(13のつづき)
作務衣の女性が、頃合いを見て、人間の法事で言うなら「説法」に当たるお話を静かに始めた。人間の場合なら、お坊さんは故人のことも家族のことも何も知ることなく(都会では)、ありがたい話をするわけだが、この女性は先ほど来、にゃんたの思い出を尋ねたり、私達夫婦の会話やにゃんたに話しかけたことをじっと聞いていた。彼女の、心のこもった温かなお弔いの言葉に、私達は改めて涙し、彼女もまたもらい泣きをしていた。
説法のあと(いや先だったか?)彼女は、般若心経を唱えてくれた。
親や親戚には決して言えないが、正直、何を言っているのかまるでわからないお経をありがたいなどと、これまで思ったことがない。金ぴかのたいそうな法衣を着けたお坊さんが、モンゴルの長唄ホーミーみたいな独特の響きで読経するのを聞いて、何年練習したんやろなー、なんぼやってもでけへん人はでけへんねやろなー、などとつまらないことを考えながら、やっとその場をしのぐのが常だった。
しかし、彼女の素朴な読経には、謙虚に、心からの感謝を捧げたのだった。
15.にゃんたのお骨拾い the End へ
作務衣の女性が、頃合いを見て、人間の法事で言うなら「説法」に当たるお話を静かに始めた。人間の場合なら、お坊さんは故人のことも家族のことも何も知ることなく(都会では)、ありがたい話をするわけだが、この女性は先ほど来、にゃんたの思い出を尋ねたり、私達夫婦の会話やにゃんたに話しかけたことをじっと聞いていた。彼女の、心のこもった温かなお弔いの言葉に、私達は改めて涙し、彼女もまたもらい泣きをしていた。
説法のあと(いや先だったか?)彼女は、般若心経を唱えてくれた。
親や親戚には決して言えないが、正直、何を言っているのかまるでわからないお経をありがたいなどと、これまで思ったことがない。金ぴかのたいそうな法衣を着けたお坊さんが、モンゴルの長唄ホーミーみたいな独特の響きで読経するのを聞いて、何年練習したんやろなー、なんぼやってもでけへん人はでけへんねやろなー、などとつまらないことを考えながら、やっとその場をしのぐのが常だった。
しかし、彼女の素朴な読経には、謙虚に、心からの感謝を捧げたのだった。
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