グリーの覗き窓

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グリーの覗き窓 2 ミサの歌詞について

2017-06-16 18:54:28 | 日記

ミサの歌詞に関し、DOBSの加藤栄嗣さん(S61)が2014年5月に発表されたものに、第21回OB四連に合わせ、Pie Jesuを追加して資料提供してくださいましたので、ご参照ください。ただし、今回歌わぬCredoなども含んでいます。編集者の諸事情でアップが遅くなったことを最初にお詫びいたします。挿入絵画の出典は編集者の責任で省略させていただきました。

2014年5月
加藤栄嗣(S61)

 同志社グリークラブやそのOBが歌う宗教曲は、他の団体とは違い、宗教曲としての雰囲気を持っていると言われます。それは同志社がキリスト教主義の学校であり、グリークラブが学校の宗教行事・礼拝において「聖歌隊」としての位置づけで讃美歌や宗教曲を歌ってきたからにほかなりません。でも、実際私たちが、宗教曲を歌う時、その言葉の意味や背景などを十分に理解しきれていないまま歌う場合があります。今回「ミサ」の言葉の意味やその背景についてWebからの引用と私見を含め、まとめてみました。まとめるにあたって牧師である木谷さん(S57)から多くの加筆・助言をいただきました。また、カトリックの神父さんから直接お聞きしたところもありますが、言葉足らずの部分についてはお許しください。

ミサは、カトリック教会においてパンとぶどう酒を聖別して聖体の秘跡が行われる典礼(祭儀)。司教または司祭が司式し、信者全体が捧げるものとして位置づけられており、カトリック教会で最も重要な典礼儀式である。ミサ曲の一つ一つは、その典礼の中で意味を持って用いられている。

ミサの基本構造
開祭の義
神の招き
民の応答としての集合
悔い改め
ゆるし Kyrie
感謝と賛美 Gloria
言葉の典礼
聖書朗読 説教 Credo
感謝の典礼  
   Sanctus Benedictus
交わりの儀
Agnus Dei
聖餐
閉祭の儀
派遣
出発

KYRIE

Kyrie eleison  主よ 憐みたまえ
Christe eleison キリストよ 憐みたまえ
Kyrie eleison  主よ 憐みたまえ

<解説>
「Kyrie:主」とは神の総体(父・子・聖霊の三位一体の神)を指す。
「eleison: 憐みたまえ」の意味は、神への背いた行いをしている自分を赦してくださいという願い。また、悩み・苦しみを抱えている自分を、主よ、どうか目にとめてください。理解してください。あなたの愛で私を包み、安らぎ、心の平安を与えてくださいという祈り。

カトリックのミサにおいても、(ギリシア・ロシア)正教の聖体礼儀においても、神の招きに応えて集まることが非常に重視されます。その集まり、集合の際の大切な身支度は、悔い改めです。「痛悔」などとも呼びます。自分の罪を認め、ゆるしを求め、改めることを約束する。もちろん神のゆるしが先行していることは明らかです。それは「招き」の内に含まれています。ロシア正教の聖体礼儀でも、最初に痛悔をし、ろうそくを灯してから始まります。その意味でキリエは悔い改めの呼びかけということが出来ます。
ミサの他の部分はラテン語ですが、"キリエ"だけはギリシア語です。これは、ギリシア語が、
ローマにおいてもキリスト教徒の共通語として通用していた古い時代にまでさかのぼる伝統です。
 あわれみの讃歌といわれるKyrie は、罪を知った者が心から悲しみながら、「主よ、あわれみたまえ。キリストよ、あわれみたまえ。」と歌います。あわれみ豊かな神に対する讃美の歌であり、宗教改革時代に考えられたように、"罪人があわれみを乞う歌"ではありません。つまりここでいう罪とは、日常の生活の中で守らなければならない事を破る人間の堕落したわがままな気持ち、ごうまんな態度、知らず知らずのうちに人を傷つけていること、といったようなものであり、犯罪の罪とは異なります。しかしそれらの罪は、キリストの十字架上における犠牲の死によってあがなわれたという基本的な信仰がキリスト教の教理です。つまりKyrie とは、「哀れんで下さい」と、すがる気持ちよりも「慈しんで下さい」という気持ちで、神に対してより近いものを感ずる気持ちが大切です。

【祈り】

 GLORIA

Gloria in excelsis Deo.  いと高きところには栄光、神にあれ
Et in terra Pax hominibus bonae voluntatis. 地には平和、御心にかなうひとにあれ

<聖書>
 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなうひとにあれ。」 (ルカ2:8-14)
【イエスの誕生を天使が羊飼いに告げる】


<解説>
神の子であるイエス・キリストの誕生を祝う賛歌。Gloria!と神の栄光を褒め称える。
なぜGloriaなのか?神(の一人子であるイエス・キリスト)が私たちの住んでいるこの世に来てくださった。旧約聖書に予言されていたとおり、この世に「救い主(メシヤ)」として来てくださり、私たちと共に(時代は違えど)生きてくださったからだ。そして今も生きておられるからだ。 

 出典はルカによる福音書第2章。イエス・キリストを遣わして救いの御業を成し遂げてくださった神への賛美です。
 そして賛美の内容と願いが歌となった祈りで捧げられます。信仰告白クレドと重なりながら、信仰の内容、賛美の内容を共有します。

Laudamus te.  Benedicimus te.  我ら主をほめ、主をたたえ、
Adoramus te.  Glorificamus te.  主を拝み、主をあがめ、

<解説>
主を4種類の言葉でほめたたえている。主(神)はそのような方だと告白している。
Laudamus:ほめる。 
Benidicimus:たたえる。
Adoramus:おがむ。 
Glorificamus:あがめる。(Gloria 栄光 に値する方)
te:あなた(主なる神、父なる神)

Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam 主の大いなる栄光のゆえに感謝したてまつる
Domine Deus, Rex caelestis, Deus pater omnipotens. 神なる主、天の王、全能の父なる神よ。

<解説>
「父なる神」への賛美と、様々な言い方での呼びかけ。
ほめたたえる方はいかなる方であるのかを歌います。歌い方では言葉の処理でいつもte(あなた、すなわち神)の部分が粗雑にならないようにしましょう。

Domine Fili unigenite, Jesu Christe. 主なるおんひとり子イエス・キリストよ。
Domine Deus, Agnus Dei, Filius Patris. 神なる主。神の小羊、父のみ子よ。

<聖書>
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネ3:16-17)
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」(ヨハネ1:29)
<解説>
「子なる神であるイエス・キリスト」への賛美と、言い方を変えた呼びかけ。
神はひとり子を「神の小羊」としてこの世に送り出してくださった。
「神の小羊」:自らの罪の赦しのために犠牲となる動物を神に捧げるユダヤ人のしきたりに倣って人間の罪の代わりに犠牲となったイエス・キリストを指す言葉。
神が人間の罪の代わりとなる犠牲として捧げたものは、自分のひとり子であった。それほどの代価(犠牲の捧げもの)でなければ人間の罪を背負いきれないと考え、自分のひとり子をこの世のために捧げた。そこに神のこの世に対する愛がある。
「神の小羊」という言葉には多くの意味があり、
(1)神へ捧げる罪の身代り:
①神がアブラハムに独り子であるイサクを捧げものとして差し出せと命じたこと。(神はその通り行おうとしたアブラハムの篤い信仰を見て、命じたことを撤回された。)
②イスラエルの民がエジプトを脱出するときに、小羊を身代わりとして捧げ、その血を家の入口の二本の柱と鴨居に塗るように指示され、その家の初子は撃たれなかったこと。
③神がこの世の罪を取り除くために独り子であるイエス・キリストを犠牲の捧げものとされたこと(旧約聖書の①②のできごとがその背景にある)
【アブラハムがイサクを殺そうとしている】

【出エジプト時の過越しの儀式】
    
【世の罪を取り除くためのイエスの十字架】

                  
「Agnus Dei」を最も象徴するものは、十字架にかかるイエス・キリストの姿である。
(2)苦しみ・犠牲
①十字架上で死んだイエス・キリストの苦しみ
(3)神の愛・罪の赦し・安らぎ
①神のこの世に対する愛、

②イエス・キリストによって罪のないものとされている私たちの平安、安堵。

Qui tollis peccata mundi, miserere nobis. 世の罪をのぞきたもう主よ、われらを憐れみたまえ
Qui tollis peccata mundi, suscpe deprecationem nostrum.
世の罪をのぞきたもう主よ、われらの願いを聞き入れたまえ
Qui sedes ad dexteram Patris, miserere nobis. 父の右に座したもう主よ、われらを憐れみたまえ。

<解説>
イエス・キリストに対する願い。あなたはすべてのことができる力をお持ちなのですから、わたしの願いを聞き入れてくださいという祈り。Quiは英語でwhoに該当する関係代名詞。
<聖書>
神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、全ての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。(エフェソ1:20-21)

Quoniam tu solus sanctus. Tu solus Dominus. 主のみ聖なり 主のみ王なり
Tu solus Altissimus, Jesu Christe. 主のみいと高し、イエス・キリストよ。
Cum Sancto Spiritu in Gloria Dei Patris. Amen. 聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに。アーメン。

<解説>
Tu solusが3回うたわれる。sanctsu , Dominus, Altisimus であるイエス・キリストをたたえている。
イエス・キリスト、聖霊、父なる神の三位一体の神を信じます。あなたに委ねますという祈り。
アーメン:「本当に」「まことにそうです」「然り」「そうありますように」という意味。祈りや讃美歌の最後に唱える。
CREDO

 カトリック典礼では説教の後に語られる信仰宣言です。
Credo「われ信ず」の後にその中身が述べられます。宣言されます。
「わたしたちが信じているのはこう言う事柄です」という宣言であり、告白です。
CREDOは全体の構造が、
(1)私は、①父なる神、②子であるイエス・キリスト、③聖霊、④教会を信じる。
(2)洗礼を認める
(3)死者の復活と来世の生命を待ち望む
②の部分にイエス・キリストの生涯が挿入されている

Credo in unum Deum. われは信ず、唯一の神、
Patrem omnipotentem, factorem caeli et terrae, 全能の父、天と地、
visibilium omnium, et invisibilium 見ゆるもの、見えざるものすべての造り主を。
Et in unum Dominum Jesum Christum, Filium Dei unigenitum.
[われは信ず、] 唯一の主、神のおんひとり子イエス・キリストを。
Et ex Patre natum ante Omnia saecula, 主は、よろず世の先に、父より生まれ、
Deum de Deo, lumen de lumine, Deum verum de Deo vero. 
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神
Genitum, non factum, consubstantialem Patri: 造られずして生まれ、父と一体なり、
per quem Omnia facta sunt. 全ては主によりて造られたり。
Qui propter nos homines, et propter nostrum salutem
主は、われら人類のため、またわれらの救いのために、
descendit de coelis. 天よりくだり、
Et incarnates est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine: 
聖霊によりて、おとめマリアより御からだを受け、
Et homo factus est. 人となりたまえり。
Crucifixus etiam pro nobis: sub Potio Pilato passus, et sepultus est.
ポンテオ・ピラトのもとにて、われらのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られたまえり。

<解説>
処女降誕、キリストの誕生の背景:神はひとり子であるイエス・キリストを処女マリアの子としてこの世に遣わされた。マリアが処女でなければならないのは、神の子であることの証明のため。
ポンテオ・ピラト:イエス・キリストの生まれた時代のユダヤはローマ帝国に支配されており、ポンテオ・ピラトはローマの長官。ユダヤ人に捕まえられたイエス・キリストは、ポンテオ・ピラトに尋問を受け、鞭打たれた。ピラトはユダヤ人の圧力によってイエスを十字架につけることを決めた。
民衆に引き渡されたイエスは自らの十字架を背負わされゴルゴタの丘に引かれていき、そこで十字架につけられた。イエスを十字架につけた議員、兵士、また同時に十字架につけられた犯罪人にさえも罵られ、あざ笑われた。「神の子ならば自分を救え」と。そして、イエスは十字架上で息を引き取った。
【ピラトの命によって鞭うたれるキリスト】

【ゴルゴタの丘に十字架を背負い行く】

【2人の犯罪人と共に十字架につけられる】
        

Et resurrexit tertia die, secundum Scipturas. 聖書にありしごとく、三日目によみがえり。
Et ascendit in coelom: sedet ad dexteram Patris. 天にのぼりて、父の右に座したもう。
Et iterum venturus est cum Gloria judicare vivos et mortuos:
主は栄光のうちに再び来たり、生ける人と死せる人とをさばきたもう。
cujus regni non erit finis. 主の国は終わることなし。
Et in Spiritum Sanctum, Dominum, et vivificantem: [われ信ず、]主なる聖霊:生命の与えぬしよ。
qui ex Patre Filioque procedit. 聖霊は父と子よりいで、
Qui cum Patre et Filio simul adoratul, et conglorificatur: qui locutus est per Prophetas. 
父と子とともに拝みあがめられ、また預言者によりて語りたまえり。
Et unam sanctam catholicam et apostolicam Ecclesiam.
[われは、] 一、聖、公、使徒継承の教会を[信じ]
Confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum. 罪の赦しのためなる唯一の洗礼を認め、
Et exspecto resurrectionem mortuorum. 死のよみがえりと、
Et vitam venture saeculi. Amen. 来世の生命とを待ち望む。 アーメン。

【三位一体】

【最後の審判】
   

SANCTUS BENEDICTUS

Sanctus, Sanctus, Sanctus, Domine Deus Sabaoth.
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。
Pleni sunt coeli et terra Gloria tua. 主の栄光は天地に満つ。
Hosanna in excelsis. 天のいと高き所にホザンナ。
Benedictus qui venit in nomine Domini. ほむべきなな、主の名によりて来たる者。
Hosanna in excelsis. 天のいと高きところにホザンナ。

<解説>
聖なるかな:「父」である神、「子」である神=イエス・キリスト、「聖霊」なる神の三位一体なる神に対する感謝の言葉。3回繰り返すことは、それを指す。
ホザンナ:「救いたまえ」という神を賛美する意味だったが、「万歳」という意味に代わっている。
「天のいと高きところに(おられる神に)ホザンナという言葉が届きますように」という意味。
<聖書>
弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群集が自分の服を道に敷き、またほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に祝福があるように。いと高きところにホサナ」(マタイ21.6-9)

【イエスのエルサレム入城】


AGNUS DEI

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: miserere nobis:
神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、われらを憐れみたまえ。
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: dona nobis pacem.
神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、われらに平安を与えたまえ。

<解説>
神の小羊(GLORIAで解説)であるイエス・キリストにより憐れみを受けることで、平安が与えられることを願う。平安が与えられることで、前に向かって人生を歩んでいくことができる。私の心を神の愛でみたし、天国を目指してこの人生を歩ませてください。

憐れみたまえのmiserereとeleisonは同じ意味で、ラテン語とギリシャ語の違い。

O Salutaris

1O 2Salutaris 3hostia, 1おお 2救いの 3犠牲・生贄,
1quae 2coeli 3pandis 4ostium: 2天国の 4門を 3開く 1者:
1Bella 2premunt 3hostilia, 2迫ってくる・圧迫する 3敵との 1戦いで,
1da 2robur, 3fer 4auxilium. 2力を 1与え, 4援助を 3もたらして下さい.

1Uni 2trinoque 3Domino  2三位一体の 1唯一の 3主よ
1sit 2sempiterna 3gloria: 2永遠・不変の 3栄光が 1あるように
1Qui 2vitam 3sine 4termino, 4終わりの 3ない 2生命 1を
1nobis 2donet 3in 4patria. 4故郷 3で1われらに 2与えてください.

<逐語訳>
ああ,救いのいけにえ,天国の門を開きたもうおん方よ,
われらの敵は四方から押し寄せる,われらに力と助けを与えたまえ.
三位一体の不滅の神よ あなたの偉大なみ名が常にたたえられんことを.
終りなき生命の日々をわれらに,天のふるさとにて与えたまえ.

<解説>
 聖体降福式(聖体賛美式)という儀式の中で歌われる聖体賛歌。
グノーやロッシーニ作曲のミサ曲の中には,通常ミサ曲として作曲される5章のテキスト以外に,この聖体賛歌の前半が,サンクトゥスとアニュス・デイの間に挿入されている場合がある。「音楽史の中のミサ曲(相良憲昭,音楽之友社)」によれば,「フランスのミサ曲の伝統ともいえる」聖体賛歌であり、フォーレやデュリュフレのレクイエムに「ピエ・イエズ」が挿入されているように,ミサ曲にこの「オー・サルターリス・ホスティア」を挿入して作曲することが,フランスの伝統として行われていた。


PIE JESU

Pie Jesu Domine   慈悲深いイエスよ、主よ
dona eis requiem, 彼らに、安息を与えてください、


<単語の意味>
pie: 忠実な、敬虔な、義の、聖なる、あわれみのある、愛情の深い
dona:与える
eis:彼らに
requiem:安息を、平安を、安らぎを、

<解説>
Agnus Dei と同じ意味合いで、キリストを慈悲深いイエスと呼び、平安を願う。
「イエス」とは名前、「キリスト」とは救い主の意味であるが、キリストとは呼びかけずに、人としてのイエスに、Agnus Deiよりも親しみを込め「安らぎを与えてください」と願う。

文責:下津
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