スパシーバ  プーチン

魅力あるプーチン
偽ユダヤによって捏造されたプーチン像と歴史をくずす

「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

シャラポア / オリンピック

2016-08-21 21:21:02 | 感じるロシア


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 今でこそモデルとしてテニスプレーヤーとして大活躍し超セレブなマリアさんですが、幼少時の極貧生活そして、彼女を支えたお父さんの物語を見ていて家族で涙してしまいました。


 
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故。
事故が起きた時、チェルノブイリの事故現場から130㎞しか離れていない場所に住んでいたマリアさんの両親。
事故の情報が知らされ始めたのは発生から3日が過ぎた頃からでした。
その時、マリアさんのお母さんは妊娠4ヶ月だったそうです。

 

お腹の赤ちゃんを気遣ったお父さんはチェルノブイリから3000㎞離れた西シベリアにあるニャガンへ移住を決意しました。



家を捨て、仕事を捨てて着の身着のまま移住した家族は貧しい生活を余儀なくされました。

油田の現場に新しい仕事を得たお父さんでしたが、給料は安く日本円にして13万円程度だったとか。


貧しく幼稚園にも行けず、おもちゃも買ってもらえなかったマリアさん。


娯楽の少ない街で、お父さんが唯一の楽しみとしてやっていたテニスに、マリアさんも興味を持ち4歳の時から始めました。
 


他に楽しみもなく、来る日も来る日もテニスの壁打ちをしていたマリアさん。雨の日も雪の日もやっていたため近所では変な子扱いされたことも。



そんな、マリアさんに貧しくて子供用のラケットも買ってあげられなかったお父さん、自分が若い頃から愛用していたラケットの柄の部分を切ってマリアさんに与えました。



マリアさんの才能を見いだしたお父さん、いつも特訓に付き合っていました。

時になかなか思うようにならず泣いたこともあるマリアさんでしたが、その時に言ったお父さんの 「強くなりたかったら人前で泣いちゃダメだ」という言葉が印象的でした。

 


マリアさんが6歳の頃、マルチナ・ナブラチロワ選手が来る催しにお父さんは何とかお金を工面して2人で参加しました。



お父さんは、積極的にナブラチロワ選手に声をかけ、マリアさんを見てもらおうとしました。


最初、ナブラチロワ選手は軽く相手して済まそうと考えたそうですが、どこに打ってもマリアさんが正確に打ち返して来たため、アメリカのフロリダ州にあるニック・ボロテリー・テニスアカデミーへの入学を勧めました。



娘の才能を信じて疑わなかったお父さんは、家族でアメリカ移住を決意。


しかし、アメリカに行くには渡航費・当面の生活費を考えても最低100万円が必要だったそうで、とてもそんなお金はありません。



お父さんは、人の仕事まで引き受けて何とか収入を増やす努力をしました。それでもお金が足りず、マリアさんの才能を必死に訴えて、自分の両親そして奥さんの両親にまで借金をして資金を捻出。



しかし、それでも2人分の費用しか集まらず、お母さん1人ロシアに残し、お父さんと2人で渡米しました。



やっとの思いでアメリカに渡ったマリアさんとお父さんでしたが、そこでまた問題が・・



ニック・ボロテリー・テニスアカデミーへの入学資格は8歳からでしたが、その時マリアさんは7歳で入学することができません。また、入学金・授業料・宿舎代などで580万円は必要とのことでしたが、お父さんの所持金は僅か7万円。


マリアさんを入学させるため、お父さんは朝は食器洗い、昼はビルの清掃、夜は工事現場でと言葉も通じないアメリカで2年間働き続け、その間マリアさんは個人コーチのもとで練習を続けました。


その間には、家賃が払えず追い出されそうになったことも。
 


マリアさんが9歳の時、再びアカデミーを訪れ入学テストを受けると、その類稀な才能を目にしたニック・ボロテリーにより300万円の奨学金を与えられ特別奨学生としての入学を許可されました。



アカデミーに入学したマリアさんでしたが、その才能ゆえに妬ましく思うスクール生からいじめを受けることに・・・時には「いないもの扱い」されたことも。




辛い思いをしていたマリアさん。異変にいち早く気づいたのはお父さん。

その時、強がるマリアさんにお父さんが言った言葉 「前に、強くなりたかったら人前で泣いちゃダメだと言ったが、お父さんは別。お父さんと2人の時は泣いてもいいんだよ」


そして、マリアさんが言った「いつも楽しくやっている。みんな仲良くしてくれるし」「わたし、世界一の選手になる」という言葉。



そして、11歳という若さで1億円の契約金でスタープレーヤーの仲間入り。
その後の快進撃は世界が知るところです。

 


2004年、マリアさんは全仏オープンでパオラ・スアレス選手(アルゼンチン)との準々決勝に進出した後、ウィンブルドンで4大大会初優勝を飾りました。


当時世界ランキング15位でノーマークの彼女、第13シードから強豪を次々破って勝ち上がり、決勝でセリーナ・ウィリアムズ選手(アメリカ)を 6-1, 6-4 のストレートで圧倒しました。


17歳2ヶ月でのウィンブルドン女子シングルス優勝は、1997年に「16歳9ヶ月」で優勝したマルチナ・ヒンギス選手に次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録。



ウィンブルドンで優勝して、「世界一の選手になる」というお父さんとの約束を果たしました。

優勝が決まったあと観客席に駆け上がり、お父さんと抱き合う映像。彼女の過去の物語を知った今、なおさら感動的でした。




今年の全仏オープンではセリーナ・ウィリアムズ選手に敗れ、惜しくも準優勝となったマリアさん。



 2007年2月、マリアさんは国際連合開発計画親善大使に就任し、チェルノブイリ原発事故後遺症に苦しむ祖国ロシア・ベラルーシ・ウクライナの8つの若者支援プロジェクトに自身の基金から10万ドルを寄付すると発表しました。



また、東日本大震災の時にも真っ先に日本を訪れ、被災者の方々を励ましたことなどを知り、今更ながらファンになってしまいました。
 
http://digihiro-today.blog.so-net.ne.jp/2013-06-11



 
 

8.21 リオ五輪最終日前日はロシア選手団にとって最良の日に

ロシア選手は、リオデジャネイロ五輪15日目、金メダル4、銀メダル1を獲得、これまでで最も良い成績を収めた。
前回2012年のロンドン大会同様、五輪最終日の前日、リオでもロシアに勝利の女神は微笑んだ。





8.21 世界反ドーピング機関長がロシア選手薬物摂取の証拠提出を拒否


世界反ドーピング機関のリチャード・マクラーレン委員長は、ロシア人の違反薬物摂取の証拠を提出するようにとのIOCの要請を拒否した。土曜日20日、IOCのバッハ会長が報じた。


「我われはマクラーレン委員長に、国際陸上連盟にデータが送られる前に(ロシア人のドーピングの)具体的な証拠を受け取りたいと述べた。


答えとして、マクラーレン氏はこの情報はIOCにとって緊急もしくは死活問題ではないと考えているので証拠を提出するつもりはないとの返事を受けた。我われはマクラーレン氏とメールでやりとりをした」


7月18日、世界反ドーピング機関とマクラーレン委員長は、ロシアで政府によって支持されているドーピングプログラムが存在するとの報告書を提出した。

しかし、直接的な証拠はなんら引用されなかった。報告のとりまとめとして、世界反ドーピング機関は16年度五輪から全てのロシア選手の出場資格を停止するよう呼びかけた。






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