社)国際魅力学Ⓡ会マダム路子のブログ

あなたの魅力を魅力人の輪で広げよう!
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品川路子から・山野路子への結婚とメディア取材

2016-01-28 11:42:40 | 品川路子と掲載誌

魅力研究家品川路子の結婚をトップ記事に掲げたのは、週刊女性誌でした。電車の中吊りを見て当の私が仰天しました!!誰が、どこで、私を山野愛子氏の2代目なんて言っているの???と、驚きました。この記事をきっかけにメディアでは、山野路子2代目論が広まって行きました。あれよあれよと言う間に、ひとり歩きし始めたのでした。

 

2代目山野路子の名がこのときから、ひとり歩きを始めたのは、私自身にもどうにもできませんでした。私自身も、山野ファミリーも誰もが私を2代目になんて話は米粒ほどもないのに、メディアの上で一人歩きしていきました。

ある週刊誌の記者の方が「魅力研究家の品川路子さんが、山野家の嫁となり、どう変身して行くのか、我々も興味があるし、読者にとっても共通の関心事でしょう」と。
認知度の低い「魅力学」を引っ提げ新しい生き方を提唱した私が美容王国の嫁となったのです。

いわば「玉の輿」。真実はともあれ、関心をもって頂くのは、ありがたいことと、できるだけ平常
心を保ち、知らないことは学び教えてもらおうと思いました


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品川路子新聞誌上に22歳のお嬢さん先生と紹介

2016-01-28 11:33:33 | 品川路子と掲載誌

プロ講師デビューを果たしてくれた「日本チャームスクール」は残念ながら、2年弱で閉校になったしまいました。折角魅力研究家・美容家デビューをしてこれからというときでした。最初は大きなショックを受けました。

考えた結果両親の力を得て自宅を少し改装してビューティチャームコンサルタント開講する決意をしたのです。
自宅を開業を、丸尾先生がマスコミに、挨拶状を送ってくださいました。一番最初に取材に来てくれたのは、なんと「週刊サンケイ」。タイトルは〝品川路子の事業計画〝で新聞広告にも大きく出ていました。

次が、この新聞でした。でもこうした週刊誌や新聞を通じ受講生が次第に集まって、くれたのですから嬉しいことでした。

 

女性自身誌では無料で集客の記事を掲載してもらいました。

   

 


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品川路子の誌上チャームスクール

2016-01-28 11:29:27 | 品川路子と掲載誌

「週刊女性」誌の仕事でも誌上チャームスクールなども、開始されました。奮闘する私に、いままで経験したことのない仕事依頼が続きました。このシリーズのバックNOは紛失してしまいました。


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品川路子雑誌でチャームコーナー

2016-01-28 11:28:01 | 品川路子と掲載誌

他の雑誌での仕事も増えていき、私の指導力は少しづつアップしていると、自負していました。美容新聞にシリーズで魅力学の指導コーナーをもつこともできるようになりました。着物好きなことも生きました。


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品川路子・「女性自身」で初指導〝もうひとつの魅力〝

2016-01-28 11:25:10 | 品川路子と掲載誌

雑誌の仕事では、モデルを使い「魅力学」を、フォトで表現する楽しさも知っていきました。人はいくつもの魅力の引き出しを持っていることを、表現したかったので、楽しい企画でした。

〝女性自身より〝


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品川路子・「女性自身」誌に日本初の魅力研究家としてして掲載!

2016-01-28 11:08:36 | 品川路子と掲載誌

当時100万部も売れていた女性自身に、「魅力学」という新しい学問を、教える日本初の魅力研究家(チャ―モロジスト)なのでチャモ博士と紹介されました。4ページにわたる記事で、この後続々と取材、指導の仕事が増えていきました。

やはりここでも、私がポーズをとっていますねえ

  


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品川路子〝新しい職業のパイオニア〝

2016-01-28 11:06:28 | 品川路子と掲載誌

〝新しい職業のパイオニア〝と書いてくれたのが、週刊女性でした。スクールが閉校して落ち込む暇もなく、自宅に開業したビューティ・チャームコンサルタント教室は10人の生徒さんでいっぱいになりました。普通の住居のさして広くもないサロン(とも呼べない)仕事場でしたが、私の気持ちは、美の殿堂を持った気分でした。

そんな授業風景が取材されました。

プレイガールではありませんが、私の自宅でのビューティ&チャームコンサルタントを中吊りの広告や新聞広告に掲載されるくらいに、大きく扱ってくれました

 


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品川路子・恩師丸尾長顕・山野愛子の掲載誌

2016-01-28 10:32:11 | 品川路子と掲載誌

「魅力学」は時代が肩を押してくれましたもの。メンターの丸尾先生の後押しも大きな力となり、私は掲載誌を通じ、世間にも認知され、私自身も磨きをかける原動力になっていました。

掲載誌を整理して気が付きました。同じ掲載誌に川路子、丸尾長顕先生、山野愛子先生が並んでいるのです。まさかこのとき、私が山野家の、嫁になるなんて、誰も考えていませんでしたからね。縁とは不思議なものです!

  


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品川路子・モデル&指導〝表情は知性のバロメーター〝

2016-01-28 10:29:49 | 品川路子と掲載誌

魅力研究家の私には、表情、ポーズ、アクションで、「魅力アップ」する、といった仕事依頼が多く、プロのモデルさんを使うこともありますが、たいていは、私が指導:監修、モデルもかねました。演劇少女だった時に学んだことが役に立ちました。

魅力研究家でデビュ―後は肩書きつきで仕事ができるのが、嬉しかったですね。意欲がモリモリ湧いてきたものです!


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品川路子の新美容体操提案が新聞に!

2016-01-28 10:29:20 | 品川路子と掲載誌

日本チャームスクールの講師の私に、新聞社から、魅力的なボディラインを創る体操のテーマで、取材を受けたときには、私自身がタイツ姿でポーズをとりましたね。こうしたことが、後にバイオリズムヨガなどにもつなげて行くきっかけになりました

 


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魅力研究家・品川路子の取材!

2016-01-28 10:28:13 | 品川路子と掲載誌

962年:飯田橋に新しく開校された、「日本チャームスクール」に、品川路子は待望の魅力研究家と講師にして、本格的にデビューしました。講師も各界の有名人の方が揃っていました。22歳で魅力研究家・美容家デビューすると、取材して頂くことが急激に増えていきました。

家庭全科の日本チャームスクールの取材取材は6ページに及ぶ大型企画でした。



品川先生は、丸尾長顕先生の愛弟子。この方自身がお手本と言えるほど
チャーミングな女性。まだ若いので生徒がお友達のように、なんでも相談に来るそうだ〝この記事を読んだとき、私の唇はゆるみぱなしでした。

メイク指導をしている私です。プロポーションを整える体操、ポーズなども指導していました。

 

講師のおひとりだったマダムモレシャンさんと生徒さんたち。

 


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品川路子時代・雑誌モデルに

2016-01-28 10:20:12 | 品川路子と掲載誌

本格的に魅力研究家・美容家デビュー前、デビュー後も丸尾長顕先生監修指導の雑誌やテレビでモデルを務める事が多くなりました。こうした仕事では優志願時代学んだ事が、大変に役に立ちました。

 

丸尾長顕先生は舞台演出家なので、魅力学の中でも、表現法を指導する事多かったので、私はそのモデルに起用されることがたびたびありました。表情のモデルになるには、大事なのは「目力」です。

当時は、アイコンタ
クトだとか、「目力、などとという表現はなく、視線の中の「点」を鍛えると表現をしていました。何回も、笑顔や視線のモデルになった経験は、後に「魅力的」な印象作りのポイント、自分の「顔」を第三者に、どうみせるかを指導できるかを学び修錬するチャンスになりました。

インターン時代の1年間に丸尾長顕先生指導監修した雑誌あるいは、テレビ等に出演。丸尾長顕先生は今後の「魅力学」は「品川路子君が構築して行けばいいんだよ」と言われていました。それは、私がやる気にするる嬉しい激励の言葉でした。


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品川路子、メンターがメディア(雑誌)に紹介!

2016-01-28 09:45:14 | 品川路子と掲載誌

私が22歳で魅力研究家品川路子としてデビュー。結婚し山野路子になって12年。離婚後の35歳からはマダム路子に仕事上はマダム路子に改名して今日があります。子育て、離婚などの私的生活の変化を経ても、仕事から離れたことはありませんでした。そうした活動が継続できたのも多くの方の応援や支援、協力に支えられてきたからです。

 

また、種々の雑誌や、新聞に掲載されることが、テレビ出演への足がかりとなったり、「講演」や「著書」に連携して多くの方に魅力研究家・美容家として知って頂きそれが今日まで続いていることにはただただ、感謝しています。

品川路子時代からの掲載誌やテレビ出演、講演のアーカイブをみますと、時代の流れも見えてきます。魅力学】の勉強を始めた頃。私のメンター(師匠)の丸尾先生は、さりげなくご自分がかかわるメディアの仕事の中で、紹介してくださることが増えていきました。若き日にメンターが私をメディアに頻繁に露出下さったことが、若干22歳で魅力研究家・美容家のプロとして歩み始めることができたのだと思います。

魅力学の修行時代の2年間。毎日のように我がメンターのオフイスがあった日本劇場に通っていました。日本劇場(にほんげきじょう)は当初、「陸の龍宮」「シネマパレス」といった構想のもと、収容客数4000人の大劇場として1933年昭和8年)竣工。戦時中空襲による被災や、終戦後の占領軍による接収も免れ、半世紀近くにわたって日本興行界を代表する象徴のひとつとして存在しました・ 

当初は日本映画劇場株式会社の経営でしたが、経営不振で日活が賃借して映画館としたがこれも経営に失敗。次いで東宝が賃借して直営。戦後は東宝映画と実演の二本立て興行を行い、特に実演は日劇ダンシングチーム (NDT) のレヴューと人気歌手のショーが注目を浴びました。

私の魅力学修業時代には「日劇の舞台に出る事」が人気芸能人の登竜門となっていた時期でした。昭和30年代はロカビリー旋風に乗り、「ウエスタン・カーニバル」は大盛況となっていました。私も一度だけ観たことがあります失神するファンがたくさんいましたよ!

 有楽町から銀座街を日毎に歩くことで、美や魅力を吸収してました。それは現在も変わりません。

  

1981年、娯楽の殿堂も老朽化には勝てず、閉鎖。跡地には有楽町センタービル(有楽町マリオン)が建てられました。今日「日劇」の名称は同施設内に設けられた映画館に引き継がれています劇場としての歴史は現在のTOHOシネマズ日劇へと受け継がれています。

国際魅力学会   

JapanアクターズTV  


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