このブログは思うに、電波が集って慰撫しあっている気色悪い場所だ。
たとえば、リンク先のこの記事は
他者には二種類ある。親しい他者と親しみのない他者。わたしが勉強しているスペイン語で言えばtu と usted の違いだ。tuは家族・友人など親しい他者に呼びかける言葉。usted はまったくのアカの他人を指す。
usted はひきこもりを甘えだとみなし、フリーターに自衛隊に入ってサマワに行けと言うだろう。しかしtu はどうか。親しい他者ーー人生の大部分を共有するーーがひきこもりをしたときに、彼(女)をののしれるのか。あるいはNEETをするときに際物扱いできるか。できまい。
などという文章から始まるが、本気で、フリーターやNEETがののしられていると思っているのだろうか? そもそもこの問題意識(このサイトを貫いている意識でもあるが)自体が歪んだ自意識の裏返しなのであり、「そもそも大した関心などもたれていない」と書いたほうが私の感覚に合う。最後の一行の際物扱いというのもよくわからん。ブームが過ぎ去れば、NEETが自殺でもするというのだろうか(私はそうしてもらっても一向に構わないが)。
で、その後もほとんど印象論と呼んだほうがいいような、近代批判・・・携帯電話だなんだので情報の流動化云々・・・っていう安易なイメージに頼っただけの話が続く(なお、このサイトの人が現代思想にかぶれていて、前近代のことを検討することなく近代を批判するアホの通例になっていることは他の文章を見てもわかる。そこら辺も確認せよ。その種のアホの近代批判は、小谷野敦のが徹底的に攻撃している。興味があれば参照するといい。
近代は死や病が病院の中に閉じ込められている。死を看取る行為も長寿化や職業の専門化や相互扶助のシステム化とともに、家族や隣人のものではなくなっている。また介助する期間は長くなり、介助の種類も増えている。流動化ともあわせて、tu と呼び合う関係が少なくなり、かわりにusted が増大してゆく。
こんなことはご大層にいわれなくてもずっと言われてきたことだ。だが、一方で、まだまだ日本では家族介護の圧力というのは強いではないか。家族や隣人は介護の素人だろうし、介護の専門家がいるのはどちらかといえば助かる話だろう。むしろ、家族介護には限界があることのほうが最近ではいわれてきたのではないか。たとえば、ボケてわけのわからなくなった人を家族の中において生活するほうがひどい結末を招くということもある(簡単な啓蒙書にでも書いてあると思うが、ボケとボケでない人たちが一緒に過ごすとボケは悪化するし、家族は悲惨なことになる場合がある)。で、こうした粗雑な印象論は、一転、次のように結実する。
そうすると人をモノのように扱うことが多くなる。リストラを平気でやれる状況を用意する。社会的に不利な立場にある人たちを、一般庶民が激しく非難し、冷酷に追い立てる。青空カラオケへの弾圧も、行政のからんだホームレス排除も、ニュータウンで老人ホーム建設に反対する住民運動も、tu よりもusted の関係が優勢の場所で起こりがちなできごとのヴァリエーションなのだ。なぜならば、身近なtu の関係があれば、他者にとっての別のtu も想像しやすく、寛大になれるからだ。
ちょっと待て。人をモノのように扱うからリストラするのか? 会社の業績が悪化しているからだろう。それとも何か? 会社は、業績が悪化しても、働きのよくない社員に給料をやって食わせ続けてやるべきと言うのだろうか? アホらしい。乞食どもにみんなが優しくする時代などあっただろうか? そんな話聞いたことがないぞ。乞食を人間らしくあつかうなどというのは人権思想のなせる業ではないか。青空カラオケ? あれはまわりに住んでいる人たちでもうるさいと思っていたことが有名だったし、さらに路上を占拠して勝手に金を取っていたのである。こんな迷惑きわまりないことに我慢することを要求するのか? ここでは恣意的に弱者を設定するが、私はここに列挙されている事柄のほとんどに同意できない。
その後も常識的にはほとんど同意できず、また無理して頭を使っても理解もできないようなことを並べ立てた挙句に、最後にこう結論付ける。
日本の中心と周辺にいまや珍しくなった親しき者を大切にし、社会的な価値(国のために世継ぎを生め、失業なんて人間失格、離婚なんてとんでもないetc)を二の次にする生き方がある。だからこそ今皇室が取りざたされ、沖縄に関心が向けられる。それは一般庶民の日常世界からtu の関係がーー個人と社会との間にある共同体/コミュニティがーーなくなっているからだ。
皇室という経済的には保障されたお立場と、沖縄という血縁共同体による相互扶助に支えられた生と死の共有。そこに学校や会社を軸とする擬似共同体または共同体主義とは違う共同体がいっぽうで作られ、もう一方では残っている。
もはやキチガイのたわごととしか言いようがない。内容もさながら、日本語も信じられないくらいに下手だが、それはいい。それより、共同体を理想化する腐った脳みそはなんとかできないものか? 個人と社会との間にある共同体がなくなっている? 違うよ。あるんだよ。浅羽通明の本とか読めよ。妄想するんじゃねえよ。ほんとうに人間関係が希薄になっているなら、負け犬やら、失業を恥じるやら、離婚なんてとんでもない、なんて考えが出てくるもんか!! お前らみたいなのにかまってくれる奴が世の中にいるものか。勝手に生きて勝手に氏ねって言われて終わりである。皇室の内紛にみんなが注目するのは、共同体やら愛やらという問題ではないし、今に限ったことでもない。ずっと前から皇室の人気は根強いではないか。少なくとも私が生まれたときから、皇室への関心はほとんど変わっていない。沖縄にみんなが注目するのは、たかだかノスタルジーか、後は政治的な文脈のためだ。