インバナリのブログⅡ

蝶の夢を見る

勘違いの

2017-09-30 07:49:46 | 日記
 何時頃からか味覚というか味に対する思い込み?が雑になって来ている。懐かしい味というか昔、好きだった食品を購入して食すると大概は思っていた味と違う事が多くある。
 さて懐かしの味をと期待しながら口に入れて暫くするとアレ?えっ!こんな味だったけ?と驚いたりする。思っていた(期待していた)味と随分違うしあんまり美味くない・・・そんな事が多くなると懐かしの・・・なんて何も期待したくない。
 美味いモノ食べて口が肥えたとかでは無くて(本当にそうだと良いけどね・・・)多分最初から美味くないけど当時は美味しく思えただけなんだろう?味覚の記憶は意外といい加減で雑だと思う近頃。


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欠員あり?

2017-09-29 16:22:50 | 日記
 もう十数年も前の事だが、私の兄が子供達を近所の海に連れて行って遊ばせていた時の事、ハシャギ回る子供達を見て、急に?一体何人の子供を海に連れて来たんだと思い子供達の人数を数えたと言う。何度も数えた上に更に指折りしてまで数えたが帰る際に一人、足りないと思ったので子供達にも人数を確認させたが来た時と同じ人数で欠員は無いと言うので何だか納得出来ないまま、みんなを車に乗せて家に連れ帰って来たが、思い違いなのか?どうしても数が合わないと夜も中々寝付けなかったと言う。海に子供を置き去りにした訳でも無いのに何故か不安になったと言う話を度々した。
 私は「多分、前日の酒でも残っていたんだろう、子供達が怪我とかしなくて全員無事だったのだから良いじゃないかそれにもう昔の事だ」と聞き流していた。
 しかし、兄は「変だけど人数は連れて行った子供達よりも、もっと多くいた様に思う・・・」等と言う、私は聞いていないフリをして話題を変える。それはもしかすると・・等仮定の話をすれば口論になってしまう事が分かっていたからだ。そう、子供時代からそんな事で口論になった。兄は非現実的な話が嫌いだ?いや、根底には(恐れ)があるからだと思う。
 その話(人数が合わない話)は何度も聞かされたが私は何時も聞き流していた「5~6人程度の人数を数え間違えてずっと気になるなら、もう酒は控えた方が良いよ」と長年の飲酒の悪影響だと言う事にして出来るだけその話題に触れない様にした。そう、空想の類を話し合って結局は私が非科学的だとか罵倒されるだけの事だ、それに子供時代に非科学的?非現実的な体験をしたのも兄の所為だった事もあるし等と過去の嫌な出来事等も思い出す・・・そもそも昔から色々と噂のある海岸で、母親は私の記憶の中では一度も、その海に行った事が無い、行かなかった理由はただ「怖いから」とだけしか話してくれなかった。兄の記憶の中で不思議に思い、納得がいかない出来事もいずれ時が悟らせてくれるさ、と思っていた私はその話には全く触れないでいた。何かの理由で閉じた記憶の箱の鍵を失くしても時が来れば鍵が無くても箱の扉は勝手に開く事がある。その時にああ、そうだったのか!と長年の謎?疑問が一瞬で解ける時が来るさ、と思っていた。それに昔から言われている様に、何かある?そんな海岸なんだろうし・・・。

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蛇の頭

2017-09-28 14:01:47 | 日記
 ケンムンなるモノに懐疑的だった私は小学生の頃の担任の話に納得して直ぐに否定派になった。新聞ネタか何かである人がケンムンを捕まえてカゴに入れて蓋をして逃げ出せない様に紐でグルグル巻きにして、近所の人達を呼んで来てみんなの前で紐を解いてカゴの中を見たら空っぽだったと言う話をした。・・・謎々か?どうせ最初から何も入って無かったと言うオチだろうと思っていたら、担任の種明かし?も同じ意見だった。
 その先生は島のケンムンとかは無学・無知な人達の想像上の作り話だと常々言っていたからカゴの中が空っぽだった、と言うくだりで驚いたりしなかった。案の定、先生はケンムンを捕まえてカゴに入れたと言う人の事は作り話だと決めつけた、手品と同じで演出だと言う。
 ただでさえ毒蛇のハブがいる島で更に訳の分からない妖怪等を信じてたら街灯も無い田舎道をお使いなど行けないから担任の言う作り話説を支持した訳だ。そのお陰で?変わった事象はゆっくり観察する様になった。観察?というよりも自問自答?アレは一体何だ?多分何とかじゃないか?いや違う筈だとか自分で色々推測して打ち消す、又推測しては打ち消すを繰り返す。でも傍に話の分かる人がいれば良いけど自分一人の場合は結論が出るまで長い・・・。
 友人と二人で虫なのにヘビの頭を持つ変なイモムシを見つけた事がある。毒蛇を思わせる三角頭で大きな目もある。二人で弄り回して死なせてしまったので、私は当時の少年の常備品!肥後守ナイフで解剖してみた、虫なのか蛇なのか切って肉質を確認しようと思ったからだが、蛇そっくりな割にイモムシの肉で目も模様だけだった。擬態にしてはリアル過ぎるとか思っていたが丁度、解剖に飽きて来た頃に鳥が来て全て食べてしまった。
 その帰り道、友人は何かの罰があたると私に言うので、君が殺したから罰があたるのは君だ、私は死んだ虫を切っただけだから等とお互い言い合った。ヘビの頭を持つイモムシ?そんなのはいない!と思う人もいると思うけどネットで検索すると簡単に出て来ますよ。
 まるでドクターモローが暇つぶしにでも作った様な作品?でも擬態と言う漢字二文字だけでは中々納得出来なかったけど今はスマホがあるので良い時代だ。未だカメラを写真機なんて言っていた頃に現代のデジカメやスマホがあれば珍しいモノが沢山写せた筈だ。今後も機器が進化して行くだろうから更に面白い画像や動画が世に出回る。




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石敢當

2017-09-27 12:06:23 | 日記
 何時だったか?以前、島に行った時に私が以前のブログに書いていた石を見ようと急に言われた。そして現地に行ったが、その場所が分からなくなっていた。そこは古い道だったが崖に窪みを付けた様な道で獣道よりも足場が悪かった。門蓋(ジョーフタ)と呼ばれる所も以前は同じ様に崖道で雨が降る様な時期等は、よく滑り落ちて怪我をする人がいたが景勝地として観光客が来るので、そこの崖道は整備されたけど、石の有る場所は他に立派な道があるので古い崖道を利用する人もいなくなってジャングル化して昔の面影など全く無かった。その昔の崖道の途中には文字らしきものが刻まれた石があったが読む事は出来なかったので一体何だろう?と思っていた。
 その後で兄貴と酒を飲んでいて、その話をしたら「その道が使われていたのは何十年も前の話だし、島にいないお前が島に帰って来ていきなり行っても場所など分かる筈も無い」と言われたが文字が刻まれた石の事は覚えていた。海から帰る時に一旦その石の所で後ろ(崖下)を見て何かが付いて来ていないか確認する場所だったと話す。そうだ、あれは石敢當だった。我々が南?と言う字を下手に刻んだのか?と言っていた刻みは九字でその下に石という字があったがそれ以上は上からの土砂で埋まって掘るのが困難だったとか言う話があった。海の魔物が人に付いて来て集落に入らない様に崖道の途中に石敢當を置いた・・・通常は道の突き当りに設置するものだと言われているが(魔物は直進しか出来ないらしい)突き当りでも無い場所に設置せざるを得ない、そんな思いをさせた?事があったのだろう。当時は石に文字を刻んだからと言って何の効果があるんだ、と頭から否定していた。現在は手掛かり?として下から見上げると大きな岩に横線を引く様に割れが入っている岩の右側にあった。岩の割れ目は腰を屈めれば3人ほど休憩できる窪みになっている。
そこの海岸はケンムンワラと呼ばれる場所の一つで時々、異常現象が起きたり又は見かける場所だったが探しに行った石が見つからなくてある意味、良かった?もし見つかって一体何のために九字と石敢當の文字を刻んだのか?という疑問が話題になれば色々と不都合もある?かも知れない。その事を知っている人も60歳以上だし、その場所が道として使われる事は恐らく無いだろう、後年、偶然にその石を見つける人がいたら一体何の為に?と疑問に思う筈だ。

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荒療治?

2017-09-25 10:22:27 | 日記
約3週間近くも関節や筋肉の痛みに悩まされたが、その原因となった無理な筋トレは、結果的にどうやら荒療治的な効果をもたらした様で未だ幾らか軽い痛みは残るが足の動きは病気になる前と殆ど変わらない位に軽快だ、短い距離ならば駆け足だって楽に出来そうだが取り敢えず様子見だ。
 後は腕も不自由なく動かせれば完璧?だけど荒療治は考えないでユックリ、ノンビリやって行こうと思う。元々、左手は動きが悪かった・・・左右の手が同時には上手く使えず、面白半分に縄を綯う時も普通に右撚りが出来ず左撚り・・・。恐らく左手を動かす神経が訓練されていなさ過ぎていたのだろう、と思う。
 両手を使うオルガンとかドラム等の楽器は悪戯半分でも触る事さえ無かったし自転車やバイクの咄嗟のハンドル操作等もあまり自信が無かったな、とか思い出した。不器用な左手をカバーしなくてはいけない右手はこれまで長い間、大変な運動量をこなしていたんだなと感心する。今後はリハビリを兼ねて積極的に左手も使う事にしようと思う。

 


















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