古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

神武天皇一族のその後

2016-10-17 18:46:48 | 歴史
最後の投稿と書いておきながらももう一つ
奈良盆地に移住した神武天皇(天皇家の祖)ヤマト一族は
奈良盆地で国造りを始める。
・大陸や朝鮮との直接の交易ルート無し(鉄、青銅の入手が難しい)
・船や航路の技術無し
・海の魚介類を入手る事不可能
・農耕も他の有明海や東海の国々が有利です。
ヤマト一族の手法は、
✖ 王家一族の武力による独裁政治 
✖ 財力による独裁政治
いずれも出来ません。
〇 人々の協力の元、役割分担を行って国造りを行う
〇 周辺国との友好関係
弱小 ヤマト一族が出来る手段はこれしかありませんでした。
他国に無いものと云えば、信仰・崇拝(先祖崇拝・祈祷など)です。
何の役にも立たないと思われる方多いかと思いますが、これがヤマト王権(天皇家)の考え方です。
・天皇家が国の始まり(信仰)
・国造りを他の民に任せる。
・有能な人材を評価する。

分かりにくいので現在の会社に例えます。
社長や社長一族で経営を行うワンマン経営=周囲の国々では国王独裁で、全ての権限が国王にあります。
VS
経営者、管理者、社員に有能な人を排して経営(現代型)=天皇家の国では、役割を決めて全員で国造り
その経営は社長(天皇)に対する信頼が厚く、社員全員が信者のごとく働く会社をイメージしてください。
戦後の大企業にも同じようなことが起きています。

奈良の地での国造りは、4世紀(300年代)だと思いますが、
弱小国であり、周囲が山で囲まれているので他国からの影響がありません。
大陸の文化を持った天皇家(九州北部の経験がある)は地元民族から崇拝を受けます。
全員の力を合わせての国造りは、律令制度を作り上げます。
氏姓制度が始まりです。王家と共に移住した人々に 臣(おみ) の位
既に、奈良の地に住んでいた人々、後に移住してきた仲間には、連(むらじ)の役職を造ります。
先代の功績も評価した上、新しい友も評価します。(当時では考えられなかったはず)
奴隷は一生奴隷とする封建制度の時代に民主主義を行ったのです。

奈良盆地の小国が近代国家になったのです。
周囲の国々との国交は難したっかでしょう。
5世紀(400年代)になります。
天皇が選んだ手段が結婚による友好関係です。この方法はアマテラスとスサノオの誓約にも見られます。
一族の血縁を大切と考える周囲の国々と異なり、結婚による多民族国家として連合国作りにを始めます。

しかし、6世紀(500年代)になると、奈良の地で問題が起きてきます。
蘇我氏と物部氏の争いです。
天皇家にとっては、権力を持つ3大勢力の部下同士の争いなのです。
天皇の政治制度は、大臣を二人(右大臣・左大臣)にして一極勢力が出来ないようにします。
7世紀には
実力主義の冠位十二階,役人向けの十七条の憲法。
大化の改新の続き。大宝律令を制定して,天皇を中心に律令政治で国力を強める。



え~っ、そんな武力も財力も無くて国家統一が出来るのか
会社の経営でも財力、財力に人が就くものだ
と思う人が多いのも現代人ではないでしょうか。
歴史の中は、ほとんどが信仰・自由と権力・軍事力の座を選ぶかの選択の繰返しです。
たまたま、今の時代が経済力の時代(社会の中にいる)だけかもしれません。


ふっふっふっ、これで最後にしますね。
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