因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

橋爪功×シーラッハ『犯罪|罪悪』

2013-12-25 | 舞台

*フェルナンド・フォン・シーラッハ作 酒寄進一翻訳 森新太郎演出(1,1',2,3,3',4,5,5',6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18) 公式サイトはこちら 東京芸術劇場シアターウェスト 25日で終了
 ドイツの刑事事件担当弁護士として活躍するシーラッハの処女作『犯罪』より「フェーナー氏」、「チェロ」、「ハリネズミ」と、第二作 『罪悪』より「ふるさと祭り」「イルミナティ」、「雪」を、橋爪功が朗読する。
 千秋楽の日、を観劇した。
 ステージが客席に張り出し、下手奥に大きな書棚、中央にはどっしりした机と椅子、上手にはコート掛けがあり、いかにも弁護士のオフィ スといった雰囲気だ。上にはなぜかガラスのはまっていない窓がある。橋爪功はスーツにコートをひっかけ、帽子をかぶったスタイルで登場し、事件の書類を読みあげる弁護士といった風情で3つの物語を語る。
★「ふるさと祭り」
 小さな町が六百年祭を祝っていた8月の暑い日。地元のブラスバンドが音楽を演奏している。きちんとした仕事についている、きちんとした男たちが少女にしたこととは。
★「イルミナティ」
 ある寄宿学校で、誰からも一顧だにされない少年ヘンリーが体験したこととは。
★「雪」
 ごめんなさい、ここに書けるほどの記憶がありません。楽しめなかったわけではなくて、なぜなのでしょうね。

 橋爪の語りで印象に残っているのは、2003年放送のNHK大河ドラマ『武蔵』である。声の高さや強さなどが、いわゆる時代劇の語りとはちがうなと感じたためだ。視聴者に近い立ち位置というのだろうか。あまり勿体をつけず軽やかで親しみやすい。重厚な作品、重苦しい内容であってもわりあいさらりと聞こえるのだ。
 本作は弁護人の主観を中心に書かれてはいるが、決して彼の視点が強烈に示されているわけではなく、登場するさまざまな人々の過去や背景、人々のとった行動、心のなかで考えたことなどが淡々と描かれている。
 俳優が戯曲の人物を演じるときに感情をこめること、(好きな表現ではないが)人物になりきることとは、ちがう方向性が要求されるのではないか。

  戯曲の朗読ではなく、短編小説の朗読。それも今回の作品は地の文の量がたいへん多い。台詞のやりとりならわりあい入りやすいのだが、物語の背景や事件のきっかけなどの部分は、耳で聞きながら情報を頭で理解するのに存外エネルギーを要し、物語をしっかり理解していたかどうか、疑わし いところもある。

 今回の3作品はいずれも陰惨極まりない内容である。ぎょっとするような猟奇的な場面もあり、人間の醜い部分の描写や、残虐行為も少なくない。これらのことこまかな描写を文字で読んだとしたら、あるいは映像でみたとしたら、おそらく読み進むことをためらったり目を背けたりしたくなるだろう。
 しかし橋爪は淡々と読みながら、こちらをいよいよ引きつけるのである。弁護士が事件調書を読み上げるかたちではあるが、彼は一度も自分が弁護士とは名乗らず、「弁護士を演じている」ことが強調されてもいない。客席への目の向け方やタイミング、からだの置き方も実に柔軟で、聞いているこちらをリラックスさせれくれる。ひとことで言えば自然体ということだろうが、これはかんたんなようでむずかしいことではなかろうか。

 翻訳者、演出家、そして演者の作品に対する戦略、たくらみがや試行錯誤が、文学の朗読でも戯曲のリーディングでもない、俳優の名演技を強調する語りものでもない、独自の劇世界を構築することに成功したのだ。ほかではみられない、まさに作品とつくり手の出会いがもたらした稀有な舞台である。

 カーテンコールで橋爪氏が「この5日間で6つの作品を読みました。いろいろな人物の気持ちというか、・・・(もう忘れてしまった)を考えながら読めてとてもよかったです」ということを語っておられ、ああ豊かな体験をされたのだなと嬉しくなった。

 公演の公式サイトには橋爪氏本人からのメッセージがあり、「今回の朗読は初の自主企画です。劇場費もさっさと振り込んでしまい、もう引くに引けないのです」と書かれている。
 制作の事情がわからぬ者には自主公演の意味するところ、劇団の公演やNODA・MAPなどの公演とどこがどのようにちがうのかがいまひとつぴんとこないのだが、要するに橋爪さんが自分のお金で運営し、全責任を負う公演ということだろうか。赤字がでれば自分で補わねばならず、そのぶん「どうしてもやりたい」という気持ちが強くあるのだろう。
 橋爪さん自身は毎年やりたいのだが、「制作さんからこの時期はヤメテって言われてまして」と苦笑い。観客としてはぜひ年末の定番になることを祈っている。
 年の最後をどんな舞台でしめくくるかは大問題なのだ。今回の舞台はその課題をクリアし、清々しい心持ちで帰路につかせてくれるものであった。
 年の瀬に観客の心をかっさらってゆくとは、橋爪さんもずるいというか、まことに憎いお人である。

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