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日常の断片

流転

2017-08-12 12:35:14 | 日々雑感
先月、母の13回忌があった。
母が居なくなって丸12年経ったことになる。
人生の3分の1を、そうして過ごしてきたのかと思うと、
少し不思議な気持ちになる。

父はその日、歯の治療が上手く行っていなくて、
咬み合わせが悪いため、ずっと下顎を妙に突き出したままだった。

法事のように神妙な場で、あの顔で居られると、
余りに滑稽で。噴き出しそうになるので困った。

法事を執り行った場所は、地元でも有名な、
規模の大きな、歴史の深い曹洞宗の古寺だった。

最初に出てきた坊さんは、とても若くて、綺麗な顔立ちで、
そして無表情で慇懃無礼な、嫌らしい坊主だった。

でも、その人は単なる準備係だったようで、
その後に本住職の方が現れて、感心するような穏やかさと落ち着きで、
和やかに法事を進めて下さった。

読経のあと、少しだけ談話をしてくれるのだけど、
その内容にまた少し驚いた。

ヒッグス粒子の話が飛び出したからだ。

でも、考えてみれば、宇宙創成に関わる話は、
世界の始まりが無か否か、という話題を孕んでいるので、
これはもう、仏教が扱い慣れている話題と否が応でも共鳴してしまう。

科学が「世の中の全ては星屑なのです」と言い、
星屑の全ては無から生まれたかもしれない、と驚いた時、
仏教は「だから昔から言ってんじゃん」と呟いたに違いない。

でも、そのスケールで物事を見たときに、
確かに実感される'万物流転'の感覚は、
虚しいと同時に救われるような、
悲しいと同時に有り難いような、
確かに在るけど足して割ったら0になるような、
不思議な感情に囚われる気がする。

最終的に、住職さんはこのヒッグス粒子の話と、万物流転のイメージから、
世代の繋がりの話に落とし込んでいたけれど。。。
本当は、もっと広く深い話なんだろうな、と感じながら聞いていた。

世の中のものすべてが星屑から生まれたのなら、命も人も、やはり星屑から生まれたことになる。
星屑から生まれたものは、きっと星屑に還っていくんだろう。
誰とて例外なく。

そう思えば、母の居ないこれまでもこれからも、
大きく見れば束の間の別れ。

星に還るときになれば、その時には「私」ごと消えてしまうので、
母にしても私にしても再会を喜ぶことはできないが。

いずれにせよ、こういった話は、
生きている側、存在している側からしか話ができないので、
歯がゆいところではある。

こう書くと、そうでない側も‘ある’かのように見えてしまうけれど、
そういうわけではないところが、なんとも。
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