古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

1世紀頃、80年も続いた倭国大乱とは

2017-07-23 19:19:45 | 歴史
紀元前5世紀頃、徐福など大陸から船で移住した渡来人により
稲作が始まり、九州北部の沢山に国が出来ます。
子孫が増えると徐々に中国地方、近畿地方から関東、東北へ弥生文化が広がります。
大陸では、秦の始皇帝が無くなり、大陸が乱れます。
この時代は、日本列島へ移住してくる人はいなく、弥生人の発展の時代でもあります。
この時代を弥生時代初期と呼びます。

しかし、紀元前208年 漢王朝が大陸を統一(前漢)漢帝国の時代となります。
紀元前108年には、朝鮮半島北部の衛氏朝鮮を滅ぼし楽浪郡(らくろうぐん)を設置、植民地とします。
朝鮮半島を経緯して大陸から人が往来します。
九州北部の国々は、漢帝国へ貢物を贈り、友好的な交易を行います。
この当時に大陸から伝わったのは、青銅製の矛や楯など武器です。
結果、博多湾に沢山の水田を持つ奴国が最大の武力国家となり、
57年に後漢の光武帝より漢委奴国王の金印を贈られた奴国の国王が倭国の王となります。
奴国の武力支配による九州北部の統一が出来上がるはずであったはずですが

歴史は、1世紀後から始まる倭国大乱の時代に突入します。
・漢帝国の文化、武力派閥 VS 反漢帝国派、旧弥生時代の農耕文化派閥
があったのでしょう。
当時の国々の風習がが吉野ケ里遺跡に見て取れます。
周囲に環濠を築いて、内部で祈祷を行うのです。
稲作の成功は、やはり自然の力に大きく左右されたでしょう。
この祈祷文化は九州だけでなく近畿などでも起きています。
それぞれの国に、国王がいて、祈祷師がいました。

奴国、伊都国など大陸文化圏の祈祷師の結果と周囲の農耕文化の祈祷師の結果が異なります。
同じ文化圏でも祈祷の結果が異なる事もあったでしょう。
倭国大乱の収めるには、祈祷師を1人にするしかなかったのです。
女王 卑弥呼の誕生の秘話です。
たぶんに、卑弥呼は奴国、伊都国など強国出身の祈祷師でしょう。
吉野ケ里の様な弱小国の祈祷師は、卑弥呼に下で働くか、国を捨て逃亡する事になります。
これが、環濠集落の国が消えて理由です。
100余国あった国が30国にまとまりますが、祈祷師は、卑弥呼一人に絞られます。
倭国がひとつにまとまり成長する一方、大陸では、220年に漢帝国が滅び
魏・蜀・呉の戦国時代となります。
そして、倭国の王は朝鮮半島に最も近い魏国へ貢物を贈り友好関係となります。
これは、魏国にも有利と判断されて「親魏倭王」の金印や鏡などが贈られます。
この時に役目を果たしたのが、難升米(ナシメ)です。難升米は次の様に紹介します。
国の名前は 邪馬台国(ヤマト国)・・・倭国ではありません。漢の時代まで使われた倭と云う呼び名を捨てます。
日本が始めて自分の国の名前を決め改名した事を対外的にアピールしたのです。
輪と云う漢字を ヤマト(邪馬台)と発音するが、当時の名残です。
国の政を最終的に決めるのは・・・・・・国王ではなく、女性祈祷師 卑弥呼と紹介します。
卑弥呼は、神とも通じる力があり、嵐など自然も左右する。災いを排除する力があると話します。
更に話は大きくなり、卑弥呼は永遠に命を持ち老婆であるが、年齢すらもわからない。
結果、金印を贈った相手は、国王ではなく、邪馬台国の女王 卑弥呼になります。

大陸の権力をバックに権力の座に上りつめる祈祷し卑弥呼ですが、大きな過ちを犯します。
248年 南の敵国 狗奴国との争いで苦戦をし入れられ、大陸へ応援を求めるのです。
当時の卑弥呼がほしかったのは、鉄器など武器だったはずですが、送られてきたのは黄色い旗でした。
永遠の命を持ち、気象を操る卑弥呼の化けの皮がはがれてしまいます。
卑弥呼が本当になくなったは不明ですが、卑弥呼神話に終止符が打たれます。
時代は、諸国の国王がそれぞれ権力を付ける古墳時代に移ります。
但し、卑弥呼の思想を受け継ぐ 台与(トヨ)が豊国で新しい国造りを始めます。
諸国が国王の墓を作る時代ですので、台与も卑弥呼の墓を作ったでしょう。
卑弥呼の墓は、先祖崇拝の儀式を行う場所と使用するようになり、前方後円墳 の形となります。
この祭壇付きの前方後円墳で行われた儀式が諸国へ広がり近畿や関東にまで伝わります。
この時代を古墳時代と呼びます。

この永遠の命をもつ祈祷師 卑弥呼と先祖崇拝の文化が近畿のヤマト朝廷まで引き継がれて
日本神話のアマテラスとなり、神社で行う神道の儀式となりました。
アマテラスは、卑弥呼が題材となっています。
三種の神器の 鏡と勾玉も卑弥呼の時代の儀式に使ったものです。
剣は、出雲の国でスサノオが八俣の大蛇退治して、尾から出てきた草那芸之大刀(くさなぎのたち)ですので
別途、出雲の文化が加わっています。

三世紀の九州での出来事と出雲での出来事が、後の飛鳥時代、奈良時代(5~6世紀)に近畿で神話となり
後に「古事記」「日本書紀」に文字となります。
伊勢神宮や出雲大社が1700年の歴史と云われていますが、遡ると卑弥呼の邪馬台国に時代にたどり着きます。
倭国大乱の後に現れた卑弥呼がここまで影響を残したのは
中国の史記「魏志倭人伝」に書き残された事が大きいと思います。
遣隋使、遣唐使の時代に、自国の事を紹介するのに一番手っ取り早いのは
中国の史記に紹介された邪馬台国が我々であると主張するのが一番楽だったでしょう。
王朝の名前も ヤマト朝廷=邪馬台国を使いました。




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