村の棚田のあちこちで、いま畑づくりが盛んだ。
とは言っても耕作地は限られているから、米の収穫を終えた田んぼをそのまま耕して畑にするのである。
植えるのは、唐辛子、獅子唐、ミニトマトなど。
まとまった現金収入になるから、最近はこの転作に挑む村の衆が増えてきた。
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だが、その作業は大変である。
固い土を耕すのは鍬だし、撒水器などもない。
水やりともなれば、ご覧のように苗を植えた畝(うね)のまわりに水を溜めて、手製の水すくいで苗のひとつひとつに水をかけてゆく。
用水路に近いところはまだいいが、これから乾燥暑季に入るとその水も涸れてきて、耕耘機のエンジンをポンプ代わりにして、水量の減った川から水を吸い上げることになる。
水やりの様子からふと目をあげれば、苗を植えた畝は山の中腹にまで延々と続いて、ただ茫然となる。
やれやれ。
なんだか、とらえどころのない番頭さんの人生みたいだなあ。
こちらには、なかなか実りも訪れないけれど。
頭の中で、なぜか突然、若き日のジュリーが熱唱する『勝手にしやがれ』が鳴り響いた。
あーあ、あーあ、あーああーあーあーああー♪
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