花はそっと咲き 静かに散れ

咲時ハ 花の数にハ あらねども 散にハ もれぬ 山ざくらかな    (伊達政宗)  

これが中国共産党のプロパガンダの実態だ

2016年09月01日 | 歴史

【歴史戦】
習近平氏が「日本の暴行暴いた」と称賛した英国人記者、「南京事件」の現場に居合せず 在職記録もなし

【ロンドン=岡部伸】
 中国の習近平国家主席が昨年10月に訪英した際、第二次大戦で「侵略者日本の残虐行為を暴いた」と称賛した英国人記者が、所属していたとされる英新聞社に在職記録はなく、中国側が「日本の残虐行為だ」と主張する「南京事件」の現場にもいなかったことが30日までに明らかになった。

 習氏がエリザベス女王主催の公式晩餐(ばんさん)会で取り上げたのは英国人のジョージ・ホッグ氏。「第二次大戦の際、記者として侵略者日本の残虐行為を暴く記事を発表した」と紹介した。

 中国は2008年にドイツなどと合作で、ホッグ氏を主人公にした映画『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥(はる)かなる希望の道』を制作した。この中でホッグ氏は赤十字職員と偽って南京に入り、中国市民を殺害する日本兵を写真撮影。日本兵に見つかり処刑される寸前に中国共産党の軍人に助けられる。

 しかし、映画の原作となった『オーシャン・デビル』を執筆した英タイムズ紙記者のジェームズ・マクマナス氏は、「ホッグ氏の中国入りは1938年2月で、彼は南京に行っていない。映画は脚色され、事実ではない」と証言した。

 中国側が主張する「南京事件」は日本軍が南京を占領した37年12月13日から6週間程度。2月に上海入りしたホッグ氏が目撃するのは不可能だったというわけだ。

 ホッグ氏は大学卒業後、英紙マンチェスター・ガーディアンやAP通信の記者を務めたとされている。ところが、産経新聞が後継紙である英紙ガーディアンに問い合わせたところ、ホッグ氏の署名記事はもちろん、在職記録もなかった。

 AP通信やUPI通信には署名記事はあったが、紀行文などで、「日本軍の虐殺行為を暴いた」という署名記事は見つからなかった。

 マクマナス氏の著書などによると、ホッグ氏は上海入りした後、湖北省黄石市に移り、孤児施設で教師を務めた。中国の国民党政府軍が孤児たちを徴兵しようとしたため44年11月、孤児60人を連れてモンゴル国境に近い甘粛省山丹まで移動。戦火から子供たちを守った「中国版シンドラー」と評されている。

 45年8月24日付のマンチェスター・ガーディアンによると、ホッグ氏は同年7月に破傷風で病死した。

 ホッグ氏の両親からの依頼で死因を調べた在重慶英国領事館から英外務省に宛てた46年1月9日付公文書(英国立公文書館所蔵FO369/3426)は「ホッグ氏が校長を務めた山丹の学校教育が中国で最も素晴らしい教育の一つで、ホッグ氏が誠実に天職(教師)に尽くし、協同組合活動の指導者として修練を重ねる極めて良質な人物」と記している。

(産経 より)




◆ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ◆



嘘も百回言えば本当になる

しかし、歴史の事実は変えることはできない

国民党が行ったプロパガンダはあくまでも一部人間たちが意図的に創作した話だ

その話を共産党政権が利用し、対日工作に利用しただけの話だが

日本のシナ協力者や反日マスゴミによって、事実を捻じ曲げあたかも日本人が虐殺を

行ったかのように誘導し歴史として定着させた


慰安婦強制問題も南京大虐殺も、根拠の無い「悪意ある宣伝」から始まったのである

嘘をつき、その嘘を正当化するために新たな嘘をつき、その嘘に信憑性を与えるため

さらなる嘘をつき続けたシナ・南北朝鮮


嫌韓・嫌中が近い将来、反韓・反中の大きな流れになる事だろう

それには媚韓・媚中の国会議員を排除し、反日マスゴミの大掃除をしなければ・・・・

大ウソつきである習近平の望む理想的な日本になってしまうだろう。


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ユネスコに期待する神経が理解できない

2015年10月11日 | 歴史
南京文書登録、外務省「遺憾」 新華社「疑う余地ない」


 外務省は10日未明、世界記憶遺産に「南京大虐殺の記録」が登録されたことに対し、「中国の一方的な主張に基づき申請されたもので、完全性や真正性に問題があることは明らか。登録されたことは、中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾」とする外務報道官談話を発表。「政治利用されることがないよう制度改革を求めていく」としている。

     ◇

 中国の国営新華社通信は10日、「南京大虐殺の記録」が世界記憶遺産に登録されたことを伝え、申請した資料は「疑う余地のない権威と真実性を備えている」とした。

 新華社によると、中国が申請した記録には、日本人を戦犯として裁いた南京軍事法廷の判決書や、生存者の証言、米国の牧師が撮影したフィルムなどが含まれている。南京軍事法廷の判決書には、犠牲者は30万人以上と書かれている。

 新華社は、江蘇省南京にある「南京大虐殺記念館」の朱成山館長の「公正な結論だ。南京大虐殺の歴史をよりよく保護するのに役立つ」との談話も伝えた。(上海=金順姫)

 《朝日新聞デジタル より》




この問題でただ一つだけ明確な事実は、ユネスコなんぞ何の意味も無い

ということだろう


事実とか虚説とかはユネスコにとって、さしたる意味を持たないのだろう

「権威」がお好きな方は一喜一憂するのだろうが、今回の登録承認で

ユネスコの「程度」が露見した

それなのに日本が五つの記憶遺産を登録したと喜ぶのだから・・・

呆れてしまうような話である


シナの言う「南京虐殺」の信憑性などユネスコにとって問題外なのである

逆から考えてみれば、日本の申請した登録内容や価値など精査できるような

機能も能力も無い機関に、何を期待して発言しているのか・・・


国連しかり、ユネスコもまたしかり、中身の空っぽな組織以上でも以下でもない

正常な運営がなされない国連、申請内容の精査もできない無能なユネスコ

それが理解できていれば、大きな声でユネスコに異を唱える必要も無い


金だけもらって後は「てきとー」に処理するだけの腐った機関に

日本人は何を期待しているのだろう?


国連の議長だった人間も「賄賂」を当たり前のように受け取る時代

そんな国連に期待し、多額の税金を差し出し続ける愚かさに

国民は何も感じていないと言うお粗末さである


シナ・朝鮮に、いいようにあしらわれても拠出金だけは献上する政府を観れば

お花畑は国民だけではないようだ・・・


外務省も決め台詞の「遺憾」を公言するパフォーマンスだけの無能な組織で

それに追随するように政府といえば、同じく「遺憾」コールだけの対応である


自民党の批判をしたり、安倍晋三氏を悪く言うと、決まって憲法改正するのは

安倍晋三以外に無いという理由からか、批判は罷りならんという風潮がある


是は是、非は非という事ができない国民が多いから政治屋に良いように騙される

いかに有能な政治家でも、ダメなもんはダメなのであり

不満が有れば口にすべきであり、何をどうしてほしいのか語る自由は当然の如く

許されるべきではないだろうか


有権者が政治家の立場でものを考えだしたら、いったいどうなってしまうのか

政治家に気持ちを寄せ過ぎると、見える者も見えなくなってしまう気がするが

政党支持者や党員と呼ばれる人は、「応援・支持する熱い思い」が先走り

事の是非を冷静に見る機会を失ってしまうと私は考えている


憲法改正を「人質」にとられ、言いたいことが言えない有権者になる事は避けたいものだ

憲法改正に腐心する安倍晋三氏は称賛に値するが、消費税再増税や女性管理職問題

内閣改造、税制改革などでは、疑問に感じることが多すぎる気がする


一つ一つの問題に有権者の考え・思いを公言する機運が高まる事を期待したものである



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70年経っても暑い夏に違いは無い・・・

2015年08月02日 | 歴史





また暑い夏の「あの日」がやってくる

言葉での「終戦記念日」「敗戦記念日」などの違いはあっても

日本人にとって忘れてはいけないのが「あの日」なのである


最近マスコミで頻繁に出てくる言葉「**空襲70年」

日本がアメリカの無差別爆撃で甚大な被害を受けたのは

北は北海道から南は沖縄まで、例外なく爆弾投下と機銃掃射にさらされた


関心の無い人にとっては、「広島・長崎・沖縄」が戦災の象徴と見ているだろうが

それぞれの故郷においても、悲惨な歴史を経ているのである


戦争の爪あとは被害の大小はあっても、日本のあらゆる地域に残っていて

それを語り継ぐ老人が消えようとしているのも事実であるが

その人たちを利用して「日本が植民地になる」ことを目指す組織が

この時期になると、問題の本質を巧妙にごまかし、戦争は悪=安保反対という

図式にすり替えている気がする


国を守ることを否定している人にとって

国民を守るのは、日本国内でしか通用しないお題目のような「憲法9条」であり

9条さえ守っていれば、国民の生命財産は安心だと言うのである


私は以前から「9条教の信者」と表現しているが

憲法で定められているから「完璧」とでも考えているのだろうか

何なら各地方自治体や町内会で、「殺人お断り条例」とか、「空き巣ゼロ宣言」

などをすれば、安心・安全が訪れると言う事になりはしないだろうか


言霊信仰の日本人らしい発想である「9条を守る」

私にとって9条を守る前に、自分の家族を守るべきだと思うのだが

9条教の信者さんは、家族より「憲法9条」の条文が大事であり

殺されることを選択する「敬虔な信者」たちなのである


キリスト教徒でも「殺されることを選択」する人は少ないだろう

アメリカの国民を観れば一目瞭然ではないか・・・


私の親類縁者も「北海道空襲」の犠牲になった人がいる

文字通り「戦争が嫌で家族が一番」だったのだろうが

望んだわけでは無いのに「殺された」日本人の一人なのである


「殺される」ことを望む人に聞いてみたい・・・

殺されることが理解できますか?

気付かないうちに「即死」させてくれると考えていませんか?

我が子の体が生きたまま引き裂かれる事を想像できますか?

愛する女性が凌辱され腹を裂かれることを容認できますか?

戦争で無抵抗に「殺される」とは、そういう事も含んでいるのです






和夫一家殺害事件 ~「親日派のための弁明(著者キム・ワンソプ。キム・ソンス君の証言)」より~


日韓併合時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々も多かった。
普段から人情に厚かった和夫は、小作料を収穫全体の10分の1しかとらず、村人達を家族のように考え、朝鮮総督府の法令で規定された小作料の中から最低限しかとらなかった。

貧しい朝鮮の小作人が食べ物が無いと哀訴すると、喜んで食べ物を分け与え、村で誰かが亡くなると、家族全員が駆けつけて食事の用意はもちろん、自ら慟哭までして悲しみを分け合った。

和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたがその数は一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。
けれども、和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。 和夫の家族は、ふだん、このように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。

しかし、彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害された。

その日、彼がわが子のように育て、東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に、彼の家で教育を受け、育ち、成人した青年たち13人が、斧と鍬、スコップを手に、和夫のもとに押しかけた。
間髪入れず鍬が、和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に、数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。
このとき、和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。
それまで黙っていたCは、和夫の妻を見て、彼女の長い髪をつかみ、庭の奥まったところに引きずっていった。そしてなんと13人がかりで、ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を、強姦しはじめた。
(キム・ソンス君は、ここで自分が止めに入ったら、自分も殺されただろうと言った)。
そして彼女は集団強姦の途中で虐殺され、Dはふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず、彼女の内臓をひきずり出して、まき散らした。

和夫さんには「ひみこ」という娘が一人いた、普段から模範的で良い子だったひみこは、学校が終わって家に戻り、両親に起きた惨状を見ると、気が触れてしまった。当時、ひみこの慟哭が何日も続き、近所の住民は眠れなかったという。その後、孤児となったひみこは、食べ物乞いに村を回ったが、誰一人見向きもせず、知らないふりをした。結局、ひみこは9日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。ひみこは小学六年生だった。和夫の財産は、和夫が精魂込めて大切に育てた朝鮮人孤児達の手に丸ごと渡り、この事件は、村人達の沈黙の中で徐々に忘れ去られていった。


*この本は 韓国で「青少年有害図書指定」されて、事実上の「発禁」となった


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マスゴミのレベルはこの程度である

2015年07月25日 | 歴史
A級戦犯7人、最期の肉筆…遺書など一般公開


 東条英機ら「A級戦犯」7人の処刑に、日本人でただ一人立ち会った教誨きょうかい師花山信勝しんしょう(1898~1995)の生家で、7人が最期に残した署名などを保管している金沢市の宗林寺が、戦後70年を機に遺品を一般公開している。

 信勝の孫で住職の勝澄まさずみさん(59)は「戦後の始まりを振り返り、平和を考えるきっかけにしてほしい」と話している。

 公開されているのは、A級戦犯として絞首刑となった7人の署名や遺書の写しのほか、処刑直前に飲んだワインの瓶や、戦犯が拝んだ仏像など。これまで檀家だんかや研究者、報道機関など以外に公開されていなかった。

 東条の遺書は、処刑の約1か月前に信勝に託したもので「刑罰は私に関する限りは当然である」「ただ戦禍を受けた同胞のことを思う時、私の死刑によっても責任は果(た)されない。全く相済まぬと思っている」などと記されている。

 金沢市武蔵町の浄土真宗本願寺派・宗林寺で生まれた信勝は東京帝大教授を務めた仏教学者。1946年2月、巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)の教誨師に任命されて戦犯らと交流し、極東軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた戦犯の処刑に立ち会った。

 巣鴨拘置所で東条英機(元首相)、広田弘毅(同)、板垣征四郎(元陸相)、木村兵太郎(元ビルマ方面軍司令官)、土肥原賢二(元奉天特務機関長)、松井石根(元中支那方面軍司令官)、武藤章(元陸軍省軍務局長)の7人の処刑が執行されたのは、48年12月23日未明。信勝の著書「平和の発見」によると最期の酒としてワインが出され「悲しみも動揺もなく、平常心そのまま、『念仏』とともに死についた」とある。信勝は執行の間際に署名を求め、7人は手錠をかけられたまま揮毫きごうした。その絶筆は、同寺の石碑に刻まれている。

 勝澄さんは「歴史として冷静に振り返ってもらうには長い時間が必要で、一般公開は戦後70年を節目と考えた」と話す。

 拝観には予約が必要で、拝観料500円。問い合わせは宗林寺(076・221・8650)へ。

2015年07月25日 17時57分 Copyright © The Yomiuri Shimbun





この記事を読んで、呆れてしまった・・・

報道関係者の程度が低いことにである


A級戦犯とは何ぞや?

この一点が理解できない人間が記事を書くとこういう内容になる

おそらく多くの日本人がマスゴミの洗脳によって、「A級戦犯」という

犯罪者の虚像を刻んでいるのが現実である


この日本に「A級戦犯」は存在しない

これすら理解できない日本人は多い事だろう

故に「靖国問題」も本来は存在しないはずなのである






では、なぜ「A級戦犯」という言い方をするのか・・・

極東軍事裁判(東京裁判)において定義された中に

極東国際軍事裁判所条例の第五条の(イ)というものがあり

英文で書かれたものが第5条(a)による「戦争犯罪人」となることから

A級戦犯(a項による戦争犯罪人)と呼ばれるようになったのである


極東国際軍事裁判所憲章第6条b項「通例の戦争犯罪を犯した」とされる

者に対して「B級戦犯」

第6条c項「人道に対する罪」に違反したもののことを「C級戦犯」と

区別しているにすぎない


昭和28年8月3日、衆議院本会議で 「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」

を社会党も含めた満場一致で決議し、結果として「戦犯」と言われた人たちはすでに

犯罪者とは見なされず、A級戦犯で絞首刑になった東条英機元首相ら7人も「刑死」ではなく

「公務死」の扱いにされ、彼らの名誉回復がなされている


これは日本の国内(身内)の見解だろうと思うかもしれないが、事実を知れば

このような扱いや諸問題が起こるはずがないのである

その事実とは、昭和30年7月19日 衆参両院の本会議で「戦犯赦免に関する決議案」

を圧倒的多数で可決し、国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条にもとづき

関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は昭和31年、BC級戦犯は昭和33年までに全て

赦免・釈放された


結果として、安倍晋三首相の祖父・岸信介氏は「A級戦犯元被指定者」でありながら

内閣総理大臣に就任しているのである

その際、中国はもちろん諸外国から異議は出なかったのである


日本の政府が「我が国にA級戦犯なる者は存在しない」と言明すれば

事足りた話であり、報道機関が戦犯という表現を続ける要因にもなっている


「過去の過ちを学ぶ」その前に、マスコミはきちんと歴史を学ぶことから

やり直してほしいものだ・・・


靖国合祀が適当な処置・処遇だったのかは個人の思いに委ねるにせよ

その「合祀」をもって、靖国参拝を批判される根拠は存在しないのであり

当然のことながら、別の施設を設ける事など不要と言う事になる


また日本で一番長い日がやってくる・・・

この国が存在することに感謝し、御霊の安らかなことを祈りたいものである。



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文化財を汚す犯人を許す「規則」とは

2015年04月16日 | 歴史
文化財は削れぬ…二条城のシミ、成分特定できず

 各地の寺社などで油のような液体がかけられた跡が相次いで見つかっている事件で、世界遺産・二条城(京都市)の液体については、成分を特定できなかったことが、捜査関係者への取材でわかった。

 文化財のため京都府警が付着部分を削り取ることができず、鑑定用の試料が足りなかったとみられる。

 二条城から府警に被害相談があったのは4月7日。約2か月前に国宝の「二の丸御殿」の床など計20か所で液体のシミが見つかっていたが、8か所のシミは二条城が専門業者に頼んで取り除いていた。

 残る12か所についても、文化財の一部を傷つけることはできないため、府警は濾紙ろしで表面をこすり、微物を採取。超微量の物質を分析する機器で鑑定したが、判別できなかった。研究機関の職員による目視の確認では、機械油の可能性が高いという。

2015年04月16日 20時01分 Copyright © The Yomiuri Shimbun





    文化財は削れぬ

申し訳ないが・・・笑ってしまった

「意味無く削る」というものでもない

「文化財を守るため」に必要な対処法は「再発」を防ぐ事

ばれなきゃいい・・・という卑劣で姑息な犯人達を

野放しにすることが、はたして最善策なのか?

警察の捜査には協力しないで、犯人を許す(見逃す)姿勢とは


日本の役所というか、政治は融通が利かないことで知られている

もっと大きな被害を被ってから、悔やんでも取り返しがつかない

ところが「責任」を取らない制度の中でぬくぬくと生活している

役所の人間にとって、犯人の特定など、どうでもいい事でしかない


自分が担当している期間で、大きな問題にさえならなければ・・・

総ての事案は「一過性」でしかないのである


似たような問題は日本のいたるところで観られる

彼らにとって、事の本質より波風が立たない事が最優先だ

常識的感覚など「明文化」されていないものは無視する


明文化されたものとは、「言い訳」の根拠である

【規則で決まっているから許可しなかった】

大義名分が立てば、「情」も「道義」も「常識」も無視する

書いてあることだけ守って過ごす【役人人生】である

そのくせ文章の不備を突き、過大解釈をして都合の良い決定をする

したたかさも持っている


「守る」の意味をかん違いしている現代の日本人

憲法9条を守ること=平和を守る

これこそ史上最悪のかん違いである

積極的に足を前に出す事が「守る」ことだ

殻に閉じこもる事を「守る」と思い込んでいる

敵対者・侵入者に対し積極的に関わる事も「守る」ことになる


攻撃は最大の防御とは言いすぎだろうが

一歩前に出る姿勢も「守る」ことに繋がると思うのだが・・・。



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朝鮮戦争における李承晩と米国の大罪 (三)

2015年03月06日 | 歴史





今ならまだ韓国軍は戦線を維持できます。しかしこの機を逃せば、中国と北朝鮮の

共産主義者共は、我が軍を壊滅させ、反共主義勢力を滅ぼすでしょう。 (中略) 

マッカーサーに、共産主義侵略を阻止する原子爆弾使用許可を与えるべきです。

モスクワに原子爆弾を数発落とせば、世界の共産主義者共は震え上がるでしょう。




これは李承晩が米国大統領・トルーマンに宛てた書簡の一部分である



狂人・李承晩は、ソビエト連邦首都への原子爆弾を使用した

民間人大量殺戮を示唆する内容の書簡を送った



マッカーサーは中華人民共和国国内への攻撃や、同国と激しく対立していた

中華民国の中国国民党軍の朝鮮半島への投入、さらに原子爆弾の使用の提言など、

戦闘状態の解決を模索していた国連やアメリカ政府中枢の意向を無視し、

あからさまにシビリアンコントロールを無視した状況が相次いだ


そして最終的にマッカーサーは解任されたのである



ソ連の核保有がなければ、米国は実際に核攻撃をしていた可能性があり、

逆にソ連の核保有がなければ、スターリンは朝鮮戦争を許容しなかった

可能性があった

しかし、ソ連が核保有しなければ米国による一方的な世界支配がさらに

進められていった可能性もあり、核保有の政治的意義は朝鮮戦争を通して

明確化した

その後、中国、北朝鮮、フランスなども核保有への道を歩み始めたのである



北朝鮮の核開発問題


1956年3月と9月、旧ソ連との間に原子力開発に関する基本合意を行い、

数人の科学者を旧ソ連のドゥブナ核研究所に派遣した

小規模の実験用原子炉であるIRT-2000研究用原子炉の供与を受け、

寧辺に建設した

この時点でソ連は、原子力の協力は平和利用に限定されるべきとの立場を

崩していなかったのである


同年、アメリカは水爆の開発に成功し、その脅威を国際社会に宣伝するとともに、

トルコや沖縄のようなソビエト近傍も含む同盟国への核兵器配備を進めようとした


ソ連は必然的に米国の動きに対抗するためには、北朝鮮に核兵器を移転する検討を

はじめなければならない状況に置かれてしまった




技術の進歩と戦略の転換


当時のアメリカは飛行機による爆撃による核戦争を想定しており、それは核兵器を

敵国の付近に配備しなければならないことを意味していた

核兵器の大型化競争は、水素爆弾をすでに実現していたが、いまや核兵器輸送や

爆撃を困難にしていた

そんな状況の中で、ソ連は1957年に最初の人工衛星スプートニクを打ち上げ、

大陸間弾道ミサイルの技術を獲得することになる




アメリカの狡猾さ


大陸間弾道弾の可能性を示したことで大型兵器の実用性を獲得したソ連は米国より

一歩リードした

その後ようやく、米国が、軍縮への動きを認めるようになり、同年IAEAを設立、

米英ソは核実験を休止し、いわゆる「核実験モラトリアム」の時代を迎えた




フランスよお前もか・・・


1960年、フランスが事実上国際紛争の解決の手段として核兵器を使用した

自国植民地における核実験というタテマエをとったものの、アルジェリアの独立戦争

において明らかに核兵器を使用したのである


これをきっかけにソ連は核実験を再開、東西緊張は最高潮に達し、「キューバ危機」へと

歩みを進めることになっていった



歴史は点では説明できない

必ず何かしらの「理由(わけ)」が存在する



火を消すのは「消す意思」と「消す努力」が不可欠である

いつの時代も、消す意思を持った者の蔭で、油を注ぐ愚か者が

出てきてしまう


米ソどちらが良い悪いでは説明できない複雑さはあるにしても

ここまで泥沼化した根底には、国益という名の「薄汚い欲望」

が影響していた事は疑いようが無いのである




火種をあちこちに撒いていたのはアメリカと言う国家であり

その「火種」に油を注いだのは、世界の国々であった事は

明白である




そのころの南朝鮮では、李承晩政権は完全に支持を失っていた

独裁を維持するためには、あらゆる手法で不正選挙を行う必要があり

その内容は笑い話かと思えるほど強引なものだった



キューバ革命が成功し、日本では60年安保闘争が繰り広げられていた時期

核の脅威によって米国が戦後体制を動かそうとしていた流れは、ソ連の人工衛星

成功によって、逆流し始めた


朝鮮戦争を通じて、韓国政府と米国の思惑が露呈し、12年続いた独裁体制は、

もはや継続することが不可能な情勢となった

与党自由党は全力を注ぎ、官憲や暴漢を動員した不正選挙を展開し

自由党は有力野党である民主党を封じるために早期選挙を計画した


李承晩政権はそれまで慣習的に5月に実施されていた大統領選挙を2ヶ月も

早めて3月15日を投票日とすることを決定

野党が想定しないタイミングでの選挙を強行するという手段をとった


野党、民主党の趙炳玉候補が、アメリカで手術を受けた後、2月15日に急逝

李承晩の対立候補が、米国での手術後に、謎の死を遂げる

これをあきらかな「暗殺」と見るものが多い

不都合には「暗殺」という最終手段は韓国の「お家芸」である

たとえ、それが米国大使であっても・・・・


これにより大統領選挙は候補者一人の状態に陥り

信任投票となった選挙だったが、そんな中でさえあからさまな投票操作

が行われた

韓国の選挙法上、候補者が一人の場合は有権者の1/3の得票を得る必要がある

しかし、これさえ達成できそうになかった李承晩政権は、さらに公務員・警察を動員した

大規模な選挙不正を実施した

「恥の文化」がない民族の蛮行は、怒りより「笑い」を誘うようだ・・・



1960年3月に行われた第4代大統領選挙における大規模な不正選挙に

反発した学生や市民による民衆デモにより、当時、第四代韓国大統領の座に

あった李承晩が、ついに下野することになった

後に【四月革命】と呼ばれる出来事である

(つづく)


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朝鮮戦争における李承晩と米国の大罪 (二)

2015年02月19日 | 歴史


 【大田刑務所虐殺事件】

7月1日、軍部の指示に基づき、大田刑務所に収容されていた収監者中、一般犯を除外

した思想犯1800余名の朗月洞の虐殺が決定され憲兵と警察が銃殺した後、穴に埋めた

この事は公開されたアメリカ軍の機密書類に、アメリカ軍将校の立会いと虐殺の承認

などの詳細が記録されていて、イギリス人やオーストラリア人の目撃もあり、

アメリカ軍少佐はワシントンに虐殺の写真を報告しているが、半世紀の間

隠蔽され続けてきたという経緯がある



烏山の戦い、大田の戦いで敗退し、アメリカ軍は後退を余儀なくされていく中、退路のない

朝鮮半島内の韓国軍はさらに追い詰められていった

1951年初頭、北朝鮮・中国両軍の攻勢を受けた韓国軍は、前線の後退作戦を敢行し、

国民防衛軍は50万人余りの将兵を後方の大邱や釜山へと集団移送することになった


しかし、防衛軍司令部の幹部達は、国民防衛軍のために編成された軍事物資や兵糧の

米などを、処分・着服してしまった


その結果、極寒の中を徒歩で後退する将兵に対する物資供給(食糧・野営装備・軍服)

の不足が生じ、9万名余りの餓死者・凍死者と無数の病人を出す「死の行進」となった

「八甲田」など比べようも無い惨状ではなかったか・・

この時代にも、自分だけ「得をする価値感」が主体の醜い民族性がみられるのである




結果的に【朝鮮戦争】において、韓国軍は約20万人、アメリカ軍は約14万人、

国連軍全体では36万人の死傷者を出した


しかし・・・朝鮮戦争で命を落としたのは、軍人ばかりではない

共産主義者の犯行とされ、隠蔽された虐殺被害者は20万人~100万人

とも言われる

この虐殺に「在韓米軍」が深く関わっていた事を忘れてはいけない


 「正義」は勝った者にだけ許される言葉である


日本人が知らない朝鮮戦争には、実は日本の特別掃海隊が派遣され、

機雷除去に参加し、そして56名が命を落とした事実がある

これをどう解釈し、「集団的自衛権」を考えるかは、人ぞれぞれである

悪いとは言わないが、米国のためが「日本」のためになるかどうか

是々非々で見る必要があるのかもしれない・・・。


1951年6月23日にソ連のヤコフ・マリク国連大使が休戦協定の締結を

提案したことによって停戦が模索され、1951年7月10日から

開城において休戦会談が断続的に繰り返されたが、双方が少しでも

有利な条件での停戦を要求するため交渉は難航した


そんな中、1952年1月18日に、実質的な休戦状態となったことで

軍事的に余裕をもった韓国は、李承晩ラインを宣言し、

竹島、対馬の領有を宣言したのである

卑劣にも、連合国占領下にあり自国軍を持たない、かつての宗主国である日本

への強硬姿勢を取るようになった


其処に至る経緯は、日本は1952年(昭和27年)サンフランシスコ講和条約発効により、

「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に

関する法律」に基づき、「日本国籍を離脱する者(旧領土出身者)で、昭和二十年九月

二日以前から日本に住むものは、引き続き在留資格を有することなく、日本に在留する

ことができる」とした


問題なのはサンフランシスコ講和条約が発効された頃は、朝鮮半島は

朝鮮戦争の真っただ中だった

戦火を逃れ、また朝鮮半島で生活していくことへの不安から日本に渡った朝鮮人の

密航者たちがいて、彼ら密入国者たちは出生を誤魔化して多数在留資格を

得たとされている

その13年後、1965年、日本と韓国は在日の扱いをどうするかの「日韓基本条約」

と「日韓法的地位協定」を結ぶことになる


それを有利に進めるため韓国は、竹島を武力で侵略したのである


1952年、当時の大統領李承晩は国際法のルールを無視した「李承晩ライン」

という領海線を勝手に引き、そして李承晩ライン内にある竹島を韓国領土だと

主張してこれを占領したのである

不法に拿捕した日本人を「人質」にして、優位な条約締結を画策した

日本人が「韓国人」に対し、謝罪など一切必要ないことは明白であり

逆に「謝罪」しなければならないのは、「韓国」である事は言うまでも無い


この事実を知っていて、あるいは知らずに、「ヘイトスピーチ」だとか

「民族差別」などという日本人は、正常な判断が出来ない人間である


「明日はわが身」という

同胞ですら虐殺しても「心が痛まない」民族である

まして、日本人など「虐殺」して当然のように思っているだろう





李承晩(イ・スンマン)이승만

日本に併合される前の李朝朝鮮がまるで「東洋の理想国家」であったかのような

韓国内での朝鮮史賛美は、李承晩の捏造から来ている

保導連盟事件、済州島四・三事件、国民防衛軍事件のような失政から国民の目

をそらすために【激しい反日教育】を行い、それが現在でも韓国社会に多大な

影響を与えているのである




【竹島の日】が近づいてきた

この事実を知って、「韓国マンセー」の日本人が少しでも減ることを

願わずにはいられない・・・・。


今年は「竹島の日」にも、日の丸を掲げようと思っている。



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朝鮮戦争における李承晩と米国の大罪

2015年02月12日 | 歴史





当時の北朝鮮は、中国での内戦に兵を派遣しており練度も高く、装備も充実していた

一方、米軍は情勢の安定しない韓国に対し、韓国に重装備をまったく支給していなかった

これは、【米韓軍事協定】に基づくものであった

と言うか日本人として積極的に戦争に参加して、敗戦すると掌を反す朝鮮人を

信用できないと言うのが本音だった

なぜなら、米国は韓国がある日突然、反米政権を樹立し米国と敵対する悪夢を

まだ捨てきれていなかったから当然と言えるだろう

ところが韓国軍は内部の反政府勢力と相変わらずの闘争を続けており、ゲリラ討伐などで

疲弊していたのが現状であった


1950年6月25日午前4時(韓国時間)に、北緯38度線にて北朝鮮軍の砲撃が開始され

朝鮮戦争の火蓋がきられた

完全な奇襲であった

約10万の北朝鮮兵士が突然、38度線を越えたのである

韓国軍はなすすべもなくソウルまで後退していき、ついには首都も陥落してしまう


【漢江人道橋爆破事件】

開戦から二日後、南朝鮮政府はソウルを捨て、遷都を決定した

遷都というのは「ごまかし」であり、首都陥落による政府機能の放浪と言うべき

事態に陥ったのである

6月27日深夜1時、中央庁において招集された「非常国務会議」で、政府の水原移転が

決定された

ソウル市民については当初より移動計画はなく、この席でも何らの対策も講じられる

ことは無かった、つまり南朝鮮政府は「ソウル市民」を見捨てて逃げ出したのである

南朝鮮政府が水原への遷都を発表したことで、それまで楽観的な報道のみを聞かされて

いたソウル市民は、初めて首都の危機を知る事になった、まるで日本の大本営発表の

様相である

この後、ソウル市民を待っていたのは南朝鮮政府による、国民の切捨てという形の

惨殺劇であった・・・・。


避難路を求めるソウル市民が漢江の人道橋付近や、ソウル駅に殺到する一方、増援部隊の

車両は北上を続けており、市内は大混乱に陥っていた

そんな状況の中、その避難路の漢江人道橋は、約4000名の避難民が渡っている状況で

爆破され
、約500~800名と推定される避難民が犠牲となった

その結果、民間人だけでなく、韓国軍部隊も退路を失う形となり、韓国軍主力は

北朝鮮軍の勢いもさることながら、自ら過早に退路を遮断したことが決定的な要因となって、

信じられぬ速度で崩壊していったのである


闘い方を知らない「軍隊もどき」が迎える当然の結果であった

民間人を相手に「虐殺」を戦争と思い違いをしていた「軍隊もどき」に

練熟した北朝鮮軍は縦横無尽に侵攻することができた

6月28日、ソウルは北朝鮮軍の攻撃により多くの市民の犠牲者を出した末に陥落した

米国の傀儡として発足した李承晩政権は、強権による独裁体制の維持に躍起になって

一つの過ちが更なる過ちを生むという負のスパイラルに陥ってしまった


韓国政府と米軍による反政権に対する虐殺は、北朝鮮の進行中であっても変わらずに

遂行された

収監されていた数十万人の政治犯が、米韓連合軍(国連軍)の軍命で処刑された

米大使館武官室は、ソウル陥落後、敵軍によって釈放されないようにという名目で、

「国民補導連盟」の登録者や、収監中の政治犯・民間人・親日・知日派や、

共産主義者を処刑させた

その数、100万人を越える民間人が裁判なしで虐殺されたともいう

こうして朝鮮半島から、李承晩体制に反発する大勢の人々が、命を奪われ

る事になったのである


6月27日に開催された安保理は、北朝鮮を侵略者と認定、“その行動を非難し、

軍事行動の停止と軍の撤退を求める”「国際連合安全保障理事会決議82」を

全会一致で採択した


70年前も現在も、国連と言う名の無用の長物は、事の真相ではなく、米国の

顔色だけで方向を決めていたのである


拒否権を持つ中・ソ連が欠席するなか、米国主導で行なわれた安保理決議は、

「北朝鮮弾劾・武力制裁決議に基づき韓国を防衛するため、必要な

援助を韓国に与えるよう加盟国に勧告」し、アメリカ軍25万人を中心として、

日本占領のために西日本に駐留していたイギリスやオーストラリア、

ニュージーランドなどのイギリス連邦占領軍を含むイギリス連邦諸国、

さらにタイ王国やコロンビア、ベルギーなども加わった国連軍を結成した


李承晩政権を公然と軍事支援する名目を得た米国は、国連軍の名を用いて、

軍隊を朝鮮半島に派遣することになったのである



現在の北朝鮮と米国の確執は70年の時を経た今も変わっていないし

韓国が世界の常識を逸脱しても、米国が韓国を擁護するのは、この虐殺の

共犯者である負い目から来るものなのである


これを知れば、「慰安婦強制連行」も、朝鮮戦争時代の米韓が主役の問題だった

ことが透けて見えてきてしまう

事実であるかどうかは、米国にとって問題外なのであり

いかに「過去の恥辱」「過去の大罪」を隠蔽するかが重要なだけである


韓国や米国政府の発言に、怒りや不満を感じている日本人が、いくら怒ろうとも

すべて着地点が定められた「反日問題」でしかないのであり

米国の「ダブルスタンダード」は未来永劫変わることは無い・・・

私はそう思っている

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李承晩政権の罪と朝鮮半島の混乱

2015年01月29日 | 歴史


1949年12月24日、韓国軍は住民虐殺事件(聞慶虐殺事件)を引き起こす


共産匪賊に協力したなどとして、韓国陸軍第2師団第25連隊の第7中隊第2小隊・第3小隊が

非武装の女性、子供、老人の88人を射殺した

李承晩政権下での虐殺の中では、小規模なものだったが、李承晩は共産主義者による

犯行であると情報操作をした


その際、李承晩政権は、陸軍部隊を派遣し、住民を虐殺、共産主義者による犯行と断定し、

事態を隠蔽した強権的な独裁体制が構築されるとともに、親日あるいは共産主義を

擁護する発言はタブーとなっていった


後日談ではあるが、2009年8月6日、ソウル高等法院(高等裁判所)は不法行為を認めた

上で、時効の成立とし、遺族による賠償請求を棄却した

これが南朝鮮国家の「反日無罪」の意思表示であった


金日成は悲劇の続く南朝鮮で李承晩を倒し統一政府を樹立するために、ソ連の指導者

ヨシフ・スターリンに南半部への武力侵攻の許可を求めたが、アメリカとの直接戦争を望まない

スターリンは許可せず、12月にソ連軍は朝鮮半島から軍事顧問団を残し撤退した


ソ連がアメリカとの直接戦争を回避した理由は、ただ一つ・・・「原爆を保有していなかった」

当時ソ連はアメリカの「核の威圧」に腰が引けていたのである

だがあくまでも損得計算であり、道義的な判断ではなかったといえる

アメリカ合衆国に全面戦争をする口実を与えれば、米国が核兵器を行使することが予想され

無抵抗の広島・長崎に無慈悲な原爆使用を躊躇い無く実施したアメリカである

相手がソ連であれば、どれだけの原爆を使用したか、考えるだけで寒気がする



ところが1949年、ソ連も核実験RDS-1に成功

アメリカ合衆国は、原子爆弾を共同開発した英国やカナダにさえも、核技術の移転を禁止し

独占保有しようと目論んでいた(マクマホン法)

しかし、脆くも米国の核兵器リードは戦後4年で失われてしまったのである

このことが朝鮮半島を更なる混乱に落とす事になった


【アメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン - 沖縄 - 日本 - アリューシャン列島

までである。それ以外の地域は責任を持たない】


これは当時のアメリカ国務長官(ディーン・アチソン)の発言である

・・・朝鮮半島は米国の責任地域外という解釈になってしまった

これが長官の失言だったのか、朝鮮半島全域を掌握する為の策だったのかは

今となっては知る事はできない・・・・


しかし、この事態を見逃す金日成ではなかった

1950年1月12日、国務長官の発言を、「アメリカによる西側陣営の韓国放棄」

と受け取り、侵攻の許可をスターリンに打診した

スターリンの回答は、「毛沢東の許可を得ることを条件に南半部への侵攻を容認」

するものだった

この南侵計画である「先制打撃計画」はソ連軍事顧問団が立案した

このころ米国は、すでに反米勢力の排除を終えたものと考えていた

当時は日本占領に腐心しており、朝鮮半島にそれほど大きな注意を払っていなかった

という事情もあったのである

しかし朝鮮戦争の張本人・金日成はソ連の核開発の成功、アメリカ国務長官の無責任な失言、

そして米国の支援する韓国政府による朝鮮人の弾圧、これらを朝鮮戦争突入のきっかけと

したのである

(次回は朝鮮戦争について)

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米国傀儡政権・李承晩とソ連の傀儡・金日成

2015年01月28日 | 歴史





《麗水・順天事件》

全羅南道麗水郡駐屯の国防警備隊第14連隊が反乱が起こした反乱は

麗水郡から隣の順天郡(現在の順天市)にも及んだ

李承晩
は直ちに鎮圧部隊を投入し、1週間後の10月27日に反乱部隊は鎮圧された

残兵はその後北部の山中へ逃げ込み、長くゲリラ抵抗が続けるが

韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、反乱部隊に加えて、非武装の民間人8000名が

殺害された。

そして、多くの朝鮮人が日本へ密航・逃亡し在日韓国・朝鮮人となる背景となった


そんな中、後に北朝鮮を建国する金日成もまた、朝鮮半島の朝鮮民族全体での自立を訴える

政治家の1人でであった

南朝鮮における労働党迫害、米国主導の南朝鮮分離の動きをうけて、彼は南朝鮮への

送電を停止して対抗した


1948年8月15日に、アメリカ合衆国の後押しで大韓民国が建国された。

李承晩は議会多数の支持を得て初代大統領に就任する


総選挙によって李承晩と韓民党は制憲議会の多数を制した

そこで制定された第一共和国憲法は、議会が大統領を選出すると定めていたのである

終戦から3年、【米国傀儡政権】が誕生した


そして大韓民国憲法とともに「反民族行為処罰法」が制定された

親米独裁政権を維持するためには、「親日」勢力を行政から除去する必要があり、積極的に

思想弾圧を進め、暴力を行使してでも、親日派や共産主義勢力を徹底的に排除するしか

選択肢が無くなってしまった

アメリカ軍政庁傘下の韓国教育評議会(Council for Korean Education)が組み立てた

教育制度を全国で完全実施した

アメリカとの強固な同盟関係を求める一方で、北朝鮮や日本を敵視する政策を

実施したのである

終戦から僅か3年後において、米国の「敵」は北朝鮮日本だった

(その時代の米国にとって、敵の敵も敵だったということである)

日本統治時代に朝鮮発展に貢献した主要人物は親日反民族行為者に認定され、

罰せられることになり、調査のために反民族行為特別調査委員会が置かれ、

武装した特別司法警察職員が該当者を逮捕尋問することが法的に認められる

ようになり、親日と認定されること自体が社会的なリスクを伴うように

なっていった

この当時の記憶が「反日を叫んでいれば安泰」の民族感情が芽生えた要因である


一方で、金日成は米国主導の大韓民国樹立に対抗し9月9日に

ソ連の後援を得て朝鮮民主主義人民共和国を成立させた

この結果、北緯38度線は占領国が引いた占領境界線ではなく

事実上当事国間の「国境」となった





* ある説によれば、金日成はソ連の指導のもとで、朝鮮の統治機構を安定させることが

彼の目標であり、北朝鮮を分離独立させようという心算はなかったという

米国主導での南朝鮮分離は、金日成に国家建設の決断をさせた原因だというのだが・・



こうして南朝鮮は独立を果たすわけだが、国連は新政権の主張を受け入れた

国連も名ばかり、米国の操り人形と化していた

国連の謳う民族自決の原理は、たんなる「お題目」だったということだ

これは現在も何ら有効な解決策を示せないで、アメリカの為の「講」の

如き組織のままであり、その多くの大国は「口は出すが 金は出さない」

極道社会のような有様である




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その時 アメリカは朝鮮半島において・・・

2015年01月12日 | 歴史



人類平等(人均)・民族平等(族均)・国際平等(国均)という三均主義

李承晩、呂運亨、金九などの朝鮮人が戦時中に目指していた独立理念である


ときは昭和20年8月

日本の降伏を目前にして、日本国朝鮮総督府から移譲された「呂運亨」はすぐに

行動に出たのである

(朝鮮総督府として、日本は朝鮮の自立を願い、呂運亨に独立の夢を与えたのである)

ところが、8月16日には米国がソ連に38度線での分割占領を通知し

ソ連もこれに同意した

米ソが朝鮮半島を分割支配(分断)したことになる


同年9月6日に呂運亨は独立宣言をした、その名を《朝鮮人民共和国》という


その翌日アメリカ軍は仁川(インチョン)に上陸し、この独立宣言を認めなかったのである

アメリカ合衆国極東軍司令部が南朝鮮に軍政を布くことを一方的に宣言してしまった

1945年9月7日、【夜間通行外出禁止令】が出され、1982年に解除されるまで続いた


彼らが一時的に手にした「治安維持の権限」、放送局や新聞社などの言論機関、そして

何よりも「民族自決」の望みを取り上げられたのである


同年9月9日、朝鮮総督府は降伏文書に調印し

同年9月11日、アメリカによる軍政が開始された

この結果として、朝鮮人による独立は失敗に終わったのである


その1ヵ月後の1945年10月に李承晩(イ・スンマン)なる人物がアメリカから

朝鮮半島に帰国し、「独立建国運動の中心人物」となる

李承晩は大東亜戦争中、ほとんど朝鮮半島には居なかった人物で

「大韓民国臨時政府」に名を連ねてこそいたが、アメリカでロビー活動を展開していた

彼の主張は、反共産主義での朝鮮半島統一であり、当時の朝鮮の活動家の中では

ほとんど唯一の右派活動家であり、大韓民国臨時政府のメンバーの中で、もっとも米国支配に

都合のよい政治家だったのである


結果的に米国は、日本の指名した呂運亨による新政府を認めず、米国と繋がる李承晩を利用する

米国の支配を選択したのである




モスクワ三国外相会議は終戦後の利害調整のために行なわれたと言っても良い内容で

朝鮮半島の独立がなされるまでは、アメリカ・ソ連・イギリスに中国を加えた4か国による

最長5年間の信託統治を要すると決定した

この会議での合意事項は、原子力の国際管理と、朝鮮半島の最長5年間の信託統治、5年後の

南北統一選挙だったが、しかし、核の独占を背景に、アメリカはその全てを破り捨てたのである


この当時の情勢は、核廃絶を要求するソ連と、挑発的核実験を繰り返す米国が対立していた

今では考えられないことが起こっていたのである

現在、アメリカは北朝鮮・イランの核実験や核保有に批判をするが、60数年前には

諸外国から同じ批判をされていたのである


米ソの東西冷戦は「核独占保有」による強行的外交による軋轢が要因だったのである


「社会主義」と「民主主義」と言う建て前論の裏側に、核保有と言う力でねじ伏せる

強硬な外交手段の是非が生み出した外交摩擦が大きかったのである


(次回は 李承晩(イ・スンマン)について考えたい)



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侵略戦争・・・AGGRESSIVE WAR

2015年01月03日 | 歴史




侵略戦争・・・AGGRESSIVE WAR

AGGRESSIVE この言葉を英訳すれば、先に手を出す・進んで仕掛ける・先制攻撃をする

「先に手を出し先制攻撃をした戦争」という意味になる

これが中国共産党や米国の唱える「侵略戦争」の事実である


イラクに「先制攻撃」をした米国は、間違いなくAGGRESSIVE WAR を行ったのに

世界の国々は、その責任を追及したのだろうか?



アメリカ第26代大統領 セオドア・ルーズベルト(ノーベル平和賞受賞者)

彼の国家についての格言では、次のように述べている

「権利のために進んで戦いを挑むこと(AGGRESSIVE FIGHTING)は、世界中の人々が行う事ができる

最も崇高なスポーツである」

「正義か平和を選ばねばならないとしたら、私は正義を選ぶ」


《 AGGRESSIVE FIGHTING とは国家の行う戦い、すなわち戦争であり

そこから現代のAGGRESSIVE WARと同義語として解釈されている》

20世紀初頭では、国家の行う戦争は国際法上で是認され、ルール化されていたのである

大東亜戦争の何処を指して、戦争犯罪なのか・・・

どうして是認されていた戦争で、日本だけが責任追及されたのか

戦争を行う事の是非ではなく、今尚日本人を苦しめる「戦争責任」と「侵略戦争」に

ついての事実を再確認したい・・・


事後法というものがある

わが国でも、新しく出来た刑法によって、過去の罪を裁いてはならないという大原則がある


日本と同様に裁かれた国は「ドイツ」で、その対応に大きな違いが見える


その前に、日中戦争の状況を説明しておくと

戦前のドイツの軍備を支えていたのは、中国から算出される重金属(タングステン)などの

希少金属であり、砲弾や工作機械のドリル刃には欠かせないものだった

一方、中国ではドイツ製の武器弾薬と軍事作戦の顧問を要求した

今で言う「ウィン ウィン」の関係だったのである

当時の中国政府軍は蒋介石が率いる国民革命軍といい、ドイツ製の武器で武装し

ドイツ人顧問による軍事作戦で日本に対抗していたのである

その見返りとして手にした重金属で、ヨーロッパの国々に侵攻したのがナチス・ドイツ

という国だった

日本とドイツが「蜜月」「同類」とかん違いしている人は多いのだが、世界の国と国とが

、手放しで友好同盟など「絵空事」であり、国益に適うかどうかで、敵にも味方にも

なったのである

それを踏まえて、日本の「ファシズム」を抗日戦争で撃破したと吹聴するシナ・共産党は

「日本の朋友」「歴史の大罪人」であるドイツとの過去の関係には一切触れることは無い

のが現実である

ドイツと日本が同盟国で、共に「戦争犯罪国」であるならば、そのドイツと【蜜月】関係だった

シナも糾弾されるべきではなかろうか・・・。


さて靖国神社の「合祀」で問題になっている【A級戦犯】だが、これについては

ある程度のことが知られているが、もう一度お浚いしてみたい

【A級戦犯】
 侵略戦争は犯罪であり、平和に対する罪のことをいう

【C級戦犯】
 人種主義による「住民虐殺」を断罪する「人道に対する罪」をいう


では当時の国際軍事法廷はドイツをどう裁いたのか・・・


平和に対する罪だけでは「極刑」「重刑」にすることができず、ユダヤ人虐殺に

よる「人道に対する罪」と「平和に対する罪」の複合罪で処罰したのである


そして・・・日本の「東京裁判」では、問答無用の「平和に対する罪」だけで、

多くの日本人を「極刑」に処したのである。

裁判とは名ばかりで、不都合な事実をうやむやにし、アメリカを中心とした国々

によって、魔女裁判のような扱いを受けたのである


ここでも分かるように、国際軍事裁判に「B級戦犯」なるものは存在せず

日本を裁く便宜上の「限定的仮装罪名」だったのである


百歩譲って、日本の指導者が「平和に対する罪」で極刑が当然ならば、広島・長崎

に「原・水爆」を投下し「無辜の市民」を数十万人虐殺した「人道的な罪」を犯した

米国大統領や米軍幹部は「万死」に値するのではないだろうか・・・・。

自虐史観に染まりきった日本人に、これがどういう意味を持つのか理解できるだろうか?


現在シナが尖閣において「挑発行為」を繰り返す背景にあるものが何なのか

穿った観方をするようだが、「先に手を出させる」ことを意とするならば、その奥底に

AGGRESSIVE WAR = 侵略戦争 = 平和に対する罪 を睨んでの「二匹目の泥鰌」を

企んでいるのかもしれない


アメリカは「絶対的同盟国」でもなければ、「国益を同じく」する関係でもない

目の前にある「不都合」を回避するための「同志」であり、国益に反する場合は

冷徹な対応をすることは間違いない


侵略戦争という名の戦争は、全ての戦争に該当するのが常識であり

イラクに「先制攻撃した戦争」の首謀者アメリカも、クリミア・ウクライナに

侵攻したロシアも AGGRESSIVE WAR の当事者であり、軍事裁判が開かれれば

両国の責任者は「極刑」に処されるべきなのである

そうでなければ、「東京裁判」の裁定は片手落ち・冤罪ということになる


何を持って罪と成すか、その時々で判断基準が変わるものを、「公正な正義の法」

とは呼べないのであり、連合国の都合で「戦犯」とされ極刑に処された「先人」の

御霊を侮蔑・非難する事などあってはならない

【靖国合祀】を批判し反対する人の、どのくらいの人間がこの事実を認識しているのか

正しい歴史とは「観る位置」「観る角度」「知られざる事実」を総合的に観て判断するのが

良かろうと思う・・・。


何も知ろうとしないで、何も知らずに「反日・抗日」を叫ぶ 南朝鮮パク女史 

歴史事実を承知しながら、「反日・抗日」を叫ぶ シナの習キンピラ

その両方に位置する「国内反日・抗日分子」である 左巻き日本人・・・


戦争を擁護する気は無い、是は是 非は非を基に考えれば、自ずと歴史の

中に答が隠れているのである。

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靖国問題の戦犯はいるのか?

2014年08月17日 | 歴史





慰安婦強制連行の捏造問題は「朝日新聞」が主犯であり

福島瑞穂(趙春花)が共犯である


では靖国問題の陰の功労者(戦犯)はいったい誰なのか

1、共同通信社の記者

2、時の総理大臣・三木武夫氏

3、日本のマスコミ各社

知る人ぞ知る話である。


靖国問題の起源は日本の売国記者の悪質な質問と

不用意な総理大臣の発言から引火し、マスゴミが油を注いだ問題だ

「公人としての参拝か」「私人としての参拝か」という質問に

「私的参拝で公的参拝ではない」と答えた。

ただ、それだけの話である。

アメリカ人なら「ノーコメント」で通すだろう(笑)


先の総理大臣・田中角栄が参拝しても、日本のマスゴミも

シナ・朝鮮も公のコメントなど一切無く、問題にすらなっていなかった。

無意味な質問と、不用意な答弁が招いた、哀しい史実である。


靖国参拝が問題なのでもなく、合祀問題が起因でもない

マスゴミの史実に対する不勉強が齎した「日本人の悲劇」なのである。


草葉の陰で「ビッテル神父」も嘆いているだろう

せっかく靖国神社焼却案を撤回させ、存続したのは何のためだったのか

国の為政者が遠慮するような現在を、どう思うだろう・・・。

遺されたものが当然行うべき参拝を、躊躇う事など想像しなかったに違いない

玉ぐしを奉納したから、国民との約束は果たした?

多くの国民は「約束を反故にした為政者」としか見ないだろう

痛恨の極み・・・・とは何の話だったのか?

去年12月に参拝した後、語ったあの言葉が信念なら、どうして躊躇う必要があるのか

日本の政治のトップとして、内外にキチンと示すべきではなかったか


参拝を自粛して結果として、朝鮮人は拳を下ろしたのか?

南朝鮮政府の論調は些かも変わりはしなかったではないか

参拝しようとしまいと、結論から導き出す不合理な論理で武装する朝鮮人

言葉も誠意も温情も通じない土人国家なのである


日韓併合35年を問題にするが、歴史的に植民地だったモンゴルによる

100年の統治には「難癖」をつけないのは不可解である。

モンゴル支配で朝鮮は栄えたのか?

日韓併合で朝鮮は衰退したのか?

シナに隷属して、毎年3000人の女子と金品を搾取されたことを

どうして歴史問題にしないのか?

歴史に向かい合うとは、そういう事なのである。


靖国神社の『大村益次郎』像の隣に、「ビッテル神父」像でも建立してはどうか

西欧諸国の一層の理解が得られると思うが・・・。


ドイツ人神父が理解していた事が、どうして日本人の政治家が理解できないか

どうして英霊の子孫である日本人が理解できないでいるのか

私には理解できない現象なのである。
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靖国神社が今在る理由を知る

2014年08月15日 | 歴史




【もしかすると、靖国神社は存在しなかった】


こんな事を言うと「頭がおかしくなった?」と言われそうである

ところが戦後「靖国神社焼却案」が実際にあった

もちろんGHQ(連合国軍総司令部)の計画である


戦前・戦中は日本の神社は「内務省」の所管であり

靖国神社だけが「陸海軍省」の所管だった

明治政府が唱えた神道指令に言うところの、「神社は宗教ではない」

という行政上の取り扱いを廃止した(国家神道の廃止)


とくにGHQが神経を尖らせたのは、靖国の存在だった

この神社がある限り、日本人はいつか結束するだろう

そういう疑念を抱いていた事は想像できる。

彼らは靖国神社、護国神社を「ミリタリー・シュライン」と呼び

伊勢神宮やその他の神社とは別の扱いをしたのである

ミリタリー・シュラインを訳すと【軍関係の神社】となるのか

軍国主義的神社ならば、「ミリタリスティック・シュライン」となる

未だに米国の一部政治家にも、靖国に異常な反応をする人が居るが

まさにこういう潜在的な意識が根底にあるのかもしれない。



この焼却案を止めたのは、カトリック・ドイツ人神父であった

「ブルーノ・ビッテル」氏なのである

氏は焼却してはならないという趣旨の強硬な意見書をGHQに提出した


【 いかなる国家もその国家のために死んだ人々に対して、敬意を払う

  義務があるという。それは戦勝国家、敗戦国家を問わず平等の真理

  でなければならない。 もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為

  は米軍の歴史にとっても不名誉極まる汚点となって残るであろう。

  歴史はそのような行為を理解しないに違いない。】


このことから焼却案は撤回されたという。









私は「慰安婦問題」も日本人の誇りと名誉を傷つける事案だと思うが

もっと日本人を傷つけているのは「A級戦犯」という問題である

この「虚像」を払拭しない限り、靖国問題は戯言の問題ではすまなくなる

茶番(東京裁判)によって作られた罪人像であるA級戦犯という名称を

日本人が受け入れている限り、靖国問題は解決しない

核爆弾を用いて、無辜の市民(女性・子)を数十万人殺戮したものが

英雄で、責任を潔く自らの命で償った人間が、犯罪者というのは道理に適っていない


靖国で会おう 

これは英霊と遺された(護られた)人間との「日本人の約束」である

約束を護るのが、日本人らしさなのである

他国から横槍を入れられたくらいで、参拝を断念する国家指導者に

英霊は失望しているだろう


生前の小野田寛郎氏の言葉に

【兵士は相手が憎くて殺したのではなく、元々が国家の正義のために

 戦い、不運にして戦死したのです。従って戦争が終われば互いに

 相手側の忠勇な護国の勇士の栄誉を讃えるべきです。・・・(中略)

 日本人は亡くなった方は神仏になられるから、鞭で打ったり、約束を

 反故にしないという、本当にきれいな気持ちを持っています。

 いわゆる浄き明き直き心といわれる日本人のものの考え方です。】


このことが理解できない獣並みの知能しかない国家

シナ・朝鮮の虚言を真に受けない日本人がどれほどいるのか?

英霊に尊崇の意を表すことが世界の常識なのだと言う事を・・・・。


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靖国の季節がやって来た

2014年08月14日 | 歴史
靖国参拝を考え今思うこと
人間は生まれ育った環境や、時代によって一つの言葉に対する認識が違う認識と言う言葉が適切かどうかは別にして(解釈と言っても良いかもしれないが) 『先の戦争』...






去年のこの時期より、今の方が関心は高まっているのか

それでも、おそらく大半の日本人は「無関心」だろう

シナや朝鮮は学校教育で洗脳するが、わが日本では新聞・TVなどの

報道を通して洗脳しているのが現実である。


平和宣言での「・・・過ちは 繰返しませぬから」の言葉に集約されている

原爆を作って、使用して、20万人の市民を虐殺したのは、日本人ではない

大量破壊兵器・核爆弾を使う「過ち」を犯したのは、米国なのである

この声明文をケネディ大使が読むのなら理解できる


例え戦争と言う異常な世界であっても、人道的に許されない事がある

ナチスのホロコーストは糾弾するが、米国の核使用には誰も言及しない

冷静に考えれば、これほど不可解な話は無いのである

被爆者や遺族の米国批判はあまり聞かないのはなぜか?

日本が戦争などしたから、原爆を落とされたのは仕方が無い?

そんな一方的な判断こそ可笑しいのである


未だに「憲法九条」は存在しているが、シナが尖閣を侵犯しているのに

平和憲法が防いでくれていないのを、どう解釈するのか

黙ってみているだけで、平和憲法九条がシナの艦船を追い払ってくれると

言うのなら理解もできる。

憲法とは自国民に適用されるもので、敵対国には意味などゼロなのだ

小学生でもわかる理屈が理解できない「お花畑国民」


戦争と言う言葉にすら「穢れ」を感じ、靖国という言葉だけで「罪悪感」を

感じる日本人

どんな言葉で表そうとも、国を護るという事は「闘う」ことなのである

護る為に闘う事を否定するというのは、妻や子、親を見捨てて自分だけ

助かりたいという事なのである

愛する者のために闘うのは、世界共通なのではないか


チベット、新疆ウィグルの現実を知り、シナを批判する人は多い

ウクライナ、クリミアの現実を見て、ロシアを批判する人は多い

もし彼らに「平和憲法九条」があれば、死なないで済んだのだろうか?


チベットやウィグルで亡くなった人を否定する事ができようか・・・

争いはいけない 争いを放棄すれば平和になり、命を落とす事もない

そう言ってウィグル人に声をかけてみればよい・・・

自分がいかに愚かな事を発言しているのかを・・・・気づくまで永遠に
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