引き継がれ、
たくさんの人が「桃源郷」と言うくらいとてものどかな里風景がみられます。



さて、今回は私の父が花見山をまだ一度も見た事がないというので、
両親を連れて花見山へ行ってきました。
父も花が大好きなので、一度は見せたかった花見山。
実家の山里にも似ているので、やっぱり父も感動してました。



いつものように混雑する花見山ですが、入園料などをとらないのはいいよね。
その分、いろんなお店や土産物店が軒を連ねて大賑わいとなりますが、
大型観光バスのほとんどが関東地方ということで、ここはとても人気のスポットです。

この日が桜もぎりぎり満開の日で一番良い日だったかもしれない。
もう桜の花もだいぶ散ってしまいました。



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桃源郷とは言うけれど、あんまりピンとこない。
どういう世界だろう?と思いちょっと調べてみました。
日本で桃源郷という言葉を使っているのは、福島の花見山と、
山梨県笛吹市の桃の王国といわれる桃畑だそうです。



共通するのは、桃や桜などの花々が広がり、遠くに雪山が見える風景です。
福島県は他にも、桑折地区の桃畑も桃源郷ですね。

桃源郷は、他界、仙境、ユートピアなどとは正反対のもので、
武陵桃源から由来するという。
桃源郷とは、理想社会の実現をあきらめる現実逃避の意味があり、
中国で混乱期の中、人々の苦悩や悲劇な現実から逃避するために
「遊仙詩」が現れたと。



武陵桃源について
中国捜神後記より、(この書はオシラサマのルーツになった馬の話のある書)

晋の太元年間、武陵に住む男が魚をとりながら谷川を舟でさかのぼると、
谷川は桃の花の咲く山で終わりとなった。
山には小さな穴があり、狭い穴の中をしばらく進むと突然視界が開け、
広い田畑があり立派な家がたちならび、犬や鶏の鳴き声がのどかに聞こえた。
往来する男女の服装も武陵の人々とは全く違い、みな、満ち足り、
楽しげな様子であった。



人々は漁夫を見て驚き、家に招いて酒食をもてなした。
彼らの先祖は秦の乱世をさけてこの地にやってきて隠れ住んだと語り、
彼らは漢の時代も魏や晋の世のことも、まったく知らなかった。
数日の滞在後、漁夫は村の人びとに別れを告げて舟で川を下り、
郡役所に出頭して太寺に隠れ里のことを報告した。
その後、漁夫は太守の命令を受けて再び谷川をあげた。
二度と桃源郷の隠れ里に行き着くことができなかった。




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桃は、西王母伝説の不老不死があり、仙桃から由来する。
ちなみに、桃にいたのは鬼。
そんな桃源郷は、まさに現実逃避をしたくなるような風景。

それに対し、Wikipediaによるとユートピアは、人工的でルールがあり合理的社会をさす。
幾何学的城塞都市があり、質素で一日の生活も厳密に決められる。
たぶん、幾何学的な建物というのは五芒星や六芒星となる象形だったり、
そんな意図のある建築を施し、隔離したような社会を作ることを、
ユートピアというわけです。



ギリシャ神話でいうと、エチオピア、
ケルト神話でいうとアバロン、
アガルタ伝説では、大洪水で地底に逃れた人々
アトランティスやエデンの園、マルコポーロのジパング、ニライカナイなどなど。





そういえば、アガルタで思いだしたのですが、
ヒマラヤが入口という話。
で、2年前のネパール大地震で何かが開いたと感じたことを思い出す。
それが4月25日に起こった出来事だった。
ネパール地震から2年がもうすぐたつ。

「レムリアの真実」という本を持っているのですが、
アガルタネットワークがあり5次元、6次元世界があると。
4次元=過去=未来という流れ。
私が思うに古代のテクノロジー(縄文なども含め)は現代と全く異なる世界があり、
それに今、私たちは向かおうとしているのだな、と思います。
過去へ行こうとしているのだから、それは未来に行くのと同じということです。
時間軸はそのように縦にも横にも流れ、クロスした十字はそういう意味なのだな、と。



「レムリアの真実」は、シャスタ山になっていますが、レムリアとアトランティスとだけ
記されており、ム―という記載が一切ない。
なのでムー=レムリア?なのかどうか。
そのへんよくわからない。





そのレムリアの地底人たちは、アセンションをとげた意識の状態を
地下都市につくり、4つの都市があると。
その中に、ヒマラヤのマラ寺に入口があり、そこを守っているという。
ヒンドウーの世界なのですが、もし、そこが本当に入口だとしたら、
ネパール大地震で何かが開いたと感じたのは、アガルタネットワークとかいう
何かも開いたんだろうと都合よく考える・・・。





地球の磁場がどうなっているのかわかりませんが、太陽が要因だろうと思いますが…。
砂漠地帯のところに十数年ぶりに大雨が降ったりするのも、
エルニーニョ現象が各地に災害をもたらしても、花々が咲き乱れる光景は、
まさに一時の桃源郷。
チリでは今までにない大雨で、ずっと眠っていた200種類以上の植物の花が開いたそうだ。


チリの首都サンティアゴの北、約750キロに位置するアタカマ地域で、
一面に咲き誇るゼニアオイの花。(2015年)
(PHOTOGRAPH BY MARIO RUIZ, EPA)

古代エジプトも昔はオアシスだったわけで。
その反面、人工的に削られて枯渇しながら自然が奪われる場所もたくさんある。
日本は特に・・・。
貴重な森の資源を堪能すべし。
花を愛でる世界もまた堪能すべく、福島の桃源郷が永遠であってほしい。


(福島駅)
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一目ぼれした一目千本桜

2017-04-17 | 日記・エッセイ・コラム
3年ぶりの一目千本桜へ。
昨年は、名取市役所で花見をしてきたのですが、
今年は、また大河原へ行きたいね~となってまたいってきました。
あいかわらず、すごく混んでます。土日ですからね。。。
また暑い日が続いて夏日のような暑さ。





さて、これだけの桜をだれが植えたのか、というのは3年前にも書いてます。
また同じ内容をのせてしまいますが、さくっと復習~。



荒川堤防の桜(1885年)からヒントを得たという大河原出身の高山開治郎という人。
15歳で上京し、飛鳥山や荒川の桜をよく見ていたそうだ。
荒川と白石川が重なり、いつか白石川に桜を植えたい!と。





江戸時代から有名だった荒川堤は、高木孫右衛門という人が、いろんな種類の桜を保存していました。
戦争前は、いろんな種類の桜が荒川沿いに植えられていましたが、
第二次世界大戦で薪が必要となりほとんどの桜が伐採されたそうです。
今はその面影は残されていませんが、少しづつ修復されているようです。





そんなことがあった荒川堤で、白石川の改修工事が完成する知らせを聞き、
1923年(大正12年)700本の桜の苗木を白石へ送ったそうだ。
東京から2人の職人を連れ、地元の職人と一緒に船岡から白石川沿いに植樹したそうです。



それが現在、ここまで育っているのですね。
歴史がある花の名所は、長い間、愛情をもって注いできた地元の歴史があります。
観光目的で作られた公園などは、残念ながら深みがありませんよね。
遊ぶだけならいいのですが、入園料を払ってまで行くことがあるのだろうか?
という花の名所が目に着く。。。
それだったら自分の庭やベランダガーデンをしている方がずっと楽しいものですが。



でも、花見は家の近くとか、一本桜とか。
そういうあまり人が目につかないような場所や、
車で通った時に、ああきれいだな~という桜の方がいいですね。
一目千本桜は、見ごたえがあるうえに、白石川と蔵王連峰があるからいんですね。
こういう風景はなかなかありません。

もう大きなカメラをかかている人がたくさん!
撮り鉄というの?



いつも通勤で使っている東北本線なのに、新しくできた歩道橋でカメラオタが電車を来るのを
待っているわけです。
この場所が、ちょうどいんでしょうね。
線路しか映ってないけど、なんだかわからずその横で、私も真似して撮ってみる。ワラ



後で写真をみてみると、楽しいもので。
東北はこれからがもっと良い季節になります。
新緑の東北地方は、素晴らしい!
特に仙台は美しいです。





※「このソメイヨシノは、柴田町の町制施行60周年の記念の年に、
ソメイヨシノ発祥の地である東京都豊島区より苗木を寄贈されたものです。
ソメイヨシノは、江戸末期から明治かけて染井村の植木職人が
エドヒガンザクラとオオシマザクラの品種を改良して作ったといわれ、
染井の地名を冠する桜として全国に広がったとされております。」

ということで豊島区民はどうぞ遊びにきて下さい。
秩父人からしたら、雄大な自然の中で人が育ててきた花々を愛でる機会など、ほとんどなかったのです。
関東地方だってここまで東北の雄大な自然はみられることはないわけで。
求めても、西や南の方へ行きますね。
伊豆とか熱海とか、海がきれいだし暖かいのは良いけどね。



関東の人が観光する場所としてあげる中に東北地方はほとんどあがらない。
関東人は、フジヤマが見える方へ行ってしまうのだ。
理由は遠いし何があるかわからない。といったこと。
観光する場所がよくわからないという事です。

牛タン食べるくらいのイメージしかないわけです。宮城県では。
だから、東北が遠くになってしまう。
身近に感じられないわけです。

時間とお金がかかる、交通が不便といったところもある。
だから身近に東北がないってことです。
関東のCMやテレビをみていると、東北地方をとりあげている番組やCMは、まずないね。
山形は多いらしいが。

しかしなぜか、外国人に一番人気は東北地方では秋田県です。
角館が人気だそうです。城下町が好きなんだよね。
岩手の盛岡市内の宿泊で外国人が多いのも、秋田に近いからです。

ま、一度は見てみたい東北地方の桜や花の名所はたーくさんありますけど、
身近な場所で、これだけの景色を見られるのは幸せです。
高山開治郎氏も大喜び?!
幸せな時間がここにはありました。


桜も歌を聴いている。

そういえば、荒川も白石川も、桜を植えた人の名前に「高」がつきますね。
高山氏の先祖はわかりませんが、飛騨高山の方なのかどうか。
家紋は、九曜か六曜や十字架で、キリシタン大名で有名な高山右近もいますね。

大河原の方には大高山神社があり白鳥伝承が多い場所。
「高」タカという言葉に何かを感じつつ、美しいものを見せて頂くこともでき、
またこれだけのスケールの大きいものを残せる地元の人たちの意識の高さはいいな、と思います。
荒川は残せなったわけですから。
戦争で・・・。

変な世の中になっているからこそ、「美しいものだけをみていく」
もうそれに徹底して生きていこうとつくづく思う。
前からそうなるよう努力はしてきたけど、足りなかったようだ。
これからは、全身全霊で美しいことや楽しい話だけをひろうことにしよう。
当たり前だけど、その方が幸せだし。
悪いニュースや事件を考察する以前に、その現象が起きる前は、美しいことがあったはず。
そこをひろっていきたい。

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帰りに今熊野神社のしだれ桜?みたいと思って寄りました。
私は桜をみて帰るつもりだったのですが、旦那がどんどん階段を昇って神社に行ってしまうので、
後を追っていったら、ラッキーなことにお祭りでした。





笛の音が聞こえてお神楽をやっていて。
わあ、始めて!!





今まで一度も、この時期に立ちよったことがなく、
それに神社のお祭り(今が一番多いですね)にでくわすことは一度もなかったのに。



今年はいろいろとタイミングよく回ってます。
ありがたい~♪



次はまたもや、一目惚れしたあの山へ。
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丸森町に星宮神社があった!

2017-04-16 | 東北地方の伝説(南東北)
桜満開の今日この頃ですが、
先週の話です。
この時期は、まだ桜が満開ではなかったのですが、
仙台より南はもう満開に近いほどの桜を見ることができました。

ということで、またまた丸森町へ。
今回は、RさんとNさんと3人で丸森探訪~。(太白山以来)
立石へ行く前に、角田のお斗蔵さんへ行ってきました。
私はこのお寺の千手観音が好きなんですが、白山神社を祀っている
斗蔵神社にもなぜか惹かれます。
初めて参拝した時、感動してしまい、なぜ感動したのかいまだにわかりませんけど。
それ以来、何度か足を運んでしまうのです。
帰り際に、管理されている方からちょっと話を伺うことができました。


カタクリ


ニリンソウ

まとめますと、
斗蔵山の「斗」は、北斗七星からとっているそうです。
妙見神で、斗蔵さんという方が相馬からやってきたと。
やっぱりそうなんだね。
だから妙見にひかれてしまうのか~。


エンレイソウ




伝説では、
斗蔵山の山頂にある斗蔵寺観音堂は、大同2年(807)に坂上田村麻呂が建立し
千手観音を安置したと言い伝えられており、同年、弘法大師がこの地を訪れた際に、
「紫雲天になびき 奥州無二の霊地なり」と賛美したと言われております。 


この山はウラジロガシの北限で、光があたる場所があり暖かいからなのかその箇所しか育たないとか。
どの木かわからなかったけど・・・。
丸森町には天狗の相撲取りの話が多いのですが、斗蔵山にも言い伝えがあるそうです。
天狗道があるのですが、その先の山へ向かう途中に少し広くなっている場所があり、
そこには木々が映えないそうですが、それは天狗が相撲を取るからだと言われます。

天狗の道はすぐ横の石段の隣にありますが、雰囲気はよかったです。





伊達政宗だったと思うのですが、当時は、むやみに木を伐採することは禁止されていたので、
船が作られないことがあったそうです。
昔は、斗蔵山の木を伐採し船にして海まで担いでいたそうですが、
それができなくなった為、せめても夢の中で叶えたいと願った歌が、
「えんころ節」だそうです。



お寺の鐘の周りに世界中の国旗がありました。平和の鐘だそう。
世界がどんどんおかしくなっているので、平和祈願のために鐘をならしました。
※北朝鮮のミサイルが失敗したね。(今日のニュース)
ほんとに核ミサイルとか、くだらねーと思うのだよ。
日本も原発を大量にかかえているからどっちもどっちなんだよ。



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さて、お斗蔵さんの後は、立石へ。
すっごく風が強かったのですが、2回目の立石は、また違った感覚があって
やっぱりこの巨石は何かありますね。



光彩もきれいにとれていて、立石に寄りかかっていると、大きなお母さんの
背中に寄りかかっているみたいで、とってもほっとするんですね。



雲が目ん玉みたい。
見返り美人・・・とは言えないにしても、人の顔にしか見えない立石。
うつむくモアイ・・・。
この岩は何かを宿してますねえ。



だからか?帰ってきてから不思議な夢をみました。
これは何かのメッセージだと思い、今、謎解き中なので、何かわかったらお伝えします。
先祖のルーツ探訪のひとつに丸森町があるんですけど、関東の武将(おそらく下野国)
が絡んでいるのだな、と思います。

なので、丸森町に「星の宮」という森が登場するんですね~。
これは、Rさんが見つけてくれました。
どこか行きたいところある?って前日に聞いたら、「丸森 北斗」で検索したら
ヒットしたのが星宮神社でした。



ええー。あの星宮ですかー。
カカセオの。。。
まさか、宮城県にあるとは!
この神社は、栃木県に多い星の神社です。
ルーツは茨城県になるようですが、謎の神様です。



この森が巨石を集めているサイトにしかのっていないので場所の詳細がわからない。
地元の人に聞かないとわからないような石碑なんです。
見つけられなかったらいいや、と思っていたのですが、
丸森町の観光所へ寄ったらマップがありました!
ちゃんと星の宮とあり、「目の神様」とある。



な~る。
どうも太平神社と縁のある神様ではないのかな。
詳しいことがわからないので妄想ですけど、大衡というのも宮城県北部にありますね。



もういちど、星宮神社について。
この神様も妙見様です。
目の神様というのは、天目一箇命だと思います。
栃木市平井町にある大平山神社は、ニニギノミコト、アマテラス、トヨウケヒメノオカミを祀ってます。
丸森町でよく見かける石碑は、足尾神社の石碑です。
栃木県は足尾銅山が有名ですが、このあたりの修験といったら古峯山があります。
大天狗の神社ですが、天狗の相撲取りといった話も修験がもたらしたものです。
それが天狗なんですね。
丸森町は天狗の聖地だから、「羽」の地名が多いんです。
これは埼玉県にも羽生がありますが、丹生(にゅう)という赤土の鉱石に関係します。

丹生から羽入となったのかもしれない。
もしかしたら「はにゅう」といったのを、「羽入」としたのかもしれない。
タタラ製鉄の用語よりは、修験の用語に変えたということでしょうか?
それに巨石が多い場所といえば、巨人の一つ目です。



太平神社の奥の院が、「まひとつ」とよばれる片目の神様です。
日本神話にでてくる鍛冶の神のことを天津麻羅ともいいます。
鍛冶に必要な槌を男根にみたてマラを神名とする説もあり。



3年前の記事「古代鍛冶部の栃木県」から復習。
三重県に多度神社があり、ここの神様も天目一箇神と同じとされますが、
片目がつぶれた龍神であるとされる。
この龍神は、風の神といわれ気や風といった目に見えない流れを司る神として
海難防止と雨乞いが盛んに行われたところだそう。

太平山神社境内の数ある神社の中で、重要な位置を示しているのが星宮神社です。
お寺のような社で神仏習合時の頃でかなり古いと思います。(現在は修復しています)
太平山神社境内にある星宮神社は、香香背男神と磐裂根裂神。
なので、星宮神社は、天之香香背男神(あめのかがせおのかみ)のことでもある。
(香を加の漢字で書く場合もあり)


太平山の星宮神社

星宮神社は天海水木土火金地と、すべての万物を司る神だという。
これは宇宙の中心を司る天御中主命と似てる。
それが妙見信仰と合体したような。
大星大神は星の神で香香背男(加賀男神)は高天原で時々怪しい光を発し諸神を惑わした
悪神であるといわれています。
この悪神を経津主神(フツヌシ)と武甕槌(タケミカズチ)が天神の命を受けて
成敗(殺害)された神であり、その後、葦原中国を平定したと伝わっています。

星は夜にしか見えないので、闇の神ということで、月神と同一とされることもあるのですが、
日月星信仰が原点にあるので、宇宙の万物(創世)の神のひとつが星宮神社と考えられる
ようです。宇都宮も宮なんですよね。宮城も宮。
だから宮という地名は、よほどの意味があると思います。

埼玉の飯能にも星宮神社がありますが、星が落ちてきた伝承があります。
1184年創建といわれ、「丸き光物天下り人々あやしみぬ。」
そんな事が3回もあったので、星宮神社を祀ったそうです。
宇宙船地球号ってことで。



秩父妙見宮の由来について
「国司のもふしあげにより大星大神ならびに香香背男命を真名井の原に勧請し、祝祀給ふ」
(真名井は、中央政権があった場所と思われる。)秩父大宮妙見宮縁起より。

欽名天皇の時代に大星大神と香香背男命を祀った妙見宮を、天武天皇の時代になって、
大貴己命とあわせて秩父神社とは「別に」中野原(現在の宮地)に祀ったと考えられます。
星神=封じたという説はとても多いんですが、
征伐される前は星神がいたと。それを別の神に変えると祟られるので、別の場所へ移動。
その地には、新しい神を置いたといった話。
秩父は、諏訪の思兼命が信仰していた星神を、後から妙見の天之御中主神を置いたのでは?

製鉄の技術を使って神を祀るというのは、他にもあったようです。
天目一箇神の系統に、忌部氏(斎部氏)の氏族がいました。
古代、祭祀を行った氏族なのですが忌はケガレを意味し、祭具を作っていたようです。
Wikipediaによると、天岩戸神話に現れる天太玉命を祖とするのですが、
中臣氏と共に古くから祭祀を行っていた。
しかし、勢力を増す中臣氏に押され、固有であった職に就けなくなってきた為、
斎部と改めたが変わらず、中臣氏が栄えるようになりました。
天太玉命は思兼命が天の岩戸で使った占いのこと。

また、巨人の片目といったら、盤古です。
盤古という巨人説については世界中に伝わっています。

盤古王が吹いた息から、風と雲、声は雷、左目は太陽に、
右目は月となり手足と体は大地の四極と五方の山、血は川に、筋は道に。

京都の絵巻物に、盤古王と五帝竜王と牛頭天王の絵があるそうです。

盤古(ばんこ)は中国神話の神で、宇宙開闢の創世神とされる。
道教に組み込まれて以後は、盤古真人・元始天王・元始天尊とも称され、
古代中国における世界起源神話の一つ。

ということで、丸森の星宮は陸奥開拓の頃に、下野国からやってきた
上毛野氏などの朝廷から命令された氏族たちが、このままこの地に住み着いたもので、
その信仰が受け継がれていたのでしょう。


星宮の森

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光の物体で思いだしたのですが、青森県に隕石?が落ちたニュースがありました。
隕石かどうかわかりませんが、麦畑に大きな穴がみつかったそうです。
でもそれらしい岩は見つかってません。

謎の穴
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/30/tsugaru_n_15703984.html

空中でボンっと何かが破裂して消えた感じだよね・・・・。


場所の説明ができないのですが、このあたりです。
駅から近いです。

☆丸森町にあるカフェペルシッカが良かったです。
のほほ~んカフェできます。


https://tabelog.com/miyagi/A0402/A040202/4017238/
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そろそろ終わりを告げるクリスマスローズの伝説

2017-04-13 | 神話・伝説
今日は仙台で桜の開花宣言がありました。
桜は一気に花開きますね。

ですが、先週8日の話です。
まだ桜は3分咲きくらいでつぼみが多い時期に、
いつ行ったか思い出せないくらい久しぶりの「国営みちのく杜の湖畔公園」に行ってきました。



4月8日~5月7日まで花のフェスティバルが始まっていまして。
今週は花見で大賑わいでしょう。



旦那が近いし行ってみよう、と言うのですが・・・。
まだパンジーと梅が満開くらいでね?
チューリップとか桜だってまだだし。
早くね?と思いつつ、すごく久しぶりだったので公園もいろいろ変わっているのかな、
と思い行ってみました。




(サンシュユ)

毎年、旦那は梅と桜の違いを聞いてくる。
毎年聞くので覚える気がないのだな。
梅をみても桜だという。



私は「梅は桜より早く咲く」という答えのない答えを投げる。
「じゃ、桜より早く咲くのは、みんな梅か?」と素直じゃない返し方。
なんなら、菅原道真の話でもしたろか?
菅原道真が朝鮮から梅をもってきた話でも延々したろか?





梅は国産じゃない?から、大体スルーされる。
それより早く桜が咲かないかな、と思う人たちが圧倒的に多いから、
梅は梅でいんですけど、お節句にしか登場しない。
私は梅が咲いていたら、必ず梅の香りをかぎます。
しつこく嗅ぐからハタからみたら、やばい人になっているんだろう。
香りの強い梅は、ドーパミン放出する。(知らん)
そんな話はどうでもいい。。。



案の定、公園はパンジーの世界。
まだ梅が満開。
水仙も満開。





これはこれできれい~♪ですけど、もっと美しい花を愛でることができた。
そうだった、冬といえば、クリスマスローズではないか!!





この美しくも控えめな花たちを忘れていた。
ベランダのクリスマスローズは2年草?だったか、葉だけで花は咲かず。
実もならなければ、咲くこともない冬を越した。
結局、パンジーだけが陣取る冬の花々。



公園はきれいになっていて、さすが入園料とるだけあるなぁ。
という厳しい見方になってしまいますけど、
ここまでいろんな種類のクリスマスローズを見るのは初めてでした。



一眼レフのカメラを持っている人の横で、私も撮ってみました。
普通のデジカメでもこんなに綺麗にとれるんですよ~♪



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クリスマスローズの由来は、
クリスマスのころに開花するヘレボルス・ニゲル (Helleborus niger) だけを
指した呼称だそうです。
日本でもとっても人気なクリスマスローズですが、たくさんの種類があります。



ニゲルの白い花について
「キリストが誕生したときにマデロンという貧しい少女がお祝いに、
聖母マリアのもとに駆け付けたが、キリストの誕生を祝う贈物が無く
嘆き悲しんでいるときに、少女の流した涙が落ちた土の中から忽然とまっ白い
ニゲル(クリスマスローズ)が咲き乱れ、少女はその白い花を花束にして
聖母マリアと幼子キリストに捧げたという物語。」






今もまだ見られると思うので、花が好きな方は、この公園はおすすめです。
これからもっとたくさんの花が見られますよ~。

こんな風景をみると、まるでイギリスのコッツウォルズみたいなんですよね。
ここがみちのく湖畔公園ですよ。と言っても、へ~って感じですけど。
川崎にあります。





すぐそばに釜伏湖があり、釜伏山もあります。
また園内にはふるさと村もあり、曲がり屋が復元されてます。
その中に、本庄由利の家もありました。


もうひとつ、花の伝説としてパンジーもありました。
これもキリスト教に関係していそうです。
フランス語のパンセから由来し、ある日、天使たちが春の野に降り立ったとき、
美しく咲いているひとむれのスミレの花を見つけ、
「地上にも、こんなに美しい花があるんだ!」と驚いて、花たちにそっとささやいた。
「世の中の人々に、本当の愛の心を伝えておくれ。
私たちの面影をお前たちに移しておいてあげるから」
 天使たちはそういったあと、花に三回キッスをして空高く舞い上がり、
天国に戻って行った。
それ以来、スミレの花が三色になったといわれている。」




てなことで、みちのく湖畔公園は、妖精がいそうで面白かったです。
とにかく広いので、混んでいても全然気にならないと思います。
こういう場所があるから東北はやっぱりすごいなあと思います。
どこでも駐車場は広いし。

関東地方でもここまでの広さの公園はないでしょう。
仙台から近いですし。
おすすめです。
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湊神社とサメ伝説 その2

2017-04-11 | 東北地方の伝説(南東北)
続き。
で、なんの話だっけ・・・・。
さくっとご紹介。

サメ伝承が備前国風土記という中にありまして、
世田姫というのです。
それが豊玉姫ともいわれるし、神功皇后の妹ともいわれる。
豊玉姫でしょうかね~。

『此の川上(かはかみ)に石神あり。名を世田姫といふ。海の神[鰐魚を謂ふ。]
年常(としごと)に、逆(さか)ふ流(ながれ)を潜(くぐ)り上りてこの神の所に到るに、
海の底の小魚多(さは)に相従へり。
或るは人その魚を畏(かしこ)めば殃(まが)なく、或は人捕り食へば死ぬることあり。
凡そこの魚等、二三日(ふつかみか)住(とどま)りて、還りて海に入る。』


この話に出てくる「鰐魚」が、鮫(サメ)のことを差すそうです。
八尋和邇(やひろわに)というのは、豊玉姫のことでもありますが、
事代主命と同じだという説もあり。

また、一説によると與止日女(よどひめ)神社創建当時は自然石を御神体として祀ったとされ、
それに類するものが対岸の上流にある巨石群ではないかと言われているそうです。
神社創建当時(欽明天皇25年:564年)は御神体は巨石群にあったと思われます。
『肥前国風土記』では世田姫は「石神」だとハッキリ書いてありますので、
巨石群(石神)つまり「世田姫」は與止日女神社の御神体(祭神)である、
と考えられます。
※與止日女神社について引用。
神社についてはこちら。
https://komaxyz-jinja.jimdo.com/%E8%88%87%E6%AD%A2%E6%97%A5%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE/

與止日女神社(よどひめじんじゃ、与止日女神社)は、佐賀県佐賀市にある神社。
式内社、肥前国一宮で、旧社格は県社。
それで、淀姫神社とも書き別称「河上神社」という。
河泊というのも、阿武隈川のことをいうのだから、川ではなく河というところが
大きな川である大河と言った。
渡来人など漢字を用いた人たちが、そう呼んでいたわけです。

ただ、世田姫のヨタは、ユタから由来していることも考えられるわけです。
海神を示しているのだから、龍のようにくねくねした姿と描写されるので、
海のうなりという波の形であったり、風であったり、自然神という事になります。

豊玉姫は、ユタなんだろうと思います。

---------------------------------------------------------------------
ところで、「難波建振熊命」がいます。
和邇下神社というのが奈良県にありその神社に祀られている神。
 「延喜式」にみえる古い神社で、もとは「和爾部」と「櫟井臣」の祖神とされる
孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(あまたちしひこくにのおしひと)と
日本(やまと)帯彦国押人命が祀られていたそうですが、現在は本社大己貴命
(大国主命)、素盞鳴命(スサノオ)、稲田姫命が祀られているそうです。

和珥氏(わにうじ)は、物部首の遠祖というのだが、
和邇=鰐=鮫に転じているようなのです。
なので、鮫伝承というのは、神功皇后摂政時における忍熊皇子の反乱の際、
討伐に遣わされた人物であるという説明があることから、
忍熊皇子の乱の際、瀬戸内海や紀州や、いろんな所から、上陸してきた氏族である
と言えるわけです。相当古い時代にあたりますが。
面倒なので「忍熊皇子」のWikiを参考にしてください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E7%86%8A%E7%9A%87%E5%AD%90

スサノオであることは、湊神社の地名が須賀である部分。
その「振」がフルノミタマの振ではないか?という興味深い説が。

この人の父親が、春日臣市河という。「河」なんですね。
だから河童になるんですね。
河童伝承は、あの河童というよりは、河神のこと=海神=ワタツミ。
物部首の遠祖といわれますが、神功皇后に関係する息長氏系になるそうです。
石上神宮を管理していたそうだ。

そうなると、なぜ、アテルイが・・・というのが出てきます。
アテルイの説のひとつ、王仁氏系譜とい話。
百済より渡来した人なのですが、『古事記』では和邇吉師(わにきし)と表記されている。
ということは、王仁は和邇といわれていた。

そしてそして、これが仙台と繋がる・・・となると興奮しますね。
いやいや~、この御魂が、青葉神社に祀らている伊達政宗にノリウツッテいる感じ


「建振熊命」という言葉から、ああ、と思った。
伊達政宗の神号が、「武振彦命(たけふるひこ)という。
大体、同じ意味でしょう?
フツヌシにフルノミタマ、そして物部氏、和邇=鮫伝承の神功皇后。
なぜか封印されたアテルイ。
そこに伊達政宗が関与する意図は?
誰の魂をフルために、祀られているのか?
謎っ!!

ちなみに、古事記の海幸彦、山幸彦の話の中で、釣り針を失くす話がありますが、
ミクロネシアの方でも同じ伝承があります。
入墨をしている南国の人は、鱗をもつ魚(ワニと言っていた)が神とされているので、
よりそれに近い姿になるために、身体に入墨をすると言っていた。
それがルーツなんです。
海人たちには入墨があったわけですから。
エンキみたいですね。
エンキを崇拝していた風習みたいです。
また、海人たちの間では、海の事故が多かったため海が黄泉国とされていた。


--------------------------------------------------
最後に、こんな話を。

神は本当にいるのか。
答えは、YES。

東日本大震災で、海側に祀られていた神社の多くが無事だった話。
流された神社も、もちろんありましたが、なぜ津波は神社の「ギリギリで止まったか」。
貞観地震など、過去、何度も津波の被害にあっていた東北地方だったので、
津波被害から免れるために神社を置いたことはあります。
けれど、それが何度も経験していた為に助かった神社なのだろうか?
というところに、疑問をもった方のブログがなかなか興味深い。

「なぜ津波は神社止まったか」
http://bloom.at.webry.info/201205/article_2.html

「なぜ神社が無事であったのか?
「神が津波を起こした故に津波は神社を襲わなかった。」からである。
犯人はいつも無傷である。
恐慌でもそうだ。
恐慌で儲けている奴が恐慌を引き起こしている。」


311の震災は、神を認めざる得ない証明であるという。
自然の結界=神社であったこと。
これ以上津波の被害を起させないためのバリア(柵)であり、
自然神はその見えない柵を越えることはできない、ことを知っていた。
・・・どう知るんだか・・・、でもそういうこと。

私もこの事について、フツフツと思うことはあります。
自然という強大な荒神を止めるのは、やっぱり自然神しかないのです。
大津波からもたらされた十一面観音は、どこかの寺社から流れついたものだろう。
しかし、今は、流されても陸地にあがることはできない。

エミシ柵というのも、ある意味、結界を利用しているものである。
しかし、人間が国との線引きをするための柵であるものは、自然神には通用しない。
自然霊との結界とはほど遠いものだ。


(かさあげ工事中)

地元の人たちは、海が見える方がいいに決まっている。
津波の被害にあったけど、それでも海は海。
しかし工事はそんな意を反して進められる。
大和朝廷が行ってきたことを、またここで見つめる。
コンクリートで固められた陸をみつめる海神も、陸へ向かおうともせず。
人間は、自然神から背を向けたと思うだろう。
これからも、長くて強大なエミシ柵は作られる。
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湊神社とサメ伝説 その1

2017-04-09 | 東北地方の伝説(南東北)
「本社は阿武隈河口に近い堤防下に鎮座している。
勧請年月は詳ではないが、伝云うところによれば往昔、
田村将軍東夷平定凱旋するに当たり湊の神の恩頼に依り河口に安着せるを報賽せんとして
神祠を建立してこの神を奉祀し、鏑矢を奉納したといわれ、里人古くより矢をば宝貴と称し、
今に至るも宝貴明神と唱えている。
宝貴・帚、国音相通ずるを以てであろうか、今なお、
帚を広前に献じて海上安全を祈ると共に安産の守護神として小帚と小枕とを
献じ祈請する風があり参詣者は常に絶えない。
神社に於いては子供を抱えた神像を刻みこれを頒布する。」
『宮城県神社名鑑』


亘理町の湊神社のご神体は鮫の背中に乗る金色の十一面観音像であると伝わる。
この観音像には以下の伝説がある。

<

ある年の大水の時、観音像が阿武隈川上流のどこかから流れてきた。
海に流れ出ようとしているこの観音像を鮫が見つけ、多くの鮫が協力して、
この観音像を陸地に押し上げた。
嵐で海に流された漁師が鮫に助けられたと云われ、その恩に報いるために村民は
「鮫に乗る十一面観音像」を神体として湊神社を建立した。
高須賀地区の人々は、鮫や鮫肉を原料とするかまぼこ等の練り物を食べなかったという。





本殿は亘理町指定文化財。祭神は大海津見神である。
創建は弘和3年/永徳3年(1383年)。
鎮座地である高須賀地区は阿武隈川の旧河口にあたる。
太平洋から押し寄せる波と川からの土砂で流れが変化しやすく、
浅瀬が多くできているため、船の出入りが困難で、遭難事故も多かったという。
そこで、弘和3年/永徳3年(1383年)3月10日、亘理行胤が河口の安全を祈願して建立したと伝わる。



明治5年(1872年)11月に村社に指定されたが、明治42年(1909年)3月23日に川口神社へと合祀させられた。



---------------------------------------------------------
同じような話では、太白区四朗丸にある落合観音堂のカニ。

昔、落合観音堂の側を流れる名取川が、
洪水のために氾濫し観音堂も浸水して安置されている
十一面観音堂があわや沖に流されるようとした時、
名取川にすむ無数のカニが観音像を守り、流されるのを防いだ。
それ以来、村の人々はカニを食べず、絵馬にカニを描いて奉納するようになったという。

出雲斐川町神氷神守という噛みそうな地名の所に、加毛利神社というのがある。
加毛利神社は、カニモリとよみ、蟹守と変化したもの。


(絵馬がカニ)
※カニと十一面観音
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/c37a993034ac3dee15be5e8fa25b180b

阿武隈川の鮫に対し、名取川の蟹。
大洪水を防ぐのは人ではなく、生き物が助けてくれたという描写は、
東南アジアや太平洋側の島々に多く伝わるものです。

鮫の伝承で思い出すのは、朝比奈義秀がいます。
鎌倉時代初期の武将で父は和田義盛。

正治2年(1200年)9月、小壺の浜で将軍源頼家が若い御家人たちとともに笠懸をし、
船を出して酒宴を催していたとき、水練の達者と聞き及ぶ義秀にその芸を見せるよう命じた。
朝比奈義秀は海に飛び込み、10回往還し、次いで海の底へ潜り、
三匹の鮫を抱きかかえて浮かび上がり、その大力を示した。




朝比奈氏は、七ツ森の巨人説で有名な朝比奈三郎の系譜でもある。
三浦党(相模国:現神奈川)で、関東の坂東氏が関係している。
関東地方には板碑が多い。東北にも伝わっている。
武蔵の豪族と繋がっている氏族と思いますが、
朝比奈氏のルーツを深く探っていくと、吉備国にあたる。

この鮫伝承が、海人たちの伝承であることはわかるけれど、
和田氏は熊野本宮の神職だった。
和田氏は吉備国、大倭氏の祖はワタツミ。
穂積氏(ほづみ)という物部氏系の人がいますが、「積」は、大綿津見の「津見」と同じだろう。

阿武隈川河口の一帯を治めていた海人族を考えてみたくなるような伝承。
吉備国は、海部氏の祖がいたところで、海人=安曇氏がいる。
吉備津彦の母の名前に「倭」がついている。
倭氏とは、綿津見豊玉彦命という海神だった。
これが穂高山に鎮座する穂高見命となり、安曇氏と深い関係をもっている氏族になる。

安曇磯良(あずみのいそら)という人がいますが、
宮城県北部の色麻町にある河童伝承の磯良神社があります。
磯良神社のご祭神は「気長足長神(おきながたらしひめのみこと)」で、
古事記では、息長帯比売命、日本書記では、気長足姫尊という。



「お河童様の磯良神社」
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/34201c57236110c8a4b47793ee714c43

安曇磯良は、亀の背に乗って現れる宇豆毘古がいて、その人の水先案内人になったと。
いそら=いそたける、とよく似ている。
で、イソタケルは、伊達神社(色麻町)のご祭神のイソタケルであって、
この人のタケルが「武」であると。
阿武隈川の漢字をみての通り、「武」であり、「阿」の隈(熊)であると考えれば、
九州に上陸した先祖が、はるばる甲信越を通って日本海と太平洋へわかれ航海し、
阿武隈川の方まで上陸したと考えられる。
それから名取川~北上川へ北上。

七ツ森の朝比奈三郎も、五十猛命と関係するのでしょう。
こんな感じでキャラクターにされてますけど・・・。

(※大和町のキャラクター、さぶろうくん)

紀伊の海人=熊野水軍がいて、海民といわれた人たち(代表?的な海部系譜の安曇氏や阿蘇氏、安倍氏、宗像系)
などと海軍を強くし、早くに陸奥開拓を行った。地元の人たちのために灌漑設備を施し(亘理の鳥の海など)
水害があった時その整備にあたった。
名取の熊野三社建立の話は、息長氏とも関係していると思う。
前にも書いたけど、どんな内容か忘れた・・・。



ハワイの神話----------------------------------------------------

もう少し鮫を神格化する由来は何かを考えてみる。
鮫や亀を神としているのは、ハワイがそうです。
南の人たち(ポリネシア)がルーツにあると考えると、
ハワイなどあちらの島々からのご先祖様も東北へ足を伸ばしていないかね~。

もう一つサモアの伝承を。(ちょっと長いです)

「昔、サモアのウポル島にマリエトア、という名の凶暴な王がいました。
王は特に人肉を好むことで有名で、 王が目を付けた人間はことごとく犠牲になっていました。
またそのころ、ウポル島から遠く離れたサバイイ島に、フォヌエアという美しい女性が、
夫と仲むつまじく暮らしていました。

夫は漁で捕ってきた獲物のうち、最も大きくて美しい魚は必ず村長に献上し、
フォヌエアのほうは、 マットを編む名人でありながら少しも驕ることなく、
村の女達と仲良くしていたので、彼ら夫婦は 村人達の間でもたいそう人気がありました。
夫婦自身は質素な暮らしでしたが、2人はとても幸せでした。

そんなある日のこと、幸せな2人の噂がマリエトア王の耳に届きます。
王は、「そんな幸せな人間の肉は さぞかし旨いに違いない」と考え、早速、
夫のほうを呼び寄せるべく使者を出しました。
使者は不眠不休で 2人の住むファレ(サモア風の家)に急ぎ、王の要求を伝えます。
フォヌエアはがっくりと膝をつき、夫に「あなた、逃げましょう。逃げて、誰も知らない島で
一緒に暮らしましょう」 と懇願します。
しかし夫は悲しそうに「いや、だめだ。もしここで俺達が逃げ出したら怒った王は村人達を、
子どもも含めて皆殺しにしてしまうに違いない。王の命令には背くわけにはいかないんだ。
お前は、俺の分まで 幸せに生きてほしい」と言います。

「じゃあ、せめて、ウポル島まで一緒に行かせて。1日でも長く最後まであなたと一緒にいたい」
とフォヌエアは彼の足にすがりついて頼み、2人は一緒に出発することにしました。

2人は小さなアウトリガー・カヌーで出発します。
後ろを使者が見張るようについて来ます。
ところがカヌーが ウポルの王宮近くにさしかかったとき、突然、
大波と共に激しい嵐が起こったのです。台風でした。
2人のカヌーは あっという間に沖合に流されていき、海上をさまよい続けました。

やがて天気は回復し、2人は、一緒にいられる日が少しでも長くなったことを
とても喜びました。フォヌエアは パンダナスの葉を編んで雨水を貯えられるように工夫し、
夫は海に潜って魚を捕りました。
フォヌエアの穏やかさと 献身さはまるで海亀のようで、
夫の魚を捕る技術はまるで鮫のようでした。

そしてとうとうある日、2人のカヌーはツツイラ島に流れ着きました。
この島の王、レツリは大変親切な王で2人を厚くもてなします。
ここツツイラでも、かつては食人の性癖を持つ王がいたときもありましたが、
今では全くそういうことはなく、島の人々も2人のことを獲物としてではなく、
友人として歓迎してくれました。
2人は涙を流して喜びます。
彼らは島のバイトンギという村で何年もの間幸せに暮らしました。
2人とも、いつも、 なんとかしてこの島の人達に恩返しをしたいと考えていました。
そんなある日、2人で崖の上から海を眺めていたとき、 2人とも、
あるアイデアを思いつきました。2人は特に話はしませんでしたが、見つめ合い、
そして深くうなずきあったのでした。

2人は王宮のファレに急ぎ、王に謁見を願い出ると、すぐに自分たちと一緒に
バイトンギの崖まで来てくれるように 頼みます。
王の親切を讃えた素晴らしい贈り物をしたいので、と。

レツリ王は彼らが何を言ってるのかわかりませんでした。
これはもしかしたら彼らが故郷のサバイイに帰りたがっているのでは?と考えた王は、
「そうか、お前達も、あのマリエトア王が食人を禁じたという噂を聞いたのだな。
たしか、王の息子が自ら犠牲となって王の食卓に並び、そこでやっと王も目が覚めた、
ということらしい。そうか、 なるほど。お前達のこの地での行いは、
それだけで十分すぎるくらいわしたちへの贈り物となっておる。贈り物など気にするな。
島で一番のカヌーを用意してやるから安心して国に帰るがよい。」と伝えます。

「ありがとうございます、王様。でも、違うのです。とにかく私たちと一緒に来て、
後世に語り継がれる贈り物を 受け取ってもらえないでしょうか」

というわけで王は2人と一緒に出かけました。
道々、村の人々や子ども達までも一行に加わって、大行進、大騒ぎになっていきます。
やがて一行は崖の上にたどり着き、一同、しん、と静まりました。
風のそよぎや波の音までが止まったような静けさです。

そして、フォヌエアと夫は2人しっかり手を握ったかと思うと、ひらり、
と崖から身を投げたのです。人々は驚いて 崖の下をのぞき込みます。
人々がまず驚いたのは、いつもは暗い崖の下が、まるでそこから太陽の光りが
さしているように 明るかったことです。
やがて、フォヌエアの長い黒髪が渦巻きながら円盤のようにまとまっていき、
なんとそれは 大きな亀の甲羅になってしまいました。人々は声もありません。

と、そのとき、1人の子どもが、沖合から素早く泳いで来る影に気がつきました。
「見て!鮫だ!鮫が泳いでくる!」

フォヌエアの亀は顔を上げると優しく鮫を迎え入れ、
崖の上から見守る人達にちょっと恥じらいつつ、鮫と一緒にゆっくりと海
に潜っていったのでした。

このとき以来、沖から寄せる波と共に、次のような歌が聞こえるようになったということです。
「子ども達よ、歌いなさい。いつでも私たちは戻って来る。
この奇跡の思い出がツツイラの人々の優しさを讃えるものであることを決して忘れないで。
さあ、歌いなさい。」

※ハワイの神話と伝説より
http://www.legendaryhawaii.com/poly/p02

日本でも異類婚で有名な話では、トヨタマヒメのワニの姿があります。
ハワイにも、アウマクアとよばれる半分人間、半分鮫(鮫に限らず)がいました。
イルカなど海のほ乳類動物は、陸にあがって生活していた話もあります。

こちらのサイトに、ハワイのネイティブアーティスト「ソロモン・エノス」さんの壁画に
人と鮫が同化したような素敵な絵が描かれています。
こんなイメージです。
「シーライフパーク」
http://ameblo.jp/sealifeparkhawaii/entry-11290821955.html

--------------------------------------------------

ところで、鮫というからには、あのサメだよな~、と思うのですが、
ナマズの話も海の神として伝承されているところもあります。
そういえば、つい最近、主人が出張で気仙沼へ行った時にサメのフライを買って
きてくれたので食べましたが、白身魚の味とよく似ていて美味しいです。
そーいや、これを食べた後に、湊神社へ行くというタイミングは・・・
本当は岩沼の食彩館(普通のスーパーです)へ行くついで、湊神社へ寄ってみたんです。
鮫の伝承とは知りませんでした。

鮫の肉を食べたな~、お参りせ~ぃ。という流れ・・・?
うまくできてます。笑

宇都宮のスーパーでは、普通にサメのフライが売ってます。
宮城県ではあまりみかけませんけど。

湊神社だけではなく、備前国風土記にもありました!
まだ鮫の話は続きます。
長くなりそうなので、次回に~。
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ちなみに、もうひとつ川口神社(荒浜)にある湊の神社で、
津波の被害にあいましたが、ここには、興味深い歌が伝わっています。
例祭で使われた神輿を神社へ収める際に歌われる木遣り歌。

歌詞の内容は、歌い出しは祭日和を、その後に日本各地に祀られる自社を含めた十座の神仏、
締めに御輿を担ぐ若い衆への掛け声で構成されていると。(Wikiより)
いろんなところから先祖が渡って来たのだよ。
そんな地域の神々を奉納する歌です。

(歌詞)
ドドゴーセ(3回繰り返し) ドドゴーセ(3回繰り返し) アララー ドッコイー
ヤーイ 今日は日も良し ヤーイ ソーラ 天気も良いし ヨーオイトナー
ヤーイ 国の始まり ヤーイ ソーラ 大和の国だよ ヨーオイトナー
一デ 貴の殿の ヤーイ ソーラ 大日様だよ ヨーオイトナー
二デ 新潟の ヤーイ ソーラ 白山様だよ ヨーオイトナー
三デ 讃岐の ヤーイ ソーラ 金比羅様だよ ヨーオイトナー
四デ 信濃の ヤーイ ソーラ 善光寺様だよ ヨーオイトナー
五デ 出雲の ヤーイ ソーラ 大社様だよ ヨーオイトナー
六デ 六社の ヤーイ ソーラ 塩釜様だよ ヨーオイトナー
七デ 七島の ヤーイ ソーラ 弁天様だよ ヨーオイトナー
八デ 八幡の ヤーイ ソーラ 八幡様だよ ヨーオイトナー
九デ 熊野の ヤーイ ソーラ 権現様だよ ヨーオイトナー
十デ 所の ヤーイ ソーラ 川口様だよ ヨーオイトナー
ヤーイ 若い衆 頼むぞ ヤーイ ソーラ 納を頼むぞ ヨーオイトナー
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小手姫の女神山

2017-04-06 | 洞窟・巨石探訪
ようやく暖かくなってきました。
東北地方は桜はまだつぼみですが、来週には開花しそうです。
でも、桜だけではないよね~。


(堀切登山口より)



山へ行くといろんな花々の芽吹きを感じ取れる。
春の芽吹きは新しいエネルギーの循環。
その花開く時のすさまじい力は、私たちには及ばない。





今年、最初の登山は、福島県月舘の女神山へ!
この日は、最高気温22度!暑いんですけど~。





最初のスタートとしては、ふさわしい~というか、10年ぶりくらいの女神山で。
すっごく嬉しい小手姫との再会!



誰もいない山をひとりじめ~♪
震災から6年も経ち、原発でいろいろあった福島県だったけれど、
小手姫のご神体が祀られている磐鞍では、どんな風にこの世の中をみていたのか。
山頂から見える絶景の中、福島の山々を眺めても何も聞こえてきません・・・。
なぜでしょう?


(休んで~という文字が消えているので読めない。「休んでみっせ」だったかな?)


(よい展望です)

いろいろと小手姫のことは書いていたのですが、なんだかわからなくなって
いるので、もう一度、伝説をご紹介しつつまとめてみました。


(千貫森:見事なピラミッド。UFO山です)

小手姫の伝説---------------------------------

私が小手姫に興味をもったのは、出羽三山を開山した蜂子皇子の母親という
伝承があったことです。(諸説ありますが)
蘇我氏に暗殺された崇峻天皇のお妃で(第一夫人)だったと伝わる。
このあたり実際のところ不明な部分が多いですが、この時代に関わっていた豪族が
奈良の都から逃れてきた痕跡はあるようです。
崇俊天皇の皇后は、蘇我馬子の娘、河上娘。





小手子(小手姫)の父は大伴連糠手で、母は蘇我稲目の娘とある。
蘇我稲目は葛城系の一族らしい。
やはり、磐鞍をご神体としたり、雨乞いや、磐鞍信仰をもたらしたのは葛城氏のやり方のようです。



葛城氏は蘇我氏より先に、天皇家に仕えていた豪族ですが、
天皇家と娘をとつがせたり、天皇家と深い関係をもたらしていました。
そんな政治経済の中心にいたところに蘇我氏が仏教と共に入ってきたようです。
新しい宗教革命のような。


(まんまるな石)

小手姫は、崇俊天皇が暗殺された為、息子はかくまるために日本海へ逃れたといわれるが、
これも諸説あります。息子を逃したのが聖徳太子というのだから・・・。
小手姫は、蜂子皇子を探して陸奥へやってきたのですが、
娘の錦代皇女が亡くなり、故郷の大和の風情に似た現在の伊達郡川俣町や月舘に留まり、
養蚕の技術を伝えたとあります。

秦氏の説が一番、有力だと思うのですが、「錦」や「養蚕」「磐鞍」
という意味を示しているところ、もっと深く追求すると、ユダヤ人にあたります。
ただ、このへん説明するのは、複雑になって億劫になり、結局迷宮入りする。



父の名「大伴糠手」から、糠手姫皇女が浮かびますが、
母が葛城系というならば、糠手姫皇女は別名田村皇女といった。
押坂彦人大兄皇子の妃。舒明天皇の母。
混乱するのですが、小手姫の母は、蘇我稲目の娘とありますが、
家系をみると、稲目の娘は、蘇我堅塩姫とある。
ということは、小手姫の母=蘇我堅塩姫?
蘇我堅塩姫は、舒明天皇の妃という。
糠手姫皇女は、義母となる。

忍坂街道に古墳があり、(大阪の)桜井皇子という人のお墓があるそうです。
この方の弟が、崇峻天皇だと。
小手姫=崇峻天皇ですと、義理の兄が桜井皇子。
いまいち、この皇子がわからない。
ま、葛城氏と蘇我氏との婚姻みたいです。
だんだん、蘇我氏が天皇家の娘を嫁がせて政権を握るようになります。
葛城氏たちは逃れたということでしょうか?

この時代、葛城皇子がいて天皇家の争いがあった。
クーデタがあり乙巳の変で(蘇我入鹿が中臣氏に暗殺された)、
父の大伴糠手は、身を守るために「秦峯能」という名に変えている。
大伴糠手の世を偲ぶために替名したといわれます。

忍=信夫と考えれば、福島県のルーツに押坂(忍坂)~という皇子はからんでいそうですね。



小手姫の像がある川俣中央公園の近くに、機織神社がある。
「仁徳天皇の頃、大和国高市郡川袴の里に、庄司秦峰という人あり。
天皇の命を蒙り、一子、小手姫を伴いこの地に来り桑を植え蚕を飼い、
絹を織る業を教えたり。朽人山より西北の諸村を総称して小手郷というは、小手姫より出たるものに」

秦さんなので、秦氏と逃れて機織りを伝承したといわれます。



奈良の都でいろいろあったんだね~くらいにしかわからない世界ですが、
そんな人たちが逃れてきた所が、福島県でした。
さて、このあたりを追求するのは難しいので、やめておく。
小手姫のルーツよりは、この山の持つ神秘的な力を探っていく方が楽しそうだ。



昔は、川俣町、飯野町を含め「小手郷」とよんでいたそうです。
川俣の地名由来は、奈良県川俣町の里にちなんだ説と、
町に流れる広瀬川(小手川)と五十沢川の合流なので川股とよんだ説があります。
私はどちらの説も正しいと思っています。


(月舘への分岐)

----------------------------------------------------
役小角の伝承もある女神山は、水雲山大明神が祀られていた。
他に、蛇頭石、雨乞い石、熊野大神を祀る。
しかし、実際に役小角が女神山に来たという話はない。
ただ、そのような伝承が伝わる背景に、熊野信仰があり出羽三山がある。
熊野本地と関わりがあるため、山頂の大石が小手姫の御霊代として
水雲大明神を祀ったと考えられる。
また、この大石に登れば必ず雨が降るといわれる。


(山頂のご神体)



「頂点を形成する火山岩は高さ約3メートル横5メートル程の大石である。
この石については、古来天から降った石だとか、日本武尊東征の際にこの山に登り、
四方を眺めて腰掛けられた石だとか言い伝えられて決してこの石に登ってはならぬ。
登れば必ず雨が降ると言われている。


(山頂の岩が小手姫のご神体といわれる)

石宮の後の雨降り石に天然の山桑が一本ある。
この桑の芽を五つか六つ頂いてきて、蚕を掃きたてる最初の桑に切り混ぜると
良い繭ができると言われている。
蚕が鼠に食われると、これを「夜風」といって女神の明神様に行って、
御幣をお借りして途中休まずに家に帰ることになっていた。
蚕を掃きたてる頃になると女神山頂お籠りと言って
山麓の主婦たち3、4人で一夜を過ごし或るいは丑の刻参りを続けて
養蚕への道の上達を祈願した。」

(川俣町のサイトより)

他にも、
①役の行者小角が大蛇の化けた美女を法力によって打ち負かし、
その蛇を神に祀る代りに里人に蛇の災いを与えぬように説いたところ、
蛇はたちまち石=蛇石になったという。

②頂上付近では、熊野神や五行神に会ったとか、前九年の役、
八幡太郎義家が木幡山にたてこもり、阿部貞任と戦った時、遥かに女神山を望んで、
戦勝を祈願した。


(木幡山)

③文治年間源頼朝が奥州を攻めた時、平泉藤原氏ゆかりの小笹姫が
この山中に隠れ住んでいたなど。



(吾妻山)

伊達政宗も女神山についてこんな伝承がある。
千貫森の麓に、小手神社があり、伊達政宗が白河に来た時、
突然馬が暴れ落馬してしまった。この異常さに、政宗は同地より望見できる
小手大明神の神威にふれたと思い、社を低地へ移動したという。
これを「白河の下馬落とし」として伝承されている。
小手神社の祭神は、天狗で三又の槍をもち、おかめが傘をもって導くという。
まるで猿田彦とウズメのような。
「ひょっとこ」と「おかめ」の話は、タタラ製鉄を差していることはある。
ひょっとこ=火男で、火をふく顔をしている。
養蚕はタタラ製鉄とも深い関係があると思います。
群馬県春日神社の太々神楽があり、渋川の赤城神社から前橋市の産泰神社を経て、
伝えられたといわれています。



神楽の中で夫婦が蚕の神である衣笠大明神から蚕の飼い方を教えてもらう場面があるのですが、
「ひょっとこ」をかぶった男が登場しています。
ひょっとこのお面をかぶって桑を刈る姿を面白く描いています。
なので、「おかめが傘を~」の傘は、「笠」の神楽を意味するものでしょう。

また、養蚕が伝わっている所に、女性が関係するのは「月の水神」がある。
月経という考えもありますが。
最期、小手姫は入水したと伝わります。
オトタチバナと同じような伝承です。



「舘」という地名は、中央政府が開拓した地につけるもので、
機織を伝えたことで有名になっている。
小手姫古事によると、
「常陸より来られ、女神山中腹の堂平に住み、蚕を伝える。47歳で亡くなる。
1014年、桑苗及蚕種類を上州に遣わし、蚕飼いを教えたり」
「全国蚕神考」の一部に、機織りの祭神は小手姫、赫夜姫、白瀧姫といずれも婦人である。


崇俊天皇の時代は大化の改新の頃なので、
小手姫は、機織を伝えるために、養蚕の奨励にあたった最初の女性と考えられる。

月宮神社が女神山麓にあります。
伝承では月山に着いた旅人がご来光を拝むために鏡ケ池へ行くと、
池の中に光るものがあった。それは木彫りの仏像で、女神山の月宮へ移されたとある。
なぜ、小手姫と蜂子皇子が繋がるのかは、出羽三山の修験がもたらした月山信仰です。



それが、古くは三日月信仰なんです。
月は三日月。太陽は丸。星はそのまま星型。
それが日月星信仰。
伊達政宗の冑が三日月なのは、三日月信仰のルーツがあるのでは?
その三日月とは、弓月という天山山脈があるシルクロードがルーツにあります。
キルギスの方ですが、ユミツキ→ツクヨミと転じた説が有力のようです。
ただ、月を信仰するのは世界中にあるので、シルクロードの地名や山名に、
日本の神話に関わる地名と重なることが多いため、キルギス人の言葉と日本語(大和言葉)が
似ていることから、このような説になったと思います。

ちなみに、三日月信仰は北関東にあり、イボとり観音の話が多いようです。

キルギスは、西洋と東洋の中間の魅力的で美しい顔たちの人たちが住むところですね。
普通にハーフといった顔立ちではないので、私はこの地方の人々が一番美しいと思っています。

ですが、キルギス社会は今は最悪のようです。
女性の価値が低いということで、差別が根強くあるのです。
誘拐婚というのが深刻で、アラ・カチューという。
誘拐婚というのは、政略結婚に似ていますが承諾しないと監禁されるらしい。
それだけ女は所詮、女ということにしか思われていない。
子供を産めばよいと思っているものだ。

そう考えると日本は恵まれすぎているよね。
カネにうるさい国だけど。
日本も深刻。妊娠できない若い夫婦が増えています。
もし、私がキルギス人だったら、人とも扱えてもらえない。
でも日本ではそんなことはない。

そのキルギス人が、古代、日本の建国を支えていたとしたら、日本という国へ来ると
どこか、悟るものなのでしょうか。
多様性をもつ民族が日本に来ると、日本人らしく生きられる国というのは、
それはそれで良いか、と。

キルギスも烏と狼の伝承があります。
狼を神格化して伝承している(キルギスは烏孫国といった)
奥州藤原氏や烏のヤタガラスなど、いろいろとつながりそうです。



女神山は、ツクヨミ信仰が由来しているようです。
月神=小手姫となっています。

「山頂に近づくにつれて、イボイボした岩が現れてくる。
この岩は玄武岩といわれる、火成岩の一つである。
むかしは、「この岩に足をかけると、雨が降る」と語りつがれ、
『雨降らし岩』とも言われている。」






天狗が降りてきた磐、そこに雨が降る=龍神。
それを祈祷しながら、世界を占い整える(浄化)=水神を降ろす巫女。
いつの間にか、武将たちの間では戦勝の女神というアマゾネスにされる。
ギリシャ人の思想かもしれないが。
水神を祈る人をみて、マリア様を信仰しているんだな、と思った異国人は、
小手姫をマリア様と重ねている。


(山頂手前にある祠)


(この裏がご神体)

そのくらい、女神山にはたくさんの信仰がある。
なぜ、この山なのか?
それは、わかりませんね~(ここまで妄想しておいて?)
千貫山があるから?ここは砂鉄が多く含まれているらしい。
なので磁気が強いからUFO目撃や不思議な雲がみられるという話

山頂で、ぼけ~としていたら、人懐っこい蝶々がヒラヒラ飛んでました。
だんだん近づいてくるので、ああ春だな~なんて思っていたら、
もう一羽飛んできた。2羽でじゃれあっていると、また1羽飛んできた。
三羽の蝶々がじゃれあって遊んでいる感じ。
へ~。仲良しでいいね~。

さて、私はさっさと帰る。ワラ。なんせ暑いしお腹減った・・・。
面白いことに、山頂を下り始めると、またあの蝶々が私の前をヒラヒラ飛んでいた。
なんだかまとわりついてくる。
ぴたっと地についてじっとしているので、
ナニナニ?写真を撮ってほしいと?
そんなことは言ってませんが、記念に撮ってあげた。


(キタテハ)

----------------------------------------------------
小手姫の伝承は、実際、貴族の娘だったと思うのですが、
何かあって左遷された女性だということを感じる。
そういうとこ、あこや姫と似てるんだなあ。

そんなモデルだった人がいて、それを子孫が代々言い伝えとして
「村の女性たちに」いろんな知恵を伝えた人であることを示している。
隠されているというか、当人はあまり、どんな身分かを明かさないようにしているが、
また、それをかくまってきた村人もいる。
小手姫は機織りを伝えましたが、実際、どのようにしてここまで来て、
どんな経緯でこの地に留まったのか、諸説が多くよくわかっていません。



藤原実方という有名な平安時代の歌人がいますが、阿胡耶姫伝承でおなじみ。
「小手森の樵明神」というのがあり、
この小手森が、小手姫のある山のことを指しているか定かではありませんが、
小手森とは、香野姫(カノ)、草野姫(カヤノ)=焼畑の意味があるという。



「あこや姫の松を探しに藤原実方は陸奥へ行く。
夫の実方をずっと待っていた香野姫は、後を追って旅をするが、
実方を見つけることができず病で倒れる。
すると白い猪がどこからともなく現れ、香野姫を助ける。
白い猪は、香野姫をのせ、山・谷を超えてある里までやってきた。
里人は驚き、姫を介護し、お礼に姫は機織りを伝えた。
しかし、夫の実方に会うことができず、帰らぬ人となった。
後に村人は、香野姫明神を祀った。」


小手姫伝承とよく似ています。
香野姫を、小糸姫ともよばれ、小糸川沿いの山を口太山といった。
朽人山ともよび、「白猪森」は猪が現れたところ、「美女木」は姫がきた里、
「夜伏」は姫が夜をあかしたところ、「合羽」(かっぱ)は姫が着ていた上着を
村人が尋ねたところ、合羽と答えたところからそのような名がついたという。
口太山は、姥捨て伝承もあり、ここも巨石群。

花塚山といい、とにかくこのあたりは巨石群が多いし、羽の地名や天狗伝承も
結構あります。合羽の衣とは、言霊の祝詞かもしれないよね。
以前に描いたヒレというもの。羽衣のことです。
そういえば、小手姫の像は機織りをした衣を手に掲げている。

香野姫神社は、二本松にあり養蚕の神である。
古桜がもとは1本だったのが、別の枝が垂れ、ひとつの桜樹に、
ヒガンザクラとシダレザクラの2種を咲かす不思議な桜。
また、カノという言葉は、千葉県の鹿野山も同じ意味と思う。
そこには悪路王伝承があり、おそらく福島へ北上し霊山付近、宮城県北部に伝わった
ものであると考えられるのです。

また、カヌーのカノからきている説もあり得ます。
海からカヌーに乗ってやってきた渡来人。
アイヌ語のカイナーもあり得ます。
そんな感じで、各々の風習や文化の元で生まれた人たちがみて
皆がそれぞれの先祖と繋がろうとすれば、その神も皆同じ神であるとわかる。
見ている方向は、皆、一緒である。


(なぜか尾瀬のバッジが)

福島県は陸奥の都とした繁栄の土地でしたが、
そこには光と影がはっきりと交差しています。
奈良の都で無念だったのか、政権を追われた豪族たちの影がみえる気がするのです。
福島は、その名の通り、言霊では「うつくしま」
都から追われた人たちを受け入れていた村人がいた古代の歴史があるのに、
今は、原発でその地を離れなければならない運命にある。

どう歴史を生きていたら、こんな現実になるんだろう?
と疑問に思うのは、小手姫も同じです。
逆に問われているのかもしれない。

まつろわぬ民もいれば、まつろわぬ貴族もいた。
そんな中央政権に反対し、かくまってきた地域には、ことごとく潰されるようになっているのか。
ここは、じっとこらえて耐えるしかないのか、と。
耐えて、耐え抜いてきた小手姫の目には、今も福島の風景が、
奈良の都と重なって見えるのでしょうか。
山頂にいって磐鞍に対面し、感動的な再開があったのですが、
私には、まだまだ深い底から抜け出せないままでいる磐(ご神体)のような気がするのでした。



なぜか小手姫を応援したくなる。笑
ガンバレー。

※女神山へはいくつかの登山コースがあります。
こちらを参考にしてみて下さい。
バスの場合、「十二社」下車。徒歩30分くらいで堀切登山口。
http://www.town.kawamata.lg.jp/site/kanko-event/kankou-yama5-tozan.html
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トリ人間がいた?ラスコー洞窟壁画

2017-04-05 | イベント・セミナー
先週、東北歴史博物館で開催中のラスコー展に行ってきました。
ラスコー洞窟の壁画は聞いたことありますが、どんなものか見たことがなかったので、
早速見てきました。
展示の仕方に工夫があって、楽しめました。



勘違いしていて、ネアンデルタール人が描いたものだと思っていたけど、
クロマニヨン人でした。肌の色が白い人たち?

今から2万年前、フランス南部の洞窟で発見されたのですが、
見つけたのは犬でした。
たまたま散歩中に穴に落ちてしまった犬がおりまして、
少年が犬を救助しようとしたところ、かなり深い穴だということがわかり、
地元の人たちと穴を掘ってみたら、洞窟だったという話。
フランスではマンガになっているほど有名な話だそうです。



しかし、あまりにも有名になってしまい、観光客が押し寄せてしまったと。
空気に触れると腐敗してしまうので、今は閉じられていて中に入ることはできません。
その代わり、観光用として隣の洞窟に模写して復元したラスコー洞窟があります。
フランスは模写する芸術がすごいですよね。
その技術は日本ではなかなかできません。
高松塚古墳も全くそのままの状態で復元していないと思うので、
そういう点では、フランス人の感性の豊かさに、クロマニヨン人のルーツがあるのだな、と思うのです。

ところで、クロマニヨン人は、私たちホモサピエンスとはほとんど変わらないそうで、
すでにクロマニヨン人とホモサピエンスと混血していたことがわかっています。
ネアンデルタール人は、クロマニヨン人にとって種を残すのは弱い?と思ったそうで、
より強い(自分の種とは遠い)遺伝子を求めるために、大体、ホモサピエンスとの混血
が多かったようです。

でも、日本人の多くが、ネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいるという話は有名ですけど。
確か、高山(チベットなど)に適用しているのがネアンデルタール人だったはず。
登山家たちは、その遺伝子を受け継いでいるのかもね。
クロマニヨン人とネアンデルタール人との混血も、もちろんありました。
他の人類でよく知られているのは、ブロンドの黒人ですかね。

ロシア西シベリアアルタイ山脈で見つかった「デニソワ人」
すっごくかわいい子供たち。ソロモン諸島やパプアニューギニアに住んでます。


画像:Scienceより
http://www.sciencemag.org/news/2012/05/origin-blond-afros-melanesia

デニソワ人はネアンデルタール人と近縁なグループで、
80万4千年前??!!に現生人類であるホモ・サピエンスとの共通祖先から
ネアンデルタール人・デニソワ人の祖先が分岐したと。

ですから、クロマニヨン人も混血していたことを考えると、
一概に白人の祖先とは言えないと思うのです。
クロマニヨン人の発見から同種の人類化石がヨーロッパ各地で発見されましたが、
そのうちエスキモー(イヌイット)やネグロイド(黒人系)に類似するとされたが、
なぜか、その後、否定される。
西洋人は、芸術性高い人が私たちの祖先であり白人だと言いたいんでしょーか?
ま、ラスコー壁画をみると、わからないでもないが・・・。
けれど、2万年前の話ですよ。
ネグロイドでも目が青い人やブロンドの髪の黒人がいてもおかしくないのです。
あんまり人類の起源というのは、差はないのかもしれない。

しかし、クロマニヨン人が初めて「芸術」に芽生えた人類と言えます。
何のために洞窟に絵を描いたか、というのは、シャーマンみたいに
突然、何かにとりつかれたように描きだしたのだと思う。
単に描きたかっただけです。
描くことで生きる意味を見出した瞬間だったわけです。
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日本で2万年前というと旧石器時代で、仙台では富沢にある旧石器時代の遺跡があります。
(富沢遺跡=2万年前の化石の根が保存されている)
日本や他の各地で、洞窟壁画は発見されていません。
なので、クロマニヨン人が特別、何かの才能をもたらしたことは言えますが、
詳細な洞窟の起源やその意味までは、わかっていません。


※富沢遺跡より(仙台市)
※旧石器時代の角のある動物は巨大でした。(今より2倍くらいの大きさ)

当時、日本にいた旧石器時代の人類は、港川人で沖縄にいました。
スンダランドのラピタ人に近い沖縄?
ラピタ人が、天空の城ラピュタに似てますね。

壁画をみていて思うのは、私の想像ですけど、大体の動物が入口から奥に向かって
描かれているのですね。
もちろん、反対向きに書かれた動物もありますが、200あまり(500だったかな?)
たくさん描かれているそうで、まるで地上の動物を洞窟に招き入れているような動きのある絵なんです。
泳いでいるシカや、ひっくり返って落ちている馬の絵とか。
その馬も、ちょうど洞窟の穴の上に描かれていたりすると、地形にあわせて描かれている?
ストーリー性のある壁画に感じます。

絵のセンスも抜群で、遠近法で描かれているので、色の使い方も遠くは薄く、
近くは濃く塗られているそうです。
特に気に入ったのは、雌牛です。
黒くて大きく描かれていますが、とても迫力あります。


(post card)

はしごを使って天井に描き、ろうそくを灯して描いていたこともわかっています。

川の近くに洞窟があったようなので、例えば、単に描きたかったこともあるでしょうが、
ノアの方舟のように、大洪水や浸水から動物を助けるために洞窟に絵を描いたような。
その記録だったら面白い。
地底国があったか知りませんけど。そんな妄想をしてしまいました。

だって、面白い絵があるんだもん。
「トリ人間」の絵です。
わ~、ほんとかね~。
これだけ、何で下手なん?(私が言うのもなんだけど)
すごく上手に描かれているのと、こんな感じでちょっと雑に描かれているものもある。
申し訳ないが、トリ人間?だったら、もっと繊細に雌牛のように描いてほしかったな~。笑・


(post card)

トリ人間の絵は、一番深い「井戸の場面」という部分で描かれてました。
かわいそうなことに、トリ人間は、バッファローの角に突き倒されたようです。。。
そんな絵らしい。
しかも、雄だ。
下の鳥の絵は、取手が鳥にデザインされた杖です。
クロマニヨン人も鳥は神としてみられていた感じです。
鳥もいたなら鳥も描いてもよいと思うのだが、地上にいる動物しか描いてません。
もちろん、人間は描かれてません。
たぶん、自分を人だと思っていないから、描く必要はないといった感じか?
自我という芽生えなんてない人類ということですから、それはそうなんでしょうけど。
それにしても面白い絵ですね。

鳥人間は、各地にあります。
特に太平洋の島々には壁画に鳥人間を画いてます。
でも、この絵を想像するならば、たまたま動物と鉢合せしてしまったトリ人間は、
バッファローに倒されてしまった。。。そんな最期の瞬間を描いたのでしょうか?
誰かが、トリ人間だけは描きたい!と思ったけど、一番気づかれない深いところに秘密で
描いたんでしょうね。その瞬間をみてしまったからなんでしょうね。
だから、雌牛など他の動物壁画を描いた人とは違う人なんですよ。。。という妄想。

そんなクロマニヨン人の洞窟壁画ですが、地底国って本当にあったのかな?
たまたま地底から出てきたトリ人間の最後が、角の動物にやられてしまったという話。
そんな妄想をしながら、洞窟探訪もよろしいようで~。

5月28日までやってます。
東北歴史博物館サイト
http://www.thm.pref.miyagi.jp/index.php?from=enter
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