古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

『宋書』倭国伝

2016-10-11 12:55:27 | 歴史
やはりありました。
『宋書』倭国伝(432年着手? 502年完成)

倭国は高句麗の東南の大海の中にあって、代々我が国に朝貢してきた。
421年 倭の讃王 遠くからでも朝貢する誠意を考慮して官職を授けよう。
 讃王が死んで弟の珍王が即位、使持節・都督・倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王と名乗り、正式に任命されるよう要望し、文帝はこれらすべて許可した。
433年 倭国王の済王(せいおう)が使者を送って朝貢してきた。そこで安東将軍・倭国王と任命
451年 使持節・都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事の称号を加えて、安東将軍は元のままにした。(百済の名が消えていることに注意。)
 済王が死んで」世継ぎの興王(こうおう)が使者を遣わして朝貢
462年 「興王は先代の任務を受け継いだのだから安東将軍・倭国王と称号せよ。」と勅命
 興王が死んで弟の武王が即位
478年 倭国の武王は使者を送った。
「・・・
昔から祖先はみずから甲冑を身につけ、山川を跋渉し  ・・・・
東の方は毛人の55国を征し、西の方は衆夷(しゅうい)66国を征服し、海を渡って北の95国を平らげました。・・・
通う道は百済を通って船路です。
ところが高句麗は無道者で、百済を飲み込もうとして国境の人民を略奪し、殺害しています。
・・・・
臣下であるわたくしの父済王は実に高句麗が宋国へ通う道を塞ぐことを怒り、弓矢を持つ兵士100万、義憤の声を挙げて奮いたち、大挙して攻めようとしましたが、にわかに父王と兄王が亡くなって後一息で成功する時に、さいごの一撃が出来ませんでした。わたくしは国に居て喪に服しているので兵士たちを動かさないでいます。こうして戦いをやめて兵士を休めて、高句麗に勝たずにいます。
・・・
そこで順帝は武王を使持節・都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王に任命した。


武王の手紙から
・東55国を征し、西66国を征服し、商船半島の95国を平らげました。
・しかし、高句麗は無道者で、百済を飲み込もうとして国境の人民を略奪し、殺害
・高句麗を攻めるが未だ征服できず、父王と兄王の死後、喪に服し、兵隊を引き上げた。
421年 倭の讃王、珍王 百済を含む朝鮮半島を支配したが、高句麗には及ばず
433年 済王、興王、の時代は百済を攻撃するが百済は高句麗に側にあった。
478年 武王が百済から兵を引き上げる。国内は九州から関東まで統治が完了した。
宋から倭国王と呼ばれる五王ですので、日本書紀の歴代の天皇に当てはまるのが通例ですが
この五王は、朝鮮半島に住んでいて、近畿には住んでいないのではないでしょうか。
天皇から朝鮮半島の支配を任命された一族(宗像氏 Or 出雲氏)の王だった様な気がしませんか。

ここまでの歴史が頭に入ったら、貴方は日本古代史のエキスパートです。
ジャンル:
文化
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 七枝刀 と 広開土王碑 | トップ | 古事記・日本書紀に取り込ま... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。