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「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

世界一寒い オイミャコン

2017-03-20 15:15:21 | 感じるロシア







3.18 世界一寒い大冒険:オイミャコンで感じた、自然と共存する素晴らしさ


人が住んでいる場所の中で最も寒い場所は、ロシア連邦サハ共和国にある、オイミャコン村だと言われている。

オイミャコンの最低気温の記録はマイナス71,2 度で、人口は900人を少し超える位である。極寒地にロマンを感じてオイミャコンを訪れる人は後を絶たず、日本人も例外ではない。








今年の2月、念願のオイミャコン行きを実現した若者も、その旅の感動をスプートニクに語ってくれた。

宮代健太(みやしろ・けんた)さん、内記朋治(ないき・ともや)さん、そして人生のほとんどを日本で過ごしているロシア人、クリメンティ・クドウリヤショフさんの仲良し3人組である。


ずっとオイミャコンに行くのが夢だった宮代さんがクドウリヤショフさんを誘い、そこにレジャー仲間の内記さんが加わった。


オイミャコンへ行くには、何らかの手段でサハ共和国の首都ヤクーツクまで行って、そこから陸路で行くのが唯一の手段である。


一行は、まず成田からハバロフスクまで飛行機で行った後、列車に乗り換えた。本来はサハ共和国の第二の都市・ネリュングリで下車してヤクーツク行きのタクシーに乗るつもりだったが、列車内でたまたまヤクーツクへ車で向かう予定の人とめぐり合った。幸運にも、その車に同乗させてもらえることになったのである。







しょっぱなから運が良いと思ったのも束の間、暴風が吹き荒れる中、エンジンに「寒さ防止カバー」をしていなかったため車が立ち往生。


超極寒の中、暖房のない車内で待つわけにもいかないので、たまたまあった近くのカフェで暖をとり、不安感に襲われながらも修理が終わるのを待った。

このアクシデントのため、朝6時台に出発したにもかかわらず、ヤクーツクに着いたのは夜10時前だった。



ヤクーツクからは、トムトルという村を経由し、オイミャコンへ向かう。

マルシルートカと呼ばれる乗り合いワゴンで約20時間の道のりだ。かかった費用は一人6000ルーブル(約1万2000円)と荷物代1000ルーブル(約2000円)だった。


ほとんどの乗客がトムトルで降りてしまったが、唯一、オイミャコンまで行くという高齢の女性がいた。

三人は「かなり心細かった。あのおばあちゃんが心の支えだった」と口を揃える。心細かったのは天気が悪すぎたせいだが、実はこのときヤクーツクに緊急事態令が出ていたのであった。彼らはもちろんそれを知らなかった。



一行は無事、オイミャコンに到着した。


この村を語るときに欠かせない人物が、元教師で、郷土史研究家のタマーラ・ワシリエワさんである。


タマーラさんは自宅の一部をホテルに改装し、旅人たちを泊め、エクスカーションなどを提供している。いわばオイミャコンの窓口的存在である。


宮代さんたち一行も3日間、タマーラさんのホテルに泊まった。


物好きなのは日本人だけではない。例年、1月と2月の2ヶ月間で120人くらいの観光客が訪れるという。


タマーラさんは「今まで何人日本人が来たのか・・・よく覚えていませんね。映画の撮影も何度もありましたし。今まで世界の53カ国から旅行者が訪れました。ここでは様々なレジャーが楽しめます」と話す。


実はオイミャコンには「寒さ対決」においてベルホヤンスク村という強力なライバルがいる。


ベルホヤンスクの公式最低気温はマイナス67.8度だ。記事冒頭で、オイミャコンの最低気温はマイナス71,2 度だったと紹介したが、気温測定方法に難があったとして、「ベルホヤンスクこそ最も寒い場所」と異を唱える学者も存在する。


しかしタマーラさんは郷土史家として、「世界の寒極はオイミャコン」だと主張している。マイナス70度レベルの寒さを期待していた一行だったが、たまたま2月の中でも暖かい時期だったのか、マイナス50度程度だった。地元民からすると「暑くてしょうがない」というのだから驚きだ。








オイミャコンは基本的に自給自足で、野菜が少なく、メインは馬肉や鹿肉だ。


通常、ロシアのボルシチには牛肉が入っているが、サハ共和国のご当地ボルシチには馬肉が入っていて、味付けも濃い目だという。


全体的に油分、塩分が多めなので、日本人にとっては食べ続けると辛いかもしれない。


クドウリヤショフさんは日本暮らしが長すぎて胃腸も日本化したのか、馬肉を食べすぎてお腹を壊した。

ヤクーツク流に、ウォッカとモルス(ベリーのジュース)を交互に飲んだせいもある。馬の内臓はソーセージやおつまみになる。


宮代さんは馬の血からできている「血のカルバサ(ソーセージ)」を食べて下痢になってしまった。意外にも、三人の中で一番華奢な内記さんが一番元気で、屋外でふんどし一丁で記念写真を撮った。



サハ共和国では、現代においても伝統的なライフスタイルが息づいている。特に男性は若者でも猟をする人がほとんどだ。


狩猟が趣味でジビエ料理を愛する内記さんは「ここでは人と自然が一緒に生き、共存しています。彼らは靴を作るなど、毛皮の活用がとてもうまいし、あるものを工夫して使うという姿勢が素晴らしいと思いました」と感動した様子で話してくれた。



オイミャコンでは狩猟や魚釣りの見学をし、人は命あるものを食べ、自然とともに生きていることを再認識した三人。


ヤクーツクでは世界遺産のレナ川石柱自然公園を訪れたり、北東連邦大学を訪問したり、北海道総合商事が共同出資している野菜の温室栽培工場「サユリ」を見学したりと、充実した時間を過ごした。帰国報告会は25日に予定されている。



https://jp.sputniknews.com/opinion/201703183444923/

















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