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年寄りが昔話をすると自慢か愚痴になるので、発言は遠慮してきましたが、歳を取ってはじめて分かることもあるので、はじめます。

農地改革

2017-05-17 06:16:46 | 日記

 

 1945年(昭和20年)12月マッカーサーは「農地改革に関する覚書」で、日本政府に「数世紀にわたる封建的圧制の下、日本農民を奴隷化してきた経済的桎梏(しっこく)を打破する」ことを指令しました。GHQの指示で徹底的な「農地改革法」が作成され、1946年10月に成立しました。

この法律で不在地主の小作地のすべて、在村地主の小作地のうち北海道では4町歩・都府県では1町歩を超える小作地のすべて、所有地の合計が北海道で12町歩・都府県で3町歩を超える場合の小作地を、延237万人の地主から政府が強制的に買い上げ、延475万人の実際に耕作している小作人に売り渡しました。

譲渡された小作地は1945年11月当時の小作地(236万町歩)の80%に達し、農地に占める小作地の割合は46%から10%に激減しました。当時の急激なインフレで、元地主に支払われた買上金と元小作人が支払った土地代金は、その価値が大幅に下落してタダ同然となりました。

戦前日本の農村を特徴づけていた地主制度は完全に崩壊し、戦後日本の農村はほとんどが自作農になりました。政治的には成功を収めた政策でしたが、大規模経営が世界的な潮流となる中で、土地所有者が細分化された日本の農業は先進的な農業の担い手となる中核的農家が育たず、兼業農家が多くを占めるようになりました。また食糧管理制度を温存したコメ優先農政により、日本農業は国際競争力を低下させていきます。

政府による食糧流通への介入は、1918年(大正7年)に米騒動が全国規模で起こり、1921年に米価の急変を抑えるために米の買入・売渡・交換・加工・貯蔵について「米穀法」で定めたのが始まりです。

この法律は1933年(昭和8年)の「米穀統制法」に発展し、政府は公定最高価格・最低価格に基づき買入・売渡を無制限に行い、輸出入制限を常時実施するようになりました。

1936年には「米穀自治管理法」が制定され、一定数量の米の強制貯蓄を生産者に課す過剰米の統制が行われました。当時の軍備拡長で重工業を発展させるかたわら、食料の安定供給を図ったのです。

高米価維持のためにとった米の供給量と需要量を一致させる政策は、米穀業者の反感を買い米穀取引所の取引量が急減しました。1939年米穀配給統制法」により米の先物取引は廃止され、半官半民の日本米穀株式会社が設立されて流通販売に至るすべての統制が強化されました。

日米開戦翌年の1942年「食糧管理法(昭和17年2月21日法律第40号」が制定されました。米穀に加えて主要食糧の生産・流通・消費を政府が管理するもので、当初対象となったのは米のほか、はだか麦・大麦・小麦などの麦類です。生産者は自家保有分以外を公定価格で供出し、政府は「米穀配給通帳」に基づいて消費者に配給しました。

米穀配給の割当量は一人一日二合三勺でした。1940年(昭和15年)当時の全国俸給生活者の一人当りの一日消費量三合(430g)に比較すると、2割強少ない量です。米の不足を補うには何らかの栄養補給の手段が必要でした。

戦争が続くと物資の不足は深刻になり、米の代わりに芋類・大麦・高粱(コーリャン)が配給されました。敗戦の年の1945年(昭和20年)の端境期(はざかいき)には米の在庫が不足し、配給の遅配・欠配がおきました。7月から米の配給量が更に削減されて、一人一日当たり二合一勺(300gになります。

終戦直後は農業生産力が低下していた上に天候不順が重なり、1945年11月1日には日比谷公園で、餓死対策国民大会が開かれるほど食糧不足は深刻でした。1946年2月政府は「食糧緊急措置令」を発し、強権的に米の供出と米価値上げを促しましたが効果はなく、5月19日には飯米獲得人民大会が皇居前広場で開かれ、労働組合員や無産党員を中心に25万人が集まりました。

1947年12月食糧管理法の改正により、馬鈴薯・甘藷・雑穀が対象に加えられ、食糧営団に代わり食糧配給公団が設立されて配給を担当します。ガリオア資金による食糧の輸入が始まり、1948年7月20日に「食糧確保臨時措置法」が施行されました。

農林大臣が都道府県知事の意見に基づいて売渡数量を定め、知事がこれにより市町村別の農業計画を定めて、市町村長が生産者別の計画をつくる内容でした。翌1949年6月には食糧配給に関しても、農林大臣直轄の食糧庁が設置されました。

こののち食糧事情は急速に回復してきて1950年3月の食管法改正で、芋類は主要穀物の対象から外されます。1951年には指定卸売業者や指定小売業者を通じた販売体制になり、食糧配給公団が解散されました。1952年5月には5度目の食管法改正で雑穀が外され、麦類は最低価格・最高価格の範囲内に価格を安定させる間接統制へと移行しました。

1951年~1959年の生産者米価はインフレに対応して、生産農家の購入品目の価格にスライドさせるパリティ方式で決められていました。1955年(昭和30年)頃までは農家所得が都市勤労者所得を上回っていましたが、高度経済成長につれ都市勤労者の所得が増加したため生産者米価引上げの要求が強まり、1960 年に生産費及び所得補償方式が生産者米価の決定に導入されます。

品種改良等の技術的進歩で北海道や東北での米の生産が拡大し続け、豊葦原の瑞穂の国で、はじめて混ぜ物のない純粋の白米が国民みんなの主食になりましたが、食生活の欧風化で需要が減って、1967年(昭和37年)以降はコメ余りになります。政府は消費者米価を生産者米価より安くする二重価格制をとり、食管会計の赤字をもたらしました。

大量の古米や古古米の急激な余剰で食管会計の赤字が増えた政府は、1969年に政府が関わらない「自主流通米制度」を容認しました。同時に過剰米に対する減反政策を開始し、1972年には物価統制令改正で消費者米価が自由化されます。

1973年には古米の在庫処分が終わり米の需給は一旦均衡しましたが、世界食糧危機の煽りを受けて国民の食糧安全保障に対する要求が高まり、再び生産者米価が引き上げられて古米在庫や食管会計赤字が増加することになりました。

1981年6月の食管法の全面改正で長年用をなしていなかった配給制度が廃止され、米穀配給通帳もなくなりました。1990年には「自主流通米価格形成機構」が設立され、全流通米に占める政府管理米の割合は2割を切ります。

1960年の生産者米価の所得補償方式移行で米生産の経済的リスクがなくなった農家は、米を優先して生産したため米は供給過剰に陥り、1980年代には食管赤字が1兆円に達して政府財政赤字要因3K(コメ、国鉄健保)の筆頭に上げられるようになりました。

1993年(平成5年)には記録的冷夏が起きて1,000万tの需要に対して収穫量が800万tを下回り、翌1994年にかけて米が著しい供給不足となって、国産米価格の暴騰し外国産米の緊急輸入がされました。このため政府は管理の強化と運用方針の改善を余儀なくされて、1995年11月1日に「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)」が施行され、食管法が廃止されました。

1995年にはウルグアイ・ラウンド合意により、アメリカから米を輸入することになりましたが、日本国内での消費には回されず、他国への援助用に向けられます。

我が国の米の消費量は、その後も減少に歯止めがかかりません。一人あたりの年間消費量は、1990年代後半には一頃の半分以下の60㎏台に落ち込みました。肉類や魚介類で食卓が豊かになり米の摂取量が減ったので、米を食べる回数が半分になったわけではありません。

1970年以降政府による米の生産調整が強化されますが、米減産のための転作奨励金の予算額は減少の一途を辿り、転作されない休耕田耕作放棄地が顕在化しました。活用されない水田が生じている一方で、大量の飼料用穀物を輸入していることから、コメを飼料として活用すべきとの意見が出されることになります。

農水省の農政審議会の「80年代の農政の基本方向」に沿い、飼料用米の給与試験や多収品種の開発が行われました。米・麦とも国内の生産費と輸入飼料穀物価格との間に大きな格差があったため、飼料用米の生産は進展しませんでした。

2008年(平成20年)には途上国での食料需要の拡大、バイオ燃料への穀物需要の増大、食料輸出国での輸出規制、穀物市場への投機資金の流入などで、急激な国際的穀物価格の高騰がおきます。国内で生産可能で国際市況に影響されない飼料穀物として、再び飼料用米が注目され始めました。

飼料用米は家畜の飼料に限定して生産されるコメです。地域ごとに多収米品種が開発されてきましたが、品種に必要な条件は収量が多く、倒伏せず、病害虫耐性をもつことで、食味や品質は重視されません。

2010年産飼料用米の10a当たり収量は546kgで、主食用米と差は見られません。飼料用米は加湿加熱して押潰し「圧ぺん」にするか、粉砕した上で家畜に与えますが、鶏にはそのまま与えられます。

飼料用米の栽培面積は2004年には44haでしたが2010年には14,883haとなりました。大幅に増加した背景は補助金の交付ですが、飼料用米の栽培面積は2010年でも水稲面積の1%に足りません。

2009年7月「米穀の新用途への利用の促進に関する法律(平成21年法律第25 号)」が施行され、飼料用米の事業者が農業改良資金を利用する際に償還期間延長が可能になるほか、飼料用米のための新品種の出願料・登録料が減免される支援措置などが定められました。

2009年度は飼料用米を転作田や調整田等の不作地へ作付けした場合、10a当たり最大5.5万円が助成される上に新たに2万5千円の助成が加えられ、10a当たり最大8万円の助成が行われることになりました。2008年度の生産実績は0.9万tでしたが、2020年度には70万tにまで増産する目標が設定されます。

飼料用米振興の課題は販売価格が低いため、低コストでの生産・流通が求められることです。飼料用米価格は1kg当たり20~50円で、1kg当たり約241円(2009年産)の主食用米と比較すると格段に安価です。しかし畜産物を取り巻く状況では、飼料用米価格の引上げが困難です。現在10a当たり8万円の補助金が、今後も続くのかどうかには懸念が生じています。

農水省の試算によると食料自給率を1%上昇させるのに必要な増産量は、小麦で39万t、大豆で26万tですが、飼料用米では311万tです。飼料用米は餌として家畜に与えられ、家畜の肉・卵・乳製品を間接的に人が消費するので、直接消費する小麦・大豆と比べて、食料自給率上昇に寄与する効果が低いのです。

日本の農業は意義のなくなった食管制度をいつまでも維持し続け、農家の安易な米の生産を促しましたが、主食としての米需要の半減がコメ余りを招き、その結果弥生時代から受け継いできた水田の耕作放棄がおこり、飼料用米の作付けが奨励されるまでに至りました。

我が国の農業は自作農至上主義に固執し、農地の大規模化による本格的な機械化生産や、収益性の高い植物工場の普及からはまだ遠い存在です。小規模の家内の人手だけを頼る農業は重労働と低収益性を嫌って後継者が育たず、現在の農業者の平均年齢は60歳を超えています。

現代社会ではあらゆる分野で産業ロボットが活躍していますが、農業分野だけは遅れています。政策的にも農業者以外の視点を入れて、IT化による省力化された高収益の農業を目指し、従来の兼業農家任せの農業の限界を打破する必要があります。そうすれば若者も農業に参入し、今後、国際的な農業製品の自由化の波が押し寄せても対応できていくでしょう。

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