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偽ユダヤによって捏造されたプーチン像と歴史をくずす

「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

アメリカ建国の真実

2017-10-15 17:55:36 | (旧 新) 米国







330410 世界を操るグローバリズム-5~ピューリタン革命でユダヤ人がイギリスに戻った~


 
ブログ 金貸しは、国家を相手に金を貸す



まずは、アメリカ建国の切掛けになったイギリス:ピューリタン革命(1641年~1649年)
について。



史実は、表題にあるように、「ピューリタン革命はユダヤ人受入のための革命だった」ということです。



それまでイギリスは、400年近くに亘ってユダヤ人入国禁止としていました。


それに対して、オランダのユダヤ人金融資本家が、クロムウェルに資金提供し実現させた革命とのことです。



その後、イギリスに宮廷ユダヤ人が入り込み徐々に勢力を拡大していきます。


そして次に、彼らの意向が通るように王政から議会政治への道を開いたのが、いわゆる名誉革命(1688年~1689年)です。


これらを主導していたのが、主にオランダの金貸しで、自分達の意のままの体制をつくってきたということです。


その5年後の1694年には、ついに本格的な中央銀行として、イングランド銀行が設立されました。



中央銀行は、「通貨は負債から生まれる」つまり「国王等が借金すればするほど通貨が発給される仕組み」で運営される錬金術機関です。



その後、金貸しは世界各国に次々に中央銀行を設立していきます。


世界各国の民主化への戦争や変革、自由な経済活動推進への動きは、中央銀行設立とそれによる国家支配の動きといっても過言ではありません。




ご存知のように、アメリカはイギリスから渡ったピューリタンたちによってつくられた国です。


アメリカのことを理解するには、アメリカ建国から少しさかのぼってヨーロッパの状況を考えてみる必要があります。




中世以降のヨーロッパは、貿易が盛んになり、冨が蓄えられ、金融の力が大きく働き始めた時代です。


ヨーロッパの金融には主に二つの流れがあります。一つは、イタリアを中心とした金融勢力。もう一つは、フランクフルトのロスチャイルド家を中心とした金融勢力です。



イタリアでは、ルネサンスの時代からメディチ家や、ジェノバ商人、ベネチア商人などが、金融や交易によって莫大な富を得ていました。

彼らの冨がヨーロッパの金融を握ってきました。


イタリアの商人たちが長くヨーロッパの金融を支配していましたが、その後、ユダヤ商人たちが台頭してきました。



18世紀後半にフランクフルトから出てきたマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、金融でロスチャイルド家を栄えさせ、ロンドン、パリ、ウィーン、ナポリなどに勢力を拡大していきます。



彼らは各国の王室と結びついて勢力を伸ばし始めました。


王室の側も財政金融面でユダヤ商人たちの力を必要としており、ユダヤ商人側も王室を上手く利用していました。


やがて、ユダヤ商人たちの勢力が増して、国内の金融を牛耳るようになって行きました。

顕著な例がイギリスです。



イギリスではエドワード一世によって1290年にユダヤ人はイギリスから永久に追放されました。

この追放令は、エドワード一世が様々な法律によってユダヤ人を金融業以外の職業に就かせようとしたが、悉く失敗した結果として出されたものでした。


追放されたユダヤ人の多くはフランスに移住しました。



以後、建前上はイギリスにユダヤ人はいなくなりましたが、国王の特別許可を得たユダヤ人はイギリスへの入国が認められましたし、キリスト教に改宗したユダヤ人はそのままイギリスに留まることができました。


それから360年の月日が流れた17世紀中頃、イギリスではチャールズ一世が貴族の権限拡大を主張する議会と対立状態に陥りました。


これを見たオランダのユダヤ人金融家マナセ・ベン・イズラエルがクロムウェルと取引をし、ユダヤ人再入国と引き換えに資金援助を申し入れました。


かくして、清教徒革命の成功とユダヤ人再入国が実現したのです。チャールズ一世は公開処刑され、イギリスは共和制となりました。



私達が習ってきた清教徒革命は、ピューリタンであるクロムウェルが革命を主導し、国王チャールズ一世を処刑して共和制を打ち立てたという表層的なものです。ところが、


イギリス人が書いた書籍を読むと、清教徒革命とは「イギリスを追われていたユダヤ人たちがイギリスに戻ってきた革命である」という見方をしています。



クロムウェルが革命後しばらくして死ぬと、チャールズ一世の遺児がチャールズ二世として国王に復帰しました。これが1660年の王政復古です。


実は、チャールズ二世は大陸亡命中にアムステルダムのユダヤ人富豪から王位返り咲きのために多額の資金援助を受けていました。


そのため、チャールズ二世は治世中寛大なユダヤ人政策を取っていたのです。



ところが、チャールズ二世の死後、弟がジェームス二世として即位しましたが、彼はカトリック教徒であったためイギリス人に人気がありませんでした。


そこで、ジェームス二世の女婿であるオランダのオレンジ候ウイリアム(後のウイリアム三世)がイギリスに上陸し、ジェームス二世は逃亡しました。


そして、ウイリアム三世の妻メアリー(メアリー二世)と共にイギリスを共同統治することになったのです。これが世に言う名誉革命(無血クーデター)でした。



クロムウェルもチャールズ二世もウイリアム三世も政情不安から戦争に明け暮れました。そのため、王室の借金が重なっていったのです。

王室の借金はユダヤ金融精力からの借り入れであることは言うまでもありません。



このようにして、ユダヤ金融勢力はイギリス経済への支配権を手中に収めたのです。彼らによるイギリス経済支配を決定付けたのは1694年のイングランド銀行の設立でした。



つまり、ユダヤ金融勢力は自らが所有するイングランド銀行設立によって、イギリスの通貨ポンドの独占的発給権を得たのです。



要するに、通貨の独占的発給権を得たということは、経済のみならずイギリス政治をも支配することになったのです。




清教徒革命や名誉革命よりもイングランド銀行の設立がイギリスにとって最大事件であったのです。



その後の世界の主要問題がイングランド銀行に倣った中央銀行の設立であったことを考えますと、イングランド銀行の設立は世界史的大事件であったと言えるのです。



イングランド銀行の通貨発給の仕組みは簡単でした。


彼らは国王に125万ポンドを融資し、その代わり同額の通貨発給の権限を得たのです。

このように、国王の負債が新たに通過を生むことになりました。「通貨は負債から生まれる」という現代の錬金術がここに完成したのです。




通貨発給権を持つ銀行を「中央銀行」といいますが、「中央銀行」と言うと「公的な」銀行であろうと思ってしまいます。

実は、ここの巧妙な洗脳があるのです。


改めて強調しますが、通過発給権を持つ中央銀行は、実は民間所有の銀行なのです。

アメリカのFRB(連邦準備銀行)もEUのヨーロッパ中央銀行もわが日本銀行も、民間銀行です(日本銀行は55%の株を日本政府が所有している)。


つまり公人ではなく私人が通貨を発給しているのです。


この事実を理解するだけで、世界史の見方が確実に変わります。


また、戦争や革命の裏面が見えてきます。国家の通過発給権を独占している民間人の金融勢力は、確実に大儲けができるわけです。




■国王が借金すればするほど通貨が発給される仕組み



こうしたシステムが考案されたのは紀元前にさかのぼるという説もあり、システムの起源についてははっきりしていません。

ただ、イングランド銀行が中央銀行として、国家の借金による信用創造を始めたことは間違いありません。



多くの人は不思議に感じると思いますが、国家の借金が信用であり、それが通貨になるということです。逆に言うと、国家の借金が無くなれば、信用創造も無くなり通貨の発給もなくなります。



中央銀行を握ったユダヤ人資本家たちは、イングランド銀行を中心としたシティ(イギリス金融街)をつくり、さらに、植民地であるアメリカにイングランド銀行と同様のシステムの中央銀行を作って金融支配をもくろみました。



http://www.kanekashi.com/blog/2017/10/5492.html




☆ 日本銀行は その半分ほどが 天皇家と ロスチャイルドが 株をもっています。


ロスチャイルドに造られた 明治維新の 天皇すり替えです。







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