スパシーバ  プーチン

魅力あるプーチン
偽ユダヤによって捏造されたプーチン像と歴史をくずす

「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

本当の天皇・日本史

2017-05-04 22:48:16 | 田布施族 朝鮮半島  


遂に発見!天皇の出自=「百済王氏の氏寺だった百済寺を訪れる」引用(ミラーページ含む)


鹿島昇氏の「日本史のタブーに挑んだ男」 や、さらに詳しくは「日本侵略興亡史」などの書籍からもわかるように、




天皇の歴史は「百済・高句麗・新羅」の朝鮮史を組み合わせたもので、氏素性は百済の王家になった一族。



神武天皇は元はエビスと呼ばれた殷人(シュメール人)の扶余族でタケミカズチとも呼ばれ、朝鮮百済を経由し、九州南倭を滅ぼし、博多に伊都国を建国した。



神武天皇の妻が卑弥呼で、卑弥呼の実家はユダヤ系亡命者の公孫氏で神武天皇が亡くなった後は、宮崎県西都市にある日向・西都原に都を移し、倭の王国連合を統治した。




なお蛇足ながら、「藤原鎌足」は捏造された人物である。


白村江の戦いで勝利した新羅の大将軍・金庚信(ゆしん)と、唐に全面降伏し服従した百済近衛の将軍・郭務悰(かくむそう)を合成した人物である。

畿内の秦王国に新しく「日本」を作り、その内政に参与した。 中臣氏とは伽耶国の古い家来(遺臣)の者たちである。




私もこの西都原古墳も調べたが、コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)やその父親のオオヤマズミの命(大山祇命)など古事記にゆかりのお墓や古墳が数多く点在していた。







西都原古墳の鬼の窟古墳(鬼のいわや古墳)




なお九州国立歴史博物館で百済展をやっていたが、肝心の「天皇の起源」などの事を隠しており、百済の里や西都原古墳などにふれていなかった。






そこで、その旨を批判するアンケートを投函しておいた。







すると後日、九州国立歴史博物館の人から電話で連絡をいただき、「本来の百済展では最もハッキリ、百済の関係がわかる、大阪府牧方市にある百済寺の関連資料を展示すべきだった」と言っていた。



そこで百済寺に関する資料として、下記のページを見つけたものの、ちょっと著者のHPの該当するページが読みにくくて困ったので、下記にミラーページとして残しておきます。このページでポイントは最後の部分で、


百済王一族が星辰信仰を持っていたことに着目され、四神や星宿が描かれた壁画古墳は「宇宙王」の墓であり、倭国に渡来した百済王家の一族の墓こそふさわしいとされる。



そして、百済王禅広を高松塚古墳、息子の昌成をキトラ古墳の被葬者と推定しておられる。


作者のページのソースはここ
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2006_01_15.htm
普通に見えるようになったら、このページも削除します。

http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/
より



橿原日記 平成18年1月15日
百済王








http://rakusen.exblog.jp/22854237/





☆ 万系一世 日本  ということを 信じた ということが いかに 奇想天外だったことか ・・・

いくつかの 神社を巡るだけで すべて  百済  新羅  高句麗 の 歴史でした。






ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 前世の記憶 | トップ | アル・ジャジーラの撮影 ... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

田布施族 朝鮮半島  」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。