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年寄りが昔話をすると自慢か愚痴になるので、発言は遠慮してきましたが、歳を取ってはじめて分かることもあるので、はじめます。

セーラー服

2016-10-12 06:16:09 | 日記

 

 セーラー服は世界中で水兵の軍服として現在も使われ続けていますが、19世紀後半から20世紀初頭にかけては、子供服や女性のファッションとしても世界的に流行しました。

セーラー服は19世紀に、水夫(sailor)の甲板衣として誕生したものです。ご存知の通り大きなセーラーカラーと呼ばれるが特徴で、裾の広いラッパズボンは甲板掃除の際に膝まで裾をまくるための用意です。

セーラー服の胸元が大きく開いて逆三角形になっているのは、海に落ちた時にすぐ服を破り、泳ぎやすくするためと云われています。装飾として胸元にタイ(スカーフ)がありますが、その起源は水兵の手ぬぐい代わりであったそうです。

イギリスのヴィクトリア女王は、王室ヨット乗組の水兵の制服だったセーラー服が気に入り、同じデザインの子供服を誂えて1846年のクルージングの際皇太子エドワードに着せました。女王は他の王子達にもセーラー服を与え、孫であるプロイセンヴィルヘルム王子にも贈りました。

このことからイギリスでは、海軍好きの国民性も相俟って子供服として流行しました。その後19世紀のフランスで女性に着られるようになり、20世紀初頭にかけてボーイッシュ・ブームの一環で、欧米の女性のファッションとして流行しました。

セーラー服を水兵の制服として採用したのは、イギリス海軍が最初とされています。1841年にはアメリカ海軍がジャケットタイプの制服を下士官・兵用として制定していましたが、イギリス海軍では水兵の制服を規定しておらず、一部の艦の艦長が自分好みの制服を艦の資金で誂えていました。

しかし全乗組員に支給するには多額の費用がかかるため、人目につくことが多い艦長艇のクルーのみに制服を揃える場合もありました。特に軍艦ブレザー号の艦長が1845年に誂えた制服は評判となり、乗組員の制服を揃えることが艦長の間で流行しました。ブレザーの語源になっています。

1853年ハーレクイン号の艦長は、この流行に乗って自艦の艦長艇クルーに道化師の服を着せて顰蹙を買い、新聞にも大問題として取り上げられました。この騒動が契機となり1857年イギリス海軍は、セーラー服を水兵の制服として支給することにしました。

イギリス海軍がセーラー服を採用したため、フランス海軍も1858年にセーラー服を水兵の制服として採用し、また、アメリカ海軍も1862年に水兵の制服をセーラー服に変えました。日本海軍1872年(明治5年)に採用しています。セーラー服は水兵の象徴となり水兵の設定のポパイもセーラー服ですし、ドナルドダックも水兵をイメージしています。

海上自衛隊も男性海士の制服として採用しています。一方、幹部海曹は冬は黒のリーファージャケット、夏は白の詰襟または開襟シャツが制服で、女性自衛官は全階級で冬はダブルのブレザー、夏はシングルのスーツを着用します。

日本では20世紀前半にセーラー服が女子生徒の制服になりましたが、その以前の女子生徒の服装は和服でした。大正時代に東京府立第三高等女学校に在学した母親から、当時の通学服は着物で袴、編み上げ靴を履いていて、体操着を着て球技を楽しんだと聞かされています。

日本で最初に制服としてセーラー服を採用したのは、1920年(大正9年)京都府平安女学院で、そのセーラー服はベルトで腰の辺りを締めるワンピース型でした。現在のような上下セパレート型のセーラー服を最初に制服にしたのは、福岡県福岡女学院です。

当時福岡女学院の校長だったエリザベス・リーが、着物に代わる活動しやすい体操服を自分がイギリス留学中に着ていたセーラー服をモデルに、太田洋品店の太田豊吉に依頼しました。運動の自由がきく上着だけで3年かかったと云いますが、動きやすいスカートにも苦労し、スカートにプリーツをつけることで1920年セーラー服上下が完成しました。

福岡女学院では翌1921年に制服として採用されました。同年、愛知県金城学院でも制服としてセーラー服が採用され、その後女子生徒用の制服として短期間に急速に全国に普及していきます。

1937年(昭和12年)に日中戦争が始まった我が国では、男性用の国民服とともに女性用の標準服が制定されました。戦時下と云う節約志向だけでなく、当時の女性の和服は帯が体を締め付け、袖はひらひらし、裾が乱れて動きにくく、戦時の活動には不向きで「婦人標準服」が必要だとされたのです。

1941年(昭和16年)に対米戦争の始まった第二次世界大戦中の勤労動員で、軍需工場で働く女子生徒の服装は、もちろん、セーラー服ではありませんでした。カーキ色の女子の標準服で、男子と同じく前ボタンの上着とズボンを組み合わせ、わずかに白いへちま襟が女性を表現しているものでした。

1945年(昭和20年)の敗戦直後も男子生徒の着ているものは戦時色のカーキ色一色で、女子生徒も戦時中から続く恰好をしていました。少数の女子生徒が空襲で焼けなかった姉や従姉のお下がりのセーラー服を着ているのが目立ち、羨望の的でした。

戦後の復興とともに女子生徒のセーラー服は完全復活しましたが、1980年代いじめ校内暴力など学校の荒廃が社会問題化した時期に、当時の荒れていた女子中高生の間では、スカート丈を足首に近いくらいに長くするのが流行りました。

学校側の取り締まりは効果が挙がらず、一部の学校ではセーラー服からブレザーチェックのスカートに制服を変えました。これは大成功でブレザーを着たいと云う女子が制服を代えた学校に集まり、結果的に偏差値が上がり問題の生徒が減り、1980年代後半から1990年代にかけて私立高校では、制服をブレザーに改める学校が増えました。

中には有名なブランドやデザイナーによる制服を採用する高校もありましたが、その一方で「名門」と呼ばれる中には、従来のセーラー服にこだわった学校もあります。

セーラー服の中学、高校はかつてに比べれば減ったものの、現在もまだ女子中高生には主流の制服です。夏服は白、冬服は紺系統ですが、多少の色の違いはあり、スカーフの色や形や長さ、カラーや袖口の白線の本数や色の違い、校章を入れる入れないなど、細かい点では各学校それぞれです。

大部分の学校では通年スカートですが、仙台市常盤木学園高等学校などでは冬期にスラックスを選択することが許され、坂井市立鳴鹿小学校安曇野市立明科中学校など、冬期のスラックス着用を義務づける学校もあります。

タイ中国で日本風のセーラー服に変えたところ、志望者が大幅に増えた学校もあるそうです。サウジアラビアでは女子高生の制服として採用されていて、「セーラーフク」は日本語由来の外来語になっています。ただしサウジアラビアでは校内だけの着用で、通学はアバヤを着なければなりません。

欧米では水兵の制服になる前から、セーラー服が子供服として着られるようになっていたため、特に20世紀初頭のドイツでは男児の制服として盛んに採用されました。現在商船学校以外で制服として用いられるのはアジアに多いのですが、スイス、中国台湾の小学校で、男子、女子ともにセーラー服、男子はズボン、女子はスカートまたはズボンの学校があります。

日本ではセーラー服が一部の小学校のほか幼稚園でも採用されていて「園服」と呼ばれます。少年少女合唱団の多くでも採用されていて「団服」と呼ばれていますが、ウイーン少年合唱団の制服がセーラー服である影響でしょう。

1980年代中頃からセーラー服のスカート丈を短くする女子中高生が現れ、1990年代初頭にはファッションとして全国に流行しました。脚部にアクセントを加えるためや寒さ対策として履かれるようになったのが、アメリカから輸入されていた登山用の靴下ブーツソックス(Boot Socks)です。かなり早い段階でルーズソックスと呼ばれるようになり、急速に広がっていきました。

当初輸入されたブーツソックスはルーズではなく、木綿製の厚みとボリュームと長さのある靴下でした。その後ゆるゆるに履くことを目的とする靴下が商品化され、東京大阪などの大都市圏で普及して全国に広まりました。ルーズソックスが最も流行した時期は1993年(平成5年)から1998年です。

ルーズソックスは多くの学校で規定されている白い靴下のため、靴下の色が紺や黒の指定のある学校を除いては禁止されず、全国でルーズソックスは女子高生の文化を象徴するものになりました。2000年代に入るとルーズソックスを禁止する高校が増え、代わって紺のハイソックスが台頭し2006年頃には完全に取って代わりました。

学生服の起源については、通常、東京帝国大学1886年(明治19年)に定めた制服が始まりとされています。同年文部省通達により高等師範学校でも詰襟型学生服が採用され、その後、師範中学高等中学大学などでも採用されました。

しかしその前に、公家や華族の子弟の教育から始まった学習院が、1879年(明治12年)に当時の宮内高等官型の詰襟を制服に採用していて、冬は紺、夏は白で、同色の蛇腹を縫い付けたホック式でした。

1891年(明治24年)に海軍予備校として創設された海城中学校(旧制)も、1892~1915年には海軍兵学校式の七つボタン、1915~1942年には蛇腹にホックの海軍士官風の制服が用いられました。

明治時代から大正初期までの我が国は和服が主流の時代で、学生服も都市部を除いてはあまり普及せず、着物に下駄ばき、学生帽を被るのが男子学生に多く見られるスタイルでした。

第一次世界大戦後の1925年(大正14年)に中学校以上の学校で軍事教練が必須教科となり、教練には学生服の着用が必要となります。バンカラを誇った旧制高校では弊衣、破帽は許されても、教練担当の配属将校は破帽の顎紐を外すことを許しませんでした。

現在、大学や多くの小学校では制服はありませんが、中学、高校は制服です。男子生徒の制服を詰襟からブレザーに変えた学校は結構多く、女子生徒の制服もだいぶブレザーに変わっていますが、それにしてもセーラー服はよく続いてきたものだと思います。

スカート丈やルーズソックスに見られたように、それなりの自己主張がされて来たのは確かですが、多感な青春期の女子生徒たちにとっては、みんなが同じ歴史的なセーラー服を着ていることには心の安らぎがあるのでしょう。

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