11年余りの戦乱で京の町の大半を焼いてしまった応仁の乱
西方の総大将、山名宗全が盆に復活すると云う言い伝えが
ある、私の生家は宗全の屋敷跡のすぐ傍にある、しかし二
次大戦中、京の町を延焼から防ぐことを目的に道路拡張を
行いその一部となって仕舞い跡形もない、だが本籍地は今
でもその儘である、西陣は織物の町家が林立し、日なが織
機の音で騒然としていたが慣れとは不思議なもので盆や正
月には静かで逆に眠れぬことが往々にしてあった、人情深く
お人好しの住人が多くいた反面新参者には冷たい面もあり
馴染むにはかなりの年月を要するようである本音と建前は
都の司政権力者がコロコロ変わる歴史を踏まえるとそうな
らざるを得なかったのかも、なんだか今の官邸と似ている
気がする。