因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

らまのだW受賞おめでとう公演『まど・みそ味の夜空と』

2017-07-13 | 舞台

*南出謙吾作 森田あや演出 公式サイトはこちら スペース梟門 16日まで(1,2,3,4
 第22回劇作家協会新人戯曲賞受賞した南出謙吾と、若手演出家コンクール2016優秀賞受賞した森田あやのコンビで『まど』『みそ味の夜空と』を2本立てで上演する。前者の『まど』は、配役を微妙に変えた「らまver.」と「のだver.」があり、2本上演のあと、「おまけ作品」として、『ひとりぶんの嘘』という10分くらいの超短編が、これも配役の異なる「らまver.」と「のだver.」あり。さらに今回は前半平日の3日間、21時開演のレイトショーがあり、仕事帰りの観劇も可能なプログラム。俳優はじめスタッフ、関わる方々はさぞ大変と察するが、ありがたい試みである。今夜観劇したのは「らまver.」であった。

 これでらまのだ公演5度めの観劇ということになり、劇作家南出謙吾と、演出家森田あや、常連の出演者が織りなす「らまのだ」カラーというか、舞台作りにおける特徴がだんだん掴めてきたところである。今夜の2.5本立ての舞台は、演劇でなければできないこと、演劇だからこそできること、演劇ならではの表現とはどういうことなのか、という問題を自分の心に提起するものとなった。

 演劇にはさまざまな制約があるが、それは同時により自由な表現を生む。時空間の自在な変容、登場人物の独白、この世の存在でないものとのやりとりなど、観客が「こんなことはあり得ない」と拒否反応を示すことなく、自然に受けとめられるのは、考えてみるととても不思議であり、だからこそ演劇は楽しいと思えるのである。

 1本めの『まど』は、不動産会社の営業としてバリバリ働く弟と、無職の兄、その恋人のはっきりしない三角関係の話である。弟が兄の彼女を…ということは、弟自身の独白によって示される。といって彼は「好き」「愛している」などの直接的な言葉を使わない。「兄公認の片思い」と言う。ここに弟の心象、人物像、ひいては劇作家の人柄までが密やかに感じられるのである。だが、独白という表現でなく、日常会話のままで弟の心象を伝えることができないだろうか。
 演劇ならではの表現を駆使できるところを敢えてそうせず、踏みとどまること。自分は無茶な要求をしているのかもしれないが、どうしても欲が出るのである。

 3本めの『ひとりぶんの嘘』は、短いながら含むところの多い作品だ。目の前で男と女が交わすやりとりが、場所も時間もすべて男の心の中でのことと思われ、ならば現実の彼はどこでどうしているのかを考えると、やりきれなくなるほどの寂寥感に襲われる。ここでも彼女が現実の存在ではないことが男の台詞でさらっと示されただけで十分で、彼女の台詞「何でもわかるんだよ。●●には」や、あの仕草は必要だろうか。また、決め台詞や明確な到達点が欲しいわけではないのだが、終わり方にもあとひと息、何かが欲しい。この世の人とあちらに行った人の二人芝居の傑作は井上ひさしの『父と暮らせば』であるが、南出の本作には、ひょっとすると井上先生をある面で凌ぐ魅力があるように思われるのである。

 南出謙吾のテンポよく、嚙み合わない台詞は絶品の域に達しつつあり、それを立体化する森田あやの演出、両者に応える俳優と、らまのだの舞台は公演を重ねるごとに充実度が高まっている。それに比例して、見る者の期待度も高まり、つい「もっと」と願ってしまうのだ。公演期間中の舞台ゆえ、歯切れの悪い表現多々あり、それがもどかしくも、やはり嬉しい一夜を過ごしている。

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