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坂の上の雲

書こうか、どうしようか迷ったけど、最近、映画も観てないしやっぱり書こ。

テレビでやってた20世紀少年の1を観たけど、ちょっと期待はずれだったので、ブログにしなかったというのはあったけど。

さて、何を書くのを迷ったかというと、小説の感想です。

いやはや、やっと読み切ったさ、

「坂の上の雲」。

ほんとに時間がかかったなぁ。この小説を読み始めて、先週読み終わるまでの間、いったい何冊の本を読み終えたことか。

いや、そんなに読んでないか…(涙)。

このブログも映画を書くようにしててよかったよ。読書感想だけにしておいたら、年に何回更新できるかわからんで>殴)。

いくら仕事で読むものが多いとはいえ、もうちょっと小説、ペーパーバックをこなしたいな。

よしこれから頑張ろう。


さて、「坂の上の雲」。

歴史小説をあまり読んだことがない、ということで、強引に興味を持って読み始めてみたけど、歴史小説初心者とすれば選んだ本がよくなかったかもしれない。

それは司馬氏も“あとがき”の中で書いているけど、この小説は他の歴史小説とは少し手法を異にする、という部分が大きな原因かもしれない。

僕にすれば物語調で会話とかも鬼気迫るものがあり、ダイナミックに日露戦争が語られるものだ、と思った。

ところが、司馬氏のとった手法は資料を紹介しながら事実を書き綴る、というもので、俗っぽい言い方をしてしまえば、対話というものが非常に少ない、いやほとんどない。

「」の中に書かれる、話した内容はほぼ資料などに残る、事実本人が話しただろう内容なのだ。たとえば、

○○はこの状態で、

「かまわぬ前進せよ」

といった、と後日▲▲は語っている。

というな形式で「」を使う。

要は物語でありながら、創作された会話は排除する姿勢で書かれている、ように見受けられた。

創作された物語になれた僕には、心構えが“物語”だったもんだから、読んで違和感を感じた。

もちろん、秋山兄弟、子規、二〇三高地、バルチック艦隊など山になる部分では展開に吸い込まれるんだけど、ダイナミックでない部分では論が語られるところもあり、ここで違和感を感じてしまうと少しの期間、ページをめくるのが止まってしまい、そのまま本棚でお休みさせてしまった。

恥ずかしい話、それが、半年とか1年になることもあった。

本棚を見たとき、やっぱりここまで読んできたら、読み続けるかと思い直す。当然、筋についていけなくなるから、少し戻る。また時間がかかる、という具合に進んで、まさに“石の上にも3年”という時がすぎた。

それにしても司馬氏の資料収集力と取材力と、そして膨大になった情報を構成し、文章にまとめていく迫力ある能力には舌を巻く。パソコンなんて普及していない時代だから、データベースもなければ、グーグルもない、そんな時代だもんね。

この能力もまた天才的だし、小説家ってすごい、と思う。

長編を読んだなかでの感動がひとつあった。

「小説はたった一行が言いたいがために、何百ページも費やす」というのを聞いたことがある。僕はこのフレーズを聞いたとき、異論が思い浮かんだ。

そして、その異論を今回確実にした。

何百ページも費やして書かれた小説は、エンディングの何気ない表現に思いっきりの深み与える。僕はそう思った。

日露戦争に勝利して、秋山真之が亡くなった子規の家を訪れる。その帰りに、坂之上からみた光景の表現−−−。本当に何ともない表現なのに、その3行を読んだら、真之と好古の人生と、目の前に繰り広げられた戦争とが一気に駆け巡った。

素晴らしい3行なんだけど、全部を読んでいなければこの感覚は味わえない。

いや、読み切ってよかったよ。


坂の上の雲〈8〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋

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