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米国教育使節団報告書

2017-01-11 06:27:57 | 日記

1945年の日本は占領軍によって軍国主義的なもの、戦前・戦中の日本を肯定するもの、連合国軍の行為を批判するもの、原子爆弾や無差別空襲の被害に関するものなどは、ラジオ・新聞・雑誌・本に至るまで厳しく取り締まられました。これは戦前、戦中、戦後の歴史を封殺することに繋がり、特に戦後生まれの人々にとっては我が国の歴史に長い空白期間を生じました。

「米国教育使節団報告書」も歴史空白期間中の重要な文書ですが、教育使節団の勧告がどのような内容であったのか、占領下で日本側がいかに教育改革を模索したのかを知っておくことは大切です。

1946年1月マッカーサーは日本の教育の民主化を遂行するために、GHQと日本側関係者に積極的な助言を与える教育使節団を派遣するよう、アメリカ政府に要請しました。

同時に日本政府に「使節団ニ協力スベキ極メテ堪能ナル日本教育家ノ委員会ヲ任命スベキコト」を命じました。米国教育使節団と日本側教育家委員会との共同作業で、戦後の教育改革が始まることになったのです。

1945年10月に朝日新聞に5回にわたって「アメリカ民主主義」を連載した前田多門文相は、1946年1月公職追放で文部省を退きましたが、教育使節団の来日計画はGHQのダイクと文部省の前田との間で話し合われたものでした。

国務省の主導で、米国教育使節団候補者と国務省関係者がワシントンに集合して準備を開始しました。使節団派遣の最高責任者のベントン国務次官補は使節団に対し、「使節団の任務はポツダム宣言に表明された連合国軍の目的が最大限に実現されること」を強調しています。

教育使節団は1946年2月28日と3月1日にホノルルに到着し、日系米人や在日経験の豊かな知日家から、日本の教育の特色と改革すべき諸問題の講義を受けました。この講義は日本の教育の実際についての予備知識を得る上で、使節団にとって非常に重要な意味を持ちました。

教育使節団は3月3日にグアムに到着しました。ストッダード団長は団員に報告書作成の準備作業として、戦前、戦中の日本の教育の実態と問題点を明らかにすること、敗戦と占領の影響や連合軍最高司令官の指令を検討すること、日本人独特の性向の発見とその利用などを指示しています。

ワシントンから始まった事前準備は、ポツダム宣言の趣旨に基づくこと、日本側に主体性をもたせて教育改革を遂行することで一貫していました。1946年3月5日に米国教育使節18人が来日し、7日に9人が到着しました。

使節団は教育課程および教科書に関する委員会、教員養成委員会、教育行政と小中学校委員会、高等教育行政委員会の4つの分科会に分かれ、日本側教育家委員会の協力を得て、日本の教育制度の全般について研究を重ねました。

3月29日と30日にスタッダード団長とボウルズ団員の二人で総仕上げを行い、3月31日にマッカーサーに提出された米教育使節団報告書は、英文タイプで69ページ、日本語で9万字に及ぶものでした。

報告書は前書き、序論、第1章 日本の教育の目的および内容、第2章 国語の改革、第3章 初等および中等学校の教育行政、第4章 教授法と教師養成教育、第5章 成人教育、第6章 高等教育の構成です。

日本の教育の目的および内容では、カリキュラム、教科書、歴史・地理などの教科のあり方について、教育再建の基本原則が勧告されています。日本の教育制度は少数の持権階級ための教育と、大衆に別な型の教育を用意した高度に中央集権化された制度で、過激な国家主義・軍国主義が注入されなかつたとしても、近代の教育理論に従って当然改正されるべきものであるとしています。

国語の改革はすべての教育改革にとって最重要であるとし、「音標式表現法は修得が容易で、全学習過程を簡便にする」として、学校教育における漢字の弊害とローマ字の便を指摘し、漢字の全廃、音標式表現法の採用、ローマ字の採用を提唱し、この国民的大事業を遂行するために国語委員会や国語研究所を設けることを勧告しました。

初等および中等学校の教育行政では、教育行政を中央集権から地方分権に改めること、都道府県と市町村に公選による教育委員会を新たに設け、文部省の権限を大幅に削減することを勧告しました。

学制に関しては初等学校六年・下級中等学校三年・上級中等学校三年と云う六・三・三制の単線型の学校系統にあらため、このうち九ゕ年を無償の義務教育とし男女共学とすることを提案します。

教育の基本原理として、国民の利益を国家の利益に従属させてはならず、教育を受ける機会は個人の能力に応じて、性、信条の如何にかかわらず、すべての人々に等しく与えられるべきものとしました。

教授法と教師養成教育では、教師が一方的に教え込む注入伝達を中心とした画一的な教授法を改め、生徒の個人差を認め、個性を伸ばし、民主的な社会性を育成する教育方法を説き、とくに社会への参加は民主主義的な行動の経験によって学ばなければならないとして、社会科の導入を示唆しています。

成人教育では夜間教室や公開講座の普及、図書館の増設、科学・美術・産業博物館の設置、そのほか講演会・討論会・懇談会の開催などを提案しています。戦後の日本で民主教育を促進する上での成人教育の果たす役割の重要性を考え、とくに成人教育を勧告したものです。

高等教育では、研究の自由と大学の自治を勧告しています。高等教育制度の基本原則を高等教育を受ける機会の拡大におき、高等教育は少数者の特権ではなく、多数者の機会とならなくてはならないとしました。

米国教育使節団の来日とその報告書は戦後の教育改革を方向付けるとともに、日本側の教育改革の努力をさらに奨励することになりました。日本側教育家委員会は占領下という厳しい状況の下で、日本側の自主的改革案を模索したのです。

「漢字は早晩全廃され、音標式表現法が採用されるべきものと信ずる」と使節団は主張し、小学校の教科書にローマ字の併用を義務付ける勧告草案を準備しました。しかしこの主張には日本側教育家委員会が応ぜず、最終報告書ではこの勧告は削除され、当用漢字と現代かなづかいが制定されました。言語改革は米教育使節団が日本側に「譲歩」したのです。

六・三・三制の学制改革は教育使節団がもたらした最大の変革でしたが、この問題を検討していた委員会の3月23日の草案では、我が国の従来の六・五制の学制をそのまま採用し、このうち九ヵ年を義務制とすべきとしていました。最終報告書が完成したのが3月30日ですから、使節団は一週間で六・五制から六・三・三制に変更したことになります。

1975年サンケイ新聞の「米極秘文書特別取材班」が、米国国立公文書館のGHQ資料の中で見出した「教育改革建議の要旨」と云う文書の中で、この辺の事情が明らかになりました。米委員会では男女共学で義務制の八年生小学校、その上に三年制の中学校と女子中学校を設ける八・三制が検討されていたのですが、草案では八・三制ではなく、戦前の六・五制をそのまま戦後の学制として導入することにしていたのです。

日本側は旧来の学校体系の中で、小学校の高等科と青年学校が正しく扱われておらず、小学校六ヵ年を終了した者すべてが中等教育を受けるためには、高等小学校と青年学校を中等学校と同等にした新しい中等教育機関を設けることが必要と考えていました。

3月21日日本側教育家委員長南原繁はスタッダード委員長と極秘に会談をもち、南原は日本の学校制度の再建にアメリカの単線型学校制度の導入を勧告するよう示唆しました。戦後の財政困難下にもかかわらず日本側がひそかに米委員会に対して六・三・三制の導入をうながした背景には、これまでの中等教育制度の不備を是正したい目論見があったのです。

1946年三月末、米国教育使節団報告書は六・三・三制の学校体系を決定しました。一週間の短期間で行われたこの改革方針の変更に南原委員長をはじめ日本側関係者の果たした役割は、極めて、大きいものがあったと云えます。

戦後の教育改革は、すべて占領軍からの「押しつけ」であったと云う観念を生みましたが、占領軍からは、当然、一方的に改革が押しつけられると云う先入観があったためです。一部の教育研究者には、戦後教育改革は日本側の自主的改革に基づくところが大きいとする立場の者がいましたが、これを立証することは困難でした。

米国教育使節団に協力した日本側教育家委員会の果たした役割が、これまで正当に評価されなかったのは、検証できる資料が制約された一方で、日本側教育家委員会も国民の批判を恐れて、すべて、アメリカ側の勧告であるかのように装ったことにも起因すると思われます。

日本占領は教育分野だけに限られたものではなく、政治、経済、社会などすべての分野におけるものでした。そこでの占領形態は戦前からの連続を認めたものもあれば、占領軍と日本側の協力で戦前からの連続と断絶との両面をもつもの、また占領軍による戦前からの完全な断絶の形態がありました。

日本の戦後教育は米国教育使節団報告書によって方向づけされましたが、六・三・三制の採用はその最大の方向づけでした。その六・三・三制が占領下の厳しい状況下で、実は、従来の中等教育制度のひずみを是正すべく、日本側が粘り強く働きかけたものであることは、日本国民が知っておくべき戦後史の大切な一章です。

教科書を横書きとしてローマ字を取り入れ、漸次ローマ字文を本文として漢字を全廃するとした米国教育使節団の強硬な意見に、日本側教育家委員会が強く反対し、最終的に報告書からこの勧告が削除されたのは、報告書からは読み取れない大きな問題でした。

現在ではすべての文書の作成が、手書きから電子機器への入力に変わり、文章作成は「かな」を用い、作成された文章には「漢字」が使われています。文意を早く正確に読みとれる表意文字としての漢字の価値は極めて高く、米国教育委員会が指摘した漢字の非効率性は、デジタル時代になってみると効率性でしかなくなりました。

漢民族の中国を除いては、漢字を使用している国は日本しかありません。もし日本側の強硬な反対がなければ我が国も漢字の全廃に追い込まれ、我が国の有史以来の漢字文化と現代文化との繋がりが断絶される恐れがあったのです。これを阻止した日本側教育家委員会の功績は、六・三・三制の学制改革以上に大きなものと評価すべきでしょう。

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