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音楽を愛する「うつ病」のガン患者の日常

08憲章

2017-07-14 22:46:26 | 日記
劉暁波氏 死去 中国の民主化運動の象徴的存在
7月13日 23時32分
中国の民主化運動の象徴的な存在で、服役中にノーベル平和賞を受賞した、作家の劉暁波氏が13日、亡くなりました。61歳でした。
劉暁波氏は中国東北部の吉林省の出身で、北京師範大学に在籍していた1980年代半ばに、文芸評論家として、中国の民主化の重要性を訴えて注目されました。1989年の天安門事件の際には、民主化を求める学生らの運動の中心メンバーとなり、その後も政治改革の必要性を訴える評論などを発表し続けました。

2008年には中国の民主化の必要性を訴え、共産党の1党支配を批判した「08憲章」と呼ばれる文章を発表し、国家と政権の転覆をあおった罪に問われ、懲役11年の判決を受け、刑務所に収監されました。

劉氏は服役中の2010年に「中国で、基本的人権のための闘いを一貫した非暴力の姿勢で続けてきた」として、ノーベル平和賞を受賞しましたが、中国政府は授賞式への出席を許さず、世界中から注目を集めました。

その後も、服役を続けていた劉氏は末期がんと診断されたため、先月、仮釈放され、中国東北部の遼寧省の瀋陽にある病院で治療を続けていましたが、瀋陽市の司法局によりますと、13日、亡くなったということです。61歳でした。

劉氏をめぐっては、本人や家族が、ドイツやアメリカでの治療を希望していましたが、中国側が認めず、実現しませんでした。アメリカやEU=ヨーロッパ連合などは、長年にわたり、劉氏の早期釈放を繰り返し求めてきましたが、中国政府はあくまでも「犯罪者だ」として、劉氏の収監を続け自由を与えなかったことから、中国政府の人権問題に対する姿勢が改めて問われることになりそうです。
司法局 劉氏の活動内容には触れず
劉暁波氏の死亡は、入院していた病院のある瀋陽の司法局のホームページ上で、13日夜、公表されました。

それによりますと、劉暁波氏は国家と政権の転覆をあおった罪で懲役11年の判決を受けていたものの、服役中に肝臓がんを患い、13日、治療のかいなく、死亡したとしています。

発表では、劉氏がノーベル平和賞を受賞したことや、これまでの活動については一切触れられていません。
BBC「中国が消すことができなかった男」
劉暁波氏が亡くなったことを各国メディアも速報で伝えました。

イギリスの公共放送、BBCは、劉暁波氏が亡くなったことを速報で伝えたほか、ツイッターに「中国が消すことができなかった男」として、劉氏のこれまでを振り返る1分余りの動画を掲載しました。動画では最後に「彼は、中国に最も影響を与えた政治活動家、そして作家の一人として、人々の心の中に残り続けるだろう」と結んでいます。
「私に敵はいない」 その信念は
中国共産党を痛烈に批判をした劉暁波氏は、当局からの締めつけが厳しくなっても、「私には敵はいない」という考え方を示し、国内外で、その考え方は平和的で、理性的なものだと受け止められてきました。

「私には敵はいない」という言葉は2009年、劉氏が裁判の判決に先立って、書き上げた文章の中にも、繰り返し使われています。この中で、劉氏は「私には敵はいないし、恨みもない。私を監視する人も、取り調べる警察官も、起訴する検察官も、判決を言い渡す裁判官も、皆、私の敵ではない。私は彼らの仕事と人格を尊重する。恨みは個人の知恵や良識をむしばみ、社会の寛容性や人間性を壊し、1つの国家が自由で民主的なものへと向かうことを阻むものだ」と記しています。

そのうえで、「私は望んでいる。私の国が表現の自由のある場所となり、異なる価値観や信仰、政治的な考え方が共存できるようになることを。私は望んでいる。私が、中国で、文章を理由に刑務所に入る最後の被害者となることを、そして、今後、言論を理由に罪とされる人がいなくなることを。」としています。

この文章は、劉氏本人が出席できなかった、2010年のノーベル平和賞の授賞式でも読み上げられました。

一方、中国共産党系のメディア、「環球時報」は先月、評論記事を掲載し、この言葉を引用して、「劉氏は『敵はいない』と宣言しながらも、中国憲法を敵とみなし、政治制度を変えることを目標としていた」として、劉氏を強く非難しています。
本人や親族不在の異例の授賞式
劉暁波氏は2010年にノーベル平和賞を受賞しましたが、中国政府が認めなかったため、劉氏本人はもちろん、劉氏の妻も授賞式に出席することができませんでした。

2010年のノーベル平和賞の授賞式では、劉氏は国家と政権の転覆をあおった罪で服役していたほか、劉氏の妻も、中国政府によって事実上の軟禁状態に置かれ、出席できませんでした。

このため、授賞式の会場には出席できない劉氏の代わりに巨大な肖像が掲げられたほか、劉氏のための空席のいすが設けられ、受賞者に贈られるメダルと賞状が置かれました。そして、会場では劉氏が過去に執筆した「いつか中国が、異なる価値観や考え方を共存できる表現の自由のある国になることを望む」という言葉が読み上げられました。

授賞式に出席できなかったノーベル平和賞の受賞者は、1991年に受賞したミャンマーの民主化運動のリーダー、アウン・サン・スーチー氏や、1983年に受賞したポーランドの自主管理労働組合「連帯」のレフ・ワレサ議長、それに1975年に受賞したソビエトの反体制物理学者、アンドレイ・サハロフ博士などがいますが、いずれも親族が代理で出席しており、本人と親族がともに不在の式典は異例です。

一方、中国政府は式典を前に各国に授賞式に参加しないよう要求し、ロシアやイランなど中国に配慮したと見られる17か国の代表が欠席するなどしました。
海外での治療希望した劉氏と拒んだ中国政府
劉暁波氏は2011年以降、中国東北部、遼寧省の刑務所で服役していましたが、末期の肝臓がんと診断され、先月から瀋陽市内の病院に移され、治療を続けていました。

支援者の話によりますと、劉氏や家族は国外での治療を希望したのに対し、アメリカやドイツなどの外交官が、劉氏らが医療機関の選択を自由にできるようにするよう、中国政府に要望したということです。

これに対して、中国外務省は「内政に干渉するな」として、あくまでも国内で治療を進める方針を示していました。

一方で、劉氏や家族は外部との接触ができない状態が続いたことから、国内外から、治療が適切に行われるのか、懸念の声が上がっていました。

そうした中、インターネット上には、当局側しか撮影できない劉氏本人と見られる男性が「健康に気遣ってもらい、感激している」として、当局への感謝を示す様子や、病院内で家族らが医師に頭をさげて感謝する様子をとらえた映像が相次いで投稿され、当局側がみずからの対応を正当化するために、映像を流したものではないかと、指摘されていました。

さらに、今月8日には、病院は国際的に権威のあるアメリカやドイツの医師が劉氏の診察に当たったと発表し、国内外の懸念の払拭(ふっしょく)を図ろうとしていました。

一方、劉氏の友人たちは中国政府に向けた書簡を発表し、「余命が長くない中、劉氏を見舞いにいきたい」として、外部との接触や面会を認めるよう求めていましたが、結局、その願いがかなわぬまま、劉氏はこの世を去りました。
劉氏が外国行きを希望した理由は?
劉暁波氏は中国の民主化の必要性を訴え、当局から、繰り返し、拘束されたり、収監されたりしてきましたが、民主化を前進させるには、中国国内で言論活動を続ける必要があるとしてきました。

しかし、最近になって、一転して外国に行って、がんの治療を望むようになりました。その背景には、妻の劉霞さんの存在があると見られます。劉霞さんは、劉暁波氏が2010年にノーベル平和賞を受賞した直後から、北京市内の自宅で軟禁状態に置かれ、外部との接触をほとんど断たれたため、うつ状態になるなど、健康が悪化していました。

ただ、劉氏夫妻と長年のつきあいがある友人によりますと、劉霞さんは「刑務所にいる夫に心配をかけたくない」として、みずからが長期間、軟禁状態に置かれていることや、健康が悪化していることを、最近まで夫に伝えていなかったということです。

しかし、劉霞さんが、みずからの病状などを夫にありのまま、伝えたところ、劉氏が非常に心配し、妻の治療のためにも外国に行きたいという意向を示したことが、劉氏の支援者が先月、ツイッター上で公開した劉霞さんの直筆とされる手紙で明らかになりました。

劉氏の知人は「劉氏は、がんの病状が悪化する中で自分が死んだあとも、妻に対する自宅軟禁が続く可能性があることを心配して、外国行きを強く望むようになったのではないか」と話しています。
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