古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

吉野ケ里遺跡(とりあえず分かりやすく)

2016-10-12 12:27:51 | 歴史
吉野ケ里遺跡は、佐賀県神埼郡で発見された遺跡で
現在は吉野ケ里歴史公園として、全盛期の状態が復元されています。

概略ですが
弥生時代前期(徐福が来た時代)に小さな村が出来て、その当時から周囲に環濠(溝)を
造っていた。
弥生時代後期(魏志倭人伝の時代)全盛期を迎え、環濠周囲も加えると5千人ほどが暮らした。
3世紀後半に、環濠に土器など生活用品を捨てて、人がいなくなり、古墳となって今います。

吉野という名前は、遺跡が吉野丘地から見つかったので吉野ケ里と呼ばれます。
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町の町名は後に市町村の合併で出来た地名です。
どうも、当時に 吉野族と呼ばれるような民族が住んでいたわけではない様です。
JRでも車でも便利ですので、興味のある方、ぜひ一度寄ってみて下さい。


当然、同様の集落は九州北部に多数あったはずです。
奴国の時代に 100余国ともあります。
玄界灘湾岸の国は大陸の文化を取り入れ強大化します(守る側ではなかった)
更に、博多湾沿岸では、ご存知の通り埋め立てと建築ラッシュで当時の遺跡も埋まった。
たまたま、工業団地を造ろうとして見つかった稀な遺跡です。
現代は、当時と比較すると人口も何千倍になっています。当時の人が住みたいと思う土地と
今の人が住みたいと思う地域は同じでしょうから、今後、新しい遺跡が見つかる可能性は
非常に少ないと思います。
ひょっとした九州内陸部の手つかずの土地の下に遺跡が埋まっている可能性もあります。

ジャンル:
文化
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