古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

日本で起きたの三国志(大和朝廷)第一話

2017-04-09 13:35:14 | 歴史
日本で起きたの三国志(筑紫朝廷)
日本で起きたの三国志(出雲王国)
に続いて、最後の国 大和朝廷 です。
親魏倭王の金印を贈られた卑弥呼も248年に亡くなり、邪馬台国は、その権力を失います
次女王、台与(トヨ)も九州北部から大分(瀬戸内海側)に移住します。
魏の国も265年に亡くなり、親魏倭王の金印も力を失います。
玄界灘が筑地朝廷、山陰湾岸は、出雲王国が支配しています。
大陸との交易ができません。残る航路は瀬戸内海でした。
佐賀の吉野ケ里の環濠集落と同じような箸墓古墳があります。
縄文時代、弥生時代初期に各地に神信仰があり、卑弥呼の祈祷文化は全国に広がっていました。
単に、九州北部と出雲の地域だけが、新しく鉄鋼、財宝など新しい文化国が支配したのです。
神信仰文化圏の国々は、新文化の二国の支配を逃れるために、連合を強いられます。
それが、瀬戸内海連合国です。

さて、再度、魏志倭人伝を参考に
・女王国の東(方)に、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭種である。
狗邪韓国<=>対馬国 が千里
対馬国 <=>一支国 が千里
一支国 <=>末盧国 が千里で朝鮮半島南端から松浦半島までが約3千里ほど
東に瀬戸内海を千里なので、近畿までは到着しません。瀬戸内海の山陽(山口)、或いは四国(愛媛)の湾岸に
卑弥呼と同じような神信仰国々があったのでしょう。更に東へ進めば大阪、陸路を歩いて奈良に着きます。
そこまでの記述はないようですが、古くから各種の神信仰が諸国になったはずです。

日本神話では、神武東征 の神話にあたります。
初代神武天皇が九州を出発して近畿(大阪の難波)に到着するまで、なんと16年もかかっています。
その後、奈良の地で即位して、在籍年数が76年、その年齢は、何と127歳で崩御
時代は、紀元前660年のお話になっています。神話上の話で間違いはないでしょう。

欠史八代の天皇
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと)
6.孝安天皇 - 日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびびのすめらみこと)
も年代を調整するために挿入されたでしょうが、それぞれを瀬戸内海や大阪にあった国々の王を
意味している可能性もあります。
近畿に登場したヤマト王権は、九州の大分、宮崎から瀬戸内海の山陽地方、四国の国々と近畿の国々連合体制へ
呼びかけに応じた国々です。
実際は、3世紀後半から4世紀前半の事でしょう。
265年に魏の国がなくなるので、親魏倭王の金印も贈られた銅鏡類も意味をなくしますので、九州に置いて来たはずです。
卑弥呼の墓もまだ、九州にあるという事になりますね。
魏志倭人伝から読み取れる事実はここまでになります。
卑弥呼の死後、13歳で女王になった台与とて人間です。4世紀の日本を見ることは出来なかったでしょう。
台与の死後に、男王が引き継ぎ、神武東征を行った事になります。
アマテラスの孫がニニギ、その孫が神武天皇ですので、4代目になります。
当時10代で出産し世代交代があったとすれば、神武東征が4世紀始まり位になります。
もちろん、一つの血族から他の一族への権力交代の可能性もあります。
筑紫朝廷、出雲王国からは、だいぶ出遅れています。
鉄器などの武器の入手が困難であることは、大きなハンデを背負っています。
その様な神信仰の国々にいて、次に考察してみます。


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