これは亡くなる1週間前のにゃんた。もうすっかり痩せてガリガリ。発病当時4.5kgあった体重は3kgを切っていた。それでも、まだ自力でごはんを食べ、トイレにも行っていた。が、かかりつけの獣医さんに、検査数値を示しながら「1週間が山です」と言われ愕然。それでも「そんなはずはないさ」とどこかで思っていた。「峠を越すのに1週間ということだ」というような。
しかし、そのあとみるみるうちに容態が悪化、ほどなく食事どころか、もう自分で立つこともできなくなった。
不思議な感覚だが、弱っているにゃんたは、いっそうかわいかった。もちろん、別れの近づいていることは、認めざるを得ない。その悲しみとは別に、介護が必要になった赤ん坊のようなにゃんたが、たまらなく愛おしかった。ずっと何年でもこうやって、おしっこのしみたシーツを替えたり、ウェットフードをさらにすりつぶして食べさせたり、重湯を作ったり、湿らせた綿でお水を飲ませたり…、こまごまと世話をしてやれたら、と思ったものだ。それは、なんだか幸せなことにさえ思えた。
だが、そんなことも長くは続かない。シーツを替えるときの驚くほどの軽さ、抵抗のない肢体が、そのときの近づいていることを語っていた。
4.死ぬまで好奇心を失わないのが猫 へ
しかし、そのあとみるみるうちに容態が悪化、ほどなく食事どころか、もう自分で立つこともできなくなった。
不思議な感覚だが、弱っているにゃんたは、いっそうかわいかった。もちろん、別れの近づいていることは、認めざるを得ない。その悲しみとは別に、介護が必要になった赤ん坊のようなにゃんたが、たまらなく愛おしかった。ずっと何年でもこうやって、おしっこのしみたシーツを替えたり、ウェットフードをさらにすりつぶして食べさせたり、重湯を作ったり、湿らせた綿でお水を飲ませたり…、こまごまと世話をしてやれたら、と思ったものだ。それは、なんだか幸せなことにさえ思えた。
だが、そんなことも長くは続かない。シーツを替えるときの驚くほどの軽さ、抵抗のない肢体が、そのときの近づいていることを語っていた。
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