因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

風姿花伝プロデュースvol.3『いま、ここにある武器』

2016-08-14 | 舞台

*ジョー・ベンホール作 小川絵梨子翻訳 千葉哲也演出 公式サイトはこちら シアター風姿花伝 28日まで 15分の休憩をはさんで2時間40分

(台詞や話の流れなどは記憶によるものですが、内容の詳細を記した箇所もあり、これからご覧になる方はご注意ください)

 手ごたえの確かな舞台の発信地として、公演を重ねるごとに信頼と期待を高めている風姿花伝プロデュースの第3弾(1,2)である。ジョン・ベンホールが2007年に発表した本作は、航空力学の研究者ネッド(千葉哲也)が、研究者としての好奇心と功名心、「民間人の誤爆を防げる」という企業の依頼を信じて、いわば平和のために無人飛飛行機、つまりドローンの開発を手がけたことに端を発する。兄のダン(中嶋しゅう)は歯科医で、小学校教師の妻ナンシー(登場しない)とのあいだに、まだ幼い子どもたちがおり、家のローンに追われながらも幸せに暮らしているようだ。妻と別居中の弟を案じながらも、おとこ兄弟のバカバカしくも愉快なやりとりが客席をなごませる。

 演出の千葉哲也は出演も兼ねる、とあっさり書いたが、本日プレヴュー公演を観劇して驚いた。ネッドを演じる千葉哲也は1場をのぞいて出ずっぱりなのである。ネッドに限らず、登場人物4人はみなう饒舌で、台詞の量は膨大だ。それまでいい感じで日常的な会話をしていたり、仕事ぶりを褒められて上機嫌だったりしていたところが、たったひとつの言葉からあっという間に激しい議論に展開し、平行線のまま物別れになったり、対等なビジネスの話をしていたはずが、権力による暴力的支配に変貌したりするのである。

 ほかの登場人物は、ネッドにドローンの開発を依頼した軍需企業の営業部長ロス(那須佐代子)、彼女の同僚ブルックス(斉藤直樹)である。同僚といっても、途中からドローンの開発から手を引こうとするネッドの説得のためにやってきた彼は、直接的な暴力を奮うことなく、しかしことばと態度でじわじわとネッドを追い詰めていく。これは心理学を学んで周到に訓練を受けた人のプロの技であり、とすると軍需産業と国家の癒着によって、一研究者の良心など、容易に叩きのめしてしまうだろう。時間の経過を敢えて明示しない作劇になっていたが、ブルックスの不気味な存在が物語の背景の闇を垣間見せている。

 終幕、心身深く傷つき、壊れかけているネッドが兄のダンとかわす会話は痛ましく、悲しい。ネッドは妻と別居中だが、ずっと結婚指輪をしている。修復への願いがあるのだろう。ダンの妻ナンシーは小学校教師であるという。想像するに熱血平和主義者であり、武器開発に携わるネッドを子どもたちに近づけたくはないだろう。ダンはそれをよくわかっているから、「子どもたちに会いたい」と懇願するネッドに対し、「風呂に入ってちゃんとしてから」という言い方で、彼の精神状態が落ち着くのを待とうとしている。「うちの子どもたちはみんなお前が大好きなんだ」というダンの台詞に、ネッドが子ども好きであり、子どもからも好かれる人物であることを嬉しく思いながらも、彼はこれからどうやって人間性を回復していくのか。安直な希望は抱けない。

 ネッドの問いかけに、ダンは答えない。答えられないのである。それは客席の自分も同様だ。ネッドに対して、どんな慰めや励ましが有効なのか。科学技術がどれほど進歩しようと、人は目の前のひとりをも救うことができない。

 多くの人が関わってひとつの舞台が作られる。それぞれが自分の持ち場でいい仕事をしているとは、こういう舞台のことを指すのだろう。『いま、ここにある武器』が、いま、この日本で上演されることの意義、観客に与える影響の強さと深さを考えた。悩ましくも幸せな一夜になった。

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