TOSHIの城郭巡りの旅

戦国時代の歴史が好きで中世城郭を巡ってます。

60年代は、今より放射のが1万倍!

2011-04-11 14:16:46 | 日記
記事からの転用ですが、今より昔は放射能が沢山降りそそしでいたそうです。確かに、私が小学生の頃、雨の日は必ず傘をさして雨に濡れない様にと言われてました。放射能の雨が降ってるからと学校でも言われてました。でもあの頃は、今みたいに世界中でパニックに成ってなかった様な気がします。きっとあの時代に、私は莫大な放射能を浴びているでしょうね。散々、世界中に放射能をばらまいた、アメリカ、ロシア、中国、フランスには文句言われたくないな。

1960年代の放射線量は今の1万倍だった!

 ここに、風評被害に立ち向かう上で有用なデータがある。気象庁の気象研究所が1958年から50年以上、国内の放射性物質量を継続的に測定している。これだけの長期データは、世界でも例がないそうだ。そのデータによると、米国、ソ連が大気中で核実験を行っていた1960年代、土壌中に含まれるセシウム137とストロンチウム90の量は、2000年以降の平均値の何と1万倍を上回っていたのである。1963年の部分的核実験禁止条約後、放射線量はやや下がるが、1970年代に中国、フランスが核実験を行うと再び、2000年代の1000倍レベルに増加した。1986年にチェルノブイリ原発事故が起きた時は一瞬、1960年代の水準まで増加するが、わずか1年で、前後の期間の平均的なレベルに下がっている。

 福島の原発事故が起きた後に同条件で測定されたデータはまだ公表されていないが、各都道府県が毎日測定している空気中の放射線量が参考になる。東京・新宿区の場合、3月13日の放射線量が前日の3.2倍に突如増加し、23日には4.3倍になった。その後は、12日の2.5倍程度で安定している。福島県内の「30km圏外」では、多い地点でも、平常の10倍程度である。土壌中と空気中の放射線量が比例すると仮定すれば、両地点の測定量は1960年代の1000分の1から4000分の1に過ぎない。当時、私は小学生だったが、この年代で有意にがん患者が多いというデータはないはずである。このような研究成果は国際的にもっとアピールされるべきである

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2 コメント

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つまり50万倍 (ds)
2012-01-31 16:09:32

3月に降ったセシウム、過去最高の50倍超 気象研観測

12月2日(金) 0時59分配信 朝日新聞

 気象庁気象研究所(茨城県つくば市)は1日、福島原発事故で放出され、3月に観測したセシウム137は1平方メートル当たり3万ベクレル弱(暫定値)で、核実験の影響で過去最高を記録した1963年6月の50倍以上だったと発表した。船を使った調査で、北太平洋上に広く降ったこともわかった。

つくば市に降ったセシウム137は4月には数十分の1に減り、夏には1平方メートル当たり数十ベクレルとチェルノブイリ事故後のレベルになったという。環境・応用気象研究部の五十嵐康人室長は「福島原発事故前の水準に下がるまで数十年かかるのでは」と話している。過去最高値は同550ベクレル(移転前の東京都で観測)

 4~5月に海水を採った調査では、福島原発から大気中に出た放射性物質は北太平洋上の広範囲に降り注いだことがわかった。米西海岸近くでも降っていた。

 大気中から降るものとは別に、福島原発から海に流れ出たセシウム137とセシウム134は、それぞれ少なくとも3500テラベクレルと試算した。

 表層では北太平洋を東へ広がり、その後潜り込んで南西に流れ、中層の流れにのったものの一部は20~30年後に日本沿岸に戻ると予測している。地球化学研究部の青山道夫主任研究官は「北太平洋全域の継続調査が必要」と話している。

 核実験の影響を監視するため、気象研は1954年から放射能を観測してきたが3月末、今年度予算が突然凍結され、観測中断を迫られた。今回の結果は、それを無視して観測を続けた研究者の努力で得られたものだ。
(中山由美)

http://www.asahi.com/national/update/1201/TKY201112010588.html
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Unknown (Unknown)
2012-04-06 03:16:42
つまり今回は一時に桁違いの放射性物質を浴びたというわけですね。
今後有意な健康被害が浮かび上がる可能性がありますね。
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