ひとのこ通信

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岩手地区教育集会 「キリスト教と性 ~わたしの目に、あなたは価高く、貴い」

2016年12月10日 | 日記

 11月26日(土)、私が牧師をしている花巻教会を会場として、岩手地区教育集会が行われました。教育集会は毎年、岩手の教会の信徒の方々の学びを目的として開かれているものです。昨年度から私も教育委員の一人として関わっておりますが、今年は集会の主題を「キリスト教と性――わたしの目に、あなたは価高く、貴い」としました。教会においては普段、あまり性の問題については話す機会がないかと思いますが、私たちにとってとても大切な課題です。

 講師に工藤万里江さんをお招きしました。工藤さんはキリスト教におけるセクシュアリティとジェンダー、クィア神学をご専門としておられます(訳書にP・チェン『ラディカル・ラブ――クィア神学入門』新教出版社、2014年)。

 以下、花巻教会が発行している『花巻教会だより』に「巻頭メッセージ」として載せた文章を転載いたします。

 11月26日、花巻教会を会場として岩手地区教育集会が行われました。今年の主題は「キリスト教と性――わたしの目に、あなたは価高く、貴い」です。教会においては普段、あまり「性」の問題について話す機会がないかと思いますが、私たちにとってとても大切な課題です。講師に工藤万里江さんをお招きし、とても豊かな学びの時になりました。

 午前の部では、「『普通』って何だろう?」というテーマで、講師の工藤さんよりお話をいただきました。私たちにはそれぞれ、自分の中に「普通のこと」があります。しかし、自分にとって「普通のこと」も、他の人にとってはそうではない、ということがあります。

 自戒を込めて私自身が考えたことは、私たちは自分の「普通」を誰かに押し付けてしまってはいないだろうか、ということです。たとえば、私たちの社会では「男は男らしく」とか「女は女らしく」ということが言われることがあります。しかしそれは自分が考えている「普通(~らしく)」を他者に押し付けてしまっている状態であるのかもしれません。

 それは、「誰を愛するか」という事柄についても同様です。これまでの歴史においては、男性であれば女性が好きになる、女性であれば男性が好きになる、そのように「異性を愛する」のが「普通のこと」とされてきました。そしてそうではないこと、すなわち「同性を愛すること(同性愛)」は「普通ではないこと」とし差別されてきたという歴史があります。それはキリスト教会においても同様です。むしろ悲しむべきことに、これまでは教会が率先して、同性愛の方々への差別を助長し、迫害をしてきたということがありました。そのような歴史は、はっきりと「過ち」でありました。

 工藤万里江さんは、私たちはそれぞれ自分の中の「普通=規範」を問い直す作業が大切であるということを述べてらっしゃいました。私たちが自分自身の「普通」を問い直す時、神さまが創造されたこの世界の豊かさに、より気づいてゆきます。私たちの生きる世界は実に「多様性」に満ちていることに気が付いてゆきます。

 それは「性」についても同様です。性には「多様性」がある。その多様性こそが、創造主なる神さまの目から見て「自然なこと」なのであるということを、講演を通して改めて教えていただきました。もちろん、私たちは自分の固定観念を一瞬で変えるということは難しいでしょう。たとえ時間はかかっても、少しずつ変わってゆく、変わり続けてゆくという姿勢が大切であるのだと思います。

 重要なことして工藤さんが挙げてらっしゃったのは、「人との出会い」です。

 たとえば、自分は異性を愛するという人が、同性を愛する人について理解をする際、概念として頭で理解するだけはなく、その人と実際に出会ってゆくことが大切であるのだ、と。いま生きている人と出会い、その人の抱えている辛さや痛みと実際に出会うことによって、私たちは少しずつ変えられてゆくということを工藤さんは強調しておられました。

 私たちがそのように心の向きを変えるとき、かけがえのない出会いもまた与えられてゆくのではないでしょうか。そしてそれら人との出会いを通して、イエス・キリストは私たちのもとに近づいてくださっているのだと私は受け止めています(マタイによる福音書25章40節)。人との出会いの中で、キリストは私たちのもとに「到来(アドベントゥス)」してくださっているのだと信じています。

 キリストはいま、私たちの間に立って、一人ひとりが、神さまの目から見てかけがえなく貴いということを語りかけておられます。「わたしの目に、あなたは価高く、貴い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節)

 かけがえのないあなたが、あなたらしく、喜びをもって生きてゆくことが、神さまの願いであるということを伝えてくださっています。私たちが互いに互いを尊重し、大切にしあうことができたとき、喜びの中でこの福音の言葉はよりいっそう、私たちの間で輝き始めることでしょう。「わたしの目に、あなたは価高く、貴い」――この命の光の言葉を心にともし、アドベントの時をご一緒に歩んでゆきたいと願います。

(花巻教会だより 第5号『巻頭メッセージ』より転載、2016年11月27日発行)

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