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中村吉右衛門・自分史11:米国公演

2017年07月27日 05時55分43秒 | 歌舞伎

貧乏英語塾長の歌舞伎初体験も、中村吉右衛門一座の米国公演でした。

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(語る 人生の贈りもの)中村吉右衛門:11 米公演、浪幕ハプニング大うけ
朝日新聞 2017年7月25日05時00分


2010年9月の東京・新橋演舞場の「俊寛」。島に残され、遠ざかる船に「おーい」と叫ぶ俊寛は海外でも評判だった (C)松竹

 ■歌舞伎俳優・中村吉右衛門

 海外公演にも行きました。特に思い出深いのは1996年、米国での「俊寛」です。

 《孤島の鬼界ケ島に流罪になった俊寛僧都の話だ。都へ帰れる赦免船が来たが、流人2人と海女を乗せ、俊寛は島に残る覚悟を決めた。煩悩にとらわれる「凡夫心」を断ち切ろうにも断ち切れず、岩場に登り叫び、船を見送る》

 米国公演では、日本ではやらない演出をしました。島に残される孤独感と上げ潮の感じを出すため、花道も浪幕(なみまく)で覆いますが、仮設の花道は短くて、寄せてくる波の効果が見せにくい。そこで、客席と舞台の間にあるオーケストラピットを活用しました。

 弟子たちに浪幕をかぶらせて待機させ、波が打ち寄せてくる場面でわーっと舞台に上がり、岩場まではっていって浪幕を揺らす。浪が寄せてくる感じが出ましたが、ある劇場では空調からはき出される空気がピットに入り込んで、浪幕が高い岩場までうわーっとあがってしまった。一面が波になり、沈みそうな岩場に俊寛が座っている。大失敗だ、と思ったら、波にのまれそうな感じに受け取ってもらえて、とてもウケました。

 島流しはナポレオンや「巌窟王」でも有名です。「凡夫心」は、洋の東西を問わず変わらない心境。パリのオペラ座で「俊寛」をやれたら素敵(すてき)ですね。

 《終戦後、一部の歌舞伎の演目は「封建的」などの理由で連合国軍総司令部(GHQ)に上演禁止とされた。米公演では、当時、歌舞伎の再開に尽力した米国人のフォービアン・バワーズ氏が協力してくれた》

 日本語が達者で、歌舞伎をよくご存じの方。何より歌舞伎にとっては大恩人です。米国公演では「俊寛」と「釣女(つりおんな)」でイヤホンガイドの解説をしてくれました。無駄な部分は省き、ここはわかってほしいという一言を役者が芝居していない時にタイミング良く、公演ごとに生放送で解説して下さいました。おかげで米国のお客様の反響はとても良かったですね。(聞き手 山根由起子)

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1990年のことだったと記憶しています。吉右衛門一座が、全米を回り、何と貧乏英語塾長が留学していたアイオワ大学でも公演をやることになったのです。アメリカ人の友だちがチケットをくれ、初めて歌舞伎を見物しました。

当時、まったくの素人でしたから、何をやったのか覚えていません。『勧進帳』だった気もするのですが、どうでしょう。ただ、日本語がまったくわからなくて、英語のイヤホンガイドで内容を理解していたような気がします。吉右衛門に対しても、「ああ、これが松本幸四郎の弟ね」というとんでもない見識でした(冷汗)。

96年には『俊寛』だとは、すばらしい限りです。吉右衛門の俊寛は、絶品中の絶品ですから。上の写真の2010年9月の演舞場での『俊寛』は、貧乏英語塾長も観ています。最後の見送りの場面では泣いてしまいました。近いうちに、また観たいものです。

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