地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

梅月荘103号室

2008年04月29日 | 梅月荘の思い出
ここに、一見鍵のような形をした、緑がかった小さな鉄のかたまりがある。

ある秋の日、
地主さんは、家賃3万2千円の風呂なし木造アパート「梅月荘」を解体することにした。
バカではない大学生だった私たちは、わりとあっさり、そのことを受け入れた。

「こんないい場所にたったの3万2千円ってありえないよね」
「なんで残ってるんだろう。地主さんお金なくて建て替えられないのかな」
「住んでる人がなかなかどかないらしいよ」
なんていいながら、どこかで予感はしていたからだ。

立ち退きの日、私は微風でもガタガタいう2枚の窓ガラスを
貫通させてくるくるまわして閉める鍵の貫通させる棒の部分を、
引きちぎって持って帰った。それが、この小さな鉄のかたまり。

今ここにあって、もうすぐなくなってしまう
兄弟のような空間の、時間と風と闇と空気を思い出せるように。
そして、鍵を壊しておけば、またここに来られると思ったから。

海まで歩いて3分。ウィンドの道具を置いている艇庫セブンシーズまでも歩いて10分。
近所には100mほどのちいさな商店街がある。
薊(あざみ)という中華料理屋や、アメリカ屋というおもちゃ屋、
そば屋に八百屋に米屋、しらす屋、魚屋、貸しボード屋、薬局。
魚屋の店先には水を張った大きな樽の上にまな板が渡してあって、
そこでいつもおばちゃんが何かしらの獲物をさばいていた。

夏の夜は甘い。そして、暑苦しい。
窓を開けっ放しにしてほこりのたまった扇風機をまわしても、
6畳に4人以上雑魚寝すると、さっきまで海水にさらされ、
セブンシーズでシャワーを浴びたばかりの髪や肌が
すぐにベタっとしてくる。
誰かがいびきをかく。寝言を言う。夏の虫がキンキン鳴く。
布団の中ではダニが元気いっぱい動き回る。
そんな時に妙に頭が冴えてしまったりすると、
まくらの湿り気が気になりだし、明日のハードな練習のためには
睡眠が必要なのに、眠れなくなってしまう。

そんなとき、浜に行く。
私たちはビーチのことを、浜と呼んでいた。
「海」では範囲が広すぎる。
艇庫も、レース会場も、海上の集合場所も、材木も逗子も坂下も、
全部海だから。
「道具を浜まで運ぶのが大変」「バーベキューは浜でやるから」
「バニ弁買って浜で食べよう」「もう浜に集合してるよ」

合宿所のある路地から商店街に出て、
左に少しいけばすぐに浜がある。
材木座海岸。と書かれた丸いバス停とベンチが右手に見える。
その頃は、海上に海水浴ゾーンを示すブイが打たれ、
昼間はパラソルとビキニが浜を彩る真夏でも、
夜は静かだった。
今みたいに、東京をそのまま持ち込んだみたいなやたらうるさい野外クラブも、
夜遅くまでやっているバーもなかった。

つかの間の休息をとる材木座ビーチ、じゃなくて材木の浜で、
闇に沈む海の家のデッキに座って、
えんえんと、浮かんでは消える白い波を眺めていた。
アイスなんかあると最高なんだろうけど、
一番近くのコンビ二まで歩くほどじゃない。
そして、アスリートのはしくれは、ビールなんて飲まない。
だから酒屋の店先の自動販売機でお茶を買って、一人で飲んだ。

スタッスタッと音を立てていたビーチサンダルを脱ぐと、
砂はひんやりと湿り気を帯び、
昼間の日焼けで火照った足の裏に心地よい。

そうしてしばらく波の音を聞き、
海岸線をふちどって坂の下海岸へと続く134号線のライトを
眺めていると、眠気が下りてくる。
そのままデッキで寝てしまうぎりぎりのところで起き上がって、
またスタッスタッと仲間のいる寝床に戻るのだ。

明日はどんな、風が吹くのかな?


ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« プロローグ | トップ | 風が吹き抜ける場所 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

関連するみんなの記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。