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年寄りが昔話をすると自慢か愚痴になるので、発言は遠慮してきましたが、歳を取ってはじめて分かることもあるので、はじめます。

シャッター通り商店街

2016-12-28 06:15:41 | 日記

シャッター通りは衰退した中心市街地商店街のキーワードですが、1970年代以降我が国ではモータリゼーションが進み、地方都市を中心に郊外の国道やバイパス沿いに開店したスーパーやショップに、車で買い物に行く文化が定着しました。

1980年代後半からは全国の地方都市で、駐車場がなく商品の目新しさや価格競争力に劣る中心市街地商店街の衰退傾向が顕在化しました。2000年には大規模小売店舗立地法(大店法)が改定され、全国各地の郊外のショッピングセンターが、従来のスーパーの枠を超えて専門店街・映画館・カルチャーセンターなどを取り揃え、都市の繁華街に匹敵する商業機能を持つようになりました。

この結果古くから続いてきた商店街だけでなく、1970年代以降に再開発の目玉として百貨店や大手スーパーが出店し、周辺に多数の店舗ができた中心市街地のアーケード街も客足が落ちました。

1990年前後には全国の地価の高騰に伴い、多くの教育機関や病院などが地価の上昇した都市中心部から地価の安い郊外に移転しました。公的機関や私企業の郊外移転も進行し、これらの職場に勤める人たちを対象としていた中心部の飲食店も衰退します。

商店街が日本に登場した歴史は意外に新しく、二十世紀に入ってからと云われます。都市部の小売業の多くは郊外型の大型店に脅かされる以前に、百貨店と名乗るライバルの出現によって危機に直面しました。百貨店と名乗っても小中規模のものですが、一般の小売業にはない専門性を打ち出し多業種を集約することで消費者の利便性を図りました。

この百貨店が様々な小売りスペースを一つのビルに縦に積み重ねたのに対して、小売店同士が横に連なり店ごとの専門色を打ち出す商店街が誕生したのです。アーケードを整備し街灯や街路樹まで用意するようになったのは、1960年代に入ってからです。

現代日本のランドスケープを構成している数多くの郊外のショッピングモールは市街地商店街の崩壊を招きましたが、その最大の原因はモータリゼーションの普及です。従来歩いて商店街に来ていた人たちが車での移動に馴れ、駐車場のない中心市街地への顧客の流れが止まってしまったのです。

生鮮食料品は週に2、3度の買い出しがどうしても必要ですが、買えばそれなりの重さがあり、車に載せて帰るのに馴れるとその方が楽です。市街地から多少離れてもスーパーには駐車ができ、生鮮食料品があり、必要な日用品も手に入ります。

書籍とか時計、眼鏡、少し凝った衣料などを除けば、日常、歩いて従来の商店街を訪れる必要性がなくなってしまったのです。現在各地で賑わいを見せている商店街は生鮮食品店が多く総菜を売る店も豊富にあって、気軽に食事のできる店もある、安くて庶民的な、云わば、おばあちゃん好みの商店街が、常連の顧客を集めているようです。

シャッター通りになった商店街には立派な店構えの店が並んでいても、生鮮食料品の店舗は意外に少なかったのではないかと私は考えています。百貨店から、いつも賑わっているデパ地下の食料品売り場を除けば同じ現象が起こるでしょう。

1980年代以降自然発生的に郊外の幹線道路沿いの大型ショッピングセンターの出店が盛んになりましたが、2000年に大店法の規制を解除したため、数と規模の増大に拍車がかかりました。中でも数多くの専門店やアミューズメント施設を揃えた大規模なモール型ショッピングセンターは、週末の一日滞在型施設になりました。

我が国の大規模小売店舗の事業活動を調整する法律は、1974年(昭和49年)に施行された大店法でした。「消費者の利益の保護に配慮しつつ、大規模小売店舗の事業活動を調整することにより、その周辺の中小小売業者の事業活動の機会を適正に保護し、小売業の正常な発展を図ることを目的」としました。

大型店の出店に際してはこの法律に基づき、「大規模小売店舗審議会」が審査をします。対象となる第一種大規模小売店は店舗面積3,000m2以上(特別区・指定都市は6,000m2以上)、第二種は店舗面積500m2以上です。

旧百貨店法が床面積1,500m²以上の店舗を規制対象としていた時代、各階毎に別会社で運営する規制逃れの擬似百貨店が各地に出現したため、大店法に建物の規制を導入しました。この結果地元の商工会議所の「商業活動調整協議会」に、新たな出店に反対する既得権を与えることになりました。

この法律を廃止に追い込んだのは、日本市場の開放を求めるアメリカ政府の「外圧」でした。日米構造協議はアメリカ日本の間で1989年から1990年に開催された、日米貿易不均衡の是正を目的とした二国間協議です。1993年に「日米包括経済協議」と名を変え、1994年からはじまる「年次改革要望書」、「日米経済調和対話」への流れをつくりました。

アメリカは1985年対日貿易赤字を食い止めるため、プラザ合意で円安ドル高の是正を図りましたが対日赤字は膨らむ一方で、アメリカ議会は相手国に対する強力な報復制裁を含む新貿易法スーパー301条を通過させました。

アメリカ政府は対日赤字の要因が日本市場の閉鎖性だとして、日本の構造改革と市場開放を迫ります。1990年1月31日に行われた非公式会議で判明したアメリカの要求は、優に200項目を超える膨大なものでした。商習慣や流通機構など国のあり方や文化にまで範囲を広げた干渉でした。

1990年2月アメリカは日本の大店法が非関税障壁だとして、撤廃を要求しました。当時、日本トイザらスが日本進出第1号店の出店を計画していましたが、大店法による事実上の大型店出店凍結により進出の見通しがまったく立たなかったのです。

翌1991年に行われた大店法の改正で、商工会議所に置かれて大型店の出店を阻んでいた「商業活動調整協議会」が廃止され、これ以降、各地で大規模なショッピングセンターの進出が進むことになります。

1995年に入るとコダックが、日本でだけコダックの市場占有率が低いのは大店法が理由の一つだとした「日米フィルム紛争」が起きました。WTOは1998年に日本側の主張をほぼ認めましたが、その過程で大店法にWTO違反の疑いが浮上し政府は大店法廃止の方針を定めます。

1998年の第142回国会では大型店を規制する従来の考え方を転換し、大型店と地域社会との融和の促進を図ることを目的とした「大規模小売店舗立地法」(大店立地法)が成立し、同時に中心市街地の空洞化を食い止めるために「中心市街地活性化法」が制定され、都市計画の面からも都市の活性化を促す「都市計画法」の改正が行われました。

この3法が「まちづくり3法」と呼ばれ、中心市街地活性化法と改正都市計画法は速やかに施行されましたが、大店立地法は中心市街地の体力が強化されるのを待つ必要があるとして、2年後の2000年6月1日に施行され大店法が廃止されました。

アメリカの圧力で日本政府が行ったのが、内需を刺激する財政投融資でした。財政投融資が商店街を根底から掘り崩し、結果的に地方を弱体化させたのです。この実体は道路建設です。地方に公的資金が投下され、各地方の中心都市に向けてかけ離れた場所から、数多くのアクセス道路が造成されました。

市街地の道路整備は土地の買収の時間も資金も必要ですが、地方都市間のアクセス道路は整備がスムーズに進みます。地方都市の郊外には国道バイパスが次々と開通し、バイパス周辺の土地の整備も進んでいきました。
当初政府は新しく整備された土地を大規模住宅団地や工業用地とする計画でしたが、バブル崩壊後の日本企業にはそれらを購入する余力は残されておらず、土地の多くが塩漬けになりました。

地方の自治体は塩漬け用地の用途の変更を迫られ、地方都市郊外の国道バイパス沿いに大量の商業用地が発生しました。これがショッピングモールの大増殖をもたらします。

郊外にショッピングモールと云う新しい商業施設が次々と誕生した背景には、アメリカの外圧によって日本政府が公共事業を推進した事情が絡んでいたのです。そこにグローバリゼーションの縮図を見ることができます。

バイパス沿いのショッピングモールは、住宅街での商圏を前提としていた商店街秩序を根底から覆すことになりました。行き場を失った個人事業主たちは、自分たちの店舗をコンビニ化する方向で、生き残り戦略を模索するようになったと云います。

これは零細小売店を抵抗勢力として、持て余していたコンビニ本部にとっては好都合でした。各コンビニ本部は零細小売店と次々にフランチャイズ契約を結び、市街地の中心部でも、大きな駐車場を確保できる郊外ででも、自社勢力の拡大を図っていきました。
1980年代以降1990年代前半にかけて、ショッピングモールとコンビニの2つの商業施設が日本の消費空間を根本的に変えましたが、実は、これよりさらに大きな日本社会の変化は高齢化の進行でした。急速にその数を増した高齢者に対しては、新たな消費空間を用意する必要が生じたのです。

高齢者の頼りは遠くにある大規模商店街ではなく、歩いて行ける近くのお店です。都心から遠いところに建設された団地では、住民数の減少に伴い周囲の商店が撤退していきました。都心回帰を始めた高齢者に役に立っている店舗に、ミニスーパーがあります。ミニスーパーがコンビニと違うところは、生鮮食料品を置いているところです。

よちよち歩きの高齢者たちが、四輪の買い物カートを頼りに生鮮食料品を買いに出るのは、やはり自分の目で見て買いたいのです。そして買い物に出ることが、唯一、他人と話すことができる社会との接点なのです。

私は360度緑に囲まれた田園都市で東日本大震災に遭い、目の前のスーパーが被災して閉鎖され運転免許証は返納した後だったので、2時間がかりで隣の駅の商店街まで電車で出かける買い物難民になりました。歩いていける距離の被災しなかったコンビニが、僅かですが野菜をおいてくれるようになって大変有り難かったのです。

無職で時間のある高齢者は、たとえ単身になっても自分で食事を作ります。生鮮食品を網羅するミニスーパーには及ばなくても、コンビニが最小限の生鮮食品を置いてくれれば大変助かるのです。コンビニの仕入れは完全に組織化されていますから、その店のオーナーが特別な努力をしなくても、コンビニ本部さえその気になれば出来る筈です。

買い物難民の生活に疲れ果てた我が家は、道路1つ隔てて大型スーパーのある今のマンションに引っ越しましたが、食住接近は高齢者の願いです。日本の消費空間を根本的に変えたのはショッピングモールとコンビニの2つの商業施設ですが、2016年現在全国のコンビニ数は5万5千軒を超えていて、人口10万人あたりの店舗数は44軒になります。

ショッピングモールは高齢者に無縁でいいとして、これだけの数のあるコンビニが少しでも生鮮食品を置いてくれるミニミニスーパーとなり、食住接近の歩いて行ける新たな消費空間を創出して、高齢者を元気づけてくれることを望みたいものです。

 

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