インド論理学研究会

インド論理学研究会と『インド論理学研究』Indian Logic誌にかかわる情報

svabhavapratibandha:第63回印仏学会パネル・発表要旨(福田洋一)

2012-06-03 | 印仏学会パネル
三度目のsvabhaavapratibandha

福田 洋一(大谷大学教授)

 本発表者はかつて、ダルマキールティの論理学におけるsvabhaavapratibandhaについて二つの論文を書いた。そのうち1984年の「ダルマキールティにおける論理の構造への問い」(『印仏研』33-1)は、実証性に欠け、ダルマキールティのテキストの読解から乖離した抽象的で晦渋な表現に終始したものであった。1987年に書いた「ダルマキールティの論理学におけるsvabhaavapratibandhaの意味について」(『印仏研』35-2)は、svabhaavapratibandhaに関係する諸概念の全体を素描したものであり、基本的には現在でもほぼ同じ理解であるが、典拠となるテキスト原文を、訳も説明もなしに並べただけであり、プレゼンテーションの拙さは明らかであった。そのためか私の解釈は、svabhaavapratibandhaについてのその後の研究にほとんど影響も与えて来なかった。そこで三度目の挑戦となる本発表では、もう一度論点を整理し直し、諸概念の関係を考え、svabhaavapratibandhaについての私の理解を、もう少し分かりやすく示したい。
 本発表は時間も限られているので、svabhaavapratibandhaという用語と、他の諸概念の関係のみに論点を絞り、この複合語をどのように分析し、解釈できるかを提示する。
 最終的には、svabhaavaは論証因のsvabhaavaであること、複合語はgenitive tatpurushaに解すべきこと、pratibandhaの意味は「依存すること」あるいは「縛り付けられていること」(そのことはMahaavyutpattiや『倶舎論』の索引からも伺える)、その依存する対象が所証であること、それはlocativeで表現されることを確認する。また、このsvabhaavapratibandhaは、単なる共存・非共存の限定的関係であるvyaaptiとは異なり、あるものが無くなること「によって」別のものを無くさせるという関係を根拠付け、それがavinaabhaavaをniyamaなものとすることを確認する。以上から、この語を「本質的結合関係/essential connection」と訳すことは、ダルマキールティの意図を汲み取っていないことを示したい。
ジャンル:
文化
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« svabhavapratibandha:第63回... | トップ | 【BST02】正宗白鳥「ダンテに... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。