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岐阜県中津川市の巨岩に築かれた山城「苗木城跡」は360°見渡せる絶景が広がっています。

2017年07月25日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
苗木城跡は戦乱の時代から江戸時代まで続いた苗木遠山家の城跡です。現在でも堅牢な石垣を残しており、当時の面影を感じさせます。天守は岩山という制約された土地の上に建てられていました。天然の巨岩と、人工的に作られた石垣を巧みに使った城郭は、全国でも大変珍しいものです。苗木城は戦国時代からの地形をそのまま復元しています。

天守跡から見た木曽川です。右後方の山は恵那山です。




苗木城跡天守跡へ向かう道です。


足を踏み外せば、深い谷底が待ち受けている所が何箇所かありました。


天然の巨岩を利用した石垣。岩を抱きかかえるように石垣が積まれています。


石垣の上に咲くギボウシです。


馳門跡です。


ウォーキングする人の姿もありました。


大矢倉跡です。
大矢倉は外観からは二層に見えるが、実際は三階建てであった。一階は三方を石垣で囲われ倉庫として使われていた。苗木城最大の櫓建築で二階、三階の壁には矢狭間が設けられるなど大手門である風吹門や北側からの防御のために作られた。


風吹門跡です。


本丸口門跡です。
本丸と二の丸の境となる門で、総欅で建てられていたことから、欅門とも呼ばれた。


苗木城跡の碑です。


馬洗岩です。
天守跡の南下にある大岩。絵図には「この石周り二十三間弐尺」とあり、周囲約45mの花崗岩質の自然石である。名前の由来は、かつて苗木城が敵に攻められ敵に水の手を切られた時、この岩に馬を乗せ米にて馬を洗い、水が豊富であるかのように敵を欺いたことからつけられたといわれている。


苗木城天守跡です。
苗木城は急峻な岩に囲まれた土地に建てられたため、平らな土地がなく、外に張り出た建築技術を使い、スペースを確保する工夫がなされたようです。




天守の柱があった穴を再利用した展望台です。






笠置山に向かって設置された物見矢倉からの眺望です。赤い橋は木曽川にかかる橋です。


天守跡からみた妻籠や馬籠方面です。


天守跡から見た恵那山と中津川市街です。


棉蔵門跡です。
本丸へ上がる道を遮る形でいた棉蔵門は、夕方七ッ時(午後4時)以降は扉が閉められ、本丸に進めなかった。門の名の由来は、年貢として納められた真綿が、門の二階に保管されていたことからきている。




いたるところに巨岩があります。




武器蔵跡です。
長さ8間(約16m)、奥行3−3間(約6m)の土蔵。大名遠山家が所持していた鉄砲や弓等の武器類が納められていた。