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年寄りが昔話をすると自慢か愚痴になるので、発言は遠慮してきましたが、歳を取ってはじめて分かることもあるので、はじめます。

インスタントラーメン

2017-06-14 06:15:42 | 日記

日清食品が「チキンラーメン」を発売したのは1958年(昭和33年)夏の甲子園の準々決勝、徳島商と魚津高が歴史的な延長18回時間切れ再試合を戦った8月25日でした。「お湯をかけて2分間」の「魔法のラーメン」は爆発的な売れ行きを見せました。

生みの親は日清食品の創業者安藤百福です。安藤はおいしい、保存できる、調理が簡単、価格が適正、食べて安全を目標に開発を進め、味付け即席中華めんの「チキンラーメン」が誕生しました。35円の価格は中華そばを店で食べるのと同じ値段で、売れるかどうか危ぶまれましたが発売直後に品不足に悩む売れ行きを見せます。

「ラーメン」が「中華そば」に代わって広く使われるようになったのは、「チキンラーメン」の登場以後です。インスタントラーメンの急激な需要の増加で多くのメーカーが市場に参入し、1961年で70社、1963年には100社を超え、1965年には360社にもなったと云われます。
しかしインスタントラーメンであればどんなものでも売れる時期は、そう長くは続きませんでした。消費者から味や品質に対する要望が生まれ、メーカーは品質の向上を急ぐ必要を感じ取りました。その中で味付けめんタイプから、スープ別添えに踏み切ったインスタントラーメンがありました。

1962年4月明星食品は「支那筍入り明星ラーメン」で、東洋水産は「マルちゃんハイラーメン」でスープ別添えタイプへ全面的に切り替え、爆発的な売れ行きをみせました。めんやスープの味わいを深め、他の具材を加えることが可能になって、食べるまでに多少手間がかかっても主婦たちに好評でした。

その翌年「日清焼きそば」、エースコックの「即席ワンタンメン」、東洋水産の「マルちゃんたぬきそば」と次々に新製品が登場します。1964年にはサンヨー食品の「長崎タンメン」が発売されて、一躍大手メーカーの仲間入りを果たしました。1961年の生産数は5億5千万食で、1963年には20億食に達しました。

1966年(昭和41年)サンヨー食品から発売された「サッポロ一番」は、ガーリックの効いた新しい味で、乾燥ねぎ入りの工夫がされ、たちまちヒット商品となりました。サンヨー食品は「長崎タンメン」に続く新しいブランドを確立しました。

当時のメーカーは低価格競争を続けていましたが、味で差別化を図った高品質化も始まります。1966年9月明星食品が発売した「明星チャルメラ」はホタテ味をベースにし、木の実のスパイスが添えられ、めんに使われる小麦粉も特等粉になりました。

翌1967年10月エースコックの「駅前ラーメン」が100gの大判で登場します。乾燥野菜やスパイスなども添えられて、85gから100gへのボリュームアップは若者の支持を受けました。1968年2月日清食品の高品質化商品として、胡麻ラー油付き「出前一丁」が発売されます。

インスタントラーメンの高品質化は「ノンフライめん」を誕生させました。ノンフライめんは、蒸熱処理でアルファー化しためんを熱風乾燥させたもので、油で揚げていないため油脂の劣化がなく、めんの食感が生めんに近くなりました。

ブームの口火を切ったのは1968年9月の明星食品の子会社ダイヤ食品の「サッポロ柳めん」で、1969年には明星食品から「中麺」、日清食品から「生中華」、サンヨー食品から「来来軒」、東洋水産から「なま味ラーメン」、エースコックから「麺生中華」が発売されました。

1968年に小麦粉の価格が2.5%値上りし、1970年には小麦粉やラードが大幅値上げとなって、各社とも1食5円の値上げを実施します。「チキンラーメン」誕生時には35円でしたが、過当競争で30円に値下がりしていて久々に35円に戻りました。

同じ10年間で国電の最低運賃は10円から30円に、精米は850円から1,510円に、牛乳180ccは14円から25円に、新聞料金は390円から750円に、銭湯は17円から38円に、インスタントラーメンと同じ35円だった食パンは50円になっていました。

1968年に我が国のGNPが世界第2位となり、1970年には大阪万博が開かれ、国民の嗜好品費と外食費の割合が増え始めます。顕著に伸びたのは洋風スナック菓子で、コーヒー・ジュース・コーラの需要が増えました。

この時期は1969年の第二次資本自由化にともなって、1970年からケンタッキーフライドチキン・マクドナルドなどが次々に我が国に進出し、インスタントラーメンは生産量36億食で前年対比102.9%と伸び率が停滞します。

こうした状況で登場したのが1971年9月の日清食品の「カップヌードル」です。内容量84g、発泡スチロール容器に入った味付けめんで100円でした。発泡スチロールの容器は包装材、調理器、食器と3つの機能を果たしました。1973年までにカップめんに参入したメーカーは日清食品のほか14社、ブランド数27に及びます。

1972年の秋から日本経済は深刻なインフレに陥ります。世界規模で進行したインフレの上に、日本は貿易収支の黒字増大や金融の大幅緩和が重なって過剰流動性が表面化し、不動産投機、買い占め、価格のつり上げが蔓延して大手商社が世間の批判を浴びました。

1973年7月に「生活関連物資等の買占め及び売惜しみに対する緊急措置に関する法律(昭和48年法律第48号)」が公布され、3か月後に起きた第一次オイルショックを受けて「国民生活安定緊急措置法」が制定されます。

政府は買い溜めの自粛を呼びかけましたが効果はなく、11月12日には石油とは何の関係もないトイレットペーパーなど紙類4品目を、厳めしい緊急措置法に基づく特定物資に指定し、翌1974年2月までに多くの日常品まで指定品目に追加しました。石油ショックは庶民をトイレットペーパー・洗剤・砂糖の買いだめに走らせ、インスタントラーメンも品不足に陥りました。

翌年3月になると石油ショックは終息しましたが、日本は低成長時代へ移行し消費者は厳しい商品選択をするようになります。1973年8月大手食品メーカーのハウス食品が「ハウスシャンメンしょうゆ味」(100g/40円)で市場に参入し、翌年には塩味・みそ味を加え売上げ100億円の大台に乗せる勢いをみせます。

ハウス食品に続きカネボウフーズが「ワンタンヌードル」で、丸大食品が袋めんで市場参入します。こうした大手の参入は、インスタントラーメン市場に緊張をもたらしました。カップめんの総生産量は1972年には1億食、1973年には4億食、1974年には7億食、1975年には11億食と驚異的な伸びを示します。

石油ショック以降、日本人の商品選択眼は一層厳しくなりました。食生活の上でも多様化、差別化、高級化、個食化の傾向が顕著に見られるようになり、流通の発達によって地方の名産品が食卓に並びました。この時代に対応したインスタントラーメンの動きが袋めんの「エリア化」、カップめんの「ミニ化」です。

1979年ハウス食品が出した袋めん「うまかっちゃん」は、九州独特のとんこつ味に仕立てた地域限定商品でした。サンヨー食品の「九州ラーメンよかとん」、明星食品の「九州っ子」、日清食品の「九州とんこつラーメンくおーか」などで活況を呈しました。カップめんでは「ミニ化」が進行し、大手メーカーが自社商品のミニサイズを定番化していきました。

1980年の小売価格は袋めん70円、カップめん130円でした。そこへ1食300円のカップめん「力一杯」を発売したのが東洋水産です。1981年には明星食品が280円、300円の「中華飯店」シリーズ4品を発売し、高級インスタントラーメンの出現で、インスタントラーメンは安いものと云うイメージがくつがえります。

1982年は各メーカーとも高価格・高級インスタントラーメンを打ち出し、東洋水産の「華味餐庁」、日清食品の「麺皇」、ハウス食品の「楊夫人」などいずれも1食130円でした。翌年にはサンヨー食品が「桃李居」を出して、一時はインスタントラーメンの30~40%を高級品が占めました。

1983年2月小麦の政府売り渡し価格が8.7%引き上げられ、6月に入ると各社は一般の袋めんを80円、カップめんを140円にします。インスタントラーメンの生産量は1975年(昭和50年)に41億食になり、1985年には45億8千万食となりました。

カップめんは11億食から20億1千万食へと倍の成長をみせ、袋めんは30億食から25億6千万食へと大幅に低下しました。1989年にカップめんはついに袋めんを抜き、カップめん24億5百万食、袋めん22億2千5百万食、合計46億3千万食で最高記録を更新しました。

1991年に明星食品が生タイプ即席めん初の「夜食亭」を発売しますが、各社とも生タイプのめんの製造には苦労します。1992年に日清食品が発売した「日清ラ王」が技術的な問題を克服し、一挙に需要を拡大しました。1995年の売上げは4億8千4百万食に急増しています。

インスタントラーメンはこうして我が国で大成長を遂げましたが、即席めんの製造技術はアジア・アメリカ・ヨーロッパに移転され、アジアを中心に世界に広がりました。

1990年(平成2年)には150億食と見られた世界の消費量は、2013年(平成25年)には1,056億食になります。インスタントラーメンは昨今の寿司や刺身中心の日本食ブームとはまったく別ものですが、日本発の食品が世界を制覇する偉業を成し遂げたのです。

2001年(平成13年)日清食品は低カロリー指向への対応として、小麦粉・そば粉を主原料としない「スープはるさめ」を発売し、若い女性の間でブームとなりました。2009年(平成21年)にはレギュラーサイズながら198kcalに押さえた「カップヌードルライト」を発売しています。東洋水産は2013年塩分30%カットを実現した小型カップの「鶏炊きうどん」「小海老天そば」を発売しました。

2005年(平成17年)7月宇宙飛行士野口聡一さんが、スペースシャトルでめんを食べる様子がテレビで紹介されました。日清食品とJAXAの共同開発の一口サイズのめん3個とスープ・具材が封入されています。70℃の低温のお湯で5分で食べられ、スープが飛び散らないようにとろみがついています。

一口サイズであること、熱湯でなくてよいこと、とろみをつけていることなどが、高齢者にも食べやすいとして注目されました。こうした技術の進展・応用によって、まったく新しい即席めんの新規の需要が期待できます。

2011(平成23)年東洋水産が生めんに引けをとらない、ノンフライ新製品「マルちゃん正麺」シリーズで大きな反響を呼びました。これに続いて2012年に日清食品が「ラ王」のノンフライ袋めんを発売、2013年に明星からは「究麺」、サンヨーからは「頂」が発売されました。2010年度のノンフライ袋めんは13億3百万食でしたが、2013年度には66億3百万食へと急増しています。

敗戦後数年間飢えに苦しんだ我が国の食生活も、10年経ってようやく豊かになりました。お店で気安く食べられる中華そばは大人気でしたが、日清食品の「チキンラーメン」は「お湯をかけて2分間」で、お店でなくても食べられる「魔法のラーメン」として登場したのです。

当時の瞬間油熱乾燥法で作られためんには独特の油の匂いがあり、お店で食べる中華そばとは異質の食べ物でしたが、その独特の匂いは何となくまた食べたくなる要素でもありました。日本中に溢れた名も知れないメーカーのインスタントラーメンは、20円にまで値下がりしました。

インスタントラーメンが主食の代わりになったとは思えませんが、昼食や夜食にはもってこいでした。私は袋めんではみそラーメンを好み、カップ麺も結構気に入りましたが続くと少し飽きました。「スープはるさめ」は食感が気に入りませんでした。

最近はインスタントラーメンのお世話になることは少なくなりましたが、半世紀も前から我が国の国民食として、また、日本食ブームの先駆けとして世界の国々で愛されたインスタントラーメンが、1千億食を超えて食べられるようになったのは、つくづく、凄いことなのだと思います。

 

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